はてなキーワード: 育児支援とは
blogは読んどらんが、母親がただのクソDQNだと思うんだよな。なぜ立ち往生する(子どもの安全が確保できない)状態になって開き直ることが出来るのか?
父親もおそらく同じレベルなのだろうし、親として不適格な人をバンバン通報>親権停止に出来るシステムが日本にできればいいんだけどなぁ
ただ現実はどんなに幼稚で親として不適格な人物であっても、事件が起こる前、明確な虐待がない場合は、通報できないので、
周囲が子どもを危険から守るために出来る事としたら、親に地方自治体がやっているベビーシッターサービスを勧めるくらいか
公費で毎月特定の時間まで無料で24/365で預けることが出来るので、
とかするといいと思います
一例↓↓↓
ベビーシッター利用支援事業(一時預かり利用支援) 東京都福祉保健局
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/hoiku/bs/bsitijiazukari.html
かわいそうな子どもを危険な目に遭わせないために、根性論ではなく、こういうサービスで積極的にフォローする必要はあるが、
DQN親を教育しないとマジでダメだぞ。萎縮させたらかわいそう><とか寝言言ってる場合じゃない
毒親に育てられた子どもは、無就業者になったり、最悪は犯罪者になるし、
『育休中のリスキリング支援が叩かれる理由がわからん 』を書いた増田です。
じゃあまず夫婦2人で育休とれるようにして、長時間労働しなくても生きていけるようにして、育休中でも保育園に預けられるようにして。という、リスキリングの前の切実な問題が山積みだからでは
トップコメでかつ一番多かったタイプのコメントですね。元の増田でもすでに追記しましたが今後の育児支援政策はそちらに重点が置かれると説明されています。またリスキリングの支援は育児支援の枠組みではなく様々な背景を持つ人に対して提供される支援であり、その一例として『育児休業を取得している人』が出てきているに過ぎないので育児休業を取得している人に対する支援が育児支援の予算から支出され、上記のような支援を圧迫することはないかと思います。私が書いた主張としても、政府としてリスキリングを支援するのであれば育児休業中であってもできる環境にある人については支援されるべきで、その可能性を頭から否定すべきではないという内容なので上記の主張をする方々と相反する点は元々存在しないと思います。
「そういうとこやぞ」としか。妻の育休は基本ワンオペなのに、夫は妻の育休中に取ることが多いんだよね。それもたった1ヶ月。妻がリスキリング出来るとしてその1ヶ月だけしょ?(夫が半分以上やる前提(※怪しい)で)
類似のコメントとして妻に負担をかけて論文を書いていたはずだとか勝手な妄想で叩いているコメントがあったのですが、論点ずらしにもほどがあります。流石に腹が立ちました。そもそも論として出産して退院直後の女性は家事ができる状態にありません。私が育休を取った理由はとにかく退院後は安静にしていてもらうことであり、産後3週ごろに復帰するまでは授乳のみをお願いしていましたし、育休期間中の単純な家事労働時間の負担については私のほうが大きいです。授乳のみだと!2時間毎だぞ重労働を押し付けやがってというコメントが予想されるので一応書いておくと、育休中、復帰後も夜間は睡眠時間をずらして対応していました。例えば22時に授乳して22時30分に妻が就寝した場合、24時と27時にミルクを与えることで30時までは寝られるので7時間半睡眠を確保できます(もちろん思い通りにいかないときもありますが)。仮に育休明けたとしても24:00の授乳は対応できるので、授乳間隔が伸びていくに連れてある程度は連続した睡眠を確保できますね。また夜間のミルク待ち時間は(昼間に家事を終わらせていれば)いろいろな作業にあてられます。
後お前の妻はどう思ってるんだというコメントですが、退院後ひたすら休ませてくれたのでありがたかったとのことです。リスキリングはしてませんが、育休を機会に中断していた趣味を再開したとのことです。
夫が育休取れるくらい恵まれた環境の人は勉強してさらに稼げるようになり、ワンオペで何とか回してる人はそのまんまなのでどんどん格差が広がりそう。
学習の支援は育児休業の期間のみではなく生涯学習が前提なので各人のライフサイクルに合わせて学習されるのがよいのではないかと思います。他人より良い生活をしたければ人生のどこかでは努力が必要ですし、努力ができるタイミングが増えるのは喜ばしいことなのではないでしょうか。
資格等の取得は過程でしかなく、実際に業務に活かせたことをアピールした方がいいと思います、が不尽なこともあるのはお察しします。ただ転職の選択肢ができる分努力は無駄にならないと思います。
そして経営者感覚(キリリとか抜かしている非経営者が更に馬鹿なことも。
「国が率先して休み中に勉強することを推し進めている。休んでいるときに勉強しないのは非国民」
っていう発想だぜ?
