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はてなキーワード: 反抗期とは

2015-05-30

父に褒められるのが嫌いだった

父親に褒められるのが嫌いだった。いや、いまでも不快に思っている。

例えば小学校音読宿題で、母の手があかない時は父の前で教科書音読したが、そんな時はいつも父親は上手いなあ、すごいなあと褒めてくれた。勉強がよくできれば、ちょっとマセた利発な言い回しをして見せれば、ニヤニヤと笑って(そう、ニヤニヤと)いつも私のことを褒めてくれた。勉強だけではなく容姿もよく褒められたし、家事のお手伝いも、年の離れた弟の世話も、よく褒めてくれた。

中学ささやかいじめのようなものから一時期自傷癖のあった時期があったが、友人にも恵まれ回復し、ネームバリューのある大学に現役合格し、第一志望の企業就職して今に至る。

アダルトチルドレン診断チェックリストというものをやってみたらものの見事に該当するようだ。親の愛が足りておらず自己肯定感が育ってないのだそうだ。冷え切った家庭、といわれても客観的に見てそんなことはない。ただしひっかかったのは、父の褒め言葉への嫌悪だった。照れでは説明のつかない、あの心が辛くなる気持ち、あのいやらしい父の笑顔。なんで私はあんなふうに、褒められて心が苦しくなったんだろう。子供の褒め方の典型的な失敗例で「努力でなく才能を褒める」というのがあるみたいだけれども、それもピンとこない。

長年、心の隅にひっかっていたのだけれど、ふとこの正体に気づいた。あの父親の私への愛情は、いわゆる「条件付きの愛情」だったのだ。あの褒め言葉は、あの成長の喜びは、「自分希望通りのスペックスキルを持った人間への育成に成功した」ことへの喜びだったのだ。父は、例え幼稚園児相手だろうと言うことを聞かなかったらキレて怒鳴る。帰ろう帰ろうと言われても遊び場から離れなかった私が、叱られて泣いて、泣くなと怒鳴られて、もっと泣いて、「泣くな。車に戻れ。俺は命令しているんだ。黙って命令されたことだけをやればいいんだ」と怒鳴られたのを覚えている。ほとんど忘れていたのだけれど、最近になって、周りの子持ちはそんなこと言わなさそうだなとふと思って特異性に気がついた。

例えばもし私がテストで悪い点を取ったら、門限を破ったら、どうなるだろう? 父は、私を愛娘と思ってくれるだろうか。きっととてもガッカリするだろう。父は己の私への態度を悔やむだろう。

自傷がばれたときのその意気消沈を、私は父の愛だと思った。私はこんなに大切にされているんだ、と。でもきっと、そのたくさん示してくれたあの大きな愛は、「親から子供への無償の愛」なんかじゃない。

反抗期はさせてもらえなかった。高校生になると、親の言うことに反発する気持ちは湧くようになったが、具体的に言いつけを破ったことは一度もなく、そういう時はバレないように気をつけながらただただ泣いていた。親になにかをおねだりするというのもすごく苦手で、例えば「眼鏡じゃなくて、コンタクトにしたいって思う時もないわけじゃないけどね」と言って、「うーん…」と言われたら、「別に眼鏡で困ってるとかじゃ全然ないからいいんだけど」と却下した。

そうか、これを、見捨てられ不安と呼ぶのか。

暖かい家庭で育ったはずなのに、まるで機能不全家庭で育ったような自分認知の歪みが不思議だった。きっと過去トラウマがあるのですと言われて何も思い浮かばずに苦しかった。確かに父は怒ると怖い人だったけれどあんなに親バカなのに。そう、何よりもあの褒められて悲しくなる自分不思議で、不思議で、褒められるのが嫌で父を避けた自分が歪んでいるようで悲しくて。

ああ、アダルトチルドレンを克服する一歩が過去の原因を見つけることだというのなら、長い時間をかけて私はやっとそこに辿り着けたのだ。不可能だと思っていたのだけれど。

今、色んなことを私は父親のせいだと決めつけていて、そのことへの罪悪感を覚えている。だから、こんな酷い考えは誰にも言わないで隠しておこう。周りに内緒にしておこう。でも、胸のつかえがとれたって思ってしまっていて、この結果にはきちんと、客観的に言われているような原因があったんだ。

