はてなキーワード: 自己承認とは
俺は、どーも『イケメンになるために』ファッション雑誌を見てしまっていた。
いやいや、イケメンになるにも才能がいる。
雰囲気イケメンならなれるというが、雰囲気イケメンってイケメンのコスプレだろ?
コスプレとしての完成度が高いブスのコスプレイヤーがいくらでも居るのに何いってるんだって話だよ。
で、「ファッション雑誌いくら視てもイケメンになれないじゃないか!」と思って俺は何度も挫折してきた。
美容院に行って、ジャストサイズでシンプルな服そろえて。それでも一向に不細工。
でも、生理のように、一定周期で、「今度こそイケメンになって、馬鹿にしてきたリア充どもをぎゃふんといわせたい!美少女をイケメンみたいに言いなりにさせて中出しして中絶させてやりたい!失われた青春を取り戻すように俺を馬鹿にしてたような女を風俗に落としてその金でソープいってやりたい!」みたいなどす黒い欲求が出てきて。
それで、また狂ったようにファッション雑誌やビジュアル系雑誌を読んでは服を買ったりメイクを覚えたり。うまく行かないと女叩きのアンチフェミ記事を書いて。
そういうことをやっていた。
だが、つい今日気づいた。
俺はキントレ雑誌を読むけど、果たしてそこに乗っている筋肉マンになりたいだろうか?
俺はキントレ雑誌の理論を学んで、キントレしてるけど、筋肉マン目指してるか?
違う。
俺は、格闘技やってたからそのための筋肉。ケンカになってもビビラないっていう自己承認のための筋力。あるいは、普通の一般人より卓越してるんだっていう優越感。もしくは純粋にキントレによるストレス解消。
そういうもののためにやってる。
じゃあ、ファッション雑誌はどうだ。俺はイケメンになりたいか?
違うだろう。ブサメンが、理論を学んで服屋で実践するのがいいんだろう。
せめて、普通の人に。髪がボサボサで一本だけ長いのがタラーってゴミのように伸びてたりだと浮浪者みたいだと避けられるから、髪を切りそろえるために。
ぐしゃぐしゃのパジャマやジャージみたいな服装だと異常だと思われるから、シンプルで見た目にも奇抜じゃなくて他人とのコミュニケーションを阻害しないような服を。
まずはその程度からだろう。
というか、元が不細工だとその程度にしかならない。特に、俺はハゲとチビも抱えているから、どう頑張ってもイケメンにはならない。元々10点くらいだから、頑張って50点。
でも、そりゃそれでいいんだよ。知的障害なら、高校卒業できるだけでもいいじゃん。世の中での高卒の扱いどうこう関係無いよ。そういうもん。
そうなんだよな。
「あいつもっと頭使って動けよ」みたいな陰で愚痴ってる立場なのか、その辺ちょっと良くわからないんだけど、
4人とも、他人を見下すことによって、自分自身の能力なり人間的な低さの部分(理想の自分とかけ離れた自分)を受け入れずに済んでたんじゃないかな。
例えば、「あんなレベル低い先輩・上司なんかより、俺の方が全然優秀じゃん。」みたいな奴。
でも、こいつは先輩・上司より低学歴で「低学歴な自分」を受け入れられない。
だから、先輩・上司を見下して、理想の自分とのギャップを埋めるなんてのは、あるあるなんじゃない。
そもそも、他人を見下すことで築いた、実体のない自己評価による自己承認の虚しさに気付いたとかで
爆発しちゃったんじゃないの。
「アンタは人をイライラさせることはうまいね!!」と母に叱られた時は必ずセットで言われた一言。
当時の私は、「そんなネガティブなことにしか秀でてない人間だなんて…」と自らを辱めたものだが、増田ではその能力を生かせば様々な反応がもらえる。
その反応を自己承認だと思い込んでしまったがために、歪んだ関係が私と増田との間に生まれてしまったのだ。ツイッターフェイスブックはもうすでに埃がかぶってしまったようだ。日常生活では人をイライラさせる能力はネガティブな感情しか生まないので、封印している。人当たりよく生活している。帰宅した後、増田にて、この能力を解き放つ。ハアアアアアアアアアアア!
