はてなキーワード: がっかりとは
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
もう過去の話題になった感じになってるけど、いまだにもやもやしていること。
ブロガーの彼女の告発記事が出た時、本当にすごいと思った。相手の名前をぼかしたふわっとした「過去の話」ではなく勇気のある名指しの告発だった。仕事、元同僚たちとの人間関係。あらゆることに影響が出ることを覚悟して。
彼女のことは以前から知っていた。SNSでうまいことやってるインフルエンサーという印象だった。あのタイミングで本が出ることも色々言われていたけれど、本当に狙っていなかったんだと思うし、狙っていても構わないと思う。応援の意味で本も買おうと思ったけど一連の童貞騒ぎで心底がっかりしてしまった。
セクハラも童貞いじりも共通して「人の嫌がることをしてはいけない」ってことが言えると思う。セクハラの加害者の人も「引き上げてやるんだから、これくらい大した問題じゃないだろ」という自己中な思い込みで今まできたんだろう。その「大した問題じゃない」ことが彼女は不快であったわけで、傷ついたんだよね。
彼女は以前「売れ残り」という言葉を不快だったとツイートしている。もっともだ。独身であることを揶揄されるのはウザいのはわかる。それと同じで「童貞」を面白おかしく『表現』するのを嫌がる人がいるってこと、どうしてわからないんだろう?
セクハラを受けたことは気の毒で、被害者であると同時に無自覚に加害者であったということは普通にありえる。周囲の童貞いじりのノリを受け入れてしまっていたのも、被害者であることと矛盾しない。彼女の周りではそれはセクハラではなかったんだろう(そもそも童貞がいなかったのか?少なくとも傷ついたことを『表現』できる童貞が)。そのノリをネットに持ち込んだからたくさんの人の目に触れてしまった。そして複数の人が「傷ついた」(と言っている)。
あのセクハラと同等の罪だとは言わないけど、少なくとも未婚いじりと同程度の愚行ではあるんじゃないか。
謝罪文の撤回、すごく残念に思った。結局彼女は「自分と、自分の周りではこうだから」が全てで、リアルで遭遇しない人たち(今回は童貞)の気持ちはどうでもいいんだなと思った。童貞を「捨てればいいじゃん」と笑うなら結婚だって「すればいいじゃん」。どちらも相手がいることだ。慎重になるのも無理もないよね?
彼女は今、何を言われても「童貞うぜぇ」だろう。確かに彼女を叩くネット民の口汚さ、下品さには傍から見ててもげんなりする。だけどああいう人たちだけが童貞じゃない(あの人達も童貞じゃないのかもしれないけど・・・)。
彼女の発言に静かに傷ついてブラウザを閉じる人たちはいないことになってるんだろうか。
今まで彼女に興味がなかった。それがあの記事で一瞬尊敬→一連のあれこれで今はどっちかというとアンチ…かもしれない。誰かが嫌がるからって即刻『表現』を奪うのが良いとは思わない。けど童貞いじりの『表現』は、嫌がる・悲しむ・落ち込む人を無視してまで存在しなくちゃいけないのか。自分にはそうは思えない。書いたらスッキリしたので寝ます。童貞と思われても構いません。
10時くらいに起きたけど二度寝して11時くらいに起きて朝昼兼食した
サッポロ一番みそラーメンに昨日食べるはずだった野菜サラダを入れて食べた
朝用のパン2枚を残った汁に入れて食べた
その後もちを3個食べた
その後昼寝した
そういやバイオ7のnotahero配信されたらしいなと思ったけどDL速度がおそすぎて遊べそうもなかったから、とりあえずこないだセールで買ったinfamousを始めた
なんとなく偏見でインファマスはミリオタ向けFPS系ゲームだと思ってたから全然違っていい意味で裏切られた
ちょっと前にゲームを楽しむ方法は事前情報を仕入れないことだみたいなネタがあったけどまさにあれだな
逆に事前に感想とか見すぎて期待値高まりすぎたあれやそれは自分には合わなくてがっかりしたし
フリプ調べたら今月はラチェクラとディスガイア5とかマジで俺得だわ
