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はてなキーワード: 現実とは

2024-06-19

anond:20240618130715

独身(結婚意思あり)の、結婚後の自分配偶者仕事について望む形(子供がいない時を想定)という調査では

20〜39歳 男性の回答では

夫婦共にフルタイム勤務が29.8%

・夫は原則フルタイム勤務で妻はパートアルバイト20.4%

特に希望はない は42%

となっている。

(R3内閣府委託調査p61)

https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/pdf/hyakunen_r03/03.pdf

 

“10~30代の若い男性の6割が専業主夫志向であり” については、そりゃ専業主フになりたいですか?(子供持たず)という質問があったら男女共に多くが“はい”と答えるだろうなと思うけれど…。働くのは過酷だし。

現実には上記の条件で結婚相手を探している人が多いのでは。

anond:20240619094725

そうか!この人たちは現実世界で話す相手がいないかネット越しに他人説教をして気持ちよくなっているんだね

かわいそ・・・

anond:20240619104007

現実世界の女に少しでも性的ものを感じとってしまうと通報されかねないからね。

今は男は常に性欲ゲージをゼロにしておかないとコンビニにすらいってはいけない世の中なのよ。

2024-06-18

遠ざかってるのは現実じゃなく自分

ていうか現実自体現実があると思ってる自分自身じゃない

anond:20240618222633

人生に飽きることはメンヘラではないだろ。むしろメンヘラ自分人生に興味があり過ぎるから現実理想ギャップに耐えられなくてヘラってるんじゃないの?

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

失敗してしまった人生の続きが長すぎる

貴方会社エクセルバージョンはいくつだろうか?

我が社は2013を未だに使っている。

貴方会社PCメモリはいくつだろうか?

我が社は4GBメモリラップトップを未だに使っている。

貴方会社ではネット検索をしたい時どうするだろうか?

我が社は談話室まで行ってからスマホを弄っている。

氷河期正社員で入り、正社員椅子を守るために頑張ってこの会社に居座った。

手書きEXCELに打ち替えるブルシットなジョブをダラダラと続け、Word縦書きの時に数字を横にしたら褒められて暮らしてきた。

生産性を極めながらダラダラ続いてきた我がJTCも、いよいよ潰れる日が近づいてきているのを感じる。

転職をやってみた。

主な業務EXCELの打ち込みです!経験を活かして事務職をしたいです!

驚くほどこてんぱんになった。

今どき事務職なのにCopilotを使ったことがないと言えば引かれ、そもそもEXCELネット接続できないと言ったら逆に尊敬された。

就職市場における俺の価値は下手すりゃ最低賃金も払えないレベルだったらしい。

コストセンターの省コスト化として設備投資をしないことを選んだ会社判断に、俺の人生はまるごと巻き込まれゴミになった。

だが、もしも省コスト化を本気で進めていたら、我々のようなオフィス目コピおじさんなんて速攻で追い出されていただろう。

昭和時代喫煙室に入り浸ってそこで得たコネノルマの最低ラインをすり抜けるようなオッサンでも定年まで居られたという話の延長に俺の人生はある。

今は令和だ。

無能レイオフされる時代

俺の人生はもう詰んでいる。

俺の職歴は「意地でもクビにしないといけない問題社員ではない」ことしか証明してくれない。

終わったあとの人生なんだ。

人生の亡骸なんだ。

この会社が潰れた後、どうやって生きていこうかな。

いっそ潰れる前に早期退職退職金を多めに貰えないもんか。

次の職場はかなりの薄給だろう。

デスクワークばかりで腰を悪くしてるし体力もないか工場でも働けない。

まれつき顔に清潔感がないから客商売全般は難しいだろう。

ビルメン業界レッドオーシャンになってなければそれ一択だったんだがなあ。

やりたい仕事とかもないしなあ。

子供の頃はアカレンジャーになりたくて、中学高校の頃は魔王隠し子覚醒したらオッドアイになる感じのを夢見ていた。

大学じゃ現実ってのに押しつぶされそうで、いつもパラレルワールドや生まれ変わりのことを考えていたな。

なろう小説はもちろん嫌いだぜ。

俺と同じようなことを考えていた連中がただペンを取ったというだけで不当なバズりと実益を得ているなんて嫉妬しかいからな。

この人生、あと何十年あるやら。

どうしたらいいんだろうなあ。

俺の増田には誰からも反応がつかない( ;∀;)

現実といっしょ( ;∀;)

現代コロンブスといえばイーロンマスクなわけだけど

イーロンマスクですら今でも割と支持者がいるので、コロンブスMVが許容されるのはそんなに不思議じゃないよなと

理系の人はマスク支持者多いので、コロンブス文系理系煽りをしてくる理系が湧いてくるのも当然といえば当然

 

個人的マスク支持者の人の発言で印象深いのは

テスラのEVはマスクにとって宇宙移民という壮大な目標のための単なる金儲けの手段しかない」

というもので、まあ、実際、そうなんだろうなと思うんだけど

 

