はてなキーワード: 反抗期とは
数ヶ月前、産院で取り違えられ、数十年ぶりに本当の家族と再会を果たしたと言うニュースがあった。
自分も「お前は橋の下で拾った」という言葉を一時期本当に信じてしまっていた。
実際には血はつながっているのは確かなのだが(骨や目の形が父親そっくり)、実際色々な考えや価値観が違う。
というか取扱が他のきょうだいと違う。
幾つか決定的なことがあり、早く家をでようと思った。
幸い勉強を続けられる環境にあったし、金については問題なかった。
「そこに合格したら行かないのはもったいないし、通うには家を出る必要がある」大学に合格した。
家を出たらほっとした。
緊張しなくていい人生は素晴らしい。
大学卒業しても、実家の近くには就職せず、都合半分近くは海外で過ごしている。
大学に入ってから、平均して2,3年に1度しか家族に会っていない。
冠婚葬祭は付き合う、孫も見せる、それだけと割り切っている。
この程度なら実害はほとんどない。
うまく接することができるのか、不安だった。
ところが出来たらそんな不安どころじゃなく、「わー」「ぎゃー」っとやっているうちに、
今でも、出来る限り寝かしつけるときに本を読んであげている。
子供は半分話を聞いて、半分はおしゃべりをしている。幸せそうにしてくれている。
そういう時間が最高に幸せだ。ああ、こういうのが欲しかったんだと思う。
多分母は父のことが好きでなく、本当は、今は先生としてやっている木工をもっと前から本格的にやりたかったんだろう、と思う。
姉たちの手がかからなくなって、再開しようとした先にでできてしまったのが自分。
また、父にしてみれば「跡継ぎ」が欲しかったのだがその期待を破り(でもいったい何を継ぐのだろう?)、
姉たちにとっては両親、特に母親の手をかけさせる「悪い子」だったのだろう。
・・・そう考えるといろいろなことが全てつじつまがつくと気付いたのは本当につい最近のことだ。
子供に「おいしい?」と聞き、「おいしい」と帰ってくる。
「寒いねえ」「暑いねえ」と言って、服を一緒に着たり、脱いだりする。
そろそろ初期の反抗期の傾向もでてきた。自分もそろそろだろうね、と自然に思える。
ああ、こういうものだったんだね、とつくづく思う。
両親の喧嘩は口で勝てない父が母に暴力をふるうのがデフォルトだった。私も反抗期にはよく父に殴られた。
口喧嘩が強すぎる母も悪いけど、父は私と母を同じ人間と認めていないのでは?と感じることが多々あった。
例えば父は母や私の欠点を冗談にして喜んで話す。ネタにされた本人はただ不愉快で笑えなくて、不快だと父に言うと、冗談なのに何ムキになってんだという反応。ずっとモヤモヤしていた。
成人して親から離れて暮らすようになり、「あの時不愉快な思いをさせられた」と電話で父に話してみた。
それでも父は私の嫌がる気持ちを認めてくれず、なら同じ言葉をそっくりお父さんが言われたらどう思う?と尋ねると、お前何様のつもりだと突然ブチギレ。
「今お前が目の前にいたらビンタでもして黙らせる」
この年になってまた父に暴力でおどかされるとは。
なぜキレる?こっちは理性的に話そうとしているのに。理屈で相手するのではなく暴力で服従させようとする父。
暴力の効果は絶大だ。いくらこちらが冷静に思考していても暴力で圧倒されると苦痛だけになって何も考えられなくなる。暴力は相手から思考を奪い人格を消して支配する。父から殴ってやると言われただけでも過去に殴られた苦痛の記憶がよみがえって震えた。
この出来事を母に話すと、仕方ないことだと母に諭された。
口達者で言い負かすのが上手な女は男に殴られても仕方ないと母は言う。
理屈には理屈で返すのが普通じゃないのか?うるさい女は殴っていいといううちの家族がおかしい。
もちろん、私(14)や弟(10)、妹(4)、そして父(36)が悪い所もあると思います。
ですが、それでも怒りす
ぎなんです。
例を挙げると
・部屋が片付いていない
・成績が悪い
・起きるのが遅い
これ以外にもたくさんあります。
このようなものを挙げると私が全面的に悪いようですが、違うんです。
部屋は、普通の中学生ぐらいには片付いてますし、勉強ができないといっても偏差値は53ぐらいで、高校はある程度なら選べます。
その他にも自分に非があることもありますがお母さんはすぐ怒ってきます。
それも前のことをぶり返して何回もです。
また、弟や妹にもすぐ怒ります。
弟や妹にはすぐ手を上げます。(私は空手を習い始めてから手を上げられることはなくなりました)
それが家にいる間ずっとなのでもう辛いです。
弟、妹はまだ小さいですし、父は頼れるほど強くなくしかもゲームをずっとやっているような人です。
家の中に助けてを求められる人がいなく、休む場所がありません。
休みの日も誰かを怒っている声で目が覚める。
いつもいつ怒られるビクビクしてる。
そんな生活はもう嫌です。
助けてください。
学校が終わって塾に行って、その後家に帰るのが本当に嫌で仕方がありません。
誰か助けてください。
本当にお願いします。
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2015-10-09 追記。
Yahoo!知恵袋(2015/9/2722:35:30)での質問です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12150826897
エイヨ― TOKYO, MABOとSS, YES! 欲望放ちかませ
エイヨ― TOKYO, MABOとSS, Uh!! (Yo) You know what time is it?
