はてなキーワード: 中間層とは
これ、ボイスレコーダーでも持っていったの?それとも記憶力抜群の人?
下からの声って、間違いなく人々の狭い知識に基づいた声だよね。それで政策やって大丈夫なの?
たとえば、絶対に増税に賛成しようって声は出てこないか超少数派になるだろうけど、その下からの声に基づいて政策を前に進めていくの?
あるいは、下からの声は利益の相反するものが大量に出てくるけど、それをどうやって調整していくの?それが出来る能力の根拠って何?
普通の人々は、時間もなければ情報源もない、専門知識もないから、政治家という専門家、あるいはその他の専門家に国民を代表して聞きに行ける政治家に任せているのだけど、
下からの声、草の根から進めていくとなれば、普通の人々にも今までより大きな責任が出てくるよね。その声が政策になってしまう可能性があるのだから。
でもそれって本質的には、「支持政党なし」とかいう名前の政党のインターネット投票政策みたいなものにならない?
豊かなものをさらに豊かにすれば、強いものをより強くすれば、そのうちその豊かさが国民の隅々まで行き渡る。安倍さんはそう説明しています。
これ、アベノミクスを批判する人が「アベノミクスはトリクルダウンだ!」っていう形でこのように言うけど、安倍さん自身がこう説明したことあるの?
相手の言っていないことを、勝手に言ったことにして、それを批判するようなことになっていない?
前原さんのALL for ALLのパクりだとも言われているけど、消費税の引き上げ分を教育投資に向けるとか、安倍さんはその過去の成功体験とかいうのと違うことを言ってるよね?
貧困格差の拡大によってぶ厚い中間層と呼ばれた、1億総中流と言われていた日本社会がどんどんどんどん分断されてしまっていて、遠心力が働いています。
ジニ係数とか、あるいは貧困率などを見ると改善しているけど、それでも貧困格差の拡大は続いているというの?
景気だって良くなるはずありません。
これはもう散々言われているけど、雇用の改善、正規雇用の増加が人口減少社会の中で起きている。
企業の設備投資も海外から国内に向けられるものが増えてきている。
これらを前に、景気だって良くなるはずありませんと言われても、だったらどこまでいけば景気が良くなったというの?としか思えないよ。
それは良い目標だけど、実際にはどうやるの?まさか介護職員や保育士の給料を上げるだけってことはないでしょ?
ルールを作るのは立法であり政治家の役割だろうけど、それを守らせるのは司法とか行政の役割だよね?
残業代ゼロ法を作る前に、今のサービス残業、ブラック企業、過労死自殺を止める、長時間労働を規制する、労働法制を強化しなければならないんです。
残業代ゼロ法っていうレッテルを貼ってるのは野党の側だけど、あれ中身はかなり厳しい労働時間規制だよね?まさに、長時間労働を規制するためのものだよ。
介護職員のみなさん。給料を上げましょう。おかしいですよ今。私たちの国は資本主義です。自由主義経済。価格、値段というのは市場で決まります。需要があって供給が少なければ値段は上がるんです。介護職員の数が足りない、命にも関わる責任の重い仕事、重労働にもかかわらず賃金が安すぎる。
保育士の給料も介護職員の給料も、広い意味で政治が決めています。介護保険の仕組みで例えば看護師さんは医療保険の仕組みの中で、保育士さんの給料も保育にどれくらいのお金を流すのかによって、保育士さんに払えるお金に上限があるから、人手不足でも給料が払えない。
この2つ、矛盾してませんか?
別に政府は介護職員の給料をこれ以上に上げてはいけないなんて規制をしていないですよね?だから、まさに今が市場で決まった給料なのではないですか?
むしろ、おっしゃる保健医療の仕組みによって、介護産業への補助金がある分だけ市場で決まる給料よりは高いかも知れません。
この保健医療の仕組みによって、市場で決まるより介護職員さんの給料が下がることはありませんよ。
だって、給料をこれ以上上げてはいけないなんて規制はないので、給料を上げて介護職員を増やしてお客を増やした方が儲かるなら、企業はそうしています。
需要と、「欲しい」というのを混同してません?需要というのは、単なる「欲しい」ではなくて、これぐらいのお金なら出せる、というのとセットのものです。
自由主義経済を無視して政府が重要だと決めたから介護職員には特別な最低賃金を設定する、それなら分かりますよ。介護職員だけそうするのが良いとは思わないので反対だけど。
「欲しい」はあっても需要が無いから問題が起きていたのではないですか?