ラチェクラはPS2で1をプレイしたけどラストステージあたりが難しくて結局クリアできなかったんだよなあ
ディスガイアは大好き
1から4まで全部やってるから5も絶対いつかはプレイしたいとは思ってたけど、まあ完全版でてからかなあと思ってて全然やる気なかったけど、
あんま出る気配ないしちょうどよかった
うれしーなー
読書家の問題として再読をするかどうかというのがあって、私はかなり再読を重視するので、どうしても読める本が減ってしまうがために読破数では勝てない以上、負け惜しみかもしれないとは思うけれど、彼(彼ら?)の読書の仕方は表面をさらって冊数を稼ぐような物にみえるし彼のブックレビューにはどうも心が惹かれない。
実際、私が割と熱心に再読してる作品のレビューを見てみたらただ文書を引用してトンチンカンなコメントをつけているだけのものでとてもがっかりした覚えがある。
毎年大量に出版される本やこれまた大量にある過去の名作に対してひたすら冊数をこなして引用集を作る事が読書の醍醐味ではなく、5回読んでもまだ面白く汲みつくせない本を探しだす事こそが読書の醍醐味であると再読派の私は思う。
29歳まで10年付き合った人がいた。
最後の4年は、相手が激務過ぎてEDになってセックスレスだった。
何も言い出せなかった。
毎日横で寝るだけで、「おっぱい触る?」と言わない限り胸も触られなかった。キスもしなかった。
相手もEDな時点でそうなんだろうけど、私だって少しずつ自尊心を削られた。
これだけ付き合ったんだから、他に好きな人がいたって熱病みたいなものだし
本当は、その人とうまくやれるならそうしたかった。
私のためにプライドを少しだけ脇に置いて、
すぐには難しいけど病院に行くよ、って自分から言ってほしかった。
でも言ってくれなかった。
忙しいからしょうがないと思ってほしい、というようなことを言われた。
寂しいと思った。
それで、別れて、その足で好きな人に会いに行った。
そしたら振られた。
手を繋いだし、頭を撫でられたし、よく二人でごはん食べてたのに振られた。
理由は分からないけど、特定の誰かと濃い付き合いをするのが怖い人だったんじゃないかと今は思う。
本当に好きで一人で盛り上がってしまっていたので
ダメージが大変大きかった。
深夜に目が覚めると、涙が出てきた。
でも、ここでモタモタしてたら年齢的に危険と思って
友達に紹介したりしてもらったり、合コン行ったりマッチングアプリ使ったりして色々がんばった。
そのうち楽しいと思えない自分を責めるようになって、精神的によくないなと思って
そういう場に行くのをやめた。
ジタバタするのをやめれば、逆にいい縁があるのではという期待もあった。
でも、もう選んだり選ばれたりで嫌な思いしたくないし、
次に誰かに関係を持つことを拒否されたら死ぬんじゃないかって本気で思うから
なんかもう、どこにも行きたくない。
お見合いパーティーもpairsも使いたくない。
毎日死ぬほど寂しくて、本当にこれからどう生きて行けばいいんだろうな…って毎日思ってる。
20代で、誰ともうまく行かなかった人が
30代で誰かとうまく行くことなんてあるのかなって
周りがちゃんと彼氏がいたり結婚したりしてるのを見ると、自分の不甲斐なさに落ち込む。
走ったり、写経(書道好きなので、瞑想としていいかなって)やったりしても
文章にしたら何か見つかるかな、と思って書いた。
何年か前に、
どれも同じ味で、出来上がりがみすぼらしくて二度と行かない…みたいな批判を書いてた増田だけど、
最近行ってみたら、すごく変わっていたんだよ。
メニューの豪華な写真をみて、出来上がった商品にがっかりすることもなく、
味もずっと改良されていた。
ちょっと前に、声優が使っているシャンプーだかを飲んでレビューした同人誌が、実際はワインのレビューのコピペしただけだったということも含めて微妙に話題になったが、私は気が気ではなかった。
十年程前に、私も十歳の頃だが、あややこと松浦亜弥がシャンプーのCMをしていた。セクシーなのキュートなのどっちが好きなの、のやつである。
