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はてなキーワード: 裁定とは

2022-03-22

[] そのにひゃくよんじゅうよん

カボチャーッス

 

ある人から見れば人間と同じように南瓜は一つとして同じ形のものはないように思えるらしいです。

人それぞれといえども、それは人が人として尊重されるから成り立つもので、やっぱり属性別に見た方が分けて裁定する方としては楽なのでしょう。

結局、それぐらい楽ではないことをやってるし、分けたとしても後々に面倒な事がやってきてそれもそれでややこしくなるのがまたやってられないところですね。

属性ダメなら生まれでも、生まれダメなら成果でもなかなか上手くいかないのが分別作業なのかもしれません。

なるほど、人それぞれの対処の方がちょっと楽な感じがしてきました。

 

ということで本日は【適切な判断いか】でいきたいと思います

適切な判断いか!適切な判断ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-03-02

anond:20220302171738

正しくはないし酷な決定だが、他にマシな選択肢はなかったとも思う。少なくともスポーツに関しては。

そもそも当初のFIFA措置はそこまで厳しくなくて「ロシアではなくロシアサッカー連合として大会に参加させる。国旗国歌使用は許さない」といった内容だった。東欧諸国のチームがそれに猛反発してボイコット宣言し、試合中止を要求IOCが「ロシア選手国際試合に参加させるな」と勧告したことが決定打になって、ロシア選手の出場禁止が決まった。

IOC勧告はかなり乱暴にも思えるが、彼らが大上段に裁定を下してくれたことで他の組織個人ジレンマに直面せずに済んだとも言える。

勧告がなければ多くの国のチームが強硬に「ロシア排除しろ」と主張し、ボイコットなどの敵対的行為を取っただろう。それによって国家間の亀裂がさらに深まるおそれがあった。裁定を行うスポーツ団体内部でも深刻な対立が起きかねない。

また、試合前にウクライナ支持を言明させるといった措置一種踏み絵であって、帰国後に政治的迫害を受ける可能性もある。特に若いアスリートにそのような難しい決断を迫るよりは、有無を言わせず出場機会を剥奪したほうがマシなのではないか、と自分は感じた。

参考リンク

ロシア選手出場禁止の経緯

https://www.football-zone.net/archives/370204

IOC勧告原文

https://olympics.com/ioc/news/ioc-eb-recommends-no-participation-of-russian-and-belarusian-athletes-and-officials

前文でこの裁定が「解決不可能ジレンマ」に関するものであることを明言している点がポイントだと思う。

2022-02-27

anond:20220226205807

加害者にそうした形での制裁を加えなきゃという考え自体貴方独善に過ぎないんだよ。

ケースバイケースで「別にあの人は悪いことをしたとは思わない」や「そこまでの罰を受けることはない」や「法的な罰は済んだのでもう許して良い」と考える人もいる。

にも関わらず、キャンセルカルチャーは全体としてどれだけの人が制裁賛同しているかも分からないのに騒ぎ立て、炎上させ、圧力をかけ、制裁実行してしまうのが問題

少なくとも市場原理に基づく領域の話なら、「貴方問題だと思っている」なら「貴方は買わない」という不買行為程度に留めるべきだよ。

それだけなら独善行使ではなく自己決定範疇だし、何より、多くの人が貴方と同じ考えなら結果として加害者は儲けがなくなってちゃん制裁下り、逆に多くの人が問題はないと考えていたら加害者の儲けはちょっとしか落ちず相応しい程度の罰しか受けないという風に、市場を通して公平な裁定が下る。

公共の分野に関しては過去の罪を見て相応しい人物か否かという議論はあって良いが(俺は概ね反キャンセルカルチャー派だけど小山田の件は妥当だと思っている)、一方で公共分野はクレームに弱く議論に基づく正しさがなかったり少数から文句でも火消し的な対応に走りやすいという性質があるので、気に食わないヤツを引き摺り下ろしたいのではなく社会的に正しい制裁を目指すなら、キャンセルする側は極めて慎重な姿勢議論に臨む必要がある(そして現代キャンセルカルチャーに潮流にそうした慎重な姿勢があるとは思えない)。

2022-02-18

anond:20220218103305

「やることを許容しているというのが社会通念上アウト」という裁定だろ?