それがなんだか、嬉しくて、満たされて、泣きそうになる。

2015-04-11

誕生日が嬉しくなくなるのはいからなのか

どうでも良い事だけど気になった。

一般的感覚だとどうなんだろう。

0〜5歳

本人より周りが喜ぶ。○○ちゃん誕生日おめでとう、みたいな。

6〜12

本人も誕生日を(特にプレゼントを)楽しみにする。人によっては友達とお誕生日会なんかもしちゃう

13歳〜18歳

家族以外からも祝福される一大イベント友達恋人から祝われたり祝ったりすることが更に増える。

18歳〜20歳

成人までカウントダウン。早く合法的お酒飲みたい。成人おめでとう、あたりがピークかな。

21歳〜25歳

あんまり祝わなくなる。20歳を超えてから急に時間が経つのが早く感じる。

恋人がいればデートプレゼントなどのイベント日。いない場合特に予定がない。

26歳〜30歳

職場とかではまだ若者扱いだが、学生からおっさんおばさん扱い。

恋人がいる場合もいない場合自分の年齢と結婚について真剣に考える。

結婚していない場合女性自分の年齢と適齢期を考えて憂鬱になる。

男性場合は年齢自体よりも体の衰えとかで実感すると憂鬱になる。

31歳〜40歳

年齢について開き直りはじめるが、自分より若い人に祝われると複雑な気持ち。

でも、子供がいて、自分の子供に誕生日を祝ってもらうと嬉しい。

41歳〜50後半

特に何の感慨もわかない。

子供も大きくなって反抗期を迎える歳になると恥ずかしがって祝ってくれない。

逆に子供誕生日を祝っても恥ずかしがられてしまう。

50後半以降

子供も成人を迎え、誕生日ちょっとしたお祝いをくれてほっこりする。

還暦などのイベントで祝ってもらえると感無量。

から祝われればなお良い。

結論

20歳がピーク。それ以降は下り坂。

結婚して子供がいればそれなりに逆転のチャンスはある。

2015-03-22

あの前の見えてなさは反抗期

今頃反抗期が来てるのはなんでだろう

反抗期理不尽反抗期したくなる時期だ

大人になってからだとまずいのだよ

2015-03-15

見合いしろと言われて

見合いというか、仲人みたいな人と一緒に食事しろって言われただけなんだけどね、

1回会うだけでもいいからとか、あっちから断られるかもしれないからいいだろとか言われたけどね、断った。

婚活らしきことを今年の夏から始めるつもりで、貯金をしたりたまにファッション誌を見ながら準備をしていた。

美容室に行ったら、あんまりにも適当過ぎる手入れの仕方をしていたもので、馬鹿にされたり説教されたりする始末。

巷で言うところの女子力というものほとんどない。

学生時代の友人が次々と結婚していって、子どものいる人だって珍しくはないけれど、焦りは感じなかった。

私は私でそれでいい。平日に仕事して、休日は書き物をしたり、絵を描いたり、運動したり、身の回りのことをしたり、ぼんやりとして過ごしていければ満たされる。

恋はほとんどしたことがない。好きになった人がいたけれど、さっさと結婚して他のところに行ってしまった。

あー、これで私は嫉妬とか肉欲とかそういう煩雑で処理が難しい諸々の感情から解き放たれて、私だけの世界で安穏と暮らしていける。失恋の日にはそう思った。

それでも、女一人だけで生きていくには辛い世の中だからとか、両親を安心させたいとか、とどのつまり正規雇用ではない身分から経済的不安も少なからずあるからと思って、婚活を始めるつもりでいた。

家にお金を入れているとは言え(予防線のような書き方だな)、いつまでに実家にいるわけにはいかない。

祖父母は全て亡くなり、両親は老いた。いつまでも私の傍にいてくれるわけではない。

今でも、婚活をするつもりでいる。

恋愛感情だけで結婚するよりも、最初から己の現実晒しから話すお見合いの方が合理的だと思う。

だけど、両親が持ってきた見合い話のようなものを、私は拒絶した。

結婚したくないの? 夢はないの? 家庭を作りたいとは思わないの?

行かず後家と言われたいの? 私たちの老後は誰が見るの? 

あなた幸せを思って言っていることなのに?

母はそう言って悲しんだ。私は主に価値観の違いだと返した。

結婚したくないわけじゃない。夢はISBNのついた本を一生のうちに1冊でもいいから出版することだけど、文才がないから余命宣告でもされたら文芸社に連絡を取るよ。

家庭を作りたいなんて、とても思えない。もし結婚するとしても、二人だけの夫婦でいるつもりだ。お父さんとお母さんはそろそろ孫がみたいだなんて言うけれど、我が家精神病質で、私たちの弟や従姉妹なんかは統合失調症だし、自律神経失調症の親類なんか山ほどいる。優生思想はいけないと教わったけれど、もしかしたら自分だって狂っているかもしれないのに、その血を残したいなんて私はとても思えないよ。

そしてね、お母さん。お母さんの思う幸せと私の思う幸せは明らかに違うものだ。

お父さんとお母さんの思う「私の幸せ」は、ほとんど同じものだろう。

嫁いで家庭を築き上げてこそ、女は幸せになれる、そんな旧態依然とした考えなのだろう。

から、兄や弟には何の家事も教えないで、成人しても茶碗ひとつ片付けない男に仕立て上げた。

兄弟らが茶の間テレビゲームをして遊んでいるのに、私は台所で食事の準備。どれだけ理不尽に思ったかあなた方は分からないだろう。

私は反抗期のない子どもだった。優等生でありたかった。能力がなかったから、優秀な人間にはなれなかったけれど、それでも両親にとってのいい子でありたかった。

受験の時もあなたたちの言うとおりにした。お金がないから、確実に入れる公立高校に行けと言われたからそうした。浪人してでも行きたい大学があったけれど、結局は現役で入れるところに行った。その選択に関しては、両親が正しいとは分かっている。おかげで私は、奨学金を背負わずに済んだのだから

たぶん、従順女の子が欲しかったのだろう。普通女の子を娘に持ちたかったのだろう。

家事を手伝い、父や兄弟らを立て、少女時代は反抗することもなく従順で、成人すれば自然結婚して、外孫を見せてくれるような女性に育てたかったのだろう。

子ども時代は兄のお下がりを好んで着ていた。兄らと粗暴な遊びをするのが好きだった。小さなから男女平等という言葉に焦がれた。

一度だけ、何故私にばかり家事をさせて、兄らは自由にさせているのかと尋ねたことがある。

男女平等とされている世の中だけれども、家庭に入って家事をするのは、結局女性なのだ、そのときに困らないように家事をさせているのだと、両親は答えた。

絶望した。

働き始めて話す時間が減ったせいか、両親とこういう話題で言い争う機会は少なくなった。

それは両親の諦めかと思っていた。

私がもし結婚するとしても、両親のためじゃない。

私は私の人生のために結婚したい。たとえ見合いだろうが婚活だろうが、誰かに宛がわれたものではなく、自分自身で決めたのだという確信が欲しい。

理解なんていらない。私は私が望む私でいたい。

2015-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20150302162829

ゲームアニメ殺人犯が出来上がっちゃうなら殺人犯だらけだよ

両方親の無関心が原因だろ

殺されたこの親にいたっては、不登校になる理由も不良グループとつるんでたのも絶対からないはずないんだから親が問いたださないのがおかし

犯人だって実家暮らしだし普通にこんななるまで放置されるのはおかし

世の中のオスがきがバカなのは女親のせい。

まあ大体の家庭は父親は仕事だし育児には参加しないけど

女親が息子を異性としてみてる(エロい意味じゃなくて意識という範囲から反抗期思春期を迎える頃になると親の方から子供と距離を取り始め、小遣いや物だけ買い与えて勉強だけできりゃいいと思って塾いかして放置、みたいな、甘やかされた結果こんなふうに。

2015-02-27

悪いことをしても、許される、という経験

悪いことをしても、許される、という経験

ある種の愛。

だわな。

過去で無くて、未来に焦点をあてる。

  

今日、また、大人になった。

悪いことをして許されて、前向きな気分になれて、

初めて、大人になれるんだな。

  

以前、増田

メンヘラを脱する方法として、反抗期が無かったヤツは、反抗した方がいいってのが、合った。

次の段階は、悪いことをした上でも、あなた存在しても良いのだと承認してもらうことだ。

大人になると、それは、難しいことだ。

  

でも、命までは取られない。

  

2015-02-12

卑屈、謙虚傲慢、誇り

  1. 卑屈: 自己否定
  2. 謙虚: 他者肯定
  3. 傲慢: 他者否定
  4. 自尊心: 自己肯定

  

ー 成長としては、卑屈、傲慢、誇り(自尊心)、謙虚の順番かな。

反抗期がないと、自分の頭で考えたり、感じることがないことになる気がしてきた。

今日は、ルサンチマンという用語を知った日

2015-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20150209165001

理由って、ことね。

ソースは、こちら。

  

