R.ドーキンス博士の「利己的な遺伝子」「神は妄想である」を続けて読んだ感想。
進化の過程において、一部の生物は自己の遺伝子を有利に残すため、子を世話する=利他性という資質を身に付けた。
生存に有利な資質の一種、利他性を持つ個体の割合が多くなった。ここまで前提。
利他性というものが生得的資質であるならば、慈善、正義というものも本能の一種であり、生理的快感を伴うものではないか。
生理的快感に従って行為するがゆえに、「困っている人」には注目し快感の命じるままに主観的慈善行為を行い或いは正義のため糾弾し、「困っている人」でなくなったら忘却するという現象が起こるのではないか。
この仮定が正しければ、単なる生理的快感を他者に役立てるためには理性による制御が必要だということになる。
自分の頭ではここまで。
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早速指摘あったので追記します。
「個体が好き勝手カオスに選択しまくった無限の乱数の結果一定の偏り(ESS)で収束が生まれる」というのは実に面白いなあ、でした。
書き方と自分の理解両方に不足があったと思います。指摘ありがとうございました。
なんでこんなエントリを書いたかというと、「おもいやりをもちましょう」と教える現行の道徳教育って思わぬ善意の落とし穴を作ってるんじゃないか、とふと思ったのが発端。
もし利己的行為を各自選択することでお互いが生存に有利に働くシステムを構築することができれば、生物学的に見て一番無理がないのではないだろうか。
進化の過程において、一部の生物は自己の遺伝子を有利に残すため、子を世話する=利他性という資質を身に付けた。 いきなり誤読してるぅ
理解が追い付いてない点具体的に指摘希望。
ドーキンス「自分の遺伝子を遺すか遺さないかは個体の選択だって言ってんだろカス」
現にネットでは、理性で制御できないまま、単なる生理的快感を追究している人間が溢れているじゃないか。 炎上するたびに、正義感づらして叩きまくる奴らがね。