はてなキーワード: 商用車とは
「MIRAIには未来はない」理由を、理系のはてなーにわかるように書く の続きで、バス・トラックのFCV化の可能性について書こうとしたんだけど、そこからだんだん水素社会自体について考え始めてしまったのでダダ漏れで書きます。
前増田のブコメで「バス・トラック分野についてはEVよりFCVのほうが優位なのでは?」という指摘を何件かもらった。技術的には概ねその通りだと思う。前増田で挙げたFCVの諸課題は、(2代目MIRAIが実際にそうしたように)車全体のサイズを大きくするほど希釈・軽減されていく性質がある。一方でEVのほうは、車が大型化し、求められる航続距離と出力が大きくなるほど必要な電気容量も増え、それに伴ってバッテリセル部の大型化・重量増・充電時間の長時間化という問題が重くのしかかってくる。
だから、FCVを自家用車のスケールに展開しようとすると技術的に無理が生じてくるし(たとえば、軽自動車サイズで実用的な航続距離を持つFCVを作るのはあまり現実的でない)、逆にEVを大型商用車のスケールに展開しようとすると実用性の面で問題が生じてくる(高価格・高重量で給電にも時間がかかる)。言い換えれば、EVとFCVは、その特性が活かせるスイートスポットが違っている。EVは二輪車〜自家用車レベルに向いていて、それより上へのスケールアップには課題がある。FCVは大型商用車用途なら一定の強みを発揮できる可能性があるけど、自家用車以下へのスケールダウンには向いていない。だから「乗用/大型商用で線を引いて棲み分けする」という選択肢は確かにありうると思うし、当のトラックメーカー側も、日野・いすゞ・ダイムラー・ボルボあたりは現状はEVとFCVの両ベット戦略で進んでて、しかもFCVのほうが将来有望だと考えているように見える。
※大型商用車のEV化については、バス・トラックのバッテリセル部がモジュール化されて、トラック向けの幹線ガソリンスタンドのような「バッテリ換装ステーション」でメーカーや車種を問わずに換装・課金される仕組みが整う可能性もあるんだけど(外付け換装型の商用EV自体は日本では川崎市のゴミ収集車などで、中国では大型トラックで導入されている)、かなり大規模なインフラ変革になるので、バス・トラック業界全体が早急にこの方向でまとまるとは考えにくい。
一方で、実際に大型商用車がEVとFCVのどちらに寄っていくかは、単純に技術的・コスト的な優位性だけでなく、社会や行政がモビリティの分野で「EVベースの電気社会」と「FCVベースの水素社会」のどちらがリアルな選択肢と考えるかによって大きく左右されるかもしれない。個人的には、大型商用FCVは技術的にはEVに対して現状優位にあるけれど、この「社会的なリアリティ」という点から見ると、だんだん厳しいことになっていくような気もする。国と資エネ庁は、モビリティ分野に留まらず我々の社会全体に水素というエネルギー源が浸透する「水素社会」という壮大な絵図を描いて、自家用FCVをその中核的存在と位置づけてきたわけだけど、自家用FCVの将来が怪しくなってきた今、「水素社会」というエコシステム全体にも、それが翻って大型商用FCVの未来にも、陰が差し始めているんじゃないかと。
資エネ庁の水素社会の見取図には、実現しつつある「水素社会」の具体例として、
が掲げられている。このうち①②は、ガス網を経由して送られた天然ガスを改質して水素を作り、さらにそこから電力と熱を取り出す技術だ。この反応過程に水素が介在していることで、「水素社会」の尖兵みたいな扱われ方をしてるけど、改質段階で結局CO2を排出してるので、実は全然カーボンニュートラルではない。天然ガスの持つ反応ポテンシャルを余すことなく高効率に使ってるだけ。
