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はてなキーワード: 雪崩とは

2024-09-29

母親を見てると、昭和平成を生きた女がどれだけ「ぬくぬく生きてる怠け者」かわかる

タイトルは半分釣り。刺さっちまった昭和平成を生きた女性申し訳ない。娘息子が居るなら、ちょっとだけ子育てについて顧みて反省したら、クソガキを育て上げたor育ててる自分を誇ってほしい。マジでめちゃくちゃ誇ってほしい。クソガキを育て上げるだけですごい。とんでもないストレスと、いらだちと、肉体的負担。全部キツイ。それでもあきらめないし、多少怠けたとしてもずっとじゃない。尊敬に値することでしかない。

父親もっと頑張れ。関心を持て。何が起きてるか把握するのはもちろん、時には母親に異を唱えられるようになれ。任せるな。無関心はクズへの加担でしかない。私もこれから、お前らに必ず、必ず追いつく。大いに顧みて反省する。最善を尽くす。母親反面教師に、父親教師に、そして反面教師にして、必ず追いついてやる。覚悟しろ、追い抜かれるな。私ごとき絶対追い抜かれるなよ。

ただし私の母親を除く。お前は一生霞だけ食って辛うじて生きてろ。

まぁーーーーークソ以下のカス野郎だわ、私の母親。コレを認めるのに、自分の子供ができるまでわからなかった。やっと呪いが解けた気がする。ぼんやり子育てには色んな苦労があるんだろう」で許してた部分があった。違った、アイツがクソでカス畜生なだけだった。家庭って大変で、決して良いものじゃない、って思ってた。大変だけど、決して良いものじゃないけど、あんゴミカスじゃなければ有り余る充実があるってわかった。

一言で集約すると、「自分絶対正しいと思ってるやつは頑張ろうが何しようが最低最悪のクズ」だ。そして私の母親は、「自分絶対正しいとは思ってない、よって自分の正しさを疑える私は絶対に正しい」という2重のドクズだった。

具体例として、兄と私の不仲。兄は私の幼少期からずっと私の悪口を言っていた。私が物心ついたときからから、おそらく一生だろう。私が怒るたびに母親は「やり返したら同レベルだ!」と私を叱っていた。兄を叱っていた記憶など、たったの1回、家族で出かけたとき公衆面前で私の悪口を言ったときくらいだ。そのとき兄は「俺が悪いのかよ!」と叫んで何処かへ行ってしまった。母親はめちゃくちゃ憔悴して、駅員に泣きながら「息子が何処かへ行ってしまったんです!!!!」と泣きついていたことをよく覚えている。私としては「いつもの兄の悪口ね、反応したら私が悪者になってさんざん叱られるやつね」程度だったので、ちょっと叱られたくらいでびーびー泣き出す兄と、びーびー泣いて憔悴する母親に面食らったのを覚えてる。

やがて、私が中学生になって腕力でも兄と同程度になったら、当然ながら暴力沙汰になる。当然、叱られるのは私だ。「何言われても先に手を出した方が悪い!」だ。なお、手を出さずに口で応戦しても「反応するからエスカレートするんだ、お前が悪い」だ。こちらとしても収まりがつかないから「なんでお前は悪口言ったほうを一切叱らず俺を叱る、それで喧嘩が収まると思ってんのか」みたいなことを言うんだが、母親は「お前って言うな!」「(お前って言ってなければ)兄を叱ってなんとかなると思ってんのか!」と怒鳴って終わりだ。あとは一切無視悪口問題なく、悪口に反応するのは最悪だが、母親をお前というのはさらなる一切皆悪の大罪らしい。それ以来、ずっと兄の悪口にしびれを切らすたびに「お前の過剰反応だ」「被害妄想」「悲撃のヒロイン症候群」「キチガイ」「社会通用しない」など、兄を叱る言葉など一つもなく、言われた私の対応が悪いと言い続けていた。私が先に暴力をふるったら「先に手を出したお前が悪い」、兄が先に暴力を振るったら「手を出させたお前が悪い」。手を出さずに母親にうったえても「お前に悪いところは無かったのか!」と言われ、黙ったら「ほらみろお前が悪い」、マジで何もなくても「自惚れんな!」と怒鳴って、お前の悪いところを自覚していないお前が悪い、で終わり。一番記憶に残ってるのは、母親がいるときにもずっと悪口言ってる兄がいて、悪口ヘラヘラ笑ってる母親イライラピークに母親に対して「ずっと悪口言ってるんだけど何も叱らんのか」と母親にいったとき、「からかってるだけだからwwwwwwwww」ってヘラヘラ笑い続けて、兄は好き放題悪口言うチャンスとばかりに堂々と大声でクソみたいなことを雪崩のように言い続け、それの合いの手を入れるように母親は「からかってるだけだからwwwwwwwww」「からかってるだけだからwwwwwwwww」と繰り返したやつ。あまりにも悔しくてその場を離れたんだけど、しばらくして母親が追いかけてきて「そうやって逃げれば済むと思ってる」「悲撃のヒロインヒーローですね、あーカワイカワイソ」」「お前だけが被害者だと思うな」などと言い放ってきたこと。

