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はてなキーワード: 台所とは

2023-12-22

すすきの首狩り事件被害者スマホから女性レイプ動画10数人分発見

何故はてなけが真実を見抜いて瑠奈烈士を支持し、応援することが出来たのか。

警察復元能力の方が上回ったものの、瑠奈烈士は他の被害者たちの尊厳をも守るために戦ってくださったのだ。

https://www.news-postseven.com/archives/20231222_1928255.html

捜査関係者への取材でわかったのは、鑑定留置前に語っていた父親証言と、被害者スマホに残されていた瑠奈容疑者凌辱画像存在だった。

被害者ホテルに連れ込まれるなどした女性は十数人いたそうです。被害者は日頃からスマホを2台所有していて、1台はメイン用で、もう1台は画像動画データの保存用で複数女性データが残っていました

> 瑠奈容疑者殺害直後に被害者スマホ破壊し、父親の車の中から被害者SIMカードが見つかっている。警察によって復元されたスマホデータには捜査員も驚愕する画像が残されていた。

被害者はいろいろな道具を使用して瑠奈容疑者を辱めて、その一連の行為スマホデータに残されていた。父親ホテルで娘が被害者に襲われたことを知り、なんらかのかたちで画像存在も把握し、犯罪に至ったのではないか

2023-12-20

からお酒飲んじゃった

夜に飲みきれなかった缶チューハイに蓋をして台所放置して、翌日の夜に夕飯作りながらそれから消費するってやり方をしてる。

朝の身支度の間に換気扇の下でタバコを吸うときいつもそれが視界に入ってたけど、これまではなんとも思ってなかった。

それが今日も同じようにタバコを吸ってたらふと視界に入った飲みかけの缶を、なんでか飲みたいような飲んでしまおうというような、とにかく初めて覚える緩やかな衝動が芽生えて、本当に飲んでしまった。

寝酒的な飲酒習慣があるだけでお酒の味や何たるかや昼飲みとかには興味ない。

一晩放置してアルコール感は弱まっていたとは言え朝からお酒を飲むなんて行為がいよいよアル中ぽくて、これから会社に行くのに…という罪悪感で一口二口で止めたけど、今後もあの謎の衝動が起こるかもしれないとすると自分飲酒レベルが一段階(悪い方向に)進んでしまいそうで怖くなった。