介護職員の給料が上がって介護サービスの値段が上がったら、介護職員以外の人は介護以外に使えるお金が減ってしまいます。
介護サービスに政府が補助金を投入して値段を抑えても、その補助金は今か将来かは別として税金となって取られてやっぱり生涯での可処分所得は減ってしまいます。
つまり、集団的自衛権が安全のために必要だとすれば、改憲をしていくべきだということになりますね。
枝野さんは昔からそのように考えているところがあるのは知っていますが、はたしてあなたの支持者はそうでしょうか?そのことを前面に出して説明したことありますか?
でも、「目立つ議題ではなんでも反対の野党」という歴史を作ってきたのは、今の野党の祖先の政党ではありませんか?
ぜひ一緒に戦いましょう。
嫌です。
8万以下って言ったら8万に食いついてくるかなと思ったけど案の定。8万は『満足な生活に達しない』程度の例として挙げた額だよ。
http://www.huffingtonpost.jp/tsutomu-matsuo/basic-income-for-japan_b_17418098.html
どういうわけか小学生の息子が選挙演説を聞きたいと言ってきたので、まあ勉強になるだろうと思っていっしょに枝野さんの話を聞いてきた。
(その後、希望の党の小池さんと自民党の安倍さんの話も聞いてきたので参考まで
小池さん → https://anond.hatelabo.jp/20171015174223
安倍さん → https://anond.hatelabo.jp/20171019182506 )
政治家の演説をまともに聞いたのは初めてだけど、だいぶ感銘を受けたので書き起こしてみようと思う。
枝野さんの話、興味ある人も多いと思う。ぜんぶで20分くらいの話だった。
みなさんに背中を押していただき、党を立ち上げてよかったと思っています。
民主党、民進党の時代に積み重ねてきた原則、理念を改めてこの時代に大きく前進させて新しい旗を立てさせていただきました。
右でも左でもなく、そしてこれまでの政治が上からの政治になってしまっている、暮らしの現場からの、下からの、草の根からの民主主義を、暮らしの現場からの政策を下から前へ進めていく、新しい選択肢を国民のみなさんにお示しをさせていただきたい、そう考えています。
アベノミクス。豊かな人をさらに豊かにします。確かに株価は上がりました。大きな企業を中心として企業の内部留保、いわば企業の持っている預貯金は過去最高に登りました。豊かなものをさらに豊かにすれば、強いものをより強くすれば、そのうちその豊かさが国民の隅々まで行き渡る。安倍さんはそう説明しています。でももう5年経っている。
私はこうした、上から強くして行く、上から引っ張り上げるこのアベノミクスの考え方を、一概に全否定するつもりはありません。
実は日本の高度成長、戦後復興、20世紀の日本はこういうやり方で1億総中流、世界で有数の経済大国を作り上げました。若い皆さんはご存じないかもしれませんが、安かろう悪かろう、メイドインジャパンは値段が安い、世界にどんどんものを売って事業が儲かって、膨大なお金が日本全国津々浦々に行き渡って、今の日本の豊かさを作り上げてきました。
安倍さんはその成長体験に基づいて、同じことをやればうまくいくといまだに勘違いをしているんじゃないでしょうか。時代が変わっているんです。右肩上がりで人口が増える、アメリカヨーロッパにまだ日本が追いつき追い越そうとしていたその時代と、新興諸国から追い上げられる立場になった日本、少子高齢化で人口が減っていく日本、時代が違う社会が違うのに、過去の成功体験に引っ張られて新しい道が示せていない。
例えば、ただでさえ若い人が減っている。そんな中で奨学金と言う名のローンを組まないと進学できない若者が増えてしまっています。貧困格差の拡大によってぶ厚い中間層と呼ばれた、1億総中流と言われていた日本社会がどんどんどんどん分断されてしまっていて、遠心力が働いています。
これでは当事者のみなさんが困るだけではないんです。これでは日本の社会が前に進んでいけない。どんどん社会が荒れていく荒廃をしていく。
例えば、ただでさえ数の少ない若い皆さん。学びたいと言う意欲があっても能力があってもお金の問題で進学を断念する。そんな若者がたくさんいて、誰が日本の未来を切り開くんですか。それどころか親の世代の貧困によって、読み書きそろばん、最低限の社会生活、そうしたものすら身に付ける機会のないまま義務教育を終える、そんな子供たちがたくさん出てきてしまっています。これでは当事者のみなさんが困るだけではない、社会が誰を支えていくんだ、誰がこれからの社会を支えていくんだ。