そして高校生とき浪人生の兄がいつも通り悪口を言い続けていた。私は一切を無視していたが、疑問形の嫌味を言われたときに「はいはい」と適当に流した瞬間、母親は「今のは悪意で言ったんじゃない!お前の過剰反応だ!」と私に怒鳴りつけた。

もう面倒くさいからいいや。とにかくクソな扱いを受けてたんですよ。あのゴミに。

で、最近子供が生まれて、一応義理はあるから報告とかしたんですね。そしたら「なんで◯◯(筆者)は私(母親)を嫌うんだ」みたいなことを言ってきたんですよ。端的に「一生悪口言ってる兄にノーペナルティ悪口言わせ続けた人が何いってんの?」って返したら、マジでキョトンとした顔で「悪口言ったら叱ってたよ?家族で出かけたときとか、すごく理不尽なこと言ってたから」と言ってきた。

あれだけ「悪口に反応するな」「反応するお前が悪い」「反応しなくてもお前が悪い」「悪口言われたお前が悪い」を続けてても、何も記憶に残っていないのだ。記憶に残ってるのは、兄をたったの1回まともに叱ったら、泣きたくなるほど憔悴してしまった、だけ。私がどれだけ涙ながらに訴えても無視、むしろ叱り続けていた母親が、だ。

もはや記憶には「私は正しい」の5文字しか残っていないのだ。私は正しいから、悪口を叱っていた。悪口って悪い発言のことでしょ?悪いんだから、正しい私は叱ってたよ。私は正しいから。ほら、家族で出かけたときとか!でしかない。家族で出かけたときにお前が叱ったのは、周りに人がいたからだよ。言われたほうを叱ったら道理が通らない、なんてことを考える脳があるから兄を叱ったんだろ。で、兄を叱ったことなんてないから、今まで叱られたことのないなんてことのない悪口で怒られて、びっくりして泣いちゃってどっか行ったんだろ、兄は。今まで叱ってなかったから、クソカス脳内での「すごく理不尽なこと」を言っても悪口を言ってるっていう気じゃなかったんだろ、兄は。だから「俺が悪いのかよー!」って泣いちゃったんだよね。で、叱ったことなんてないからびっくりした兄をみて憔悴しちゃったんだろ。いつも叱ってた私がどっか行って泣いちゃったらヘラヘラ笑いながら追い打ちをかけてたのにね。周りに人が居るから悪口言われたほうが悪いと言えない、なんて考える脳があるのに。そして、兄を叱るのは本当に辛かったんだろうね。たったの1回叱ったことをいつまでも覚えてて、20年間悪口言われたほうを叱ってて言ったほうをノーペナにしてたことを一切覚えてない。「今から10万人の黒人と、1人の巨乳ブロンドを◯す」の案件

思い出すだけで疲れるが、これを断捨離しないと進めない気がするから全部吐き出していく。呪詛でも文句でもなんでもブクマなりトラバなりしてください。誰かに見られたという証拠が私の救い?赦し?わからんけど、それになる。

