2019-04-21

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

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