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2020-07-08

どぶろっく向かって右の人のラテンっぷりがすごくて驚いた@有吉の壁

Gipsy Kingsばりにそれっぽく歌い上げている。

才能を無駄に使っていない!

歌唱力を芸として活かしまくってるなあ。

ところでGipsy Kingsフランスバンドだけど、歌はスペイン語?だからラテンと思ったが…

ラテンか?

ジャンルが謎だが、ワールドミュージックということでいいか

(wikiによるとルンバ・フラメンカらしい)

2020-06-27

国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら

菅木志雄

宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館美術館ではなくて、美術館詐称する展示場なんだが。

川内倫子

いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。

棚田康司

円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。

鴻池朋子

皮緞帳は粗大ごみしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?

田根剛

中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出お仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。

しりあがり寿

おもしろパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。

皆川明

印象うすい

横尾忠則

さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。

古典の方は見応えあるよ。念のため。

追記

古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。

仙厓×菅木志雄

仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性宇宙全体などと宗教的歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。

洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああい作品を見たなあと。

それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?

花鳥画×川内倫子

川内写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃん選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。

花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。

円空×棚田康司

棚田作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。

いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。

刀剣×鴻池朋子

mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが

刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの

今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。

ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。

会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。

そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典作品としっかり向き合おうよって思う。

仏像×田根剛

前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。

他の作家と違って、この人は作品制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。

立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日ロダン地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。

から今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。

正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだからしかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。

まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明スピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。

さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。

北斎×しりあがり寿

出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。

もう1つは、冨嶽三十六景のパロディちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品元ネタ北斎作と並べて展示していた。

北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしま現代っぽさの対比が興味深い。

それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。

でもね、「和紙インクジェットプリンタ」なんだよ。実物見意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。

乾山×皆川明

ツイッターで見かけた感想なんだけど

伝統×現代アートという切り口から伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました

ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。

このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。

もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分ターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。

乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入りモダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=267439&data_id=20219

蕭白×横尾忠則

この展覧会に行った理由蕭白蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。

新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的蕭白と言えばこうのって作品で大好き。

宣伝動画のなかで横尾は、人間本質・魂の表現蕭白作品の中にこめられた重要メッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。

そのほか

kei_ex 増田近代美術館のドイグ展とか行くとどう思うのか気になる(コンテンポラリーだけど、手法比較古典

行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。

yama_bousi 現代美術自分好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング藤城清治氏、あとドール世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。

おお、ありがとう積極的に見に行くことはしないだろうけど、いちおう名前は覚えとくわ。

2020-06-04

今日多々良川(朝)

あつくなるけはいがムンムン・・・

水位ちゅうくらい

こないだもいたマガモつがいがまたいた

同じ場所にいた

向かって右がオス、左がメス

メスは立ってた

オスはまだ寝てた

座ってただけかもだけど

かもだけにね!!!