「休み中に自分で勉強するのが社員の責任。休みは個人の時間である。つまり社員は個人として自主的に勉強するものであり、会社が支援する義理はない」
ってことになるんだよ。
分かるか?
「国がそれを後押しているんだからやるべきだ」
「休み中にただ休んだだけの奴がどんな目にあってもそれは会社の責任ではない」
「会社は社員が育休を取る自由を認めているから育児支援をしている」
「だが育児支援をしたことで周りの社員に迷惑がかかることで発生した恨みつらみは個人が追うべきだ」
みたいなのをさ、自分に都合の良い四捨五入みたいのを繰り返して、全部自分に都合の良い方向にバラバラに考えてから足すんだよ。
「(0.55×10)-(0.4.5×10)」を、まともな人は「5.5-4.5=1」と計算できるけど、バカは一つずつ四捨五入してから足すから「(0.55×10)-(0.4.5×10)=(1×10)-(0×10)=10」って計算するんだよ。
政治なんて結局は官僚がやってるだけで、政治家の仕事はそれを分かりやすいお芝居として表現することでしかないんだから、そのお芝居で変な誤解を生んじゃ駄目なんだよ特にバカの誤解を。
バカどもに変な考えを吹き込まないよう発言に配慮することこそが、役者としての政治家の使命なんだよ。
バカに変な勘違いをさせるようなセリフを吐くことは、政治家としてやっちゃいけない事なんだよ。
無理にシンプルにせず、バカに「これは四捨五入するの無理だな」とちゃんと諦めさせるようにするか、最初からそういう余地がないような物を投げるべきなんだ。
それが出来てないことが批判されているんだよ
増田はずぶの素人なので間違っていたらがんがん指摘してほしいぞ!
件の舞台となったグループホームを公式の社会福祉サービスに位置づけると,障害福祉サービスの訓練等給付の共同生活援助にあたる……はず.
行政の認定を経た上で,施設利用者と施設の契約の形でサービスが開始されるよ.
利用者も一応利用料を支払うけど,収入によって上限があって多くの場合無料〜低額で利用できるよ.
施設側には報酬単価が設定されていて,行政からの補助金が入るようになっているよ.
ほんで,サービスの目的はあくまで「利用者本人の自立した日常生活」であって,利用者が子供を持つこと,その子育てを支援すること,言い換えると「親子の自立した日常生活」支援はそもそも想定していないよ.
現行の制度の対象外の独自サービスだと補助金は出ず,施設の手弁当になる以上,福祉サービスの財政構造だけをまず考えれば子供を持てないようにするという施設側の対応も致し方ないというのが増田の感想です.法的・倫理的問題はさておいて.
子供できちゃったカップル(含夫婦)にグループホームからの退所を迫れるのか,知的障害者カップルの養育困難を「ネグレクト」として強制的に親子分離させていいのか,知的障害者のリプロダクティブ・ライツを保障するような制度を新たに作るべきかどうか,それよりも重度知的障害者向けの施設の拡充にリソースを向けるべきなんじゃないか.
かなり重要な論点として,知的障害者(児)の性教育問題があるよ.
どんな人でも,どんなことでも,教えられなきゃ分からないしできないと思う.
