はてなキーワード: メンヘラとは
強がりたいだけのチンピラから強がる方便を奪ったら不貞腐れてメンヘラ化するらしいと知った
追記:
どうでもいいが、俺はその様子を傍観していただけだから「チンピラから強がる方便を奪ったら」は不適切で「チンピラが強がる方便を奪われたら」が適切だな。
なんにせよ、自己愛によって理性が衰退した害獣が正負のどちらに感情を昂ぶらせたところで、それ自身の醜悪さは毛ほども変わらないようだ。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
私は16歳の時、うつ病の診断を受け、24歳で学習障害とADD(ADHDの他動の少ないやつ)と診断され、28歳で入院したとき双極二型と診断された、まぁ言ってしまうとメンタルヘルス系街道まっしぐらのひどい人生を送ってきた。
おばさんと呼ばれる年齢になり、つくづく「私は若い女の子をうまくやれるタイプじゃなかったんだな」と思う。
また話が飛んで申し訳ないが26歳で甲状腺機能低下症も軽度ながら発症し、そのせいかなんのせいかはわからないが30歳の時、早期閉経していることも告げられた。
私は過去の精神病的経歴から子どもを持つことはできないんだろうと感じていたから特にショックはなかった。でも骨粗しょう症予防のためホルモン剤で隔月で無理くり生理をおこしている。これがまた副作用もあって面倒なのだが、これ以上病気のデパートになるわけにはいかないので我慢である。
甲状腺機能低下症を発症しまだ診断を受けていないだけで多分もうすでに閉経していた私はどんどん太った。
24歳くらいまでは48㎏~52㎏というまぁ普通のMサイズなら着れるしお洒落も好きだしロリータ系服も趣味で着ていたので太り出したときは焦ったしなんとかならないものかと試行錯誤した。間食しないように、サラダを多めにしたメニュー、こんにゃく、豆腐メニュー…
いやー、痩せない。むしろなんでも食ったぶん太る。
それにイラついて過食してしまいやっぱり太る。もう太るしか選択肢がない。
服も入らなくなってくる。焦った。
こりゃキツい。焦った。
でも着実に肉は付いていき現在64㎏になった。完全なるデブである。お世辞にも普通の体型とは言えない。そこらの男の子より重い。20歳くらいまで会食恐怖気味でその頃は45㎏切っているときもあったことを考えるとヤバイ劇太りだ。
やったダイエットの試みは割愛するが努力むなしく着実に太った。努力が虚しくて食ったことも認める。だがまぁ病気もありどんどんとおばさん体型になったのだ。
残念であった。MILKやらEmily temple cuteやらJane Marpleで絵本のような可愛い服を大枚はたいて愛好し、どれだけ投資してきたか…悲しい……
しかたなくしまむらやユニクロやそこらのガバッとしたムームータイプのリネン系ワンピースを着ている。(リネン系の有名なブランドも利用するが、昔ほどひとつのブランドで揃えようという気概はもうない)
過去を知らない友人や同僚なんかからは私がそういうラブリーなブランド服をめちゃめちゃ持ってて若い頃はファッションモンスターといって差し支えない引くレベルにお洋服に投資していたなんて誰も気がつかないだろう。
今や私は早く来た中年太りのおばはんだ。
話はやっと本題に近づく。
なにをしても太るのでもう痩せる努力をやめた。ストレスためるより流れるままにデブっていけ!と一種の諦めがついたのだ。
喉が乾いたらコンビニでスポドリ飲むし、ミニストップでハロハロ食べたり。
自由だ。当たり前に着実に太るがストレスで過食することが減ったので、結局小デブが普通のデブになったくらいである。
自由だ……。年3回程度あったナンパされることもなくなったし、お洒落も限られるのでお洒落に対する興味は薄くなった。
でもなんか楽だ。デブになって「若い女の子」というカテゴリーから除外されてなんか楽だ。
「若い女の子」時代には男の人におごってもらえたり優しくしてもらえたり恋愛対象に見られたりそこそこ楽しいこともあったが、けっこうマジで気があってこれからも仲良くしたい…って願ってた同性からライバル視されてなんかうまくいかなくなったり、パート先のババアに目の敵にされたり、外見を着飾らないと生きてる意味を見失うくらいルッキズムに支配されていた。若い女の子マインドをデブることで手離さなければならなくなって、「若い女の子」って生き方やべーくらい窮屈じゃん…って思った。やべーよくやれてた。てゆうかやれてたのか?「若い女の子」うまくやれてなかったから病んでたのか?
