はてなキーワード: 交流とは
でもさ、人間関係で詰んだ系のいじめ(体育でペアになってくれる子がいないとか、お友達がいないとか)ってさ、運悪くそこのコミュニティの多数派とは合わなかったってだけじゃん?不動産ゴリラの集団に陰キャオタクが混じってしまったとか、逆に陰キャオタク集団に不動産ゴリラが混じっても友達はできなくて辛いだろう
そういう場合は俺はいじめられた側が学校を去って家とかで教育を受けたほうがいいと思うんよね。間違ってる不動産ゴリラ集団に入っちゃったらささと辞めて転職する的なね。同じような子たちとフリースクールとかインターネット上のコミュニティで交流して集団での過ごし方を学ぶ
ある日突然、作品が消える。
消えたソレはもう二度と戻らないと思っていい。
気が変わったのか。
ジャンルが変わったのか。
転載されることを避けたのか。
いや、消せるのだ。作者の意志によって。
絵描きさんの中には「自分の絵を(PCやスマホのメディア欄に)保存しないで」とおっしゃる方もいる。
しかし私はこっそり、そのかたの名と、ツイッタアカウントをタイトルにしたフォルダを作り、日付を絵のタイトルにして保存している。フォルダにツイッタアカウントまで記載するのは、ハンドルネームが同じ方が多数いらっしゃるからだ。(特に「おもち」という名の方は、各ジャンルにわたって多数いらっしゃるとお見受けする)あと、ふと思い出した時にアカウントで検索できるようにだ。
無論、転載や転用などはしない。ごくごく個人的に楽しむための保存であることは言うまでもない。
時折見返してはニヨニヨする。
ああ、この方がこんなの描いていらしたなあ、と懐かしく思い返す。
もうこの方はジャンルを移動されたんだよな……とおセンチになったりもする。
続きはないのかなあ……と虚しい思いにも駆られたりする。
ジャンルごとに分けてあるから、好きになるジャンルが増えるごとに、ファイルは増える。好き作家さんも増える。もう私のPCの容量はギリギリである(自業自得)。
好きな字書き様がいた。私も字書きではあるが、彼女の作り出す世界観と空気感は私には作れないものだった。ただただ、憧れ、崇拝し、何度も読み返した。
ツイッターを始めた彼女と繋がり、色々と意見を交換した。世代が似ていて、読んできたものも通ってきたジャンルも似ていて、とても意気投合した。
私は狂喜乱舞した。
夜になると毎日のように彼女に絡み、また彼女も絡んできてくれた。
私は浮かれ切っていた。このまま彼女と二人、推しCP(極少💦)を盛り上げてゆこうと思っていた。
しかし。
でも、支部の作品は残しておく――と約束してくれた。私はその言葉を信じた。それからも何度も彼女の作品を読みに、支部に通った。ずっとずっと、通った。
それから数か月後。
支部のプレミアム会員になったので、整理のため一時、作品を非公開にする。表紙を差し替えてまた公開する……とあり、実際彼女はそうした。
それでもいつかは公開してくるものと信じ、私は根気よく待ち続けた。
話は前後するが、彼女と交流があったとき、盛り上がった話題があった。
「小説を印刷して、赤ペンで添削(というか萌え感想)書き合おうか!」
結局それを送り合うことは無かったけれど、私は彼女の当時の最新作を一作、プリントアウトしていた。
そうだ――消える前にこっそり保存させて貰おう。絵描きさんのイラストと同じように。
決して中身をパクったり、文体を真似たりはしない。というかそれは字書きである私のプライドに反する。
私はその当時公開されていた彼女の作品のほとんどを、コピペしてメモ帳に保存させてもらった。
惜しむらくは……推しCPとは別のCPの作品と、パラレル話の保存を後回しにしたことだ。あの作品も本当に好きだったのに……。しかし後悔は先には立たなかった。
しばらくプライベートで多忙にしていて、彼女のアカウントへ訪問する足が遠のいた時期があった。
そして久方ぶりに訪ねてみると――ページはそのままに、中身はガラリと入れ替わっていた。
前ジャンルから殆ど更新が無かったために、放置状態か、別のアカウントでも作ったのかと思っていた。でもそうではなかった。
