これは編集者 箕輪厚介さんが2004年に河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。
私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。
予備校時代のあだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉
https://r25.jp/article/668021893052168737
箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。
私は箕輪さんと同じ1985年生まれの2005年入学の早稲田大学出身。
そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか?学生会館にいたのではないか?
Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。
そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。
毎日サンダルとボロボロのジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校で有名人になってたみたいで。
陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学の新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。
月曜日の英語は早川先生、火曜日の英語は里中先生、水曜日の英語は伊集院先生。
確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。
武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、
やや前傾姿勢でリュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。
そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。
多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。
けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。
そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。
K-1ファイターの武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感が無頼派で武蔵だった。
何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。
意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。
あの武蔵は果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内のあだ名が広まっていたのかな。
もし、私の知る武蔵が箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまったことは申し訳ございません。
ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりなあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?
どうでもいいから何度も投稿するのやめろ anond:20190425162626 anond:20190423172705 anond:20190423172704 anond:20190423172703 anond:20190421105155 anond:20190421105054 anond:20190421085740 anond:20190421085544 anond:20190421085113 anon...
anond:20190421105612
普通に通報したわ