まり、まだ見ぬフロンティアへと人類を導く稀有壮大な目標のためにEV詐欺環境性能について曖昧にはぐらかす態度や、自動運転標榜するだけ標榜しといて人をバンバンひき殺す態度)をかましても構わないって思ってるんだろうな、この人たちっていう

マスクマスク支持者も、バカじゃないので、現実にEVや自動運転技術が目先どのぐらいの見込みのものなのかなんて百も承知なわけでさ。だから支持者は「EVなんてのは単なる金策」とポロっと漏らしちゃうし、マスク自身テスラ株価が異常に高くなると持ってる株を売ることを考えるわけで

Twitter買収にしても、高騰したテスラ株を現金化するための方便を探してて、ポロっとやらかしたんだろうなと疑ってるけど

 

宇宙開発大好きマスク支持者ってさ、マスク自身倫理から大きく外れた発言や行動も見ないふりして沈黙するし、EV販売に絡む詐欺的なプロモーションに対しても沈黙するし、自動運転夢想のために実際に発生している交通事故被害者についても沈黙するわけじゃない?

まさにコロンブスの正当な後継者アメリカンフロンティアスピリットの信奉者の現在進行形だよなあと感心するし、そらまあ、コロンブス何が悪いの?百歩譲って非人道的行為はあったかもしれないけど、そんなの大きく取り上げる必要ある?人類宇宙に飛躍するのに比べたら些細な犠牲でしょ、ってなるよね

 

コロンブスなんて割とすぐイーロンマスク連想して誰かネタにするだろうと思ってたんだけど、意外と誰も言わないなと思ったので書いときました

大学生の時にほとんどバイトしたことがないというとドン引きされる

勉強結構好きだったから頑張ってたけど、欲しいものとか行きたい場所とかが皆無だった。

今考えると勉強以外の何かに対する興味関心がものすごく薄かったと思う。

好きになるきっかけ?になるような出来事そもそも無かった。

仲がいい友達あんまりいなかったから大抵一人で授業受けてたし、当然のように恋人もいなかった。

ただ大学院に進学したとき地方学会発表きっかけで旅行の楽しさに目覚めてちょっといいカメラが欲しくなって

一時期だけ日雇いバイトしたことがあった。大学時代バイト経験まじでこれだけ。

というか厳密にいうと学内バイトめっちゃしてた。TAは上限ぎりぎりまでやってたし自習室の受付?とかオープンキャンパスの手伝いとか、、

タイトルみたいな反応する人の中で学内バイトってきっとバイト経験に入らないんだろうな、と思うからなかなか言えないけど。

その収入自分の小遣いとか食費はギリギリ賄ってた。家賃は親に出してもらってたからそれで問題なかった。

あ、映画は好きだったから月一くらいで観に行ってたな。逆に言うとそのくらいの頻度でしか観に行く余裕がなかったんだけど、、、

でもそれでなんの問題もなかった。映画に行ったときに一緒にドトールとかベローチェに寄るのが数少ない楽しみだった。

金が無いからめちゃくちゃ図書館利用してたけどあれも楽しかったな。図書館の前にでっかいブロッコリーみたいな木が生えてて可愛かった。

図書館選書ツアーもよく参加してて、本屋さんに行って自分が読みたい本を片っ端からかごに入れてくのが最高に楽しかったし嬉しかったな。

大学院卒業して就職した後にあたりまえなんだけど月に数十万単位お金が振り込まれるのが衝撃だったな。

そのあとで大学院時代に使ってた銀行の残高見たら2万円くらいしかなくて笑ったのを覚えてる。よく生活できてたよな、っていう。

大学生の時に当たり前のよう異性とくっついては離れてを繰り返して、バイトも沢山して、友達飲み会して、旅行行って、、みたいな生活

当たり前(かつ最上?)だと思ってる人が現実にもいんたーねっつにも多すぎる気がしてなんとなく自分大学生活を書いてみた。

これはこれで楽しかったんだよ。本当に。タイトルみたいな反応をする人たちには信じられないんだろうけど、、、。

anond:20181015214156

現実社会でも、携帯端末電子マネーデータが筒抜けで

ソフトバンクAI不正を検知したせいでPayPayマネーが送金できず

女子高生石狩川に突き落とされる事件が起きてるから

anond:20240618145120

変な職場に行くと、闇金ウシジマくんかに出てくる人間ってほんとにこの世に存在するんだ…しかも大量に って事に気付ける

コテコテの悪役って漫画の中だけじゃなくて現実普通にいて、その上普通に結婚して普通に子供育ててる

ネット民ってリアル舐めまくってるよね

ここにも居るけど、ここでの結論現実でも通用すると本気で思ってる人。 判りやすいのが選挙。あれだけネットで騒いでて蓋を開けてみたら千人位しか投票してない

少なくともブクマカとしてコメントすることはもうないな

そこそこはてブを利用してたけど、どうにも潮時らしい。特にブクマカ批判する人を徹底的に潰そうとしているのをみると、君らははてブコミュニティかなんかと勘違いしているんじゃないか?ってげんなりするんだよね

もちろんはてブをどう使おうがかまわんが、ブクマカを見る限りは仕事できない左派集団なわけで、そんなのが自分達の居場所にしてるはてブをこれ以上使つていると頭痛がしてくる

