はてなキーワード: 請求書とは
何かのテレビのインタビューで、年金月20万円の人が「足りない足りない!」って答えてる画像を、Twitterで見かけた。あんまりまじまじとは見ていないんだけど、ぜいたくだ、そんなにもらっておいてなんて言い方だ、みたいな感想もついていた。
施設の請求書が届いたのでチェックしていて、それをふと思い出して書いてるんだけど、20万円じゃ、足りないよなあ。
前払金入れたけど、普通に月の支払い20万円超えてますわ。つまり年金月20万円だったら赤字。生きている限り毎月赤字。貯金がゆっくり減っていくの。他に収入減があるか、貯蓄がしっかりないと、精神的に辛い。
健康なうちはいいのよ。持ち家だったら、月10万円とかで十分生きていけると思う。画像見ただけだから何とも言えないけどさ、インタビュー受けてた人も、いま毎月20万円じゃ生活できないのよーって意味で言っていたのか疑問だな。年金受給者は、「さらなる老後」に備えて、年金を貯金している状態なんじゃないかな。それでもその貯金が足りているのか不安なんだ。
介護施設に入ってるうえに入院でもしてさらに差額ベッドが必要だったりしたら、月20万円は瞬殺だやからね。
精神衛生上、年金の範囲内で支払える施設探せよっていうのは分かるよ。でも、すぐには入れないとか、遠いとか、安さと引き換えに諸々のハードルが出てくる。あと身内いるなら身内で介護するとかもあると思うよね。でもちょっとうちは無理だったんだわ。現実的なラインでなんとか落ち着かせたのが、毎月20万円を超える支払をしているいまの施設なわけ。
ちなみに、この施設の金額は都内では別に高い金額じゃない。(何から何まで面倒見てもらって、24時間365日あんだけ色々な対応してくれてって思うと、受けている恩恵対比としては、安いくらいだといつも思う。)
つまり、本人が穏やかに必要な助けを受けながら生活できて、身内がまったりと「長生きしてね」って微笑んでいられるためには、月20万円は、少なくとも都内では、足りないんだよね。
老後がどういうかたちでやってくるかは選べない。完全には備えられないというのが、n=1の感想。「誰かの手助けが必要だけど生きるのに支障はない」期間は、結構長い。数日前まで身の回りのことは全部自分で出来たんですよって状態で死ねる人なんて本当にレアケースだと思う。ゆっくりゆっくり「できない」が積み重なって、でも体は死ぬほどではないって感じが長い。無理に延命治療なんかしなくても、手助けしてもらえれば、人間はそれなりに生きられる。
「てれこ」とは、「互い違い、食い違い、入れ違い、あべこべ」という意味の関西弁です。「なんや、てれこな話しやなぁ」と言えば、「話があべこべだ」という意味になります。
元々は、歌舞伎の世界で「二つの異なる筋を一つの脚本にまとめ、一幕おきに交互に展開すること」を「てれこ」と言っていたもので、これが転じて、今では「互い違い」などの意味でさまざまなシーンで使われるようになったようです。
語源を調べてみると、「手を加える」という意味の「手入れ」に接尾語の「こ」がくっついた「手入れこ」が、しだいに「てれこ」に変化していったという説と、「人の手を入れ(てれ)て、交互(こ)にする」の略語という二つの説があることが分かりました。後者は、かなり略されていますね。
■「テレコ」の使い方と例文
歌舞伎の世界では平仮名の「てれこ」ですが、それ以外ではカタカナ表記(テレコ)が一般的です。ここからは「てれこ」の使い方を紹介。関西弁による日常会話やビジネスシーンでの会話のほか、各業界での使い方をみていきましょう。
■関西弁
■ビジネスシーン
「その請求書はA社宛です。B社のとテレコになっていませんか?」
その請求書はA社宛です。B社のと入れ違いになっていませんか?