いつも亀たちが甲羅干ししてる段差にかもがいた

からはいなかった

でも今日なんとなくぐぐったらマガモじゃなくてマルガモの可能性があるかもしれない

頭緑イコールまがもってわけじゃないってのが衝撃だった

2020-05-23

国見ランドの思い出

もう30年も前の話だが、子供のころ、家の近所に「国見ランド」という遊園地があった。

ジェットコースターも無いような小さな遊園地だが、小学生のころだったか、親に連れられて1回行った記憶がある。

山の斜面を利用して作られた高低差のある遊園地で、山に穴をあけて作られたトンネルのようなお化け屋敷が怖かった。

特に派手なお化けは出ないのだが、出口の明かりが見える場所でいきなり床が振動するのがビックリ要素だった。

月日は流れ、中学生頃、国見ランドは潰れた。

その廃墟に一度入った事がある。

国見ランドの裏手の山に仏舎利塔があり、ちょっとした散策ができる道があったのだ。

ドラえもんに出て来る学校の裏山というのはあんな感じのサイズだと思う。

で、仏舎利塔から山道散策していたら、期せずして国見ランドの裏の頂上にでてしまい、そこのフェンスに人が通れる隙間があったので、何となく入った。

廃墟になった遊園地は何もかも錆びていて、コンクリも荒んでいた。

大抵の遊具はそのままだったが、お化け屋敷入口は、流石に危ないと判断されたのか土砂で埋められていた。

廃墟というのは危険がいっぱいなものだが、特に危なかったのは、ゴーカートコースだった。

山の斜面を利用して作れていたので、ゴーカートコースは山腹から空中に突き出すように広がる大きなプレートの上にあり、

その真下プール(冬にはスケートリンク)となる地形だった。

そのプレートにはところどころ、プラスチックの採光窓のようになっている床があったのだが、それは廃墟になってバリバリ割れていた。

それが、特に柵とかブロックとかでの目印もないまま地面の延長にあるのだ。

覗き込むと、10mかそこら下の枯れたプールの底が見えた。

一人でビビりだったから気づけたが、もし友達と来てはしゃぎ回ってたら、気づかずに落ちて死んだ可能性があるなと思った。

ここで浮ついた気分に氷水だったからかは憶えてないが、少し慎重になって、できるだけ自然の地面である斜面を歩いて、一番下まで降りた。

振り返ってみてちょっとぞっとした。

ゴーカートコースからスケートリンクに降りる道は、向かって右手の斜面と、向かって左手の鉄の階段があったのだが、階段の方は上から見ると普通だったが、下から見たら支柱が崩れ落ちてて支えが無い状態だった。

斜面を選んでよかった。

スケートリンクのある辺りが国見ランドの一番下で、お化け屋敷入口やら、ロケットみたいな小さな絶叫マシンやらがあったが、それ以外には取り立てて何もなかったように思う。

どうやって帰ったのかは覚えていないが、正門を乗り越えて国見駅の方から帰ったか、また上りなおして仏舎利塔の方から帰ったのだろう。

今、その跡地は山の傾斜を利用して作られた広いマンションになっている。

自分侵入したその日は、国見ランドが閉園してからおそらく2,3年といったところではないかと思うが、

建造物というのは堅牢に見えても、人の手入れがなくなるとあっという間に脆く使い物にならなくなってしまうのだと、実感した日だった。

幼い日の夢のように、忘れがたい記憶である

2019-12-25

M-1 2019・ネタ以外の感想その1(抽選会〜敗者復活戦)

ネタ感想はいろんな人が書いてるので、それ以外の部分で面白かったとこを。去年のはこっち

今年ちょっと長すぎたので2分割した。この記事抽選会〜敗者復活戦。

敗者復活戦 出番順抽選

今年も準決勝順位順でくじ引き
和牛水田ガヤ頑張る
  • 開始当初からマイクもないのにちょいちょい入ってくる水田準決落ちてヤケになってはしゃいでるのか?
マヂラブ野田「え゛え゛え゛え゛え゛え゛〜!!」
カミナリたくみ「俺カミナリYouTubeジャックするぜ、イエー!」→出順1番
  • 去年と比べると時間がないのか、芸人たちのリアクションも少なめ。しかし一発ボケに終わらせず周りと絡んだり、「(1番の札を)振ると11に見えるでしょ?」と低学年児でも楽しめそうなボケを挟んだり、さすがの平場慣れでしっかり盛り上げた。
囲碁将棋 文田「チャチャチャチャ…♪」
天竺鼠川原「ガム臭かったんで肉噛んでます
  • なんか噛んでんなあと思わせといてのこれ。相変わらず適当にやってるように見せてフリオ完璧
トレエン斎藤さん「ケツに缶ジュース入れるなよ、スポンサー関係で全ては見せられないけど」
トレエンたかし「九千頭身だ」
ロングコートダディ堂前「準決勝順位が低いだけでワクワクもできないんですか?」
  • 最後なのですでに出順が決まってることを受けて。順位は低いが確実に笑いを取りにくる堂前。順位は低いが。
全組出順が決まった後に感想をふられるたか