はてブはい意味上から目線になる

それはあらゆる記事に対してブックマークという形で干渉できるからで、徹底的な外野としての意見が見られるサービスとしては悪くない


けど現実特定思想蔓延って中立意見ほとんどないし、ド素人の頭悪い焼き直しコメントばかり目につく

そのくせ自分達が批判させれることへの耐性がないとき

あげくコミュニティとして利用されると、はてブウケるコメントを量産する装置に成り下がり、完全に無能左派集団掲示板しかなってない

自分達が何しているのか無自覚集団と一緒にはなれない

anond:20240618112903

地方工場物流収入じゃ子供なんか作れないだろ。

都会の人間ホント現実見えてないよな。

田舎人間も都会の現実知らないかお互い様だけど。

anond:20240618114500

そもそも人権という概念あくま理想像であり

現実運用では多少修正を加えて当然ってことじゃない?

田舎は男女の区別無く育児可能仕事が余ってないよ

田舎のそういう仕事は既にコネで埋まってるか、東京本社から配属されるから地元採用なんかしない。

田舎から出て行く女性に関するNHK記事ブコメチェリーピックだのなんだのと文句が連なってたが、現実だよなぁ。

人が減るから仕事が減って、仕事が減るから人が減るっていう、わかりやすい負のスパイラルに陥ってるけど、小手先でどうにかなる問題じゃないよな。

都会の人の多さに辟易した独身中年男性としては地方大都市に落ち着いて満足してるけど、地方大都市ですら「女性が家庭に入ることを求めてる割に男性にそれを支えるだけの給与は出してないよな」と実感する。

そりゃ男も女も皆して東京に行くわけだよ。

そして東京で高い金払って狭い部屋に住みながら子育て文句言う。

不毛だよな。

anond:20240618100245

子曰く、「善く戦う者は、その勢いを人におもわせず、己が工夫をもってこれを制する(13篇 虚実)。」

増田、『女王の教室』というドラマに関して、その絶賛の背景にはいくつかの要素が含まれるかもしれません。確かに理不尽シナリオ児童に厳しい責任を負わせるテーマ一見して不快に感じるかもしれませんが、一方でこれは視聴者に対する一つの挑戦であるとも考えられます

孫子言葉のように、「その勢いを人におもわせず、己が工夫をもってこれを制する」という教えがあります。このドラマ評価は、観る者に隠されたメッセージ社会真実を見極める能力が試されていると言えます。つまり、その厳しい環境理不尽さを通じて、視聴者自分自身と向き合い、工夫を凝らして克服する力を感じさせるのです。

増田の言う通り、子どもたちに全責任を負わせるというのは現実的ではありませんが、ドラマの中で描かれる苦境や不合理は、実際の社会存在する問題象徴しています視聴者はそれを通じて、現実社会問題教育のあり方について深く考える機会を得るのです。

増田が感じた「気持ち悪さ」もまた、製作者が意図した感情の一部かもしれません。その感情を通じて、視聴者が一歩引いて自問自答し、より良い未来模索する糧となることを期待しているのではないでしょうか。

総じて、『女王の教室』は視聴者に対する挑戦状であり、孫子戦略的思考をもって解釈することで、その真価が見えてくるかもしれません。

anond:20240618045810

普通に楽しくセックスしてるけど、

そういう奴は現実に満足しててわざわざ増田セックス事情なんてかかないだけだよ

anond:20240618061952

それをいっても出生率は変わらないよ

なんでいったの?

バカなの?

過去未来データ実態自分意思現実考慮して意思決定する能力が極めて低そう。

anond:20240618054714

せやで。だから綺麗事だけ言って現実直視しない嘘つき親も嫌われてるってわけや。おあとがよろしいようで

 

親が現実見てないくそだと

その皺寄せは全部子供にきて

子供が苦労するからなあ

 

子供のためといいつつ自分のため

自分けが大事

anond:20240617203614

普段から日常的に言ってるような人なら別だろうけど

日本人でいるのか?)

まあ、好みだから

かに欧米かっ!」って言いたくなる

いってらっしゃいのキス、おかえりなさいのハグ

欧米かっ!」「実在すんのかよ」て思うとこある

そこは人それぞれの好みだし

夫婦両方とも内心は「欧米かっ!」って思ってても

軽いスキンシップで手軽な精神メンテナンスと思ってるかもしれない

女性向けのなろう小説漫画白馬王子様が「好き好き愛してる」と言ってる話が大人気のままだし

現実では増田のように馬鹿にされるから絶対口に出さないけど

本音では実際に言われたい人はたくさんいそう

追記

そういう漫画女性流行ってるって、

漫画と同じ事言われて嬉しい?

漫画台詞現実で言うやつなんて目の当たりにしたら

それこそ寒いだけだよ、現実区別つけてよ

から人によるよ、はっきり言ってほしい人もいるよ

「愛してる」って妻に言ったら

機嫌が良くなったとか泣き出したとか、

そんな話もあるじゃん

愛してるパルプンテ

「将来の夢はお嫁さん」って自分には全く理解できないが、そういう人が現実にいるのと一緒では

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