妊娠中の浮気は一生恨まれるという記事のブクマに女性へのヘイトコメントが沢山付いている。
中でも気になるのは内容に触れずに書き方が悪いから良くないだのでも女の浮気も増えているだの女が浮気するときには相手が妊娠してるかは気にしないだのブログの内容を読んで出てくる。
妊娠していて物理的(内臓に少しづつ成長する異物がある。圧迫により末期には食事も排泄もかなり阻害されることがある。重みでバランスも変わり重さやそのために無理をするダメージも体に蓄積し視界も変わる)にも、
生理的にも(身体の中に異物を置いて何ヶ月も過ごすために免疫機能のレベルを下げ胎児を異物として排除しないようにしているため、病気にかかりやすい。胎児に影響するので病気になっても薬を使えなかったりする。胎児を育てるために普段摂取する栄養、バランスでは対応しきれず文字通り常に血肉を分け与えているので体力も常に削られている。毒とか呪いの体力状態がわかりやすいかもしれないがこの例え嫌だな)、
精神的にも、ある面では社会的(男性女性両方からによる男尊女卑や自己承認欲求などを勘違いしたのを根本にした姑根性で差別してくる輩が醸成する空気が差別の温床だと思う)にも経済的にも(女性でも個体差もあるし同じ個体でもその時々で体調が違い過ぎてわかりにくいが普通には働けない場合が多いし職を奪われることも少なくない)弱くなっているところの女性を、男にはわからないから仕方がないのだから 男(=自分)こそをサポートせよ労わり気遣いするべき、浮気はむしろしてしまう環境にしているお前に責任があるのだということを発信しているわけだ。
戦場に出ている兵士が帰ってきたらというコメントがあったがもっと詳しくまあまあ身近な例えで言うなら、
【期間限定の激務についているなかパワハラなどイジメに遭い、怪我や持病をおしながらも家族の為に働いている過酷なときにこれが起きたら】
・激務になっていること、怪我や持病がありながら働いているにも関わらずいたわることもなくお前の能力やお前自身の選択の責任だからと言い放って省みない
・激務ゆえ時間や体力精神力が削られているのにコミュニケーションが減ることを責めコミュニケーションが減るのだからその分挽回すべしと上から目線でさらりと言う。
・おざなりにしている結果を以って、浮気などの裏切りやコミュニケーション減少の「怠慢」を責める罵倒は止むなし。
・激務だからといって大変と言っても、具体的にどのように大変なのか。そして具体的にどのような手段、タイミングで労ってほしいかは当人でなければなかなかわかってあげられるものではないし、それについて愚痴れらたり察してはウザいし図々しいこと。
・理解を求めたり、相手に要求があるなら簡潔かつ分かり易く、伝えられる相手の機嫌を損ねないようにタイミングも言葉も慎重に選び相手に伝えるべきだと言葉でも態度でも要求され
・有責だと慰謝料を要求する離婚訴訟をほめのかし職場への突撃をチラつかせることもある(よっぽど夫婦間での立場が強いのでない限り、女性が立場を利用して経済的に脅しをかけるのは男性よりも容易かつコストのかからない方法がかなり少ないと思うのと、お金を絞って相手の社会的立場も同時に脅かすとしたらこういうかたちになるのではと思ったがもっと正確に対応するようなエグいやり口があるのだろうな…)
・このようなことが起きることを性別を理由に多少は正当化される風潮がある
これは辛いし恨みに思わないわけがないし理不尽極まりないし自分の家族に起きることだなんて耐えられないけど男女が絡むだけでどんなに麻痺するんだよと常々思わずにはいられない。
共感できるところがある。
生きてたら良いことがあるというのも結果論だと思う。
実際そうだと思う。
自分は自殺したいと思っていた10年前から何1つ良いことはない。
もちろん俺にとって良いこととは俺の今までの価値観をひっくり返しこの世界を希望で満ちた目で見れるようになる奇跡という、
その自分の希望を切り崩して考えたとき、まずこの世で本当に幸せな世界になる可能性があるのかというところを突き詰めて考えた。
結果的に人間が自分の肉を保ち続け新しい生命へと転換しないことには、
今表面化されている社会の問題ですら1つも解消されることはないという結論に至り、
さらには例え解消されたとしてもそれには科学進歩と時の経過が必要であり、
つまりは俺の求める希望は俺が生まれる前から俺と出会うことは永遠になかった。
また希望がやってこないから不幸であり死ぬべきだと考えることも最初から無駄なのだからする必要もないことだったのだ。
結局は自分という人間がいかに無力なのかを客観的に分析することで、