それまで、メリットだのなんだのテキトーなにおいのシャンプーを使っていた私にとって、このイチゴの香りはものすごいものだった。本当にすごくいい香りなのだ。
ある日、お風呂に入っていて、シャンプーしている時、ふと、これは、もしかしたら、おいしいんじゃないかと思った。こんなにいいにおいがするし、味も甘いのでは?と。わたパチとかあるし、と。
そこで、シャンプーを泡立てて、食べてみた。
結局、おいしいかと言えば、おいしくはないのだが、逆にまずくもなく、いいにおいの泡(本当に泡である)で口の中がいっぱいになってシュワシュワ消えていくのを飲み込む感覚は、悪くない。
そういうわけで、私はシャンプーを食べるようになった。
終わりを迎えたのは、一ヶ月後くらいだったか。定かではないが、少なくとも二、三回ではなくもっと定期的に食べてはいた。
なんで食べるのをやめたかと言えば、いつものように泡立てて口に入れた時、全くおいしくなく(いつもと同じなのだが)、「私は何をやってるんだろう」と思ったからである。その時、初めてシャンプーを吐き出し、シャワーの水でうがいをした。
時は過ぎ、ネットで飲シャンレビューを見て、「私はさすがにそのままは飲めなかったのにすごいなあ、原液だと苦味が強いのか」などと思っていたが、少なくとも飲シャン本についてはデマらしいので、がっかりした。
シャンプーを食べていた過去は、さすがに自分でも変かなと思い本当の黒歴史と化しているが、今でも、私以外に本当にシャンプーを食べていた(飲んでいた)人はいないかと、探してしまう。秒速5センチメートルである。
有難う御座います(泣)なんか、やけっぱちから、放心状態だった自分が、少しだけ元気が戻りました。決して過大な期待をしませんが、「ある程度、気分が落ち着くことが出来た」みたいな。
学部時代の女の子友達では確かに、そういった「全然決まらない店決め」がありました。「どこでもいいよ」「なんでもいいよ」は決まり文句で、ある程度選択肢を与えても「なんでもいい」とか…。
時間や待ち合わせ場所さえも。でも、社会人になってから、その子たちと会った時、びっくりするほど、しっかりしていました。「その場所だったら、ここのお店とここのお店がいい感じだったよ、あとはここが気になる。」「じゃあここにしようか」「じゃあ、ここの改札口に、〇時に待ち合わせね!」と、今までのやり取りを思い出すと別人並みに進歩していました。色々社会人として鍛えられたんだな、と思うと同時に、人間って進歩するんだ、と感動しました。偉そうな意見ですが…本当に、大人になったなって。
だからこそ、学歴をプロフィールにアピールする人、誘ってきた年上の男性たちが、そのような段取りの悪い態度や、釣った魚にはエサをやらないスタンスに、驚いていましたし、悲しかったです。自分は、そういう男性とメッセージのやり取りをしていたんだって。信頼できると思ったから、誘いに乗ったに、丸投げ。
でも、そうですよね、根はいい人。女性に慣れていないだけかもしれない。34歳以上だけど仕事で接待の仕方をしたことがないのかもしれない。チヤホヤされていることに慣れているだけかもしれない。
あるいは…今はやりの?コミュ障とか社会対応が出来ない人とか。私は男性に対して過大評価をし過ぎていたから、出来ない事へのギャップにひどく落ち込み、自分に対する価値の低さ、自分の衰えという悲しみを、受け入れるのに時間がかかって、しかも怒りで一杯になっていたのかもしれないです・・・。
「あ、決めてくれるんですね~ありがとうございます、たすかります^-^」と来たときは、「本当にダメな人だ…!この人とやり取りしていた私、同じスペックなんだ…!」と自分にもがっかりしましたが、どこかで妥協しなければ。そのための、初対面ですよね。妥協できるかな?という事。
今度、2名ほどとあってきます。すでにマイナスからのスタートですが、自分が「我慢できる程度の男性か」どうか、考えてみたいと思います!頑張ります、有難う御座います!