じゃあ当然の流れなのか?
よくわからないが人生のステージがおばはんステージになったことに失望よりか、「もしかして私の人生おばはんステージの方が本番なのかもしれない!」って希望すらある。
いや~若い女の子はなるものじゃなくて鑑賞して圧倒されてんのが一番いいわ。
おっさんとガチの友情築けたりするんだろうか。それともおばはんステージなりの恋愛があるんだろうか。おばはんとして新しいおばはんの友達とかも出来たら嬉しい。
昔からの友達もゆっくりとおばはん化してくのか、それともカッコいいオンナ!とかミドルエイジ!とかマダム!とかになっていくのか。
病気も手伝って一足先におばはんステージに移行せざるを得なかったので低みの見物をさせていただこうと思う。
おばはん初心者ながら頑張っていく決意表明として書いてみた。年取ることは人によっては悪いことじゃないと今私は思っています。
きょう、友人の爪を塗った。
素人がちょろっと習って覚えた程度のジェルネイルだけど、すごく喜んでくれた。
今日から彼女は、何をするときにもきらきら光る爪を見ることになる。
友人はすごく不器用に生きている。
たぶん家庭環境とか学校でのいじめとか、いろんなことが絡み合って、彼女から生きる自信を奪っていったんだと思う。
ことあるごとに「いつ死んでもいいと思ってる」とか、「早く死ねないかなあ」とか、「死にたい」とか言う。
ちょっと喧嘩しただけで「生きててごめん」とか言い出すから、たまにすっごく面倒くさくなる。
もうそんなこと言わないでよ、ずるいよと否定したくなる。しんどいね、つらいねと言ったあとで、でもわたしは死んでほしくないんだよっていつも言ってしまう。
死にたがりの彼女は手首を切ったりはしないけど、指の皮を剥いたりする。
初めて見たとき、皮膚の下の真っ赤な肉のいろがちらりと見える指先に、正直ぞっとした。
やめなよと言ったけど、無意識でやめられないと言われた。
だからわたしは古いジェルネイルの道具を引っ張り出してきて、むりやり彼女の爪を塗った。
目を輝かせて、うれしそうに自分の手を眺めたのち、きれいだねと笑った彼女は「でも傷があって見栄えが悪いね」と、そんな感じのことを言った。
何日か後に、しばらく皮を剥かずにいられたと報告してくれた。
嫌いなとこもあるし、喧嘩もする。メンヘラめんどくせえなと思うこともある。なんでわたしこんなめんどくさい人の面倒見てんだろ?とうんざりすることもある。
でも、話してると楽しい。すごいなと思うところもある。いつも助けてもらってる。わたしと友達でいてくれてありがたいと思う。
死なないでねと口に出す代わりに。
もしも死にたいと思ったときに視界に入るように、わたしの代わりに止めてくれるように。
きらきらひかる指先を見て、彼女が少しだけでもいいから、自分を好きになってくれたらいいなと思う。
「死んでもいい、どうでもいい人間なんかじゃないよ」
言いたいのに言わせてくれないめんどくさくて卑怯な友人に、押し付けがましくネイルアートを施すのは精いっぱいの仕返し。
わたしの施したネイルのせいで、彼女は死にそびれてしまうんだ。ざまあみろ。
いつか、お互いおばあちゃんになったときに「あのころはこんな気持ちでさ〜」と嫌みったらしく話せたらいいなと思うから、もっとネイルの勉強をすることにする。
8月だし夏っぽい色のジェルを買い足そう。
何十年か経ったら、わたしがうっかり病気とかで先に行ってもいいようにセルフジェルのやり方も教えてあげなきゃな。
いつまでも先のことを考えていたいな。
読む気なかったけど気になってググったら概要あったぞ
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%8A%E3%81%91%E3%81%91%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E4%B8%AD%E5%B3%B6