東京弐拾伍時あの店の倉庫に集合 騒がしい街見下ろすベランダで休息
磨く銃口 企む計画 終わらない反抗期 でかいpay back
ポッケぱんぱんのMoneyで鼻かむ ラップスター抜け出す格下ラッパー
ベイベベイベ― 手の鳴る方へ転がるstoneのよう響くflow
Here we go, YO! 日々膨張 始めちゃうぜ Can I Kick it, Tokyo?
から回る森のビルも森から回る回る 食べるよみんな明日にマイクパス
Check 1, check 2, check 3, YES! 眠らぬ街といざS.E.X
この病む街から俺たち発進 旅立つsick life, illなtype
人に問う 溺れる溢れる 見えなくなる残念SHOW
イラッとくる価値の供養 流行歌 ファッション コンビニの下着Peach John
逃げ道がないコンクリのLife 電磁波が溜まるどうしようもない
パない騙し合いそこに価値はない 薄い武器一つ戦ってはいけない
音が溶ける街に受ける刺激 健全的時を育ちはじめ
My microphone から調子はどう?From neo TOKYOから超電導
Yo, N da I con T.R.O we are 殺し文句のP.R.O
そう奴はFUDATZKEE おわかり?Mack チョキチョキ Swik どのくらいどう?
Swor-D (カキーン!カキーン!) まさにAvengers みてぇなMCs
(The saga continues)
帰ってきた余裕ちゃん 遊んでるfuture
最近物足りてないエンドユーザー また告げてあげるドクーガンな集団
ブーキャン?ウータン?そんなんじゃねえよTOKYO N.M.Uじゃん?
宇田川純正のHIP HOP チューナー 列島縦断 MABO とSS
知ってるヤツらなら相変わらず 知らねえヤツは今知ったはずYes
A.JにForce One, ガッエッページェン
ぶらす散らすプラス思考のバウンス バイスレス皆に送るGod breath
耳に残るえぐるKillerのPhrase 返す返す巡るCall & Response
ホログラムじゃなく生身のLive ボーカロイドじゃ愛せるわけ無い
俺はロジャーみたくわが道行くAvengersみてぇな
My microphone から調子はどう?From neo TOKYOから超電導
Yo, N da I con T.R.O we are 殺し文句のP.R.O
そう奴はFUDATZKEE おわかり?Mack チョキチョキ Swik どのくらいどう?
Swor-D (カキーン!カキーン!) まさにAvengers みてぇなMCs
Yes, don't stop Hip-Hop 東京弐拾伍時
Avengers, 4人です!in da Daimonion Studio
Back again!
