はてなキーワード: マトリックスとは
・フェイブルマンズ 青春ジュブナイルものとして内容はごく普遍的だけど、おれの大好物。エンタメとしてもとても面白かったと思う。大好きな『桐島、〜』の神木隆之介にフォーカスを当てきったジェネリック版って感じ。趣味人間として刺さっただけに、他人との関わりとかもうちょっと考えてもいいかなって思った。
・シン・仮面ライダー 良くも悪く仮面ライダーに思い入れがないので普通に面白かった。「大人向けライダー」っぽいバイレンスも露悪趣味じゃなくてちゃんと後半にかけての変化のコントラストになってていいなって思った。バディものはいいね。
・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 別の世界線の自分を呼び出すのはコミカルな描写としても良いし、アクションとしてもメリハリのあるマトリックスみたいで面白かった。観た後はそんくらいの感想。他人の感想の受け売りだけど、税務署のババアと分かり合うのは指がソーセージの荒唐無稽な世界くらいにあり得ない事だった、みたいな見方に気付いてからは、ああそういうことか、なんかイイねって思った。
・グリッドマン ユニバース 直前にダイナゼノンを詰め込みで予習したから、時間が育む思い入れは少なめだったかもしれない。シンエヴァがずっとチラつきつつ、虚構を肯定する作品って良いよなって思った。グリッドマンから続くフィクションの肯定、ダイナゼノンから続く過去を清算して未来を勝ち取るってテーマについて非常に力強く語りかけてくれた感じがした。
・インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 印象的なカットはあんまりなかった気がする。ここぞという所であのニヒルな笑みを浮かべてバシッとキメるカットを期待していたけれど、特にそういう箇所は無かったか。聖杯を諦めて今を選んだインディも今回は若人にブン殴られる番になったけど、でも冒険劇ってこういうのでいいんだよなみたいな所は抑えてた気がする。
・ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 続きもんとして割と良い区切りのつき方だったと思う。次も楽しみ。列車の上に乗っかってトンネル突っ込むアクションはやっぱ手に汗握ってイイ。FIAT500のとことか、ちょくちょくフフってなる所もあった。合理的、冷徹にと言いつつ最後はヌクモリティで助かるのがいいね。今回宙釣りあったっけ。
・バービー 映画を観ながらああだこうだと語ってしまいたくなるのはもう性なのかもしれないけれど、それでも教えたがりにはならんよう気を付けんとなって思った。バービーについてよく知らんけど、アランの立ち位置をもっと活かせたんとちゃうんかって思った。アウトサイダーを安易に聖人化するのもアレなのかもしれないけど。
パラレルとか時間移動とかごっちゃごちゃだし、予習不足で知らんキャラ出てくるし、後半は完全に雰囲気で観てた。異空間をただ走り回る時間が体感3割くらいあった気がする。でも怪異の点と点が繋がって秘密に迫り始めて、面白くなり始めた時のコワすぎみたいな感じが凝縮されてて良かった。
・君たちはどう生きるか メッセージ的なものを汲み取ろうとすると、抽象的でよく分からんかった。エヴァのせいで「虚構と現実の話」みたいな匂いが少しでもすると感度3000倍で反応してしまうから、おれはそういう方面の受け止め方になってしまった。単にエンタメのとしては、「下の世界」が千と千尋みたいというか、夢(寝てる時見る方のやつ)の世界みたいで面白かった。
・アリスとテレスのまぼろし工場 メタフィクションとして受け取るのが適切かどうかは分からないけど、その辺に大分自覚的な気がした。閉じ込められた世界、田舎の閉塞感、まぼろしの世界、そしてフィクションの世界。その辺の繋げ方が上手いなって思った。そこを出なければ無限大の可能性が広がる現実を手に入れられない。まぼろしの世界は痛みも感じないし匂いもしないけれど、それでもそこにある愛は本物。みたいな。フェティッシュな描写も邪魔にならない程度に印象的だった。セカイ系初対面アンニュイ女の笑顔良すぎ。
・ジョン・ウィック:コンセクエンス アクションに遊びが増えた気がする。コミカルな動きが割と印象にあった。上からの俯瞰の画角もMGSみたいで面白かった。どうせここでは死なないしな……みたいな緊張感のなさと引き換えに一騎当千の爽快感があって、マンネリ感はあまり感じなかった。グラサンの人も拳銃持った座頭市を放り込んだみたいでかっこよかった。刀と弓使ってたのは、一応防弾スーツ対策みたいな理由付けがあったのかな。新しい事をやるのに加えて話を畳むという事を考えたら分割するような内容でもなかった気がするし、あの長さで良かったんじゃないかと思う。
・悪くはない
おもしろくなくはない。
少なくともクソ邦画見たときみたいに時間全部返せとは思わなかった。
正直、キャストの一部は滑ってると感じた。
オチはクソ。
地獄の花園は「OL派閥もの」と「ヤンキー漫画」を悪魔合体したような作品で
「これ、ヤンキー漫画によく出てくる〇〇なやつだ~」
みたいなのを、全部セリフで説明してくるんだけど、これがすげーウザい。
映画はさ、映像のメディアだから見てれば「あ、これヤンキー漫画のやつだ」ってわかんのよ。
バカリズムはフリップ芸的な静的な笑いから来てるからかわからんけど、
見てれば全部わかることを追加でセリフでしゃべらせてしまうのは本当に止めてほしい。
そこを含めてギャグなのかもしれんけど、ただただウザったいし、
素直に洗練されてねーなって感じになってるのがイタい。
ただ、ヤンキーみたいな見た目の女性がコント「OLの日常」みたいな会話をしてるのは地味に好き。
この辺はバカリズムの強み出てたなと思った。
昔、バイオレンスアクションをバカクソDisったときにも書いたんだけど、
アクションを真面目にやれよ。
主役の永野芽郁は実は喧嘩が超強いという役どころなんだけど、キック一つとっても
常に足が曲がっていて「こんな奴が強いわけねーだろ」としか思えない。
パンチも腰が入ってないし、強さに説得力がない。あんなフォームで人殴ったら手首折れるわ。
カンフー・ハッスルよろしく敵がポーンって飛んで行ってもそれは視覚的に強さを見せることにはならない。
ジョン・ウィックにハル・ベリーが出た時だってハルはキアヌお気に入りのコンバットスタジオで
実銃バカクソ撃ちまくってタクティカル指導もめちゃくちゃ受けてちゃんとアクションしてたぞ。
ハル・ベリーくらいの出演料もらってたらそれくらいやりますわ!って言われたら、まぁ、
るろうに剣心とかキングダム、ハイローみたいにアクションちょっと頑張ってる作品も増えてきてるのに
アクションが大事な作品にこんな素人女を素人のまま連れてくるの、やっぱよくないと思うんだよ。
マトリックス撮るときにキアヌは1年半くらいカンフーの修業したらしいよ。
契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369
いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和の契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。
そもそも現代の契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったからなのだ。
なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ。
契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。
ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。
でもこれちょっと無理やりだと思わない?
実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎が廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。
そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。
「ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。
なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。
戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。
そもそも「謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本を請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。
こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所や弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。
コンピュータで印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。
だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタはラインプリンタが主流だった。ページプリンタはDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的なOA機器メーカーはラインプリンタしか製造していなかった。
ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である。
ラインプリンタの場合、印刷の区切りが一行づつになっていて、プリンタに印刷指示が送られるとそのテキストを印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。
だから票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。
また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトやパイプ(|)でデバイスファイル(lp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。
ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POSで印刷されるレシートはラインプリンタの生き残りだ。
プリンタの印刷方法はインクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。
だからカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。
一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段のオフィス業務はコンピュータ+ドットマトリクス、文書の清書はワープロというのが一般的だった。
これで法的文書もワープロで作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。
今でも弁護士の文書で表題に倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。
これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネットに接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。
その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。
因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。
この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士、弁護士など気合が入った士業と法務局、裁判所など気合が入った役所、気合が入った大企業の契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。
というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータのプリンター史が隠れていたのであります。
昭和日本ではオフィス用紙も法的文書も原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所の判決文でも全てB5だ。
だが1990年頃に役所関係の書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカはアメリカンレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。
これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。
世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。
今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷が一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的な場所で使う」紙だった。
先述の手書き&ワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。
これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。
トレーシングペーパーやクッキングペーパーと同じだ。
また、請求書類の封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。
公的書類でカレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田は羊皮紙の代替ではないかと考えている。羊皮紙は中世の欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV
鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族の手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。
これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラなカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。
こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。
なお、トレーシングペーパーやクッキングシートは長期間放置するとバラバラに崩壊してしまう。これは硫酸で晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。
1996/08 [あやしいわーるど開始]
1997/08 [あめぞう開始]
1999/05 2ch開始
2000/03 [したらば開始]
2000/08 オカ板の洒落怖【追加】
2002/05 47氏、ダウンロード板でwinny公開【追加】
2002/07 湘南ゴミ拾いオフ開催(背景に日韓ワールドカップ)【追加】
2004/01 オカ板のきさらぎ駅
2008/06 秋葉原通り魔事件
2013/08 ●個人情報流出事件(+自作自演の発覚、削除人騒動)【追加】
2014/02 2ch分裂騒動(ジム・ワトキンス対ひろゆき)
2014/04 ひろゆきがミラーサイト(?)の2ch.sc開始
2017/10 ワトキンス側が商標問題から2chを5chに改名
2021/08 なんJ一時封鎖・なんG開設
2022/04 専ブラBB2C使えなくなる
こんなもんだったっけ?