景気だって良くなるはずありません。年収100万、150万いつクビになるかわからない、非正規雇用。若干数字が改善したと言いながらもまだ働く人の4割、そのうちの少なくとも半分は本当は正社員になりたいけれども残念ながら非正規で働いている。そんな若者がたくさんいます。
当たり前じゃないですか。年収100万、150万、いつ首になるか分からないからローンを組めない、これでは自動車離れは当たり前。買える力がないのに買おうとする意欲が出るはずないじゃないですか。
恋愛をし、希望すれば結婚し家庭を持つ、子供を産み育てる、そのためには定職があって一定の安定した収入があって、その願いを、家庭を持つという夢を、子供を産み育てると言う夢を持てない、そんな人たちを増やしていてどうして少子化に歯止めがかかるんですか。
上からの経済政策ではなくて、格差をこれ以上広げるのを止めて、格差を是正して貧困を解消しましょう。これこそが21世紀政治と社会の経済再生です。
安倍さんは、規制緩和、自由競争そして自己責任、そうしたものを煽ってきました。しかし自由な競争には大前提があります。競争を煽るだけでは政治の役割を果たしません。自由な競争は公平公正なルールに基づいて行われなければなりません。ルールに基づいた競争を進めることが政治の役割じゃないですか。
競争を煽るだけでは政治の役割を果たしたことにはならない。公平公正なルールを作り守らせる、それが政治の役割。その本来の役割を、まっとうな政治を私は取り戻したい。
格差が拡大している背景には、例えば労働法制の行き過ぎた緩和があります。20数年前、派遣法と言うのはむしろ恵まれた、手に職持った技術を持っている特別な仕事にしか認められませんでした。それをあらゆる職種にどんどん規制緩和していった結果として、働くと言ったら正社員が当たり前だった、そんなまっとうな社会を壊してきたんです。
労働法制を強化しましょう。派遣法をもう一度元に戻していきましょう。段階的に戻していこうではありませんか。
安倍政権はこの選挙の前、残業代ゼロ法案をまとめています。ただでさえブラック企業、サービス残業、過労死自殺、働いてもそれに見合った給料がもらえない、おかしなことが横行しています。
残業代ゼロ法を作る前に、今のサービス残業、ブラック企業、過労死自殺を止める、長時間労働を規制する、労働法制を強化しなければならないんです。そのことによって働いたらまっとうに給料がもらえる、働くと言うのは基本は正社員として安定して働く、そのまっとうな世界を取り戻そうじゃありませんか。
そしてもう一つ格差を是正するために社会を下から支え押し上げていくために、典型的な例があります
おかしいですよ今。私たちの国は資本主義です。自由主義経済。価格、値段というのは市場で決まります。需要があって供給が少なければ値段は上がるんです。介護職員の数が足りない、命にも関わる責任の重い仕事、重労働にもかかわらず賃金が安すぎる。志を持って介護の仕事に就いた人が暮らしていけない。おかしいじゃないですか、供給不足なんでしょう。人手不足なら高い給料を払ってでも人を集める、それが市場原理のはずなのに、そうなっていないから、特別養護老人ホームには空きベッドが1万以上ある。でも待ってる人は一万人以上いるんです。ベッドはあるけど働いてくれる人が足りない。だったら給料払うのが資本主義です。自由経済。
保育所はどうでしょう。保育所が足りないのは土地や建物の問題もあります。保育士の資格を持っている人はたくさんいるのに、でも保育所の増設しようとすると保育士さんを集めるのが大変です。
なぜですか。
やっぱり重労働で責任が重いのに給料が安いから。資格を持っている人でももっと給料が高い他の仕事に移ってしまっている。だから人手不足です。おかしいじゃないですか。
需要があるんだから、値段が安すぎて賃金が低すぎて人が集まらないなら、その給料を上げる、なぜそんなことが起こっているのか、そこは政治の責任です。
保育士の給料も介護職員の給料も、広い意味で政治が決めています。介護保険の仕組みで例えば看護師さんは医療保険の仕組みの中で、保育士さんの給料も保育にどれくらいのお金を流すのかによって、保育士さんに払えるお金に上限があるから、人手不足でも給料が払えない。そうした需要があるのに、安過ぎる給料に限られた政治を直していきましょうよ。