それは

男「可愛い女をみたらレイプするぐらい当たり前。痴漢ぐらい満員電車でみんなしてるでしょ?」

女「ブサイクセックスとか絶対無理。整形したらセックスしてもいいけどね」

の違いだろ。

こうして比べると男の方が如何にクソかよくわかるね。

そりゃ一発KOですわ。

シャカパチガイジってやっぱガイジだな

anond:20220217200516

問題発言した人がクビになったりするのなんて基本的には日本の方が激アマ裁定だと思うけどな。

海外だとGoogleAppleなんかでも速攻クビにして会社が「当該人物解雇しました。差別は許されるものではありません」と

プレス出して終わりな気がする。解雇された人がその後復職やすいかわからんが。

件の人にしたって、これまでと同じキャラでは契約してもらえないだろうけど、

発言を改めて実力で勝ち続ければまたどっかしらから契約してもらえると思う。

ただ、この人普通に強くないんでしょ?

ネットニュース見てるとただ女性で見た目が良くて、キャラが立ってただけって感じがするんだけど。

2022-02-17

anond:20220217144518

遊戯王は他社ゲーム比較してダントツでわかりづらいルール仕様であることは間違いない

なにせ遊戯王wiki日本最大級攻略wikiで、歴史と分量も相当だ

他のゲームなら公式ルールを学べばすむことを、大量の裁定から仕様を割り出さないといけないというややこしさがある

それでいてゲーム性は皆無といっていい

よく流行ったと思うよ

2022-02-15

CASの裁定だ言うてるのに興行がどうのとか中国がどうのとか言うとる人何考えてるんでしょね、なんも考えてないんやろけど

CASなんて無視しろって声が盛り上がったら激アツやけども

2022-01-02

anond:20220102084049

当事者どうし以外が問題定義して裁定しようとすると、ああいう一読しただけでは理解困難な文章?になるんやろうな…

2021-12-22

anond:20211222164602

こういう悪意のある屑が日本人には大勢いるから、食品のチェックが二重三重に行われて労働者負担になって居る

外国だと開封チェックなんて無い瓶詰が日本だけ開封したらわかる構造なってる

日本人人類の中で裁定卑怯者の集まりの国

2021-12-11

かつて好きだったゲーム愚痴を言わせてくれ

俺が好きだったゲームMTGマジック・ザ・ギャザリング

TCG元祖、「遊戯王」「デュエルマスターズ」の元ネタとかって説明されることが多くて、名前だけは聞いたことがあるって人もいるかな。

ゲーム自体もとても面白いのだけど、今回は主にゲーム性じゃなく、それ以外の部分で俺が惹かれた要素と、「好き」が過去形になった理由について書いていく。

MTGが好きだった

ゲームプレイヤーにも勝利を求めるガチ勢、楽しさを重視するエンジョイ勢と色々いると思う。

(俺はガチ勢ってのも互いに本気で勝利を追求する遊び方を楽しんでる人って考えてる)

俺はどちらかというとガチ勢としてプレイしてた。

他のとこは知らないけど、MTG界隈では競技(ガチ)⇔カジュアル(エンジョイ)って表現を使ってた。

競技なんて言うと「カードゲーム風情がスポーツかなんかのつもりかよ」って思うかもしれない。

まずは俺が惹かれたMTGの要素の一つである競技性を語らせてくれ。

MTG競技

ゲーム競技ってことで、その競技性ってのはつまりプレイヤーがどれだけ本気で勝ちに行ってるかの指標って感じかな?

皆が本気で勝ちに来るような方法って?そんなの簡単な話だ。商品を付ければ良い。皆が本気で勝ちに来るような商品って?これも簡単。「金」に決まってる。

今でこそゲーム大会に賞金が出るのなんて当たり前だけど、今から30年近くも前から「ゲーム」自体主体に賞金制の大会があったってのは凄いことだと思う。

次にその大会の規模、まずGP (グランプリ)。世界各国で行われて、誰でも参加が可能コロナ以前には日本国内でも年に4~5回開催されてて、最高人数は2500人程度、2000人↑は当たり前って感じでかなり大盛況だった。

優勝で大体100万円くらいで、結構大金だけどガチ勢にとって同じくらい大事なのが上位入賞者に与えられる副賞。

副賞ってのはPT(プロツアー)って上位大会への招待状。

PT世界各地で行われる。各国の強豪が集って、各々が練りに練ったデッキを持ち寄り優勝を目指す大会。賞金は優勝で500万円くらい。多くの競技者はこの舞台を夢見て、焦がれて、狂ってた。