すげえ好きな女友達がいる。
めちゃくちゃ周りに好かれるタイプで、まぁ適度にクズで、適度に真面目で、良い感じの子だ。私も好きだからわかる。良いよなこいつ。
幸運にも付き合いの長さと趣味があったこととで他の友人たちよりは近い位置にいると思う。私もあえて好かれるようにしてるし。
マジでびっくりするくらい関わった女が狂っていく。コイツが関わるから狂っていくのか元々素質がある女を引き寄せてるのか知らないけどなんかみんな狂っていく。コイツをみんな好きになる。
「お前は狂わないから好きだよ」って言ってくれるけどお前のその言葉に私は狂いそうなんだけど。なぁ、ちょっと。おい。
ただ私が狂うと私はコイツにとっての有象無象になるんだなぁと思うと狂えない。困っちゃうな。
狂った女に困らされた笑い話をしてくれる度に「ヤベ〜〜〜」って笑ってるけど、自分がそうならないようにしないとって影で思い直している。
2.非オタク
3.浮気しない
4.酒、タバコに溺れない
6.借金がない
7.友人がそこそこいる
8.暴力を振るわない
9.物に当たらない
10.部屋が綺麗
12.太ってない
13.ハゲてない
20.怒らない
これぐらいを暗に期待してる。
ただ、なにをかんちがいしたのか、「顔面偏差値だけは50でいいよ」を普通の男でいいと言っちゃうんだよね。
もう10年以上前に完結した話、おけパの概念に惑わされる人間で楽しみたい人向け
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/25/news011.html
言葉そのまま
自分は「おけけパワー中島」の概念から生まれた【人物像※】に当てはまっていて、
うまくいってると思いきや全然そんなことはなくおけパを拗らせ失敗し結果的に縁を切り
神にとってのおけパの立場を跡形もなく失った。
10年以上経過した現在、やはり自分はおかしかったのだと再認識した。
※おけパの人物像(いくつかの記事やコメントを拝読し自分がこういうものか、感じたものなので正しくないかもしれない)
・神と仲が良い:通話を定期的・突発的にできる、メール及びLINEでの気軽に連絡を取り合える)
・神と対等な関係:リプライを気軽に送る・不特定多数に向けた空リプもする・作品の布教が可能
・神のことが好き:携帯サイト時代から綾瀬の作品を見ておりいわゆる古参にあたる
神とはとあるジャンル"A"(以降『Aジャンル』と表記)にはまってすぐに出会った。
PCや携帯サイトが主流の時代だったため、当時のTwitterは今ほど誰でも使用しているツールではなく
インテリ同人作家が使ってるみたいなイメージだった(インテリという単語以外にしっくりくる単語がなかった)。
そんなTwitterに憧れて自分も登録、携帯サイトを運営しつつTwtterで相互の人達とイラストをあげたり語ったりそりゃもう楽しい時期だった。Aジャンルは開始してすぐとはいえ大きなジャンルになるまでそうそう時間はかからなかった。ありがたいことにフォロワーも増え、自分はもう調子に乗りに乗っていた。日課の「推しの名前」で検索をしていたある日、人生が変わった。
その時の神のフォロー・フォロワーは共に1桁、ツイートは数える程度。神が初めてTwitterで投稿したイラストと漫画を発見してしまった。自分にとってのキリストが生まれた日だった。メリークリスマス。構図はすばらしく絵は緻密、オシャレな絵柄に圧倒的なセンスと配色、心を奪われないわけがなかった。
もうとにかく描き切れないぐらい最高な絵だったのだが神曰くけっしてメチャクチャ気合を入れた絵ではないらしかった、神はあろうことかその完璧な作品を「落書き」と言っていた。すかさずふぁぼ(今でいうハートのやつ)を押し、しばし眺め保存しすぐフォローした。当時の自分はフォロワーがありがたいことに沢山いて、いくつかイラストを上げていることもあり同じ畑の者、自分がフォローしたらフォロバしない人はいない。本気でそう思っていた。