全体的に走ってて笑いどころ少ないな。16組もいるんだし、せめてあと10分長くても良かったような。見てるこっちもなぜか気持ちが焦った。

そんな中でも悲哀とともに抜群のセンスを見せつけたロコディ堂前がMVP座王では毎回安定感ある強さなので、もっといろんな番組で見たいコンビ

敗者復活戦

今年は敗者復活戦にも煽りV
陣内「審査員の方のプレッシャーも分かると思うんでね」
司会周りのセットがやけに豪華
解説役はノンスタ石田とトレエンの2人
テントトーク担当はヒロドアナ津田アナ
ラランドさーや「ララランドのほうがトレンド入りしてます
マヂラブ野田、机に頭突き投票のお願い
  • 軽く流して点数発表に移る陣内&新川さんとの温度差。
囲碁将棋 文田「悔しすぎて相方キムタクの顔になってます
くらげ、1回目のテントパートで完全にスルーされる
カミナリコメントなし
アンタインタビューで柴田「点数だと誰が一番なんだっけ?」
四千頭身の登場時がイチウケ
  • 寒い中に後藤が半袖で出てくるのを客が待ってた感じ。基本的M-1は予選も決勝も客層いいけど、ここは内輪受けの空気を感じてちょっと冷めた。他にも半袖いたのにウケてなかったしな。
錦鯉 長谷川大勢の人の前で歌を歌えて、歌手になれました」
囲碁将棋 文田「相方エスティマの顔になってます
  • いごしょはネタ選びのセンスは死んでるが、平場もできることを今回証明した。座ってれば背の高さも気にならない。今後はこれで行こう。
くらげ渡辺「初のテレビ出演が敗者復活なんで嬉しいです。分かんねえけど」
  • やっと振られたくらげ。杉の「(くらげの通過予想が)2%しかなくて」もきちんと笑い取ってる。ちゃんと用意してきてんだから最初から時間とってやってくれ。仮に事故っても周りにあれだけいればリカバリーできるだろ。
東京ホテイソンたけるもっと返すのだ!」
ダイタクロングコートダディの2組はテントトークなし

視聴者投票になってからの敗者復活が実質的に人気・知名度投票になってるのは仕方ない部分もある。熱狂的なファンだけじゃなく大抵の視聴者は新しいものより見慣れてるものを好み、それを「面白い」と認識する。だからいくらネタ見て面白いと思ったところに入れろ」と呼びかけたって、普段から名無名問わずネタばっか見てるお笑い大好きマン以外は人気や知名度あるところにしか投票しない。

そういう状況なのは仕方ないとして、番組が後押しすんのはどうなの?って話。流れで多少偏ったレベルじゃなく、普段から露出多くて人気ある組ばかり取り上げて無名どころは存在すら無視。売れてない組はああいう扱いされても仕方ない、売れて見返せみたいなのも言い訳だよな。それそのまま視聴者に見せて面白がると思ってんの?ちゃんとイジリとして仕上がってれば文句ないが、ただの手抜きだから批判してる。

本戦〜1回戦の審査員審査では当然ネタのみで審査するのが正しい。でも視聴者投票である今の敗者復活戦なら、普段テレビでは見られない無名コンビを盛り上げてやって平場での印象で票数にブーストかけてやるくらいでもいいんじゃないのか。せめて普段から露出の多い人気組でも出ジロは無名と同量にするのが公平ってもんだろう。

人気者を盛り上げて敗者復活させればみんな喜んで番組大成功なんてのは大間違いだと今回のM-1証明した。M-1をここまでの一大事業に育て上げた一番の功労者は人気も知名度もなかった芸人たちだってことは忘れてほしくない。

敗者復活戦・ネタ以外のMVPラストイヤーの意地を見せた囲碁将棋で。テントパートで2回もウケ取ってたのはさすがの一言。根建の顔芸と文田のコメント両方で成立するコンビ芸なのも良かった。新生いごしょの誕生を見た。

続き→本戦反省会打ち上げこっち

2019-11-15

同じく傍聴してきた

建造物侵入殺人銃砲刀剣類所持等取締法違反事件番号 平成30年(わ)1145号)第4回公判

9時20

本日の傍聴定員25名、超過すれば抽選、以下であれば定時までに整理券配布に並んだ者がそのまま傍聴できるのだが、整理券配布締切直前に1名超過となる。しかし1名辞退者が出たため抽選なし。

9時50分

905法廷。傍聴席に座席指定はなく、最前列記者席、向かって右手側に関係者席、その他を自由選択できる。

両脇に被告人入廷。紺色スーツ、ネイビーのネクタイ、黒っぽいセルフレーム眼鏡、ただし足元はサンダル逮捕直後に報道された姿より体重が落ち、坊主頭がそのまま伸びたような短髪。姿勢が良く、痩せているというより締まっているため、休日ジムトレーニングしているエンジニア、と言われても違和感がない。

