はてなキーワード: シャッターとは
少少興奮している。昨日、初めて「撮影会」に参加した。カメラを趣味にして2年。イベントやらで女の子を取り始めて1年。そしてついに撮影会だ。
せっかくなので某アレのレイヤーさんの撮影会に参加した。いろいろな撮影会があるなかで、やはり自分が「絵」を作るのだとしたら、そういう世界を撮影したいと強く思っているからだ。女の子の商品画像、カタログ画像を撮影したいのではない。これまでに「見た」ような錯覚をもっていた「絵」を実際に撮りたかった。
で、言っておくとえっちぃ出来事も絵もまったくない。ただひたすらかっこよかった。だだっぴろい空間の中、俺のファインダーの中だけが2次元だった。俺は3次元にいる。彼女も3次元だ。しかし、作る絵は2次元に近い。2.5次元の体感とはこれか、と最初のショットで身が震えた。空間と時間、すべてがその一瞬を作るために費やされる、2.5次元をここに呼び出すための儀式じみた一連の行動が結実した。
準備にもちょこちょこと参加したためだろうか。単に撮影会という客の感覚はなかった。最後の最後、シャッターを押す作業で現れる入口、開かれる世界。夢中で撮影し続けた。
俺はこの日のために用意した玉があった。ちょっと高かったけど、用意することが自分の用意の一つだと思ったからだ。単焦点はあまり上手に使えないと判っていたけど、人を取るのならその玉じゃないといけないように思ったし、実際今データを見てはっきりわかった。このレンズは正解だった。俺の技量にあっていた。
俺の作った絵がすべて手元にある。この興奮はちょっと言葉に変換しづらい。
今日は一日それを見てすごした。
古い町、たとえば京都の町を歩くとよくわかる。すだれやよしず、網戸や隙間のある目隠し塀、大正浪漫の鉄製ブラインドなどプライバシーを守る仕組みがいくつもあって、でも完全に見えないというわけではない。見る側がそれらを「見えていないもの」として察しのこころで接する日本特有の美学なのだ。察しのこころがあるがゆえにキッチリした壁でガチガチに空間を固める必要はなくなり、風通しがよくまた見た目にも軽いデザインが町に広がる。透けるデザインが持つ<空間の軽さ>である。
これと同じものがほかにもある。ストリート系のブラインドシャッターサングラスである。彼らもまた同じ和のこころ、察しのこころを持っているといえる。
② 「その界隈に恨みを持っててその界隈がぶっ壊れてくれると嬉しい奴」
俺が今回気持ちが分かったのは②の方の「とにかくその界隈が荒れて欲しい方」。
というか俺がその荒らしになってる。
民度の残念さがゲームプレイに大きく影響を与えるゲームでもあった。
結構長い間その「民度の駄目さ×民度の駄目さから来る悲しいプレイ結果=超絶クソ」にしょっちゅう悩まされながらも、ゲーム自体の魅力に惹かれて楽しんでプレイしていた。
だがある時限界が来た。
普通の我慢ならなさを防護シャッターが突き破られるような物と表現するのなら、
その時のものは全ての防護シャッターが突き破られ遂に火の手がこちらの本体にまで回ってきたような。そんな耐えられなさだった。
慢性的なダメージの蓄積が堪忍袋の緒を最後の一欠片まで喰らい尽くしたとでも表現しようか。
そうして俺はそのゲームに対して今まで抱いてきた恨み、
プレイヤー達へのつらみを吐き出したくてたまなくなった。
今まで俺に不快な思いを味あわせてきた連中の仲間が苦しんでいる姿がそこにあった。
俺と同じようにゲームを、プレイヤー達を嫌いになっていく者達の姿があった。
救われた。
増えていく仲間。
すさみを露呈されるコミュニティ。
怒り狂うクズ共。
たった数時間(手間自体は数分程度)の荒らし活動で目の前に広がった。
スッとしたね。
荒らしが何を考えているのか今まで分からなかったがようやく半分だけわかるようになった。
恨みをはらしたかったんだ。
今までは晴らそうとしてもはぐらかされ続けてきた物を突っ返したかった。
ただそれだけだったんだ。
自動車の運転には、チェーンソー作業や高所作業と同等以上のリスクがある。大勢の他者を巻き込む点ではそれ以上のリスクを有している。
この事実には、なかなか気づきにくい。自動車産業とマスコミとの癒着で、その事実はなかなか伝えられず、国民はそれに気づきにくい環境にある。
1トンを超える乗り物を、それと同等かそれ以上の乗り物の通行、歩行者、自転車が混在するなかで行う。
これは、ちょっとでもハンドルやペダルの操作を誤れば、加害、被害とも甚大となる。
自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという
青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」
そしてこんな言葉もある
住みやすい街ランキング上位は、いずれも自動車の運転が必要のない地域。
そういった地域ほど、高齢化が進むこの先、人口が増えていくことが予想されている。
自動車から市民を保護するために、自動車への規制取り締まり強化、自動車侵入防止柵等の積極設置を議員や警察に要請しつづけよう。
自動車の要らない地域ほど、基本的に便利が良く、発展している。
自動車依存が引き起こしたスプロール現象により、地方の財政に重い負担を強いている。
『NHK クローズアップ現代 わが町を身の丈に ~人口減少時代の都市再編~』によると
自治体職員
「すべてのものを残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」
また、自動車では移動がまったく運動にならないゆえに、肥満、糖尿病、高血圧・・・メタボリック症候群も蔓延させてしまっている。
自動車中毒の蔓延は、郊外化による道路の維持費負担と生活習慣病の蔓延による医療費増大という2つの大きな問題を生み、地方は自滅しようとしている。
1.あなたの「まち」、これからどうしますか?|よくわかる中心市街地のまちづくり 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html
住宅や商業施設だけでなく、病院や市役所、学校なども郊外に拡散しています。 農地の中に建つ建物農地の中に建つ建物 中心市街地の空洞化
中心市街地から人が少なくなり、まちの活力や楽しみ、にぎわいが失われています。 シャッターの下りた商店街シャッターの下りた商店街
このままでは「まち」が・・
車を利用できないお年寄りなどが、公共公益施設や店舗などを利用しにくくなり、生活が不便になります。
新たなインフラの整備が必要になり、維持管理のコストも増えます。
人との交流やにぎわい、文化などの機能がなくなり、まちとしての魅力を失ってしまいます。 ■環境負荷の増大
車の利用が増え、多くのエネルギーが必要になるとともに、開発により自然が失われます。
郊外化の歯止め
都市機能が集積した、アクセスしやすい 「生活拠点」を作る必要があります。
http://d.hatena.ne.jp/yamada-home/20130722/1374467968
あなたの「まち」、これからどうしますか? コンパクトなまちづくりを目指して ──自動車不要で誰しもが安全安心、快適、便利に暮らせる地域づくり 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html
コンパクトなまちづくり 理念と手法 ──国土交通省九州地方整備局総務部長
http://tochigi.jimusho.jp/koza/dai2kai/dai2kai.pdf
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/archive?word=*%5B%BC%AB%CC%C7%A4%B9%A4%EB%C3%CF%CA%FD%5D
友達の結婚式に行く時に、カメラを持っていくかどうかいつも悩む。
ちゃんとプロのカメラマンにお願いしてあったから同じような写真は何枚あっても困る。
自分自身は割りと写真撮影が好きで、趣味でスポーツ選手の写真をよく撮影している。
グラウンドが遠いのでズームレンズとかも揃えていて、その写真にサインをもらったりしてコレクションするのが趣味。完全に自己満足の世界。
その写真をブログとかで公開していたりするので、親しい友達は割とみんな知っている。
ファーストバイトとかでみんながカメラを構えるときも、スマホのカメラで一枚撮影する程度。
趣味で撮影するときは一打席に何枚もシャッター切るくらいなんだけども。
別に私のカメラは友達を撮影するためじゃなく、選手を撮影するために買ったからだ。
しかし、ある時それを友人に咎められた。
「あんた、あんなにスポーツ写真とるの好きなのに、なんで友達の写真はとらないの?お祝いしてないの?」
と。
お祝いする気持ちがなければ美容院代やらドレス代やらご祝儀やらかけてまで披露宴に行かないと思うんだけど。
それ以前にカメラ撮影で気合いれてる時って実は試合よく見てないんですよ。
被写体単体に集中してるから、応援もしてないし、全体も見ていない。
撮影が好きな人は友達の結婚式ですら気合を入れて撮影しなきゃいけないんですかね。
以前この記事を読んで、あぁ本当にそうだと、納得しかできなかった。同時に、女として自分の身をどのように守っていったらいいか考えた。
