はてなキーワード: 収束とは
R.ドーキンス博士の「利己的な遺伝子」「神は妄想である」を続けて読んだ感想。
進化の過程において、一部の生物は自己の遺伝子を有利に残すため、子を世話する=利他性という資質を身に付けた。
生存に有利な資質の一種、利他性を持つ個体の割合が多くなった。ここまで前提。
利他性というものが生得的資質であるならば、慈善、正義というものも本能の一種であり、生理的快感を伴うものではないか。
生理的快感に従って行為するがゆえに、「困っている人」には注目し快感の命じるままに主観的慈善行為を行い或いは正義のため糾弾し、「困っている人」でなくなったら忘却するという現象が起こるのではないか。
この仮定が正しければ、単なる生理的快感を他者に役立てるためには理性による制御が必要だということになる。
自分の頭ではここまで。
-----------------------------------------------------------------------------------
早速指摘あったので追記します。
「個体が好き勝手カオスに選択しまくった無限の乱数の結果一定の偏り(ESS)で収束が生まれる」というのは実に面白いなあ、でした。
書き方と自分の理解両方に不足があったと思います。指摘ありがとうございました。
なんでこんなエントリを書いたかというと、「おもいやりをもちましょう」と教える現行の道徳教育って思わぬ善意の落とし穴を作ってるんじゃないか、とふと思ったのが発端。
もし利己的行為を各自選択することでお互いが生存に有利に働くシステムを構築することができれば、生物学的に見て一番無理がないのではないだろうか。
近い将来ガチプロになる予定のスロプーです、よろしくお願いします。パチスロ花火についての質問です。設定1で機械割が100%を超えると聞きましたが、実際パチンコ店で見るとしっかりと負けれる機種であることがわかります。なぜですか?
機械割が100%で負けたということは、期待収支を稼いだということになるんでしょうか?その場合、毎日のように通って打ち続ければ数の論理で収束して、プラマイゼロまで持っていくことができるんでしょうか?
ちなみに、確率論上プラマイゼロになってしまうのであれば、パチンコ店にとってはカネを稼ぐことのできないクソ機種になってしまうと思います。それでも花火を入れる理由はあるんでしょうか?
一部のラディカルフェミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害な行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。
一方、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの整備に反対する保守層は、女性が人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児・出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツ・ライツの話題そのものを忌避する社会が完成する。
リプロダクティブ・ヘルツ・ライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実の証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニーをルーツとする保守主義者は、女性の社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭的自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。
日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力と構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会に帰属し、「世間」の強制力は空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチ・フェミニズム」の趨勢は象徴しているように思う。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖、もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋な利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働の社会的価値を損なうことはない。出産・育児と労働を天秤に掛けるとき、労働を選択する女性ばかりではないからだ。
一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在の日本社会においては、生殖そのもののコストが女性側に一任され、経済的負担は男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。
単独で家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分の社会的な立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手を見出し、交渉する主体性と行動力が必要となる。しかし、アンチフェミニズムを標榜する視点において弱者男性の問題が論じられるとき、男女関係における責任問題の現実的側面に目が向けられることはほとんどない。
彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢は存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的な男性の世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代、トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識を放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。
セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題」であるとき、生殖に関与する両者は、二人の協力者である。
男性側のアクションとしての、コンドームに代表される避妊手段、女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用、リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在、性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的な生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスはレイプである」という命題は否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。
しかし、この「現実的側面に対して、現実的に議論する」こと、そのものが、世間の一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリーに支配された「女たち」と、家社会、部族社会の論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所と財産と名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心や想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会の構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖の主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶を強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的な搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを巡る議論は忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニスト」からも「保守主義者」からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズム・リベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである。
再びこのような形で世間様に顔を出すことになるとは思っておりませんでした。
昨年の10月末頃から一ノ瀬莉菜氏による刀剣乱舞スマホケース盗作騒動で、一ノ瀬氏の擁護を行い、沢山の方々にご迷惑をおかけいたしました、
Twitterにて「さちよ」と名乗っていた者です。
一ノ瀬氏が盗作の事実が明らかなのに再びオタマートで販売行為を続けているという事実を知り、文章を認めております。
騒動について詳しくは
なので「一ノ瀬氏は盗作品を売っている」と事実を広め不買運動をするしかないのです。
みずしろ様のブログにも“謝罪の言葉はないだろう”と書かれていますが、
殆ど感情論ですし、下手くそな手記のようになってしまうことをお許し下さい。
また、この文章は盗作を明らかにするものではなく(相変わらず私はデザインについては明るくないので)
一ノ瀬氏が盗作ケースの販売をやめない、こちらが不買するしかない、ということを主張したいがために書かせて頂きます。
まず、前知識として置いておいてほしいのが、一ノ瀬氏は虚言癖がひどく、また「役を演じているうちに自分自身その役になってしまう」傾向性のある人物です。
私が一ノ瀬氏と出会ったのは昨年に設立されたとある刀剣乱舞のLINEグルちゃでした。みずしろ様が在籍されていたものとは別です。
一ノ瀬氏とは同じ歳で(今となってはそれも嘘か本当か分かりませんが)私の主観ですが当時はグルちゃで一番仲が良く、何度もSkypeやLINE通話で言葉を交わし合っていた仲でした。
まず一ノ瀬氏がこのグルちゃで今回の騒動について「色んな作家さんがTwitterやブログで私に対して虚偽の疑いをかけている」と相談があり、彼女に言い分を把握した上で私が個チャにて
「これからどうするのか」と聞いてみたら「私が犯罪行為をしていないという証拠のLINEスクショはいっぱいある。でもそれは機種変をしてLINEのデータが飛んだ私の携帯のものではなく、善意の友人からの提供物なので、そのLINEのスクショを証拠として使ってしまうとLINEの性質上、誰が発言したのか、このスクショは誰が提供したのかバレてしまう。それでその方にまたご迷惑がかるならば、私は犯罪者扱いされてでもいからこのまま消えます」と言うような回答が返ってきたので、それではあんまりではないか、と形は間違っていましたが私は必死に擁護に回りました。
まず、騒動ですが
私が検証様(https://twitter.com/Tolovecase?lang=ja)が双方のスマホケースの透過画像を出して下さった後、すぐに謝罪文を掲載したのは、一ノ瀬氏の虚言があまりにももうボロボロになっていたからです。
確かに検証様の画像は決め手として大きかったです。でも、もう自分の中で完全に一ノ瀬氏に対する信用を失っていた部分が大多数です。
例を上げますと
一ノ瀬氏は「もう私はニトロ側に版権証をもらっている。後は発送されてくるだけ」と言っておりました。