多分彼女は、別のアカウントでツイッターに復活し、こつこつと別ジャンルの小説を書き、活動を続けていたのだ。そしてこの度、それらを上げるにあたって、前ジャンルの作品をすべて消去か非公開にした―――。
頭を打ちのめされた気がした。
目の前が真っ白になった。
全身から血の気が引いた。
手が震え、唇が震えた。
息が詰まった。
ああ、もうあの作品たちは帰って来ることは無い。
このページに。
私には決して書けない文章。
思いつかない展開。
私が愛してやまなかったあの作品たちは……もうWeb上には存在しないのだ。
彼女の垢を、それでも私は覗きに行った。行っても私の好きだったあれらの作品はもう無いのに。
私は自分が知らない作品や嗜んでいない作品には、いくら仲がよい人のかいたモノでも反応はしない。彼女の移ったジャンルの作品を未履修だった私は、目を通しもしなかったしブックマークもしなかった。また、彼女の現在のジャンルを履修しようとも思わなかった。沼るのが怖かったのだ。私は今のジャンルで(創作の)骨を埋めようと思っていたから。他のジャンルに目移りするわけにはいかないと思ったのだ。
それから約2年後。
半年、という短い交流ではあったが、彼女の性格はその端々にあらわれていた。
潔いのだ。
ダメだと思ったもの、必要ないと思ったものは、未練を残さずバッサリと切る。職業柄、身バレしないため、という自衛もあったろう。既婚者でお子さんもいたが、結婚指輪すら普段着けないからと仕舞いこんで「数年ぶりに出てきた」とおっしゃるような方だった。そんな大事なものにさえ、未練も執着も無いのか……と少々驚いたものだった。
対して、私は未練がましい性格だ。
現在の私の支部のページには過去ジャンルの作品も残っているし、ツイッターのアカウントのフォロー欄も雑多すぎて自分でも呆れる。
私はモノを溜め込むタイプの人間なのだ。四半世紀以上前の同人誌すらも捨てられない。彼女とは正反対の性格なのである。何一つ捨てられない。
思い知った。
消えて欲しくないものほど、消える。
ある日、綺麗に、さっぱりと。
支部の自分のブクマを見返した時にぽっかりと空いたスペースを発見し、息が止まる。
でもタイトルも何も情報が無いゆえに、何が消えたのかわからない。
そういうもどかしい思いを、誰しも一度は経験したことがあるだろう。
好きだったはずの――何か。
心動かされた――何か。
でもそれが何だったか思い出すことが出来ない。
だから。
私たち読者が、イラストも小説もこっそりと保存することを許していただきたい。
決して悪用はいたしません。無断転載も、パクリもいたしません。
ただただ、私の心を満たすためだけの保存です。
公式、二次、共に供給が少ない……いわゆるマイナーと言われる我が推しCPの、数少ない作品たちを……うちのPCちゃんに保存することを、どうか許して欲しいのです。
もう一つ、贅沢を言わせていただければ。
マイナーなCPの民にとって、作品数が減ることは何よりも痛いからです。
この数年の間に推しCPから去られた方、アカウントの更新が無くなった方も多数おられます。その他たちにとって、過去作は黒歴史かもしれませんし、必要ない作品になっておられるかもしれません。
しかし、新規でこのCPに来られた方にとっては、あなた方の作品は、先人の残した宝であります。
私はこのジャンルと推しCPに在住して数年になりますが、公式で連載が終わった後でもこのジャンルのこのCPに来てくださるご新規さまは、いまだ居られます。ジャンルを去られたかたにとっては過去のジャンルでも、ご新規様にとってはいま最も熱い、ホットなジャンルとCPなのです。
かつてお好きだったそのジャンル、そのCPの今後のために、どうか残しておいていただきたい。
無断転載や嫌がらせなどを受けて消去される場合は致し方ないとは思いますが……。
何卒、お願い申し上げます……m(__)m。
大した価値のある文章でもないし畢氏の考えとも何の関係もないです
この件は自分で真偽や詳細を確認していないので、あまり正しい応答は出来ていないかもしれない…
支援する方がむしろ過激派の勢いを削ぐだろうという主張は上に書いた通りだ。
