はてなキーワード: 奇跡とは
20代後半のころは、自分が徹夜できなくなったり肩こりが増えたり大食後に胃もたれしたり背中にいつのまにか吹き出物ができたりと老化を感じるたびに
「このまま体が劣化していく一方なのか。年とりたくないなぁ、いつか老人になって死ぬのは嫌だなぁ、どんなに趣味の物を集めて楽しんでも死んだら終わりなんて空しいなぁ、いつか死ぬ人生って無価値だ、不老不死になりたいなぁ」
と思ってた。
「1000年生きたい」の増田みたいに、将来の人類の行く末をみたいと思う事も多かった。たった数十年で死ぬ人生のなんと儚く無意味なことかと。
30後半にして妻と出会い奇跡的に結婚して、子供をさずかり、今毎日のように子の体と頭が発達して出来ることが増えて驚かされる日々を過ごしていると、
この子が成長して幸せな大人になれるようになるだけで自分がこの世に生まれてきた価値があると思えるようになった。
40になって白髪が増えたり頭頂部が薄くなったり血液検査の値に異常値が増えたりと、ますます体の劣化を感じる事は増える一方だけど、
子の成長とひきかえに自分が老いていくことに抵抗感や虚しさといった、かつて感じていた感情がすっかりなくなってることに気付いて驚いた。
この子が大人になって幸せに過ごせるなら、それだけで自分がこの世に生まれてきた価値はあったな、と。
自分が60やら80で死んでも、この子がその後も生き続けてくれるなら怖くないし空しくない。
毎日子供がだっこをせがんだりと甘えてきて、無条件に頼られ、子供の生命力あふれる笑顔やきらきらと輝く目を見ていると、この子を育てていることが自分の自己肯定感になっていることに気付く。
子を育て成長を手助けすることは、自分の老化や死を受け入れるサイクルの一つだったんだなと感じている。
競走馬の奇跡の血量といわれる 4 × 3 のインブリードは 18.75 %(右端の列でいうと 16 行のうち 3 行が同じ血統なので 3 / 16 = 0.1875)。
A | B | C | D | E |
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Y | a | |||
b | ||||
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e |
攻めた配合といわれる Enable は Sadler's Wells の 3 × 2 なので血統のうち Sadler's Wells の占める割合は 37.5 %。
A | B | C | S |
V | |||
G | H | ||
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J | K | L | |
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N | O | ||
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Q | S | T | |
U | |||
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Y | Z | a | |
b | |||
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e |
いとこ同士(B と Q)の配合だとその親がきょうだい(C と Y)なので D の 3 × 3 と G の 3 × 3 が発生して同じ血統が 50 %を占める。
本当に危険かどうかは知らないが Enable の叔母と甥(競馬ではこういういい方はしない)の配合よりも血が濃い。
A | B | C | E |
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Y | E | ||
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I |
いとこの親が半きょうだいだった場合はいとこの親の片親のみのインブリードになって 25 %。
A | B | C | D | E |
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I |
39歳、既婚、1児あり(5歳)。
二人目については特に積極的だった訳でもなく、自然に任せていたらいつの間にか40手前になった。
年齢的にそろそろ厳しいし、PMS改善のためにもピルでも飲むかと思っていた矢先妊娠が発覚。3人家族前提の生活設計を立てつつあり、私自身も新しいことを始めようとしていたので正直嬉しさより戸惑いが大きかった。
それでもエコーで確認できた胎児は可愛かったし、心拍を聞いたときは産まない選択肢はないと思った。
夫も喜んでくれた。すぐに新しい家族を迎える前提の生活について話し合った。
赤ちゃんはどこに寝かすか。
上の子の世話はどうするか。
もう少し大きくなったら部屋割りはどうしよう。
妊娠が発覚してここまで2週間。
40手前の妊娠は身体への負担が大きいことが分かったので、今後は避妊しようと話し合って決めた。
だからもう家族が増えることは限りなくゼロに等しい。それは自分達で決めたことで、これからも後悔することはないだろう。
それでも私がどうしようもなく泣けてしまうのは、多分「ありえたかもしれない4人家族」の世界に少しだけ触れてしまったからだ。
病院からの帰り道、帰宅する小学校を見て、この子も「生まれなかったかもしれない子供」なんだなと思った。それどころか私も「生まれなかったかもしれない子供」だ。その辺のおじいちゃんだってそう、みんなそう。
私さ薄々気付いていたけど、
手帳は一切書かないけど
手帳が好きなのよねきっと。
手帳って言う枠が好きなのよ。
だからこの季節毎年この時期になると手帳欲しくなる欲がヒシヒシと沸いてきて
結局買っても毎年書かないのは、
だから私思ったの。
手帳は買って干渉してそのままで置いておくものだ!って思ったら
そう思うと手帳買ってもいいかもって言うハードルがうんと低くなるのよね。
この体裁良いな!