個人的に考えたことをつらつらと。誰かに熱く語るのもなんなのでここで。
随分黒人差別でネットが盛り上がってるな〜と思ってツイッターとかで色んな人の意見を見た。差別だ、いや過剰だ、ってのはもうその人の感性とか育ち、環境によって違うものだから分かり合えないと思った。特に日本は移民を受け入れていないし、海外にでようと思わないと出る必要もない。1度も日本を出たことない人にとったら、黒人差別問題を日本に持ってこられても確かにピンとこないよなと思う。
そんな私は少し海外で暮らしたこともあって、アジア人差別もされたことあるし、黒人の差別だって肌で感じることがあった。そこで今回の問題から日本社会に感じたことは、日本が世界から置いてかれるんじゃないかなって。そんなのどうでもいいという意見は置いておいて。日本の中流家庭の多さは本当にすごいと思う。多くの人が衣食住の最低限はあるし今のところ格差と言ってもアメリカ程酷くない。でも、これからは少子化で世界を相手にしていかなくては日本が衰退するのは明らか。違う文化や考えを持つ相手を理解して尊重しなきゃ会社として残っていけない。
私だって色んな差別的な考えを持っているし、世の中男女差別、年齢差別持ってる人が沢山いると思うけど、それをテレビで放送するのとスタバで友達と話すのじゃあ雲泥の差だと思うから。テレビを見なくなったとはいえ、やっぱり影響力があるもので、何だか今回は差別問題というよりもテレビのモラルにがっかりかな。色んな日本の会社がグローバリゼーションって頑張ってる中流れに逆らうよね。
少なくとも私は日本が好きだし日本人だし、豊かな生活を続けたいからこんなことを思う。実際白人黒人色んな人種の中で暮らせば本当に人種で人を判断するのはくだらないと実感するし、そんなの無くなれと思いながら目の当たりにすると解決策が浮かばないんだよね…。
残業休出当たり前の体調を崩しても休みにくいところに配属され、無理をした結果もう無理だと思ってとりあえず有休をがつっと取らせてくれと打診したところ会社の都合もあるので区切りのよい期間にしてくれと言われ有休で足りないところは欠勤扱いにしてまとまった休みを取った。もう限界だったし休めればなんでもよかったから了承した。なんなら辞めることも考えていたが休めると決まったので切りのいい期間まではとりあえず無理して頑張った。賞与が2万だった。有休の所為か欠勤の所為か体調崩した所為かわかんなかったけど多分一番しんどかった時に現場の状況とか全部無視して休んでたらこんなに悪化しなかったし賞与の額ももう少しあっただろうし欠勤しなくてもよかったなと思ってなんだかむなしい。この話忘年会でしたからもう特定されてもいいや。別に額がどうこうって話じゃないんだけど自分比で相当頑張ったし相当ぎりぎりむしろ限界超えた状態だったしなんかその結果がこれでほんとバカみたいだなっていうかバカなんだけどちょっとがっかりしてしまったよね。だって有休とっただけだぜ?欠勤は会社の都合だぜ?というところが腑に落ちないのもあったりしてなんか守銭奴みたいで悲しい。直属の上司に体調がしんどくて無理って言った時に普通こういう話する人って辞めるんだけど休むの?的なこと言われたし多分会社的には辞めてほしいんだろうなと思うんだけど辞めると保健なくて病院行けなくなるけど辞めたいとも思っていてでも障害年金どころか傷病手当も貰えず労災認定もされにくいし周りが見てわかるような病気じゃないけど仕事できないような状態になることもあって何ていうかもうどうしようもない。死ぬしかない。死のう。死んだら会社に生命保険が入るのでそれで新人を育ててください。さようなら。社畜のみなさんは俺のようになるなよ。
大学の研究室の資金繰りについての窮状を訴えられるたびにがっかりする
基礎科学や金にならない研究によって偶然「発見」が生まれノーベル賞等に結びつく