増えたものは必ず消費に回るんです。そして需要がたくさんあるんです。人が集まってくるなら、どんどん雇用の場として広がっていくんです。そこに払った給料も消費に回るんです。こういうことによってさまざまな分野で所得を給料を下支えをして、底上げをしていこうじゃありませんか。そして最後、保育や、老後の安心や子育ての安心につながっていく。
二度、三度おいしいんです。
上からの株価を上げる経済政策ではなくて、こうして地に足つけて暮らしと結びついたところから、社会を下支えをして底上げをしていきましょう。右でも左でもなく底支えをして前へ行く、そうした新しい経済のモデルを、私は皆さんに自信を持って示していきたいと思います。
そしてもう一つは上からの問題。総理大臣はなぜ総理大臣なんですか。
安倍さんは選挙に勝ったからだと勘違いをしているんじゃないでしょうか。それは答えの半分でしかありません。ましてや選挙で勝ったら何をしてもいいと思っていたら大きな間違いです。
選挙は選ばれる人に白紙委任を与えるものではありません。そもそもが国会議員も内閣総理大臣も、与えられている、お預かりしている権限権力は、憲法によって決められているんです皆さん。
憲法で定められた手続きで選ばれているから、憲法で定められた範囲で権限をお預かりしている、その立憲主義の基本が分かっていないのではないでしょうか。
集団的自衛権。平和の問題としても深刻。しかし私はそれ以上に立憲主義、これを破壊する行為だと一貫して思っている。
集団的自衛権は行使しない、できない。その憲法の解釈は、誰が作ったのではありません。アメリカから押し付けられたわけでも、当時の野党が大きな声を出したから決まったわけでもありません。
歴代自民党政権自らが、政府自らが今の憲法9条の解釈をして、日本の領土領海が攻められたらそれは全力で守るけれども、日本が攻められてもいないのに戦争はしない。自民党自身が決めてきたルールなんですよ。
それを合理的な説明もない、論理的な整合性もない、そんな形で勝手に変える。自分たちを縛っているルールを勝手に変える。それじゃあルールも何もあったもんじゃないじゃないですか。自らの権力権限の正当性の根拠である憲法を守らない権力は、権力そのものの正当性がない。
立憲主義と言うのは戦前でさえ言われていたんです。大日本帝国憲法、明治憲法のもとでも政友会、民政党という二大政党がありました。どちらもあの時期、立憲政友会、立憲民政党と言う名前だったんです。憲法に基づいて仕事をするんだと言うのは明治憲法のもとでさえ常識だったんです。それを壊してしまっている安倍政治は19世紀の政治です。
時代錯誤の政治を辞めさせなければなりません。立憲主義だけではありません。森友学園、自衛隊の日報問題。国民のみなさんに情報公開しない、そして開き直る。
情報公開だけでもありません。国民のみなさんにきちっと説明して理解してもらって、説得して賛成してもらうと言う意思、意欲をみなさん安倍政権に感じますか。
本当の民主主義はそんなもんじゃありません。確かに民主主義、多数決はつきものです。しかし民主主義と多数決はイコールではありません。民主主義と言うのは、主権者つまり国民のみなさんみんなで決める、これがほんとの民主主義です。
全員の意見が一致することはありません。だから選挙で議員を選ぶんです。だから最後、議会の中で多数決で決めるんです。
でもその前提はみんなで決める。できるだけ多くの皆さんに理解をしてもらって賛成をしてもらって、国民の理解の上で物事を進めていく。それが民主主義です。情報を公開してみんなが議論できるようにして、その上で最後の最後どうしてもと言う時に多数決で決めるんです。
初めから数があるから、由らしむべし知らしむべからず、俺たちの決めたことを言うことを聞け、こんな上からの民主主義は本当の民主主義ではありません。
私たちは本当の民主主義をこの国に作り上げたい。本当の立憲主義をこの国に取り戻したい。上からの政治ではなくて、国民のみなさんとともに暮らしの中から湧き上がる本当の政治を取り戻したい。そんな思いで党を立ち上げました
このままでは自分が所属できる政党がない。国民のみなさんも入れたくなる政党がない。そんな声をいただきまして10月2日に政党を立ち上げました。前にいる若い仲間からも背中を押されました。
正直迷いました。おかげさまで8期やってましたんで、まあ無所属でも自分の選挙区は戦えるかなあと思っていました。ふだんは大宮でマイクを握ってるんです。
でも多くのみなさんが背中を押していただきました。このままでは困る、このままではこの国の民主主義も立憲主義も困る。枝野なんとかしろ枝野立てと、みなさんが背中を押していただいた。