このページのレイアウトいいな!
この罫線の間隔いいな!
この紙質いいな!
とか
そういうのを味わうものだと思ったら、
書かなくても買っても良いと思わない?
例えば、
高級万年筆とか
私はそう言う類いのものは持っていないんだけど
ああ言うのって、
実際にそれで書くってより持って眺めて楽しむ要素もありありだとおもうのよ。
なしなしかしら?
実用的に使うよりも
いい仕事してますね!って中島誠之助さんばりに言いたいわけなのよ。
だから
私の手帳欲しくなる、
なんか腑に落ちた感じ。
と言いながら
見開き1週間のバーチカルスケジュール帳は使ってたりするので、
これは完全にお仕事用よ。
あと最近予定忘れないように、
それと手帳がどう考えても同期できないところがやっぱり画面を見ながら手帳に転記していく作業が手帳の良さでもあり悪さでもありそこの良し悪しってあるじゃない、
あれを楽しめるかどうか面倒くさいと感じるかどうかだと思うし、
そんな感じだから
私の本棚の本には書いてないまるまる1年白紙の手帳が並んでいるし、
それを見返したところで、
その年のトピックス出来ごとが分かるわけでもなく、
ただただ、
なんかそう言う手帳で思い出したけど
来年はパスポート期限切れるから更新しておかないといけないのを覚えておかないといけないわ。
よくさ
日本は落とし物をしてもちゃんと交番に届けてあってサンシャイン池崎さんが電車の中にサンシャインブレイドをすっかり忘れてしまったけど無事手もとに戻ってくる神話あるじゃない、
アーノルドシュワルツェネッガーさんがホテルのフロントを馬で走っていた映画のホテルでパスポート落っことして死ぬかと思って終了してロビーにラストアクションヒーローばりに泣きついたら
届いてますよ!って言ってくれて、
世の中捨てたものじゃない閉店間際に飛び込み前転で入店してのから揚げ半額セールより奇跡が起こって、
無事私の手もとにパスポートが戻ってきたのには
アメリカでのそう言う日本的な神話って古い話の歴史の古典での言い方ってなんて言うのかしら?
インディアン嘘つかない話しの
神がかっていたわ。
いい人はどこにでも大体8割はいるのよ。
まんが日本昔話のご飯が超大盛りのようにあの絵に描いたまんが日本昔話盛りを体現するのよ。
芸の無いから揚げ丼って言ってご飯の上にどーんとから揚げだけが搭載されているものよりかはよっぽどましだし
まあどちらにしても奇跡だわ。
頼むんだったら親子丼の方が手間がかかっている感じがするしね。
何が言いたかった勝って言うと、
スプラトゥーン3のコンビニスイーツを食べておいてもいいかなって
焼き鮭丼って世の中に無いことがもはや不思議を発見したインスパイヤザネクスト日立で
あきたけじょうって微かに似ていない?って思う
空高く馬肥ゆる秋だなぁーって実感するのよね。
まだまだ暑いけど。
とにかく手帳買っても良いという呪縛から解かれているかのように腑に落ちた感じが得られたことだけは秋の収穫祭よ。
うふふ。
研究中のお粥研究で昨日作った玉子お粥を今朝食べてきて調子がいい感じよ。
簡単美味しいヘルシーな気がして
いいかもしれないわ。
買い物平日行けてないと思ったけど
いつも思い出したら
って思っているんだけど、
朝になったらすっかり忘れてしまっているのよね。
まあいいわ。
思い出したらピンクグレープフルーツよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
小生3X歳、この道20年以上の腐女子、女なら誰でも彼氏ができると言われる理系大で4年間独り身を貫き通した非モテ界のエリート
どうやら3X歳にしてセックスの魅力に気づいてしまったようである
原因はどうやらセフレらしき相手ができて、その人がめちゃくちゃセックスが上手かったこと しかも特大のイケメン マッチョ 普通に暮らしてたら接触もままならんほどのネ申
このネ申がめちゃくちゃセックス上手で、褒め上手で、前戯も後戯も長くしてくれて、何もかもサイコーなのである
今までセックス未経験ではなかったが、痛くて苦しいだけで気持ちよく楽しいものだと言う認識はなかったのだが、ネ申とする性行為で快感を得てしまったのだった