死にたいと思うこと自体が無意味であるという結論を導き出した。
さらには自己承認を他人によって満たすという価値観からも解放されるに至った。
それは自分ができる人間であると思うのではなくできないことがあって当然だと思うことであり、
できないことはできないことと素直に認め、受け止めることであった。
自分の最大の希望がもはや実現できないと悟った人間に目が悪いとか滑舌が悪いとか
そんな些末なことはどうでもいいという話だ。馬鹿らしくなり開き直ったともいえる。
そういう思考の転換に至ったのも俺自身の、死への渇望に対しての自己防衛の結果かもしれない。
しかし冷静な今でも俺の希望が実現されないであろうことは強く確信している。
このプロセスを経由しない限りは死の意識が解消されないまま過ごすことになると思う。
そうすれば人間のルールを守ればいいだけだ、仕事、恋愛、家族、将来…
とにかく周りに求められることを演じ続ければいいだけだ。
いちいち本気で参加する必要はない。
人間を無くした。
人間を無くせ。
冗談の通じない子ども(のような大人)たちは世の中にたーっくさんいて、そいつらが暴れる口実を(クッソつまらない)ジョークを言ったつもりの人間が火付け役になって
延々と幼稚な意見同士でバトルが始まるのはどの掲示板やどのSNSでも見られること。
今まで黙ってたけど言わせてもらうけどなんではてなでそういう個人を前に出してぶりっこするような日記を飽きもせず投稿してるの?そういうのは個人ブログやもっとそれに特化したブログでやるべきじゃないの?ハッキリ言うけど読んでてつまらないよ。はてなだからこそ周りがやらないことだから異彩を放ち人気みたいにこういうのに耐性のないはてなーたちがブクマして気づかぬ内になれ合いモードにさせて信者化してそのブクマコメントに味を占めて繰り返してるんだろうけど本当に中身スッカラカンでつまらないよ。あなたはこれで自己満足を繰り返してるだけであなた自身の人間的魅力は全く持って深くならないってことには気づいてるのかな。そろそろ実生活での自己承認とここでの自己承認が剥離してきてるんじゃないの?それを埋め合わせるかのように頻度あがってきてつまらない記事書いてそれになれ合いでまたブクコメもらってって完全に悪循環に陥ってるよ。こういう反応が返ってきたらブクコメしてるやつらがこぞって批判してくるけどそいつらはあなたを堕落させる当事者たちであってあなたの味方でもなんでもないからね。他のブクマを多く獲得してる記事はだいたい評価を受けてるけどその見返りが結局第一人称に各々返ってくるコンテンツだから評価されてるわけ。評価の質がそもそも違うのよね。他の記事は評価受けられれば受けられるほど自分である第一人称にメリットのある記事になるから評価されることは現実での自己認証にも繋がるわけ。好循環。ちょっと気分よくするだけなら好きな動物出てくる動画をYouTube特集サイトでも駆け巡ってればよっぽど幸せになれるから。何が言いたいかって言うともうやめたほうがあなた自身のためにもなるし私自身哀れだと毎回思わされるから最後にしてほしい。
【追記】
言わんこっちゃない、こうやって即座に擁護コメント付くけどこいつらは自分の玩具である「共有財産」へのコンテンツとしての価値を崩しにかかる行為は絶対に認めない。
あの手この手で話を横道にそらしたり人格批判をすることで話の本筋である本当にそれって必要なことなの?だとしたらどういうメリットがあるの?って核心には絶対に触れさせない。
これはあなた自身を守ってるんじゃなくて単に連帯感や仲間意識の軸であるシンボルを外部の人間にいじりまわされたくないだけ。
あなたのことはこれっぽっちも人間として見てなければ面白い記事を投下してくれる見ず知らずの人間と見てない。単にピーって鳴けば集まることのできる笛程度の認識。
それにももう気づいてるにも関わらず続けてるんだとしたら何も言わない。
お金ももらえず時間も増えず人間的な魅力も増えない記事をこれから永遠に書いてこいつらの玩具を続けたとしても。
私がまたランキングに上がってきたよ邪魔だなと思うくらいの不利益と忠告しないと猿どもの玩具で終わるんだろうなという老婆心くらいここで問題になるものはない。
改めて説明するけどブクマしてるやつらはあなたの記事自体が面白いと思ってるんじゃなくてあなたの記事でブクマが集まるということに対して価値を感じていて、
それに対して各々コメントしていって友達のいないせいで雑談が発生しない現実世界の欲求を満たすためのツールとしての価値しか無いんだよってこと。
Twitterで旬ジャンルのイラストをぼちぼち上げてて、結構評価されて、大手さんから自発とかもらって、最初はすごく嬉しかったんだけど、最近は疲れしか感じなくなっていた。