(別に性犯罪被害は女に限った話ではないけれど。男性の性犯罪被害について印象的だった記事も載せておきます。
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091217/1260987389)
性犯罪にあったら、私を守ってくれるものなんて何もない。私の落ち度を粗探しされ、お前が悪かったんだと言われ、加害者はのうのうと生きていく。
最近は、日が暮れてから外を出歩くのが怖くて仕方ない。終わるのが夕方になる講義に出たくない。
私は一人暮らしをしているのだが、男が侵入してきてレイプされるのが怖くて、窓は一切開けられない。シャッターすらももう1週間くらい開けていない。
「誘ったんだろう」と言われないように1年中長袖長ズボン。何かあった時に逃げられるように靴はスニーカー。
アクセサリーもしない。指輪は武器になるかもしれないからたまにするけれど。
時々スカートを履かないといけない時、家に帰って着替えるまで怖くて仕方ない。
夜お腹がすいて食べ物がなくても日が暮れてたら絶対に買いに行かない。
もしレイプされそうになったら何かされる前に相手を殺そうと考えている。あるいはレイプされる前に抵抗して死のうと思う。
多くの人は黙ってレイプされるくらいだったら抵抗して死ねと、そう言う。
性犯罪被害に遭うのが恐ろしくて、あんな目に遭うくらいなら、その前に自殺しようと、何度も試みるが死ねない。
女性はみんな、こういう恐怖を抱えて生きているのだろうか。この国で「まともな」女として生きるというのは、あまりにも過酷なのではないだろうか。
どうせここまでしてたって、性犯罪にあえば、お前のせいだと言われるんだろう。
どうせレイプされるなら犯したあとにきちんと殺してくれる人だといい。
本題に入る前に少しシリアスな話題があるので聞いてほしい。
男女にイメージについて聞くと面白い。男はほぼ例外なく目を閉じても真っ暗と答え、女は半数がありありとイメージできると答える。これはなぜか?
一方男性率の高い理数系の学部ではイメージを軽視する伝統的風潮が根深い。これはプラトンから来てるのだがな。本質を直観すべきでありイメージなど些末も些末、ゴミクズ同然という考え。対する女性率の高い芸術系の学校ではイメージを尊重する。『脳の右側で描け』に始まるイメ描きの連綿たる伝統があり、ナンシー関の記憶スケッチアカデミーは今や市民権を獲得した。
ここに来て先ほどの問いの答えが見えてくる。性差よりも習慣の問題なのだこれは。そして男である諸君は驚くほどイメージを軽視している。だから真っ暗なのに輪をかけて真っ暗。糅てて加えて真っ暗なのだ。
そこで世の中の男性に活、いや喝を入れようというのが本記事である。シリアスでもなんでもないくだらない前置きは終わりにしてちゃっちゃと本題に入ろう。
煮ても焼いてもまずこれをやりなさいというのがこれ。詰将棋マニアの巷間では「ブラ詰」とも呼ばれる。早い話が目隠し詰将棋である。脳内詰将棋という蔑称、いや別称もある。
こまけーこたーいいとして大切なことだけ言うと、これには2つのスタイルがあって1つがアイマスクをして符号の読み上げを聞くものでこちらが本格的なやり方。(そもそも符号ってなんだよってレベルの人はggるなりしてください)
もう1つが手軽な方法で詰将棋の盤面または印刷された紙を見て5秒で初形と持ち駒を覚えて目を閉じて脳内で解く方法である。ほとんどの人はこっちでやったほうが身のため世のため人のため。最初は詰将棋の入門書をテキトーに購入して1手詰めや3手詰めから始めるとよろしい。
先ほど理数系のイメージ軽視に賽を投げかけたが分かってる人は分かってる。暗算が得意なタイプがそれだ。私は一流大学の数学科を出て現在底辺大学の数学科にいるのでよく分かるが数学畑では手を動かすことをモットーとする物理畑とは正反対に計算が軽視される。しかし一流の世界ともなると話は別でノイマンのような暗算の達人が割といる。数学の天才には二種類いてラマヌジャンのような数覚がずば抜けたタイプは案外少数派なんだ。数論は数学の女王。岡潔も晩年は『情緒と創造』を著している。
底辺大学だと数学は論理の学問といったことを平気で言う先生もいる。論理は当たり前の大前提であり無味乾燥なつまらないものだ。そう世間で計算がつまらないと思われてるのと同じくらいに。実際、数学ではなくコンピュータサイエンスで計算理論を学べば分かるし学ばなくてもある程度想像がつくだろうが論理とは計算であってそれ以外の何者でもない。計算も論理もつまらないそのことには全く同意するが無価値というわけでもない。忘れもしない卒業の日同級生になぜ暗算をするのかと訊かれて私は暗算で扱う数学的対象に親しむためと即答し彼または彼女はもっと早く教えてよと地団駄を踏んでいた。