私が「ではその発送通知なり許可が降りた時のメールをキャプションしてTwitterなりに掲載したら、ニトロ側もこちらの味方だと分かってくれるのでは?」
と聞いてみたところ「私は1週間で全てのメールは削除するんです」と返されました。
まあ、違和感ありましたがサイバー対策としては有効かもしれないので何も言いませんでした。
(後から聞いた話ですが、版権証というのはネット上でやり取りするもののようで、そもそも版権証を取った、という話自体が嘘のようです)
次に一ノ瀬さんが
「そもそも私はpixivに登録自体、メメ様が刀箱をアップした時はしてなかった。見れなかった」と主張してきたので
「でもpixivってアドレスさえあれば複垢いくらでも作れるし、そもそも登録してなくても作品見れますよ。証拠にならない」と諌めたものの、一ノ瀬氏は頑なに
「pixivの登録時期がわかる時期をメールを遡って探してみる」と言っておりました。
もうその時点で先程の1週間でメールを全部消す、って嘘ですよね。私もよっぽどバカですが、このくらいの嘘は流石におかしいって思います。
その他、騒動の最中、この件について相談を受けていた他のグルちゃメンバーさんには
「少しでもコストを抑えるために○○○印刷所を使っている」と言っていたのに
私に対しては「○○○印刷所は対応が悪いからやめた」と言っていたり、裏で一ノ瀬さんの擁護のために話し合ってる最中に「あれ?あの人言ってること違うくない?」とグルちゃメンバー同士でも非常に混乱しました。
そういうことも重なり、私は騒動の最中は終始喧嘩腰でしたが、別に喧嘩がしたかったわけではありません。
とても仲の良い友達が虚偽の中傷を受けているという事実に耐えられなかっただけなので
こちらがその友達に騙されていたと分かった時点ですぐに謝罪文をアップしました。
それから、一ノ瀬氏のリア友さんとも連絡が取れる状態になり、一ノ瀬氏が頑なに「自分がスマホケースを作るまで刀箱の存在を知らなかった」と言っていたのにも関わらず、リア友さんとのLINEグループの中での「このiPhoneケースほしす」といったような発言がメメ様が刀箱を発表してから直後だったこともあり、リア友さんが謝罪文を書くという形で騒動が一旦収束しました。
「友達に迷惑がかかるから犯罪者扱いされて消える」って言ってたのになんなんでしょうね。
今考えたら当時成人もしてらっしゃらなかった年端もいかないみずしろ様を虚言で盾にして、弁解文書いた人なんだから何も感じてないでしょうね。
ここまでは、騒動の中で起きていた私の心境の変化みたいなもので、本当に下手な手記もどきで申し訳ないです。
ここから一ノ瀬氏の虚言癖の酷さ、また一般常識が通用する範囲の人間でないことを少しお話したいと思います。
まず、一ノ瀬さんはグルちゃに入った当時はプロフィールにも在住地が東京都と書かれており、実際グルちゃ内でも家の中のキングサイズの天蓋付きのベッドやボーリングできそうなリビング、映画館かよっていう大きさのテレビの写メを様々載せておりました。
それでメンバーが「すごいすごい」とチヤホヤしてる内に一ノ瀬氏が「部屋いっぱい余ってるから遠征組のみんなはうちのおいでよ」と言ったような発言をするようになりました。
私自身、こんなセレブな方が私なんかと仲良くしてくれるって、お金持ちなのにいい人なんだなと思っていました。
で、実際そういう遠征なり東京の方に住んでいる方々が集まって遊ぼうという話になった時あたりに、急に
と言い出しました。それは仕方ないことだね、とみんな納得して彼女の引っ越しについての悩みや義母との諍いなどの相談も受けていました。
まあ、もう皆様お分かりだと思いますが、一連の東京セレブ暮らしはリア友さんの証言により全部嘘だということが分かりました。
一ノ瀬氏はその引越し先の某地方の県からは外に引っ越したことなど一度もないそうです。
部屋の内装に至っても全部嘘だそうです。ヤフー画像検索とかから拾ってきたんですかね。
他人からチヤホヤされたいって気持ちはもちろん分かります。人間誰だってそういう一面を持ってると思います。
でも、自分が実際持ってないもの、有りもしないものをひけらかせて、それで満足できるものでしょうか?
更に、ありもしないのに「部屋あるからおいでよ」など言うでしょうか?
確実に嘘を付いている最中はトランス状態にかかってる虚言癖の持ち主だと思っております。
彼女の中では、自分は「東京セレブ暮らしをしている私」になっていたんだと思います。
更に、引っ越しをすると言う事実を真実に見せる為でしょうが、引っ越しについて有りもしない悩みをグルちゃ内で散々相談していた点から、「セレブで多才な私だけど悲劇のヒロイン」を演じることもとてもお好きなのだと見受けます。
なので、今回のこの盗作騒動も、考えると怖いですが彼女の中では「スマホケースは一から自分で作った」ことになっているんでしょうね。
なので、彼女の口からきちんと謝罪なりを出させようと思ったら、良いドクターをどなたかが紹介してくれる以外ないと思います。
オタマートの発送地は大分県になってますが、いい病院ないんでしょうか。
その他、言い出したら嘘はボロボロでてくるので、私自身振り返ってみたら本当のこと教えてもらったのなんて銀行の振込先だけじゃないかって思うくらいです。
また、数珠丸のケースも一ノ瀬氏は販売してますが(一つも売れてませんが)あれは刀箱にないものなので一ノ瀬氏独自のものだと思いたいのですが、もし購入を検討しているお友達がいらしたら「殆どの作品を盗作して販売してる作家だけどいいの?」と聞いてあげてください。
長くなりました。すみません。
纏めてしまうと、一ノ瀬莉菜氏はサイコパスレベルの虚言癖の持ち主!自分の世界で生きてるから絶対に謝罪も改心もしない!なのでこれ以上盗作ケースで被害を受ける方、また盗作被害を受けた被害者の為にも不買運動するしかない!