朝起きて、今日は何描くかバスと電車の中で考えて、授業中考えたものをプリントの裏に落書きして、学校終わって帰ったらごはん食べて、食べ終えたらパソコンつけて落書きを清書して上げる。
毎日ほんとうにその繰り返しだった。ここ二ヶ月、帰ってからお絵描きしかしてなかった。自分の考えたネタや絵にいっぱい反応が来るのが嬉しくて、毎日毎日描いてた。趣味の読書も、買ったゲームも、全然しなくなった。
でもフォロワーが増えていくにつれ、人への嫉妬の気持ちがどんどん膨れ上がってきて、「私よりフォロワーの数が少ないのにこの人は私の何倍ものふぁぼをもらってる」だとか、「こんな漫画でなんでこんなに反応もらってるの」とか、そんなことばかり考えるようになった。無意識に粗探ししちゃって、前みたいに人の二次創作を純粋に楽しめなくなってしまっていた。
そんなんだからRTは当然ミュート、フォローしてる人でも嫉妬の対象になる方はミュート、最終的にはクライアント変えて「pic」で単語ミュート。同ジャンルクラスタの画像を完全にシャットアウトした。
そんでもって私も毎日毎日お絵描きしてたから、ネタの中身が段々薄くなってきていて、最近前みたいにドカンといいねが貰えなくなったなあと思ったところで、あれ私なんのためにお絵描きしてんの?ってふと思った。自己承認欲求の為にキャラを利用してるように思えてきて、(ていうか多分そうなんだけど)自分がすごく嫌になった。
なるべく毎日イラストをあげないと飽きられてしまうみたいな気持ちで追い詰められながらするお絵描きはあまり楽しくなくなっていたし、CPのdisとか、自己投影バリバリのパロとか、誘い受けタグとか、検索避けなしのオープンエロ妄想とか、そんなんばっかのフォロワーを見ているのも嫌になったし、毎日なんだかイライラしていたし、勉強もしなくなったから成績はガタ落ち。Twitterをするメリットよりもデメリットの方が明らかに大きくなっていたことに今更気づいたので、今日アカウントを消した。
これで毎日お絵描きする生活はおしまい。人の二次創作も、それに対する反応も全部見ずに済む。人に嫉妬しなくていい。人を気にせず絵を描ける。と思ったらスッとしたけど、同時にすごい喪失感に襲われて苦しくなった。現実世界の友人知人よりも遥かに多いフォロワーも、2万もいいねをもらったネタ動画も、みんな消えた。でもこのまま苦しみながらお絵描きして、勉強をおろそかにして人生を棒にふるよりかは、かなり、かなりマシだと思った。
これからもそのジャンルの絵は描いていくつもりだし、どうせなら誰かに見て欲しいので、自サイトを整備した。しばらくはそこで引きこもりながらゆっくりとお絵描きしていきたい。
しかし、内容的に増田にしか書くことができないのだということをわかってほしい。
立場を明かして書くこともできなければ、書いたところで誰かが得をするものでもない。
とうとう死体蹴りプロ山本一郎氏にまで言及されたパチンコ業界。
それを認めんとしないがために起こってしまったのが今回の不正釘問題といっても過言ではない。
つまりもう、そうでもしなければこの業界は成り立つことができない状態にまで陥っているのだ。
滅びの始まりはミリオンゴッドが社会問題として取り沙汰された頃だ。
ミリオンゴッド自体が巻き起こした社会問題もさることながら、過度なギャンブル性を抑えるために適正な検査が行われているという前提に疑いの目が向けられてしまう最初の大きな事件だっといえよう。
それ以前から業界の中では検査体制がザルだということは周知の事実だった。
そこを最低限の損失で切り抜けることができたのは、あの時まだ多くの既得権者によって業界が守られていたからだ。
それから時間をかけて少しずつ是正が行われたものの、その当時、ミリオンゴッドを始めとした一部の機種を回収したのみで他の問題へと言及が進まなかったのは、様々な方向からの配慮があったからにほかならない。
パチンコ業界が存続することによって守られる既得権のための配慮だ。
多少乱暴な物言いにはなるが、それは即ち既得権の崩壊でもあった。
単純に、パワーバランスが崩れたことによりパチンコ業界を守ることによって得られるものより失うものが上回ってしまう状況に変わってしまったということである。
この時、事実上パチンコ業界を各方面からの圧力から守っていた後光は失われたのだ。
そこに止めを刺しにかかっているのが、新勢力であるカジノ部隊だ。
単純に言えば、彼らは新しい利権をつくり上げるために過去の既得権を崩壊させようとしているのだ。