それから、(祭り前の畢氏を含め)大量の狂ってしまった人がフェミニズムの看板を掲げていることは間違いないが、本来のフェミニズムは別に狂った思想ではない。
あなたがそう思うのも表明するのも自由なのでしてもらって構わない。
ただ一応書いておくが作者やファンに直接言うのは品のある行いではない。
巷のごく一部で話題の「アイの歌声を聴かせて」を見たので、表題の件について、私の狭い観測範囲(vivyとか見れていません)の中で例を挙げて書いてみる。ネタバレアリなので注意をお願いします。
他にもこういうのは良かった悪かったというものがあれば教えてもらえるとありがたいです。
テクノロジー描写についてはよく出来てたと思うが終盤は感動で押し切っちゃえ!感がどうにも否めない。2回目見ると1回目感動したところでこれいいのか…?となる描写がちらほら。
アイが最終的に衛星からネットワークにつながったありとあらゆる機械を操作し放題オチとシンギュラリティ疑惑でこれを思い出した。
ぶっちゃけコロナの影響という言い訳をしたところで話そのものが途中からガッタガタなのであまり良い例とも言えない気もするが見た人も多いと思うので書く。
とにかくAIがやる必要のない仕事ばかりやっている点が目に付く。
AIがトレンドだし出してみるかみたいなノリ以上のものではない。AIはマスコットキャラクターになっているのも正直センスが古い
昔からAIと人間の交流でドラマを作るといった話はよく出ているが、昔と今とで違うのは「ラーニング」といった要素が取り込まれている点だと思います。
ロボティクスとAIをごっちゃにしがちなのは今も変わりませんね。ここをきちんと分けるにはネットワークのお勉強も必要だし何より直感的にわかりにくい、人を選ぶ内容になるので仕方ないところもあると思いますが。
スマホの普及と同時にネットの普及はそれはもう凄まじき速さで拡大していった。
snsで人との横の繋がりは増え、検索サイトも充実、さぞ便利な世界になるかと思ったが現実は真逆
まず人との交流、snsで興味のあるなしが関係なく情報が全て流れてくる
みんなで繋がってみんなで共有🤗仲良しこよしなんてできればいいがまあ人だ、どうしても合う合わないはある、そしてどれだけ見ないようにしたところで、一度気になったものを人は見てしまうものだ。
LGBT、ジェンダー、フェミニスト、ヴィーガン、など色々な言葉が生まれたがその度に争い、傷つけあった。
結局棲み分けが大事なのだ、しかしネットはそういう環境が整えられているわけではない、結局の所自分の合うやつとちゃんと合って友達作りをすることが大切なんだと気づいた
次に検索サイトだ。日々検索サイトは増え、情報を探す上で便利になったと思われたものは真逆の方向をたどり、アフィの巣窟となってしまった。
開いた瞬間に溢れ出る広告、中身のない画像、情報、特段得られるものがないまま最後締めくくられるのがいかがでしたか。
いかがもクソもねえよぶん殴るぞ。そして気づいた本の大切さを。もちろん間違った情報は本にもあるかもしれないが上記のサイトに比べれば遥かに信用度が高く内容も濃い
だが本も毎回買っているようでは持たないそこで価値が上がってきてるのがタイトルにある図書館だ、無料、無料だ、なんていい響きだ。
スマホがもたらしてくれた恩恵は確かにあったが実質的にストレス社会をより強固なものにしてしまった感はある。
スマホで満足する人はPCを買わず増々IT後進国となるおまけ付きだ
性教育。
悩ましい問題だ。
私は40年以上生きて、今を生きる若い人たちに知って欲しいことがある。
それは、性と無縁に生きる人のことだ。
性教育といえば、男性と女性が関係を持って子供ができることや、
相手(異性同性問わず)と関係を持つことがあたり前のように語られる。
だが、私は教えたいことがある。
生きていても良いという事を。
私は40年以上生きているが、
ずっと、世の中に違和感を持って生きてきた。
女性は男性から狙われやすく、性被害の対象になりやすいから、気をつけましょう、
っていう教育を受けてきた。
もうこんな年齢なので、子供ができることもないだろう。