ということです。
最後の私の話をさせていただくと、「さちよ」アカウントを無断で消してしまいすみませんでした。
あの当時はまだ一ノ瀬氏側に人間が少しですが残っており「そもそもデザインに詳しくない人間がデザイナーさんからケースを買うのだから、そう言う人間を納得させるようなブログの書き方ができなかった向こうも悪い」等、新しい火種になりそうな意見を色々頂き、「あの謝罪文が上がってる限りずっと謝ってなきゃいけない気分だから消してほしい」という意向を汲んで削除してしまった次第です。
それでは、もうこれ以上、私が表舞台に出ないでよくなることを願って、締めさせて頂きます。
長々とありがとうございました。
さちよ拝
既に議論が収束してる感があるけど、ブコメで言及しちゃったので(http://b.hatena.ne.jp/entry/281603224/comment/zn0621)、以下の記事に対する反論を書きます。
(誰か読む人いるんだろうか……)
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/10/165519
『思うこと』
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/11/182349
元記事からは、全体として、"安易に"死んでほしくない、という"善意"が感じられました。
父親の死についてのご自身の感情の整理もかねてお書きになったもののようで、大変、"情感豊かな"文章だなと感じました。
また、内的な動機から出発しながらも、広く社会全体に目配りした主張をしようと努力なさっているところが見受けられました。
「怒られたから」「自尊心を傷つけられたから」「理不尽な理由で希望する進路に進学できないから」
というような理由で死んだとは限りません。
自分の経験の話で恐縮ですが、僕が彼と似たような経験をしたときは、
初めは「どうしてこれだけ説明しても信じてもらえないんだろう」と"不思議"でしたが、
何度かそういった経験を繰り返した結果、「こちらがどれほど誠実であるかということと、ちゃんと自分が理解・評価されるかどうかということは、無関係なんだ」と気づいて、何かが"腑に落ち"ました。
要するに、「誠実さは愚鈍さによって簡単に踏みにじられる」という"この世界の仕組みそのもの"に絶望を覚えた、ということです。
「この事件を乗り越えても、この先、生きていく限り、何度もこういうことがあるのだ」ということを実感し、巨大な虚しさを覚えたのです。
彼の場合どうだったのか、本当のところは分かりようがないし、僕と同じとは限りません。
ただ、何度か担任と進路のことでやりとりしていた結果、ああいうことになったそうで、
「突発的な行動」ではなく熟慮の末の行動であった、という可能性を簡単に否定することはできないと思います。
絶対そうだとも言いませんが。
いずれにせよ、事情をよく知らない外野が人の心の在り様を適当に決めつけている様を見せつけられて、
大変、不愉快でした。
「少年を責めるような内容は一切書いてません」とのことで、
確かに、主眼は彼を責めることにはなかったのだろうなと感じます。
主に、「命の重さにに比べれば、どれほどの絶望だろうと、それは『そんなこと』です」というご自身の主張・価値観を押しつけることに主眼があり、
彼を責めるようなトーンはその副作用として生じたものなのだろうと感じました。
ほんと、「命が大切だ」一点ばりで、人から何を言われようと自分は正しい、と"素朴に"確信しておられて、うんざりさせられます。
突き詰めれば、自殺を選びたくなるような我々の心の在り様に興味がないのではありませんか?
若い世代の自殺というショッキングなニュースを聞いたことと自身の過去の経験(父親の死)との兼ね合いで生じた感情(ヒステリー)の処理のために書いた文章なのでは?