③④は、水素を何らかのインフラ経由で地上の固定設備に輸送し、そこで電気を取り出す技術だ。カーボンニュートラルな水素には、主に「グリーン水素」(再エネの電気で水を電気分解して作る水素)と「ブルー水素」(天然ガスなどを改質して水素を取り出し、同時に発生するCO2はCCSで地下や海底に圧入貯留する方法で生産される水素)の2種類があるけど、グリーン水素で③④をやるのは「電気で製造した水素を物理的に運んで、その先で水素を使ってまた電気(と熱)を作ること」に等しい。そんなエネルギーロスを繰り返すぐらいなら最初から送電網で送った電気を使えばいいわけで、基本的に③④はブルー水素でしかやる意味がない。
ところが日本政府が「水素社会」実現時期のベンチマークとしている2050年にはブルー水素はグリーン水素よりコスト高になるとの予想も、いや2030年にはそうなるという予想もある。そうなった時点で、③④は「電気より割高なエネルギー源」を使って電気を作る、社会的に無意味なアプリケーションになってしまう。
そう考えると、実は「水素社会」のビジョンって、石油・ガスなどの化石燃料エネルギー関連産業と、その産業に紐づく重電系企業・商社・省庁が、既存の資源や技術やインフラを使い廻しつつ「我々もカーボンニュートラルできます! やります!」つって延命するために目いっぱい膨らませてみた風船なんじゃないか、という気がしてきた。
エネルギー企業はこれまで通りLNGや石油を掘り、それを改質し、ブルー水素を取り出し、CCSでCO2を地中に送り込む。商社は既存エネルギーと同じようにそのブルー水素を輸入する。重電企業は既存のLNG火発のガスタービン技術を使って、ブルー水素で発電する。ガス会社は既存の都市ガス網やプロパンガス供給網への水素混入度を高め、情勢を見つつ緩やかに水素ガス供給網に転換していく。こういう、既存の産業構造がそっくりそのまま生き残れる「ありき」の姿から逆算して「水素社会」のビジョンが立ち上げられ、そこに①②③④が繰り込まれてるんじゃなかろうか、と思ってしまった。
このパンパンに膨らんだビジョンを針でつつくと、「水素社会」の絵図の中には⑤の燃料電池自家用FCV・フォークリフト・バス・トラックだけが残る。確かに「設備と送電網を結線して、そのまま電気を利用する」ことができない分野=非結線のモビリティ(自動車・気動車・船舶・航空機など)なら、エネルギーを一旦「水素」という物体に変えて持ち運ぶ必然性が出てくるし、コストや容量の面でも「送電網から無際限に送られる電力」ではなく「有限のバッテリに蓄電される電力」と競うことになり、水素陣営から見た競争条件はだいぶマシになる。でも前増田でも書いた通り、そのモビリティ市場の核となるはずだった自家用FCVは、技術的にだんだん死に筋に入りつつある。
…と考えているうちに、自分は大型商用FCVの将来にもそれほど明るい見通しが持てなくなってきた。「水素社会」の現実的な利用分野が大型商用FCVぐらいしかないとしたら、我々の社会はそれでも「水素社会」路線を推進するんだろうか。そのとき、FCV向けの高純度水素は現実的な価格で流通するんだろうか。もしかしたら大型商用FCVはEVに対する技術的優位性を発揮して、LPG・CNGバス/トラック/タクシーみたいに(一般人には馴染みが薄いけど、社会を支える縁の下の力持ち的な存在として)地道に普及していくのかもしれない。あるいは、この分野のためだけに「水素インフラ」を全国的に整備するコストを社会が負担できず、大型商用車分野でもバッテリ換装や超急速充電などを駆使してEV化が進んでいくのかもしれない。どっちにしても、いま官民が推し進めている「水素社会」の壮大なビジョンとはだいぶかけ離れた、なんだかシケた未来像が思い浮かんでしまった。
モビリティ分野の他に、「水素社会」の普及・浸透が見込めるような「これだ!」って新分野はあるんですかね〜。水素焼肉? 速い水素乾太くん?
