はてなキーワード: ラクとは
もう年越しの時期かー。はやいなー
こないだ友達と正月迎えたばっかりだったのに。その友達とは今年1年かけて疎遠になった。
4月新社会人になって、なんか仕事に追われてたら秒で毎月過ぎてた×9ヶ月って感じ。
何も味気ないな。
数ヶ月に一度ぱーーっとやりたくなるが、どこにも行けんし。
飲みに出れるほどお酒強くないし、友達いないし、どこにも行けんし。
一人暮らしできるだけの年収もなくて毎日実家で祖母・叔父(独身)・たまに飯だけ食いにくる父親と過ごしては
ジェネレーションギャップを感じたり、田舎特有の陰湿な発言に内心イライラしたりして。
絶対一人暮らししてやる!って思うけど、個人事業主なのもあって、年金保険料その他税金あれこれ払える年収になるのはずいぶん先になりそう。
今が一番若い毎日をこんな感じで過ごして、激務で友達減って、ツイッターでは仲良かった人にネット恋愛持ちかけられてクソ疲弊して。
きっと大学入ったら恋人見つけて付き合って社会人3〜5年目くらいまで付き合って結婚してなんかイイ感じに生きてくんだ、みたいな
個人事業主。自分で決めた道だし仕事はありがたいことにあるけど始めたてだから薄利多売みたいな状況。
職場仲間もいないから変な人間関係や飲み会に付き合わなくていいのは最高だけど、孤独すぎて大学時代恋人見つけなかったのが悔やまれる。
(そもそも自分が恋人見つけられるほどのスペックじゃないのだが)
最初は絶望してたけど、今はもうなるようになれとしか思わない。親からは一人っ子なんだし婚活してくれとか言われてるけどそんなの知らない。
運悪ければ増田家はここで途絶える。それだけ。すまんな。
つーかまだ仕事終わってない。これ書き終えたらちまちま始める。
この一年、自分の先延ばしグセがひどいこともわかったな。先延ばししないで済ませると後がラクって体に教え込んで来年は改善したい。
あと深夜も起きることが増えて夜食で太った。ジム通うべきか?遠いんだよなー。
それと貯金。一応給料用と生活用で口座分けてるけど、貯蓄用にもう一つ作るべきだから年明けたら作りにいかないとな。
あー ひとりだとこうやって1年が過ぎるんだなー。
いや大学の時も余裕でひとりだったけど、一人暮らししてたし知らん土地で毎日刺激あったな。当分一人暮らしなんてムリだけど。
仕事めんどくせ〜〜!でもやんなきゃな。眠くなるまでは一応やらんとな。
なんかもうただただこのままゆるやかに、毎年こうやって同じことを思いながら、同じ状況のまま、老いていつか死ぬんやろな。
インスタとか見てると恋人とのツーショ、匂わせ自慢、充実投稿色々あって「けっ」とは思うけど最近は「楽しそうでいいね〜」という感情のがでかい。
きっと届いてくれるといいなとおもっています。
自分に増田さんは似ているなと思ったので書き込みました。色々なことを思い出したり、深く考えたりするのは、脳がつかれますよね。例えば、三世代同居の同僚は何も考えてないし、それが普通みたいです。また、医療者は経済を回して富を作る人のおかげというのも正しいのですが、多くの医療者はそこまで考えません。また、産業医に相談した際に、医療者が病んでいたらいけないというのは、とても立派ですが、薬を飲んでる医師も多いと思います。
なので、結論として、増田さんは多くのことを考える優しい人なのです。世の中の人より、明らかに他人を考え、心を感じ、何かをしようとしている、そのために、色々ときちんと記憶しているといえます。そのような人は、その分他の人より脳が疲れていると言えます。他の人とよりも脳を癒すことが大切です。
ここからは、対応策であり、完全に私見で、参考になるかはわかりません。
対応策は、極端に脳が疲れている人PTSDの方や悩んでいる方の特徴と同じだといえます。
そのような方は、どうやって脳を癒しているかというと栄養で労っています。具体的には、ナイアシンとかです。水溶性ビタミンは副作用も少ないので、取り組みやすいと思います。
料理をしないのでこれまで中華鍋とか扱ったことがなかったが調べたら竹のササラで洗うのがいいとわかったのでネットで500円くらいのやつを買ってみた。これがめちゃくちゃいい。
中華鍋は使い終わった後に湯を沸かしてササラで撫でれば汚れは落ちる。こびりついた麺や肉を前にスポンジで格闘していたのが嘘のようにラクだ。
使い終わった後に放置してしまって固い汚れがこびりついた皿とかも、前は流しながら爪で削り落とすようなマネをしていたがササラがあれば楽勝だ。逆向きに突くとすぐ落ちる。皿を傷つけることもない。
ハンバーグを焼いた後のグリルの鉄板とかも、ササラなら鉄板に傷をつけることなくささっと落ちる。とにかくいい。みんなササラを買おう。
誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。
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非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。
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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、
死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。
余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。
ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」
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しかし、私とそいつが小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、
同じグループの子からぽっちゃりだから、ポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。
でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。
それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、
綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。
さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。
私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。
小学校も中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。
私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対のルールを持っていて、
泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋の椅子に座らせられた。
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三年生になる前には短髪になっていた。
どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、
小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。
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髪型だけじゃなくて、そいつは成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。
周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。
誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、
なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。
でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。
皆はそう思ったかもしれないけど。
私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。
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私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。
私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、
ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。
別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身が子供のころ欲しかったものなんだってさ。
あ、ピアノは祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。
まあ、ウチはその程度だったけど、
ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。
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GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクとサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。
毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。
家にない本や図書館の児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。