食洗機必要な人の見分け方

以下のどれかに当てはまる場合食洗機があった方が人生は豊かになる

食器を洗った後に素手で落ちてるか確認する人

食器に洗剤の泡が付いていれば洗ったことにする人は食洗機などいらない

なぜなら食器洗いにかかる労力が非常に少ないのでメリットが少ないか

最近の洗剤なら泡が付いてるだけで表面上は綺麗に取れてしまうので見た目は綺麗になる

一方で洗った後に素手食器表面を触ってみて油が落ちてるかどうか確認してみると高確率で落ちてない

油を使わないなら問題無いがサラダですらドレッシングかけると油が付着する

こういった汚れをマジメに取ろうとすると時間と労力がかかる

食洗機は高温とアルカリ性の洗剤でガッツリ落としてくれるので油汚れが気になる人には向いてる

ただアルカリ性の洗剤なので使えない食器が出てきてしまうのだが、最近は中性のものもあるらしい

その場合、汚れが落ちるかどうかは分からないので一長一短だと思う

ちなみに指で触らないと分からないぐらいの油汚れなら別に衛生上問題無いので気になる人だけが気にすればいい

台所が狭い家

食器を洗っても乾かす場所時間問題となる

狭い台所だと食器乾燥させる場所がなく、シンク横に食器タワーが出来上がって崩れてしまった経験がある人も多いと思う

布巾で水気を取り払って食器棚に戻せばいいのだがこの片付けなどには結構時間がかかる上に

特に後半は綺麗に水気を拭き取れるわけではないので衛生面で気にする人も多いだろう

食洗機は洗うだけでは無く、乾燥した上で保管してくれる便利な棚だと思えば良い

海外のもの乾燥してくれないものもあるが、そもそもかなりの高温状態なので短時間乾燥できる

食器乾燥機だけなら実は安く売っているのだが、台所に設置するには広めの場所必要になる

そのため台所が狭い家はビルトイン式の食洗機オススメする

後付けの食洗機を買うと取り付けが大変なうえに「乾燥機能だけでいいな」となる可能性が高い

子供がいる家庭

子供がいると食器の衛生面は非常に気になる

特に乳幼児は少しの細菌病気にかかる(ように思う)ので

高温洗浄・乾燥してくれる食洗機は非常に便利

加えて子供がいると食器をたくさん使った方がオペレーションが楽になる

例えばカレーを作るにしても子供用(甘め)と大人用(辛め)の2種類を作ったり

サラダもそれぞれ別のドレッシングをかけたり、他にも食器を大量に使う

手洗いすると洗うのが面倒で使うことを躊躇うことが多いが

食洗機に入れるだけだし」

言い訳することで大量に使うことに抵抗がなくなる

ちなみに上述した通り食器の数が2倍になっても洗う時間は大して変わらない(食器タワーの大きさは倍になるが)

ガジェット好きな人

「細かいことはどうでも良くてとにかくガジェットとして欲しい」

という人は是非買って貰えば良い

そして自分なりの最適な使い方を見つけることができると思う

例えば夕食の食器食べ残しだけ取ってとりあえず食洗機にぶち込んでお急ぎモード乾燥カットして夜に実行

朝食の食器が出てきたら夕食の食器が入ってる食洗機に一緒にぶち込んで仕事行っている間に家で乾燥までさせる

帰宅したら食器を片付けつつ必要食器は再度使用して夕食準備、など

綺麗なルーチーンとして回り始めると便利な棚として使うことができるし

何より「ガジェットによって幸せになってる」感を得られるのでオススメする

子どもの好きなところ

目が合うとめちゃくちゃ幸せそうに微笑みながら得意技を見せてくれるところ

最近は足を上げながら膝を持つ、舌を出すなど得意げに全部披露してくれる

眠たいときに私の脇の下に顔を埋めてくるところ(臭くないのか?)

寝る前はあんなにぐずるのに、寝る瞬間はにっこりしながら寝るところ

寝る前に耳の後ろをかく癖

寝落ちした瞬間のフスススーっていう鼻息

絵本を読むときに1ページ読み終わるごとに微笑みながらこちらの顔を見てくるところ

口を開けたときに見える一本だけ生えかけてる白い歯の先

ほっぺたをくっつけた時のうふふふふーっていう笑い声

うつ伏せにしたときのまるっとしたおむつとお尻のフォルム

飲み終わった哺乳瓶をひたすら触って真剣に見つめるところ

哺乳瓶を洗いに台所へ行くと悲痛な泣き声をだすのに、姿を見つけるとすぐに笑いだすところ

顔を撫でたら幸せそうに目を閉じるところ

かわいい

2023-12-19

春菊が落ちていた

昨日、夕方

帰り道に春菊が二束落ちてた。

近くにスーパーがあるから鍋の材料を買った帰りに誰かが落としていったんだろう。

日が暮れる。

今頃は台所準備中春菊がなくなったことに気づいた頃か。

道の真ん中に落ちてる春菊達を掴んで歩道の端っこに投げた。

 

ばさっ、ばさっ。

まれるとぐちゃぐちゃになって勿体ない。

 

すぐ真っ暗になる。

家族の帰りを待つ誰かが春菊を取り返しに戻ることはないだろう。

真夜中に歩道車道の清掃してる職員いるから見つかって捨てられるだろう。

可哀想春菊

2023-12-17

anond:20231215222201

半分くらい使用したことあるな。コーヒーって贅沢なんだな。俺は一生飲まんけど。

とっての取れるティファールは俺は嫌い。amazon専売和光フレイズの2500円のフライパン腱鞘炎にならないし送料こみで安いし。買い替えることが苦にならない。いま5代目くらいがうちにいる