数学の素養がない人たちへ。最初はアイマスクを着用せずJSやJC(俗に言う小中学生)が学んでいる幾何のパズル問題(『目で解く幾何』シリーズなど)をやり次第に他分野や高校数学や大学数学科の数学や工業系の応用数学に守備を広げる。意識高い系より意識広い系で頼む。
数学科には将棋ならまだしも美術に造詣が深い先生が結構多いがそれに比べて写真芸術に関心のある人は拍子抜けするほど少ないと思う。つまり数学的美と将棋の美はクロスオーバーするが数学的美と写真芸術の美はオーバーラップしないということだということだ。つまり詰将棋と暗算の不足分を補うのにカメラはやはり大事なんだよなあ。
芸術論において言い古された表現だが音楽は音の瞬間の芸術であり写真は光の瞬間の芸術である。だからシャッターチャンスやチラリズムという言葉が端的に表しているのは瞬間性。写真家は人物や風景をとるとき手でフレームを作る。このあたり詳しく書かれた文献が少ないがこの切り取り方には必ず意味がある。単になんとなくバランスがいいからそう切り取るのではない。シャッターチャンスという言葉から誤解されがちだが確かに瞬間のおもしろさを切り取るのが写真芸術であるが決しておもしろい瞬間を切り取るのではない。この違いが大切でおもしろいものはわざわざ写真にしなくてもおもしろいのであって思い出アルバム程度の価値しかなく芸術たりえない。つまりおもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりで、おもしろさを能動的に発見しそのおもしろさを表現するには今この瞬間しかないしかもこうフレームを切り取るしかないと断言できるのである。そんな見方を学べるのはカメラくらいしかない。数学では学べないし絵画もにているようで全く違う。写実的な絵画であれそこで必要とされるのはある種の演出でありもっと乱暴に言えば捏造であるから、あるがままの良さをうまく切り取って見せる写真的な見方とは根本が違う。
そんな見方を身につけて日常の「あれ」「おや」「あら」「おっ」と思う点が増えるとそれが理解や記憶のフックになる。理解というのは必ず興味から始まるだろう?しかし興味は洪水のように訪れて過ぎ去っていく。つまりアイデアマンはメモして興味を書き留める。だからメモする時間と労力すら惜しいのでだから「これならここが気になる」とフックをつけて興味をブックマークしておくことで未来の理解や記憶のきっかけになる。そういう面白い体験をしているんだよカメラマンという種族は。
以上簡単に見てきたがどれ1つとっても始めたその日から人生を揺るがす劇的な効果があるので試してみてほしい。また6つの方法は相補的な働きをするようチョイスされており、1つでも欠かすのはもったいないので6つ全部試してもらえるともっとうれしい。
生活保護受給者って居留守するんだね。人と関わらないからノイローゼになるのか。孤立するのが問題点なのか。おれにとっては最高の環境なのに。人と接することは嫌だよね。特に生きていることに引け目を感じていると。談笑しながらメシを食ってみたいか。俺がそういったものに執着していないのはそんなものが大していいものではないと体験しているからなのか。だとすれば俺はなかなかに恵まれている、特に孤立に対しての耐性があるという点では。布団にくるまったまま死ぬって一体どんな状況なんだろう。人が死んじゃうってそんな簡単なことじゃないとしても、簡単に生まれるから問題なんだろうな。孤立死は緩慢な自殺。自己責任論は社会無責任論というのは分かりやすい。自己肯定感の問題はなあ。なんともいえない。俺もそうだし、まったく自己肯定感が育っていない。self-esteemの問題ってなかなか分からない。社会との接点を見つける。稼働年齢層に働けっていうのは至極最もだと思う。物質的に充実していていれば、俺はほんとにもう黙っとくんだけど。生きづらさの臨界。愚痴が言える相手がいるってのが必要なのか。それこそ自分で作ってろよと自己責任論に転化されそうな条件に思える。コメントを見ても。貧困はお金がないってことじゃないにしても、俺にとってはお金がないことなのでお金が欲しい。しっかし、そうしてみると俺はお金さえあればいいんだから、運が良かったら人生まっとうできるかもしれないね。働きたくないでござる。人の役に立ててることが幸せの条件の一つ。人の役に立てなくてもダラけた生活ができればいいのだが。俺は自己責任論者にスルーされるくらいに見せかけの努力をでっちあげる必要があるな。それさえできれば、本当に俺は人生を手放すこともないかもしれないのに。