私の母は、皮肉な作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。
母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。
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そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんやなかよしを読んでいた。
ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドルや流行りの歌の話をした。
その子たちは髪型をしょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。
遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。
その子たちのことが嫌いではなかったけれど、
ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。
私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。
母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。
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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、
旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつのホームページがまだ残っている。
今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。
日記もあるが、悩みや病気、内面に関することは何も書かれていない。
中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。
後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。
ぶかぶかよれよれのメンズのウインドブレーカーか何かを着ていて、
息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。
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成人式のスーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。
小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。
髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。
でも、そういえば、
我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。
「お前は顔がでかいねえww」みたいな。
その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。
私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。
いや、地獄かよ。
しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。
私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。
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その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、
流行りの服を買うこともできたし、趣味や私生活に口出しされることもなかった。
周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。
オタク気質は生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。
そいつは多分、そうではなかった。
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昨今の性の多様化からすると、そいつの髪型、服装、趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。
髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーやバイクやサッカーを愛していたなら、
それはそれで良かった。
でも、そいつは多分そうではなかった。
生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、
そしてそれが自分だと思い込まされていた。
コンフリクトがあって、それが体に出た。
病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。
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そういえば携帯のアドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、
就職先のイベントを新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。
私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代の記憶ごとまとめて、
折角小奇麗になることを覚えたのだ。
陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、
プライベートで会いなおしたりはしなかった。
それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。
いや、水の一滴も口にできないんだから、食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。
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しかし、一度ならず数回ほどそいつはイベントに客としてやってきた。
ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。
ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、
もう回復不能の分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。
しかし、そんな話をそいつは世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。
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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、
私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、
物知りで成績優秀者だったプライドが邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、
同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。
しかし、そいつが自分の日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。
藁にも縋る思いだったかもしれないが、
疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて
カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。
というか、そいつは自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?
気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。
いや、そういえば鬼電がかかってきたから訃報と決めつけているが、
フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。
もう、それを知りたいとも思わないのだが。
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既に超長文だけど、続きもあって御免。
中国共産党の武漢ウイルス研究所は、グラクソ・スミスクラインの傘下で運営されています。グラクソは、ワクチンを製造するファイザー(Pfizer)の親会社でもあります。ファイザーのワクチンを接種すると死ぬかもしれません。
次の駅で男性が乗って来たが、抱っこ紐で小さい子どもを抱っこしている。
席を譲るべきか?でもわりとガッシリした男性だぞ?なぜ周りは皆うつむいているー!!!
仕事で疲れて頭が回っていないのに席を譲るかどうかでグルグル考えすぎてパンクしそうになっていたところ、その次の駅で松葉杖をついた女子高生が乗って来た。
席を譲るべきか?でも松葉杖だと立ってる方がラクか…?そもそも席を譲るとして男性とJKどちらに譲るべきなのか?なぜ周りは皆うつむいているー!!!
いよいよ頭がパンクし、意味分からないタイミングでおもむろに立ち上がり、誰にも何も言わず別の車両へ逃げた私。
どうするのが正解だった?
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。
結婚はゴールじゃない
結婚願望が強いのはなぜ?結婚という手段によって増田が叶えたい願いは何?