2,3,4代目もそれぞれ現役。重ねられるので3枚は台所のとだなにはいってる

5代目は人にあげようとおもって買ってなぜかものすごい勢いで断られたので未使用。包装んなかにいる

4代目はつるっつるで目玉焼きベーコンエッグ専用機。常に一番上にかさねる

3代目はみんながなれてきたのになぜかこいつだけ塗装がはがれるのがはやかった。レモンいれっぱなしにしたかな。しゃぶしゃぶソース炒め専用機

2代目は過熱した家族がいたので塗膜の色があきらかにダメになった。3代目使ってるときシャブ専用機

1代目はダメになってからぐにゃっと曲げて捨てた

珈琲だけど、興味ない俺にとっては、

そもそも青汁ってまずいものなのにそんなかからたまたま趣味にあう飲み方を発見してひろめようとした人たちを見てるような不思議気持ち

野菜でいえばアクをとって~とか蒸らして~とか?そんな手間かけるだけの栄養すら珈琲にはない

合成でインドールものんでればいいのに

最初からまずくないタンポポ珈琲のほうがまだマシでは

好かれる・好かれない弱者男性ユーチューバー

収入・無収入youtuberチャンネルがやたらと上がってくるのでつい見てしまうんだが、甘やかしすぎまでに応援されるか逆に理不尽なまでに(まあ理不尽でないこともあるが)無茶苦茶に叩かれるかの差が激しいなと思った

見た目とか清潔感とかは関係なく、やっぱ働いてるかどうか(youtube収入以外で)がでかいのかな

youtube収入だけでやっていけそうな絶望ライン工が地に足つけてやってるのを絶賛するファンが多いのとか、はしゃいで工場辞めてそこから迷走してバレバレやらせとかして今やアンチ養分になってるやっちゃんねるとか、別に贅沢してないが外に働きに出ず本読んで茶飲んでるきほんひとりがなんか叩かれてて(ここは嫌われた経緯をよく知らないが)、ボロボロの家で汚い台所でちまちま料理してるまさおはめちゃ応援されてるようだ

 

てかなんでこんなジャンル見てんだろ

2023-12-16

シェアハウスルームシェアじゃなくて、近所で暮らすかたちのコミュニティないのかな

高齢独身女性地区みたいなの

台所専有したいし、風呂トイレみたいに他人の汚れも引き受けられない

2023-12-14

田舎ギャンブル中毒引きこもり仕事始めたけどなにも改善しないところか状況が悪化しただけだった

就活失敗してど田舎実家家業手伝いとかい引きこもりになりながらギャンブル中毒借金こしらえた俺くん。

借金がばれダルク(薬中陽キャ+αが集まって生活保護受けながら蛸部屋で強制的お遊戯会みたいな暮らしする愉快な生活)か精神科(キチガイ病院。なおギャンブル中毒精神科的な治療法はない)に入院かえらべといわれる。

どっちもいやだわ。とタイミー(日雇い労働者向けサービス)で働きだす

しか募集がびっくりするほどない。稼げる仕事は車で片道一時間とか2時間かいカス状態。なおほかのサービスではそもそもわが県で募集がないとかゴミみたいな派遣登録の多重募集アンケートモニターしかない

仕方ないのでタイミーで働くが、家業手伝い(別に俺じゃなくてもいいけど人を雇うと採算が合わない糞みたいな仕事)のシフトがあり自由に選べないストレス+1

そのくせ「そとで働け」「バイトしろ」「遠くにいく必要が」「家にいなくても」と働いたら働いたで嫌みをいわれる。ストレス+1

なお同じ口で「あしたいってくれ」「来週いけるか」と俺に拒否権がない命令が下される。ストレス+1

仕方ないのでタイミーで車で片道一時間かけて7000円とか6000円の労働をする。

ガソリン代考えると最低賃金とは???という状況だしそもそも親がだしてる車の維持費考えたら赤字かい狂気の沙汰でまともに考えたらストレス+1

帰ったら帰ったでぎゃん中になる前から仲がよくないしギャン中になったら人を汚物厄介者のようにみてくる親と顔合わせ、台所においてあるテレビ面白くない(趣味が全く合わない)ドラマをダラダラながしてみる両親の隣で親が義務のようにつくってだしてくるたいして旨くない(料理の好みが全く合わない)飯を黙ってくう地獄空間ストレス+1