ネ申との出会いはマッチングアプリである 自暴自棄になってとりあえず適当な相手とセックスしようとして登録したマッチングアプリ(ていうかTinder)で出会ったのである
ネ申vs非モテの腐女子 通常ならば行われない対戦 ミルコvsウーパールーパーみたいなもんである
この奇跡の巡り合わせにウーパールーパーはワンパンKO 初めての丁寧な前戯と後戯に昇天 かくして性行為に目覚めてしまったのであった
俺はそうは思いません
俺はこの世は存続する価値がないと思っているし、自分がかなり苦しむことになってもいいので、少子化で世界が滅んだらいいな、と思っている
ならないんだよな
まず恋人がいない
これで子を持つことになったら、それはある種の奇跡だ
将来助けられることよりも、子供が減って社会が滅ぶことの方が嬉しいので、俺にとっては子連れを邪険に扱うことのほうがメリットがでかいです
俺は山奥の育ちなので、ベビーカーに乗った状態で公共交通機関に乗ったことはありません
俺は静か系のガキだったので、外でデケエ声を出して走り回ったことはありません
ゆえに、少なくとも、公共交通機関でベビーカーを邪魔だと感じたとき、あるいはスーパーでデケエ声で泣いてるガキを不快だと感じたときの俺に、その理屈は通用しない
俺にそんな時期はなかった
俺はこの加害をしたことがない
明らかにしんどそうな子連れ人間がいたら、その場合は席を譲ったりするかも
俺は子育てをしないので、助けられる予定がない
よって助ける義務がない
死の受容に5段階あるって話。
自分の命が長くないことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。
2.怒り
死ぬという事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。
3.取り引き
死をもう少し先延ばしできないか、あるいは、奇跡が起こって死を回避できないかと考えて、神仏にすがったり、善行を行ったりする。
4.抑うつ
死を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。
5.受容
死を、誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。
https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/190
https://agingliteracy.lyxis.com/lists/5-stage-model-by-kubler-ross-and-representative-criticism/
彼氏はいます。尊敬できて、誠実な人です。でも小6のときの初恋ほどエナジーを燃やせていません。目が合う度に心臓がバクバクしたり、話すだけで顔が真っ赤になっていては生活が回りません。これから先、小学生の時より上手く立ち回れたとしても同じくらいの熱量で人を好きになれる気がしません。好きになれたとして相手も同じように思ってくれるかわかりません。
私の周りは仲が良い夫婦が多いです。歳を取ってもお互いのことを好きで、若い時の2人が手に取るように分かります。そのままだからです。こんな奇跡が溢れているのが恐ろしいです。結婚はノリと勢いとはよく聞きますがそれにしてはみんなちゃんとその勢いをキープして歳を重ねてるんです。で、生まれたのが俺ってわけ。
かなり昔の話なんですけど、SONY Music TVで見たバンドの名前が思い出せないんです。
音楽は男性ボーカルのハイトーンでポップスよりのロックっぽい感じ、ミュージックビデオの内容はオープンカーのキャデラックに乗ってどこかに行く感じでした。
途中故障したり雨がふったり、女性がヒッチハイクしていて乗せたり。
キャデラックのダッシュボードにはハワイのおみやげの揺れたらフラを踊る人形。
乗せる女性は二人で丸いサングラスと横ボーダーのワンピース。その場で足ふみするようなダンスをしていました。
奇跡的に何年か前にWikiを見つけた気がするのですが、解散して廃盤と記載されていて、楽曲もどこを探しても見つからない状態でした。
もしお分かりになる方がいらっしゃれば助けていただけると幸いです。