1996/08 あやしいわーるど開始
1997/08 あめぞう開始
1999/05 2ch開始
(2000/03 したらば開始)
2001/08 閉鎖騒動。
2004/01 オカ板のきさらぎ駅。
2004/06 ニュー速VIP開設。
2007/12 ニュー速(嫌儲)開設。まとめサイトへの転載回避目的。
2008/06 秋葉原通り魔事件
2014/02 2ch分裂騒動(ジム・ワトキンス対ひろゆき)
2014/04 ひろゆきがミラーサイト(?)の2ch.sc開始。
2017/10 ワトキンス側が商標問題から2chを5chに改名。
2021/08 なんJ一時封鎖・なんG開設。
2022/04 専ブラBB2C使えなくなる。
世の中にはプログラミングしたくないのに、テック系をやりたいという変種がおるねん。あいつらな、コマンドラインとか Windows についてるやつプロンプトすら起動しないのに、マトリックスや攻殻機動隊の CLI みたいなの絶賛するのよ。そういう奴らが、勝手に理想のエンジニアとか情報倫理とか妄想すんねん。それで、勝手にテック系の「本当の金持ちは〇〇」みたいなマナー講師になっちゃうのよ。そういうやつはさ、現実で実践させるとボロが出るねん。だから、リアルな場合の質問をされると困るので、時間が経つと高圧的な奴が生き残るわけ。時事問題に絡めると、ビッグモーターの自動車の知識のない、そんな二世社長がアイツに傾倒するのは、当然だと思わないか?
とある作品に対して「つまんなかった」とだけ言えば、作品がboringなのか自身がboredだったのか明確じゃない。
自分の好きな作品を貶されたようで許せんのか知らんけど、他人のそういう感想に対して「それはオマエの感性が乏しくて教養がなくて云々〜」みたいな事を並べ立てるのは完全に前者として決め打ちしてるよねって思う。
別に作品の完成度とかどうでもいい人にとってはどうでもいいんだろうし、他人がどう感じるかは知らねーけど自分がつまんねーと思ったのなら、それは好きと同じくらいに大事にしていいと思う。よしんば作品をつぶさに鑑賞する事に不慣れで見落としてる部分があったとしても、それを偉そうに説教するのは余計なお世話だよって話だし。別に受け身で鑑賞しちゃいけないなんて道理もないしな。
というかむしろ、例えば別に参考資料として観てる訳でもない映画の技術的な面にばかり注目するのも無粋な気がするし。
キューブリックの一点透視図法について知ってようが知ってまいが、いくらこういう効果があって〜みたいな理屈を並べた所で、受け手の視点として特に何も感じなければ「で?」で終わる話だし。
特に何のメッセージ性や映像の迫力とかを感じなければ、その人にとっては紛うことなきつまんねー映画なんだろうし。
なんて理屈を並べ立ててみても、やっぱり自分の好きな作品をつまんねーと言われれば早口でまくしたてたくなってしまうもので。同年代にマトリックスはダサいとかスターウォーズは古臭えとか言われても、せり上がる言葉の全てを飲み込んで「まあ古いしね〜」と流すようにしてる。
リベリオン観た。アクションはマトリックスの方が好きだった。でも人々の営みにフォーカスしてるのが良かった。
インスタで見るような生活感を隠した/排したいわゆるミニマリスト的な部屋って、ディストピア的なんだけれどもかっこいいのもまた事実。
作中では禁じられた「文化」を詰め込んだ隠し部屋が出てくる。それを見た瞬間、なんとなく実家を思い出した。安心感はありつつ、統一感のなさや生活感丸出しのダサさも感じる。