それがより叶いそうな相手を選ぶといい
それはそうと
バチが当たりそうでこわい
バチが当たらなければいいのかなってちょっと引っかかった
相手に嘘をついて傷つけたくないとか、相手の人生を浪費させるのは申し訳ないとかじゃないのか
その先にある自分への罰が嫌なのか
【追記】
あくまで読んだ限りだけど、今彼の方がいいと思う。
だって再来月はもう来年だし、引越しやすいタイミングはやっぱり3月なイメージあるし。それ逃したら再来年になりそう。
早すぎることはない。私は同棲の物件を4月から探し始めたもののお互いの条件を満たす部屋が見つからなくて、その間に仕事の繁忙期があったりして結局9月になったし。
むしろ仕事で疲れてる男に、転勤するでもないのに引っ越しの提案をできる立場の人なんて彼女しかいない。
「あなたが勇気を出して同棲の約束をしてくれたから、私も頑張る!」とか言ってさ。
住むならどんなところがいいか(むしろどんなところは嫌か)聞いて、それと合わせて貴方がアリだと思う物件をいくつか探して提案する。
なんだかんだ内見まで引っ張り出せば、彼も同棲に現実感湧いて新たに要望が出たりして、その物件にならなかったとしても一緒に動いてくれそう。不動産屋の営業さんも煽ってくるし。
それで一緒に動いてくれなかったら、何しても動かないので別れて男友達と付き合った方がいい。
調べる手間はかかるけど、自分の嫌いな物は選択肢から弾けるからラクだよ。
「もうちょっと、3月までは頑張ってみる」がいいんじゃないか。
もし既にやってたらごめん。
虎の威を借る狐のごとく他人に言われたことを鵜呑みにして自分の頭で解釈しようとしない愚図の三下には答えられるはずもないので、私が代わりに応えよう。
だったら「返り値と引数チェックにしか型チェックを使ってないC言語は問題は起きないはずたが現実はどうよ?」「Ruby と Python は動的言語だけど、強力な型付けのされた言語とは言えないのか?」という疑問に答えられるはず。
ひとつ前の人が言っていたのは、型チェックとテストの仕事のバランスの取り方だ。
でももっと悪い事態として、仕事を放棄する場合もあり得る。C言語の例はそれに当たる。
C言語の弱い型の中で提言に則りベストを尽くしても型チェックにできる仕事は少ない。
だからテストコードを書かざるを得ないが、テストコードを書くことをサボってしまえば問題は起きる。それが現実に起こっている。
Ruby と Python は強い型付けの言語だ。だが型システムは十分に整理されていない、と思う。
実質的に、型システムは言語側にビルトインされたテストコードだ。末端ユーザーが書いていたテストをリファクタリングして共通化し、上流に巻き上げてコンパイラに組み込んだのが型システムと言える。
貧弱な型システムの元では末端ユーザーが個々に努力して不足を補う必要があって、言語のユーザー全体のコード総量は大きくなる。洗練された型システムを使うユーザーはテストコードを保守する責任を持たないので末端ユーザー間のコードの冗長性は少なくなり、ラクになる。アプリケーションのバージョン毎に特殊化されたテストコードは少なければ少ないほうがよい。品質が保たれる限り、なくしていくべき。
敷かれたレールを走りたいんですよ俺は
何も考えたくねえの
家業を継いだりしたいわけ
つかまあ正直に言うといまこの瞬間に死にたいんだけど、それを言ったらおしまいだからな
とにかく、自分で頑張って何かを掴み取る!とか何者かになる!とかそういうの全部どうでもいい
可能な限り何も考えねえで、なんの責任も負わず、なんの努力もしないで寝てたいんだ
活動したくないんだ
もう疲れたんだ 無理だ
なんで死なせてくれないんだ?っていう怒りはかなり強いですよ
安楽死系の議論で、気力に満ち溢れたすばらしいリベラルの人生エンジョイ勢のみなさんが「死にたくないのに死なされる人が出てくる!」とか言ってんの見るとすげームカつくわけ
うるせえなと思うよ
俺は誰が救ってくれんだ?
いや救えなんて言ってねえんだよ
俺は救われなくていいの ただもうラクになりたい
そんで、そのためなら全然死んでもいいんだ
だからさっさと終わらせてくれよこれ
もう飽きたの つまんないの やめたいの
だから殺してくれって話なんですが、それはどうやら倫理にもとるらしい
ふざけんなって話だよ
倫理ってなんなんだよ
俺が生きて幸せになる道なんてねえよ
しかし、全く受け入れられないだろうことは火を見るよりも明らか
だって全身麻痺があるくらい壮絶な人でも「生きてる方がいい」んだもんな
よくねえんだよカス
バカか?