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いやなんかマリオメーカーってニコニコ動画で「友達マリオ」とかっていうのパクってるらしいよ。
だから知ってる人は反発するみたい。
待ってる間勉強とか。
だからじゃん?今任天堂ってステマ凄いみたい。ニコニコ動画やyoutubeにもの凄く広告動画作らせてるみたい。
どれくらいヤバイかっていうと、ここ数年ろくに会話していなかった反抗期の息子と超喋ってるくらいヤバイ
息子が新しいステージを作っている間、絶対見ちゃ駄目だよ!って言われて2時間くらい自分の部屋に閉じ込められるんだけど、いいよーって呼ばれて行くとすげーテカテカした顔で俺のこと待ってんの
で、息子の仕掛けた罠に見事にハマると横でゲラゲラ大笑いしてんの
詰まってモタモタしてると、そこはブロック開いてから乗ったほうがいいよーとかアドバイスをくれたりもする
でも、ここはどうしたらいい?って聞くとさあ〜?ってニヤニヤ笑って教えてくれないんだ
普段は1日10分も勉強してないくせに、あいつ、この土日で5時間は勉強してたな
でも15分おきくらいに、お父さんまだー?って急かされる
俺のステージが完成したら息子の勉強も終わりだから、なるべく凝った造りにする
完成したら息子がプレイする
あーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返して成長していく息子に、ヨチヨチ歩きの頃の姿を重ねてしまってなんだか涙が出そうになる 嘘だけど
もちろんこれは勝負になっていて、コンティニュー回数の多いほうが負けで、罰ゲームには腕立て伏せ50回をする
これが家族団らんなのか
超楽しいじゃん
超幸せじゃん
どうか息子が飽きませんように
俺みたいな増田だなーって思って読んでたら、昨日自分が書いたエントリーだった
こんなことを書いてもトラバの方々には響かないと思うけど、俺は任天堂の回し者ではない 期待にそえなくてごめん
あと参考までに、息子は中3です
プロ野球選手になりたいとかそういうたぐいの。
小学二年生のときに七夕の短冊に書きましょーねってときに書いたのが、大学に入りたいってのだった。
生きてればそのうちそういうものができるだろうと思ったけど結局できなかったから、就活の自己分析とかすっげー苦労したっつーか分析できなかった。
唯一語った無邪気な夢といえば、保育園のセンセイと結婚する!って5,6歳のときに言ってたことかな。
そのまま反抗期もないままつまらない大人になって無気力がどんどん大きくなってきている。
結婚どころじゃない。
生きる気力がない。
土日はリアルに寝てるだけだし。
寝過ぎると眠りが浅いせいかろくでもない夢をよく見る。
何のために生まれて何をして喜ぶ?
早く安楽死できるようになってほしい
いきなり「奴隷」とか言うか?
ってのは、成人してても反抗期抜けきれない幼稚な子だったら有り得ると思うけど、
半年口きかないってのは無理あるよなあ。
ネタとしてなら一行でさらっと書けるけど、半年って相当長いよ?
普通に同居してるんだから毎日顔合わせるだろうに。事務的な連絡事項だってあるだろうに。
これが「必要最低限の事しか会話しなくなった」ってならまだ分かるけどさ。
そしてそんなにも幼稚な母親なのに、増田の世話(飯だの洗濯だの)はやってくれてるってか?それはそれで連絡事項が発生しそうだが。
父親の影が無さすぎるのも不自然。
ただ創作にしては設定が斜め上な気もする。
元ネタくらいはあるのかもしれない。
出会った時21歳だと言われて2年付き合っている彼女がいます。
自分はかなり歳上なのではやくあなたと結婚したいと申し出たところ、今はまだちゃんとしていないからしたくないと言われた。
両親と折が悪く、家を出る出ないで揉めた際に今までお前にかけた学費を返済しろと言われ、その返済をするために稼いでいる。
予定ではあと2年ほどで完済できるので婚約はするけど2年待って欲しいと言われた。
他に言ってないことがあるというのでなんだろうと思ったらとにかく早く働きに出たかったので年齢を鯖読んでいて出会った時21ではなく19歳だったという。
若くて得したでしょ?とか言われた、23でも21でもあんまり変わらないような気がするけど、より若いほうが未婚の同級生には羨ましがられそうだけどさ。
どちらかというと親側に近い年齢なのでそういう学費返せみたいなのは反抗期の子供が家を出る出ないで揉めた時の売り言葉に買い言葉で