俺も東京に行きたい。東京に住みたい。地下鉄の階段にホームレスの巣窟がある。完全個室になっている段ボールがあって面白い。段ボールを持っていない人もいる。寒いだろうに。4時になったらシャッターが上がるのか。最大でも睡眠時間5時間くらいしかとれないのか。新宿中央公園で炊き出し。若者のホームレスが増加って、30歳が若者扱いになるのか。建築関係の派遣社員はきっついだろうな。俺も同じ境遇だからよく分かる。ネットカフェで寝どまりは騒音問題があるから俺には無理。残金が6円。こぎれいなホームレスだけどダサい。生活保護で8万円。低いね。簡易宿泊所を住所指定して生活保護を受給しているらしい。ヨシオ、ハローワークに仕事探しをしているフリをしにいく。生活保護のための実績作り。これ、叩かれるやつだ。都営のパス券も生活保護で貰えるらしい。炊き出し行脚なんてあるんかい。一月8万6千円。軽快なBGMでヨシオがサングラスを購入。くそダサい。センスがない。俺も叩きたくなってきた。エスニックレストランに行くヨシオ。1000円。まあ普通の値段だね。ヨシオこれによく出演したな。「生活保護は小遣い」っておいおい。そういう方向性の番組だったのか、これ。ヨシオ、すっごくチビ。次はコウジ。不況が悪いわけではなって。自分が戦うのは自分自身……あーこういうやつね。コウジ、背が高くてシャキッとしている。パチンコの清掃か。まあ楽ではないと思うけどあんまり精神はすり減ることはなさそう。つーかみんなスーツを着てホームレスやっているんだ。対極的な二人を見せるって番組構成だったのか。衝撃のラストwwwコウジが声優になってコブクロが流れたwwwwwwwwwwwwwwwwwなんだこれwwwwwwwwwwwwwwwヨシオがただのクズになっちゃうじゃねえかwwwwww
http://www.post.japanpost.jp/about/employment/
すべての事業主は、法定雇用率以上の割合で障害者を雇用する義務があります(障害者雇用率制度)
平成25年4月1日から障害者の法定雇用率が引き上げになります
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha/dl/120620_1.pdf(リンクPDF注意)
ここまでは調べてわかったことで割りとどうでもいい。
自営業でも人事部でもないので引き上げなど知ったことではない。
個人問題な問題がある。
週に4回以上は郵便局で郵便物を出し、月に2回ほどは複雑な処理をしに行く。
よく行く郵便局は大きな駅の最寄りである。(規模で言うと渋谷駅程度)
数年ほど利用すると窓口の係員の顔や名前を覚える。
ほぼ毎日行っているので5.6名は確実に覚えている。
駅の近くであり、オフィス街もあるため企業などの利用も多いので通常の郵便局よりも業務が忙しい。
しかし、障がい者なのか確認作業が何度も入り動作が遅い。(通常の郵便局員とは明らかに見分けが付く)
そして1人1窓口なのか、1人1タスクなのか誰も手伝わない。
紙袋いっぱいの書留を出されても、日本語が通じない外国人に伝票の書き方を説明する必要があっても。
窓口には整理券発行機が置いてあるが、オフィスが昼休みである12時頃は10名以上待っている。
また、16時頃も同じように10名以上待っている。
そして17時前にはシャッターを閉め客を追い出す。(ほかの郵便局ではこの方法は見かけない)
なぜ、大きな駅の近くにある郵便局に、障がい者を多く雇用するのか?
その郵便局より1駅離れた繁華街にある別の郵便局も時々利用する。
局員の平均年齢は高いが、対応は細やかで客さばきは早い。
顔を覚えないので、毎回同じ内容の郵便物を持って行っても初めて窓口を利用したかのような応答を繰り返さなければならない。
普通郵便か定形外か、ゆうメールにしたほうがいいのではないか、まとめて会計をしていいか。
ほぼ毎日通っているのに、同じことを何度も何度も聞く。
別の郵便局では3回通っただけで何も聞かずに処理をしてくれる。
変更がある場合はこちらから言うのだからその方法で何も問題はない。
また障がい者の表情は無表情に近く、処理に時間がかかる場合でも「おかけになってお待ちください」の声掛けもない。
作業が終わったら金額を告げるのみ。
障がい者を雇用したことが処理速度が下がるのであれば、せめて駅に近い郵便局に配置するのは控えてほしい。
※なお、本局勤めの郵便局員は通常の郵便局の10倍の処理速度、問題の郵便局の50倍の処理速度である。
完全に個々人の処理速度に関係している。
長年、職場のモラルハラスメントに悩んでいたのですが、つい先日いい解決法が見つかりました。
それは、とにかく録音&録画!
