たとえば、彼女の写真を撮ったらキレイに撮れた。
それは作品じゃなくてキレイに撮れた記念写真だ。
っていうのを読んだのだけれど、そうかなぁ…。
そこに作者の思いがなければ、それは作品ではないって書いてあった。
私はちょっと違うと思う。
ボタンを押すだけで誰にでも撮れてしまうのが写真だけれど、
そこに想いを込めるか否かではなく、それを作品として掲げるか否かだ。
言ってみれば、ある風景を見て構図を決めて設定を決めてシャッターを押す作業と何ら変わらない。
写真を見てそれを良しとして作品として提示する。
記念写真としてアルバムに貼るか、作品としてギャラリーに展示するか、モノは同じでも基準が違う。
子供が書いた絵も、アウトサイダー・アートと言われるものも、作為は関係がなく、それを作品として世の送り出せば作品なんだ。
そこで責任というのが生まれるのだと思う。その責任を負う覚悟も含まれているのだと思う。
Permalink | 記事への反応(0) | 13:52
ツイートシェア