こちらは15MB。競技ベース車両というくくりだけど、実態はほとんど商用車。カーナビはオプションにもなし。内装は色も模様も選択の余地なし。ヘッドライトは3年前の「今どき」ハロゲン。
そう言えば、センサー感知の警告装置の類は、全グレード共通装備だから一通り付いてたね。最初はピーピー煩いのに閉口したもんだ。
走りに直結する部分は、一応モータースポーツベースの片鱗をうかがわせるところもあって、エンジンはハイオク仕様でちょい高馬力(でもロードスター用ほどのチューンではない)。あとフロントブレーキはディーゼル用と同じ大径。このあたり、競技用と謳いつつも、欧州向けを持ってきただけなのでは、という気もしなくもない。
買った時点でこの型が出て4年弱が過ぎてたから、最初の車検前には旧モデルになるかと思ってたけど、ご時世やメーカーの事情もあってか、一応現行のまま(車名はデミオからMAZDA2に変わったけど)乗り続けられて、なんとなく今年も新型は出なさそうな空気で、ちょっと得した気分。
競技とかするわけでもなく、普通に乗れるMTが欲しかっただけのニーズにベストマッチで、不満なく日常のアシとして転がしてるよ。
さっき飲み会から帰ってきた。こんな状況になってから初めての、本当に久しぶりの飲み会だった。しばらく会ってなかった友人にも再会できた。楽しかった。楽しくてマスクを居酒屋に置き忘れてしまったくらいだ。自分はインドア派でステイホームなんて別に不便でも何でもないよとか思ってたけど、やっぱりちょっと我慢していたんだななんて思った。
で、けっこう通りに人も戻ってきてるなとかタクシーの窓から外を眺めてたら、あれが目に入った。
「車導指 会協ーヤイハ〇〇」
パトカーみたいに白黒に塗り分けされてるけど、パトランプはない車の側面に書かれていた。もちろん反対側には「〇〇ハイヤー協会 指導車」とあるはずだ。(〇〇は町の名前)
前もって言っておくと、私は普段、「イケメン/美人だと言われてるあの芸能人の良さが分からない」とか「名作とされてるあのアニメの良さが分からない」とかいう人間に会うとウルセーなと思う側の人間だ。お前に好かれたり理解されたりするために世界は存在してねーよ、と。自分が理解できないものや良さが分かないものでも理由があってそこに存在していたりするものだ。それは分かってる。
でもだ、「車導指 会協ーヤイハ〇〇」はやっぱりおかしくないか? ハイヤー協会のやつは今回初めて見たが、トラックや商用車でよく見るあれだ。そもそも、何らかの理由(美しさとか?)で左右対称にしたいなら、当然ここは鏡文字になっているはずだ。そうしないと反対側と完全にシンメトリーにならない。それだと読みづらいだって? いや、「車導指 会協ーヤイハ〇〇」は読みづらいだろ。読みやすさ重視なら、普通に車の両サイドに「〇〇ハイヤー協会 指導車」でいいだろ。
こういうのを目にするたびに、私なりに理由を一生懸命考えてみるんだが、何度考えてもやっぱり納得できない。たぶん昔は横書きの日本語を右から左に読んでいた、あたりが関係してきそうな気はしてるんだが……
もうずっと長いことこのモヤモヤを抱えて生きている。たのむ、誰か納得のいく理由を説明してくれないか? こんなにこの世に存在しているからには、必ず理由があるはずだ。いや、納得できなくてもいい。私が納得できなくても、なるほどそういう風にこれを正しい/美しいと考えている人たちがいるのだ、という理解はしたい。
あとついでにCDのことを「シーデー」と言うと笑われるのに、「スィーディー」と言うとやっぱり笑われる(ような気がする)のは何でなんだ? シーディー? おかしくない?