なお食べないと食べないで嫌みや説教が飛ぶのでストレス+1

そんな生活なのでもちろんたいして金はたまらないし、友達趣味もない明るい未来もなければ話せる過去もない現状にストレス+1

すでに支払えなくなった支払いの督促状や督促電話毎日鳴り響く。そもそも払う宛がないからでても仕方ない。ストレス+1

趣味友達もない。遊べる場所もない。遊ぶ金もないゴミカスみたいな人間ストレス解消法はギャンブルしかなく、稼いだはした金を自制心なく帰りの車内で全部使うゴミみたいな生活ストレス+1そしてまけてストレス+1

そしてためとけない自分嫌悪感を抱く。ストレス+1

ただギャンブル楽しい。糞みたいな乞食八百長野郎キチガイしかいないし人の裏目裏目裏目裏目裏目しかでず死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねという罵声しかでないゴミみたいな公営競技でも俺の人生のなかでいちばん楽しい

ストレス-100

結果として日々の労働家庭内ストレスを解消するために督促電話メールが大量に届くなか稼いだ金をそのままギャンブルに流し込む以前よりどうしようもないゴミカスが生まれましたとさ。

とりあえず競輪選手から関係者当人だけじゃなくて一族全員焼け死んでくれねぇかな

そしたら辞められるのに

おしまい

2023-12-13

anond:20231213143751

台所に昨日の朝に炊いて食べずに残ったごはんがある

 

昨日は丸一日食べられなかった

免許所の更新して家賃を支払って役所から帰ったら食べようと思った

 

今日も丸一日食べなかった

 

ももったいない

食べることにした

 

おかずは梅干しだけ

今日はこれが唯一のごはん

2023-12-11

ゴミを出すのにゴミ袋の口を縛る

生ゴミやらの混ざったゴミから吹き出す空気のにおいが怖くて、ちょっと息を止めて縛っていると

あれ?なにかすごくいい匂い…?なんで??

そのゴミ袋は台所テーブル横に置いてあるゴミ箱の袋で、夫が食べたみかんの皮が大量に入ってたのだ

なるほど

それにしても思いがけなく、まるで香水かと思うような良い香りゴミからしてきて驚いた

ミカンか、なるほど

普段納豆の空きパックなんかも捨ててあってウッとくるのだけど、今回は納豆もなく

奇跡的に良い香りゴミになったようだ

外国田舎の家の庭ででっかい郷土料理を作る動画

あるよね。

あれ、見ちゃうよね。

火をおこしたり大量の生肉を下処理したり、野菜刻んだり、竈から作ってたりさ。

でもあれがどこの国なのかよく分からんで観てる。

にこやかなおじさんとかおばあさんとかが黙ってデカ料理を作るだけだから言語もよく分からない。

というか、多分あの動画って外国人向けに作られてて、その国の人が見たら「いやこんな作り方しないけど…」とか「こんな料理ないけど…」とか言われそうだなと思った。

自然なほど長閑でクリーンで、想像上の理想郷って感じなんだよね。

あれさ、本当はどこの国でもなかったら面白い

みんなの心の中にだけある理想田舎

デカい犬がいて、よく手入れされた庭には薪小屋があって、普段何に使ってるか分からない屋外の台所にはトマトを潰すでっかい盥があってさ。

嘘の古民家を背景に、嘘の郷土料理を作る。

そういう動画を作って暮らしたら楽しいかも。

理想田舎生活動画作家として生きていきたい。

生きていきたいよなー。

2023-12-10

掃除というほどでもない掃除をした

台所スペースの床に散らかっているもの雑然として何があるのかよくわからない

イラッとしたので無駄場所をとって視界を悪くしてるレジ袋は畳み、レジ袋に入れたスチロールトレイはまとめて入れ直し、ハンディ掃除機とクイックルワイパーの柄は別の場所に避け、家族の使ってるバッグは椅子の上に、床が見えたところでゴミと埃を拭いた