そのおかげで私は立つことができました。ですから立憲民主党を作ったのは枝野幸男ではありません。立憲民主党を作ったのはあなたです。あなたが作った政党が立憲民主党です。
本当はこの前に立っている仲間に一票を投じてくださいと、立憲民主党を比例代表で一票を投じてくださいとお願いをするべきなのかもしれませんが、お願いしません。
それはこの戦いは候補者や政党の戦いだと思っていないからです。私の背中を押していただいた、日本に本当の民主主義を取り戻そう、作り出そう、自分たちの声を届ける器をしっかり作らせようと思っていただいた、みなさんの戦いなんです。
政治を諦めている、どうせ変わらない、どうせどんな結果になったって俺たちには関係ない、そういって諦めてしまっている人たちが、みなさんの周りにはたくさんいるんじゃないでしょうか。
みなさん一人ひとりが当事者として、そうして諦めてしまっている人たちに声をかけませんか。いっしょにたたかおうと言いませんか。諦めないで立ち上がっていけば、それは大きな輪になるかもしれない。日本の民主主義の新しい一歩を踏み出せるかもしれない。だから周りで諦めている人に、しらけている人に、あなたが当事者として声をかけていただきたいんです。
一緒に政治に参加しよう、新しい民主主義を一緒に作ろうと声をかけていただきたいんです。みなさん、金もない組織もないなかで奮闘してくれています。お時間がある方は、余裕がある方は、30分でも1時間でもいいんです。それぞれの近くの事務所に顔を出してくれませんか。
そして一緒にビラをまいていただいたり証紙をはっていただいたり、一緒に政治をやりませんか。一緒に民主主義をやってくれませんか。
一緒に戦いませんか。
この戦いは第一歩です。私自身も24年国会に送っていただいて、永田町の古い常識に影響されていた部分があったのではないかと反省しています。でも新しい旗を立てました。自信を持って戦います。
これまでの永田町の、内側を向いた上からの政治ではなくて、あなたと一緒につくる新しい民主主義を、そして暮らしを下から底上げをして、日本の未来を切り開いていく新しい日本の社会を、しっかりと作っていく第一歩をこの選挙を通じて実現をさせていきたい。踏み出していきたいと思っています。
ぜひ一緒に戦いましょう。
政策パンフレットはこれ。https://cdp-japan.jp/gallery/
経済面では「中間層を復活させる」を色んなインタビューとかで言ってるのでそこんとこやる気があるっぽいのがよい。たとえば http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/edano-02_a_23237032/
ひとまず中間から貧困に零れ落ちつつあるやつらをなんとか復活させて、実質賃金上げて零れ落ちてる人たちの消費を増やして、内需が回るようにしてからもろもろやってきましょう、国内経済を活性化させないとジリ貧っすわ、という意識なのが分かるし、この感覚は納得できる。
(※トラバのやり取りを見て追記。
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yukio-edano?utm_term=.xmZNQ5GJa
このインタビューで、枝野は緊縮財政派を現状ではやめ、安倍政権の金融政策を継続すると明言している。よい)
ただ、パンフでアベノミクスに成果がなかったって言い切ってる部分は、景気指標とかが改善してる以上ちょっと説得力が薄いとは思う。
俺は立憲民主党には、
「アベノミクスにより平均指標としての景気動向指数とか株価とか失業率とかは改善して、それはよい。だがその改善の波にうまく乗れなかった層の生活は以前よりも厳しくなっている。
回復してきた景気はこのまま育てつつ、見過ごされてきた人々にも的確な再分配で恩恵を確実に与え、中間層を再生し全ての国民の収入と消費を盛り上げていく」みたいなこと言ってほしい。
あと政府情報の透明化や取り調べの可視化とか、政治と司法への不信感をなくそうというのも言っている。大雑把に言って国への信頼感なわけで、これを高めるのは大事。
政治不信がなくなれば投票率も上がってくだろうし、政治を冷笑する人も減り、真面目に考える人も増え、信頼度低下を気にせず強引なやり方をする与党や、罵倒芸に終始する野党が減る……といいな。