「フォローされています」の表示に飛び回って喜んだ、嬉しすぎると人は奇行に走るものなのだと実感したし涙も出た。神、好きです
少ないフォロワー数でガンガンにリプライを飛ばしてくるアカウント、嫌でも気になることだろうと思う。
自分は神に好かれるためほぼほぼストーカーと化していた。最初はもちろん丁寧に挨拶をして、おはよう・おやすみなどのツイートへの返信は欠かさない。イラストをアップしたら即ふぁぼ即RT即リプ(誰より先に反応することがマスト)し、神の作品は自分のタイムラインで布教。萌え語りをしていたらすかさず返信し会話を盛り上げ、良いと思えば作品だけでなく神のツイートもRTした。好意がありあまり気持ちが爆発してそんなことをしていたのだが、神は好意的に接してくれた。あろうことかタメ口で話すことを許された。嬉しかった。空リプもしてもらえるようになった。天にも昇る気持ちだった。神の連絡先を教えてもらい、作業通話だけじゃなく何でもない日に電話もした(文字での会話でないあたりが神に対する好意メータをはち切れさせた)。もう何もいらないと思えた。私が好きだと言ってくれた。死んでも悔いはなかった。
もしこの黒歴史を見ているどこかの界隈の神がいたら、自分のようなストーカー気質の人間に気を付けてください。自衛に役立てるなら幸いです。
自分だけの功績ではないのは承知だが神のフォロワーは日を追うごとに増え、フォロー/フォロワー数には埋めきれないほどの差がついていた。嬉しかった。神が神として界隈に認知され褒められAジャンルの中で圧倒的存在感を放つユーザーと化していく、自分の大好きな神が他人の神になりAジャンルの神になる。
気持ちが良かった。
神が神としてたくさんの人間に好かれる中、自分は神に好かれ相思相愛・唯一無二の存在に上り詰めたと本気で思ってた。神に好かれ神を好きな自分に酔っていた。大好きな人間に好かれるってメチャクチャ気持ち良い。2人きりのときだけじゃなくて好きだって大勢がいるタイムラインでも言ってくれる。神と自分は付き合っているのではないか、CPのようだと言われてめちゃくちゃに喜んだ。表面上はもうちょっとみんなやめてよ~つって実際はまんざらでもなかった、まんざらであるわけなかった。神の成長を初期から見続け友人として確固たる位置を獲得したのだ自分は。気持悪い自分に気づけなかったこの時点でおけパの素質は無いんだけど良かったら続き、まだあるから読んでみてね。
神と仲良くなって数年が経過し、これまで即売会では単独でのサークル活動しかしていなかった自分たちがついに合同サークルで即売会に出た。諸々の準備は神に負担をかけないため自分が行った(でもそれはそれで申し訳ないと思わせてしまうので比較的簡単なことだけ負担にならないよう注意しつつ神に振った)。自分のヘタクソな漫画も入ってる合同誌を出すことにもなった。とにかく恥ずかしくて神に見せるのが申し訳なかったしいまだに自分では読めない。自分がヘタクソだからとかそういう理由ももちろんあるけど、とにかく神の隣に並んではいけなかったごめんなさいという気持ちで読めない。でも即完売だった。自分の漫画部分はいわゆるパセリ役になれただろうか、それだけが気がかりだった。神の作品が世に広まってよかった。次もよかったら一緒に、なんて話して解散。
何度目かの合同サークル参加。お決まりのパターンで最初は自分が売り子して神は買い物に行ってついでに相互の人と交流。お昼をすぎればいったん戻ってくる。ほしかったものは全部買えたかな、嬉しそうで何よりです。神が戻れば、すこし時間をもらって自分も買い物に行く。ツイッターやサイトで仲良くしてもらっている人たちに差し入れを渡して本を購入し会話もそこそこに切り上げて、神と2人で話しつつ残りの時間を楽しもう、この本神買ったかな、推し作家だから読んでみてほしいなんて考えながら戻った我々のスペースには神とBが居た。