で、上記を全部直接吐き出したあとの極め付き。「増田を傷つけてしまたこと、謝っても意味がないとわかってるけど、謝ります。本当にごめんなさい」だ。違うんだよな、私を傷つけたことに怒ってるんじゃなくて、お前の不正義に怒ってるんだよ。兄を一切ノーペナルティしたことを怒ってるんだよ。私ごときいくら傷ついてもいいんだよ。お前が!!クズ!!!野放しにして!!!好き放題させたことを!!!怒ってるの!!!で、お前が正しいことをしていた面してんのがおかしいって言ってんの。私なんて脆い人間なんだから勝手に傷つくし勝手に復活するの。お前が及ぼせる影響なんてたったの二十数年分。クソほどデカいけど、お前ごときカスクズゴミクソカスに傷つけられたからって怒るけど、こんな激しくないよ。親子の義理だよ、お前は!!人間として!!!どうしようもないカス!!!人間性が終わってるんだよ!!!決して、頭が良くないから間違えた行動をしてしまった、では済まないカスクソゴミクズなんだって

まー、自称お局様にいじめられたから働けなくなった、私に言い続けた「社会通用しない」人でしかないし、祖母からも「頭悪いなりに頑張ってるから許してあげて」なんてなんの脈絡もなく言われるくらい先回りして問題解決してもらってたのに感謝反省もないカスから、本当に甘やかされておままごとだけで社会を知った気になって「私が嫌われるのは正しいことをしてるから!」なんて日蓮畜生マネごとまでしちゃって、日蓮正宗に破門されたような南無南無も一所懸命で。

ぬくぬく生きてる怠け者なんだな、と。飲み込んだので。飲み込んだ!!!!!!飲み込んだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!恨みつらみ終わり!!!!!!!!!!!!!!!


明日からまた頑張ります

2024-09-13

anond:20240913190635

若いからイケメンからって進次郎に雪崩打たないのは自民党員の良識を感じた

石破と高市政治スタンス真逆ではあるけど、奇しくも飲み会嫌いの勉強家ってところが共通している

外面なんかより、ちゃん勉強家で有能な人を総裁に選びたいってのは意外と自民党ちゃんとしてるんだなって思った

飲みニケーション好き嫌い総裁選ぼうとしてる自民党議員より、党員のほうがずっとマトモな選択してる

2024-09-03

anond:20240903005808

元増田だけど、この頃からインターンでそこそこ収入があったから少なくとも交際に関わるものは全部出してたよ。一回割り勘を求めてみたら酷い喧嘩になったから。

流石に家賃は親持ちだったけど、当時の一人暮らしマンションに「仕事辞めてきた」って雪崩れ込んできた(ちなみに実際はやめてなかった)

