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今年もサポーターの御願いです。昨今、好き放題書いていると”強い圧力”を感じます | 自動車評論家 国沢光宏
強い相手の憎まれ口を書くと、私より圧倒的にパワー持ってる。いろんなルートや方法で圧力を掛けられます。そりゃそうだ。書かれた方からすれば当然のこと。それについて批判は全くしない。私だって認識しているからトシ取ったら穏やかな爺さんになろうと思っていた次第。けれど今まで私以上にパワフルだった先輩方が徐々にいなくなるや、忖度ばかりになりつつある。
1人くらい苦言も呈する評論家が居たっていいか? 幸い、これからの伸び代があるワケじゃなく、子供は育ったのでお金も掛からない。圧力によって仕事&収入減ったって、何とか暮らしていける。そもそも覚悟して憎まれ口を叩いているのだった。
さすが国沢先生だ。
あとはリフォーム業界も似たような臭いを感じるのでメスを入れてほしいと思う。
以前はそれほど悪くなかったのかもしれないですね。副社長が会社に関わりだしてからいろんなことが起きている。枯れ木の事件も2018年頃から始まっているので、副社長が実権を握ってからおかしくなったと考えていいのかもしれないですね。
お父さん=前社長はたたき上げの人ですけど、副社長は早稲田大学に入って、会社に入ってからMBAを取っています。父親からすればかわいい息子だったと思ういます。
今回、評判がとにかく悪いです。これだけ悪口言われてるのだから、出てきて釈明すればいいのに全然出てこない。
■今後は?問われる企業体質
ビッグモーターはこの現状をどのくらいの危機感で捉えているのかというのが見えてこない。
7月26日、国交省の取り調べで「大丈夫だったと思います」と言いましたよね。国交省側は本気でビッグモーターの整備業務をさせないようにしようとしてるらしいです。
そうするともう、もう整備業ができなくなります。金融庁が入ってくると「保険業務を一切できなくする」ということをすると思います。そうすると整備も保険も使えないと、後は車を「売る・買う」しかなくなって、これも厳しくなってくると思います。だから非常に経営は厳しくなると思います。
ビッグモーターがもちろん悪質なのは悪質。でも、損保と代理店の関係性自体が持ちつ持たれつの部分を変えないと、全体の解決にならないのではないかと言う方がいます。これは何を変えるとこの土壌は変わるのですか。
まず、全部自分のとこで完結しちゃってるわけですよね。書類を書いてお金を払わせて、適当にやってできるわけじゃないすか。今、金融庁が考えてるのはそこにメスを入れて一定のガバナンスを作ることをやってるようですね。
それは第三者を入れるということですか?
第三者を入れなくても今まで50年間続いてきたものなので、きっちり管理すれば何とかなるということだと思います。
国沢光宏がまたアホなことを言うてる。
信号の無い横断歩道では渡りたい歩行者が車に合図を出せ、だってさ
自動車で飯食ってる人だからポジショントークであることはわかるが
G7先進国で交通事故死者数が「歩行者>自動車」なのは日本だけ。
自動車自爆あるいは自動車同士の事故よりも歩行者が轢かれて殺される人数の方が多い。
(これも知らない人が多いんだけど諸外国の交通取締りは日本よりも厳しい
取り締まりを警察の点数稼ぎなどと揶揄されるが、こんなもんやればやるほど赤字で
赤字でも諸外国はコスト投下してやってんの、日本の芸能人がアメリカに移住して
国沢は、渡るか渡らないかわからないのが問題なんだから渡りたい歩行者が合図を出せばよい
合図を出さないヤツは一律渡らない人と判断してよい、車が優先。という主張なんだが。
アホなの?
国沢って人はバカなの?
そもそもなんで歩行者がわざわざ車に合図してやらねばならんのだ?
子供は?
合図を出すことが習慣づけられない知的障害者は?
例え健常者でも合図を出し忘れたら歩行者の過失にするの?
ドラレコで「ほうら合図してない、歩行者の落ち度だ、合図してくれてたらちゃんと止まったのに」
とでも言うのか?
法的な整合取れるわけねぇだろ
アホなの?
国沢って人はバカなの?