れいになった

…というか、情報が減って瞬時にそこにあるもの理解できるようになった

それまでカウントできなかったモヤモヤの塊が、4、5個の物の集まりに見えるようになった

なんだか満足感がすごい

何があるかわからない状況って脳とメンタル負担になってる

2023-12-06

anond:20231206143547

消えたね

 

なおワイの知り合い

まず手取り18万くらいで都内に1人暮らしだけど貯金1000万オーバーのAさんのお話をしよう。

【Aさん】

仕事

Aさんは収入よりも、クビにならない、ストレス可能な限り感じないという基準仕事選びをしている。

Aさんいわく、ストレスがあると家で何もする気が起きないから。

住まい

23区風呂つきに住んでいるが家賃は5万でお釣りが来る。

住民の中には室内で走り周ったり(キッズではない)、謎の奇声をあげる方もいるが、Aさんはいわく「死にはしない、耳栓もあるぞ」で気にしている様子は無い。

DIYが得意で台所用品や飾るものなど必要もの自分で作る。

食事

100%自炊外食は奢りじゃないといかない。お弁当100%持参。

<服>

しまむらユニクロスーパーの衣料部門や近所のディスカウントショップの衣料を買う。

気が向いたら作ることもあるが基本的には上記

スーツ冠婚葬祭用の服は1着ずつ持っている。

旅行

行かない。そもそも興味がない。温泉は好きな模様。スーパー銭湯でもいいみたい。

<お出かけ>

スーパー公園図書館以外には基本的に行かない。奢りなら行く。

スーパー銭湯は好き。

<娯楽>

TVは意外と見る。レンタルDVDも見る。

食べれる植物を育ててる。

作るのが好き。

タブレット含めたITガジェットは高いから持ってないし興味も無い。PCも無い。ただし使える。

貯金

月910万程度

 

収入を増やさず出費を減らせ

タイトルの通り、収入を増やさず出費を減らし高額な貯金をしていらっしゃるわけですが、

良い言い方をすると「丁寧な暮らしを営んでいる」、「賢者」、
アレな言い方をすると「職場で働かず、家で働いてるだけじゃね?」

 

なお、Aさんは、非デスクワークで誰でもできるとされている仕事をしていますが、将来の不安は持っていません。

いわく、「なるようにしかならない。今ストレスを感じない事が大事

実はAさんはそこそこの大学を出ていらっしゃいます

本人いわく、使えるレベルにはないとのことですが、英語中国語もできます電気知識なんかもあったりします。

誰でも知っている会社に勤めていたそうなのですが、少々人と物事の捉え方が異なるため、どうにもうまくいかず、ストレスで辞めたそうです。

その後も別の会社をクビになったりで、今の形に落ち着いたそうです。

捉え方が違うため会社で実力を発揮できなったのは残念ですが、INが少なくても高額貯金をするのには非常に向いていた性格だったようです。

https://anond.hatelabo.jp/20190815082833#

2023-12-05

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-12-03

anond:20231203105057

遠隔操作のためじゃない?危機管理面。

インターホンつきのリモコン結構あって、台所風呂の中で会話できる。風呂から台所ヘルプコールしたり(具合が悪いとかもあるけど、子供と一緒に風呂入ってて突然困った時とかも)台所から風呂に呼びかけたりする(長風呂すぎるとか、高齢者が一人で入ってる時とか)。

台所は湯を使うから給湯器必要だし、なんだかんだ人がいる率が高いから、リモコンの設置場所として妥当なんじゃないかな?

anond:20231201203655

しかにこれは思った

そういや風呂コントローラーってなんで2箇所にあるのがデフォなんだろうと今更

風呂の中と台所とかボイラーの横とか、ちょっと離れたところに同じ設定できるものがある

自宅と実家しか知らんけど、なんでだろう

2023-12-01

風呂の「お湯はり」ボタンあるじゃん

もちろん浴室にもボタンがあるけど、しばしば台所にもあると思うんだよ。

で、それを押すに当たって、浴室に行って浴槽を軽くシャワーで流してから、浴槽に栓をして、で、お湯はりボタンを押すじゃん?