BはAジャンルの同CP界隈における神の一人で、もちろん存じているしサークル参加してるのも把握しているし毎度本も買っている、好きだ。そういえば自分が買い物にいったときBはスペースにいなかった。
あれれおかしいな。神、その人、自分じゃないですよ。そこにいるべきは自分ではないですか。そのスペース、神とBのサークルみたいになってませんか。初めて嫉妬という感情に潰された、そういう日になった。多分ここで神のおけパになれそうだった自分は死んだ
イベントが終わればアフター。Aジャンルで仲良くしている面々との恒例行事だった。
基本的に席はランダム、入った順に詰めていく。神の隣は絶対自分!などはしない、だって神はいろんな人と仲良くしたいだろうし、楽しそうな神を遠くからでも眺めてられれば別に良かった。神かわいい。でもその日は違った。嫉妬してしまった、神の隣を陣取るBに。いままでそんなことしなかったのに。2人きりで盛り上がる会話に入り込めるわけもなかったので自分も隣の人たちと話をして、普段通り接して盛り上げる。神とBはお手洗いに行くと言って2人で抜けたりしていたようだった。そんなちょっと気になる行動が何度かあったのち、隣の人に小声で話しかけられた。初めてアフターに同行したC。「なんかあの2人ちょっと感じ悪いですね、2人だけでずっと話してて他の人無視してるみたいです。」正直もっともだと思ったが、まあ色んな人いるよねって言っておいた。神のことは好きだけど擁護するのはなんか違うかもって思ったしダルかった。あとCとは話してて楽しかったし、そのまま話してたかったからだ。
翌日は二日酔いで気持ちが悪かった。Twitterに生活を支配されていたので、起きればすぐタイムラインのチェックに入る。おはようってツイートして挨拶リプを何度か交わし、スクロールする。目を疑った。神とBは2人で出かけていることを匂わせていた。お互い名前は出していないけど、分かってしまうのだ。だって載せてる写真に手元写りこんでるしそもそも同じ場所にいるし。リプはせずふぁぼって出勤する。神から自分に対するおはようリプは来なかった。そういえば最近神から挨拶リプもらってないな。
どうも神から避けられている、関心を無くされていると感じることが増えた。前回のアフターあたりを境にだ。変わらず神との交流はしていたが、どうも返事がそっけないのだ。そういう時期かなと思い少しリプの頻度を減らしたりした。通話は減った。LINEも送られてくることはほぼ無くなった。さすがに悲しくなってしまって、@tos(当時はtosじゃなくて@homeとか@nullだったかも)で弱音を吐いた。好きなんだけどなとか私はないんだみたいな内容。確かそんな感じで、神にとって気持ち悪かったんだと思う。(今でこそ言えるが実際こんなこと自分がされたらクソ気持ち悪くてブロックすると思う)
なぜ@tos機能を使ったかというと神が使ってたから。神は壁打ちで愚痴を吐くタイプだった。で、なんでそんなこと知ってるかと言うと自分は神のツイートだけじゃなく他人へのリプまで見るようになっていたから。神とBが仲良くなってからというもの、「自分以外と仲良くしている自分の知らない神が存在する」ことが辛くて監視するようになったのだ。神も気づいてたんだと思う。なぜなら@tos宛てで自分のtosに対する返信と思われるツイートをしていたからだ。@壁打ち機能を使う人って他の人の@壁打ち発言も見るんだ、とTwitterに詳しくなった。そこから1年くらい?似たようなことを繰り返しつつも続いていた。その間もサークル参加とかしてた。神との合同も。でもタイムラインに神が現れない日が1日あった。大丈夫かなって思ってフォロー欄から探しにいく。神、いない。アカウント消した?!って焦って自分のリプライ欄から神宛てのリプを確認、アカウントIDは生きていた。なんだ良かったバグか間違えてリムっちゃったかなって思ってとりあえず神のツイート見ようってアカウントIDをタップ。「ブロックされています」。「ブロックされています」?ブロックされてますって何?神のツイート見れないんですけど。神が自分をブロックするわけないという自信のもとすかさずLINE。間違いだったらごめんねブロックされてるみたいwって送る。既読がついてしばらくして「ごめん」ってLINE。スマホぶん投げて泣いた。