車は歩行者の意図や様態に関係なく歩行者がいたらとりあえず止まる。
それだと歩行者が渡らなければいつまでも自動車は進行できない。てか
それだけ停止してもまだ歩行者が進行開始しなけりゃ通過すりゃ良い。これは現行法でもそうなってる。
動画見る限りせいぜい1秒、十分な時間停止しているとは言えないからです。
期待可能性を主張できないのは明らかで。
道交法の運用の過渡期であるから警察は面倒な議論を避けるため違反撤回したに過ぎない。
話しを戻すが、無意味に立ち止まってる、つまり歩行者が5秒から10秒横断歩道途中か手前で立ち止まっているのだから
国会議事堂の前で反政府デモでもやらなきゃ適用されない条文だが、警察はこちらを堂々と使えば良い。
法的な整合は取れる。
つまり自動車の通行に対して干渉妨害となる違法な立ち止まりも歩行者を処罰する。
方や自動車は歩行者の様態に関係なくとりあえず停止義務。現行法通り。
海外ではやってて結果出てる。
国沢光宏氏というモータージャーナリストがあおり運転について書いた下記の二つの記事について論評をする。
あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…
https://clicccar.com/2018/09/25/632769/
「あおり運転はあおられる方にも原因がある」に対する反発意見への回答
https://clicccar.com/2018/09/27/633397/
国沢氏がどれほど影響があるモータージャーナリストであるのかは知らないが、少なからずメディアに出てくる以上こういった社会問題に関連する記事を書くにあたり正確な情報を書くべきではないだろうかと考えた。
記事の要点は「あおり運転はあおられる側にも原因があり、その原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。だから後続車が来たら道を譲るべきである。自分勝手なドライバーがいるのは教習所で遅く走る時は後続車に道を譲るよう教えないからである。だから教習所は教えるべきである。」である。
全てが正確ではない、間違っているというわけではない。正しいこともあり同意できる部分もある。
しかし、記事の内容が全てであるかのような書き方は、間違った部分は間違った認識を広め、場合によっては間違った行動を引き起こす恐れがある(注意してもらいたいのは間違った行動はあおり運転のことだけを指しているわけではない)。
そういったことを防ぐためにジャーナリストであるのであれば正しい情報を書くべきである。社会問題に関連する記事は一個人の感想(=主観)が入る車の試乗記事とは違うのである。
ちなみに私は何度も上記の国沢氏の記事を読み直した。それは記事の前後で矛盾があり腑に落ちない点が自分の誤解なのではないかと思ったのも原因である。
しかし、それでも腑に落ちない点は解消されなかった。二つ目の反対意見への回答の記事は国沢氏曰くもう少し解りやすく説明したにも関わらずだ。
問題は二つある、。
一つめの問題点は、国沢氏が「あおられる側にも原因をある。」とあおり運転は両方に原因があるとしている。
国沢氏の主張として、あおられる方の原因は後続車のジャマをしている(=ケンカを売っている)からである。しかし、全てを一つの原因と結論づけていいのだろうか?
あおり運転が発生した状況を分析すればケースバイケースでいくつかに分けることができる。
つまりケースバイケースで原因が異なってくることを意味している。それは場合によってはあおられる方に原因が無いと考えられることもできる。
田舎の区間のせいかガラガラの高速道路の走行車線を制限速度の100km/hで走行中、同じく走行車線を走る大型トラックが3台おり、速度差があるためトラックに追い付いた。
ちなみに私はクルーズコントロールを使用して走行していた。その設定速度の誤差ははGPS速度計と比較して1km/h程度であることは事前に確認してあった。
前のトラックとは安全な距離をこれ以上、確保できない距離まであと少しという距離まで近づいたところでルームミラーとサイドミラーを確認した。
追い越し車線上には後方を商用車のライトバンが走っていがいたが、ルームミラーでは意識する必要が無いくらいの離れていた。そのライトバンが10km/hぐらいの速度オーバーで近づいてきてもそう簡単に追いつかれない距離である。
徐々に大型トラックを追い越しいく念のためルームミラーを確認したところライトバンの距離が急激に近づいていることが確認できた。大幅な速度超過をしていることが予想できた。
大型トラック同士の車間距離は大型トラックへの安全を考慮すると走行車線側に避けるには十分とは言えない。
そのため引き続き走行車線を走り続けた。もちろん大型トラックの追い越しが完了でき次第、走行車線に車線変更するつもりで走っている。
しかし、大型トラックを2台目を追い越すころにライトバンが追い付き、ナンバーが見えない距離まで車間距離を詰められた。ライトバンはあおり運転をし始めた。
そのあおり運転は3台目の大型トラックを追い越し、終わり走行車線に戻るまで続けられた。もちろん私は追い越しが完了次第、走行車線に戻っている。
ルームミラーに3台目の大型トラックの前の部分が映ったのを確認したらウインカーをだして車線変更をしている。そのまま追い越し車線を走行をし続けてはいない。
ちなみにあおってきたライトバンは走行車線が空いているにも関わらず、私を追い越した後も引き続き追い越し車線を走り続けいた。
しかも、私が大型トラックを追い越す前から走っていた。私の後ろには走っている車は無く走行車線に戻るには十分なスペースがあるにも関わらず追い越し車線を走っていた。
このような経験をしたことがある人は少なくないのではないだろうか?