そして目立たなかったが手錠と腰縄、それらを外した後、裁判官裁判員入場。右手側に検察左手側に弁護人被告という配置。

10

開廷。直後に被害者妻の証言

低能先生と言われるネット上のモンスター」「死んで償ってほしい」

休憩をはさみ1020分再開

被害者妹の証言証言席は衝立で囲まれ被告人からは見えない状態

終始涙声、「誠意などまるでない」

休憩をはさみ10時50分再開

検察官。

犯行内容に争いはない、責任能力の有無が争点。

完全責任能力あり、被告人価値観による犯行

鑑定人に自閉スペクトラムと鑑定されているが、自閉スペクトラム攻撃性を特徴とせず

計画的犯行であり、各場面で選択し、絶好の機会を狙っていた

犯行現場の下見をし、ナイフで毛布を刺して予行練習

強固な犯意に基づく計画性のある犯行

遺族の処罰感情が強い

動機は身勝手かつ理不尽

反省の態度まったくなし、正当化に終始し、後悔していない

求刑20年。

被害者参加人。

ネット上の集団リンチ存在しない」

アカウント通報関係なく凍結されていた

我が国初の事件であり、ネット上の表現活動に影響を与えることになる

極刑を。

弁護人

限定責任能力

自閉スペクトラムが影響している

犯行を押しとどめる判断能力がない。

汲むべき情状で量刑判断してほしい。私利私欲快楽目的ではない。再犯可能性なし。真摯反省している。今後家族の支援監督あり。

被告人

すべての方々にお詫びしたい、すいませんでした

遺族の声に深く共感しました

人生が止まってしまった感がある

責任は引き受ける、極刑になっても控訴はしない

しかすると死んでしまうかもしれない

人生を前に進めてほしい

父に連帯責任は問わないで

以上。筆記メモ難しい。

2019-10-26

映画を見てきたよ

スクリーン向かって右よりの席に座ったときの方が作品面白いような気がするんだけどたまたまかな。

2019-09-02

旅行する夢

まえがき

※夢の中身を箇条書きにしただけなので面白くありませんよ

()内は夢から醒めたあとの私の感想です

こんな夢でした


ここから遠い北九州あたりに旅行に行った。

各駅停車観光した。

その路線実在する路線でもない、実在する駅名でもない、夢の路線。(駅名は名詞ではなく砕けた口語調のようなもの


最初に降りた駅は海のそば海産物豊富な町。人の往来も多い。

瀬戸内海のとれたての美味しそうな魚がたくさん売られていた。(けど、実在する魚ではなかったような気がする。皮が赤いのは覚えている)

その町は町興しの一環として今から60年前の風景再現する、ようなこともしていて、どことなく懐かしさを感じる黒電話レトロな家並みだった。

私は何を思ったのか、「これを掛けるとレトロな色に見えますよ」という売りのサングラスを買って、それを掛けた。町並みがレトロな色調に見えた。(つまりセピア調)

しばらく散策して海とレトロ風景を楽しんだ。

そして公園にたどり着いた。公園に座る半袖半ズボン若い青年に声をかけた。

「これ、掛ける意味ありますかね?」

同じサングラスをかける青年は、サングラスを取り

意味?…ありませんよ?」

と歯を見せて笑顔を作った。私と青年は軽く声を出して笑った。私は青年ありがとう会釈をし、公園をあとにした。(サングラスを外した時点でセピア調の色彩からもとの色彩に戻ったことを夢の中で知覚しているので、意味はあったんだと思う)


人の往来の多い道を進むと大きな川を跨ぐ橋に付いた。下流によくある緩やかで大きな川。川の流れに沿うように、上には高速道路と思われる大きな高架も架かっていた。どれくらいの車線があったかも分からないが、川の幅よりも広い印象だ。空は殆ど見えない。

橋は車も通れるつくりであり、人と車でごった返していた。私は橋を渡らなかった。行ったら最後、戻ってこれない予感がしたから。

そのまま駅まで戻り、電車に乗り隣駅へ向かう。

電車内の様子は夢から醒めたときからまるで覚えていない。乗ったことは覚えている。しか電車カラーや駅ホーム構造などまでは把握できていない)


隣駅に着いた頃には日も傾き、赤の夕焼けと青の夜の入り交じる時間帯だった。人の往来は昼ほど多くないが、疎らというほどでもない。

駅に降りた私は、急かされるように駅の外へ出る(改札はなかったように思う)