連続ヤバい女にひっかかった話の主語を大きくし過ぎたきらいはあると思うので、そこはごめん

かなり嫌な思い出なので、一回持ち上げてからムカついてきて嫌味なことを言ってしまった

スペック云々に関しては、確かに反吐を吐く思いで努力して手に入れた今の立場からこそ、ついマウントみたいになってしまったのかも。鼻についたならこれもごめん。

非モテ男みたいって言われても「確かになぁ」って感想しかないんだけど、流石に悪意を向けられているのはわかるので申し訳ない気持ちだよ。

ちなみに夫とは良好な仲だよ。色々差し障りがあるからもう寝るけど、あなたも心安らかにね。

2024-08-20

ITがつまらなくなったっていうのはネットオールドメディア支配された後の老人の愚痴しかない

00年代っていうのは、テレビとか新聞とかのオールドメディア情報おせーよwだせーよwネット最強w

みたいな空気感あったけど、

オールディーズネットにも雪崩れ込んできて最適化模索し出して、

馬鹿スマホ普及で本格的にネット使いだして、

ネットで最新情報を取得しているニッチな俺っていう選ばれし感無くなった老人の愚痴なんだよね

まぁ当時も1次ソースオールドメディア産が上質とされていたので、選ばれし感自体勘違いなんだけど

2024-08-01

anond:20240801163942

一般登山道で行くか、コース外行くか

雪山行くか

の2つが大きくリスクを変えるので、話してどこかで釘させるならそうするとよいよ

例えば、北アルプス槍ヶ岳は、一般登山道で行くならそれほど危険ではないけど、

北鎌尾根とか行くと難度がぐっと上がる

道なき道をロープとか駆使して行くパターン

雪山は、どんなに気をつけても雪崩と滑落のリスク一定量ある

どんな山に行くかにもよるけど

あと、心臓病とかの発作のリスクあるなら、人里離れたところに行くのは怖いよね

2024-07-28

anond:20240728144255

ダンベルにしましょう。

それでカッコイイ体を作り、風俗雪崩れ込むのです。

2024-07-23

はてなブックマークにはキチガイしかいない。

キチガイが堂々と正義を装って、言葉に言い表せないようなとんでもない醜悪侮辱を投げかけて、反論できない、侮辱されていることも気づかないところで殴りつつける。

その無知蒙昧なる侮辱を誇り、また同類キチガイがそれを称賛する。

そうして、ここ最近(2〜3年)のはてなブックマークは、ほとんどがキチガイブコメばかりが並ぶようになった。 

恐ろしい。

ヤフコメツイッターなんてメじゃないレベルエコーチェンバー

存在しない悪意を作り出し、善良な人々を自らの快楽のために叩き続ける人々が、ブックマーカー本質

こんな糞みたいな会社は潰れろ!!と一瞬おもったこともあったが、

はてな社はまともなのかもしれない。

社会ゴミ箱必要で、このゴミ箱がなくなった時、この汚物達が雪崩を打って世間に解き放たれるのだと考えると  

はてな末永く存続してゆくべきかのかもしれない。

2024-07-12

天気予報ってなんで雨なのに天気「悪い」って言わねーの

雨で天気が崩れるじゃねえよ!

なんだよ崩れるって

雪崩じゃねえんだよ!

天気が悪いって言え!!!

2024-07-08

anond:20240708015050

日本人の大多数にモラルや知性というものを期待するのが悪い

物理的に発生する雪崩洪水善悪価値観存在しないように

現状の社会や周囲の空気を読みノリに従って生きる事を是とする日本人の大半にもモラルや知性というもの存在しない

日本人の大半はほぼ常に群体であって個体ではないか

そこに思想思考は最低限の規模のもの以外存在せずただ周囲の物理現象に反応しているだけ

から周囲が選挙に行かないなら自分も行かないし

周囲が誰かを支持してるなら自分もそれを支持する

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-04-25

NVIDIA株がどんどん下がってきて死にそう

これまで順調だったのに今月に入っていきなりだもんな。

勝ち馬に乗りたい人たちが入ってきて怖くなり始めて雪崩現象になってきたのかな。

バブルが弾けたらヤバいな。

なんて書いたらますます下がりそうだけど。

2024-04-06

親族の連絡先も財布に入れずに死んだ老人の家族を探すため、行政が連日残業するべき」だとは思わない

公務員人件費、つまり税金無駄遣いだ。

病院や霊園が企業努力勝手にやって自分たちの手厚いサポート地域社会への貢献をアピールするのなら「頑張り給え。ただしそのために従業員に連日残業を強いて鬱病にして殺すのなら、経営者のいきすぎた功名心軽蔑するかもしれんが」ぐらいに留まるが、行政人員を使ってやるべきだと言うなら大反対だ。

1人辺りにかかるコストはせいぜい1時間ぐらいでシステム構築のコストとかを考えても3000円程度ぐらいかも知れん。

人間はちょうど1人1回死ぬわけだから、1人の死者の身元特定にかかるのが3000円なら生涯にかけて払う税金が3000円増えるだけと言えばそれだけだ。

だがな、たった3000円であっても、望んでもいないサービスのために払う税金が増えるというパターンをおいそれと認めるわけにはいかんのだよ。

なぜなら、一度「これぐらいのラインサービスなら、俺は欲しくないが皆が欲しいというならあってもいいんじゃないか」とラインを緩めれば、何十何百もの思いつきが我こそはそのラインによって留められた言葉にならない声たちだったのだと雪崩込んでくるのが目に見えているかである

それら一つ辺りのコストだってものによっては生涯で3000円ではなく年間3000円するようなものだってあるだろう、それらが10も100も増えていば払う税金も10万10万と跳ね上がっていく。

耐えられんよ。

なんでも政府にやってもらおうとすれば無制限税金は増えていくし、世間コスト意識の欠如した公務員様で溢れていく。

そうなっては社会崩壊するのは目に見えている。

過剰なサービスなんてのは、それでもなお勝算のある民間企業がやるべきものであって、公共においては必要ないのではないかね?