ここで原因を分析したい。
結論から言ってしまえばライトバンの大幅な速度超過があおり運転が発生した原因である。
道交法に従い走行車線を走り、追い越し車線を追い越しのためだけに使用している。また、クルーズコントロールを使い制限速度で走っている。絶対そんなことはない、1km/hでもオーバーしているまたは遅いこともあるはずだって人もいるだろ。
確かにその指摘はごもっともだろう。しかし、1km/h程度の差は今回のあおり運転が発生した原因に寄与していると言えるだろうか?私にはその理由が思いつかない。そのため考慮すべきことから除外する。
最後に追い越しが完了次第、走行車線に戻り後続車に道を譲っている。これも道交法に従った行為である。しかもこの追い越しは走行車線を走っている大型トラックへの安全も配慮している。
ここまで私に何か落ち度があっただろうか?ただ道交法に従って走っているだけである。
国沢氏の記事によればマナーが良いドライバーであるのであろう。しかし、私はこの譲るという行為により自分がマナーが良いドライバーとは私は思っていない、単に道交法に従っているだけである。
先にも書いたが追いつかれた車の義務として後続車に道を譲っている。状況的にマナーとしてではない。
一方、ライトバンはどうであろうか?大幅な速度超過をしている。先にも書いたが10km/hぐらいの速度超過ぐらいでは簡単に追いつかれない、また意識する必要性も無い距離であることを確認してから私は追い越し車線へ車線変更をしている。
また、もし覆面パトカーがいたら確実に捕まる速度である。私自身、何度か覆面パトカーで捕まるのを目撃している経験からそう判断した。
ここで10km/hとしたのはメーターの誤差を考慮してである。ライトバンが制限速度で走るため誤差を考慮してメーター読みで110km/hで走っているかもしれない、しかし実際はメーターがほぼ実測に近い場合もあると考慮している。メーターには誤差があるからこれは仕方が無いことである。
もしライトバンによる大幅な速度超過が無ければ私が大型トラックを追い越し終わるまでには追い付かない、すなわちあおり運転が発生する状況は生じなかったのである。
だから原因はあおり運転をしていた後続車にあり、あおられた側にはないと結論できるのである。そしてその原因は大幅な速度超過である。
後続車の速度を見誤って追い越したのが悪いという人もいるかもれいない。しかし、結局はその原因も後続車の大幅な速度超過が悪いという結論に達するだけである。
後続車をジャマするからあおられる。だからあおられる側も原因があると国沢氏の主張は一部であっているかもしれないが、そうでない場合もあるのである。
ここに書いたのは私が書いた経験の一例である。他にも分析をすればあおられる側に落ち度が無いケースはあると考えられる。
二つ目の問題は、平然と矛盾している。誰か校正してないのであろうか?
補足記事に下記のように書かれている。
"・あおるヤツがすべて悪い"
"その通りだと私も文末に書いている。"
"あおり運転はあおられる方にも原因がある。なぜ譲らない? その原因は…"
またその文末にはこう書いてある。
"そもそも3車線ある区間で大型トラックが一番右の車線を走ることは道交法で禁止されている違法行為。警察もキチンと取り締まれば良いと考える。とにかく後続車にケンカを売るような走り方を一掃することから始めるべきだろう。その後に残るあおり運転は明らかに犯罪者だと思う。遠慮や躊躇すること無く検挙し、一発免停などの厳罰処分をしていけばよい。"
何度もタイトルと文末を読み直した。
私にはタイトルと元の記事の内容からあおられ側にも原因があると国沢氏主張しているとしか読めなかった。そもそもそれを主張するための記事ではなかったのであろうか?