なにもピンとこなかった。
でも、私はターゲットにされなかった。
そうやって、世の中の男性から一度も女性として見られることがなく、
まあ、もうすぐ、閉経を迎えるのだろう。
ここまで自分の人生を振り返って、ただただ虚しく悲しいだけだ。
女の人が普通に生きるように、
時には無残に殺されたりということがないのだろうかと。
私は、そんなに、女としての魅力が欠如しているのかと。
だから、性行為やそれに伴うあれこれとともに、どうしても教えてあげたいことがある。
性の対象として扱われなくても、
ある程度生きていくことはできるし、そういう人は何人もいるし、
もしあなたが性の対象として誰ともなんの交流も持たず死ぬことになっても、
あなたは悪くないよ、って
どうしても教えてあげたい。
女性はか弱く、美しく、魅力があり、
私はずっと、自分なんて生きている価値がない人間だと思っていた。
でも、私のような人間もいるのだから、あなたも生きていていいんだよと、
言ってあげたい。
どうして、
どうして今までそう言ってくれる人が居なかったのだろう。
もし、私のように、男性から性的に扱われない女性がこれを読んでくれたら、
そのままでいい、仕方ない、そのまま生きて行こうよ、一緒にって、
言ってあげたい。
もし、私のように、女性から性的に扱われない男性がこれを読んでくれたら、
もちろん、そのままでいい、仕方ない、そのまま生きて行こうよ、一緒にって、
言ってあげたい。
どうか、この言葉が、私と同じような悩みを持つ人に
一人でも多く伝わればと思う。
性は当たり前のものじゃない。
大切にしたくても、そもそも持ち合わせていない人もいる。
それでもいいじゃないか。
あしたも、ひとりで、生きて行こうではないか。
清廉なこころのあり方と幻想的な描写、というイメージで語られることが多い作家だと思うが、まだあまり作品を読んだことがない人で、このぐらいの理解でいたら、損をしていると言いたい。
宮沢賢治の良さは他にも、観察眼を突き詰めると対象への愛情とともに冷徹さを伴う好例のような、少し寒気がするほど容赦のない描写や、人を食っているとしか思えない異様な会話劇があって、これはサンドウィッチマンの文字起こしされた漫才を読んでいるのと同じくらい笑える。みんな読んだらいいと思う(『気のいい火山弾』『毒もみのすきな署長さん』がおすすめ)。
…
さて『ツェねずみ』だ。
これも宮沢賢治の短編で、ある種の人間とそれが引き起こす不幸のことを、他の文芸作品では触れた経験がないぐらい明らかにしており、衝撃だった。
…
ツェねずみは要領が悪い一方で欲が深く、性格がねじ曲がっているので、誰かから親切を受けても、「もっと自分のためになるように優しくすることもできたのに、それを怠った」という考え方をするため、みんなから死ぬほど嫌われていた。
本来なら恩を受けた時点でプラス(という表現もアレだが)のはずが、工夫次第でもっとプラスにできたはずのことを、そうしなかったので実質マイナス、というのがツェねずみのロジックだ。
ツェねずみが自分の理屈をどう考えているのかは書かれていない。
宮沢賢治がここに意識的に言及していないのかはわからないが、明示されていないことが実に効果的だと思う。俺は、「最初は自分でもムチャな理屈だと思っていたが、言い続けているうちに世の中がこれで渡れることがわかったので、次第に正気を失ってきた」と読む。
…
そんな中で、唯一ツェねずみに優しく接するものがいた。「鼠捕り機」だ。
宮沢賢治の作品では、物体でも機械でも平気で人格を持って話し始めてしまう。木の柱だとかバケツだとか、そういうものだ。
他の物体がツェねずみに嫌気がさして付き合いをやめていく中、鼠捕り機だけはツェねずみと仲良くしようとする。
その理由は、鼠捕り機が(宮沢賢治の時代でさえ)人間社会にはもう不要、という扱いになっており、邪魔者とみなされていたので、鼠捕り機も他に親しく付き合える相手がいなかったからだ。
鼠捕り機は自分に仕掛けられた魚の頭やハンペンを、あえて罠の扉を閉めないことで、ツェねずみと交流を持つ。本来的には殺される者と殺す者という構造であったはずが、ねずみの強欲(と狂気)、鼠捕り機の孤独によって、いびつな友好が成立する。