「テレコ」は、主に関西圏で使われる言葉ですので、それ以外の地域では、聞いたことがないという人も多いかもしれませんね。関西で仕事をするときは、耳にするかもしれませんので、覚えておくと良いでしょう。
2022年(令和4年)1月1日より施行される改正電子帳簿保存法についてレクチャーを受けたので忘れないうちにメモしておく。
この日記を書いた増田本人は税理士ではないので間に受けないように。
以上
で、相手側は通勤中だったらしくて労災になって労働基準監督署預かりになったんよ。
いろいろ状況があって責任が9対1で1俺が悪いってことになったので、
治療費とか休職補償とかで20万払うことになったんだけど、当然俺なんて金がないわけじゃん。
しかたなく請求書の電話番号に電話して「一括では払えん、無理」って言ったら
「分割できるけど、何分割なら払える?」って言われたから「3年36回払いになるか」ってダメ元で言ったら
「じゃあそれで」つって後々36枚つづりの振込用紙が入ったクソ分厚い封筒が送られてきた。
言ってみるもんだなー。月々5000円ちょいならまぁ、なんとか払えるでしょ。
ネタ元:https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2201/04/news001.html
そもそも消費税の仕組みなんて自分が課税事業者になるまで知らなかったし、ちょっと問題点を考えてみた。
結論を先に書いておく。一番損するのは、取引先が営利事業者である免税事業者。
主に知識産業系においてフリーランスと呼ばれる人たちで、売上1000万円以下の事業主である。
●消費税の仕組み
具体的にイメージすると、僕が10000円の商品を売るとお客さんから消費税1000円を預かる。
ところが僕は10000円の商品の材料を6,000円で仕入れていて、その時に消費税600円を既に払っている。
そのため差額の消費税400円だけを国に収めることになる。
(個人なら確定申告とほぼ同時に消費税の申告をして、銀行から振り込むか指定口座から引き落とされることで納税が完了する)
僕が作り出した付加価値=利益は4000円であるので、内税で考えるとその分の消費税を納めていると見ることもできる。
そのため消費税は付加価値税とも呼ばれる。英語ではVAT(Value Added Tax)という。
専門家に言わせれば日本の消費税とVAT正確には少し違うのだろうけど、
内税で考えるか外税で考えるかという視点の違いと思っていいだろう。
勘違いしやすいが、事業者は消費税を負担していない、預かっているお金を事業者は代理納税をしているだけだ。
ここでいう事業者とは販売先をもつ人、消費者とは販売先を持たない人のことだ。
ところが日本では売上1,000万円に満たなければ消費税免税事業者(以下免税事業者)でいることができる。
その名の通り、免税事業者とは消費税を国に納める必要がないということだ。
免税事業者は上記の例では400円を自分の懐に入れられるので、利益は4400円となる。
そもそも消費税の申告が不要なので、いくら懐に入れたかを税務署が知る方法はないし、おそらく本人も把握していない。
さてこの400円はどこからきたのかというと、もちろん税を負担している消費者だ。
何もしていない人が自動的に10%の利益を得られる、こんな不公平な税制があるだろうか。
●インボイス制導入後に損する人と得する人
インボイス制度とは、課税事業者が方式に従って請求書を発行した場合に限り、仕入れ税控除(先の例で言う-600円)ができるようになるということ。
僕の中でいろいろ検討してみた結果、免税事業者でいることで得をするケースは消費者に直接販売する場合だけ。
消費者は販売者が免税事業者かどうかを気にしないし、預かった消費税を懐に入れていることを知る方法がない。
一番損するケースは、企業などから業務委託を受けているようなフリーランスだ。
それも原価率が低い知識産業系。(そもそも原価率が高い産業は売上1000万円なんて簡単に超えるので問題にならない)
どのように損をするか、具体的に考えてみよう。
企業が免税事業者から6000円で仕入れて消費者に10000円で販売した場合、企業が本来取るべき利益は4000円で、企業の消費税納税額は400円となる。
免税事業者からの仕入れは税控除されないので、消費者から預かった消費税1000円をそのまま納税しなければいけない、仕入6600円(税込)、販売11000円(税込)で、