詳しくは2000年代のバックラッシュ時代に起きた「七生養護学校事件」で検索だ.
http://www.kaigoseido.net/topics/09/pdf/090701ikuji-shien.pdf(2009年の旧通知)
https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/258285.pdf(2021年の現行通知)
軽く調べただけなのでアメリカ出羽守になるが,人権大国()のアメリカさんでも別にグループホームの知的障害者のリプロダクティブ・ライツが確保されているかというとそういうわけでもなさそうだぞ.
ニューヨーク州法を見てみると,施設入所者の性的権利(性的情報・家族計画に関する情報へのアクセス権,性的表現権,避妊・妊娠に関する決定権)が明記されている.
しかし同時に,施設マネジメントの一環として,性的権利行使の時間と場所を制限する権利を施設側に与えている(N.Y. Comp. Codes R. & Regs. tit. 14 § 633.4(xi)).
カップルでの入所が保障されているかというとそうでもなく,入所を拒否される場合もある.
また,性的権利能力がないと判断されたため,性的行為に及ばないように職員から監視された入所者が訴訟を起こした例もある.
知的障害者の親の親権剥奪の問題になるが,2001年のVaughn対Ruoff判決では,優生思想ががんがんに流行っていた時代の1927年のBuck対Bell判決を引用して強制的な不妊手術は行政の利益のために必ずしも否定されないとしている.
ていうか親権の条件として不妊処置を求めるっていうのすごいよな.
ちなみに判決自体はデュー・プロセス(適正手続)の問題として行政側が負けているよ.
とりあえず知的障害者のリプロダクティブ・ライツ問題は本邦に限られなさそう.
SNS(主にTwitter)では子連れ(正確には育児世帯)を『子連れ様』と揶揄してバッシングする人達がそこそこの勢力で存在している。気になるのであれば、Twitterで子連れ様と検索すれば育児世帯や育児アカウントを口汚く罵る人達がワラワラと出てくるので調べてみると良い。しかもこいつらのたちが悪いところは自分達だけで盛り上がっていればいいのに育児アカウントにイナゴのように群がって叩くところで、ヘイト集団として社会に認知されて欲しいと思っている。
以下では、育児ヘイトクラスタ(とこの記事内では便宜的に呼称する)の典型的な主張を紹介する。ついでに該当しそうなTweetも張っておくが、本当に氷山の一角で類似ツイートは大量に存在する。
育児は個人が勝手にやっていることなので税金や国債でまかなうのはおかしい、という半世紀遅れた価値観で他人に暴言を投げつけている。国内の主要政党は程度の差こそあれ皆出産・育児支援の拡充を公約に為ているにも拘わらず、自分たちの意見が正しいと信じて疑わないのは頭が非常に残念。
https://twitter.com/gupzrdmvlnmrhuh/status/1576930178135379975?s=46&t=ysedq4CrtR7MX4dRGCbk3Q
https://twitter.com/ymshadows0320/status/1577952954182561792?s=46&t=ysedq4CrtR7MX4dRGCbk3Q
例のスタバ増田を邪悪にした奴とか、公共交通機関ではベビーカー畳め、エレベーターでベビーカーが優遇されるのはおかしい、といった主張を繰り返している。主張は自由だけど、自分たちが社会の流れに反しているということは自覚した方が良い。
https://twitter.com/obakabokumetu/status/1559461624028602368?s=46&t=ysedq4CrtR7MX4dRGCbk3Q
育児アカウントのちょっとした愚痴に対して、イナゴのように乞食だの親失格だの出産は免許制にしろだのといったコメントを引用RTで投げかけているのをよく見る。これについては叩かれている育児アカウントを晒すことになるので引用は控えたいが、まあ探せばふつうに見つかると思う。昨日も発達障害の子供を育てている母親に集団で噛みついていて気分が悪かった。