酔っぱらってるのかな。寝ます。
これを手放してからは、どの車にも興味が無くなった。
4500回転を超えると背中を蹴飛ばされる感覚の暴力的な加速だった。速さだけを追求した車だった。この姿勢が好きだった。
これ以降、車は車重が増え、どうでもいい装備が標準みたいになり、どんなスポーツモデルでも、装備はしっかりついてる
もうあきらめてたら、1200kg台と270馬力。GC8のtypeRAよりは少し重いけど、最近の車にしては驚異的な軽さ。
それと、1600cc3気筒ターボという聞いたこともないエンジンと、R32 GT-Rを上回るトルク。
これは乗りたい。
しかも、専用ラインで、溶接もたくさんしてて、とか聞くと、居ても立ってもいられない。
でも、装備が豪華なんだよな。テレビみたいのはいらないし、ベースモデルも出してほしかった。
※ラリーに使う人は、引っ剥がすのに、あのまま買うんだろうか
白でドアミラーが黒で、くるくるウィンドウ。内装はねずみ色のビニール。シートも商用車バンのやつ。
これで250万円。即決。
横断歩道、止まらない車 「五輪対策」で警察が摘発強化:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM8871ZQM88UTIL045.html?iref=comtop_8_04
狭い観測範囲の偏見だけど、女性ドライバーって止まらないよね。
横断歩道渡ろうとして、目の前をビュンって通り過ぎる車の運転手ってたいてい女性なんだよなあ。
カラフルな軽が来ると「止まらないんだろうなあ」って警戒するぐらいに。
横断歩道では止まらないが、踏切ではほとんどの車が一時停止をするのはなぜなのか?
1時間に1本ぐらいしか通らない田舎の踏切でも全部止まる。なんなら廃止された踏切でも止まる。
なぜこんなに差がついているのか。
国沢光宏氏というモータージャーナリストがあおり運転について書いた下記の二つの記事について論評をする。
あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…
https://clicccar.com/2018/09/25/632769/
「あおり運転はあおられる方にも原因がある」に対する反発意見への回答
https://clicccar.com/2018/09/27/633397/
国沢氏がどれほど影響があるモータージャーナリストであるのかは知らないが、少なからずメディアに出てくる以上こういった社会問題に関連する記事を書くにあたり正確な情報を書くべきではないだろうかと考えた。
記事の要点は「あおり運転はあおられる側にも原因があり、その原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。だから後続車が来たら道を譲るべきである。自分勝手なドライバーがいるのは教習所で遅く走る時は後続車に道を譲るよう教えないからである。だから教習所は教えるべきである。」である。
全てが正確ではない、間違っているというわけではない。正しいこともあり同意できる部分もある。
しかし、記事の内容が全てであるかのような書き方は、間違った部分は間違った認識を広め、場合によっては間違った行動を引き起こす恐れがある(注意してもらいたいのは間違った行動はあおり運転のことだけを指しているわけではない)。
そういったことを防ぐためにジャーナリストであるのであれば正しい情報を書くべきである。社会問題に関連する記事は一個人の感想(=主観)が入る車の試乗記事とは違うのである。
ちなみに私は何度も上記の国沢氏の記事を読み直した。それは記事の前後で矛盾があり腑に落ちない点が自分の誤解なのではないかと思ったのも原因である。
しかし、それでも腑に落ちない点は解消されなかった。二つ目の反対意見への回答の記事は国沢氏曰くもう少し解りやすく説明したにも関わらずだ。
問題は二つある、。
一つめの問題点は、国沢氏が「あおられる側にも原因をある。」とあおり運転は両方に原因があるとしている。
国沢氏の主張として、あおられる方の原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。しかし、全てを一つの原因と結論づけていいのだろうか?