ましてや出来る自助努力いくらでもあることに対してやるようなことではない。

世の中にはもっとずっと自分ではどうしようも対処できない問題があるものだろう。

そういった時にこそ行政の助けを借りたい。

単に財布や身分証ケースにふせん1枚差し込んで「私がずっと目を覚まさな状態になったら、ひとまずこの人達に連絡を取ってほしい」と書いておけばいいだけのことまでやって貰わなければいけないほど彼らも暇ではないだろうし、それが出来るほどの暇を与えるほどに税を払わされたら私の人生計画が狂ってしまう。

2024-03-05

10年ぶりに帰った実家ゴミ屋敷だった

帰ったと言っても10分くらいだけど

 

 

祖母急逝したと朝イチで電話たからあわてて葬儀のため帰って

田舎に帰ったの10年ぶり 親戚と会うのはそれ以上ぶりなんだけど

まさかの弟が行方不明祖母葬儀の話も知らんらしい

警察行方を知ってるらしいが場所聞かせてくれんらしい

どういうことよと思ってたんだけど、通夜の前に荷物取りに行く母について行って絶望したしなんとなく理解した

 

 

ゴミ屋敷●ートナーズでいうLv4くらいな感じだった

ドア開けた瞬間カビの匂いがお出迎え 玄関からすぐ見える弟の部屋はゴミか服かわからんもの入口雪崩起こしてる

最後に寝泊まりした10年くらい前の時点で夜響くGの音にストレスMAXだったのにいらん方向にメガシンカ

何がひどいってそんな環境の中で犬2匹飼ってるところだよ 虐待だよほんま

葬儀場で会った妹から異臭がしたから嫌な予感はしてたんだけどさ いや父母から異臭しなかったから妹が単品でヤバかったのかもしれん

 

 

どうやら祖母の供養が一段落したらその祖母宅に移り住むらしいのであの家を見ることはもうないんだろうけど

ソシャゲ親の金使い込んだからとすべての娯楽を取り上げられたニート妹(不安障害らしい)

警察しか行方を知らないニート弟(パニック障害らしい)

そんな弟に「自分はあれよりマシ」とか言われたらしい自分(双極Ⅱ型)

 

 

親になにかあったら地獄じゃねえか

百歩譲って親に何かあった時の葬儀関係は手伝わんでもないが、それ以外ではもう心の底から関わりたくない

少なくとも弟のことは許さな

自分家族愛猫だけだと思ってこれから生きていくことにする ある程度事情は濁して恋人とも別れようと思う

 

 

帰りの飛行機待ちが長いから吐き出し

明日出社して慶弔休暇申請しないといけないのだるすぎるが、同僚と部下に詫びの土産渡したいしな

あと生活リズム変に崩して躁転鬱転しても困るしな

 

 

シッターから届く愛猫写真が一番の癒やし

2024-01-29

ゆきなだれって感じにすると雪雪崩になるの?

なんか不思議

2024-01-13

カクヨムコン短編部門、お題に沿った1000文字程度の短編の新作が雪崩のように押し寄せてくるので、こちとらの1万字に合わせて書いた作品が押し流される

https://kakuyomu.jp/contests/kakuyomu_web_short_2023

2024-01-06

フランス革命が起こった原因は財政破綻

啓蒙思想がどうたらとか

自由平等友愛とかの

フレーズが先行していて

どうしてフランス革命

起こったのかわかりにくかったが

簡単に言うと

フランス財政破綻たか

それがきっかけとなって

雪崩のようにいっき

革命が起こった。

財政破綻した王政側が

あらたに何らかの形で

お金税金の形で集めようとしたら

当時力をつけていたブルジュワジーから

反発を受けて対立

武力衝突が起こった。

ようはお金の話なのだ

もちろんそれがおこったバックボーンとして

啓蒙思想とか

階級闘争などがあるのだが

黒船の来航(外国から圧力)がなければ明治維新が起こらなかったのと同じで

財政破綻していなければフランス革命は起こらなかった。

また元々は王政を打倒して共和制に移行するというところまでキツイ思想革命ではなかったはずで

本来であればイギリスのような立憲君主制に軟着陸すべきところだったもの

王権側の政治力の低さと革命後の権力闘争の流れが原因となって王がギロチンにかけられることになった。

2023-12-30

共産主義が負けたのは欲深いどうしようもない人間が多いか

資本主義人間本質的な欲を利用した社会形態と言える。他人を蹴飛ばしてでも自分が豊かになろうという性格の人が勝つ。そこの善悪存在しない。アメリカを見てご覧。金持ちはとんでもなく金持ちなのに対し貧乏人はとんでもなく貧乏だ。日本だと考えられないレベル格差がそこにはある。共産主義が負けたのはこういう性格の人のやる気を削ぐことと、こういう性格の人ほど中央に行きたがる仕組みであることである自分勝手な人がトップに就くともうそから雪崩のように崩れ去っていく。欲深いどうしようもない人々によって世界破壊された。