文末にあおるヤツだけが原因だと書かれている個所を発見することは出来なかった。
どこにあおるヤツがすべて悪いと書かれているのであろうか?あおられる側にも原因があると主張しているのが元の記事である。すなわちあおるヤツが全て悪いという主張は記事の意図とは明らかに違う。。
国沢氏が補足記事に下記のように書いているが、読解能力の問題なのだろうか?国沢氏の論理の展開力の問題か校正の問題ではないだろうか?
”よく読んで頂ければ記事に盛り込んであるのだけれど、昨今の人は読解能力の問題なのか理解出来ないようだ。”
また下記の文も不可解である。
"後続車のジャマをしなければいいだけのシンプルな事象と全く違う。"
あおられる方だけに責任があると読める文章である。なぜならひとこともあおる方を指摘する文が入っていためである。
主張が補足記事のなかで変わるためなにが本当の国沢氏の主張なのか理解し難い。この一文が国沢氏の本音の主張であり、他は建前ととらえることもできる。
また、この文を読んだときに国沢氏のあおり運転の問題に対して自分の主観だけに基づいて記事を書いたのではないかと疑った。
もし本当に国沢氏が先ほど引用した文にあるようにあおる方が悪いとと思っているのであれば「道交法を守ればいいだけのシンプルな事象」の方が本質を表しているので適切ではないか?
前を走る車も後続車も皆が道交法を守ればあおり運転は発生しない。それが出来ていないから問題なのではないだろうか?
にも関わらず国沢氏があおられる方だけ限定するのは不可解である。モータージャーナリストであるのであれば客観的に考察をしてもらいたいものである。
早い後続車が来たら道をゆずることとそれを教習所で教えるべきという点は同意できる。道路の状況次第で適切に行うことは良いことである。また一部の犯罪者気質からの防衛運転すべきという点も同意できる。
また、大型トラックが追い越し車線を走行しているのは道交法違反であり、円滑な交通を阻害しているという主張も同意できる。
社会問題となっているあおり運転に関する国沢氏の記事は正確さにかけていることを指摘した。
まず、国沢氏の主張であるあおられる方にも原因があるというのは間違っていることを指摘した。
ケースバイケースで分析をしないとあおられる方にも原因があるとは断定できない。すなわちあおられる方に落ち度が無いこともある。
一部、そうったあおられる方にも原因があることもあるとうのであれば理解はできるが、国沢氏の文章にはそう書かれてはいない。
また、国沢氏の主張には明白な矛盾があることを指摘もした。あおられる方にも原因があると主張する記事でありながら、あおるやつが全て悪いと補足されている矛盾があった。
ただし、国沢氏の主張が全てが間違っているわけではなく、正しく同意できる部分もある。
あおられる方だけに責任があると読める文が含まれていた。コンプライアンスが厳しく問われる昨今、モータージャーナリストとしてこの文がいかがなものであろうか。
モータージャーナーリストは記事を書いてお金を貰い(このお金も元を辿れば一部は自動車メーカーもしくは関連会社のスポンサーからであろう)、自動車メーカーや輸入代理店が用意した試乗車を公道もしくは自動車メーカーが高い金を払って借りたサーキットで試乗している。
言いかえれば直接的、間接的に自動車メーカーや関連会社と一緒に仕事をしているのがモータージャーナリストである。請け負っていると言う方が適切かもしれない。
そのモータージャーナリストである国沢氏のこのあおられる方だけに責任があるよめる文を記事に書くことに関して自動車メーカーや関連会社の人達はどう思うのであろうか?
私が自動車メーカーの人間なら一緒に仕事をするのを止めたいと思う。一緒に仕事をすることでブランドイメージが損なわれる恐れがあると考える。
「僕は常々日本のマスコミは残念だと思う。トヨタがやれ1000万台行くとか行かないとか。
トヨタは車を売っているのではなく、白物家電を売っているだけだ。ドイツ車に見られる本当の
車というものを作っていない。今、世界の潮流は完全にディーゼルエンジンになっていることすら
しらないのではないだろうか。走りの楽しさ、そして移動手段としての車のクオリティ、
それを保っているのはドイツ車以外に正直、ない。VWは大衆車でありながら本物の車を作りづつけている。
トヨタが欧州のディーゼル規制に対応できないゆえにハイブリッドというおもちゃでなんとか