すぐに、100段ほどの階段。横幅10メートルはあるだろうか。駆け下りる。足元の灯りは乏しい。蛍光灯でうっすらと照らされているのみだ。

降りた先に、さらに下へ降りるためのトンネル付きの階段がある。階段蛍光灯で赤く照らされている(演色性が低い)

階段中央には手すりはない。代わりに、手すりほどの高さの位置ひとつの凹みがあり、それが先の見えない下の下まで続いている。(うまく言葉に出来ないのだが、チューブスライダー流しそうめんのようなものと考えていい)

私はこの設備意味を考え、スロープのないトンネルなのでおそらく自転車を使う人のために用意したのだろうと考えた。

振り返ると仕事帰りと思われる人が階段を降りてくる。あるものはそのままトンネルに入りさらに下へ、あるもの左折して見えなくなる。私は下に降りずに、トンネル向かって右に曲がった。

そこには水族館があった。今のオシャレな水族館ではない、古めの水族館だ。しかし駅直結ということもあってか、夕暮れのこの時間帯でも入館者は多い。

右手には、イルカショーが見える。水族館の外であるにも関わらずだ。イルカスポットが当たり、芸をする。飼育員の顔は帽子の陰で見えない。

客席は人で埋まりイルカが芸をすると一斉に拍手する。

客席に明かりは当たっておらず、誰がいるのかはもちろん、表情の判別は難しい。日の沈む薄暗い中、イルカけが光をほしいままにしていた。

そのすぐ左、私から見て正面の階段を登ると水族館入口だが、私は急いでいるので階段を登り隣駅へ向かった。


日はすっかり沈んだ夜。そこの駅から降りてすぐの大学では入学式?が執り行われていた。至るところに輝度の強い白色光が照らされ、そのコンクリートの外壁に美しさを、白と赤の花紙で作られた花に鮮やかさを与えていた。(外壁は打ちっぱなしコンクリートによくある規則的に丸いくぼみのある感じ)

電球色の暖かい色が、ガラス越しに漏れていた。私は学生の列に混じって大学に入る。

エントランスホールでは多くの学生でごった返しており、私はそれを掻き分けて、勝手知ったる足取りで歩を進める。階段を登り、図書室に入る。図書室も多くの学生が本を探しており、私も本を立ち読みするなどした。

どういうわけか分からないが、その図書室には私の上司がいた。(夢の中で出てくる私と関係する実在上の人物はこの上司のみだ)

その上司は誰かと電話をしている。書棚の本の背を指でなぞり、指で引っ掛けて本の顔を確認しては「これじゃない?違うー?そっかー。私もよくわかんないんだよねー」とか図書室にしてはうるさい声量で話す。それを見た私はそっとそこを離れて図書室を出る。

図書室の構造円筒形。円の内側がガラス張りで室外が見える。円の外側は壁。図書の保存にはあまり良くないと思われる。私の小学校改装したとき図書室が両面ガラス張りだったのでその影響もあるかも知れない。確か当時有名だった建築家設計を依頼したとかなんとか)


その後のことはよく覚えていないがそう長い夢を見ることなく目を醒ました。

(長くなりましたがこれは旅行をした夢です)

この夢を見てどんな気持ちでしたか

この夢を見る前はかなりストレスが溜まっており、イライラしていました。つまらないことで血圧が上がり、そんな自分が嫌でさら心拍数が上がり、そんな状況でした。

この夢を見ているときから幸福感に包まれていたような気がします。起きてからもです。もちろん目が覚めてから夢だったと納得するわけですから、順序としては

  1. 自分はこの旅行ができてとても幸せである
  2. 目が覚めて、あれが夢だったと納得して、あの夢は幸せだった

となるわけですね。

私はかなり根に持つ方で、いつまでもいつまでもあの失敗あいつの仕打ちをどこまでもどこまでも引きずっていく人間なのですが、この夢を見てもう全部水に流しました。理屈はわかりません。それぐらい開放的で、穏やかな気分です。心が洗われたとはまさにこのことなのだなと納得している次第です。

こんな夢、あと何回見れるんだろう。今日も枕を高くして寝よう。

2019-04-25

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-23

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-21

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

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箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

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幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

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そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

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箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

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幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

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そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-20