例えば。笑顔なら

もともと笑顔きれいな人が、よりきれいになるように努力をしたうえで、激しい競争に勝ち抜いて、ようやく「CA」になった人たちが美しい笑顔を見せているのだと考えれば、いかに笑顔教育が難しいものであるかがお分かりだと思います

http://ugoki.cocolog-nifty.com/hairiyasui/2013/02/post-e467.html

コミュニケーション能力なら。

親の力…ばかりでは、ないだろうが。

社会人としての基本のコミュニケーション能力幼児期学童期、反抗期に充実したプロセスを踏んでおくことかもしれません。コミュニケーション能力とは自立能力と言えるかもしれません。 

http://www.jmp.co.jp/keiei/lecture/mmc6.html

2015-02-04

納得できないことは、納得できないって話すことには、勇気必要

天は自ら助くる者を助くって、言うけれどさ。

結構自分の気持ちを整理することとか、話して見ることって、私のようなコミュ障には、大変だな。  

自分の気持ちを上手く話せない、

他人と上手にコミュニケーションが出来ない。

自分の気持ちを人に分かりやすく伝える。

こういうことが、子供の頃からずっと苦手。

子供の頃や中学でもケンカしたこともあるけど、なんだろうな。中途半端だったな。

小学校では、いじめられっ子だったしな。

  

心を開くって、結構リア充の人にとっては、当たり前なのか知れないけど、
  • 普通の人よりも特殊な感じ方をする。or 特殊な衝撃を受ける。
  • 独りで悩む。 暗い顔をしている。
  • 悩んでる?って聞いて貰えても
  • 数少ない言葉では、伝わらない。
  • 相談に乗ってくれた人から見て、 『良く分からない』or 『気のせいだよ』or 『もっと頑張れよ』、で終わる。
  • なんか、自分の期待通りの答えというか、共感をしてもらえない。
  • 自分の気持ちなんて、分かって貰えないんだ、と余計に心を閉ざす。
  • コミュニケーションの機会が失われていくので、ますます、上手に話せなくなる。
  • 独りで悩む。
  • さない。
  • コミュニケーションの機会が失われていくので、ますます、上手に話せなくなる。
  • 疎外感を感じつつ、独りで悩む。…心を開けなくなる。

以下ループ

みたいなさ。

具体的に何でつまづいたりしたかというと。

職場人間関係で悩んだ。

キョロ充っていうのか、表面上は、物わかりのいいフリや優等生的な答えをしないと、嫌われるんだと考えていた。

自分場合は、もっと悩んで悩んで、社会人経験10年以上経ってから、やっと子供時代経験するべきような反抗期がきた感じだ。

寝られない日々が続いた。

心療内科に行ったが、上手く自分の納得できないモヤモヤを話せなかった。

  

やりたくても、なんかしてこなかったことや出来なかったことをやってみた。

というか、悪びれた行動をした。

髪の毛を茶髪にしてみたり。ヒゲを生やしてみるとか。シルバーアクセサリーをつけてみたり。

おっさんになって、から反抗期

さいわい、おしゃれに目覚めたぐらいで、済んでるのかもしれないが。

産業医先生に『大丈夫大丈夫。。それも良い経験だよー』みたいに、笑い飛ばされたり、した。

そういうもんかな、と思いながら、納得が出来ない部分もありながら、しばらくは、我慢していた。

その後で、心理的なカウンセリングを受けても、臨床心理士の人に対して、この優しい人からも嫌われないように「いい大人でいよう」なんて思って正直な気持ちを話せなかった。

その後で、心療内科での別の臨床心理士の人と出会って、

しづつ、心を開いても、いいんだって感じれるように、なりつつある。

自分キャラとは違うことをしてみた。

自分タブーだと思っていたこ

いわゆる『こだわり』が強い人間なんだと、納得がいきはじめた。

対人恐怖ではないが。

童貞ではないけれど、女の子と目を合わせるのが、苦手だわ。

ボディータッチしてくるOLの人もいるけれど、凄い、そういう

アイコンタクトとかボディータッチされると、にやけたいのを、我慢しちゃっていた。

目を合わせて、笑顔挨拶すること、3回以上も続けることは、出来なかったな。

なんか、緊張しちゃう


納得できないことは、納得できないって話すことには、勇気必要だった。

今まで、色んな人との間に、誤解があったんだな、と最近になって、10年以上も前のわだかまりを思い出した。

涙が、にじんできた。

職場でも、我慢するだけでなくて、適切な方法で不満を表明するのは、さほど、問題にはならない。

 自分の感じ方が、おかしいのかと思って、ますます自分を嫌っていたというか、厳しく見ていたなぁ。

なんだろ。

働かないといけないけれど、なんか、未だに職場人間関係を修復したいという気持ちに正直なれない。

たからみて、いい大人が甘えているとしか、見えないはずだ。

2015-01-23

子供人生の目的にするな

自分人生を諦めたバカ親の典型。

http://anond.hatelabo.jp/20150123110139

 

教育ママ・パパになって、子供に過度な期待を押し付け挙句反抗期にグレて親を刺して少年院に入って一家離散、まで読んだ。

自分のケツは自分で拭けよ。

2014-09-17

高校生までの間ずっといい成績をとり続けたのは、親に褒めて認めてもらうためだった。

親は常に病気もちの妹をかまい、ひいきしていたから、私は妹に対してゆがんだ恨みすら抱いていた。

今思うといい成績をとり続けたのは失敗だった。

それが普通になり、本来の私の目的とは逆に、構わなくても大丈夫だという考えに至らしめてしまったように思えるから

思えば学校でもそうだった。

いくらいい成績をとっても、それが当然になると教師は何も言ってくれない。

手のかからない子という位置にいるだけでスルーされて、数年もすれば忘れられるような存在

そんな教師が可愛がっていたのは不良だった。

校則違反は当たり前で成績も悪い人間

本当にうれしそうにそういう人種に対してかまっていた。

閑話休題

「いい子だから助かる」とよく親に言われた。

それを褒め言葉だと思っていた自分は間違っていた。

ただ自分がラクができる、かまわなくてもすむという安堵が漏れただけに過ぎなかった。

不出来な子ほどかわいい・かまいたくなるのが人情であるのであれば、そうでない子はどうすればいいのか。

そうやって自分と一度も向き合うことなく、ろくに反抗期もないまま惰性で大学に進学した。

親に認められることが動機だっただけの、所詮手段に過ぎなかった勉強を深く究めることなどできるわけもなく、成績は落ちた。

留年がかかった試験の前夜、留年するかもと伝えたら呆れて怒られた。

うれしくもなんともなかった。

結局ギリギリ卒業した後は、実家を出て上京し、なんとか底辺企業にしがみついている。

もちろん恋人もいない。

休日も外出せずにずっと引きこもっている。

いびつに育ってしまった自意識の空隙を、増田で得られるわずかなブクマで満たす日々。

いまだに生きる意味を見つけられずにいる。

2014-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20140820210341

話ずれるんだけどさあ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-00000101-san-soci