大きな仕事をしたりGAFAに入ったりベンチャーを立ち上げたりする人達は当然のように東大卒で、「ね、簡単でしょ?」みたいな感じでものを言うが、一方で世間では東大といえば小学生の頃からSAPIXで学んで難関中学校に受かり、そこから鉄緑会で勉強して合格を目指す、子供にとっても親にとっても過酷な道とされている。
この東大卒の人達と凡人とでどれほどの知能の差があるのか。情報が容易に手に入る現代、凡人はこのまぶしすぎる世界を知りすぎた。東大合格への道を過酷だと感じる人が何かを成し遂げるのは難しい。
普通の馬にとってダービーは目的地だが、三冠馬にとっては三冠すら通過点である。
ダービーどころかGIを勝つ見込みがないオープン馬でも、未出走を含めた競走馬全体からすれば一握りのエリートだ。
古馬になってから急に強くなったとされる晩成型の馬でもクラシックや2、3歳のGIに出走する程度には早くから上の方に位置していたりする。
当たり前なんだが20代女性はもっと好条件の男性から引く手あまただからなあ。趣味とか性格とかが奇跡的にマッチしない限り難しい。ただ読む限りだと可能性はそれほどなくはない気がする。
俺は19歳のときにできた彼女とずっと付き合っていて、交際7年目にして結婚の話もいよいよリアルになりつつある(現段階で2人ともべつに子供が欲しくないのと、苗字を変えるのがダルいよねという話があって保留中)
彼女はかわいいので多分俺よりはモテるほうだと思うんだけど、同じく19歳で俺と付き合うまでは浮いた話がなかったとのこと
そういう感じなので、俺は恋人はいるけど恋愛経験に乏しく、恋愛力が弱い側の人間だとうっすら思ってたんだけど、よく考えたら逆じゃねえか?!
同じく20代後半くらいで5〜6人くらい恋人いたことありますぅ〜、みたいな奴って、シンプルに人間を見る目がなく、人間関係の維持が下手な、雑魚なのではないか?!
相性の良い恋人とめぐりあい、付き合い、仲良くやり続けている俺の方が"上"なのではないか?!
2〜3人とかだったらまだわかるけど、5回もハズして破局を味わうのは、ヘタクソだし、雑魚だよなあ
と思うと、実際、ネットに跳梁跋扈してる自称"恋愛強者"って、ほぼ全員俺より弱いんだ
外しまくってるんだ
見る目がないんだ
恋人がたくさんいた人間って、運転で言うなら「免許試験に落ちまくって教習期間をオーバーすることを繰り返し、自動車学校に5回通ってる人間」なんだよな
雑魚なんだそれは
やらなくていいことを繰り返しているだけなんだよ
非モテの努力話なんかは普通にすげえと思うし全然笑いの対象ではないけど、自称イケてる人間がエラソーに相手を批評してる系のエントリってマジで滑稽だぜ
ドラえもんはイエス・キリストがモチーフになってるって聞いたことがある。
水をワインに変えたり怪我人を治す奇跡を、ひみつ道具に置き換えてるらしい。
のび太は迷える羊。でもドラえもん(イエス)は決してのび太を見捨てないんだ。神の愛そのものだよね。
あと、一度ドラえもんって連載終わったじゃない?「さようなら、ドラえもん」って回で未来に帰ってしまった。
でも読者の応援があって連載再開。これはイエスの復活を再現したものらしいよ。
本当はパーマンは12号いる予定だったらしいが編集者に止められたらしい。
人助けをするパーマンを見てると、汝の隣人を愛せの精神が伝わってくるよね。
キテレツ大百科も、キテレツが読んでる大百科は、聖書。あれを読めばなんでも望みが叶うということを表現している。
ちなみにキテレツ斎様はイエス。飛行機を作るなど奇跡を起こしたが、人々の心を惑わした罪に問われ、牢獄に囚われて獄死。完全にイエスそのものだよね。
と言っても1つのグループしか推したことはなく、それも片手で数えられる程の年数だ。
その約半分はコロナでイベントはあまり開催されず、配信やSNSで繋がりを持つくらいだった。
地域の発展や情報発信をメインに活動してはいるが、メジャーデビューもしていて全国各地にライブをしに行くこともあった。
グループの活動拠点と私の住んでいる地域は少し距離があったが、それなりに赴いてくれていたしこちらが遠征することももちろんあった。
グループとの出会いは元々そのグループのオタクだった友人に影響されてのものだ。
大きめのライブハウスでライブがあり、チケットが余っているから来ないかと誘われた。