このPTって舞台MTGやってる奴には本当に羨望の的なんだ。昔はニコ生で、今はTwitch配信してて、海外でやるから時差があったりで眠たさ堪えながら噛り付いて見てた。

さらにもう一つ大事なことがあって、MTGにはプロプレイヤーって呼ばれる存在がいる。

プロ」の定義は論の種にもなる事なんだが、一つ明確な線引きがあってプロプレイヤーズ・クラブっていうMTG制作した大元であるWoTC(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト)社が公式に制定した制度

これはプロポイントってポイントを稼いで、それが一定数溜まったらそれぞれブロンズシルバーゴールドプラチナと順にランク付与されてボーナスが貰えるって仕組み。

このプロポイントを貰えるのが前述のGPPTなどのグレードの高い大会

誰でも参加可能GPでも、このプロポイント1点取るのに結構苦労するんだが、MTGプロプレイヤーはこのポイントを求めて世界各国を飛び回ってGPPTに参加するってのが常だった。

国内だけだと4~5回と書いたGPだが、世界ではほぼ毎週のように行われてるので、プロプロになりたい奴らはポイントを、PTへの参加権を求めて世界を旅してた。

WoTC公式からも「PLAY THE GAME, SEE THE WORLD」って言葉でその行動を奨励してた。

俺はこのプロプレイヤーってものに強く強く憧れた。最初はただゲ-ムが面白くてやってたんだが、次第に戦えるようになって、勝てるようになって、大きな大会にも出るようになった。

はいつの間にかこのゲームに狂ってたんだ。狂うのも悪くないけどな、好きなことに狂えるならそんな幸せなことはない。だから狂いが醒めてしまった俺からみると、未だに狂ってるような人を羨ましく感じたりする。

ここまでが俺がMTGを好きだった理由。ここからは好きじゃなくなった理由

MTGが好きじゃなくなった

上に書いた競技性と、それを織り成す制度ってのが、俺がMTGってゲームに惚れた一つの要素だったわけだ。

結論から述べる。俺がこのゲームを好きでなくなったのは崩壊とも表現したくなる度重なる制度の変更が理由

最も絶望するのは、それが他でもないこのゲームを作り出したWoTC社が原因となることだ。

度重なる制度改悪

2016年の初めあたりにWoTC社の社長が変わった。度々この社長やり玉に上がる。

本当に社長のせいなのかは分からないが、実際にこの時期からWoTC社は数多くの制度変更を打ち出す。

色々と細やかな変更はあったんだが最大級のヘビーパンチが、2018年末のこと。

その内容は、前述したプロプレイヤー制度廃止。そしてそれに代わる32名の定員でのMPL(マジックプロリーグ)という新しい制度への移行だった。

元々、プロプレイヤーって呼べるような人間世界に数百人いたと思うんだが、それに対してMPLの32名という枠はどう考えても少ない。

プロ制度廃止に伴ってプロポイントも無くなり、世界を股にかけて飛び回る意義も失われた。

過去プロ制度は、本気で目指して努力すればギリギリ手が届きそうと思わせてくれるいい線引きだった。

それに対し、MPLってのは百戦錬磨トッププロが競い合う中で、そいつらを蹴落としてようやく入れるような場所で、明らかに必要となるコストの大きさが違うんだ。

MPLからあぶれたプロプレイヤーも、プロを目指していた競技勢の人々も次の目標となるものの遠さに驚いたと思う。

(ちなみにこのMPLももうすぐ終わっちまうらしい。それ以降のプロに対する制度説明は現状一切ナシ。

なぜWoTC社はこのような制度の改変を行ったのか

推測の域を出ないが、界隈で多く見かけた意見は前制度にかかるコスト金銭負担の軽減が目的というもの

PTのようなアメリカヨーロッパ、時にはアジアなどで行われる大会場合世界各国からプレイヤー運営する人材派遣するだけでも多量の金がかかる。

プロプレイヤーへの報償も同様に、目に見えて分かりやすい直接的なコストのために制度が見直されたのだ…と。

競技性がMTGの魅力の一部でしかなく、皆が皆一様に求めていたものではないとは思うが、ゲームの人気の一端を担うものであった事も確かだ。

俺はWoTC社がそれを軽んじ、踏み躙ったように感じた。

WoTC社はそれ以外にも目先の利益に捕らわれた焼畑商業的な業務方針を繰り出した。

MTGには、「とあるカードセットで禁止カードを連発してしまい。開発陣は社長室に呼ばれて𠮟られた」という有名な逸話があるんだが、現在MTGでは2017年から毎年新しいカードセットから禁止が生み出されている。