諸悪の根源と近くにいるときは、これ見よがしにiPhoneのボタンを押すしぐさをしましょう。
iPhoneアプリは色々と試した結果、『iTalk』がベター。
わざわざ、その人の近くにiPhoneを置くとより効果的です。
もしくは撮影でもOK。
その後は、「モラルハラスメントで訴えるぞ」と小声で呟きましょう。
基本的に「こんなことされた」とか誰かに言ったりメモったりしても、根源には響きません。
とにかく、人生をかけて相手を訴える準備をしてください。
尊厳を守るためです。
人格否定してきた奴らを近々、懲らしめてやる予定です。
働き方を巡るいろんな発言を見てて以前どこかで書いたことを思い出したので。
その集落には、90歳くらいのおばあさんとその娘さんらしき、これまた70歳くらいのおばあさんが経営する
小さな薬屋さんがあった。
私はその店の前を通って駅に出ていた。
ある中学生の少年が、朝、学校へ行く前にその薬屋さんの外で自転車を降りて、表から閉まっている店のシャッターを上げて、再び自転車にまたがって去っていく。
帰り、学校で部活でもしているんだろうか、6時ごろにもう一度この店の前で自転車を降り、外から棒を使ってシャッターを下ろして、帰っていく。
朝晩のそういう風景を何度かみたことがあり、一体これは何だろうと思っていた。
あるとき、その薬屋さんの近くの駄菓子屋さんでご近所さん同士が喋っているのを聞いてようやく意味が分かった。
高齢の親子が営む薬屋さんは近所で唯一の薬取扱店で集落では重宝されていたのだが、
そろそろ閉店しようと思うという相談が持ちかけられた。
理由は「シャッターを開けたり閉めたりすることが体力的に出来なくなったから」。
それを聞いたご近所の人が「それなら、うちの孫に朝晩シャッターの開け閉めだけのアルバイトをさせてくれないか?
孫はちょうどお小遣いを欲しがっていたところだから、その駄賃はわたしが出してもいい。一軒しかないこの店がなくなるのは不便で困る」と。
そういうわけだったのか。
田舎なのでシャッターに鍵もつけていないのだろう、少年は朝晩のシャッター上げ下ろしだけを手伝っていたのだった。
シャッターのあげおろしができなくなったんなら、誰かが手伝うわ、それでどうにか店を続けていけるなら続けて頂戴よ、
そういう話だったようだ。
その店はわたしもたまに利用していた。
売り方も買い方も独特。
例えば「バファリン、ください」というと、
90歳くらいのおばあちゃんが「はぁ、どれですかな?」と聞くので、わたしは「これです」とガラスケースから指を指す。
「これですか?」「はい、そうです」
少しお耳が遠いようで、商品名を早口でいうと分かりづらいようだ。
希望の商品を取り出してくれたおばあちゃんは、「これ、いくらになってますかな?」と買いに来たわたしに聞く。
バファリンには、大きく油性マジックで「930円」などと書かれてある。
眼が遠くなったおばあちゃんに値段がわかるようにこうしてあるのだろう。
店の奥ではもう一人の70歳くらいのおばあちゃんがこたつの前に積み上げた商品を手にとってなにやら書いているのが遠くに見えた。
「930円って書いてありますけど」というと
「はあ、じゃあ930円です」という。
で、1000円札を出すと「おつりは幾らですかな?」と聞かれ
「70円です」というと、
「はい、おつり70円です。合ってるか見て下さいな」と言われるので
わたしがその場で釣銭を数えて
こういうやりとりを実際にしていた。
けれど、100%完璧にできなくても、助けてもらいながらなんとか仕事を続けられる、というのは
とても大事なことじゃないかと思う。
様々な障害のある人の就労の機会のことが議論される。
わたしたちは何事にも完璧さや合理性、スピード、質の高い接客など、多くを求めがち。
でも、100%完璧なことができなくても、なんとかなる部分はもっとあるんじゃないかと思う。
わたしはこの田舎には5年間近く暮らしたが、ある年のの寒い冬に前を通りかかると、
お二人のうちのどちらの方が亡くなられたのか分からなかったが、
その後その店のシャッターは上がらなかった。
ほどなくして私はそこから転居してしまい、この出来事もすっかり忘れてしまっていたのだが、
数年まえに20年ぶりくらいにそこを通りかかる機会があり、今ではタイムズに代わっている元薬屋さんを見て
懐かしくこのことを思い出した。
なんでこういう㌧デモ発想が後を絶たないのか。
実は現在の日本国において、盗撮する行為そのものを規制する国の法律は軽犯罪法しかない。