…
悲劇は、ツェねずみの尊大さに制限がかからなかったこと、そして、鼠捕り機の忍耐が特別優れていたわけではなく、通常の寛大さしかもたなかったことで生まれる。
ツェねずみは、相手が機械の本分を放棄して食べ物を与えてくれているという、ある種の奇跡が自分に起きていることに気づかない。この幸運をどん欲に消費し、さらに良い物を鼠捕り機に求める。相手をののしることさえする。
あるとき、鼠捕り機はののしられて一瞬われを忘れ、罠の扉をおろしてしまう。ツェねずみは閉じ込められ、お互いは本来の、殺される者と殺す者の関係に戻る。
…
鼠を殺さない鼠捕り機、という存在は非常に奇妙だ。まともに生きにくい変わり者であると同時に、現代社会風で言えば「意識が高い」「キャラクターが立っている」という考え方も、できなくはない。
ただ、自分が変わっていることを自覚して、それを生きる上での背骨にしてやっていこうとすると破滅が起きる。
変わり者は、自分が変人だと知ると、まるでこれが一種の才能と考えたくなりがちだが(個性が重視されるはずの現代ではなおさら?)、実際は関係がない。世の中的には本当はなんの意味もないことだ。
なので、「変わり者として生きていこう」という目標は基本的に破綻するさだめにある。
社会からは、なんでもいいから普通にやってくれ、と要求されるし、より強大な理由としては、変わり者自身の中にもちゃんと「普通」の部分があるからだ(鼠捕り機でいう罠としての本分)。
社会と自らの内側の本性によって、人間は結局、まともに生きていかざるを得ない。鼠捕り機でいえば、優しかろうが意識が高かろうが、罠は罠らしく獲物を殺して生きていくしかない、ということだ。
…
対象が親しい人間でも漠然とした世の中全体でもいいが、基本的に自我というのは、幸運をあり得ないものとして感謝するのをおこたりがちで、むしろそれを平時のベースとして、さらに豊かなものを求めようとする。
要求する相手が生身の人間だろうと、社会という概念だろうと、いずれにしてもこんなことはいつまでも続かないので、いつか破綻を迎える。
自分の望むものが度を過ぎていたので客観的には不幸でもなんでもないが、こういう「幸福を幸福として認識できないバグ」が心理に埋め込まれていることが、別の意味で「不幸」ではあるかもしれない。
…
おそろしいような気がすることとして、ねずみと鼠捕り機のカップリングは、ある種の人間関係として、友人・恋人・家族同士の間で、思いのほかこの世で多く起きているような気がする。
たぶん社会のあちこちで、「自分には特別な才能があるから少し変わった生き方でもやっていけるし、罠としての本分を超克して目の前のねずみと生きていける」と錯覚した鼠捕り機と、「まあこれぐらいは相手に要求しても飲むだろう」と思い込んだねずみが、ある日双方のブレーキとアクセルをぶっ壊して悲劇を生んでいる。
また、俺が自分で感じたように、一人の人間の中にも、ねずみと鼠捕り機の両方が住んで同居している場合がある。宮沢賢治の『ツェねずみ』を、俺は『気のいい火山弾』と同じでサンドウィッチマンとか千鳥の漫才の台本とおなじくらいのつもりで読み始めたが、人間の本性と世界との関わり方の運命的な破滅についておそろしく冷徹に書かれていて感嘆した。すげえと思う。
…
難しいのはねずみと鼠捕り機の関係で、鼠捕り機は自分の忍耐が切れて相手をとって食ってしまう前に相手から距離を置いた方がいいと思うが、人間という存在の希望も美しさも、鼠捕り機が自分の本性を乗り越えたり、周囲から押し付けられた役割を放棄して世の中を意識的にサヴァイヴしていくことで描かれがちだということで、実際それに成功した人は素晴らしいと思うし、この辺は正直どうにもならんのかな、と思っている。
男からすると当たり前の話でずるくも何もない、と思う一方で、こういうケースが普通にあるのだから女からするとずるいなあって話なんでしょう。
逆恨みって程の話でもないでしょう。されたからってあなたに何か損失を被る事でもありますか?そんなに突っかかる意味がどこに?