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。


私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-13

anond:20190413004658

こういう人間がいるので、物書きとしては「一番大きいものから…」「一番小さいものから」「向かって右(左)」と回りくどい書き方を心がけている。

anond:20190413004658

文章の先」は普通に難しいぞ。

「先が読めない」「先が気になる」なら読んでいる箇所より後のことだが、

「先に書いた」「先述した」なら読んでいる箇所より前のことだ。

文脈で変わってくるので気をつけるしかない。

写真や画面の左右も、別に認識統一されてるとは思えない。

向かって右」とか「この人にとって右」とか「右手の側」とか言わないと確定しない。

自分が喋るときはそう言うべきだし、自分が聞いた場合は念のため確認するべき。

2019-01-08

絵のバランス

絵を描いてるとき油断すると、

こんなバランスの顔を描いちゃう

( ・ノ_   ・ )

しばらく経ってあれ?

って思って向かって右側の目を選択ツールで寄せてみるんだよね。

( ・<_・ )

で、何回かパチパチ切り替えて前後見比べてみるじゃん…?

( ・ノ_   ・ )

( ・<_・ )

上が正常に見えてた自分の頭ってどうなってんだ…?って死ぬほど落ち込むんだわ。

どうなってんだマジで〜〜〜!

2018-12-10

C4LAN席無し一人参加してきました 2018/12/7~12/9

自分の覚え書き+一人だけど行ってみたいな~と思っている方に向けてのメモ

レポを色々見たんですが女性視点のものはなかったなと思って書いてみました。

はてな初めてだから見にくかったらごめんね。一応フェイクありです。

 私について

地方住み社会人ゲーマー女性)。コンシューマー専門のゲーマーです。

PCゲームには興味はあるけど置く場所もなければネット回線も極めて貧弱。スマホゲーは全く触れていません。一瞬デレマスインストールしたけどすぐに飽きてしまった。(アイマスはやよいちゃんが好きです)

どんなゲームでもやります特にチェックするのはRPGとかアクションとか。ストーリーがあるものが好きです。最近キングダムハーツの復習してます

上述の理由のためデッドバイイライトやフォーナイトなどのオンライン対戦型のゲームほとんど知りません(youtubeの実況で一度、二度見たくらい)。スプラトゥーンだけは大学時代ドはまりしてそこそこのウデマエまで上げましたが、回線が変わってからは触れていません。

ゲームは見るよりもやる派なので実況を見るのは好きな配信者がプレイする好きなゲームに限るという感じです。

ゲームは基本浅く広く派なのでいつまでたっても下手ですが、まあ楽しいからいかと思っている。

 遠出してでもC4LANに行ってみたいと思った理由

上に書いた状況からもわかる通り、私には中学以降、オンラインオフライン含めて一緒にゲームをやる友達というものが皆無でした。

社会人になるまではそれでも寂しさを感じたことはなかったのですが、地方に戻ることでリアル友人が激減すると共に徐々にゲームをやる中でも孤独を感じ始め、一緒に誰かとゲーム遊んだ友達ゲームの話をしてみたりしたいなと思って色々探していたところ、C4LANを知りました。

オンラインを介しての友人作りは苦手だったのでやらなかったのですが、直接顔を合わせて会話できるこのイベントなら色々な人と知り合えるかも!と思い参加を決めました。いきなりの席あり参加は躊躇われたためまずは席無しで様子を見ようということで一泊二日で東京に行きました。

 C4LAN会場の雰囲気

朝早めに会場には着きました。朝だからなのか会場内はとても静かで皆席でゲームしているか寝ているか、それともどこかに行っているかといった感じで、すごくうろうろしにくい雰囲気でした。それでも物珍しくてあちこち見て回ったのですが、本当にPCゲーマーが多い。一人で黙々とやっている人、隣の友人と小さく会話しながらプレイしている人、配信をしている人など様々でした。

特に配信者の割合結構高めなのには驚いた。ゲームプレイしているのを見ていると、気が付くとPCの画面内に自分が映ったりしているので(配信者のカメラに写っている)びっくりして逃げる、てことを何度か繰り返しました。

一つ一つの席は思ったよりも広めで、コンシューマーオンリーなら多分全く問題ないです。机と机の間の列も広くゆったりとしていたので通りやすかった。

前の方の席(ステージに近いほうの席)はC4LANの公式配信に写りやすいと思うので、いやな人は隅っこを選んだり壁際の席を選ぶと良いと思います。(その辺の席なら荷物も置きやすいです)あとなぜかわからないけど、会場に入って向かって右側がコンシューマー率が高かった。