しかし、そのためには事実上既存のギャンブルと言えるパチンコによる依存症問題などの社会問題を解決する必要がある。
既得権を奪うよりも新たな利権を作りあげることで既得権を崩壊させる。
つまりはこれを盾に業界縮小を迫るということは一石二鳥な戦略といえるわけなのだ。
しかし結局はどちらに転ぼうとも消費者を無視した利権争いでしかない。
消費者を守るためなどと言いながらも、消費者や民間企業とその労働者達がどうなろうとも彼らには関係のないことなのだ。
この動きをいち早く察知した業界の一部メーカー、ホール企業は、もうすでにカジノ運営やマシンの開発に乗り出している。
そのことも、業界の未来が明るくないことを示唆するに十分な証拠と言えよう。
そうした利権争いに挟まれている間に、パチンコ業界は大きな見込み違いをすることになる。
それがスマートフォンの普及からなるソーシャルゲーム業界の台頭だ。
パチンコの魅力=「刺激による中毒性」と考えていたパチンコ業界は、ソーシャルゲームから得られる自己承認欲求という中毒性を軽視しすぎていた。
父親世代がパチンコで騒音と煙草の煙にまみれながら散財していく姿を見ていた若者たちはその存在を忌み嫌い、しかし抗えない中毒性を求めソーシャルゲームへとはまっていった。
そこにパチンコの既存客の奪い合いが激化したことによる高単価が進んでいくことで、若者たちの獲得はより困難になっていったのだ。
パチンコの来店動機で常に最上位にある動機を知っているだろうか。
それは「立地」だ。単純に家から近い店を選んでいるにすぎないのだ。
当然それだけではない。設備や快適さ、信用度などが加わって最終的に利用する店が決まる。
しかし、アンケートをとってみれば常に最上位にあるのは単純に「通いやすい」という理由だけなのだ。
このことはパチンコを経営する人間であれば、企業努力の全てを無駄と思わせかねない認めざるをえない周知の事実だ。
いわばパチンコとはそれだけ気軽で身近なレジャーと言える存在なのだ。
それなのに皆が総じて見落としたのだ。もっと気軽で、もっと身近なレジャーと言える存在を。
インターネットさえつながることができればどこにいてもいつにおいても刺激と自己承認欲求を満たすことのできる存在を。
いや、言い換えればはじめから打つ手がなかったのかもしれない。
パチンコで自己承認欲求が満たされることに対して違和感をお持ちだろうか。
ならば問うが、パチンコで最も得たいものは果たして大金といいきって良いのだろうか。
当然、参加者全員が儲かってしまえば業界そのものが存在できない。
一部プロと言える人間をのぞいて、大半は単なる1ファンが支えているのがこの業界だ。
つまり、負け続けても通い続けるファンによって支えられているのだ。
単純にお金を失いたくないのなら、貯金箱に入れて定期的に引き出せば良い。それで満足できる金額を得られるはずだ。
しかし彼らはそうはしない。
なぜなら、そこに自らの運の強さという自己顕示欲を求めるからだ。
つまり、10万というの金額を得たいのではなく、10万というの金額を得ることのできる自らの運の強さを実感したいと言えるのだ。
普段生活をしていて、半日程度の労働で10万円という対価を得られることがあるだろうか。
当然、普通はない。
ギャンブルに参加するという行動が伴うことによって、それだけの価値を得ることができるという自らの能力としての実感を引き連れてくるのだ。
このことと、ゲームを圧倒的に優位にしてくれる1/1000のレアを引き当てた瞬間の運の強さを実感することとどこに違いがあるというのか。
これこそがパチンコ業界の多くの経営者が見落としている、ファンが求める自己承認欲求の部分である。
当然誰もがそのことに気づかなかったわけではない。
一部のメーカーがそうした要素を取り込もうと努力をしたのも事実である。
しかし、残念なことにすぐに規制によって廃止せざるを得なくなってしまった。
その道を進むことができなかったことは、つまり業界がすでに後光を失ってしまったことを再確認したにすぎないことだったのだ。
大半の業界人が予想している通り、今回の不正改造問題についてこの業界が少ないダメージで切り抜ける方法はもう残されていない。
今の今まで、とっくに失われていたはずのギャンブル性だけで業界はこの規模を維持し続けてきたのだ。
しかし、それを失った今、残された道は縮小だ。
射幸性を失ったことにより去っていくファンをつなぎとめることはもうできない。
そうして業界全体がこれから払うべきツケは新規客の獲得を疎かにし続けたことだ。
ポケットの中にいつでも気軽に得られる自己承認欲求を持った人間の足を、騒音と煙であふれる実店舗に向かわせるという余りにも困難な命題を抱えているのだ。