話してみればブロックは間違いでないということだった。動揺した。なんであんなに仲良かったじゃん何がいけなかったの?直すから教えてって聞いた。返ってきた返事は「あなたが私といても楽しくなさそうだから」「あなたの絵が苦手になったから」「あなたの活動を見たくないから」他まあいろいろ出ること出ること。あらゆる「神が私をブロックした理由」で追い詰められていく。それだいぶ序盤で言ってくれ~~~~~~~~~~ここまで来てそんなのさすがに酷いって思った。まあ自分が気持ち悪い崇拝をしていたのがそもそも問題なのだけど、そんなことは棚上げだった。だって神大好きだもん。こちとら同性愛者じゃないけど神となら付き合えるとすら思ってた、神ならぜんぜん"あり"だ。むしろ"そうなりたい"って欲すら沸いてて勘違いしまくってた。さんざん言われても神を失いたくなくて、直すよそんなことしないよ神が嫌なら同人活動も一生しないし何にも言わないって縋りついた。それだけ神に執着していた。最終的には「あなたの顔が受け入れられなくなった」と言われた。どうしようもなかった。顔は整形すればいいんだけど、その言葉を見てああもう本当にダメなんだってやっと諦めがついた。納得はしなかったけど、嫌われたなら離れるしかないのだ。Twitterを始めとしてあらゆるアカウントを消した。LINEはブロックした。LINEのアカウントまで削除できなかったのは実際リアルで困るからなんだけどそのうち1割くらいは「いつかまた神がLINEくれるかもしれないから」って希望があるから。神も自分をブロックした。ブロックリストある神のLINEアカウントはまだ生きている。それを見るたびに憎しみだか怒りだか悲しみだかわけのわからない感情でグッチャグチャになる。納得はいまだにできていない。
書き起こしてみてよくわかるけどメンヘラすぎて怖い、同族嫌悪か自分はメンヘラキャラが大嫌いだった。灯台下暗し。
以降数年はLINEのブロックリストを見てのたうちまわる日々が続いた。ついでに神の新アカウントも特定して監視し続けた。保身のためアピールしておくが、神が自分を見たくないと望んだため神の前から消えてから同人アカウントは作っていないし同人活動もしていないし監視はしても何もアクションは起こしていない。マシュマロとかでの凸もしていない。数年前に結婚して子供ができたことをきっかけに監視はダルくてやめてしまった。もう神のアカウントは分からない。たぶんジャンル移動してるだろうし見つけられないと思う。
オタクは未だにしているので神をふっきり抽選をして推しソシャゲの公式ツイッター情報とそのジャンルの絵師を見るだけのアカウントの中で今は生きている。交流などは一切しない鍵アカウント。神にも誰にも知られないアカウント。そこで「おけけパワー中島」の存在を知り作品を読み、おけパに匹敵すると思われる自分が居たことに思いを馳せその後おけパになりきれず転落したこの黒歴史を何かに書き残しておこうと思ったのが今日。神、もう自分のような害悪に苦しめられていませんか。もう二度と会うことも関係を持つこともないけど、長年監視していて本当にすみませんでした。もうしていないので安心してください。
そしてここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。どうか誰かのおけパになろうとするのは後々何が起こるかわからんので自称おけパやおけパ寄りだと考えてしまっている人、おけパとして頑張ってください。神を苦しめないように気を付けてください。おけパがおけパとして居られるよう幸せを祈ります。そして自分も子供が絶対にオタクにならないよう気をつける。誰かのおけパを目指して誰かを苦しめないように育てていこうと決心した。いつかこの黒歴史を完全に忘れるか消化できる日はくるだろうか。