おれってついオシャレな部屋に憧れて、不便をいとわず生活感を隠したくなってしまうけれど、そこにおれのリアリティは無い訳で。
飯食ってトイレ行って風呂入って寝る以外の無駄な所にこそ生きる価値があるというか、いや文化に無駄な事なんてなに一つだって無いよなって思った。
おれは真実に目覚めた上で再びマトリックスに戻りたいかといえばそれはイヤ(そもそも青いピルを選ぶかと言えば微妙なとこだけど)だと思う。知ってしまった以上は嘘に戻りたくないと思う。
でも自然科学が発展してしまって、感情の神秘すらも唯物論的に身も蓋もなく明かされてしまいつつある世の中に生まれてしまったのもイヤに思う。
例えば薬だとかの外的な操作で脳の仕組みをハックするようなものじゃなく、正しい?自然な?本来の?方法で感情を揺り動かしていたい。
もちろん人の感情の全てを理解するにはまだまだ程遠いだろうけれど、それでも「正しい」感情の動かし方という考えが欺瞞に過ぎないのを薄々自覚せずにはいられないのが嫌で、もっと神秘のあった時代に生まれたかったなとも思う。
全ては脳内物質が決める事でいいじゃん。何か問題でも?という人もいるんだろうけど、おれはそこまでラディカルに割り切れない。
かといって真実なき世界から宗教に戻る(というか「行く」だけど)かと言えばそれもイヤだから、何か芸術やフィクションの力を信じたい気持ちがそこに働いてるのかもしれない。
ただエルフが登場する物語には必ず共通点があることを知っています。
現代エルフの原点であり初出であるホビットの冒険、指輪物語からして半エルフが登場します。
映画ロード・オブ・ザ・リングをご覧になった方には記憶に残っているかもしれませんが、
裂け谷のエルロンド(マトリックスのエージェント・スミス役のヒューゴ・ウィーヴィング演じていた)がそうです。
半エルフであるエルロンドはエルフであるガラドリエルの娘ケレブリーアンと結婚して3人の子供、
御存知の通りこのアルウェンこそ野伏の族長アラゴルンのちのエレッサール王の婚約者となる人です。
彼女は王が戴冠したのち結婚し、世継ぎであるエルダリオン他、複数の娘を産んだと伝えられます。
このようにエルフと人間は自由に交配し子をなすことが出来ます。
このような事例から考えると人間とエルフはかなり近い発情周期のようなものを持っていたのではないか?
指輪物語における半エルフとは超常的で、特別な能力や才能、美しさを持った存在として祝福されています。
そのおとぎ話的な世界に現代の世相を反映させた様々なバリエーションのファンタジー作品が米国では誕生します。
半エルフという点で着目すると「ドラゴンランス戦記」などがその代表と考えることも出来ます。
彼はエルフの村で育ちますが、その出生ゆえに祝福された存在ではありませんでした。
彼は戦争の際に、人間のレイプによってエルフと人間との間に生まれた忌むべき存在だったのです。
彼は、このことで常に葛藤を抱き、エルフの社会に属すことが出来ず結局村を出て人間社会の中で埋もれるように生きることを選択します。
彼は、そこで髭を生やし尖った耳を目立たさせぬよう、エルフとしての特徴を見出さねられないように振る舞います。
彼の心は常に葛藤し、エルフと人間、どちらにもアイデンティティを見いだせないまま生きることになります。
これは当時のアメリカが抱えていた人種間におけるハーフの存在、ハーフが抱える問題をファンタジー世界に投影させたものです。
さて、主人公のタニスは無理やりの性交によって生まれた子供です。
もしも、エルフと人間の発情周期のようなものが著しく異なっている場合にこのような不幸が起こる確率はどの程度のものなのでしょうか?