憲法関係は、名前のせいもあって単純に改憲反対みたいに見えるが、どうも今までの話をよく見ると「今の勢いのままでの改憲には反対。ただし一度落ち着いて議論をちゃんとした上での改憲は前向きに考えている」ってなところらしくて、憲法古臭すぎるし変える必要あると思うけどキナ臭い時期に焦って変えるのは不安だわ、みたいに思ってた俺としてはなかなかよい。
そこんとこもうちょいアピールして「立憲主義は固持するつもりだが、現在の憲法にしがみつくという意味ではない」ってのをはっきり言った方がいいと思う。
こんな感じかなあ。
原発ゼロは、俺は原発コワイヨ~ってなってるので真面目にロードマップ作ってゼロを目指すってのは嬉しいけど、原発は必要だろって人には全然響かないだろうから推さない。
あと差別反対とかの部分は、LGBT、性暴力被害者、夫婦別姓支持者、クオータ制、児童養護施設、とかが並んでて、なんか性別関連の多くない? しかも、主に女性とセクマイと子どもで、シスヘテ成人男性への目配りがなくない? ってのが不満。
自民公明の支持母体であるネトウヨ/創価学会というのは、低学歴低収入の負け組で、格差社会で搾取される側である。しかし彼らは何故か自民公明を支持していて、この格差を固定化する為に票を入れてしまう、というのはすごく皮肉な話だと思う。
どのような文化の、どのような国家でも、景気が悪くなると市民が右傾化し始めるというのは良く知られた事らしくて、生活に困窮した人ほど排他主義・国粋主義に染まってしまう。「外国人に仕事を奪われる」「移民は不当に優遇されている」「自分はこんなに苦労しているのに福祉の対象にもならない」という被害者意識が肥大し始める。在日特権を許さない市民の会とかいう団体が「日本人は差別されています!」と叫んでいたのを覚えている人も多いだろう。テレビで連日ニッポンスゴイデスネ番組が流されていたのも根っこはこれで説明がついてしまう。
安部の言う「戦後2番目に長い、いざなみ景気を超える好景気」とは、実際にはただ貧困層から富裕層に富が移動しただけだった。しかしここで搾取される側の貧困層・中間層が、安易な保守に回り、安部自民を支持してしまっているのは、冒頭に書いた通り全く皮肉なことだと思う。まるで人質に取られた人たちが犯人を擁護してしまう、ストックホルム症候群のような、強烈な闇を感じるのだ。
現代の中間層の現実・調和派というのは、昔の「ふつう」に於いて獲得できていた物事のうち、どれを諦めるか、諦めないか、の取捨選択を迫られているわけなんだよね。
・専業主婦を諦めて共働きをすることで世帯収入を増やす。でも出産子育てで数年するとキャリアは終わるので、リスタートしたあとの妻はワープアを強いられる。
など。
諦めずにすべてを獲得できるのは上級国民だけで。野原ひろしみたいな。
貧困層に目を向けると、そういった中間層の取捨選択の自由すらなくて、ワープアでひたすら全方位に貧しい生活を強いられるんですよね。
中間層だったが、取捨選択を誤ったりリソース管理に失敗して貧困層に陥ってしまうというケースも多いと思う。人生を常に賢明に運営できる人たちばかりでもないからね。
中間層の非現実・強硬派は、ステレオタイプな「旦那は年収1000万じゃないと結婚しない」と言いながらいつまでも売れ残り婚活して社会に憤り続けてる人みたいな。あとアイドルとしか結婚したくない!みたいなのとか。
なんかそんな感じ
公立小中がよく「社会の縮図」などと言われていますが、それについて私の経験をもとにその後(現在)についてまとめてみようと思います。
私は田舎と東京の公立小中出身(中学で東京に転校)の26歳男性
田舎は観光地としても有名なところで、割と厳しい教育がされていたように思えます。
東京は郊外の荒れていて有名な土地でしたので、学校も思い返すと教育困難校であったのではないかと思います。
では、田舎と東京の公立小中の同級生の現在についてまとめていきます。
半数以上が無職
多浪した医学部生やまともな大企業に就職したものもいたが、これは各クラス多くても3人程度だと考えられる。
これらを分類すると次のようになる。
まともな人は結婚、もしくは保育士やJA職員、教員などに就職している。
それ以外の5割以上が行方不明 (私が把握できていないだけかもしれない)
行方が分かっている人たちでも水商売やいじめが原因で病んでしまっていたり、デキ婚なども
※ 本当に女子の行方は分からない (都市部に出ている人が多いのだと考えられる)
これらを分類すると次のようになる。
現状が分かる範囲ではフリーターと職人(詳細不明)だけである。
これら分類すると次のようになる。
こちらも状況がはっきりしない人が男子と比較して圧倒的に多い。