10年以上経った今なので言えるが神はマジで何も悪くなくて被害者。
書いてて知ったんだけどキリストの誕生日って別にクリスマスじゃないらしい。へ~
書き忘れていたけど自分は自分の事をまともじゃないと思ってるし本当気持ち悪い、こんな人間友達になりたくね~とか思ったらそれが正常 でもみ~んな増田
今後も外見的特徴による淘汰が起きることを示唆してるだろ。
外見のみというのは考えにくいが、しかし実際問題として、黒人女性が少しでも社会的立場を優位にしようと
肌ホワイトニングやブリーチを行ってアフリカじゃ健康被害も出ていてWHOも警告出してた
やっと水銀や水銀誘導体、コルチゾン(ステロイドホルモンの一種)等が含まれる美白製品が皮膚がん発生の恐れがあるとして規制されるようになりましたが、安全対策に乗り出したのは、アフリカの一部の国のみ。
モザンビークは化粧品や食品など安全対策の分野でもかなり遅れています。
世界保健機関(WHO)の報告ではアフリカで美白に最も熱心なのはナイジェリアの女性で、77%が美白化粧品を使っているのだとか。2位からトーゴ59%、南アフリカ35%、マリ25%と続きます。
一体アフリカ全土で何千、何百万人の人が有害物質の含まれた美白化粧品の副作用を知らずに今日も丹念に顔や身体にクリームを塗り込んでいることやら・・・。
ファンファン福岡:【アフリカの美白ブーム】白くなりたがる人たち。
アメリカのブラックセレブも黒人である事を誇っていると言いながら、肌ホワイトニングやブリーチをしがちだし、
メンヘラってる時は有色人種として扱われることが嫌だといいがちだ
そして、極めて稀でニュースになるレベルなんだけど、ある日突然、黒人の特徴を殆ど持たない人や、
殆ど持たないどころか金髪碧眼に白い肌かつ白人の血が入っていない人も生まれる
実際問題として人種差別はあるから、そういう人たちが好まれて濃い肌の色は減っていく可能性はあるよね
さて、増田がいうところの外見的特徴による淘汰が働きそうな外見とは
どんな外見のこと言うのだろう?
性虐待経験者で、被害をノーカンにしたら性行為は経験がなかった。
今まで普通に恋人は出来た(歳上~歳下、バイの男性、女性、レズの女性、ジェンダーレス、外国人など色んな人と付き合ってみた)
いや、「普通に」じゃないのかも。
私は外面はよくて明るいし話を盛り上げたり相手が言って欲しいようなこと言うのも人並みに察知して言うことが出来た。そしてそれを過剰にやっていたから「明るくて楽しくて優しい人」として恋人はできたけど、中身はマジモンのメンヘラなのでなんだかんだ「自分に好意がある人」自体が苦手っぽくて恋人になった途端気持ち悪くなって結局言いたいことも上手く言えず密室空間は徹底的に避けたり会いたくなくてデートを何度も断ったりしてたから長続きしなかった。
今回も付き合ってからデートを何度か断ったりしてたがなんとか性行為までこぎつけた。
処女喪失してから色々思うところがあり、勿論悪い感情だけじゃなくて良い感情も。
でも、総括すると自殺したくなった。
性虐待受けてて、人が信用出来なくて、人に愛される想像が出来なくて、セックスできなくて、普通に恋愛できなくて
便宜上でも私のことが好きな人、要するに恋人とセックスすれば何か変われる気がしてた。
何も変わらなかったな
向こうは虐待経験や、虐待経験に理解のある人でもない健康な方なので「彼女と初めてセックスした日に彼女が自殺した」なんてことになったらトラウマになると思う。
そんな経験させてはならないという気持ちだけでなんとか今自殺するのを踏みとどまっている。
私が死んだところでなんとも思わないか
もういいか
自分で言うのもなんだけど、外見はそんな悪くないけど性格はクソヤバイ自信がある。