・ランボー2
敵兵から泥の壁にピントが移ってぎょろりと目玉が現れるとこ
・スターウォーズ ep6
粛清シーンで警官に扮した殺し屋が膝立ちで狙いをつけて撃ち殺すとこ
箸でハエ捕るとこ
ロメロだよそんくらい観とけ
・ソナチネ
雀荘の店主沈めるとこ
高橋の乗った車に手榴弾投げ込んで「車燃やしちゃってどうすんだよ」ってどやされるとこ
昔服を交換した浮浪者に"nice coat"って声かけるとこ
オープニングの出所で抱き合うとこ
逃げ回ってる内にGTAみたいになってくるとこ
川北後光でパワーローダーが出てくるとこ
ジョー・ペシの"Funny how?"でヒエッヒエになるとこ
お出迎えの人形が発火して溶けたのをねっとり映すとこ
ヒッチコックみたいなとこ
・妹が死んだ後青ざめまくった兄貴が取り敢えず寝るとこ
ドイツのおばちゃんが勝手に掃除して主人のおばちゃんにブチギレられるとこ
ジムキャリーが華爛漫踏むとこ
弾避け
避けきれなかった後にトリニティがエージェントの脳天にゼロ距離でぶっ放すとこ
手荷物検査でコートをガバッと開いた時に警備員が驚きすぎてすぐに反応できないとこ
feed me
・千と千尋
・BTTF
栓抜きの使い方をパパに教わるとこ
<論点整理>
松尾:人間なのに、すごいことやれてるじゃん、みたいな将棋みたいな価値観は残るから教育はあり。未来のために資産的な意味なら意味がない。
松尾:人間を生産性の指標として捉えるからおかしい。農業が8時間労働から30分でできるようになって、なのに仕事作っているってのは人間がそうしたいからそうしてるだけにすぎない。そういう、やってもしょうもない仕事で優劣決めて分配決めてるだけで、生産性は関係ない。そういう人間なのにすごいじゃんで分配しあってるだけ。
働きたくない、社会と関わりたくないです。AIに仕事奪われる側だな自分は。
尊敬されないし、仕事もできないから、人間社会の評価でも負けてるから配分が取れないわけだな。
<論点整理>
松尾:企業数が増える。少人数で、たくさん仕事できるようになるから、小さな仕事をする小さな企業が増える。
川上:しかし経済では、人からお金を取るシステムにしなきゃだから、みんな無職で金がないと経済が回らない。ベーシックインカムが必要。
松尾:人は人からすごいと思われたい、人と接したい。ベーシックインカムでも、人だからすごいと感じて、人は人に金払う関係は維持されるはず。
ひろゆき:すごい人には大量に金が集まるけど、90%の人は人間に相手されずCGとかに相手されて気持ちいいで子供残せなくなりそう。
川上:人口減った方がいい。労働力みたいな人口が国力の指標になってるけど、AIで労働力はダブつく。資本主義は、資本受け継ぐ人が少ない方が有利だから。
松尾:老化は病気という科学的コンセンサスができつつあり、到達ゴールに据えられているから、10年,20年後は子供産む感覚が変わってる。
不老不死なりてえ。
<論点整理>
川上:文字をソクラテスは否定した、馬鹿になると。でも、現代人はソクラテスの賢さ超えた。AI使えば人間は強くなる。整形とかAIとかVRでマトリックスでプラグ繋ぎたいとか受け入れる人は勝つ。
不老不死になったなら、マトリックスみたいなプラグ繋ぎたいなあ。
リアル社会はクソすぎる。
<論点整理>
ひろゆき:日本でも生成AI作ってデジタル赤字出さないために、松尾さんが数百億円、日本で集めても、デジタル庁みたいに、デザイナーとかが上に立って、まともなことできないんじゃないの?
松尾:GPUを買うのに突っ込んでます、まともじゃない人はGPU使えないから
ま〜一応、勝負してんですねえってかんじ。
GPT-5が出て欲しい、マルチモーダル欲しいとかくらいしか思ってなかったけど、日本もファイティングポーズはとってるんですねえ。
AIで仕事奪われるってのは、現状のchatGPTでなく、もうちょいpdfの読み書きとか、ドメイン知識の理解とか、そういう話が今後できた時に来るんだろうけど。
それって、来年にはもう来てそうだね。
弱者男性で現状の社会では救われない身からすると、さっさとベーシックインカムで失業者になるのが最高だなあってかんじ。
そん時にセクサロイドとか、AIが作る神ゲームや神漫画がないときついけど。多分できるんちゃうの数年以内に。
あとは、不老不死が来るかどうかだなあ。不老不死が来てくれないと困るけど、不老不死は今のところ達成できる道が不明なのが怖いところだなあ。
AIで仕事を奪われた天才や秀才たちが、不老不死に到達できるんかなあ。
こうやって、未来に弱者男性が救われそうな可能性がはっきり見えてきたのはありがたいんだけど。
半導体だのフラッシュメモリの進歩がいまいち現状のAIの使用に耐えるために進歩が必要とか。
AI動かす電力問題が解決する道の核融合がまだまだ遠いとか問題はあるかあ。
ソフト側だけの進歩は強いみたいだけど、ハードがノロノロなんだよなあ。
ロボティクスとか、セクサロイドのキーポイントが抜けてるのも痛い。
仕事だけ奪われて、AIが弱者男性に利益与える未来にはギャップがありそう。その時期は地獄やんけ!
個人としては、起業をしてみてるんだけど、小さな会社ってか、自分一人でやってんだけど。AI使ったりしてるけど、営業とか古臭い感じで一軒一軒会社を訪ねる感じになってる。
地獄から救って欲しいなあ。AIが強くなれば、自分の起業も強くなるから、なんとか世界中のAI研究者頑張ってくれ。