女児の口に総菜詰める 強要容疑で保育士の女逮捕 千葉

これ、正直親だったらこういう事をやった事が無い人の方が少ないんじゃないかと思う。

反抗期の何でも嫌がる子に対して忍耐力が限界にきてブチ切れて無理矢理強要する」という行為全般にまで話を広げたら

やった事無い親なんてよっぽど他人せとか放任主義でもない限りいないんじゃないか。

まして認可外の保育園なんて人手も足りない中全員の子供に食わせなければならないのに

一人の子だけに延々関わってる暇なんてないだろうしさ。

報道によると人が足りず問題発覚後も辞めさせられなかったとあるけど

そりゃ人集まらんよね、こんな仕事。それでいて給料も安いんだからブラックにも程がある。

これで逮捕されて嬉々として実名報道される世の中がどんどん子育て難易度上げてるんだろうな。

と言うと虐待容認!とか言われるんだろうけど。

2014-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20140814075548

いつまでも子供実家にいること自体が褒められたことじゃないって言ってるだけだよ

寄生寄生言うのはパラサイトシングルっていう言葉を使ったから?

一緒に住んでいるとなんとなく生活リズムってわかるでしょ?

寄生とかじゃなくて普通常識範囲として

それがなくなっていくと例え親でも「なんか合わないなぁ」となっていく

反抗期でも何でもなく普通の話だよ

「遠くの親戚より近くの友人」ってのと同じ話

http://anond.hatelabo.jp/20140814072443

別にうざいとは思ってないよ、単に他人だなぁと遠い目で見る感覚

今まで一緒に住んでたら程よい大人の距離感、なんかにはならないわけで、

程よい大人の距離感なんかになった段階で相対的に疎遠だと思うけどね。

反抗期意味間違えてないか?

http://anond.hatelabo.jp/20140814071814

程よい大人同士の付き合いが出来ず「疎遠」以外は「寄生」としか考えない、ってのは

自立しているのではなく単なる反抗期では。

この間までママママ言ってたのにババアうぜーよと言い出す中学生みたいな。

2014-08-04

増田に書けばフィクションって事で許されるよね!11

そういえばあまり書いてこなかったと思ったので、今回はなるべくドロドロした事を書いてみたい。

さて、“人間ヒマで余裕があるとロクな事をしない”というのは、歴史的かつ普遍的事実である

市役所とかの歴史がそのまま、ドロドロした人間関係歴史であるように。

神社歴史もまた、そのまま、暗闘の歴史である

世襲経営者と、代々職員、兼業神職地域住民、その他大勢

まあ大体この辺りが古い大きな神社の職員構成層であると考えてもらっていいし、おおよそ左から順に尊重される。

そして、就職に苦労するのは右からである

この序列コネ順として捉えるとわかりやすい。神社界で物を言うのは人間様のお口ではなくて、コネと金がすべてである

年功序列、上位下達をこそ金科玉条とする神社界においては当然、職務命令に対する理解よりも遂行よりも服従そのものが求められる。

伝統を堅く守る」という事 = 「自分の頭で考える余地がない」という事であり、アレンジャーアドバイザー不要である自分意見を言わずはいられないタイプの不具者は、転任だの何だの理由をつけていずれ追い出される。経歴に転任の多い奴はこの不具者であるとすぐわかる。

以上の背景を前提として、神社内にも暗闘が存在するわけであるが。

まあこの暗闘てのは一般的には俗界において“社内政治”と言われているものに類する。

より具体的には、世襲経営者もしくは実質的経営者層に対し、代々職員や兼業神職が、まるで反抗期のガキのように反旗を翻すものが多い。

ただし、待遇改善職場環境向上を求める声はほとんど上がらず、神社運営における主導権争いがメインになってくるのが特徴的な点と言える。

とは言え、大体の神社において経営者層というのは大体決まっている。どのあたりが宮司になるとかは大体決まっているし、また世襲のところもある。

となれば雇用主と被雇用主は明確に分化されていると言えるし、また、飼い主が誰かわかっていない飼い犬などただの狂犬である

なのになぜ、経営者の座はどうせ何代経とうが小揺るぎもしないのになぜ、このような主導権争いの暗闘がわざわざ発生するのかというと。

この、代々職員や兼業神職という奴がタチが悪いのである

「ウチは代々この神社に勤めてるから」という、自宅感覚職場意見する、代々職員。

また、自分家系で代々ちっぽけな神社宮司を勤めているというだけなのに“神社界に重きをなしている”と勘違いし、また生活費が稼げないからよその神社様にお勤めして食わせてもらっているのに自宅感覚職場にて宮司の如く振舞う、兼業神職

まあカンタンに言えば、でかい会社において、そこに勤めているよそのちっぽけな会社社長やそこの後継ぎが、偉そうに振舞っているのと同じ感覚である

経営者としては、こいつらはタダの被雇用者なのだが、先祖代々のコネがあるから無下にはできないし、地縁血縁もある事だから粗略には扱えない。

で、こいつらがしがない雇われとしての自分立場自覚しているならいいのだが、神社に入ってくる段階で既に、コネで楽して資格とったりコネで楽に就職決めたりして入ってくるだけに、当然のごとく選民思想に満ち溢れており、強く出れない経営者立場を逆手に取り、職場においても我が物顔で振舞う。

なので止める者もなく、こいつらは職場の腫れ物と化してゆく。

で、すっかり腫れ物と化したこいつらが必ず何をするのかというと、神社運営における主導権争いである。

自分達だけでやるなら好きにすりゃあいい話なのだが、迷惑な事に職員全体を巻き込んで争いをおっ始める。

宗教家政治に興味を持ったところで碌な結果には結びつかないし、社内政治においても同様である

金や権勢や社内政治に興味のない人間でも務まるのが聖職者のはずなのだが、否応なしに巻き込まれる。

まあ嫌そうな顔をして正論を吐く程度の自由は与えられるのが、一般企業とは違うところか。

「ここはお前ん家の神社じゃねえんだよ、そういうワガママなら家に帰ってパパ宮司に言えや」みたいな事をオブラートに包んで言っても、

「そういう事を言い出したら意見なんてできない」みたいな一般論を返すだけでまったく内省の気配すらない。


この辺は一般企業と何も変わらないのだが、もちろん神職養成機関においても、年功序列、上位下達を重視した教育が施される。

結果育成されるのは、従順な忠犬のごとき若手人材である

伝統を堅持する神社界に、新しい意見はいらない。その考えにはただ単に飯食う為に神主をやってる私も同意する。てかどうでもいい。

しかし、飼い主が誰かをわきまえていない飼い犬は明らかに不要である

神に仕える身であろうが、給料を出すのは宮司である

労働奉仕であろうが、毎月毎月給与が発生する。

そこんところはキッチリわきまえ、誰におまんま食わせてもらってるのか自覚し、飼い主に尻尾をきちんと振らない限りは、代々続く家の子孫だろうが何だろうがただの狂犬の群れである