そんな悪くないも化粧とファッションで取り繕ってそんな悪くないだけど。
性格は八方美人、メンヘラ、オタク、コミュ障、末っ子気質、受け身、口悪いで最悪。頭の回転も良くない。
頑張ってメンヘラと受け身の要素は出さないようにしてるけどまあ正直バレてると思う。それでも付き合ってくれてる。
人の悪口言わない、自分の仕事に愚痴らない、誇りを持ってる、頭もいい。女性のことを見下さない、女性らしさを強要しない、対等な人間としてみてくれてるように感じる。過度なレディーファーストはしないけど、すごく繊細に気を遣ってくれてる思う。
あと話聞くとめちゃくちゃ育ちがいい。実際に育ちの良さが滲み出てるし。親戚も兄弟も彼氏もいい大学に出ている。とっても大切に家族に育てられたんだろうなって思う。
デートするといっぱいお話ししてくれる。つまらない話も聞いてくれるし、私の知的レベル合わせていっぱい話してくれる。
いっつもラストオーダーいっぱいまでお酒飲んでご飯食べて、店員さんに追い出される。
楽しいと思ってくれてるんだろうなって思う。
だけど彼氏はこんな私といて何になるんだろうって申し訳なくなる。
彼氏はめちゃくちゃ向上心も強くて実際すごい勉強してて、そんな時間割いてていいのかなって思う。
育ちの違いが凄すぎて、結婚はできないだろうなと思うから、時が経つにつれ彼氏の人生の時間無駄にしてないかなって思う。
不毛なんじゃないかな。なんで付き合ってくれてんのかな。よくわかんないな。
彼氏には直接言わないけど、多分彼氏がいなかったら今すぐ自殺してたろうなって思う。
この人の人生に後味の悪い記憶を残したくないから自殺しないけど、別れたら多分気づかれないように死んじゃうかも。
それぐらい自己評価も低い。外見取り繕ってなんとか自尊心保ってる。
なんか結婚て一種のゴールだけど、結婚しないなら悲しいゴールしかないのかなあ。
ずっとこの時間があったらいいのになって思う。
でもこの人と付き合ったそのことだけで死ぬにしても死なないにしても、これから誰とも寄り添うことがなくても幸せな記憶にできる気がするなあ。
みんなそういう風に生きてるのかなあ。すごいなあ。
まとも・・・?🤔
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200728122054
社会性とやらでもいい
病気の発想
厳密には今は彼女じゃない。僕の精神的な不調がかなり裏目に出て僕から別れを切り出した。
でも久しぶりに会ったら「まだ僕のことが好きだ」と言ってくれた。
でも行けなかった。本当に行こうとしてたんだけど、準備までしてたけど家を出られなかった。
理由は明白。日曜日に他の男(共通の友人)と遊ぶって知ってたから。
それを知ったときはそうかそうかと笑ったけど、内心は焦燥感と辛さと死にたさしかなかった。
今、なんで土曜日に来なかったのかと問い詰められたりしてるけど言えるわけないじゃん。
嫉妬してました、ていうか死にそうなくらい辛かったです、なんて言えるかバカタレ。
泣きそうなんだよ。僕は基本重たい男だって知ってるだろ?
今日は楽しかったか?いい男だったのか?なんて聞けるわけない。好きで好きで仕方ないんだ。
でもそんな子を手放した僕が悪いんだ。もう本当につらい。
幸せにならそれでいい。だからもうそうならそうとハッキリ言ってくれ。頼む。
僕が悪い、だから新しい男と付き合う。お前は元カレだろ?口出してくるなよ。
そう言ってくれ頼むから。そうならLINEもしてこないでくれ。昔より既読の付くスピードも返事も遅いじゃん。
僕を拒絶してくれ。優しくしないでくれ。好きなんて言うな。かまうな。頼むホントに頼む。
逆にこれがただの杞憂なら言ってくれ。ハッキリしてくれ。嘘はつかないでくれ。
他の男と会わないでくれ。なんでもする。なんでもするから。
好きな子に誘われたら行くに決まってるだろ。
辛い。死にたい。