家父長制が当然だった時代は確かに女性は「守るべきもの」だった。
女性は子供と家計を守り、男性はストレスフルな外で働いて金銭を得る。その代わりとして男性が幾らかの特権を得ていたことは否定しない。
が、近年男女平等がうたわれだし、男女ともにそのポジションは崩れつつある。
男性が「外で働く」ことをも特権と捉えた女性はそのポジションに侵攻を始めた。
物言う男性には「器が小さい」「男らしくない」等の(旧来の男性性を重んずる者ほど)反抗できない罵詈雑言で迎え撃つ。
そして(旧来の)女性性が持つ「守られるべき」というポジションを使って身を守るのである。
家父長制における(旧来の)女性性に反逆する女性がこれを使うのは、言うまでもないダブルスタンダードであるが、有効な戦略と言えよう。
(旧来の)男性性が男性の反攻を許さない。女性は「守るべきもの」。矛を向けられない者たちがいる。
そして男性は、これまでのアイデンティティのほとんどを喪失し、女性に蔑まれる立場へと堕した。
散発的な抵抗勢力はあるが、政治的正しさ、市場、カルチャー、家庭内の実権に至るまで今や女性の勢力下にある。
その支配下にある男性は、戦闘がおこっていることすら気付かない。
それでもなお、女性は戦い続ける。すべてを奪い取るまで。
女性の「守られるもの」というポジション、その特権にメスを入れるのが女性専用車両反対派である。
世の「正しさ」が女性に掌握されているなか、彼らはゲリラ戦を続けている。
対して女性は、自らの被害者性を前面に押し出して防衛。手駒とした男性とともに感情論による圧殺作戦に出たのである。
圧倒的戦力差で、女性側が有利。メディアを用いたプロパガンダも行う。手は抜かない。
しかし、反対派の戦意は潰えず、さらに水面下では賛同者も増えつつあるようだ。
それは、この戦いこそ天王山と両軍が(無意識に)理解しているからである。
そして女性側はそのポジションを失いたくない。専用車両問題は蟻の一穴となりうる。
この緒戦を制したものこそ、のちの権力闘争を有利に進められるのだ。
だいたい同意。ただ女性専用車両で争う、というのはうまくなくて、どちらかというと「女性への依存を減らす事」で女性の価値を減らしている、の方が効果的だと思う。 変な話なんだ...