それ以前は偶発的なデザインミスで、禁止せざるを得ないようなことはあったものの、毎年のように禁止カードが続出している状況はおかしいとしか言いようがない。

まりゲームデザイン能力の低下だ。

ゲームデザインは非常に難しいことだとは思うが、発売からわず17日で禁止が出たと聞いたときは流石に目を疑った。

本来焼畑であれば、別の場所を耕作すればよいだけだが、MTGでいう土壌とはプレイヤーの事だ。容易に開墾できるものじゃない。

こうした事によって(俺の)WoTC社への信頼は地に墜ちることとなる。

人は信頼があるから金を落とし続ける。だから企業顧客満足度なんてパラメータを得るのに躍起になるわけだな。

信頼=金ではないが、信頼≒金ではあるんだ。

WoTCはこれを理解しているとは思えない。

友人にWoTCへの呪詛を吐き散らす奴がいたが、WoTCがクソなのなんて衆知の当たり前の事で、それを一々言ってる自分おかしいのかもと言われて笑っちまった。

最悪の事件

最後制度変更ではなく事件

2019年4月PT大会(ミシックチャンピオンシップロンドン19)において渡辺雄也選手マークドの疑いで失格処分を受ける。

まず渡辺雄也は今例えるなら、「MTG界の大谷翔平」と言って差し支えない日本プロトッププレイヤー

競技シーンを知る人に「日本一上手いプレイヤーは?」と聞けば大体の奴はナベかヤソって答える。

次にマークド。これはカードに目印をつけて、裏面から見ても何のカードかを識別できるようにするっていうイカサマ

事件の経緯は以下。

渡辺雄也選手大会でこのイカサマを行ったとして失格処分を受ける。

後日スポンサー(Cygames)と共に反論する旨の声明を出す。

WoTC社はこれに対し報復とも考えられる重い罰(30ヶ月の出場停止殿堂除名、MPL除名)を与えた。

この事件日本MTGコミュニティ大炎上した。

・状況とリスクリターンを考えると故意なはずがない。

ジャッジや対戦相手などによって容易に物的証拠を作ることができてしまう。

・十数年間、イカサマなんてほど遠い、クリーンイメージからこの裁定が下るなんてありえない。

まぁ色々な意見散見された。

俺は当事者以外があーだこーだ言ってもしょうがないと思ってる。

けど、一つだけ信じてるのは渡辺雄也って選手イカサマなんてしなくてもこれまでの実績を疑わせないくらい強いという事。

この件でWoTC社に失望したのは、声明に対して納得のいく証拠の提出を一切することなく、異例なほど重い30ヶ月という罰を科したこと

反則行為で失格になった時点で罰が与えられる事、それ自体は仕方ないことかもしれない。

しかし、求められた調査の開示がない事、不当に思えるほどに重い罰、あらゆる説明が足りなさ過ぎた。

結果的日本を支えてきた英雄不本意に、容易に、軽々しく選手生命を絶たれたとしか見えなかった。

この件を皮切りに実際にMTGを辞めたやつも何人か確認してる。

献身的にずっと日本MTG界を牽引してきた人物でも、不透明組織の指先一つで活動を終わらせられる可能性があるなんて、信じられないよな。

こんなとこで文句言ってんじゃなくて問い合わせろって?日本WoTCに何か言っても無駄だ。

日本支社にはWoTC本社に何か言う権限なんて無い。

日本公式が駄目なら英語なり使って本社に言えって?俺は自分で声を挙げたことはないが、海外プロプレイヤーWoTCへの不満がたまに流れてきてもゴミみたいな制度を連発してるあたり何言っても無意味ってことだな。