親の方から出てしまった言葉であってそこで子供のほうが折れて、「そんなの払えません、ごめんなさい」
そこではい判った返すから家出ていくと言えるのが女の子で手っ取り早く稼ぐために水商売や風俗に行くんだなと思った。
で、婚約と言っても両親とそんな感じ(私も自分の両親にはまだ交際していることも話していない)なので両家に正式に挨拶ということではなく婚姻届を二人で書いて書面で約束して
今週末一緒にペアリングを買いに行く。
いわゆる給料3ケ月分の高級な婚約指輪でも良いんだけど、スマホや財布など大事なものでも良く物をなくす子なのでひとまず安いカジュアルリングで様子を見ようと思ってる。
奴隷の作り方は簡単だ。
「組織に依存するような人格を幼少期からじっくりと植えつける」だけでいい。
まず親世代に「親に感謝すべき。親は子供に感謝されるべき」という思想を植え付ける。
そしてすると親は我が子に対して「感謝しろ。感謝しろ」とうい態度で接するようになる。
子供が親に感謝していない態度を取れば親は不機嫌になり、感謝している態度を取れば上機嫌になる。
その幼児に今度は「夢も持て!持ってない奴はゴミだ!デカい夢を持て!」と洗脳する。
成長していくにつれてその夢を諦めた時、その夢があった場所には心の隙間が残る。
ビッグじゃない夢には価値がないと洗脳されているので、身の丈にあった人生の目標すら立てられなくなる。
そして小中学校にあがったら「人の役に立つ人間になれ!迷惑をかける奴はゴミだ!人の目を気にして生きろ!」と洗脳する。
自尊心にはポッカリ穴が空き、人生の目標すらない、そんな彼らの心の奥底にこの言葉が流れこむ。
この時期は反抗期と重なるため表面上この言葉は届いていないように見えるが、意識の深い所にしっかりとそれは根を張っていく。
ここでは「うまく行かなかったら自己責任。全部お前が悪い!」と洗脳する。
そして戦いに敗れブラックに辿り着いた連中は「そうか、俺が悪いのか」と運命を受け入れる。
こうして彼らは一度完全に壊れるまでその人生を日本経済を回すために消費していくのである。
だがこの時途中で出来損ないが生まれる。
社会の上流や中流にも行けず、下流で奴隷として生きることも出来ない失敗作、それがNEETである。
日本社会が率先して行っている奴隷量産政策によって自尊心を粉々に破壊されながらも奴隷としての首輪を授けられなかったもの。
ないしは、自身が奴隷にされかけていると気づくも上流中流へ行くことは叶わなかった人間がNEETとなる。
そのため彼らはレールの上しか歩くことが出来ない。
この年になって恥ずかしい話なのだが、私はまだ親にある種の確執を抱いている
いつまでも親のせいにしてはいけない、と頭ではわかってるのだが、どうもそうすんなりはいかないのだ
多分、どこかに吐き出していかないとぐるぐるとまわってしまうから、ひっそりと書きだしていこうと思う
通っていた幼稚園では、園児の誕生日になると担任の先生とツーショットで写真をとるイベントがある
笑って、笑ってと言われる中、うれしさがあったくせに必死に頬を噛んで笑みを殺していた
結果としてひどくぶすりとした表情の園児が満面の先生と映り込む、どうにも奇妙な繪面ができたわけだ
思えばあの頃から自意識が非常に過剰だった私は、運動会の時にとったビデオを見ながら、両親がブルマからはみでた私の太ももを、
太いとか、ぶるぶる震えているだとか、そういった言葉を吐くたびにそんなに笑うなら見てくれるな、と思っていた
結果として私は自分が映る何かを親と一緒に見たことがない
バカにされるのがいやだったのだ
今にして思えばぼんやりと、それが親にとってからかいの域を出ないものだったのだとわかる
葬式は開いてほしくないし、写真だって一枚も人様の手元に残しておきたくないと思う
葬式で集まった親族や知り合い、友人が通夜を済ませて晩飯をつつきあいながら、こんなことがあったねとか、あんなことがあっただとか、
そんなつもりはないとわかっているし、そんなに底意地の悪い知り合いがいないこともわかっているが、それでも私抜きの集まりで、
何か私に対して非常に不利益な、不名誉な、そういったことを離される可能性を1つでも潰してやりたいのだ
親には骨も抱かせたくない、行方不明のまま死体も見せず、永遠にいなくなってしまいたいと思っている
このどこか反抗期の子供が抱く随分と攻撃的な感情は、未だに私の心の片隅に居座っていて、ときどきひょっと顔を出してしまう
小学校のころから、将来の夢は14歳までに死ぬことで、いなくなる方法について10数年も考え杖づけていたわけだから、これはもう根深い問題なのだろう