企業の手元に残るのは4400円、そこから消費税1000円を納税するので企業の利益は3400円になる。
企業からすれば、今まで通りでなんで突然利益が減るのよ、おかしいでしょ、そっち(免税事業者)が悪いんだから、取引継続したいなら仕入れを消費税分安くしろよとなるのは当然だ。
整理しやすいように、同じように6600円(税込)で仕入れて10000円(税込)で売る場合を考える。
インボイス制導入前の免税事業者であれば利益は4400円のはずだが、
課税事業者であっても利益4000円取れるので、それよりも減ってしまっている。
仕方なく免税事業者から課税事業者になったとしても、今まで4400円取ってたのが4000円になるわけで1割減に「見える」
なお、消費税分の値引きを迫るのは独禁法に抵触する。(年に1回公取委から調査書類が送られてくるので、誰でも匿名で事業者名を密告可能だ。)
課税事業者になってもらうか、取引停止かを迫るのは当然だろう。
最後に1割減に「見える」と書いたのは、繰り返しになるが事業者は消費税の負担者ではないからだ。
●正義はどこにあるのか
消費者から「預かった」消費税を懐に入れて自分の収入にしているのだ。
法的には問題ないのでもちろん責めることはできないが、倫理・正義に反している。
倫理とか正義とかいう言葉を用いると炎上してしまいそうで難しい問題ではあるのだけど、
僕は「商売において倫理的に正しい行為」は「関係者が誰も損していないこと」と定義したい。
消費者という言葉の括りが大きすぎるのでイメージしづらいところではあるが、
その分の公共サービス・社会福祉が犠牲になっていると考えられるからだ。
消費者とは、結局のところ日本に居住する自然人全てだ。個人事業主だって飯食って生きてる消費者だ。
(法人は経済活動のための仕組みであって消費することは必須ではない。)
日本の消費税は潜在的なバグがあった状態で、免税事業者がこぞってこれを利用していたような状態だ。
最初は3%だった消費税は今は10%だ。ギってる金額が3倍になってるわけだ。
さらに消費税を上げようと考えると、そろそろこの不公平を放置できなくなったってことではないだろうか。
誤っているものはバグの利用者の意志に関係なく、制度設計側の都合で解消されてしまう。
何が「誤り」なのかを考えるのは個人の美意識(上記の僕の倫理観のようなもの)の問題であり責めることはできないが、
制度をより正しい方向に直すことをバグ利用側が責める道理もない。
しかし、こういう法の抜け穴というのを利用するのは、確かに儲かる。
しかしいつか外されるに違いないハシゴの先にいるのは、リスクでしかない。
早めに儲けをとっていつでも逃げれるようにしておくのが、事業主のしたたかさというものではないだろうか。
適切に税を処理するなら税理士に相談したり顧問契約を結ぶべきだと思う。
年齢的に仕方ないのかもしれんがそんなアナログなところに行ったのが悪い
いやーーーー採用された職、まじアナログすぎたんだわ。何手書きで請求書作ってんのエクセル使わせてくれよと思ったけどさすがになんも成果出せてない人間が言えた義理ではなかった。
昼休みも仕事をして毎日ぼろぼろに怒られて、ワーキングメモリが著しく不足している新人を見る増田にひどくショックを受けたり、自分の今のこの状況発達障害の項目にあてはまるのではと心療内科に通ったりした。ひとり退職して人員不足になって職種移動があってなんとかまともに息ができるようになった。
試用期間最終日、もう2か月ほど前のことだ。経営者夫婦と面談があった。
(採用された職では)正規雇用は難しい。現状の職業として非正規雇用として雇用継続、給与は今と据え置き。ただし今後の採用状況では休職・退職もあり得る。その条件で大丈夫なら引き続き来てもらえますかという話。
考えるまでもなくうなずいた。こちとら30代終わりの年になって(試用期間で終了になったとはいえ)はじめて正規雇用にありついたほどの就職氷河期世代。非正規雇用の今だってこれまでのどの職業より今が給与が高いし休みも多いし、就業規定を確認したが賞与まで発生する。「今後の採用状況次第で」というその対象職はとある国家資格で、いつでも不足していて特にコロナ禍では確保が難しい職業だ。
今の相棒にして先輩(国家資格職)曰く「(採用された職)はともかく(国家資格職)は無理だろ」という。可能な限りしがみついていく方針で、いつ切られてもいいようにセーフティネットを自分で作っていく。そういうことに決めた。だって前職より勤務時間伸びたのにびっくりするほど疲れない。今日帰ったら何しようって思う。前職ブラックだったんだなって今になって思う。