そもそも貴方が纏わりつくようにずるくないと突っかかるから嫌がってる人がいるんですよ。人が嫌がる事をしないでください。
あと、自分から突っかかってきた挙句消えろと言い放つ貴方が嫌な事をしてるって自覚もありますでしょうか。もう一度お考え下さい。
それとは別に私としては別に性別明かさなくても話自体は出来るのでTwitterや自分で描いたり、
好きな作品の共有や、女児ゲーするなどで積極的に交流を持ってみるといいのではないかなと。
ずるいかもしれませんが手をこまねくより何か――場に飛び込んでみる。
でもお前低層階の住人と交流ないじゃん
単に自分の器が小さいという話なのだが、胸のモヤモヤが未だに晴れないので吐き出すことにした。
細かいところはフェイク入れたりうろ覚えのまま書くので、もし特定できたとしても突っ込まないでいただきたい。
「推し」というほど熱心ではないが応援している男性Vtuberがいる。メンバーシップに登録してなければスパチャを送ったこともなく配信にコメントすらしない身で何だが、回りくどいので以降、彼のことは「推しVtuber」と表記する。
「1〜2週間ほど多忙になるため配信が出来なくなる。その代わりに、期間中は録画しておいた動画をアップするので見てくれると嬉しい。多忙の理由は終わった後に配信で話すよ。」といった内容の配信であった。
①結婚報告
告知配信がどうにも思わせぶりで匂わせの気配を感じ取ったので、恐らくこれだろうと思った。言葉ではなく雰囲気だけなので確証は無い。でもそんな気がする。
推しVtuberはネットリテラシーが高く、私が知る範囲では恋人の有無および既婚・未婚の言及も匂わせも無かったし、仲間内の配信者やVtuberがそれに言及することもなかった。
まあ、彼の全配信を見ているわけではないのでどこかで言及していたのかもしれないが、少なくともツイッターは全ツイート読み返しても出てこなかった。(※別にストーカーするつもりはなく、ツイート数があまり多くなく全ツイート遡れてしまっただけだ)
私はただのファンでありガチ恋勢でも夢勢でもない。推しVtuberのファンになったのは彼の人柄に依るところが大きかったので、あの人柄で恋人いないわけがないんだし、発表したらお祝いのコメントでもしようかと構えていた。
推しVtuberはとある創作活動をおこなっており、それ関連の準備のため多忙であるという説。
以前にも大型の合同企画があった際、企画公表前の配信頻度が減っていたという前例がある。そのときは告知などなく、最近配信しないなあ〜忙しいのかなあ〜と思ってたら企画が発表されたって流れだった。
前述した匂わせの気配が自分の気のせいだったのなら、こっちだろう。推しVtuberの創作物も大好きなので、それならそれで楽しみだと思った。
③出産報告
正直これは大穴だと思っていた。正解だったけどな。
だって既婚か未婚か公表してないのに、いきなり出産報告する?芸能人だったら炎上案件だよね?いやVtuberなんてほとんど一般人だから当てはまらないだろうけど。
そもそもネットリテラシー高くてそこのところきっちり隠してきた人が、いきなり出産を機にオープンにするだろうか。いやでも赤子の声が配信乗るかもしれないから、するかもしれない。うんまあでも出産報告は順番が違うから結婚報告だなうん!
今思えば何故か根拠の無い自信で、これは無いだろと思い込んでいたのが自分でも不思議である。
そして告知配信から1〜2週間後、『そこそこ重大なお知らせ』と題した配信の予告が発表された。サムネはよくある重大発表の感じで、そこから内容を推測することは難しい。
しかし予告の数日前、推しVtuberはツイッターで何か良いことあったんだろうな的な匂わせツイートをしており、裏で事情を知っているのであろう仲間内の配信者・Vtuberから祝福のリプライを複数貰っていた。私は③の予想をしていたことなど忘れ、やっぱり①で確定だなとタイムラインを眺めながら思っていた。
時間の都合が悪く、重大なお知らせ配信はリアタイすることが出来なかった。配信が終わったであろう時間帯にどれどれとツイッターを見に行き、驚いた。配信終了のツイートと共にアップされていた差し替えサムネには『赤ちゃんが生まれました!』の題字と共に、推しVtuberが赤子を抱き抱えるイラストが描かれていた。
お、おおお…そうか…③だったのか…そうか…おめでとう。どうしてか素直に祝えなかった。胸の内がモヤモヤする。何でこんな気持ちになるのかわからんが、恐らく自分の器が小さいからなのだろうと自己嫌悪に陥る。
それからしばらく、私は重大なお知らせ配信のアーカイブを見ることが出来なかった。たぶん見ることで推しVtuberを応援できなくなってしまう可能性があったからだ。
そのうちだんだん、このモヤモヤする気持ちを誰かに聞いて欲しい気持ちが湧いてきて、それならちゃんと配信を見た上で話をしなきゃフェアじゃないと思い立ち、ようやくアーカイブを見ることが出来た。
推しVtuberは普段穏やかな人柄で、重大なお知らせ配信でも特に浮かれはしゃぐ様子もなく、ほぼいつも通りの雰囲気だったので何となく安心した。モヤモヤがちょっと薄くなった。思えば、マタニティハイで性格や人柄が変わってしまった人を見てきたことがあったせいだったのだろう。推しが豹変してやいないか不安だったのだ。
コロナ化での出産は色々大変だっただろう、配信を休んでいた間は病院に通い詰めだったんだねお疲れ様、母子ともに健康のようで良かった、おめでとう推しVtuber。そんな気持ちでアーカイブを見終えた。たぶんこれからも私は推しVtuberを応援できるだろう。ちゃんと見て良かったな、と少しスッキリした。
しかし、胸のモヤモヤが全て晴れることはなかった。そこから数日モヤモヤし続けて、ようやくこのモヤモヤを言語化出来たので以下に書いていく。
出産報告って『重大なお知らせ』って改めて配信しなくちゃいけない報告?