コンシューマーオンリーゲーマーはそこそこにいて、皆スマブラやってたり古いゲームやってたりしました。

昼~夜はにぎやかで、プロゲーマーがいたり有名な配信者(たぶん)がいたり、そのファンがいたりで自分にとってはすごく新しい世界面白かったです。不思議な感じでした。

 新規にとってはどうなのか


当たり前だと思うんですが、昼~夜にかけてどんどん声はかけやすくなっていきます。夜になれば人もたくさん集まってくるし、みんなあちこちで人のプレイを見たりしているので。

ただそのプレイを見ている人たち、一緒にやっている人たちというのも雰囲気からして事前にどこかで知り合っていたり、友人の友人だったりみたいなので、新規の人にとっては話しかけにくいかも。(これは私のプレイするゲームジャンルが限られているのもあるかと思います

しかやすさはシングルオフゲーをじっくりやっている人が一番。やっている人が少ないですが、話しかけるとすごく熱心に説明してくれたりプレイ画面を見せながら話してくれたりして楽しいです。

話す量の多い少ないはあると思いますが、基本的にみんな話しかけさえすれば好意的な反応が返ってくるので最初勇気大事です。(マリパスマブラをやっていた人もいて、一緒にやってみたいなと思ってはいたんですがそこは友達同士で盛り上がっているようで声がかけづらかった。シングルオフゲーの方が話しやす雰囲気がある、というのは意外でした。)

また、ブースによってはステージとは別にミニゲーム大会をやっているところもあったり、ホワイトボードなどを置いて積極的に周りの人のプレイを促している方もいてそういうのを眺めているのは面白かったし、入りやすいと思いました。(逆に、いろんな人に話しかけてもらいたい、一緒にプレイしたい、と考えている席ありの方はホワイトボードかにメッセージなどを書いておくといいと思います

昼~夜になれば会場内は暗いしみんなあっちこっち動き回っているので一人でうろうろしてたり適当に人のゲームプレイを見ていてもそんなに目立たないです。女性場合は、もしかしたら目立つかもですが。悪いことしてるわけじゃないし。

また、席無しでも円卓でスマブラやってる人なんかもいました。

 ステージ、各企業ブースで行われているイベント

こちらはすごく見てて面白かった。正直知らないゲームだらけで全然興味がなかったのですが、配信が大きな画面でしてくれる上にルール説明もきちんとあるし、実況の人が本当にうまくて始まるとずーっと見てました。無視してゲームやるのがもったいないくらい面白いし、ちょうどいい息抜きにもなるのでおすすめです。各企業ブースミニゲーム大会みたいなのも盛り上がってました。

 女性にとってはどうなのか

これは人によるとしか言えない。つらい人はつらいし、楽しい人は楽しいと思う。私は次参加考えるくらいには楽しかったです。

中にいる女性で席ありの人はほとんどが配信者でした。あとほぼ全員PCゲーマーでした。

女性率は10人~15人に1人くらいかな。席ありとなるとさらに絞られます。(席無しで来ている人はプロゲーマーファンとか知り合いが既にいるとかボドゲやっている人とかでした。)

あたりまえだけど席無しより席ありの方が楽しいし、知り合いがいないよりいたほうがいいと思うのでツイッターとかで事前に知り合い作れる人は作った方がいいかな。

1人でゲームやってる人ももちろんたくさんいるので、独りぼっちが目立つというわけでもないです。1人で延々ゲームやって→気が向いたらステージ見たりブース見たり他人プレイを見たりして→気になったら話しかけて…っていう自由スタンスでも全然いけそう。

しかやすさについては性別よりも自分が気になっている、好きなゲームをやっているかどうかのほうが大切だと思ったので事前にブース紹介をC4LAN公式サイトで見たりツイッターなどで情報を集めておくといいかもしれません。(男性からしかけられることはほぼなさそうなので、気になるものがあったら積極的にいった方が良さそうです)

ちょこちょこブースごとにいろんなイベントやってるのでそういうところなら女性でも入りやすいかな…?