ともあれ、私はできることならだれにも知られずにひっそりと死んで、いつかの同窓会でそういえば知ってた、と少しだけ話題に上ればいいと思っている
これは、死んですぐなら同情や興味もわくが、死んで数十年たってしまえばだれもかれも驚くばかりで深く聞こうとする稀有な人間などいないだろうと思っているからだ。
幼少期は特に気にするでもなく、自分にそのような名前が付けられたことに気づかずに生きてた
たぶん人並みに幸せだったと思う
その頃ちょうど私の名前が普通の読みではないことを知ってしまった
それからというものの、その言葉に触れる度に「例」として挙げられる名前たちを見て怯えた
ちょうど反抗期だった私は父親に問い詰めた
しかし、名を付けたのは母であって私は反論する余地がなかった、の一点張り
この怒りをどこにぶつければ良いかは未だによく分かっていない
劣等感を抱えながらもなんとか生き、大学生になってしばらく経ったある日
大学内に知り合いができたのち、教授のつてで私たちにアルバイトを紹介してもらえることになった
そのアルバイトは私の得意な分野を存分に活かせるもので、きっと楽しめると感じて万全を期して面接に行った
私のところには来なかった
当然、知り合いたる彼の方が私より優れていたということだろう
それから数日経った頃から、彼がその仕事の話を私に頻繁に振るようになる
正直不愉快でありながらも笑って聞き流す
ある日、雑談をしていたら不意にバカにするように下の名前で呼ばれた
私自身なるべく表に出さないようにしているその名前で呼ばれることが非常に不愉快で、つい少々感情的になってしまった
知り合いはそんなに怒らんでもと言っていたし、軽口を叩くのが趣味のようなものなのできっと私の気持ちなど分からないだろう
ふと、色々なことを考えてしまった
名前のハンディキャップが、アルバイト志望、その他色々なことを損することに繋がっているのではないか、いや、繋がっているだろう、と
今も私は本気で悩んでいる
困るのは、私は別に人のせいにして生きたくなどないのに、どうしても「怨」の感情が考えれば考えるほど渦巻くこと
世の中すべてが敵なのかもしれない
こんなことを考えている人間が今後まともに生きられるか
助けてくれ
「……どうも」
「C級……B級じゃなくて?」
「な……」
「おい……」
「あのさ」
「?」
「『GODZILLA』は怪獣パニック映画としてみれば及第点だし、興行的には成功している。それにゴジラの映画はもっと酷い出来のものがある。」
「しかし、国外から高級な食材を輸入して、手間ひまとお金をかけてできたものが、何とか食べられるものでは示しがつきませんよ。興行的に成功だなんて、なんのフォローにもなっていません。エメリッヒはお金かけて誤魔化していますが、色々と粗の多い映画を作ってきた実績がありますからね。有名な批評家にも度々こき下ろされていましたし」
「まあ、その有名な映画批評家のそっくりさんを『GODZILLA』にあてつけで登場させて、後に批評家本人に『わざわざ登場させるんだったら、僕たちをゴジラに踏み潰させるくらいしろ』と言われるエピソードもあったが。それは映画そのものの出来とは関係ないだろ」
「『バットマン&ロビン』も低俗なコメディ映画になってしまって。とあるインタビューで出演者が苦言を呈したり、監督が謝罪したり、この作品の与えた影響はすさまじいですね。」
「テレビドラマシリーズのノリを受け継いだコメディとしてみれば問題ない」
「私もテレビドラマので育ったクチですが、あれは時代に沿ったカジュアルな売り込みと見れるのに対し、これはダークな世界観が求められていた時代に出てきたものですからね。同列に扱っちゃいけませんよ」
「駄作の範囲内かもしれないが、蛇蝎のごとく嫌わなくたっていいだろう。『艦これ』だって、お酒飲みながらキャラの可愛さだけ見るように努めれば問題ない。ファンが多くて二次創作が盛んなジャンルなんだ。皆の求める『最高の艦これ』なんて物理的に無理なんだよ」
「私の好きなキャラ途中で死んじゃったんですよね。知り合いの好きなキャラは登場すらしませんでした。皆とまではいいませんが、いったい誰が求める『艦これ』だったんでしょうかね」
「昔の戦争を題材にしているんだから、死の描写だってあるだろ。キャラクターが多いんだから、全部だしてもいられない」
「はは~ん、お客さん。『アナ雪』とかの名作にも『そこまでよくない』とか言う人でしょ?」
「は?」
「いるんですよね~、賞賛、あるいは非難の声が大きすぎると、『そこまでじゃないよ』ってしゃしゃりでてくる人」