その随分前から友人には散々グループの話を聞かされていて、一度だけなら行ってみてもいいかとこちらが折れた形だ。
あの時の衝撃は忘れられない。あんなにキラキラ輝く空間がこの世界に存在するのだと、しかしそんな空間は何故これほど小さな場所にしか広がっていないのだと、大きなギャップを感じたことを鮮明に覚えている。
コロナが流行し始めてすぐ、2020年中頃。メンバーが1人脱退した。
オタクたちは納得していた。そのメンバーはコンセプトのはっきりとしたグループでははみ出るほどの個性を持っていた。
その年の瀬、また1人メンバーが脱退した。“体調不良”になる前のメンバーは歌唱中も暗い表情で、明らかに今までの精神状態ではなかった。オタクはあの時も納得していたと思う。
人生で様々な変化が起こるはずの年頃であるメンバーたちと、コロナで空いたスケジュール。ニュースでも頻繁に人々の慢性的なストレスが取り上げられていた頃。
辞めた理由とされる“不祥事”は、正直一般人ならば何も問題にならないものだった。
私がアイドルオタクになったきっかけの友人の推しと、私の推しは未だ精力的に活動していた。
新曲も出た。イベントも制限がある中ではあるが出来るようになった。個人の大きな仕事も決まった。
私は納得していた。むしろ1人抜けた瞬間からそれを願っていたように思う。
解散が発表されてから、推しを好きだった気持ちをひたすら振り返る。
そもそも発表される3ヶ月ほど前に、推しのある発言が受け入れられず完全に距離を置いていた。
降りる理由としては小さいがどうしても譲れないものがあり、然して以前から心は離れかけていて、その発言がトドメとなった。
ただ1つの発言は受け入れられなかったが、それまで好きだった気持ちだけは今でも大切にしている。
私は推しの痛ましいほど真面目なところが好きだった。グループでは年が上なこともあり、リーダーではないが責任感は強い方だったように見えた。
そんな真面目で頑固なところが時に仇になることもある。そんなところも好きだった。まるで自分を見ているみたいだと思っていた。
他人を律するということは、自分自身の首を絞めることになる。真面目で何事にも手が抜けない、息苦しさと共に生きているところに共感のようなものをしていた。
このグループにはメンバーと接触できる機会があり、ツーショットが撮れたり会話したりすることが出来た。
私はその瞬間の推しだけは苦手だった。こんな人間に嘘でも好きなんて言うのはやめてほしかった。
私は人に好意を向けられるのが苦手だ。
人と会話するのも苦手で緊張する。ほとんどあがり症に近い人間だ。それで人自体を嫌いになれればよかったのだが、どうしても人を嫌いになれない。
誰かに好意を向けられていると知ったとき、背筋が凍って、消えてしまいたくなる。やめてくれと思う。好意に応えろと脅されている気がして怖くなる。
アイドルとは商売で、金銭のやり取りがなければ関係は成り立たない。
それが、私には大層心地よかった。アイドルとオタクという距離に安心感を覚えていた。
推しを好きだという気持ちは私だけのものだという強い意思もあり、好きなときに好きなようにイベントへ行った。
1人また1人と辞めていったとき、推しを愛する人が消えてしまったと感じた。
私は人を愛し愛される推しが好きだった。グループ自体が大好きだった。
ライブの高揚感が忘れられない。
屋外で悪天候の中でも、ハードなスケジュールの中でも、どれだけステージが簡素な作りでも、どんな時でも楽しいライブだった。
雨も雪も風も何もかもライブを盛り上げる1つの要素に過ぎなかった。輝いていた。奇跡だった。
楽しかった。ただただそれがいけなかった。
楽しすぎることは危険だった。それを失って空いた穴を、私はどう塞げばいいのかわからない。
私は自己肯定感が低い自覚がある。飽き性でもあるし、すぐ何かを嫌いになるまで好きになってしまう。
だから好きになりすぎないよう自制しているところもあった。
けれど、失われると確定した途端、自制なんてもの出来ていなかったんだと気付いた。自分の意識の外で依存心は音もなく膨れ上がっていた。
たくさん考えた。自分がグループ、推しのどんなところが好きで、どうして好きでいられなくなってしまったか。
先に退いたのは自分で、私の心が離れてから解散は発表されたのに、どうしてこんなにも喪失感に苛まれるのか。