こんなことが続く内に、WoTC社に期待する方が悪いという風潮が当たり前になった。

「最高のゲーム、最低の企業。」

誰が言い出したかわかんないけど、ここまでの総評となる言葉

面白くてゲームを初めて、企業に嫌気がさして、ゲームへの興味も失せた。

これが、俺がゲームを「好き」じゃなくなった経緯。

この手記が、MTGの魅力の片側から見た一方的意見であり、カジュアルに遊んでる人が今も楽しくしてるのは知ってる。

まぁタイトルにある通り「愚痴」だからな。聞いて欲しかっただけだ。

こんなこと書きながら2,3年後にはMTGやってるかもしれないけどな。

滅茶苦茶ネガキャンしといてなんだけど、ゲームは本当に面白いので興味あれば触ってみて欲しいという思いはある。

今ならマジックアリーナって無料で始められるアプリもあるし。DCGの中では本当に金のかからない部類だしね。

カードゲーム趣味だったおじさんのか弱い嘆きを聞いてくれてありがとう

P.S.

書いてる最中に、存在すら知らなかったPT代替となるCS(チャンピオンシップ)とやらが行われていたらしく、久しぶりに配信を見た。

自分が精力的にプレイしてた時期に鬼のように勝ってた市川ユウキ氏の手に汗握るような熱戦が見れて感動しました。

サインしてもらったゴルガリの魔除けは今でも宝物です。

本当におめでとうございます

2021-12-10

5chで長く続いてるパートスレに限って1(スレ主)がトリップつけてないのが不思議

そもそも荒らしかどうかなんてテンプレを書いた意図を分かってる書いた本人しか本来判断しようがない

しかスレ立ち上げるときトリップを設定していなかったから誰にも自分スレ主だとは証明できない

まり荒らしであることについて正当性のある裁定は誰にもできないし、逆に勝手荒らしだという人は自治厨に過ぎない

でもそういうスレに限って独断荒らし認定するやつは出てくるしパート100以上とか続く

2021-12-07

anond:20211207142806

から今のとこもう馬鹿かどうかの裁定は終わってる 「今は」ワクチン打ったやつが馬鹿

「今は」ワクチン打った奴が馬鹿ってのを見落としてるお前はバカだよ

ワクチン打たない奴はバカ底辺という論はコロナ禍真っ只中だからこそ通用する論

コロナが収まった世の中であればワクチンを打つ必要性はないのだから

anond:20211207142438

ワクチン打たない奴は馬鹿底辺理論を支持してるんだろ?

んでお前はワクチン打ってないんだろ?じゃあ馬鹿底辺ということになるよね

これは「もう馬鹿かどうかの裁定は終わってる」という書き込み矛盾するよ。当然自分馬鹿でないとアピールするために書いた文言だろうし。

anond:20211207141922

え?

から今のとこもう馬鹿かどうかの裁定は終わってる 今はワクチン打ったやつが馬鹿

これ今さっき書いたことだよね?もう矛盾してね?

anond:20211207140949

俺はワクチンをこれだけの人数打てばOKというラインまで打たないっていうチキンレースに勝ったわけだ

から今のとこもう馬鹿かどうかの裁定は終わってる 今はワクチン打ったやつが馬鹿

2021-11-18

anond:20211118141254

そういう水掛け論を客観的裁定するために法があるわけですな

2021-09-23

社会における性的表現のあり方の理想の食い違いとか

昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻理由とせずに「性差別助長する表現」を理由として、萌え絵代表される様な一部の表現禁止政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現表現自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。

 

日本右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現自由否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界映像業界自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制存在しない」状態を作り上げることで実質的表現規制をする様になってる。なので、公共利益公序良俗保護理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現自由一義的に示す表現である思想的・政治的表現規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制犠牲にはなっていない)

 

で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻から」とは言わずに「性差別であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。

 

何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動題目が「子供教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである極右極左政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。

 

左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織業界に作らせて『自主的な規制権力から強いる』事で実質的表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。

特にフェミニストとされる人達特定表現(宇崎ちゃんとか)を特定場所日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関企業に対する言論圧力によって当該機関企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快性差別表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人自民党政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。

 

左右の違いが全然いかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップ無修正ポルノ販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ一般書店水着グラビア雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)

 

良く知らない世界なのだが、腐女子世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子表現世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。

そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタク表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。

 

この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタク世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右オタクでも昭和左翼的な「政府による自由規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼オタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミ悪罵される人達基準ちょっと、いや全く受け入れられない。