だから現場にお金を流せ、人を確保しろ、研究させろと言うのがだいたいの論理だが
これって結局は「日本の研究者がすごいんじゃないんだ。金がすごいんだ」って言ってるのと同じなんだよね
ガチャを回す金をたっぷりくれればスーパーレアが引けるよって話じゃん
それって日本人がすごいわけでもないし、日本の研究者が優れてたわけでもないんだな
うすうす感づいてはいたんだよ
だって「えっ、それって偶然じゃん」「それって機械作れた金がすげえだけじゃん」ってのが多いんだもの
それなりの教育環境と、偶然を呼びこむだけの資金力があればどの国でも出来るんだ
やりたいことをしっかりプレゼンできる人以外は研究なんて別にしなくてもいいんじゃないかな
コスパ悪いし
https://anond.hatelabo.jp/20171226222422 の続き。
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上記の時点では大反省会(上)(下)未読で書いていたが、やっと入手できたので読んだ。
読み終えた第一声「本当に同人編は3巻くらいで終わらせるつもりだったんかい!?本当かよ!?」ってのが多分感想の8割くらいを占めてる。
じゃあ何であんな引っ張ったんだろうか?
ルカがいい子だから?と書いているけど、マジ?アニメ逆輸入とか各所への配慮とかではなくて?
もし本気だったなら、その選択が大きすぎる失敗だったと言わざるを得ない。
人気を維持するならば、間違いなく、カットしてしまった11月のイベント(学園祭とナギの誕生日)に全力を注ぐべきだった。
定番ネタは定番過ぎてマンネリと見られるけど、定番だから安心して読めるんだよ。
まあ畑センセが学園祭書いたらネギまの学園祭パロ(加えて現実的なイベント数的に)で3巻くらいかかってた気がするけど。
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あと公開時に一部で燃えてたらしい「マリアさんはハヤテの姉です。」って、これ下にある本文と矛盾してる。本文で「だから途中で姉弟という設定もなくなりましたねえ。」と言ってるのに、あとがきでは設定が生きてたように書かれてる。
結局どっち?
実際に綾崎父の不貞の子だったことが王玉で分かったときの話が本編で描かれたとしたら、マリア編とかいう位置づけになって数巻伸びてただろうけど。
それでも、新キャラどんどん出していくよりもそこはちゃんと回収していってほしかった。
どの時点でどのキャラ作ったかは結局あまり明かされてないけど、初期プロットにいなかったキャラがたくさんいたはず。その投入タイミングと立ち位置の調整が上手くいかなかったのかな?
それとも初期のマリアの人気のなさ→テコ入れでキャラ改変した結果、つながらなくなってカット?
ここはなんとか本編中で回収してほしかったな。
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各所に、大風呂敷を広げすぎて伏線回収に失敗して後悔している様子が見える。
姫神とか予定通りにしてとっとと出しておいたほうがよかったじゃん。
この辺は多分やっぱり「長かった」のが一番の問題だったんだとは思う。
10週打ち切り覚悟時点でも、あんなキャラ出す気だったのかと。
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そしてモニョったのが(上)ナギの絵側のページに書いてあること。
上の感想に書いたことはだいたいあってたけど、それまでのハヤテ中心の話を突然ナギの成長中心の話に切り替えたように読めてしまう。
方針転換に失敗した(上記を認識してついていける人が少なかった的な意味で)、ともとれるのかな?