最初の『今後の配信について』で多忙の理由として話しちゃダメだったのだろうか。「奥さんの出産予定が迫っているのでしばらく配信できません。無事に出産が済んだらまた報告するね。」で良かったのではないだろうか。
交流のある配信者・Vtuberには事前に全部話していたらしく、その上で発表があるまで全て伏せて貰っていたそうだ。同業者には話すけど視聴者には発表まで伏せる。何だか出産が配信の企画みたいになってるような気がするのは、私の考えすぎだろうか。
第一子ということもあり、推しVtuberの人生にとって大変嬉しい出来事であることは当然だろう。皆に伝えたい気持ちもわかる。皆に祝って貰いたい気持ちもわかる。
でも正直、思わせぶりなサムネにドラムロールのSEと感動的なBGMで自己演出した上での出産報告は、後から思い返してちょっと引いた。たぶんそれくらい推しも浮かれてたんだろうけど。こっちの器が小さくて申し訳ない。
あと自分は思っていたより推しのネットリテラシーが高いところに好感を抱いていたらしい。
出産報告の翌日以降、推しVtuberのツイッターから滲み出る生活臭が以前と比べてすごい。じわじわと育児日記化しつつある。前は生活臭なんて時々あるオヤツ報告くらいだったんだけどな。
考えてみれば、今まで推しVtuberに対してネガティブな感情を抱いたことが無かった。
そんなところに急に色々降ってきたもんだから、こっちもちょっと混乱しているんだと思う。
これからも推しVtuberのことは応援していきたいと思っているので、まずはツイッターを覗く頻度を減らしたり、見る配信を厳選したりと一旦程々に距離を置いて、少しずつ推しの変化を受け入れられたらいいなと思っている。
最近よく、オタク論客?みたいな人が「フェミニストはオタクを下に見ている」ってワーワーいってるけどさ。
オタクコミュニティの中だと「俺はあいつより上だろ」っていうの、全然隠しきれてない人が居て
ちょいちょいそういうのを挟んでくるから、スルーしてるんだけど、クセなのかな、カースト下位の人間を作りたがるのよね。
自分より下の人間を作れば、自分はウザがられないとか思ってるんだろうか。
んで同時に、「自分が下にみられた」って思った時も、子供みたいに拗ねるんだよね。
自分が言われた時に拗ねるんだったら、人にも言わなきゃいいのに。
というか人の事は陰でコソコソ言って「〇〇さんもじゃ~んw」って言われたら拗ねるって幼稚園児じゃあるまいし。
あ~あ、活動範囲に面倒な人がいるなぁ、と思ってたの、フェミニストが暴れるまでは。
ちょっと前からだけど、その人はフェミニスト叩きに夢中で、こっちのコミュニティから段々距離が出来始めた。
というか余りにアンチフェミの発言やリツイートが多くなったから、ちょっとずつミュートとかリムーブとかされているらしい。
まあフェミニストのおばさん達もツッコミどころ満載だから、コミュニティ内のいじめやすそうな人と一緒に見えるのかもね。
アンチフェミニストのお友達もいるっぽいからそっちで仲良くやってくれるんならいい感じ、と思ってる。
というかその人が出しそうな話題をミュートしたら、超平和。空気が綺麗になったみたい。もっと早くやれば良かった。
今は温泉むすめの件で忙しいみたいだから、みんながそっと離れて行ってるのに気が付かないんだろうなぁ。
みんながミュートしてるのがバレて拗ねられたら、「『女性専用車両があると男性の尊厳が傷つけられる』とかいうのに賛同してるんですかぁ?流石にドンビキで~す」
って言ってちゃんと切ろうかと思う。
オタク同士だと中々自浄作用って働かないけど(面倒だから)、フェミニストさん達が暴れたのがきっかけで、一応の平和が達成できそうです。
よろしければ、私と交流していただければ幸いです。
・・・・っていうのは嘘だ。
そのとき同学年と未だに交流があり、週末PCかPS4でネットゲームをすることが多いのだが
