2016-05-09

利己的な動機慈善

R.ドーキンス博士の「利己的な遺伝子」「神は妄想である」を続けて読んだ感想

進化過程において、一部の生物自己遺伝子を有利に残すため、子を世話する=利他性という資質を身に付けた。

人類社会的動物であるがゆえに、利他的進化した。

生存に有利な資質一種利他性を持つ個体割合が多くなった。ここまで前提。

利他性というもの生得資質であるならば、慈善正義というもの本能一種であり、生理的快感を伴うものではないか

生理的快感に従って行為するがゆえに、「困っている人」には注目し快感の命じるままに主観的慈善行為を行い或いは正義のため糾弾し、「困っている人」でなくなったら忘却するという現象が起こるのではないか

この仮定が正しければ、単なる生理的快感他者に役立てるためには理性による制御必要だということになる。

自分の頭ではここまで。

増田による叩きとツッコミに期待。

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早速指摘あったので追記します。

ドーキンス博士の本から得た感想

個体が好き勝手カオス選択しまくった無限乱数の結果一定の偏り(ESS)で収束が生まれる」というのは実に面白いなあ、でした。

書き方と自分理解両方に不足があったと思います。指摘ありがとうございました。

なんでこんなエントリを書いたかというと、「おもいやりをもちましょう」と教える現行の道徳教育って思わぬ善意落とし穴を作ってるんじゃないか、とふと思ったのが発端。

もし利己行為各自選択することでお互いが生存に有利に働くシステムを構築することができれば、生物学的に見て一番無理がないのではないだろうか。

自己制御しうるだけの理性ってどうしたら得られるようになるんだろう。

あと、トラバミスって汚くなった。反省

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