職場に対して偉そうに意見するのならまずは、テメエん家の神社一本で食ってけない、情けない我が身を省みて大いに恥じるべきである

やり方次第ではどれだけ小さい神社だろうが、一社の故実を破壊せずに神社一本で食ってく方法なんていくらだってある。でもそれをしない。思わない調べない実行しない。

まずその己の怠慢に対し、親や祖先神社に対してごめんなさいと言うべきである

自分ちの神社だけで食ってけないなら、食い扶持を稼がせてくれるヨソの神社に対して偉そうな事は言わない。

何年勤めていようが、何代勤めていようが一緒。雇われは雇われ。

てかそもそも、そういう偉そうな事を言える立場じゃない。

まあ、俗界から遊離しているはずの聖職者たる我が身が社内政治ごっこに巻き込まれるのはヤだねえ、というお話でした。

半沢直樹でも見過ぎたのかあいつら。

2014-08-01

自己嫌悪と、決して毒ではない親

根拠の無い自分への自信の無さがつらい。根拠が無いことも、客観的に見れば自分がどちらかと言えば周囲にも恵まれ、持って生まれたステータス等も平均より上回る項目がいくつかある、ということも知っている。

理性ではわかっている。

でも自分が嫌いで、いらだたしいクズだという思いが抜けなくてつらい。だから人間関係がつらい。こんな自分でごめんなさい、付きあわせてごめんなさい、接点が会ってごめんなさい、そういう気持ちを押し殺して、にこやかにフレンドリーにすごす。

たぶん最近忙しいので疲れているんだと思う。だから理性で感情にフタをするのがしんどくなって、こういう愚痴を、ただの卑屈な甘ったれた様子を書き連ねているんだと思う。でも、疲れたんだ。ああ、つらい。

 

以前やっぱり増田に同じようなことをかいたら、「毒親育ちでしょ」みたいなことを言われたけれど、毒親では、ない。どちらかと言えば、恵まれた家庭で甘やかされ気味に育てられたと思う。…けれど、反抗期も過ぎて独り立ちをしてしみじみと思うのは、とくに父親と、ひとりの人と人として相性が悪いということだ。例えば言葉の選び方や、現代社会政治への考え、趣味、そういったものが、(おそらく、お互い)「違う」というかんじなのだ。無いわぁ~とまでは言わないけれど、ふ~ん私だったらそういうのは選ばないなぁ、くらいの。

私のこの自己否定感が親にあるというのならば、私が人と人として、大人と大人としてあまり”合わない”人と親子関係にあったことが原因なのだろうか。それくらいのことで。だったらどうすればいいんだろう。これからどうすれば。

2014-07-22

かつて僕が神童だった頃の話

 

神童だと言われて育った。2歳で平仮名を全部覚え、3歳になる頃には、保育園で他の子達に絵本読み聞かせていた。保育士の間で変な子がいると噂になり、近所の教育大で知能検査を受けることになった。その後、両親が大学に呼び出され、しばらくして算数教科書問題集を持って帰宅した。それを読んで勉強するようにと言われ、試しに読んでみると、何を言っているかが大体理解できた。分からないところは親に聞きつつ、小学校に入る頃に分数勉強を終え、小4の途中で高校微積分を終えた。

 

学校は楽しくなかった。あらゆる授業で、5分で済む話に1時間以上をかけていると感じた。全部の質問に手を挙げていたら、1週間もしないうちに、もう手を挙げるのは止めろと教師に言われた。漫画ゲームをしていると取り上げられた。教師ももてあましていたのだろう、途中から、図書室で借りた本なら、授業中に読んでいても何も言われなくなった。ただ、小4の途中で、読みたい本は大体読んでしまった。同級生からは面倒な存在として扱われていた。

 

地元には目立った進学校はなかった。親戚の家から通うかと言われたが、某有名校の中学受験問題集に目を通したところ、代数は使わず鶴亀算問題を解けと書いてあるのを見て、これは意味がないと感じた。まがりなりにも三角関数虚数指数関数勉強してきて、それでもxもyも使わず鶴亀算で解答しないといけないのかと思うと、情けなくなった。教師や親戚など、事情を知っている周囲の大人からは、〇〇くんは特別から、と言われた。でも、特別でいいことなんて、何も思いつかなかった。

 

その直後、小6で反抗期が訪れた。もう勉強は止める、と親に宣言し、地元の中高でそのとおりに6年間を過ごした。授業は聞かず、ノートはとらず、教科書学校以外では開かなかった。それでも成績は概ね上位だった。別に天才だったからではない。必要勉強の大半を、小学生の頃に済ませてしまっていたからだ。運動部に入り、服に気をつかいはじめ、カラオケビリヤードに行くようになった。「特別」な子はもう卒業だった。孤独努力を続けるのは、もう飽き飽きだった。

 

その後は平凡な人生だ。大学4年間を引き続き遊んで過ごし、それなり以上の会社に潜り込んだ。同僚からは、理屈よりもむしろ調整能力で評価されている。運よく社費で留学することになったとき、壮行会で、〇〇が留学とはな、きちんと勉強してこいよ、と何人かに言われた。こう見えても昔は神童だったんですよ、と冗談めかして返事すると、その場の皆が笑った。僕も笑った。

幸せか、と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。」村上春樹小説のうち、この台詞だけは、今でも折に触れて思い出す。

 

今、この日本全体で、かつての僕のように、指数関数三角関数学習したのに小学校分数の足し算をさせられている子供が、一学年に少なくとも数人はいるだろうと思う。そのほぼ全てが、最近報道であったようなカナダアメリカでの飛び級のチャンスには恵まれず、中学受験のために鶴亀算をやるのだろう。又は、その選択肢を見限って、自分知的好奇心よりも、同年代の子に溶け込むことを優先するのだろう。もし、それを少しでも、日本にとって人的資源無駄だと思うなら、飛び級制度の抜本的な拡大をぜひ支援してほしいと思う。