「……」
「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。ちゃんとお客さんの言うものもありますから。はい、『コマンドー』。吹き替えの翻訳は、意訳がすさまじくて。原文みたらめちゃくちゃで」
「今すぐ殺してやろうか」
「失礼、シュワちゃんがでているので間違えました。これこれ、『レッドソニア』です。世界観無視してロボットが出てくるのは笑いましたね」
「……まあ、出演したシュワちゃん自身もその映画ディスってるけどさ」
「お気に召さない? ではシュワちゃんが妊娠するというコンセプトだけは面白い『ジュニア』はいかがでしょう?」
「一応、妊婦のドキュメンタリーものとしてみた場合は真面目な作りなので非難しづらい。というか、さっきからシュワちゃん出演ばかりなんだが」
「日本人の方は吹き替えばかりで馴染みがないかもしれませんが、シュワちゃん本人は演技がうまい方ではないですから。それでも好きですが」
「そういえるなら、作品にもその心で観てやれないのか」
「それをいまオレの目の前に出すあんたは何なんだ」
「要は食べ方しだいですよ。はい、『スーパーマン4』。4作目なのに映像や演出の使いまわし、めちゃくちゃな設定、低クオリティで話題に」
「予算がなかったんだよ!」
「予算を集めることも映画つくりのひとつですよ。まあめちゃくちゃな設定は最初のシリーズからでしたが」
「地球を逆回転させてタイムスリップし、2つのミサイルを両方とめるやつか? スーパーマンだからいいんだよ。変にリアルにすると、ダークナイトみたいに片方だけ助けるという悲しみを生むんだ」
「おや、また良作反抗期ですかい。仕方ないですね……はい、どうぞ」
「……『タイタニック』? これ名作だろ」
「いえ、タイタニック号事件を題材にしたアニメ『La leggenda del Titanic』です」
こうして今日も夜が更けていく。
元だけど投票には行ってるよ。野党に入れる。本当はその野党のことも好きじゃないんだが、抑止力になりえるものが他にないからね。
だからこそ野党の先生方のアホさ加減に改めて絶望していたところだよ。
強行採決が違憲かどうかについて私は特に言及していないけれど、どうしたのかな。
そしてなぜ、他人事のようだと断罪されねばならんのかね。君、手頃な対象を見繕ってはケンカふっかけるのが好きな年頃の高校生か何か?
君と私はたぶん目指す方向自体は同じなのだと思うが、そういう無駄な軋轢を生むような言動はやめたほうがいいね。生産的じゃないから。せっかく同じことを考えている人間同士がそんなふうにケンカしてどうすんの。
で、現状についてだけど、近々戦争で日本人が死ぬ。これはもう避けられない。
君の言うとおり、与党に投票したり棄権したりした人間のせいでもあるし、また、そうならないようにできることをしてきたつもりだったが結局力及ばなかった私達ひとりひとりの責任でもある。
日本は本質的に先進国になりきれなかった。根底にある精神は発展途上国のまま、戦争に負けた、当時のままなんだ。
今私達がいるのは、そういう国なんだ。
選挙に無関心な人々の意識を変えることは、少なくとも私にはできない。
目の前のひとりを変えることならできる。
しかし、5人、10人は無理だ。
これは君の憂慮にまったく共感する。
君や私のように一票の価値を知っている人間がみんな、まず目の前のひとりを変えることに努めていれば。
このままではいけない、と思いながらも、周囲と話そうとする人間がどれだけいるかというと意外に多くない。
デモや座り込みをする人々は、基本的に相手方と「対話」をする気はない。
彼らの中にごく少数ではあるが手段が目的になってしまっている人が存在し、そしてデモを主導するのは往々にしてそのような人々であることが少なくないからだ。
家庭で、学校で、職場で、世間話としてではなく我が身に迫る重大事として、たとえば反抗期の親子関係、住宅ローンや介護について、上司との折り合い、リストラの噂、そういったこととまったく同列に真剣に顔突き合わせて与党の政策について意見を交換し、熟考する場がどれだけあるか。
うちの父は新聞記者であったが、そういう家庭環境でも政治の話は世間話レベルから発展することはなかった。そもそも父も実際あんまりよくわかっていなかったようだったし、母は夕食時に政治の話をするのを嫌った。
これを変えることは至難の技だと思う。
実際に自分や家族が命の危険に晒されて初めて事態の深刻さを理解するのだろう。