3日間の出入りも自由だそうなので、疲れたらどこかに遊びに行ったり、また戻ったり。ご飯を一人で気兼ねなく食べられるところも会場近くにはたくさんあります

治安や風紀に関しては全く問題なしです。皆PCとかゲーム機とか置きっぱなしにしてます徹夜している女性はほぼいなさそうだったので夜が怖い人は会場近くに宿をとっておくのをおすすめします。

トイレは男女分かれていて綺麗でした。

あと個人的にですが、会場内暗いのであんまり化粧に力入れなくても大丈夫だな~と思いました笑

 思ったよりも全然落ち着くしいい雰囲気だった

私は今までゲーマーだらけの空間に行ったことがなかったので、すごく楽しかったし落ち着きました。どこかの席でぼーっと座って、ステージを見たり企業ブースを見たり、またうろうろしたり、の繰り返し。1人で知り合いがいないと流石に退屈な時間も多かったですが、そこは事前調査と割り切っていたので参加自体無駄ではなかったです。

次は席ありで参加しようかなと思っています。知り合いいなくても、女性1人でも、コンシューマーオンリーでも。ゲームが好きなら楽しい空間です。

女性ゲーマーの皆さんもよかったら一緒に参加しましょう!(出来れば席ありで!)楽しいよ!

 (おまけ)ボードゲームはすごく盛り上がる

途中、気になっていたボドゲをやっていた人たちがいたので声をかけて入れてもらったのですがものすごく楽しかったです。初対面同士なのにこんなに盛り上がるってボドゲってすごい。

ボドゲ自体初めてやったのですが、誰かとやるという点ではテレビゲームよりずっと入りやすい、盛り上がりやすいと思いました。ルールも思っていたより全然簡単だし、入っていきやすい円卓でプレイしているので気になったら聞いてみるといいかも。

私は年末年始親戚で集まる用にボドゲを買う予定です。地元ボドゲ会にも行ってみたい。

2018-08-24

目の前で人が消えた

先日の仕事帰りのできごと

いつもの帰り道、いつも通る交差点にさしかかった。

向かって左手前の角は駐車場なので見通しはよい。その日は車も停まっていなかった。

交差点駐車場のあるほうの角には、街灯が立っている。

支柱の幅は15cmほどしかなくて、とてもじゃないが人が隠れられる幅はない。

そこに一人のおばさんがいた。

向かって右から左に交差点を渡ったばかりなのか、その街頭の支柱を右から左に横切ろうとしていた。

そこまで確認して、手元のスマートフォンに目を落とした。

時間でいえば3秒ほどだろうか。

再び顔を上げ、進行方向をぐるりと見渡してから異変に気づいた。

おばさんがいない。

支柱から駐車場を挟んで隣の壁までは、15Mほど幅がある。数秒で渡りきれる距離ではない。

途中で進行方向を変えたとしても、その範囲に歩いている人はいなかった。

そのかわりに、対面からこちらに向かって歩いてくる人や、自分の背後から同じ方向に進む人は何人かいた。

ただ、その人達の様子を伺ってみても、そこで何かが起こったことを感じているような素振りはなかった。

人らしき姿を見たとかではない。直前の記憶をたどれば、そこには確かに人がいた姿をはっきりと思い出すことが出来た。

しかし、今目の前に、その姿はもうなかった。

交差点へと進み左右を確認してみたが、やはりそれらしき姿を確認することはできなかった。

一つわかったことがあった。

まりにも意識がはっきりとしているときにそういったことが起こると、人はそれほど驚かないということだ。

そして、何か霊的なもの存在を疑うよりも先に、自らの脳の異常を疑うということもわかった。

要するに、直前に見えた姿があれだけはっきりだったにもかかわらず、脳が見せた誤解かもしれないということだ。

しかしたら、見ていた距離を誤って、もっと奥の方にいいた人が建物の中に入ってしまっただけかもしれない。

例えそうだとしても、この距離感を脳が誤解したかもしれないと考えると記憶が正常に機能していないことに違いはなかった。

思い返してみると、誰もいないはずのところに人の気配などを感じることが最近は多くなってきたようにも思える。

幼少期はそれを霊能力だと勘違いしていた時期もあったが、どうやら脳の中で何かが起こっている可能性を疑ったほうが現実的なようだ。

悪い病気でなければよいが、人が目の前で姿を消すというものは、あんまり気持ちの良いものではない。

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