あおり運転が発生した状況を分析すればケースバイケースでいくつかに分けることができる。
つまりケースバイケースで原因が異なってくることを意味している。それは場合によってはあおられる方に原因が無いと考えられることもできる。
田舎の区間のせいかガラガラの高速道路の走行車線を制限速度の100km/hで走行中、同じく走行車線を走る大型トラックが3台おり、速度差があるためトラックに追い付いた。
ちなみに私はクルーズコントロールを使用して走行していた。その設定速度の誤差ははGPS速度計と比較して1km/h程度であることは事前に確認してあった。
前のトラックとは安全な距離をこれ以上、確保できない距離まであと少しという距離まで近づいたところでルームミラーとサイドミラーを確認した。
追い越し車線上には後方を商用車のライトバンが走っていがいたが、ルームミラーでは意識する必要が無いくらいの離れていた。そのライトバンが10km/hぐらいの速度オーバーで近づいてきてもそう簡単に追いつかれない距離である。
徐々に大型トラックを追い越しいく念のためルームミラーを確認したところライトバンの距離が急激に近づいていることが確認できた。大幅な速度超過をしていることが予想できた。
大型トラック同士の車間距離は大型トラックへの安全を考慮すると走行車線側に避けるには十分とは言えない。
そのため引き続き走行車線を走り続けた。もちろん大型トラックの追い越しが完了でき次第、走行車線に車線変更するつもりで走っている。
しかし、大型トラックを2台目を追い越すころにライトバンが追い付き、ナンバーが見えない距離まで車間距離を詰められた。ライトバンはあおり運転をし始めた。
そのあおり運転は3台目の大型トラックを追い越し、終わり走行車線に戻るまで続けられた。もちろん私は追い越しが完了次第、走行車線に戻っている。
ルームミラーに3台目の大型トラックの前の部分が映ったのを確認したらウインカーをだして車線変更をしている。そのまま追い越し車線を走行をし続けてはいない。
ちなみにあおってきたライトバンは走行車線が空いているにも関わらず、私を追い越した後も引き続き追い越し車線を走り続けいた。
しかも、私が大型トラックを追い越す前から走っていた。私の後ろには走っている車は無く走行車線に戻るには十分なスペースがあるにも関わらず追い越し車線を走っていた。
このような経験をしたことがある人は少なくないのではないだろうか?
ここで原因を分析したい。
結論から言ってしまえばライトバンの大幅な速度超過があおり運転が発生した原因である。
道交法に従い走行車線を走り、追い越し車線を追い越しのためだけに使用している。また、クルーズコントロールを使い制限速度で走っている。絶対そんなことはない、1km/hでもオーバーしているまたは遅いこともあるはずだって人もいるだろ。
確かにその指摘はごもっともだろう。しかし、1km/h程度の差は今回のあおり運転が発生した原因に寄与していると言えるだろうか?私にはその理由が思いつかない。そのため考慮すべきことから除外する。
最後に追い越しが完了次第、走行車線に戻り後続車に道を譲っている。これも道交法に従った行為である。しかもこの追い越しは走行車線を走っている大型トラックへの安全も配慮している。
ここまで私に何か落ち度があっただろうか?ただ道交法に従って走っているだけである。
国沢氏の記事によればマナーが良いドライバーであるのであろう。しかし、私はこの譲るという行為により自分がマナーが良いドライバーとは私は思っていない、単に道交法に従っているだけである。
先にも書いたが追いつかれた車の義務として後続車に道を譲っている。状況的にマナーとしてではない。
一方、ライトバンはどうであろうか?大幅な速度超過をしている。先にも書いたが10km/hぐらいの速度超過ぐらいでは簡単に追いつかれない、また意識する必要性も無い距離であることを確認してから私は追い越し車線へ車線変更をしている。
また、もし覆面パトカーがいたら確実に捕まる速度である。私自身、何度か覆面パトカーで捕まるのを目撃している経験からそう判断した。
ここで10km/hとしたのはメーターの誤差を考慮してである。ライトバンが制限速度で走るため誤差を考慮してメーター読みで110km/hで走っているかもしれない、しかし実際はメーターがほぼ実測に近い場合もあると考慮している。メーターには誤差があるからこれは仕方が無いことである。
もしライトバンによる大幅な速度超過が無ければ私が大型トラックを追い越し終わるまでには追い付かない、すなわちあおり運転が発生する状況は生じなかったのである。
だから原因はあおり運転をしていた後続車にあり、あおられた側にはないと結論できるのである。そしてその原因は大幅な速度超過である。
後続車の速度を見誤って追い越したのが悪いという人もいるかもれいない。しかし、結局はその原因も後続車の大幅な速度超過が悪いという結論に達するだけである。
後続車をジャマするからあおられる。だからあおられる側も原因があると国沢氏の主張は一部であっているかもしれないが、そうでない場合もあるのである。
ここに書いたのは私が書いた経験の一例である。他にも分析をすればあおられる側に落ち度が無いケースはあると考えられる。
二つ目の問題は、平然と矛盾している。誰か校正してないのであろうか?