ロード中とかの雑談で、金銭的なことや仕事が絡む話になったときに、いっちょまえな発言をするとついつい
「ニートが何言ってんだよw」って突っ込みたくなってしまうし、少しイライラする。
見下していることは自分でも自覚していて、いかんとは思うのだが、話を合わせてくれているとは思うのだが
どうしたらそう思わなくなるんだろう…
働くってそんなに大事なんだっけ
これがさあの例の何だったっけ?フェイスブックが社名変えたやつ、とかみたいに
VRの世界で交流するのが本当に現実化した時に自分のアバターを萌系にしてるやつってのは
何らかのハラスメントであるって揉め事に発展するかと思うとうんざりですな。
まあビジネスの世界で変なキャラを使ってくるやつはそうそういないだろうけど
なんでもかんでも難癖をつけようと思えば出来るだろうからなあ。
まー唯一の救いになりそうなのは海外発祥の文化になるだろうから
旅行の予定があるので「飛騨高山 温泉むすめ」で調べた。高山匠美ちゃん。同行者に手配を丸投げしているので宿泊先にこの子がいるのかはわからないのだけれど、パネルが置いてあったら撮ってしまいそう。かわいい。声もいい。それなのに
この設定を見かけたとき、けっこう、つらい気持ちになった。女としての賞味期限は現実にある。私はそう思っている。私が感じているそれは加齢に伴う性的魅力の低下により異性から無価値として扱われることではなく(仮に30歳以上の女性は無価値という男性がいたとするならそれはどう考えても異常者であり社会不適合者なので気に留める必要がない。一方で20代の女性だからこそ許されていることは確かにあり、それがなくなる不安はある。もちろん若い女性だからこその恐怖もあるけれど、今のところ、私の生活の範囲においてはもたらされている利益の方が大きい)生殖機能の衰えつまりは生物学的な女としての賞味期限なのだけれど、そのタイムリミットは私をしばしば焦らせるのだ。
子どもが絶対にほしいのかと聞かれたらそういうわけではない。ただ、それは今、この瞬間はそう思うという話であって、実際に30代40代あるいは50代になってから「産んでおけばよかった」と後悔するのではないか?という得体の知れない予感が私を急かしている。はやく結婚しなければ、はやく出産しなければ、人生は取り返しがつかないのだと迫ってくる。
もっともこれは連想ゲーム的に私がつらくなってしまっただけである。この設定を広告に加えることの是非はあれど、私のケースに限定するのならば、温泉むすめは悪くないと強調しておきたい。
そういうわけで私はこの設定を悲観的に捉えていたのだけれど、いざ、匠美ちゃんを目にしたら、どうしてこんなにかわいい子が本人の意思に反して30歳前後で温泉むすめを引退しないといけないのだろう…という別方向の悲しみが湧き上がってしまった。
アイドルだから。そうかもしれない。現実のアイドルも歳を重ねた先に引退する。けれど、温泉むすめはただ引退するだけでなく「見えなくなってしまう」のだ。
匠美ちゃんは温泉街に遊びにくる観光客や、温泉街を切り盛りする人たちを愛している。そうして彼らから愛されているのだろう。それなら代替わりしたあとも人間に近しい神様として、おばあちゃんになるまで、おばあちゃんになってからも温泉街の人たちを愛し、温泉街の人たちに愛されてほしいし、それが叶わない温泉むすめの世界観はあまりに酷すぎる。もちろん目に見えなくなった匠美ちゃんはより神格化した存在として彼らを愛し続けるのだろうけれど、そうだとしても永遠に彼らと交流ができないなんてあんまりだ。おばあちゃんになった匠美ちゃんを見せてくれ。30歳になった匠美ちゃんはいなくなってニュー匠美ちゃんが誕生します!なんてキャラクターの使い捨てもいいところだろう。それとも私が温泉むすめについてよく知らないからこのように感じてしまうのか。もともと温泉むすめを応援していたオタクはどう考えているんだ。匠美ちゃん…