1. 「インターネットで勝利」の定義を「はてブにおいて擁護してくれる人が多いほうになる」とする。
1-1. 「はてブだけがインターネットのすべてではない」という反論に対しては、「然り。しかし、はてブユーザーにおいてははてブがザ・ワールドである」と答える。
1-2. 「はてブは左翼の巣窟なので左翼的な立場をとれば多数派を取れるのでは?」という意見に対しては、「概ねはそうなんだけど、でも世の中ってそう簡単にいかないことが多いよね」
2. 被害者になるとみんな贔屓してくれるのではないか、という仮説。
2-1. 意外と有効ではないかもしれない。
2-2. 被害者であることにかまけて自分の論をおろそかにしていると「どっちもどっち」とやっぱり叩かれる。
2-3. いい忘れたがここで言う被害者は「まともなことに言ってるのにも関わらず叩かれているかわいそうな人」ではなく、「論の正誤に関係なく、キチガイにからまれているかわいそうな人」である。
2-3-1. キチガイの生態は多様である。正論を間違った方法で垂れ流すタイプのキチガイもいれば、間違った論を理性的な方法で垂れ流すタイプのキチガイもいる。
2-3-2. キチガイとは性格や性質ではなく、態度の属性である。
2-3-3. ネットにおけるキチガイは以下の条件のうちの二つ以上の要素を備えた人間である。:「極度にしつこい」、「罵倒癖、暴言癖がある」、「自らの知識、知見に疑いを抱かない」、「対話を求めていないにも関わらず議論好き」、「(於twitter)フォロー外からリプライを飛ばそうとする」、「知り合いでもない人間についてよくその人間性を語りたがる」、「特に罵倒するときの主語が大きい」、「猫派」、「顔面が醜い」、「アニメアイコン」
2-3-4. ネットにおいてキチガイではない人間は喋らない人間である。
2-3-4-1. しゃべりさえしなければ、どんな行動をとってもキチガイとは認定されない。
3. 正しいことを言えば、勝てるとする説
3-1. 小学生でも少し考えればわかるだろうが、勝てない。
3-2. 正義は相対だから、だとかそういう問題ではまったくなく、そもそもネットの議論とは議論ではなく喧嘩であり、そこで問われるのは演技力と戦闘力なのだ。
3-3. 仮にあなたが選ばれしものであり、神の真理に基づいて絶対的に正しいことを言ったとしても、勝てない。なぜならはてブは、インターネットは、世界はその真理を理解できるだけの知能や判断力を持たない。
3-3-1. 聴衆の知性には限界がある。
3-3-2. ネットの議論において重要視されるのは論理ではなく、感情である。
4-2. それが倫理や社会正義や実利に悖っていたとしても、とにかくその人の現状さえ肯定してあげればその人はこちらになびく。
4-3. 逆に人は「自分の現状を否定することば」には徹底的に反発する
4-3-1. これを避けるのは難しいが、以下の三点に気をつけていただきたい。:「議論相手を属性づけしようとするな(した途端にその属性の人間は相手方に雪崩れる)」「相手の人格を否定するな(人格否定は常に属性づけを伴う)」、「わら人形を作るな(同左)」
4-4-1. 難しい。
4-4-2. そもそも議論相手という実体をもった相手に対して応対しつつ、オーディエンスの反応まで伺うのは疲れるし、それ自体特殊なセンスを要する。
4-4-3. そういうことをぜんぶ同時並行的にやれる人間を、ぼくらはプロと呼ぶ。
4-4-4. ここに、ぼくらはプロではない、という絶望が生まれる。
5. 結論。
5-1. ぼくらはインターネットで議論すべきではない。戦うべきではない。
5-1-1. ぼくらはプロではない。よって、インターネットの議論には勝利できない。
5-1-2. ぼくらはプロではない。よって、プロには勝てない。
6. 今後の課題
6-1. いかにして戦闘をさけるか。