 

他の主張を落としめることで自分の主張を際立たせるやり方がスマートでないのは承知の上で、あえて言えば、

総務省の「和製ジョブズ」発掘プロジェクトよりも、飛び級の抜本的拡大の方が、絶対に将来の日本を変えるチャンスを秘めていると思う。

 

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追記:

コメント色々とありがとうございました。

 

ガチ神童ではない」のはおっしゃるとおりというか、少なくともガチ天才ではないと思います。SPIやGMATのような類の試験では、今でも苦労せず高得点が出ますが、単に事務処理能力が高いだけで、何かを考え抜いて新しいものを生み出す資質とは違うのでしょう。「二十歳を超えれば只の人」というのは、自分でも折に触れて実感するところです。元神童の典型例のひとつとして読んでいただければと思います

今の境遇には満足しています過去に後悔があるわけでもありません。ただ、昔の自分を幼かったなと感じるだけです。

 

そういえば、授業を集中して聞けない癖は今でも抜けておらず、留学先では苦労しています自分意思の弱さの問題だと言われればそのとおりですが、この点については、幼い頃の境遇に原因を求めたくなる気持ちもないではありません。幸い、今は周囲が競争して手を挙げる環境なので、自分も積極駅に参加することで乗り越えようとしています

 

鶴亀算に対する思い違いについては以下のとおりです。僕は面白がって取り組むタイプではありませんでした。パズルとして楽しむよりも効率を求めてしまうのだと思いますhttp://anond.hatelabo.jp/20140722211051

 

天才のまま、知の最前線を走り続けている人がどれだけいるのかについては、僕自身も知りたいところです。そのような人達をみて、飛び級がなくても問題はないというか、飛び級があればもっとくその才能が世に出た筈だというかは、ひとつの判断でしょう。

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追記2:

引き続きコメントありがとうございます

  

>「本当の天才」でないとしても、学習意欲・知的好奇心のある早熟子供に既知の退屈な授業をする必要はないと思う。飛び級というのは「本当の天才」だけを特別扱いする制度ではない。

まさに我が意を得たりという思いです。ありがとうございます

 

>そこで頓挫したなら、ただ早熟なだけだろ。その壁が越えられない自称天才達なんて掃いて捨てるほどいる。

そういう「自称天才の子達が、小学校の頃に互いに出会えたらよいのではというのが、この日記で主張したかったことの一つでした。競い合う環境能力の啓発を促します。それで「本当の天才」が生まれなくとも、何人か何十人かの「秀才」の知的好奇心が満たされ、かつ能力底上げされるなら、充分に価値があるのではと思います

 

あと念のためですが、僕は自分神童だったと言ってはいものの、天才だとは言っていません。この点分かり辛かったとしたら失礼しました。はてな高学歴が多い印象だったので、元神童や現役の天才達が自分達の経験を語る流れがメインになるかと思っていましたが、僕が天才に該当するか否かの議論に焦点が当たってしまったのは残念なところです。今からでもぜひ!もっと!

 

ちなみに、天才でないという指摘はそのとおりだと思っているので気になりませんでしたが、「賢い人が書いた文章ではないように感じる」というご指摘には地味に凹みました。論理的文章を書けることが重視される職業なので。。まだまだ至らない身だと胸に刻み、精進してゆきたいと思います。そのせいもあってか、釣りか否かの論議が続いているのは哀しいところですが、増田で書く以上は仕方ないのでしょうね。

2014-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20140718021723

の子、下の子関係なく誰もが通る道だ。

まりそれが反抗期って奴だ。

みんな嫌になって親から独立するんだ。

離れてみればその内分かるさ。

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718021723

おれは、大人数兄弟長男

この主と全く一緒だったけど、なんとか乗り越えた。

思春期にまともに反抗期経験できず、自我の形成、精神的自立ができない状態で、体格だけ大人になりました。

大学に入ったら好きな勉強をやると意気込んでいたら、一つの挫折からできなくなり、心が折れ、鬱になりと散々だった。

ただ、親が原因だったとはその時は思わなかった。

30歳になり、カウンセラーと話ているうちに、親から呪縛が解け、親を客観的みて批判できるようになり、ようやく反抗期を迎えられた。

>家庭にも社会にも私を私として受け入れてくれる人はどこにもいません。

それもそのはず、なぜならあなたの中に「私」という存在はまだいないから本来なら思春期に済ませておく自我の形成が終わってないから

主は、妹と自分比較して羨ましがるのではなく、心のなかで(声に出してもいいけど)徹底的に親を批判し、あんな親、大人には絶対にならない、自分ならこうする、どんな大人になるかという自分像を作るといい。

あんな親のようにはならないという反抗期があることによって、じゃあ自分はどんな大人になるのかという自我の形成が完了する。

発達心理学的には当たり前だが、長男長女はそれを経験せずに大人になることが多んじゃないかな。俺の場合兄弟の多さも拍車をかけた。

主は、もう大人です。何も我慢なんてする必要ないんだよ。親は親、自分自分。親が人間として間違っているなら、人として真正から批判してもいい。

親の言うことなんて聞かなくていいし、親に嫌われたっていい。生活を親に依存しているっていうレベルなら、なんとか経済的に自立すればいい。そしたら批判し放題だ。

主は我慢していると言っているが、我慢しないで反抗しろ。遅れてきた反抗期を迎えるんだ。

そもそも親になんか認められなくてもいい。そんなひどい親なんだろ?そんな人に認められたいか?

すると、あんな親のことなんて、どうでも良くなる。考えるだけ人生邪魔。そうやっていい感じの距離感に落ち着くでしょう。

今の俺は親と同居してますが、心は超自由です。

母親に手を上げてはいけない

反抗期の頃や無職精神的に荒れていた頃、母親に手をあげてしまった事がある。

蹴っ飛ばしたりもしただろう。母親は泣いてしまった。泣いて怒って向かってきたこともあった。

今思い出しても胸が苦しくなる。どんなに頭に来ても母親に手をあげてはいけない。

親元を離れてしばらく経つが、月に一回ぐらいは顔を見に会いに行きたい。

2014-07-10

中卒でも意味がある条件

中卒の人と話した。

中卒の人が敷かれたレールの上を走るのが嫌だったか高校大卒に行かなかったと言った。

しかし、同じ社会という枠組みの中で生きている限り、敷かれたレールを外れた人が走る敷かれたレールに乗っただけにすぎないのではないだろうかと思った。

特別な才能が無い限り、就職先も限られるし中卒の人が歩める人生も似たようなものになるのでは無いだろうか?