補足記事に下記のように書かれている。
"・あおるヤツがすべて悪い"
"その通りだと私も文末に書いている。"
"あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…"
またその文末にはこう書いてある。
"そもそも3車線ある区間で大型トラックが一番右の車線を走ることは道交法で禁止されている違法行為。警察もキチンと取り締まれば良いと考える。とにかく後続車にケンカを売るような走り方を一掃することから始めるべきだろう。その後に残るあおり運転は明らかに犯罪者だと思う。遠慮や躊躇すること無く検挙し、一発免停などの厳罰処分をしていけばよい。"
何度もタイトルと文末を読み直した。
私にはタイトルと元の記事の内容からあおられ側にも原因があると国沢氏主張しているとしか読めなかった。そもそもそれを主張するための記事ではなかったのであろうか?
文末にあおるヤツだけが原因だと書かれている個所を発見することは出来なかった。
どこにあおるヤツがすべて悪いと書かれているのであろうか?あおられる側にも原因があると主張しているのが元の記事である。すなわちあおるヤツが全て悪いという主張は記事の意図とは明らかに違う。。
国沢氏が補足記事に下記のように書いているが、読解能力の問題なのだろうか?国沢氏の論理の展開力の問題か校正の問題ではないだろうか?
”よく読んで頂ければ記事に盛り込んであるのだけれど、昨今の人は読解能力の問題なのか理解出来ないようだ。”
また下記の文も不可解である。
"後続車のジャマをしなければいいだけのシンプルな事象と全く違う。"
あおられる方だけに責任があると読める文章である。なぜならひとこともあおる方を指摘する文が入っていためである。
主張が補足記事のなかで変わるためなにが本当の国沢氏の主張なのか理解し難い。この一文が国沢氏の本音の主張であり、他は建前ととらえることもできる。
また、この文を読んだときに国沢氏のあおり運転の問題に対して自分の主観だけに基づいて記事を書いたのではないかと疑った。
もし本当に国沢氏が先ほど引用した文にあるようにあおる方が悪いとと思っているのであれば「道交法を守ればいいだけのシンプルな事象」の方が本質を表しているので適切ではないか?
前を走る車も後続車も皆が道交法を守ればあおり運転は発生しない。それが出来ていないから問題なのではないだろうか?
にも関わらず国沢氏があおられる方だけ限定するのは不可解である。モータージャーナリストであるのであれば客観的に考察をしてもらいたいものである。
早い後続車が来たら道をゆずることとそれを教習所で教えるべきという点は同意できる。道路の状況次第で適切に行うことは良いことである。また一部の犯罪者気質からの防衛運転すべきという点も同意できる。
また、大型トラックが追い越し車線を走行しているのは道交法違反であり、円滑な交通を阻害しているという主張も同意できる。
社会問題となっているあおり運転に関する国沢氏の記事は正確さにかけていることを指摘した。
まず、国沢氏の主張であるあおられる方にも原因があるというのは間違っていることを指摘した。
ケースバイケースで分析をしないとあおられる方にも原因があるとは断定できない。すなわちあおられる方に落ち度が無いこともある。
一部、そうったあおられる方にも原因があることもあるとうのであれば理解はできるが、国沢氏の文章にはそう書かれてはいない。
また、国沢氏の主張には明白な矛盾があることを指摘もした。あおられる方にも原因があると主張する記事でありながら、あおるやつが全て悪いと補足されている矛盾があった。
ただし、国沢氏の主張が全てが間違っているわけではなく、正しく同意できる部分もある。
あおられる方だけに責任があると読める文が含まれていた。コンプライアンスが厳しく問われる昨今、モータージャーナリストとしてこの文がいかがなものであろうか。
モータージャーナーリストは記事を書いてお金を貰い(このお金も元を辿れば一部は自動車メーカーもしくは関連会社のスポンサーからであろう)、自動車メーカーや輸入代理店が用意した試乗車を公道もしくは自動車メーカーが高い金を払って借りたサーキットで試乗している。
言いかえれば直接的、間接的に自動車メーカーや関連会社と一緒に仕事をしているのがモータージャーナリストである。請け負っていると言う方が適切かもしれない。
そのモータージャーナリストである国沢氏のこのあおられる方だけに責任があるよめる文を記事に書くことに関して自動車メーカーや関連会社の人達はどう思うのであろうか?