 

おかしくね?

「浴槽の埃を流して少し待ってから栓をしてお湯をはる」ボタンがあっていいはずじゃね?

もう令和だよ?

どうなってんの?

半世紀前から便所ではボタン一つでケツにシャワーができるのに、台所に浴槽の栓を閉めるボタンは無い、ってどういうこと?

しょうがない質問

親愛なる増田(←この増田という名詞の使い方を、本当は俺はわかっていない。すまん)にお聞きしたい。

俺の台所にずっと前からある、「自然の恵み しょうが茶 三角ティーバッグ 24g(12袋)」は、今も飲めるのか。

開封前だ。

薄くはない紙の袋で、多分内側にアルミ付きのやつ。

開けてないのでわからない。

空気漏れはなく、中身は外から見えない(多分光は入らない)。

今気づいたが、原材料は「紅茶(インド)、しょうが(国産)」ということだ。

生姜だけじゃないんだな。

そして裏面に、「賞味期限 150901」とスタンプがある。

普通に考えると、2015年9月1日だ。

俺も、その頃に買ったような記憶がある。

多分買ったのは冬ごろだ。

いや、もしかしたら買っておらず、もらったのかもしれない。

とにかく、その頃からずっと台所の棚の上に置いてある。

俺は寒がりなので、生姜のポカポカイメージに惹かれたんだと思う。

でも、、、今2023年じゃん?、8年越しなわけ。

開封して、もしもカビていたらそりゃ捨てるが、袋の上から触った感じではまだいけそうなんだ。

多分当たり障りのないつまらない奴は捨てろとかなんだとかいうだろう。

果たして紅茶というものは、何年も前のものは飲めるのか?もしかしたらそういうのは貴重だったりうまかったりするのか?ということが知りたいんだ。

御存じの増田よ、教えてくれー射撃バンバン

ギャンブル中毒ダルクにつれてかれたけど弱者家族生活保護依存しきったビジネスだなぁと思った

ダルクとは

1985年日本で初めて誕生した薬物依存症者の回復のために作られた施設です。DARCとはDrug(ドラッグ)Addiction(依存症、行動嗜癖)Rehabilitation(リハビリ)Center(施設)の文字頭文字をとってDARCダルク)といいます。開設当初から行われている当事者当事者支援する方法現在ピアサポートと呼ばれ精神医療治療においても注目されていますダルク2016年現在59団体83施設が全国にあります

http://darc-kawasaki.org/about/index.html

ギャンブル中毒で親に面倒をかけてる実家すみのカスなんだけど、ダルクにつれていかれた。

さっさと自立しろ、ということなんだろうけど、初手から

「薬物依存回復のために!!」

というパンフレットを渡され

ギャンブル依存症は一人だけっすね。あとは薬物関係のひとです」

といわれて、ここぶちこまれても改善無理無理だわ、そもそも集団行動が無理な人だし、と白けきった目で説明を聞くことになる。

最初に書いておくが、本人やスタッフ含めみんな明るく真面目にやってる

(俺みたいな根が暗いカスはやる気ありありで自分のことさらけ出してなんぼみたいな中毒陽キャ向けコミュニティーなんか即逃げ出すから真面目にやるやつか明るい奴以外残ってないんだろうとも思うが)

のだろうな否定する気はない。


依存症回復は最低でも一年ほど仕事せずに専念する必要があるそうだ。実際はもっとのびるとか。

費用は次々15万円

そのうち6万は生活費

日々の食費や活動費、毎日通わされる自助グループ交通費はここから出せという形。

2万は支援費なる謎の費用だ。まぁたぶん組織運営費とか関係者の給料かなんだろう

そして家賃、共益費は合わせて約7万となる。(割合としては3万3万の半々と思ってほしい)

7万?????