 

中学の時点で一生かけて取り組みたい仕事が明確に見つかってたり、特定の分野の超天才なら、中卒でも全然いいと思う。

そうでなければ、学校に通おうが通うまいが、基礎的な教養となる幅広い勉強をしておいたほうがいい。

基礎的な知識を身に付け、自分の頭で考える練習をしておかないと、思考パターンが広がらないから

そして、得意分野の異なる優秀な人間と、できるだけ多く友人になっておいた方がいい。

これも将来のための人脈というだけでなく、色んな考え方を知って視野を広げるためだ。

 

そして、これらの基礎的な教養と幅広い友人を得るためには、優秀な高校大学に通うのが最も費用的にも時間的にも効率がいいというのも事実だ。

オリジナルの全く新しいレールを自分で作る能力が無いのに、既存のレールを嫌うのは単なる反抗期だよ。

あ、Fラン高校大学は通うだけ無駄から専門学校に行くなり早く就職した方が将来の役に立つと思います

2014-06-30

(追記しました)

親の言うことはなんでも聞くようにしてきた。それなりに拒否を表明したことはあるけど、なんだかんだいって説得されて、従ってきた。

だって結局は言うとおりにしないと、母、ノイローゼでぶっ倒れそうな感じだし。いつもお父さん外国単身赴任してて父方の祖母にいじめられてるからかわいそうだったし。

高校生とき小学生の頃から秘めてた夢をついに親に言ったらもうほんと家においてもらえなさそうな感じだったので、格闘ののち折れた。

すごい勇気を振り絞って電話して初めて自分で取り寄せた専門学校パンフとか見られてめっちゃ怒られて、学校の人からの勧誘?電話きたとき親が横にたってて、泣きたいの必死にこらえて断った。相手の声とかもすごい覚えてるなあ。

ちょうどその頃は、偏差値高い学校行って学力的に優等生としてのアイデンティティも失い、振るわない成績に生きがいの部活を親から禁止させられたり、将来の夢を全否定されたりしてからメンタル的にズタボロで、その頃からいい人生送ってない気がする。

無気力とか、諦めとか、劣等感を常に感じる。

大学も途中で欝みたいになって引きこもりになって、薬ももらって飲んだどしっくりこないしもうわけがからなかった。

なんというか見栄っ張り?だから医者から「薬効いてますか」って聞かれるとイマイチなのに、医者に気を使って?「はい!もうバッチリで」みたいに答えてしまうからなんか通院も無意味だなって思ったし、軽い欝って診断だったこともあり薬1年くらいでやめちゃった。

ネットとかの知識でしらべても鬱も非定型欝も躁鬱もADHD人格障害系もアスペもどれもちょっと違いそうでよくわからなかった。

更に自分なりにしらべてACっぽくて、それで反抗期のつもりで親と喧嘩したりしたけど結局はまあ私が悪いみたいな。親はとっくに反抗期終わってると思い込んでたから私がただ癇癪おこして当たってるみたいに思われて解決しなかった。このやりとりは何度かやった。

ただ他人に迷惑をかけながら、自力ではなく、助けてもらって、留年制度ない学校なのも幸いしてなんとか4年で卒業した。

そして家に一人になっちゃう母がかわいそうでUターン就職した。

本当に深く考えなかったけど接客むいてるとおもったか接客業にいった。

高卒ばっかりで、人種が違う感じで、目の敵にされてたのもあるけど精神的に自爆して半年でやめた。

それから役所の臨時だの非常勤だのに滑り込んだ。前職とは雲泥の差ですごく居心地が良くて感動した。している。

運良くウマが合う人ばっかりで、仕事内容も苦手な事務作業だけどそんなに大変じゃなく(まあ非常勤だし)、幸せだって思う。

でも収入からしても正規雇用になりたいし、いまパラサイトシングルだし、なによりもうこの家、土地から出たい。

というかんじで、大学の頃住んでた首都圏にいきたい。

私にはなんの技能もない。

昔諦めた業界がやっぱり気になる。憧れる。でも自分には許されないと思う。趣味レベルで専門知識ないし、学んでないし。おこがましいって思う。ありえない。

公務員になれしか言わない両親に、民間に行きたいんだって話をちらっとした。即答で、じゃあやれば?とっととやれば?はやく電話しろよwwwでもあんたのガラスハートじゃ絶対民間じゃやってけないから、ぜったい公務員がいいんだけどなあ!民間ガラス過ぎて無理。御託はいから、親としては「明日仕事やめて東京行くから応援してね!」っていうような主体性が欲しいの。とかいわれて、静かに衝撃うけてた。初めてパンフ取り寄せたときのことが思い浮かんで愕然としてた。あのとき確かに、自分で行動してはいけないんだって直感的におもって絶望したんだよ・・・

私はずっと首輪をされてた気がするんだけど、両親からしたら、束縛はよくないから自由に育ててきたし、もう成人超えたんだから自分できめなさいよみたいな感じなんですよね。

じゃあいままでの何??

なんでこんなに苦しめられたの?なんで今もこんなに原因不明の苦しみを感じるの?

悔しい。束縛してきたじゃん!ってわけわからないままに悔しいし確かに成人こえてこんな親のせいで動けないとか喚いてる依存体質なのも自分に呆れて同年代以下に劣等感を強めて、いま何をすればいいのか、何をしたいのかわからない。

だってどうせガラスハートすぎて働くところないんじゃん・・・

いまの職場たまたま恵まれてて、こんな鬱っぽい性格ってのを微塵も出さずに冗談いったりかわいがってもらえる場所にいるだけで、そもそも非正規の身分で、正社員とかやってもまえの会社みたいに到底耐えられないんだろう。

労働基準法守ってほしいっていうのが甘えなのかな?父にも労働基準法なんて守ってたら会社はなりたたないんだからなおまえは甘えすぎって説教くらったし母も「ブラック企業かいうけど、ああいうのはどこの会社もやってるからね当然よそれが社会」っていうしわたしの労働観念おかしいのかな。怖いよ。生きていけない。

とくになんで自分はこんな負の精神世界にいるのだろうか。

何かするにもすごくエネルギー必要とする。人の目をきにして動けないし。

人並みにいきていくにはどうしたらいいの。

すごい馬鹿なの承知だけど、自分の中におしとどめとくのが気持ち悪くて、バカだなっておもいながら深く考えず、書きなぐって、遂行もせず、匿名にブチ込む。ごめんね。

  

  

(追記)