ブクマしてくれたコメにあった「やりたいことを詰め込みすぎた」ともとれる。
…もしかして、ナギ中心の話にしたらラブコメ上手く作れなくなって、それでハヤテとルカの話を(ナギを主人公ポジとして維持しつつ)上手く進められず、その結果あんなに長引いたのではなかろうか?
どうやったって、ナギの成長を書くならナギが常に出張ってないといけない。
「ハヤテと○○(女の子)」のシーンの代わりに、「ナギと××(友人)」を出さなければならない。
そのうえで人気維持の要の一つである、ハヤテを中心としたラブコメを描かなければいけない。
こんなジレンマの中で毎週の話を作っていくのはすごく大変そう。
それが解消されたのがイクサ以降…なのかもしれない。
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(上)の扉コメントにある「でも漫画は生き物、変化し続ける。13年もやってればしょうがないのです。」と開き直るのはいいけれど、なんだかなー…。
全盛期にハマって、そのあとフェードアウトした身からすると、書いてあることの半分くらいが言い訳、もしくは明言できない大人の事情に見えてしまう悲しさ。
何故その展開に行けなかったのか?その時何をどう感じていて、どういう事情があって決断したのか?その辺の心理状態がほとんど書かれてなくて、「変わっちゃったんですよ~アハハ~」ってかるーく濁したのがとても残念で仕方ない。
あれだけ単行本でもプッシュしてたアニメについてほとんど触れてないし。別口でどっかで書いてるからカット?
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正直、新しい見方ができたところもあったけど、全体的には少しがっかりだった。下手すると読まなかったほうがよかったかも…。
それでも次の作品はまた別の作品になるはずなので、頑張って面白いマンガを描いてくださいな。アドなんちゃらも。
ただし、久米田作品みたいに舞台が違うだけでやってること同じ漫画を描くなら、多分同じ末路をたどるだろうから読まないと思うけどね。
その上で最初に言っておくと、私は呑み会が大嫌いだから常に断り続けて、忘年会くらいしか出ない。
もうなんだかんだ15年その状況だ。
呑み会はあくまで呑み会であって仕事ではないし、上司に誘われたとしても仕事にはならない。
上司が部下に対して、普段言えないことを聞きたがるのに呑み会を誘うというのは多々ある。
部下も普段言えないことを言える場が出来るのだと思わないのだろうか。まぁ言いづらいよね、それも分かる。
上司からすれば仕事中は言いづらいことも言えないんだろうなと考慮しての誘いかもしれない。
それを部下が残業代を要求するという姿勢では、上司はがっかりせざるを得ない。
なんでこんな奴を気にかけてしまったんだろう…と。
そりゃ怒ります。
若い世代に限ったことじゃなく、おっさん世代にも言えるけど、ここ数年は特に増えました「配慮のない言葉使いの人」が。
言葉足らずなせいで相手を怒らす傾向にあるのが、今の特徴じゃないかなと思う。
だけど、じゃあ相手を考えて言葉を紡ごうとすると相手は長すぎ、長文乙という感じになる。
コミュニケーションを拒否する世代も増えているとは言え、相手と言葉をまともに交わしてないのでは
いざという時に自分が孤立して、「誰も私の事を考えてくれない。鬱だ」という流れになってしまう。
誰も考えていないのではなく、アナタに何度も呑み会で話せる場を設けようとしたし、それを拒否したので「ああ、この子は業務中に時間を設けよう」と
業務中にも何度も呼びかけましたよと。
話は逸れてしまったけど、断るにしても言葉を選んで相手の気持ちも考慮した上で理由をつけて断れば良いと思う。
私は毎回のことだが「早く帰らないと家族が心配するので申し訳ない」と断ってきた。
忘年会の時は「忘年会くらいは許してってお願いしてきた」と言って参加する。
たまに参加するせいか、珍しい人がいるぞ!と軽くいじられたりして目立つが、そのくらいでちょうど良いなと私は思う。
何にしても、呑み会は仕事ではないので残業代を要求するのではなく、呑み会に参加したくないのなら相手を怒らせない程度の理由を作って断れば良い。