このことを詭弁というのは構わない。
しかし、業界が緩やかに縮小していくであろうと言う予測も、最早欺瞞だ。
経営者はそのことを少しでも早く認め、今の人材たちに未来を準備する責任がある。
これこそが今回最も言いたいことの一つでもある。
なぜなら、これは何もこの業界に限った問題では無くなっていくからだ。
ある程度の年齢、ある程度の家族を持つ、他の業界では流用の効かない知識・技術をもった人間が世の中に溢れ出るのだ。
これは、労働に携わった人間だけに責任を求めるべき問題ではない。
例えばソーシャルゲーム業界が突如規制によって崩壊したらどうなるか。それとなんら変わらない問題なのだ。
このツケだけは、業界だけでは払いきれないということだけは皆に理解していて欲しい。
一人の日本国民として切に祈っている。
山盛りなんとか氏みたいに自分は俯瞰的な視点で物を見ているみたいなクソ中年の
意味の分からないこじつけブログ、しかも解決策も提案も無しのオチ無し記事、
こういうのが量産されることで神風に対する風評被害拡大と日本に対するイメージダウンの発生について問題視している。
「ちょっと待って?自爆テロは日本がやってきたカミカゼと一緒じゃないの?」
とかアホでゲロくさくて思慮が浅くてアクセス数欲しさに急いで書いちゃったブログのタケノコが蔓延しちゃったせいなわけだが。
神風特攻隊の人間は遺書を書いたが、そのどれもが死にたくないけど守るためにいかなくちゃいけないという思いが書き綴られている。
自爆テロのようなファッキューお前ら皆殺しみたいな動画投稿サイトのようなラリった精神で挑んでいない。
極めて人間的でかつ悲観的な中で実行されている。
その故人たちの行為と意志が弱くまともな対抗手段を思いつこうとせず脳死した中で実行される卑劣な自爆テロと同列に扱うとは、一体何事か。
特攻隊員の尊い犠牲のもとに今の日本がありGHQに完全支配されずに植民地化、アメリカ合衆国の州化されなかったというのに、
子供の大好きなことを応援する親ってとても素敵な親だと思うのです。
今も名古屋の地下鉄を研究して回る子供を紹介したブログがブクマを集めています。
そのブコメを見てみると、子供のがんばりを褒めると同時に、理解のある親に対する称賛も並びます。
でもなんか変。前回から違和感を覚えていたのだけど、今回その正体がわかった。
写真だ。
普通ならばホームのどの位置にエレベーターがあるかなんて把握できてない。
だったら、電車を降りてエレベーターを探し、撮影してその場で乗り込むっていうのが自然な行動になるはず。
それならばガラスや鏡に写る背景に、母親も写っていないと変なんだ。
第二に、写真に失敗が目立つということ。
母親のブログを見るに、どの写真も構図が比較的しっかりしていて撮影能力は中級者程度持っていることが伺える。
でも、子供の写真は手ブレが目立ったり、構図も角度が狂ってるものが多かったりと、とても初歩的なミスが多い。
エレベーターを記録する上で、写真ってとても重要な要素だよね。
だから、母親にエレベーターの知識がなかったとしても、ある程度写真技術があればまずは撮影の仕方からレクチャーすると思うんだ。
この2つの点を考えると、どうにも母親が同行していると思えないんだよね。
当然これだけのことを子供だけにさせたら親に批判がくることは目に見えている。
でも子供の頑張りを知って欲しくてブログに書いたのであれば、実はあんなに良い親アピールっていらないはずなんだ。
だって、子供が全部一人で頑張りましたって書いたほうが、子供が褒められて親として誇らしいはずだから。
”遠出は危険なので逐一同行はしましたが、親としては一切手を貸していません。”
親が協力したことなんて、こんな注意書き一つ小さく書いてあれば十分じゃないかな。
「子供の頑張りを応援する素敵な母親として評価されたい。」っていう欲求を満たすこと以外にないんだ。
ブログという自己承認欲求を満たす道具だからしかたがないことなんだけど、これもまた現代に形を変えた「親の子食い」的図式の一つなんじゃないかな。
増田を書いていると、不思議とブクマが伸びていく中で、必ずと言っていいほどゴマすりブコメがつく時がある。
別段スターを欲しがっているわけでもなく、かといって匿名の増田にゴマをすってもどうにかなるわけではない。
最初のうちは自分のことを有名増田作家かもしれないとあたりをつけてるのだろう程度に思っていたのだが、先日その正体が判明した。
わたしの書いた増田に大物ブクマカーがブクマをつけたかと思ったらその後急激に伸びを見せ一気に50ブクマ程度まで伸びたのた。