当たり前の話として、出産・育児の行われない社会は持続的ではないです。元増田は子供たちが将来納税をして現在の非子持ち世帯を支えるという点に着目していますが、仮に日本中から石油が噴き出して納税の必要がなくなったとしても子供が産まれない社会はいずれ滅びます。社会が自らを持続させるためには、出産・育児のコスト(これには税金を使ったサービスなどの見えやすいコストだけではなく、子連れに対して寛容な公共空間の構築などを含みます)を払い続ける必要があります。
一方育児ヘイトクラスタの中には出産や育児のような個人的な行為のためになぜ自分たちが損をしなければいけないのか、というような主張を恥ずかしげも無くする人達がいます。確かに出産や育児はミクロな観点で見ると自身の子孫を残す個人的な行いですが、マクロ的に人口減少は大きな社会的問題であり、社会の有 あり方を議論する際に個人的な側面のみを持ち出すのは詭弁です。はてなでも似たような主張を展開する人が居ますが、今後は「俺は社会の持続性には興味がないので出産・育児コストを負担したくない」と主張してください。また選挙の際には同様の主張をしている政党に投票されることをお勧めします。まあそんな政党があれば、ですけど。
https://anond.hatelabo.jp/20220927205318
に関連して、
ヨッピーの「赤ちゃんは何を基準に親を判別してるか」の記事を見て思ったこと
https://magazine.cainz.com/article/97602
赤ちゃん」という生き物はたいへん面白く、とにかく成長が早いので日々驚かされる。
寝がえりを覚えてハイハイをはじめたかなーと思ったら、すぐにつかまり立ち、つたい歩きまでするようになった。出来ることがどんどん増えてゆくのだ。
これ今5歳児を育ててる身としてはまったく同感で、
特に誕生直後~3歳くらいまでは、できる事がどんどん(それこそ一日ペースで)増えて、「もうこんな事ができるようになったのか!」と驚かされる毎日なのだ。
自分で食事できるようになったり、着替えられるようになったり、歯磨きできるようになったりと、どんどん親の手がかからなくなっていく。
(これが4歳を過ぎると、ウソつくようになったり、言う通りに動かなかったり(あえて逆らって親の反応みて楽しむ)、少し思い通りにならないと癇癪起こしふて腐れたりたりと、自我が発達するにつれ手がかかる部分も出てくるが、全体的には手がかからず楽になっていく)
育児しながらフルタイムで働いてて、保育園は6時までに迎え行かんといけんので残業できないし、(最近はなくなったが)頻繁に発熱して自宅で看ないといけず休みとったりで、子の誕生以来は周りの子無し職員よりもだいぶパフォーマンスが落ちて(なにより仕事より育児のほうが楽しくやりがいがあるので、仕事に対するモチベーションが落ちてる)周りに負担かけてる部分もあるが、
組織のトップが育児支援・少子化対策を唄ってることもあり、「子を育ててるから」という大義名分がたち配置や仕事量で考慮してもらいなんとかなっている。
同僚に年老いた親を自宅で介護してる職員がいて、彼女はとても大変そうだ。
うちの職場には有給休暇と別に「子の看護休暇(上限年間5日)」があるが介護休暇は無く、育児に比べて上司や組織からの配慮も少ないように見える。
自分の両親は健康で、たまに子(孫)の世話を見てもらってるくらいなので、老親の介護がどのくらい大変なのかはわからないが、とにかくいつも疲れてるように見えるので、大変なのだろう。(体だけ悪かったり、体と認知とも悪かったりで、人によるんだろう)
育児は子の笑顔や生命力に触れてかわいさに癒され楽しいこともあるが、介護は・・・どうなんだろう?楽しいこともあるんだろうか?わからない。
プロの介護士が90歳の老婆から「そんなこともできないのか、バカ」と憎まれ口を叩かれカッときて暴行殺害して捕まったというニュースがつい先日あり、子の憎まれ口など幼稚で笑って受け流せるが、高齢者の憎まれ口はそれなりに刺さるところがありダメージが大きいのだろうなと想像する。
大きな違いと思うのが、育児は毎日子が成長して手がかからなくなり楽になっていくが、介護はどんどん親の健康状態が悪化してやらなければならない事が増えていくので先が暗いんだろうなということ。
先に楽になっていくのは希望になるが、先に大変になっていくのは絶望になるのではないだろうか。
子が成長したタイミングで、親がポックリいかなければ介護が必要になってもおかしくない年齢で、自分は耐えられるのだろうかと不安になってしまう。