「残業代出ないんですか?」という返答をされたら、コイツなんなんだ…?と思われても仕方がない。
これに尽きる。
新卒で就職した会社は小さいのに小さいからこそなのか、人間関係に神経を使った。疲れて3年で辞めた。
年長の女性からも男性からも、ハラスメントらしいものを受けた。
職場は仕事をするところであって、仕事をする全員の目標とするところは大きく言えば1つのはずだ。利益を生みそれによって社会に貢献することだと思う。
それなのに、些末でありながら業務進行する上で無視できない嫌なことがたくさんあった。社会というのは厳しいんだと思って自分の不出来を責めた。
それなりに慣れてきて社内を見渡せば、若輩の新入社員の私に対して以外にも、小さな権力とセットの嫌がらせ、それに近い不快な出来事がたくさんあった。
同期そろって会社帰りに飲みに行って愚痴をこぼせば、その場で流れてなくなるようなもので、厳しい社会で生きていくには仕方がないことだと当時は思っていたような気がする。
でもその時の嫌な記憶は今もあるし、自分の仕事をする上でのふるまい方に定着してしまったものもある。そんなのおかしいよなと今は思う。
それに比べれば、だ。はあちゅうはだいぶタフな環境でひどい目にあってきたことが、あのBuzzFeedの最初の記事でわかった。その痛みもわからないかもしれなが、じゅうぶんに想像できた。
だから、だ。社会を構成するみんなの意識が変わるような、潮目が変わるようなことのきっかけになるのではないかと、少し希望をもった。
そういうことってあるはずなんだよ。昔は当たり前だった「女性社員が課内の社員や課長・部長にお茶を入れる」。
こういうことしてる会社は今もあるだろうけど、少なくともそれは「古い」という認識は共有されているだろうと思う。
何かきっかけがあれば、変化は起こる。ネット社会になって、その傾向は強くなったと思う。法律が変わらなくてもバズって共感を集めれば、何かが変わるかもという予感。
でも、結局がっかり。
燃え広がる過程で、彼女自身は最初の告発に込めた思いも考えもほとんど語っていない。
バグ!長期メンテ!バグ!臨時メンテ!バグ!告知なし事後報告緊急メンテ!バグ!メンテ!しのーーーーーーーーーー!アリスーーーーーーーーーーー!!!
12月11日配信が始まったきららファンタジアだがこれがバグだらけで呆れる。
色々な事情により配信を遅らせるわけにもいかず、サービス停止することもできないので通常営業しつつ次々見つかるバグに連日メンテナンスで対処するような状態。
最近だと告知していたメンテナンス+不具合見つかったので緊急メンテ+ログインできないので緊急メンテ+またバグが見つかったので臨時メンテとメンテナンスが日常系になっている。
バグの内容も酷くそもそもログインできない、魔法石が無限に増やせる、引き継ぎエラー、特定の動作で進行不能になる。自分が遭遇した物だと、キャラクターが表示されていないのにコマンドが選択可能だったのでコマンド→フリーズするという物があった。
肝心のゲーム部分については特に言うことなし。普通のタイムライン型のコマンドRPG。
きらら系のアニメが好きで、あのキャラの新規ボイスが久しぶりに聞けるだけで嬉しい自分のような萌え豚なら楽しめる。
メインクエストのストーリーは「悪者によって異世界に呼び出されたきらら作品の登場人物達を元の世界に戻してあげよう」という内容。
最初はひだまりスケッチの登場人物と遭遇し敵に囚われたゆのを助けに行こうという展開なのだが、初回ガチャでゆのを引いているので「ここに居るじゃん」と思わず突っ込んでしまった。しかもガチャで手に入れたゆのは戦闘可能。
スパロボで例えるなら光子力研究所がピンチだ!兜甲児が乗ったマジンガーZを使って兜甲児を助けに行こう!という状態。まあそこはゲームだから目をつぶろう。
無事ひだまり荘のみんなを見つけたら、最後は元の世界に戻してあげるそうだ。そりゃそうか。彼女たちにも普段の生活があるし帰りたいよね。(本当はこうやって仲間を増やしていくのかと思った)
別れを惜しむ主人公達とひだまりメンバー。しかしあるキャラの台詞が引っかかる。要約すると「敵が無理に召喚した人は元の世界に戻すけど、ガチャで召喚したらまた一緒に戦えるね」だって。
あ?!おかしいだろ!さっきまで散々元の世界の戻すために戦ってたのに?