 

昭和左翼自民党政府による「公序良俗保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的右翼である表現自由戦士」はフェミニズムからの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。

 

どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どエンタメである文学映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前戦後内務省警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗保護理由目的として簡単規制を受けがであることは戦後歴史証明してる。

 

それを守りたいと思うのであれば自分右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……

2021-09-12

anond:20210912123930

違法性が認められる」はイコール違法である」ではないんだよな。

実際違法性はあるが適法されない例は死ぬほどあるし(風俗とか二次同人とかさ)、解釈に幅を持たせて見逃せる余地を持たせてるようなのも山ほどある(逆もある)。

個々の事情やら例外やら、定義付けて裁定するのが難しいからこそ裁判制度があるわけだし、違法性があるからすべてが違法とは言えんよ。

2021-09-07

anond:20210907223159

厳密に言えば違法でも適法でもない状態だよ。著作権法著作権侵害してはならないという法ではなくて、侵害されたら差し止めたりすることができる権利を与えますよという法。法というのはある程度柔軟性を持たせてあったりするもんで、自分作品を守るための(自由にするための)裁定権を付与しますという形になってんだな。

から黙認は暗に許容なんていう言がはびこってたりするし、それもまあ完全なる間違いとも言えない。だからといって侵害してもいいという意味でもまったくない。侵害行為は侵害行為。マジのグレーゾーンだよ。

子どものころテレビ中曽根裁定見ててめっちゃわくわくした記憶があるんだが最近そういう首相の決め方しないのか

2021-08-30

anond:20210830152536

国営ラブホテル裁定官の目の前でセックスする以外のすべての性行為違法にしないとな

セックス取締官になりたい

2021-08-08

anond:20210808144152

トンチンカンコメントは考え方の差というより読解力の差

ホントにね。

id:maruX の「増田男尊女卑を感じずに生きてこられた」とか、元増田も突っ込んでるけど、救いようがないよね。

ここまで来ると、読解力の不足というより、妄想力の逞しさと言った方が正確かも知れない。

結局フェミニズムの最大の欠点は、議論の上澄みだけを裁定するだけで、個々の議論に誠実に向かい合うことが出来ない、という所にあるんだろうなあ。

2021-08-05

書け書けと言われたので

これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。

引用されている増田テクスト位置づけについて

まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分増田で書いた文章子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。

パターナリズムについて

rag_enさんは以下のように、「『社会コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズム肯定」や(判断力が未熟な当事者保護する)「手段としてのパターナリズム自体を強く批判されています

未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。

そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。


ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている判断力によって(ある問題についての当事者能力責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象自由権を(当人保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか? 

現行の日本法律が、年齢によってその人物判断能力推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法判断能力吟味裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います

憲法学世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年自身目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人判断能力の不十分さを補うために後見措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0RwE-rfojV4J:https://core.ac.uk/download/97063334.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

そして、未成年や年齢が低い児童判断能力が不十分とみなされる理由は、法学世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスク懸念されているからです。[^1]

[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスク存在しているといえます10代の妊娠中絶経験者の68.1%妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報理解力の不足した判断)、③相手避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産育児不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的判断)など、当人判断能力の不足によって、望まない妊娠人工妊娠中絶に到っています

この前提において、当事者自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズム議論の中で整理されている話です。

ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。

1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、

2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、

3. 強要されて判断した場合(coerced)、または

4. その他、実質的自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家法制度に含まれています性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家議会立法などの民主主義手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会コンセンサス』の賜物でしょう。

から先ほどのrag_enさんの、「『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念法制度に組み込んでいる全ての国家社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか

現在日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者主体的判断によるものであっても、相手強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなくペーパーテスト免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。

※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト免許制という提案は、パターナリズム的な観点判断力が未熟な当事者保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害リスクなどを鑑みて、本来無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者能力知識技術総合的に認証したうえで特別アクセス権を付与するもの、つまり自動車免許医師免許に相当するものであるからパターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います未成年児童が関わる性行為について、当事者不利益よりも他者危害リスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。

しかし、そのような制度---国家国民の性行為に関わる知識判断能力ペーパーテスト弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックス権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分国家による生-権力的介入・管理アプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順身体〉の構築」というフーコーテーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。

また、自動車免許社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えますセックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センター受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用イメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853 に続きます

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