「自分のために生きる価値がないと思うなら誰かのために生きろ」というご主張かと思いますが、それは「その誰かのために精神的にゾンビになれ」ということではありませんか。
全体的に、「なぜこの世界はつらいのか」という我々の心の問題にとって、何の役にも立たないご助言です。
我々に必要なのは、このどうしようもない世界での生きづらさを少しでもいいから軽減するためのハウツーであって、漠然とした精神論の押しつけではありません。
あなたのように、誤解をもとに決めつけ、自分の価値観を押しつけ、しかもお為ごかしで接してくる人がいるから、
我々は、この世界で生きる意味について、疑問を感じてしまうのですよ。
どちらを選んでも1つのルートに収束するなら一見選択肢自体に意味が無いように思えるけど、昔のドラクエのような主人公が喋らない系のゲームはプレイヤーが主人公を演じられるものだったので、「はい」と「いいえ」をプレイヤーが選ぶことは主人公になりきる上で意味のあるものだった。
選択肢に意味が無いことは自由度の低い一本道RPGの欠点として挙げられてきたけど、実際のところ選択肢に意味があって「はい」と「いいえ」で報酬に差があった場合。プレイヤーは得する方を選ぶようになると思う。攻略情報とかお手軽に手に入るし。そしてその場合主人公を演じることは難しくなる。(「いいえ」を選べば損することはわかっているがこの主人公ならここは絶対に「いいえ」…!)みたいなプレイヤーは少数派だろうし。
どっちを選んでも結果が変わらないことがわかっていれば「最初は断るがしつこく頼まれて渋々依頼を受ける主人公プレイ」とかが安心して楽しめるようになるということ。
まー最近のセリフも設定もガッチガチに用意されてる系の主人公を動かすゲームでそういう「はい」「いいえ」が形だけ残ってたらあんま意味ないんじゃないかなー?
特に個人ブログとかに生息している、心の病気の人が書いた文章が本当に面白い。
はてブでもたまにホッテントリするが、その筋の話題には必ずいる。医療関係で言えば「ワクチンは巨大製薬会社のでっちあげ」とか。政治関係でいえば「◯◯(災害名)はアメリカの秘密兵器」とか。まあ、そういうネタにはまってる人でも大半は、他のことになれば冷静な判断ができるし、ついったとかを見れば一応会話が成立している。そいつらは別に面白くない。単にちょっと「学而不思則罔、思而不学則殆」と思うだけ。
しかーし!その中に光るダイアモンドはある!現代社会が生み出したインターネッツの深い闇はヤツらに格好の図書館兼演説台を与えてしまったのだ。ありがとうバーナーズ=リー!ありがとうmixi!
彼らの書く文章は一種のアウトサイダー・アートだと思ったほうがいい。テレビのニュース・近所の様子・本人の近況、それら全てが有機的に結びついて、一つの(少なくとも彼らは一つだと思っている)結論に向かって収束する。もちろん、論理はかなり意味不明だ。はたして、文章のなかの「地震兵器」を「ロスチャイルド家」に置換しても文意は通ってしまうかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。彼らの「住む」世界のありようは、こんなにも単純で、複雑で、そして面白いのだ。画面の向こうの一貫した妄想は、私部外者にとっては小説と同じか、それ以上に楽しめる。
良くも悪くも毒が抜けたように思った。
それはある種ナルニア国物語のような、壮大な創世記の一部として各作品が意識されてるからだと思ってる。
バイオメガの終盤からシドニアはあの世界での転換期だったと思う。
それでもなお、生態が変容するほどの時間軸を経ても続いてることでガウナの脅威性を示し、
融合という形でそこからの再生を明示することで次世代への希望を匂わせたシドニアの騎士。
敵(異形の物)とのボーダーが曖昧な主人公という逆説的に強調するヒロイズムが見られたのが、
それに抗うように旧時代の人間らしさを引きずる主人公という逆転が起こっている。
融和的なようで獰猛な何ともいえないシドニアのラストをもって、
なんだかネットの世論が無能なジュリーさんがいつまでも有能な飯島さんに勝てないから嫌がらせをしていたという話になってきているので、それだけは否定したい。
メリーさんは一旦置いておいて、両氏に関しては正直これはどっちも悪いしどっちも悪くない。
ジュリーさんも飯島さんも、どっちも喧嘩売ってたし、どっちも買ってた。
今、事務所叩きをしているSMAPのファンはもちろんだけど、それ以上にその多くはSMAPのファンクラブに入っているようなファンでもなく、
SMAPのCDを買うような人でもなく、ただ今の報道に不快を感じている人なんだと思う。
何なら、ついこの間まではオワコンと思っていたんじゃないの?スマスマ見てもいなかったんじゃないの?
そういう人たちはメリーさんやジュリーさんのことだって今回の報道で知ったんだろう。
そういう人たちは何を根拠にジュリーさんが無能な日本のナッツ姫だと判断しているの?