設定的には合意の元呼び出して協力してもらうということらしいが、やってる事は敵と変わりなくない?
そもそもどう考えても戦闘には不向きのキャラが多数なんだが?しかも異世界召喚だぞ。元の世界に帰りたいと思うだろ。家族や学校や作っているゲームは投げ出して戦うの?
ただ「がっこうぐらし!」のキャラはこっちに居た方が幸せなんじゃないかというツッコミにもちゃんと答えがあったのは良かった。
ちなみに今やってるクリスマスイベントだと他作品同士のクロスオーバーがあって結構楽しい。やすなが居ないとソーニャが常識人で進行役にぴったりというのは発見だった。
クリスマスアリスの必殺技がイギリスで拾った石を投げつける演出なのは笑った。
1番の不安が限界突破と進化かな。キャラのレベルが限界に到達した時、さらにレベルを上げたい場合はガチャで被ったキャラが出た時に貰える専用素材が必要になる。
例えば★5カレンを限界突破したい場合、ガチャで既に持っている★5キャラを引く必要がある。これを4回繰り返した後に集めるの超めんどくさいorイベントでしか入手できない進化素材を使うことで進化が可能になる。
なんかすげー闇を感じる。
追記
ダメだ。何事にも限度ってものがある。いくら罪を憎んで人を憎まずと言っても、本人が行った悪業とほかの誰かの悪業は別問題と言っても、やはりはあちゅうはダメだ。
自業自得、コウモリ、嘘つき、媚びを売って利益を得ようとして失敗した結果の逆恨みにしか見えなくなってきた。もうこの件にはコメントしない。
仕事で何かやらかした後(数時間後とか翌日とか)にまったくの別件について指摘すると「お前が言うか!?」とか「このタイミングでよく言えるな?反省してないのか?」とか怒られる事がある。
自分の失敗やそれについて反省している事と、別件の直ちに対応しないとマズいことになる問題はまったく別なので本当のところ怒られる意味は全然わからないのだが社会とはそういうものだと理解して最近はやらないようにしている。
属人的な問題であるならば当該個人に対して注意して、その個人が反省し改善するべきだし、システム的な問題や外部要因の問題、もしくは他の個人に属する問題はそれぞれ別に対応しなければならない。はずだが、感情で仕事をする人たちにはわからない。
はあちゅうがセクハラを告発した。彼女も清廉潔白ではない。しかし彼女の日頃の行いと、過去に受けたセクハラは別問題。むしろ「過去受けたセクハラ」ではなく岸なんとかって加害者の視点で「過去に行ったセクハラ」が存続するのだからそれを問題視すべきなのにそれができない感情で動く大衆にはがっかりする。はあちゅうが問題だと思うなら別途対応すればいい。電通の、岸なんとかの、ひいては日本社会のセクハラを糾弾するチャンスをわざわざ潰す意味はどこにあるのか。はあちゅう以外のキレイな被害者がもう一人名乗り出ればいいのか?その被害者が過去に何か一つでも不適切な行動を取ってたらやはりその被害者を叩くのか?
イジメは良くないがイジメ被害者も過去に生き物係をサボってクラスで飼ってるウサギを殺したのだからイジメられるのはしょうがないか?
はあちゅうを擁護したいのではない。誰が告発したのであれ、誰が被害者であれ、加害者は加害者として責任を取るべきだといいたい。