しかも軽犯罪法は罰則自体が軽い上、『人が通常衣服をつけないでいるような場所を』だから、街中でスカートの中を盗撮とかは取り締まれない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO039.html
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
盗撮するとどんな罪になるかというと、結構多いのが住居侵入罪だ。
だがもちろん、これは『盗撮するために不当に侵入したこと』を罪に問うているのであって、盗撮行為そのものを罰しているわけではない。
(何か『どこに入ると罪になるか』については若干の議論があるらしいが、ここでは触れない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%B1%85%E4%BE%B5%E5%85%A5%E7%BD%AA
だが一方で、街の雑踏を撮影し、それをコンテストに出したり自分の作品として発表するのがカメラマンの既得権になっている部分もある。
ではブログにアップするのは、そのブログにアフィリエイトがあったら……ということについてははっきりいって、法律の整備が追いついていない。みんながカメラ付き携帯電話を持つようになってまだ十年ほどだ。
(個人的疑問だが、「放送事故映像集」のような本がよく出版されているが、ああいう本こそ肖像権を取って出版しているのだろうか? 不思議だ)
http://www.geocities.jp/masakari5910/houritsu_j4.html
第五条
何人も、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゆう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。
第八条
次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 前項第二号(第五条第一項に係る部分に限る。)の罪を犯した者が、人の通常衣服で隠されている下着又は身体を撮影した者であるときは、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
この項目に引っかかり、1年以内の懲役または100万円以内の罰金になる。逆に言うと、『入ってはならないような場所以外で』『通常衣服を着けない場所以外を撮影したのでなければ』条例しか取り締まる法律がないので、飛行機の中で盗撮があった場合はただちにそれが何県の上空で行われたのか特定しないと罪にできない。
(参考リンク) http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734331.html
さらに言うならば、一部の県の迷惑防止条例には、重大な欠陥がある。たとえば岡山県。
第二条
2 何人も、婦女に対し、公共の場所又は公共の乗物において、婦女を著しく羞しゆう恥させ、又は婦女に不安を覚えさせるような卑猥わいな言動をしてはならない。
婦女に対し、である。男に対して羞恥させても軽犯罪法にしかならない。
千葉県などはこの手の条文の後に「男子に対して行った場合も同様とする」ような文言があるが、一部の県ではそれすら存在せず、男性を羞恥させても軽犯罪法にしか触れない県が岡山県以外にも複数存在する。
この「著しく羞恥」も基準が曖昧だ。スカートの中などが犯罪なのはともかく、寝顔を撮影して捕まった事例があるがそれは本当に「著しく羞恥」なのか。逆に女性が「キモイのがいた」のように男性をブログなどで晒し上げるのは迷惑防止条例に触れないのかという疑問はある。
岩手県が「ソーシャルネットワークサービス(SNS)などによる嫌がらせも規制対象とする。」と書いているのもそういうことだろう。恥ずかしいシーンを撮影したのでなくても、晒し上げるのを罪にしたいという意図は分かる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131117-OYT1T00640.htm
> 盗撮行為を厳しく取り締まるため、カメラを下着などに向けて差し出す行為自体を禁止。現行の条例では対応できないソーシャルネットワークサービス(SNS)などによる嫌がらせも規制対象とする。来年3月の県議会定例会での可決を目指す。
> 同条例は1999年の施行で、ピンクビラの配布を禁止するために2006年に一部改正された。ただ、IT技術の発達などで悪質・巧妙化する最近の犯罪には対処が難しくなっていたため、2度目の改正に踏み切ることになった。
> 見直されるのは、〈1〉盗撮行為の取締対象を拡大〈2〉電子メールの連続送信など、多様化する嫌がらせ行為を禁止〈3〉罰則の強化――の3点。