経営者夫婦は最近「今いるスタッフを大事にする」方針に変更したらしい。それならば「人不足だからしょうがない」と言ったわたしのことも大事にしてくれるだろうか。わたしが前を歩いてるとは思わなかったんだろうが地味にショックだったんだあの言葉。
https://anond.hatelabo.jp/20211226230142
上の記事を書いた増田なのだけど、思っていたより反響があったのでブコメに上がっている疑問点に可能な限り答えたいと思う。内容の重複するコメントが多かったので、要旨を丸める。
Q 本当に死にたい人間はこんなに精力的になれない、婚活も結婚もしようとしないはずだ。
A 友人は、婚活をしていたし、結婚もしていたし、国内外の旅行にも行っていたし、資格の勉強をし、亡くなるほんの数か月前に簿記2級に合格するような知性とバイタリティを持っていたし、貯金もあった。だが、死んだ。
活動的であるかどうか、「自分が生きると思わせてくれる何かがあるかもしれない」という一縷の望みに賭けて努力する(婚活や資格取得)かどうかということと、死にたい気持ちは全くの別物であることを理解されたい。寧ろ努力した結果、報われなかった、あるいは何らかの果実を得たものの「やっぱり生きたいと思えなかった」と落胆することで死に一歩近づくことがある。
そしてこれは言っておかなければいけないことだと思うけれど、「本当に死にたい人間なら」というのは、単に「私の観測範囲内では」という話に過ぎない。実際のところ、死にたい人間も多種多様だ。
希死念慮者は死によってでしかその意思が肯定されないのか、それは違うと思う。希死念慮者は、「死にたいという気持ちを抱えた生きた人間」だ。単に自分の想定に沿わないからといって「ニセモノだ」という話をされたのでは、サバイブした事例の話は出来ないことになってしまう。
Q 2019年に破産の申請が通り、仕事がうまくいかなかったにもかかわらず2020年にはバイクを買って数か月も働かずに旅に出られるだけのお金が貯まるのか?
A 裁判所から破産の決定が下りたのは2019年だが、相談をしたのは2018年であり、相談時点で全ての債務の返済及び利息の加算は停止する。その為、2年近く給与を貯蓄し続けることが出来た。仕事がうまくいかなかったのは、単に自分の無能さに嫌気がさしているということ。私は歩合の無い普通のサラリーマンなので、無能でも減給になったりはしなかった。
A 実際ひときわ美人だから。もはや生きることにうんざりしていた私は、「まあ、この人でも良いかな」みたいな妥協をしてまで他人と付き合う気はなかった。なので、ひときわ美人だったことはやはり俗っぽいけれど重要な点だったと思う。しかし最も重要なことは、このエントリは妻も監視しているということ。
Q 2020年年末から「新潟経由スタートで南下」し「冬の北海道をバイクで走破」は、積雪によって不可能ではないか?
A 年末という書き方が悪かったと思う。これは「12月」と読みかえて欲しい。当時、新潟から日本海沿いに寒波が下りてきていた。私は寒波から逃げるように日本海を南下したので、日本海では積雪に遭遇していない。九州では、大分の九重連山で積雪に悩まされたが、それは乗り切ることが出来た。また、東北・北海道については春に入り雪解けを待ってから上陸したので、「冬の北海道を走破」はしていない(春季でも所どころ積雪はあったが)。
A 実際に行動を起こした(自殺未遂、友人の自死、発信し続けたこと)という点において、漠然と死にたいと思うだけで気付いたら理解ある彼くんが人生をリードしてくれたという案件とはフェイズが違うと思う。
が、「人間を救えるのは人間しかいない」と結んでいるように、一度袋小路に陥り自力では抗えないほど閉塞してしまった人生は、理解してくれる(しようとしてくれる)他者によってしか救われないと思う。犬も歩けば棒に当たるみたいなことが伝わってくれれば嬉しい。
Q 首を吊っても縄が切れることはあり得ない。
A 私の場合、購入して数年経った中型犬用のロープを用いたので、劣化していたことと、そもそも中身がスカスカだったこともあり切れたのだと思う。また、これは私が体験談を聞いた範囲での話だが、縄が切れて首吊りが失敗する事例は割とあるようだ。
Q 「遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた」ってどういうこと?
