2018-02-02

宝塚ポーの一族演出がクソ嫌い

原作ファンだけど評判良いしとても楽しみにして見に行った。

結果はタイトル通り。何を見せられたのか分からなくてしばらく呆然としてしまった。青春時代に愛したポーの一族とはあまりに違った物語だった。

村の民衆市場ホテルの客、生徒達が楽しく歌うシーンの多さが果たしてポーの一族必要だっただろうか。少しはあってもいいだろうが長い2幕の劇においてあの明るさは過剰すぎた。またホテル降霊術のシーン、あれがどんな意図を持って挿入されたのか分からない。訳の分からないオカルトによって現れるキングポーによって前半の厳かな一族描写台無しにされてしまったし、物語空気が軽くなってしまった気さえする。しかも長いし典型的オカルトキャラたちが邪魔すぎ。なんでそんなギャグキャラ出してきたんだ?

高速メリーベル回想パートもあまりにヤバすぎた。わざわざオズワルド一家を出して高速退場させる必要あった?なんかあまり馬鹿っぽいし初見の人がついていきづらい内容だろう。サービスのつもりならやめてほしいし、軽い説明にとどめて欲しかった。

物語説明役の4人もいる意味がわからない。無理やり時系列にするための配役なのだろうが、正直喋りが上手くなくて混乱を呼ぶだろあんなの。キャストでなくて脚本のせいだ。

また、メインキャラクターの登場するシーンを大幅に捏造するのは大変にしんどかった。エドガーが妹の前で恩着せがましく誓うシーン、その後も執拗に「妹のため」と繰り返す台詞を吐く。またバンパネラになった後でさえ、苦悩を元気よく叫びヒステリックに走り出すエドガー。私の知らないキャラクターエドガーの姿で歌い踊っていた。館で覗き見をした直後のシーン、エドガー自分が殺されることではなく、メリーベルバンパネラにされてしまうのだけが怖かったんだということがあの台詞回しでは全く伝わらない。何を思ってあの脚本になったんだろう。

またエドガーアランメリーベル創作シーン。メリーベルの「だってこの人まだ未練がある!」で完全に萎えしまった。なんなんだそれ。寂しさを抱え誰とも相互理解のまま生きるバンパネラでありながら明るさを失わないメリーベルにそんな安っぽい台詞を言わせるな。

ラストシーンアランエドガーについて行く理由付けにしたかっただけなんだろうが、そんなのアランの家庭描写で分かるしあまり安易だった。

キャストの歌やダンス、外見、表情の作り込みは素晴らしくてそれだけで見に来た価値はあったと思っているが、少し期待しすぎてしまったのだろう。ショーの部分はとても楽しめたし宝塚オリジナルの劇は好きだったので、今後は原作が好きなものは極力見に行かないようにしたい。

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