>>>>>
以下、追記
トラバ、ブコメありがとうございました。もげろありがとうございます。
それと気分を悪くされた方は申し訳ない。
幸せになる方法はひとつだけじゃないです。結婚だけが解、という時代ではないでしょう。
ただ私が独身の時、結婚や恋愛に関してポジティブな情報に飢えていたのを良く覚えているのです。凄く検索もしたし、誰かに教えて欲しくて、会社の喫煙所で先輩に聞いてみたりもしたのだけれど集まらなかったんですよね。希望を持てるような情報を誰か与えてくれないかな、と探していました。
でも、考えてみると、こういう情報って個人と紐づくと、なんだか恥ずかしいものですよね。 そんな訳で増田があって良かったな、という次第。 元増田も別に婚活やめなくていいんじゃないかな、ブコメみると「自分もお見合い結婚で満足した口。しかも人の紹介じゃなくて、大手結婚紹介サービス会社で。」なんて話もありますし。 もちろん辞めてもいいんだけど。
某爺では?という指摘、敬愛する爺に間違われるのは光栄だなぁ、と1人でニマニマしてました。彼は著書によると4人の子持ちだったような。マジかよ。それ平成か?って数ですが。 あと彼もそれなりの年齢ですので、子どもいても赤ちゃんって事はないかな、と。間違いではあるのですが、ありがとうございます。
それと、「お見合い」というフレーズを聞くと「鹿威しがカポーン」な空間かな、と思っていたのですが、私の場合、親戚の紹介で東京駅地下の喫茶店でお食事でした。ので、お見合いが高貴な感じばかりかというと、違うケースもあるという事で。
ガルパンの件ですが長くなるので省きました。話題になっていたのは知っていたのですが気づいたのが出発前日(旅行にあまり興味がない)で予習なしで現地に。 なので、また冬に行く予定です。嫁さんの今度のターゲットはあんこう鍋。
それと好感度はもちろん高いですよ。 ただ、なんというか、アニメを見だしたのが移動中の電車の中でyoutubeという体たらくっぷり、あぁ、でもLTEにして良かった。ホテルが大洗シーサイドホテルでタクシーでホテルまでの道のりで高まる期待、チェックイン。嫁さんも「私と○○はせっかくなんで少し休みます。海の音も綺麗だし。。。 街に行かれます?」というので、街へ。
ただ現地でも「ごめん、僕はまだ全部みれてないんだ...」「ごめん、凄くニワカなんだ...」と思いつつシャッターを切ってました... やはり見てないと撮るにしてもアングルが良く分からないんですよね。当たり前ではあるのですが。 冬までに予習して再戦。
あんこう鍋の話も聞きたい
嫁さん的には大洗がいろいろと気に入ったみたいです。
アクセスのしやすさ、ホテルの対応、子どもに優しくしてくれたりとか、雰囲気。あと私がなぜかアクティブに外出しだしているのが。
で、また来たいな、と思っていて、調度良く冬の味覚として、あんこう鍋が。
私も食べたことがないので期待しています。
「さんさん録」てあんた不吉な... / 見合い婚だと「○○さん〜でしょう?」とか小説みたいな話し方してくれるの?悪くないな
敬語は私から始めました。 夫婦間の喧嘩の状況を検索してみると、どうも言葉遣いが問題で喧嘩になってるようなケースが多かったので。
例えば「○○もやっといてやったぞ」って言われるのと「○○も済ませておきましたよ」は違う印象。
「コーヒーいれてやったぜ」と「コーヒーが入りましたよ」も違う。という訳で私から開始。
気分は「姫と爺や」。 王子様ってガラじゃないですし。
姫には「なんか世の中の喧嘩って大抵ことば遣いで始まるような気がするんだよね」「僕は丁寧語で怒られると素直になる。喧嘩にならないと思う」と説明して開始した。
全部の会話が丁寧語ではないですが、面白いですよ。ふとした嫁との会話で萌える。
あと丁寧語で怒られても萌える時がある( 嫁の方はもちろん自分が萌えキャラという認識はない。私も言わない)
そういえば嫁に萌える日が来るとは独身の時には思ってなかった。 萌えって2D限定な印象がありました。
ああいう時、さりげなく回転に加われるのがイケメンなんでしょうね... 非モテから来ました。
とっさにできるのは見るばかりで。
そそそ、そうなんですよね。頭の中で、シーンが数点はしったり、コンテキストの中のココ?!みたいに思い出されたりする。うろ覚えなんですが。
で、現実の彼女が過去見たアニメや漫画のシーンで少しデコレーションされる感じ。
という事もあるので、惚れっぽいのかも。
ぐは、いい動画。 あと矮小化ってことはないんじゃないかな。 2Dであれ3Dであれ受け取ったインパクトが大きければ、それは素敵なことだと思いますよ。