私が自動車メーカーの人間なら一緒に仕事をするのを止めたいと思う。一緒に仕事をすることでブランドイメージが損なわれる恐れがあると考える。
・高級車ばかり、高額なナンバー代
高齢の父親とともに格安ツアーで行って来ました。大連→無錫→上海(二泊)で四泊五日。
ちょっと見てきただけで分かった気になるなと言うなかれ。現地ガイドが付きっきりなので、リアルな話が何でも聞ける。個人旅行じゃ得られない情報源。バスは最前列に座る!
自分が気づいたことを書いてるブログ記事とかがあまり無いようなので書いてみました。主に上海の事です。
別のツアー客の方が気づいてガイドさんに質問。まさかと思って、改めて道を見ると本当だったので驚愕した。確かに大きな車なんてバスぐらいなもの。ハイエースみたいな商用車さえ見かけない。
ガイドさん曰く、共産党の命令により日中は商用車の乗り入れが禁止されているとのこと(例外はあるだろうけど)。見栄えが悪いからという理由らしく、聞いたときは独裁国らしく横暴だと思ったが、よく考えるとアリだと思った。渋滞も減るし、排ガスは減るし、事故も減る。合理的!
ここは青山かと思うくらいの高級車率。5割くらい?それが上海規模。ナンバーを取るのに何年も待たされる上に、ナンバー代が180万円とのこと。日本でそれだけ出せる世帯がどれだけあるだろう。
おのずと500万円するような高級車がポンと買える人ばかりなわけで、ベンツ、Audi、レクサスなんかがゴロゴロしてる。Cセグメントなんか買うのがアホらしいわけで、そりゃスズキが撤退するわけだよ。あと、大連だとナンバー代は35万円ぐらいと言っていた気がする。
レーンごとに制限速度があるみたいで、例えば3レーンだと
120 | 100 | 80 |
となっていて、前の車が制限速度以下で走ってようなものなら後ろの車は鬼パッシング。すぐに道を譲ってくれる。
日本の追い越しルールよりずっと合理的だし、速度違反も一度も見なかった。日本でパッシングなんてやろうものなら下手したら警察沙汰。
ほぼ電動スクーター。ガソリンバイクなんてめったに見ない。2%ぐらいか。バイク専用の側道も多かった。3輪バイクとかも多くて面白い。
オレンジ色のバイク充電器が塀にとりつけられていた。お金を入れると一定時間充電できると思うのだけど、日本で見たことない。素晴らしい。
「出川哲朗の充電させてもらえませんか」なんて番組やってるけれど、それだけ日本では電動バイクはコミューターとしてまだ実用的じゃ無いってこと事。
残念なのは運転マナーで、暗くなっても無灯火ばかり。目の前で車と衝突して吹き飛ばされてたし。大ケガかと思ったけど、しばらくしたら立ち上がってまたバイクで走って行った…。
信号の設定が頭おかしくて、成人が小走りで走って青信号中にギリ渡れるかってレベル。父親なんか高齢で足が遅いので、まさに命がけのチキンゲーム。超怖かった。
ガイドさんからも「日本は歩行者優先ですが、この国は車優先ですので気をつけて」と念を押されていた。儒教の国じゃなかったの?ガイドさんによると、交通事故の年間死者数は10万人超えてるとのこと…。
ナンバー取得制限、商用車乗り入れ制限、電動バイクやシェア自転車優遇、激短い歩行者信号。あらゆる政策が、増え続ける車で交通が麻痺しないために計算されてるように思った。頭のいいテクノクラートが超頑張ってる。人権は二の次かもしれないけど!