2023-11-16

anond:20231115183155

救急車保守党が呼んだらしいよ

それで異常だとか被害者ぶる党首

あれだけの人数に多大な迷惑をかけて雑踏雪崩危険さらして被害者ぶる保守達も頭おかしいって

2023-11-03

anond:20231103000712

90年代日本の文化クオリティ雪崩を立てて一気に落ちていった時代だと思うんだけど、あの時代がよかったって思う人もいるんだよな

2023-10-25

anond:20231025160435

今時飲み会とか合コン文化はすっかり廃れてしまったので職場出会いがない人がアプリ雪崩れ込んでるだけで、別にコミュニケーションの流れ自体は大して変わらんよ

普通じゃ絶対出会えない文化的背景の人とも遭遇できるというのは楽しいけど、それは恋人作りとはまた別の話で、結局恋人としては普段身近にいるような同階層相手ターゲットになりがち

2023-10-03

エスカレーター問題、歩くな派を論破したい

問題点

輸送効率

両側で歩く>片側で止まる、片側で歩く>両側で止まる

通勤ラッシュの時に両側で止まっていたらすごい迷惑!!駅のホームが詰まって、後続の電車に轢かれる可能性アリ。

本来なら両側で歩いたほうが早いが、止まりたい人にも配慮しつつ、輸送効率を最大化。

障害があって特定の片側にしか建てない人もいる

そもそも論としてエスカレーターに乗るのが危ないと思う。エレベーターを使うべき。

であるが、現状でもヘルプマーク等をつけている場合は歩く側に立っていても何も言われないのではないだろうか)

事故が起こる可能

事故が起こる可能性はもちろんある。だが、「他人にぶつかって怪我をさせてしまった事案」は事故全体の2%であり無視できるほど少ないのが実情。

階段を使っていても自分で転んで怪我をする危険は当然ある以上単にエスカレーターで歩くこと自体が危ないとは言い切れない。

→歩行を禁止し、二列で密になっている場合には、空間の狭さから倒れた場合に群集雪崩が発生する可能性も指摘できる。

ソース東京消防庁 エスカレーターに係る事故防止対策検討委員会について

そもそも他人と密に接しながらエスカレータに乗りたくない

たばこ臭、汗臭、香水臭等、体臭キツイ人が隣だと嫌。

→雨の日は濡れた傘がズボンに当たる。

痴漢盗撮が多発する可能性も!!

解決

エスカレーターの速度を上げる

高齢者障害のある人は乗り辛さを感じる可能

若い人が多い通勤時間帯はいいかもしれない

・歩く際にも必ず手摺りに手を添えるようにする

エスカレーター歩行禁止という極論よりは現状に即している

anond:20231003095018

知り合いのいたコールセンターの話だけど、仕事できる上長が4人いたんだけど1人がメンタルやって退社

ギリギリだった残りの3人の負担が増えてまた1人退社

→残り2人じゃ捌けないから繰り上げで比較的できる人を上げたけどその人が退社

→なにもかも上手く行かなくなって負担が爆発して上長もう一人退社

→あとは雪崩のように崩れてセンターがなくなったらしい。

2023-09-20

ウクライナが勝ったら内戦になる

ウクライナヨーロッパ最貧の汚職大国

戦争中も賄賂渡して兵役逃れするほど筋金入りのクズ

そんなクズもの元に棚ボタ復興資金雪崩れ込む

始まるのは醜い利権争いだ

西側にもらった近代兵器もある

ウクライナは第二のシリアとなり

やがてロシア統治されるであろう

2023-09-19

anond:20230919154727

介護もそうだけど

「じゃあオマエがやれよ?」って当該労働従事してる人が言いだしたらすぐに掌を返すのが世間から

子育ての方の奇妙な信仰も「じゃあオマエがやれ」って振られるようになったら雲散霧消して省力化に雪崩れていくと思う。

今はまだ追い込まれ方が足りないんだよ、たぶん。

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