ところがその増田ははてなのカテゴリは愚かホッテントリにすら入らなかった。
おそらくはNGワードを使ってしまったことが原因と思われるが、残念なことに生まれると同時に村八分だったのだ。ナチュラルボーン村八分だ。
しかし、どうしてそんな状態でブクマが伸びたのかが一向に疑問だった。
増田を使って色々聞いてわかったことは、どうやら民度の高いブクマカーがブクマしてくださったおかげでそのフォロワーたちが見に来てくれたらしいということだった。
その時の大まかな流れはこうだ。
その後2流ブクマかーがワラワラとわいてきて、大物ブクマカーにスターをつけながら賞賛コメントを残す。
さらにその後に無名ブクマカーが押し寄せてきてスターとコメントを残していくといったものだ。
そこで大量に見つけることができたのだ。無名ブクマカーによるゴマすりブコメを。
これでわかった。
このゴマすりは、要するにフォロー元の大物ブクマカーに対するゴマすりだったんだ。
「こんなステキな増田にブクマするなんて流石ですね先生。」と。
わたしの増田は一瞬にして大先生を褒めちぎる会の会場に変わってしまった。わたしの増田という今宵の肴を会場の中心にして。
流石にこれには吐き気がした。
そこにわたしの人格は不要なのだ。そこにただ先生が気持ちよくなれるだけのネタがあれば良いのだ。
わたしを集団で強女女女した挙句、わたしのことには一切触れずわたしというターゲットを見つけた大先生だけを褒め続けるようなそんなおぞましい空間がそこにはあったんだ。
はてなを普通につかっている限りでは、先着で付いて行くブコメの中で普段顔の見えないスターを掘りおこしてみることでもなければそこにコミュニティの流れを感じることはなかった。
しかしはてなにも存在していたのだ。こんなにも気色の悪いコミュニティが。
なにせこいつらは肥大した自己承認欲求がさらに塊となった存在だ。
頭頂に大物ブクマカーをのせて歩く巨大な自己承認欲求の塊なのだ。各々に称賛のコメントを口にしながら。
そうしてインターネットの海でターゲットを見つけては、自らの快楽のために蹂躙していくんだ。
最近の増田ブクマカはこういう記事を扱ってくれなくなってしまったのでこれも闇に葬られてしまいそうだが、どうせ民度の高いブクマカーが見てるであろうってことで書いておく。
を読んで。
ワロタ。てか、10年近く前にはてなで流行った非モテ論争を思い出した。
モテている、結婚のできた、承認欲求の満たされた女が気に入らないから席を譲らない
って頭の悪い理由に嗤った。
しかも叩いている相手が女(妊婦)だけってところでウーマンヘイト、あるいは男の自己承認欲求の強さを感じて、
更に嗤う。
列車の運行を妨げない、もしくは妨げる要因を少しでも減らす為、
以外の何物でもない。
その妊婦が幸福だろうが美人ブス関係なく、また不幸な(DVや強姦被害による妊娠等の)状態にあろうが、関係ない。
急いでいる電車で、妊婦が急に具合が悪くなって「停止ボタン」を押す羽目になったら、嫌だもん。
俺、行き先に急いでるんだから。
それ以外のなんの理由もない。
好きでもない。嫌いでもない。憎しみもない。ただ、関心もない。恐らくは、感心も。
友人知人が妊婦で、ってんなら多少は関心も持つし、自分の好感の持つ人が妊婦であれば普通に安産は祈念するけどね。
自分の不幸(元増田の場合は容姿によるコンプとそれを拗らせた変なベクトルの女叩き)を相手に投影するほど、妊婦にも、また美人にもブスにも美男にもブサ男にも
関心はないもん。
自分に配られたカードはもっと良いものが良かったという気持ちは多くの人が大なり小なり持っていると思う。
もっとイケメンに生まれたかった、金持ちに生まれたかった、頭が良く生まれたかった
自己を承認するには、これらの欲望を捨てないといけないと思う。
なぜなら、こういう欲望があると「どうして自分は○○でないのか」「○○が良かった」という感情が生まれてくるから。
東京に近いところに住んでいれば参加できたかもしれないイベントをいくつ逃してきたのか。
やっと東京に出てきた頃には就職しており、仕事の関係で満足に参加することもできない。
仕事は生活の糧だ。一番大事である。大事であるが悔しくて仕方ない。
田舎に生まれた自分を承認しようと思っても、シャッター街だらけで買い物も出来ず、ねちっこい人たちが跋扈する、何の魅力も無いクソ田舎生まれ…と考えると寂しいやら腹が立つやら。
いわゆる「自分が嫌い」というやつなんだと思う。
自分のことをブスって言いながらコス画像UPするのをやめませんか。
例えばイラストを描く人は絵と文と写真だったら絵なら表現できるものが多いから使ってるんでしょ?