商用車の都市部への乗り入れ制限や高速道路の速度制限のルールなんかは、日本で取り入れても面白いかもしれない。あとバイクの充電ステーションが日本に無いのは理解できん。
だが無料・格安駐車場・駐輪場が整備されることは良いのだが、道路までもが都市鉄道並みに整備され、むしろマイカーの利用を推奨するかのようにノーマイカー運動も衰退している。
挙句の果ての自転車・オートバイ縛りの校則の衰退と自転車・オートバイの日用品化。
もし本当に車社会を憎むなら、公共交通を徹底的に再生すべきだ。
何故なら、香港・韓国・台湾の都市は徹底したバス交通の整備で自転車不要の都市を実現できたからだ。
日本人は今すぐに、公共交通の近代化と再生を実現させねばならない。
私が彼らにこう言うと「自動車やバイクは災害時にこそ役に立つ」と言う。
なるほど一理ある。だが、そこでいい方法がある。
自動車やバイクの量を制限する代わりに、現実の許す限り職住を分散化させれば、致命的災害などで鉄道が使えなくても移動手段に困る心配は要らない。
当然、災害時の一時宿泊所も十分に整備する前提があっての話だ。
都会の道路でのマイカーや自家用オートバイの流入量を制限すれば、商用車の渋滞も減り、バスの遅延や事故もいくつかは減る。
車 名 | 全 長 | 全 幅 | 全 高 | 荷室長 | 荷室幅 | 荷室高 | 最小回転[4WD] | ガソリン | ディーゼル |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ハイエースバン | 4,695 | 1,695 | 1,980 | 3,000 | 1,545 | 1,335 | 5.0[5.2] | 2000 | 3000 |
キャラバン | 4,695 | 1,695 | 1,990 | 3,050 | 1,545 | 1,335 | 4.7[5.3] | 2000 | 2500 |
ボンゴバン | 4,285 | 1,630 | 1,850 | 2,375 | 1,480 | 1,345 | 4.3[5.1] | 1800 | |
NV200 | 4,400 | 1,695 | 1,850 | 2,040 | 1,500 | 1,365 | 5.2[-] | 1600 | |
ライトエース | 4,045 | 1,665 | 1,900 | 2,045 | 1,495 | 1,305 | 4.7[5.3] | 1500 | |
プロボックス | 4,245 | 1,690 | 1,525 | 1,810 | 1,420 | 935 | 4.9[4.9] | 1500 | |
ADバン | 4,395 | 1,695 | 1,500 | 1,830 | 1,285 | 940 | 4.7[5.2] | 1500 | |
エブリイバン | 3,395 | 1,475 | 1,895 | 1,910 | 1,385 | 1,240 | 4.1[4.1] | 660 | |
ハイゼットカーゴ | 3,395 | 1,475 | 1,875 | 1,860 | 1,375 | 1,235 | 4.2[4.2] | 660 | |
アクティバン | 3,395 | 1,475 | 1,880 | 1,725 | 1,335 | 1,200 | 4.5[4.6] | 660 |
プロボックスは1300cc/1500cc
ADバンは1500cc/1600cc/1800cc
自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。
「自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。
痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ
この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。
国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース
ま、痛いニュースとJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、
国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業、日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタのシェア(軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。
国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。
要は、
ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。
で、その対策として当時のトヨタは、
トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。
対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。
少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタの渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。
というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。
それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、
となっている。
で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)
豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報
まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、
トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の
プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。
9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町の富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級
スポーツカー「レクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。
つまり、
のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。
でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、
クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。
要は、
ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年の痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。
結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。
まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)
であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランス製オープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。
30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxのルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。
これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏・関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。
"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。
タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、
それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。
まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。
ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインのメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループの低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。
一方、スポーツブランド、エンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパは階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェやフェラーリ、はたまたブガッティやランボルギーニなどのカロッツェリアがリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。
というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタがアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークのヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、
経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーはレビン/トレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートやダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1。軽自動車なのに、ミドシップでガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、
で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダ、マツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。
で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。
テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】
このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず。
都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターン(Uターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)
都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。
そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。
その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。
それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンやタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドやイトキン、オンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップ、レディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックス&チャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿のテイストは無理だけど、池袋マルイやサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。
じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツ、スズキ、スバル、ホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービス・メンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービス・メンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。
販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージのターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。
小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーもボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダのスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダのハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。
ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストでローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。