人類の誇りはねえのかよ
生きたい!生きてないとダメだ!人を殺すなんて酷い!じゃねえんだわ 理由を述べよ
俺は生きてたくないし、俺が死んでも世界は回るし、なんなら薬くれたら自分で死ぬよ
たのむぜマジで
早く殺してくれ もう待ちきれないよ
長えのまず この人生とか言うやつ
ほんで身体がぜんぜんそれについていけてねえじゃん
そこで死ねってことだろどう考えても
俺ももういいですわ
若者に道を譲るよお
はよ殺してくれやマジで
頼みましたよ
ワイは1996年生まれなんやが、調べてみると1996年にはだいたい120万人生まれたらしい
34万人差!
割合にしてもすごい 俺のときの71%くらいしかいないことになる
3割だ そらまあ場所によって減り方は違うんだろうけども、知り合いが10人いたら3人は削減されると思うとなかなか恐ろしい
まだまだいるといえばいるが、すげえ減りようなのは間違いない
多少は寂しさがあったりするんだろうか
しかし、宇宙人が攻めてきて1996年生まれの人間を34万人殺しましたって言われたらすげーショック受けると思うんだよな
そらそうか
そらそうだけども、それにしたって、ねえ
社会や会社を回している側じゃないスタンスの若手や学生が、回している側に対して上から目線で嘲笑を浴びせる。
残業させるなんてブラックだ。人前で怒るなんてどういうことだ。朝礼なんて前時代的だ。飛び込み営業なんて非効率だ。社訓の唱和をさせられるなんてゾっとする。
もちろん、今の回してる側が100点満点なんてことはないが、全員が落第点だなんてとんでもないってことに気付くよ。
限られたリソース(ヒトモノカネ)で、利益を出すためにはどうしたらいいか、考えて、実践していかなきゃならない側になったら気付く。
反目する、うなずかない、輪を乱すようなタイプを放置することのリスク。
研修や座学で時間を浪費することの恐怖と、効率的なインプットと意識改革をする手段の模索。
新規開拓に必要な広告費(数百万~数千万円)と、飛び込み人件費(1日1人1万円)の比較。
だから回す側になんてなりたくない、誰が出世したいなんて言ったんだ、ずっとヒラでダラダラ安い給料もらってればいい、って意見もよく見る。
社会や会社の成長期だったらそれでも居場所はあっただろうが、今は大半がそうじゃない。
役に立つ見込みが薄い人員を抱えてる余裕なんてない。
若手が相対的に役に立たないのは仕方ない。これからの伸びしろに期待だ。それ込みでの採用だ。
役に立つ若手はどんどん登用しよう、成果主義だ。(それに伴う社内の軋轢は、そもそも軋轢が発生しづらいような文化を組んでおく必要がある)
上に行くほど、個人での数字を上げるよりも、チームを機能させること、たくさんの人間に数字を上げさせることの比重がどんどん上がってくる。
個人でそこそこの貢献しかできないような人間に、未来に向かって席が与えられるって、どういう自信なんだ。うらやましいな。
社会人歴5年を超えてもお客様気分で会社批判をしてるようなやつは、文化を乱すだけだから、ゼロどころかマイナスだ。
不平不満をグチるやつは、周囲が自覚していなかった不満まで掘り起こして顕在化させる、害悪だ。
もちろん必要な改善もあるだろう。だが、回す側に立ってないお客様気分の人間から出るような改善案は、だいたいが醜悪だ。
※優秀な若手はその限りではない
もしくは利益ですらない、単にラクがしたい、イヤなことをやりたくない、という主張ばかりだ。
ただ、みんな空気を読むので、表立ってそういう主張をしてくることはない。
自分にとって不利にしかならないとわかっているからだ、優秀だ。
裏で同僚と焼鳥屋でグチってるのかもしれないが、そのくらいはまあ。
そういう主張が表に出るのは、匿名に近い場、主にTwitterだ。
匿名だが声がでかいやつはいる。それを面白がって広めるやつもいる。
そういうのは一見社会正義の皮をかぶってるから、本当にタチが悪い。
お客様気分で、回してる側の足を引っ張るな。