A 友人がわざわざ自宅から持ってこなければ、通常、携帯料金の請求書は手に入らない。そういう紙の裏に書くと、遺書が自発的に書かれたものである(私に無理やり書かされたのではない)という事実を裏付ける証拠になる。
Q ホテルで死のうとするなんて、ホテル側に迷惑だと思わないのか?
A 誠に申しわけございません。
Q 実話? 創作?
A この種の疑問に回答しても栓ないと思うけれど、実話。読んでくれてありがとう。
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
現職は管理部門
なんとなく今の会社の良いところ、悪いところを書きたいなと思ったので書く
良いところ
・人間関係が悪くない
悪いところ
・キャリアが望みづらい
・マニュアルが無い(知ってて当たり前という前提で話が進む)
・たまにとんでもなく理不尽なことを言い出す(自分の仕事が終わってないのに他所の仕事手伝え等)
特にめんどくさいな、と思うのが
マニュアルが無いくせに仕事が終わらないと詰められるという部分
まあまあ長く働いていたり、異動してきた人間はある程度分かっているので要らないのだと思うが
俺みたいに全く関係のない異業種・異職種から来た人間は知識0の状態でやらないといけないので、とにかく情報が足りない
「なんで知らないの?」と詰められても知らないものは知らないので、とりあえず謝って自分専用のマニュアルを作ってるが、めちゃくちゃ腹が立つ
日次業務はそれなりに回数をこなしたので正確性・速度の両方がマシになってきたのだが
月次業務はまだまだ回数が足りないので、どうしてもミスが多い。急ぐと更にミスが増える
なので、どうしても慎重にやらざるを得ないのだがそれでもミスが出る。というか前任者が間違えてる処理まで俺が尻拭いさせられてる
その割に直属の上司が居ない(全てを総括してる上司は居る)ので、うちの部門のスケジュールはそれぞれが管理・共有してる。そのせいか
他部門から「それ今日中じゃないとダメなの?」としょっちゅう言われる。その度にじゃあ明日ならいいんですか。って言い返してやりたくなる
本社から提出が求められた書類もそう。早いうち(3週間前)から、早めに出してくださいねーと告知してるし
2週間前、1週間前にも進捗どうですかー?と訊ねているのに、期限までに提出されない場合は俺が無能扱い。本人が書類書かねえのは俺のせいじゃねえよ
確かに、どの仕事も急ぎではないんだけど納税なら納付期限は決まってるし、本社からの依頼なら期限だって設定されてるし、請求書なら期限までに振り込んでねって文言がある
それに対して「この仕事、後回しで良くない?」ってテメーは夏休みの宿題をギリギリまで溜めてる小学生かよって思う。特に納税は決まった額じゃないから事前に確認しておかないとめんどくせーんだよ
それを「今日やるべきことじゃないよね」って、そら今日やらなかったら死ぬわけじゃねーけど明日は明日で忙しいから今日やっておくんだろうがよ
泉田裕彦というと十年以上前になるが北陸新幹線延伸費用分担でゴネたことを覚えている方もいるだろう
泉田裕彦が新潟県知事の時に北陸新幹線の工事費用が当初の見積もりより随分と高くなったのに国交省は明細も出さないことに文句を言った事件?だ
あの時、橋下大阪府知事(当時)が国の直轄事業はぼったくりバーの請求書と言って乗っかったのでぼったくりバーの請求書の方を記憶している方もいるだろう
泉田裕彦は費用負担がどうして高くなったのかを最初から知っていた、知っていて発言をしたふしがある
北陸新幹線の長野から金沢延伸費用負担は線路の距離に応じて負担するというもので、新潟の費用は新潟、石川の分は石川というような負担ではない
で、石川の費用が当初の見積もりよりも高くなっていたことをどうやら知っていたらしい
増加分のざっくりとした理由はオフレコで聞かされていて、公開出来る文面にしろと迫ったのだと思われる
要するに新潟の工事費用の増加分よりも石川の工事費用増加分の方がずっと大きく、割り勘負けしたような状態だった