これから起こりうることを想定しながら、できるだけの備えをしておく。
できることはそのぐらいだ。
そいで、最近お父ちゃんめっちゃ冷たい。どうしたのってくらい冷たい。
まず、彼氏の名前を呼ばない。彼氏の名前を横山ってすると「横なんちゃら君」って呼ぶ。もしくは「なんちゃら山君」。「彼の名前ちゃんと覚えてるんでしょ!いい加減にして!」って怒ったら「嫌にきまってるだろうが!」って逆ギレ。何がそんなに嫌なの?極めつけに「彼氏」という言葉は意地でも使わない。「その…あの男はどうなんだ」って感じで。容疑者っぽい。
この前「結婚の挨拶に行くよ。その後、隣県の友達の結婚式に行くよ」って父に話したら「結婚の挨拶は、友達の結婚式のついでか!」って静かに怒ってる。面倒くさい…生理中の女の子よりめんどくさい。怒るポイントがつかめない感じ。すごい気を遣わざるを得ない。
で、結婚の挨拶行くでしょ。そしたら、妙によそよそしい。連れてきたフィアンセが非の打ちどころのない好青年だからびっくりしたんだろうとニヤニヤしてたら、出会いがしらいきなり頭を下げて「うちの娘でもよろしいんでしょうか…」って。いきなり弱気になったから本当にびっくりした。お父ちゃん、自分の娘にもっと自信持ってください…。あと、情緒不安定にも程があると思う。
そんなうちの父だけど、別に私のことを溺愛してきたわけではないんですよ、コレが。逆に仕事一筋で本当に私のこと構ってくれなかった。運動会に来たのはたった1回。参観日の参加は0回。部活でやってたテニスの試合は珍しく2回来たけど、どっちも溜息をついて帰って行った。あとで聞いたら運動音痴が遺伝したのが嫌だったんだと。無礼失礼極まりない。高校生の時は反抗期で、一年くらい話してない時もあった。美大への進学を父に大反対されて、諦めたこともあった。あの決定は、今となっては良かったのかもしれないと薄々最近気付き始めた。けど、「お前の絵はグッとこない!」という一言は未だに根に持っている。大学進学を機に、一人暮らしを始めて、もう長らくたったから、私がいない生活にも慣れているはずだ。父に電話するのは年に2回(父の日と父の誕生日)。父からの着信は覚えている限り1回、保険関係の話だった。私が帰省しても、時々いないことがある。飲み会、ゴルフ、仕事>娘なのだ。よくわかってるし、いまさら怒りはしない。
そんな中で、私の父がいきなり、「結婚する前の娘を持つ父親」らしく振舞い始めたのが、本当に違和感しかないわけですよ。どうしたっていうんだ、という感じ。まあ、それ以前に、父親が結婚する娘をひきとめたい気持ちが正直なんでかわからないのだ。娘は娘のままですよ?結婚したって何がどうなるってわけでもない。
娘は確かに嫁に行って名字が変わる。だけど、家族は家族なわけでしょう。やっぱり年2回は連絡とるし、お盆やお正月、GWとか仕事が休みの時も帰る予定だし。私たちのために働きづめでここまでやって来た父を尊敬し続けるし、父の日には美味しいお酒を送り、誕生日にはシャツを送ろう。年をとれば、必ず帰ってきて面倒見ると約束する。名字は変われど、私たちはやっぱり家族なのだと、私は高らかに主張したい。
もし、お父ちゃんがなにか家族の形が変わることを恐れているなら、何も変わらないと答えるし、逆に、結婚せずに父親の元にずっといることが幸せなのか?と問えば、多分私のお父ちゃんはうーん、とうなるだろう。だって、私は確かにフィアンセと一緒に居て幸せだし、きっとそのことをよく知っているのもお父ちゃんでしょう。お母ちゃんのこと大好きで、影で結婚して良かったって繰り返し言っているのを知っている。結婚とは、悪いものではないのだ。
母親とは諦めて、折り合いつけて付き合えるようになったかなと思ってたんだけど
二十代半ばのなんかの折に、
「(妹)ちゃんは18になる前に父親を失ったかわいそうな子なのよ!?」と言われて
目の前が真っ暗になった
私だって幼稚園のころからあなたがたの喧嘩仲直り喧嘩仲直りに巻き込まれ振り回されてきたし
祖父亡くなる、大学の作品制作大詰めでインフルかかる、失恋、と
ズタボロのところに追い討ちのように離婚告げられて死にたかったし
受験だろうが学校でいじめたりいじめられたりしてようが構われず
怯えながら暮らした結果めでたくアダルトチルドレンの実績解除してるんですが。
なんかそういうとこでやっぱり、
ああこの人私より妹が好きなんだなとわかって
控えめに言ってがっかりした。
世界で親だけは絶対に子を一番に考えてるんだ、とか私にとっては嘘だ。
娘に対して夫を否定することは
娘の存在を否定することだ、となんでわかってくれなかったのか。