自分の容姿っていう自信のある手段を使ってるんだから「私かわいいです!かっこいいです!」って言えばいいのに。
コスプレ自体はきっと楽しい趣味だと思う。自分の好きなキャラと同じ服を作って同じ髪形をして、ポーズをとって表情を取り繕って。それで出てくる言葉が「私ブスなんで><」なのは本当に救いようがない。「そんなことないですよ~><」って言われたいの?よく馬鹿にしている一般人の女の子と同じだね。
自分の満たされない欲求や現状の不満の解消に同一化を使えるのは高校生まででは。
イラストの無断転載だとかグッズの無限回収だとかと同じ自己承認欲求がめんどくさい方向に進んだ人と同じ気配を感じる。
いいじゃない。好きでやってるんでしょ?楽しくて楽しくて仕方ないんでしょ?好きなことしてるんだから、もっと楽しそうにしたらどうだい?
1. 「インターネットで勝利」の定義を「はてブにおいて擁護してくれる人が多いほうになる」とする。
1-1. 「はてブだけがインターネットのすべてではない」という反論に対しては、「然り。しかし、はてブユーザーにおいてははてブがザ・ワールドである」と答える。
1-2. 「はてブは左翼の巣窟なので左翼的な立場をとれば多数派を取れるのでは?」という意見に対しては、「概ねはそうなんだけど、でも世の中ってそう簡単にいかないことが多いよね」
2. 被害者になるとみんな贔屓してくれるのではないか、という仮説。
2-1. 意外と有効ではないかもしれない。
2-2. 被害者であることにかまけて自分の論をおろそかにしていると「どっちもどっち」とやっぱり叩かれる。
2-3. いい忘れたがここで言う被害者は「まともなことに言ってるのにも関わらず叩かれているかわいそうな人」ではなく、「論の正誤に関係なく、キチガイにからまれているかわいそうな人」である。
2-3-1. キチガイの生態は多様である。正論を間違った方法で垂れ流すタイプのキチガイもいれば、間違った論を理性的な方法で垂れ流すタイプのキチガイもいる。
2-3-2. キチガイとは性格や性質ではなく、態度の属性である。
2-3-3. ネットにおけるキチガイは以下の条件のうちの二つ以上の要素を備えた人間である。:「極度にしつこい」、「罵倒癖、暴言癖がある」、「自らの知識、知見に疑いを抱かない」、「対話を求めていないにも関わらず議論好き」、「(於twitter)フォロー外からリプライを飛ばそうとする」、「知り合いでもない人間についてよくその人間性を語りたがる」、「特に罵倒するときの主語が大きい」、「猫派」、「顔面が醜い」、「アニメアイコン」
2-3-4. ネットにおいてキチガイではない人間は喋らない人間である。
2-3-4-1. しゃべりさえしなければ、どんな行動をとってもキチガイとは認定されない。
3. 正しいことを言えば、勝てるとする説
3-1. 小学生でも少し考えればわかるだろうが、勝てない。
3-2. 正義は相対だから、だとかそういう問題ではまったくなく、そもそもネットの議論とは議論ではなく喧嘩であり、そこで問われるのは演技力と戦闘力なのだ。
3-3. 仮にあなたが選ばれしものであり、神の真理に基づいて絶対的に正しいことを言ったとしても、勝てない。なぜならはてブは、インターネットは、世界はその真理を理解できるだけの知能や判断力を持たない。
3-3-1. 聴衆の知性には限界がある。
3-3-2. ネットの議論において重要視されるのは論理ではなく、感情である。
4-2. それが倫理や社会正義や実利に悖っていたとしても、とにかくその人の現状さえ肯定してあげればその人はこちらになびく。
4-3. 逆に人は「自分の現状を否定することば」には徹底的に反発する
4-3-1. これを避けるのは難しいが、以下の三点に気をつけていただきたい。:「議論相手を属性づけしようとするな(した途端にその属性の人間は相手方に雪崩れる)」「相手の人格を否定するな(人格否定は常に属性づけを伴う)」、「わら人形を作るな(同左)」
4-4-1. 難しい。
4-4-2. そもそも議論相手という実体をもった相手に対して応対しつつ、オーディエンスの反応まで伺うのは疲れるし、それ自体特殊なセンスを要する。
4-4-3. そういうことをぜんぶ同時並行的にやれる人間を、ぼくらはプロと呼ぶ。
4-4-4. ここに、ぼくらはプロではない、という絶望が生まれる。
5. 結論。
5-1. ぼくらはインターネットで議論すべきではない。戦うべきではない。
5-1-1. ぼくらはプロではない。よって、インターネットの議論には勝利できない。
5-1-2. ぼくらはプロではない。よって、プロには勝てない。
6. 今後の課題
6-1. いかにして戦闘をさけるか。