どうして高くなったのか泉田裕彦は会見で暴露しているのだけど、暴露したことで北國新聞や石川県知事がめちゃくちゃ叩いた
当時の新聞記事を調べられる方は北國新聞と新潟日報とを読み比べると少しわかると思う
ある日曜日の朝、たかしが朝食のテーブルについた時のことです。
たかしは、お母さんのお皿の横に一枚の紙を置きました。
たかしの置いた紙は次のような内容でした。
お母さんへのせいきゅう書
お使い代 100円
おそうじ代 200円
おるす番代 200円
合計 500円
読み終わった後、お母さんはにっこり笑ってたかしを見ました。
お昼の食事の時になって、お母さんはたかしのお皿の脇に500円を置きました。
たかしはそれを見て、上手くいった!と嬉しくなりました。
その紙には次のように書かれていました。
たかしさんへのせいきゅう書
親切にしてあげた代 0円
病気をした時のかんびょう代 0円
合計 0円
一回、二回…。たかしは何度も繰り返し読みました。
たかしの目には次第に涙があふれてきました。
(おわり)
※あなたの感じたことをトラックバックやコメントで書いてみましょう。
https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/shou_current/doutoku/files/31_tsunagaru_pr.pdf
・インボイスというのは適格請求書の事。適格請求書は適用税率や税額を記載した請求書の事
・インボイス制度は税率や税額が書かれた請求書を使うことできっちり税金を納めろ! っていう制度
・適格請求書を発行できるのは課税業者のみ。免税業者は発行できない
・消費税を10%にした時に軽減税率を導入した事で、8%の商品と10%の商品が混在する様になったから新しい制度が必要(建前)
・いい機会だから今まで丼勘定だった個人事業主からもきっちり消費税取り立てるぞ!(本音)
・インボイス制度を導入したからっていきなり単価上がらない(5年くらいかかる?)から死ぬ!
現時点での俺の理解はこんな感じ
いくつか疑問もある
・個人事業主ばかりが問題になってるけど、この制度の影響って中小企業にも及ぶのでは?
・発注する企業側にとっても単価上げるか、次の発注先を探すかしなきゃいけないから割と大変なのでは?
・そもそも課税業者しか適格請求書ってのを発行しちゃ駄目なのなんで? 免税業者も発行できれば問題の大部分は解消するのでは?
調べてはみたがやっぱりよく分からないところが多いなと感じた
知ってないと駄目なんだろうけど、なかなか難しいね
「インボイス制度」というのは正しくは「適格請求書等保存方式」で、結果として「適格請求書がないと控除できませんよ」となる仕組み
免税対象者はこれまで通り免税対象なんだけど、批判する側に結構「弱者の免税枠がなくなる極悪制度」みたいに言う人がいる不思議
直接的には
となる制度で、リベサ万歳の「大手から搾り取る」制度なはずなんだけど、政権批判に繋げる人多数
間接的には
等が懸念されている
リベサ的には「強者は弱者の負担をしろ、圧力には厳罰を」という運動になるのが普通じゃないのか?
どうにもこの騒ぎ、腑に落ちない
控除枠をなくすなと「肩代わり納税側」が騒ぐならわかる
でも実際には、我々の控除枠ともなる特権的免除制度をなくすなと、「免税業者側」が騒いでる
誰が絵を描いたのだろう?
昔だったら、実態とかけ離れたこの印象論でマスコミ扇動すれば政権交代もありえた
「お前らの免税枠は消えねぇ」「そもそも消費者が払った消費税は納税しろ」となってしまう
所得税減税などではないのだ
どうにもこの騒ぎ、腑に落ちない
この「適格請求書等保存方式」の経過措置の期間が終わると、漫画家や伝統工芸や音楽家やいろんな人が廃業してしまうんだと主張してる人が居る
でも「なぜ」廃業にいたるのかを子細に書く人はみない
一回、「どうして廃業することになるのか」を誰か書いてくれんかな
まともに議論も出来ない
本当、誰か書いてくれんかな・・・