いったいどんな部屋なのかと思ってたら、昭和の蛸部屋のようなビルである

依存症対策として部屋は基本相部屋だ。

風呂トイレ昭和!って感じを思い浮かべてもらいたい。当然ながら共同である

台所も共同である

多分だが、昭和の昔は住み込みで働く人間が使う寮かなにかだったのだろう。住み込みで働く人間がいなくなったのを依存症対策として相部屋が必要ダルクが流用したという印象である

どちらにしろ

これで7万。。。無理だわぁ。。。。俺が払うわけじゃないとはいえこれで7万は無理だわぁ。。。。

このビルで5人で住んでるってことは月35万???えっ????こんな狭いおんぼろビルでそんなに稼げるの??

となる。

ここで

費用としては年180万になるけど、そんなの働かず払ってたらまともな人間でも破産待ったなしだろ。俺なんか入るとしたら初回の入寮費すら親持ちだぞ」

という疑問が同時に沸き起こるわけだ。

答えをいってしまえば単純。

生活保護だ。

俺のような資産をもってない屑は世帯分離の上で生活保護をうける。

その枠のなかに収まるように調整するの負担は少なくすみます

という形。

本人に資産があればそこから年160万、もし家族が出すならそこから160万

依存症治療には人生どん底まで突き落とすしかないという「底付き体験」なる謎思想がある

すがりついた精神科役場の窓口かでそう言われ本人には一円もださな家族でも、治療のためだといわれれば喜んで年150万だすだろう。

もしそれすらださないのであれば、どん底に突き落とされた中毒者は刑務所いくか家族に追い出されるようにしてここにたどり着き、生活保護をうけながらスマホパソコンを取り上げられダラダラと生涯治らない病気かいわれながら12ステップがとかいいつつ生活するわけだ。

こ、これは話題貧困ビジネスぅ!


いやまぁ、おそらく、ここの団体のように社会的意義があっても真面目にやってたら稼げない人たちが活動できるようにつくられてる仕組みを悪用するのが貧困ビジネスなのだろう。

しかしだ

薬中が社会復帰したら大成功で手柄として宣伝、なかなかなおらずダラダラと継続しても生活保護があるから問題なし、最低辺一歩手前だから住居環境ゴミでも文句いわれないしいわない。

こういう待遇についていけない客(依存者)が逃げ出しても「仕方ない仕方ない」でOK

社会は最低辺のカス治療をすると持ち上げてくれるし、その実態は興味無し。かりに知ったとしても「カスわがままいうな」で終りだろう

これはビジネスとしてもう最高過ぎると思う。

そら貧困ビジネスなんてものも生まれるわな。いじめるなら弱者に限るわ

向上心皆無な俺の理想的生活

毎日2000円支給される。これで食事、娯楽をやり繰りする。

・住居は畳の4畳半一間が与えられる。

  台所シャワーは共同でもいい。

  トイレは待たれるとプレッシャーなので部屋に欲しい。

衣服は季節ごとに支給される。

仕事は近所の草刈りパトロール、トング持ってゴミ拾いみたいな作業

  1日2時間ぐらい。行きたい時だけ行くのでOK

  仕事をすると謝礼としてコーヒー一缶と500円がもらえる。

基本的に近所をブラブラして過ごす。

こんなんで十分なんだけど。

2023-11-30

しゃあッ台所に手元灯付けたでッッッ

つっても2つ下穴開けてネジ締めただけやが

2500円で済んで勝ったな感あるわ

40000時間保つらしいんで20はいけるやろ多分

2023-11-29

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

いける・・・これでイケるぞおおおおおおおおお

買ってた電動ドライバーで下穴が簡単に開けられるぅぅぅ

これで台所に手元照明が付けられるぞおおおおおおォ!!!

anond:20231129062938

台所を獣の小便臭くされパンとか袋麺とか食い荒らされてから言え

飯食ってるときに一度でもネズミの小便の匂いに鼻を突かれたら飯が一気に不味くなって憎悪しか湧かなくなるぞ

思い出すだけで腹立つわ

はあッッックソ鼠めが

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