自分を好きでいられない時、推しの姿を見ることでまだ自分自身も好きでいられるのだと錯覚出来た。
結局は自分も愛されたかったのかもしれない。少なくとも、人の温もりを感じていたかったのかもしれない。
何かに依存するのは恐ろしい。その対象が人間であればなお恐ろしい。
グループが解散し推しが表舞台から消え、私の視界にアイドルとしての推しがいなくなったら、上辺の私もいなくなってしまうんだろうか。
また何かに愛されたいのか愛したいのかわからない日常を、たぶん平気で生きていくんだろう。
もう少し距離の近い形式で、ネット上で、はたまた“救い”を伝導するか。そういう世界だ。
推しは「これ以上グループが変わっていくなら今のままで終わらせたい」と言った。私もそう思っていた。
推しを鏡として見ていた私は、もう二度と推しは表舞台に帰ってこないんじゃないかと感じてしまった。
私は推しを鏡として見るのを辞める。
そもそも今も昔も推しは鏡なんかではなく人間だった、きっと。もしくはこれから人間になるのだろう。
感情を強く揺さぶられた瞬間たちと、それさえ無下にしてしまう自分の愚かさが、あの日々を青春だったと証明している。
オタクとして生活している中で、口にすることが出来ない言葉があった。
終わるとわかっている今だから言える。
グループが解散しても、私の中で彼らは永遠に、ずっと、私が死ぬまで1番であり続ける。
思わず推しのメンバーカラーの物を手に取ってしまうだろうし、数年前の今日は楽しかったと懐古してしまう。
眠れない布団の中に入ったら、またあの高揚感を思い出す。
もう二度と彼らが全員揃い歌って踊る姿が見られないことが悔やまれる。
彼らにしか出来ないパフォーマンスがあった。彼らと私たちにしか生み出せない空間があった。
参戦したライブすべてが楽しかったこと、推しを好きだと思ったときに好きだと伝えてきたこと、それらが心底憎くてそれだけが救いだ。
整理番号を取るために始発で現場に向かい何時間も列をなしたことも、両手にいっぱいのCDを提げ電車で帰ったことも、緊張して推しと上手く話せなかったことも、すべてつらかったけれどそれ以上に楽しかった。幸せだった。生きててよかったとすら思えた。
産まれてこの方ずっと自分のことを有能だと思い込んで生きてきたが、実はただの思い上がりで、自分は単なる無能に他ならないと、40年以上生きてきた今、ようやく認めることができそうだ。
否、今の今までずっと認めることができるだけの勇気と覚悟と度量がなく、とうの昔に何の価値もない無能人間だと露呈して裸の王様状態になっていたのを、今否応なしに認めざるを得ないところまで追い詰められた、というだけのことなのだが。
長文になるがどうか吐き出させてほしい。
1.二留してまで目指していた資格試験に失敗
失敗というか難易度の高さと勉強の苦しさから逃げ出しただけだった。
2.就職活動への切替にも失敗
下調べが足りず、時期もタイミングも悪く、準備をしていなかった上に、高学歴に胡坐をかいて「たかがシューカツ」と完全にナメていた結果、どこからも内定をもらえなかった。
3.新卒カードのおかげで地元に帰ってなんとか就職はできたが、望まない営業職での採用しかなかった
自分自身が営業むきのタイプでないことは明らかなのに、2.の事情から適当に決めた。
自分(の営業成績)のことしか考えない、昭和気質すぎる(地域と職種的にアタリマエのこと)人間や社風が嫌になり1年で退職、私の心身は消耗し、何よりチンケなプライドが傷ついた(内心周囲の人たちをバカなやつらだと見下していた、間違いなく伝わっていただろうな)。
4.2.3.の反省を生かし、転職エージェントを使って第二新卒カードでの転職に成功
面接に進んだある企業は、全然聞いたことのない企業だったが確かに東証一部上場で抜群の安定性と急成長を誇り、そんな企業の人事担当者(課長クラスの人)が、なぜかはわからないが面接開始10分もたたないうちに「是非あなたを採用したい」と言ってくれ、その直後すぐに経営トップとの面接が組まれ、即日即内定の通知をもらうことができたという、おそらく人生イチの奇跡が起こったことで「これも学歴のおかげか」とかさらに有頂天になってしまった。