不仲の両親を見て育ってきたならあなたもわかってるはずなのに。
以降「お母さんには長女の気持ちはわからないから!」と開き直られるようになったし
みんな最後はわたしを棄てるのだ、という
この呪いはどう解いたらいいのか
諦め忘れるしかないと努めていても
三十になってもまだ時折泡のように
ホントに自分を変えたいと思ったら読んでみてください。disられるの承知で書きます。
僕も昔は引きこもり気味で、コミュ障で、いない歴=年齢の童貞で、、、、それはもうひどい有様でした。
しかし、今はそうではないです。だいぶ変われました。
自分を変えたいと思っていても、結局みんななんだかんだ自分が好きなんです。
だから、こんなことを書いても、そんなことしたくねーよ、と言われるのは目に見えているのですが、本当に困っている人のために書きます。
自分を変えたいと思っていても、結局は自分が好きなので、何か失うのは怖いし、そもそも変化自体こわいし、そこに対して後ろ指さされるのも怖いし。
だから、今出来る範囲で、無理なく、自分を変えたいと思っている人が多いというか、変えたいと言っても所詮思想レベルであって、行動レベルに落ちてこないのです。
自分を変えるためには、環境を変える、ことが手っ取り早く確実です。
人は一旦コミュニティに属してしまうと、そこに「キャラ」「カテゴリ」が付けられ、それを変えようともがいても、「頑張ってる痛いやつ」くらいにしか思われません。
一朝一夕で変われるものではないから、尚更です。だから、一旦今いる環境から抜けることも考えてみてください。
周りの環境、人付き合いが閉鎖的な人。これはマジでチャンスです。その後ろ指さされる、ということが無いのですから。
人が変われるための、単純で確実な方法。
それは「こだわりを捨てること、そのために自分と真逆のことをしてみること」です。それでブレーキが外れます。
髪が長いなら短くします。落ち着いた感じなら多少チャラついてみます。
草食系非モテコミュ障チェリーボーイだった男子だった僕が何をしたか。簡単にいえば、「DQN化」です。
それはメガネを外し、髪を短くしてひげを生やしワイルドな感じにして、タバコを吸い始めました。
どこの中学生だ、って感じですよね。笑
でも、俺は「良い子」でいることが多かったので、社会から逸脱しないことが価値でしたし、それをしないことがアイデンティティーでした。自分が「まとも」であることが。
それは教師である親から刷り込まれた部分が大きかったと思うのですが、そこの期待を守ることが処世術でした。
ですが、そうはいきません。自分がない人間は、自己主張できない人間は、淘汰されます。
であるから、親に縛られていた、自分で制限をかけていた「こだわり」を少しずつ壊していきました。
浴びるほど酒飲んでみたり、タバコ吸ってみたり、パチンコ行ってみたり、店員に対して横柄な態度を取ってみたり、、、。
「悪いことをすると気持ちが良いです」。。。。。。笑
とまでは言いませんが、小さな反抗期ですよね。これは本当に大事だと思ってます。
親の言うことが絶対であり、親を神格化していた(親を絶対的に正しいと思って疑うことをしなかった)自分に、それ以外の価値観が与えられるのですから。
これをした結果、親を客観視出来るようになり、やっぱり正しい部分もあるし、でも間違っている部分もあるのだな、と思えるようになりました。
親以外もそうです。判断する自分、コギト・エルゴ・スム的自我が確立されたのです。
僕はいわゆる真面目系クズでしたが、これらの人に当てはまる特徴として、発達段階で言う「早期完了」の状態にあることが挙げられると思います。
最初は虚勢です。対人恐怖、視線恐怖、身体醜形障害ありましたから。痛いです。でもどんどんその横柄な態度が、揺るぎなく胸を張って歩ける自信へと変化していきました。
声も当然張れるようになります。自分を知らないでほしい→自分はこんなに変わったんや、自分のこと知ってや!と変わります。
逆を行くことによって、「自分」では絶対に手に入れられない気付き、感覚を得ることが出来ます。
これが飛躍的な自己改善をもたらし、自己認識を変え、成長を促進します。別にずっとDQNでいるわけではありませんよ。
こうして自己主張すること、人を客観視して冷静に見ることで自分を確立した結果、冒頭に上げた状態から脱することが出来ました。
だから、何か出来るようになりたい時、変わりたい時、それが出来るのが当然の状態をイメージ出来るような自分を演じてみること、これが大事だと思ってます。