公立小中出身の人たちからしたら、おそらく似たような状況なのではないかと思います。
そして公立小中在校生の人たちは、同級生が将来どのようになるのかを知りびっくりしたのではないかと思います。
公立小中出身者の将来はドラマなどで語られるような華々しいものではなく、むしろ悲惨です。
私が小学生のときには、「サラリーマンになるのはダサい」みたいなことを言う同級生が多かったが、将来的にはみんな普通のサラリーマンになるのだろうと思っていた。
また、スポーツができる人たちはスポーツ系で活躍し、勉強が得意な人たちは自分が想像もつかないような活躍をしていると思っていた。
しかし、現実は同級生の殆どがフリーターや無職、勉強がメチャクチャ得意な人たちだけが大企業で働き、普通のサラリーマンも極少数であった。
「(俺にとっては)エリートに分類される人間なんだから、どれだけ高い水準を要求されても文句言うべきではない」
「(俺にとっては)お前は底辺なんだから、どれだけ底辺向けのことだけやらされても文句言うべきではない」
本当にエリートなり底辺なり、要するに外れ値に当たる層相手に当人としてはいってるつもりで、
「俺にとっては」の基準が無茶苦茶ズレてて、(数値的に)普通に中間層相手にこの種の発言してる人みたいなのどうにかならんものか。
なにがアレって、同じ人間相手に同じ分野の話で2つとも吐くという矛盾した要求を平気でするところにもアレっぷりが有るんだよ。
基準がずれてるとしても、ある相手を上位層として扱いたいのか、下位層として扱いたいのか、はっきりしてからそういうことを要求するべきではないのか。
そもそも、「どれだけ~でも文句言うな」って類の要求そのものが、当然のごとくぶつけるにはおかしいけど、それ以前の問題だっての。
内容は至極同意なんだが、むしろスクールカーストやら上位クラスのチャラチャラ系も大概そういうその場しのぎの嘘をつくような
むしろ、スクールカーストなにそれ美味しいの?とそういうドロドロしたのと距離置いてる中間層は正直な気がする。
別に収入得てるわけでもない、成績で決まるわけでもない、その場の雰囲気で決まるようなスクールカースト上位下位なんてのは
結局回りからの評価に敏感かどうか自分がどう思われているかを強く意識しすぎてる連中なんだと思う。
下位はその自己愛を悪い方向に刺激されてて、これ以上悪く思われたくないと嘘をつき、
はじめて先日会社を退職しようと決意し、人事部に年末で退職する意向を伝えました。
その後、信頼している先輩2人に伝え、その日は特に何もありませんでした。
【辞める主な理由】
チーム:いのちだいじに
いろいろありますけど、チームは悩んだ。
自分が不満を言ってるだけに捉えられたくなくて、あんまり相談もできなくて、ストレス溜まった感ありました。
まぁ、その後、信頼している先輩の1人が役員に働きかけてくれて自分を会社に残す動きが働きました。
自分が新卒だったこともあり、自分を残すために会社がいろいろ合わせてくれました南無
面談の際、役員の一人にチーム長にたいしての思いを伝えました。
その役員は、鈍感でおなじみだったこともあり、面談後あらためてメモをチャットで送りました。
チーム長は怒っていました。
役員から自分がやめるという報告と、その際のフィードバックを聞いたようなのですが、
役員は自分が送ったチャットをチーム長にそのまま見せていました。
そして「お前、チーム長のつくったあの資料ダサいって言ったんだな」と言われたとき、
頭が真っ白になりました。
「むかつくよ」と言われたときの顔
空気というなら、政策上の対立の構図にせず安倍vs反安倍みたいな空気を煽っていたのが失敗。
安倍の資質からしても内閣の顔ぶれからしても、本来ならもっとずっと早く支持率は下がってたはずなんだけど、
俺たちの方がもっとひどいぞというところを見せ続けてたせいで、
安倍vs反安倍の構図の下では、安倍より反安倍の方がもっと駄目、不支持という相対評価で支持率が下がらずにいた。
(増田でも時々指摘されてたけど、左翼界隈にもともと見られた攻撃性が、
その辺りの攻撃性に対する指摘があっても、
はてブにあがるコメントは「あっちの方がひどい」で変える気なし、さらにそれにスターが大量に付く状態)
そこで反安倍との比較でなく安倍内閣を評価することになったとき
支持率が落ちていくのは当然だったのでは。
読んだ。
https://togetter.com/li/1117700
ひとつ気になったのだが、「熊本城」という例を出したO氏は、T記者からこのような反応がくることを、先に予想していたのだろうか?