埋もれずに反響があって驚きました。構成もなく読みにくいのに(「推敲」さえ誤変換してたのに)本当にありがとうございます…。

しかも叩かれるかと思ったら共感してくれる人や導いてくれようとしてくれる人ばかりでびっくりしました。お言葉目からウロコ状態です。

話せば話すほどクズさが滲み出るので一度優しくされた身としては今どこそ叩かれそうで恐ろしいのですが、せっかく反応をいただけたので踏まえて簡単に追記をします。

 

はっきり毒親だとかいわれると、急に変な感じがして「いやでもうちの両親は優しいよ」みたいに反論したくなるので残念ながら共依存なんだなあと思います

ふと昔のこと思い出しましたが母自身がけっこうやりたがりで、図工の宿題とかも気がつくと完成してたりしました。読書感想画も自由研究も私には主体性0で母の指示通りにやった作品が賞をとったことも多く、当時は深く考えず自分の手柄だと思ってましたか虚構プライドだけ高いたいして能力のない人間になってました。「子の人生は、親の希望・親の人生でもあるんだよ♪愛しているからこそ」って言ってる母と、自分との線引き…がうまくとれないのかもしれません。

 

大学の頃カウンセリングには通いましたが本当にイマイチで、でもその方に非常に気にかけられてカウンセラー変更ができず、カウンセリング時間はすごく気を遣ういやな時間しか過ごさなかったのでちょっと怖いです。マッチするカウンセラーという存在にわかに信じられないのですが、カウンセリングは避けて通れないのでしょうか…(涙)

  

同じような苦しみを味わってる人がいるって、いいことじゃないのに、嬉しくなってしまう。安心孤独感がちょっと和らぐという感じ。

でも決して不幸な人がいるから嬉しいんじゃなくて!!!直接的な解決にはならないけど、ちょっと心強い。

ひとりじゃないって教えてくれてありがとう。はやくみんなして解放されたいよね。頑張ろうね。

2014-06-10

子育て楽しい

増田では「何者にもなれなかった奴の最後に逃げ込むところ」みたいな扱いを受けてる子育てだけど、実際のところ小さな子供のあの愛らしさと楽しさを前にすると、のめり込まずにいる方が難しいし、人間が発達していく過程は実に興味深い。

子供が生まれる前は、自分子供をかわいく思えるか自信無かったし、子供の相手なんか無理無理と思っていたが、いざやってみれば何の問題もなかった。

まあ、これから反抗期だ何だと試練が待っているんだろうけど。

音楽10のもの

音楽に限らず、すべてのエンタテインメント子どもの為に企画設計されている。大人が対象では無い」

レコード会社プロデューサーなんかやっているとこんなひねた考え方になるのかと驚く。中学時代はもう少し素直なやつだったと思っていたのだが。

それとも、近所の居酒屋で突発開催される30代のプチ同窓会みたいなやつは、仕事の話になるとだいたいこんな空気になるものなのだろうか。

今では三児の母(双子出産を含む)のにぎやかなタイプだった女子が、「ちょっとー、最近日本音楽って元気がないんじゃないの?」と言った。それが彼にとっては逆鱗しかった。

「じゃあ、対象じゃない私は意見することも出来ないの?」

彼女もずいぶん攻撃的だ。酔っているんだ。

意見別に良いだろ。ただ、エンタテインメント業界人間建設的と判断する意見は、子どもの為になるかどうかだと主張しているんだ。日本音楽の良い曲がないというのが子どもの為の意見なら建設的だと思う」

「でも、子どもエンタテインメントコンテンツを与えるのは親でしょう。間接的なものも含めたら大多数がそうじゃない。その親の主観を軽視するってのはーどうなの? だいたいあんた子ども子どもって子どもいないじゃない」

別に軽視なんかしてないよ。子どもの為になるなら聞くもの。あと、子どもいないやつは子どものことを考えるなって言ってるならいろいろ言い過ぎじゃないかと思うが」

「私だってそんなことは言ってない。ただ、子どもを持つ親からすれば、大人の意見を聞き入れるのが建設的じゃないという主張はナンセンスに感じられるし、そんなナンセンスな主張をしている人が多いのがエンタテインメント業界なら、そりゃ廃れるわってなっちゃうわけ」

「大人の意見だって聞くって言ってんだろ。あと、子どもの中でも主に10代な。少なくとも多くの日本音楽10代を対象にしているんだよ」

10だって一緒よ。反抗期に買う音楽なんて、親の主張の単なる真逆じゃない。それも含めて間接的って言ったわけ。あのね、あんた親になるといいよ早く」

「それな、お前の子どもがもう10代ならリアリティがある意見なんだけどな」

「ムカつく!」

30代にもなるとみんな正確にエンタテインメントって言えるんだな。そうだよな、ニルヴァーナ世代だもんな。とか思いながら、トイレに向かい、いろいろ考えてみた。

レコード会社人間からみて、対象子どもだと言い切る理由は分かる。その対象相手に儲け続けた経緯なのだろう。

確かにいまレコード会社が売る音楽は、微妙だ。

しかし、今は、下記のようなめっちゃニッチ音楽を作り続けている人たちと、ネットを通じて出会うことが出来る時代だ。

Bitplane - 恋は、Sensation (feat. Hatsune Miku)

https://www.youtube.com/watch?v=IelOdS6GmtI

ナショナルキッドVOCALOID PV

https://www.youtube.com/watch?v=DbMT7kyf4NY

ちきゅうかいあいのうた

https://www.youtube.com/watch?v=DC07uizKL00


こうした音楽がアップされ続けるネット音楽事情に触れて、日本音楽が元気がないとは思えない。むしろ元気になっていると言っていいだろう。

なぜならば、音楽産業ではなく、音楽という土台から考えるなら、売上規模を音楽の元気性の指標に入れるべき正当な理由がない。音楽の元気性を示す指標は純粋創造頻度と発表頻度と視聴回数で捉えるのが自然からだ。

だってシェイクスピア万葉集の頃の音楽が元気ではないと言えるか?という議論に誘導したら俺の完勝だろう。彼は資本主義前提の時点で視野狭窄に陥っているんだ。

また、こんな音楽対象子どもな訳がない。親の影響なんてあんまりない。だってこれ聴いて喜ぶやつの口元には必ずヒゲがはえている。

ヒゲにも親の影響とか言い出したら、全ての人間死ぬまで少年法庇護範疇である。暴論だ。

従って、二人ともまったく違う。

争い事の原因が誤解だと分かれば楽しいプチ同窓会に戻るはずだ。そう結論付け、論駁してやろうと決意を固めた。ダメダメだ。お前らはぜんぜん分かっていない。と。この素敵な動画をお見せしながら論駁してやろう。と。

トイレから戻ると、みんな帰っていた。

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