「ジャニーズは嫌いだけどSMAPは応援したい」そう思っている人は、「だってSMAPはジャニーズとして見ていないから」なんだと思う。
なぜか。
メリーがSMAPを嫌いだからジュリー班とSMAPの共演がなかった、みたいな言われ方になっているけど、
元々ジャニーズとの共演NGにしたのは90年代の飯島さんじゃないか。
だから、みんなジャニーズは嫌いでもSMAPは別格って思っているんでしょ。
10年代にジャニーメリー両氏が高齢になったのを機に色んなタレントがはないちもんめのように振り分けられ始めたことから
売り言葉に買い言葉のような共演NG合戦になってしまったのだ。
2001年から嵐を見ているジュリーさんは嵐をSMAPを超える人気者にしたかった。
若いタレントをいっぱい抱えているのに、いつまでもSMAPが絶対王者でいるのが事務所にとっても幸せなわけではない。
でも一方で、飯島さんは嵐なんぞに越されてたまるか、ってところがあった。そりゃそうでしょ、ほいさっさと王座明け渡すわけがない。
だから追い越そうとして躍起になった、越させまいと躍起になった。それだけのこと。
SMAP使うなら嵐は出しません!ってことはあったと思う。でも逆も然り。
ジャニヲタから見れば飯島さんはSMAPのモンペで、ジュリーさんは嵐のモンペだった。それだけのこと。
メリー婆さんが出てきてしまったせいで話はややこしくなった。メリーはジャニヲタからしても害だ。今すぐ引退して欲しい。
全ての悲劇はそこだ。
誰か本当に婆さんを止めてほしい。
どんなジャニヲタもこんな結末は望んでいない。
どうしてあんな映像を流さなくちゃいけなくなったんだろう。あんなの見せたら世論が事務所許すまじになることくらいすぐ分かるだろ。
これから世論をどう収束させるか、それは今後SMAPをどう扱うかにかかっているんじゃないか。
日本はもう末期症状を呈していると感じる。何をしても日本は沈み、復興の目途などもうない。
そもそも「特定の技術とかが優れている→日本すごい」って論理が飛躍している。
それをガン無視して「そうだね日本すごいよね」と感じるバカな視聴者にも腹が立つ。
日本は収束の目途が立たない原発事故を起こし、少子高齢化は進み続け、国民の知的レベルも低く、ポルノが堂々と放送される国である。
そして自分も含め、日本人は猿以下の下等生物であることは明白である・
「日本人はこんなに愚劣!」、「世界の恥日本人」、「悪の枢軸日本人」みたいな番組を流して絶望感を植え付けることこそ必要だ。
ガチャの確率操作とか、ありえない確率とか。保通協があるわけもなし、規制も無し、監督省庁も無しでは、約束された未来としか見えない。
回すほうも理解したうえで回してるんじゃないのかな。今後はタバコみたいに、毎回警告メッセージが表示されて、スクロールさせて画面外になる同意ボタンを押してからじゃないと回せなくなるんだろうか。確率とか、絵合わせとかの法規制じゃなくて、問題の根源は「回しやすい」ことなので、ここをやったら面倒くさくすれば解決するだろう(メーカーは望まないだろうけど)。
課金騒動を見るたびに、この課金に消費されている資産はこれまでどこに使われていたのだろう、と疑問がわく。パチンコから移行した、との論が多いけれどパチンコの主たる客層はスマホを使ってゲームを遊ぶ人たちではないように思う(ホールを見まわしながら。パチスロISは出玉が普通に収束してきたという噂。ほんとならマックろやんけ)。
ガチャ市場が伸びたぶん、ほかの市場が縮んでいる。それはどこなんだろう。外食、出版なんだろうか。マクドナルドはハッピーセットではなく、レアガチャチケットをつけたセットを販売するべきだし、出版は攻略本、雑誌にシリアルコードを付録に付けて久しい。大丈夫、ファミ通の付録だよ。
返金(なんで返金されるのかさっぱりわからん。パチンコも今回の釘騒動で返すのか?)されたとして、またガチャにぶっこむだけなのだろうから、夢の永久機関の誕生である。幸多かれ。