最初の出足はまずまずだったが、1年で「やっぱり使えない」と思われたか、部署異動対象になり、異動した先の業務内容はよかったものの上席者から繰り返しパワハラというか学歴によるマウントを激しく取られ(「○○大出てるくせににこんなこともできないのか」的なやつ)、それが苦痛になってメンタル系の通院および服薬を余儀なくされ、そのまま追い出されるように退職した(自覚はないが私の態度が学歴を鼻にかけたように見えたのだろうな)。
6.4.5.の経験と反省(急成長の上場企業はやはり「キツかった」とやっぱり弱腰だった)から、もう少し田舎(だけど地元の外)のちょっとのんびりしていそうな製造業の企業に転職
これも最初のうちは周囲の人たちに恵まれ、特に前職で大ハズレだった上司がとてもアタリで、学歴でも何でも鼻につくような態度にさえ気を付ければ、今度こそ落ち着いてはたらけるとちょっと安堵した。
この上司ととにかくソリがあわず、うまくいなすことができるだけの対人能力もなく、最低の人事評価を受けつつ、1年で異動希望を出した。
このあたりでまず自分には対人能力がないことに気付き始める…が、まだ無能を認めることはできるほどではなかった。
私のまったく専門外の専門的知見が必要な部署だった上、何をどう勉強してよいかもわからず、結局単純作業的な仕事くらいは割り振ってもらえたが、はっきりいって毎日の就業時間がとても暇で苦痛だった。
ところがそれとは裏腹に会社自体の利益は過去最高クラスを記録し、その恩恵で何もしなくとも自分史上最高クラスの年収を得ることになり、完全にぬるま湯につかってしまうと同時に、「私にはそれだけの価値がある」とより一層のぼせ上がってしまった。
さすがにそんなにうまい話は長く続かず、ハナから役立たずだったため、総務に異動となった。
製造業における総務部門なんて、製造や研究部門のような花形部署に比べれば圧倒的に「下」に見られる部署だったが、私個人的には前の部署よりはやることもあるし、のんびりはたらけてそれなりにいい給料をもらえるラッキーな状況には変わりなかった。
人事制度が大きく変えられることになり、社員全員が厳格に格付けされ、それに基づいたきめ細かな給与体系に変わることになった。
7.8.あたりであまり人事評価が芳しくなかった私にとっては、これまで得られていたのんびりはたらけてそれなりにいい給料をもらえる安寧の地を失いかねない内容だったため、一気に焦り始めた。
とりあえず自分の業務だけは真面目にこなした…つもりだったが、そんな小手先のものは通用するはずもなく、製造部門への異動内示があった。
製造部門は危険な薬品を扱うことから身体的リスクが高く、その分の手当はついたものの、完全に思い上がっていた私は「製造部門なんてただのソルジャーじゃないか」などと、あからさまに見下した愚かな考えでこれを蹴った。
最後の最後まで高い給料を手放すことだけが未練だった…しかし私は自らの思い上がった考えや行動でそれをみすみす捨ててしまったのだ。
そしておめおめと地元に帰り、その後6年あまりがたとうとしている。
帰った当時、親が体をこわしたからという事情もあったのだが、根本的に私には対人能力がなく、地元を離れて1人で自活するとか、何かを成し遂げることができるだけの能力自体なかったのだと思い知り、地元に帰った、帰らざるを得なかった。
それは1.の時点で既にわかりきっていたことだが、その無能さをどうしても受け入れるのがいやで、むしろ既にそれは露呈していたにもかかわらず、自覚できず、修正もできず、いわば裸の王様の状態で何年も何年も生き恥を晒し続けながら生きてきたということだ。
地元に帰って6年あまりがたった今、さすがにいい加減認めざるを得ないという状況にまで追い詰められ、不本意ながらしぶしぶ受け入れ始めている、というのが現在地だ。
「不本意ながらしぶしぶ」という時点で、まだまだ解決までの道のりは遠そうだ。
かくして自分は無能だということをようやく自覚し始めたが、では今後具体的に何をどうしたらいいのか、やはり無能だからかいまいちわからない。
無能だとわかったところで、今後私が自分なりに幸せに生きるために何をしたらいいのかがわからないのだ。
(それがわからない今は、むしろ「生きることは幸せではないから生きたくない」としか思えない)
今なら何か変な宗教に引っかかれる自信があるな。
これからどうしようか。