まだまだ復興は遅れていて、壊れたままの家で梅雨や台風を迎える不安な母の心の支えになっているのが熊本城です。熊本城に観光客が集まり、復旧のための寄付が集まり、元の姿に戻る日を心待ちにしている。同じ思いの人たちは多いと思う。それを「戦争のために作られたものだし復旧しなくていい?」
侮辱するのもいい加減にして欲しい。
こういう反応を引き出したのは、まとめサイトから判断するかぎりたった一つのツィートで
議論において、相手を矛盾に追い込む。そういうときには、「相手」にとって矛盾だと作用するものでなくてはならない。
「相手」にとっての矛盾、とはどういうことだろうか。よい実例が、このツイートの前のやりとり、JSF氏の指摘で展開されている:
…AERAって朝日新聞系ですよね?実はこの零戦を飛ばしたレッドブルエアレースの後援を、朝日新聞がしているのです。つまり朝日新聞は「戦争を反省しつつ零戦かっこいい」という精神状態を肯定していると思うのですが如何でしょうか?レシプロ戦闘機は現代の戦争にはもう役に立たない存在なのです。
零戦レシプロを批判すれば、朝日新聞のグループ社員として、エアレース後援をしている組織の方針と食い違ってしまう。
零戦レシプロを黙認したら、自分がAERA記者としてツィートした内容を取り消さなくてはならなくなる。
相手がAERAの記者でなければ、このような矛盾は「矛盾」にはならない。「朝日の方針がおかしいんです」の一言で切り捨てられる。
しかしT記者はAERAのライターだ。AERAは朝日の出版物だ。朝日の出版物なら、朝日新聞の方針に従うに違いない。
・・だと思っていたら、「組織の考え」と「私の立場」は違う、という形で、矛盾の間をすり抜けられてしまった。
げげ。それは知りませんでした。組織の考えは分かりませんが、私の立場は変わりませんよ。現代の戦闘に役に立たないものをなぜ復活させる必要があるのか、石塚氏が過去に出演したチャンネル桜の2回の放送をご覧になったらいかがでしょう。
ここは、身軽に構えたT記者のほうが一枚上手だった。
しかし、次のO氏の指摘は、表面上は「相手」にとっての矛盾に追い込む形にはなっていない。
この時点で、T記者と熊本城とのつながりは、いっさい明らかにされていない。
だからその分、相手を追い込む形にはなっておらず、威力は低い。
熊本城になんの思い入れもない人だったら、熊本城のおかれた環境と、零戦のおかれた環境は違います。くらいの逃げを打ててしまう程度の話。
しかし実際には、冒頭にあげたような、激烈な反応が返ってきた。
最初っからAERA的なものが嫌いなネトウヨ勢だけではなく、中間層にいる人たちにも「そ、その侮辱ってのはあなたがエアレースを楽しんだ人にしたことじゃない?」とドン引きさせる効果があった。
零戦レシプロを黙認するなら、元の議論を取り消さなくてはならない。
零戦レシプロを批判するなら、同じように「戦争のために」作られた熊本城の復建にも反対しなくてはならない。
こういう矛盾が、熊本出身で、熊本城の復建に寄付までしている、ほかならぬ「T記者」にはとても有効に作用するだろう・・とO氏は他の情報ソースから知っていたのだろうか?