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2022-09-10

anond:20220910153218

増田テロ定義だと

中学校で小さな社会に影響与えるため子供暴力ふるってるので

日常茶飯事で別に特別視するものでもないって事だよね

土曜日っていつから休みになったんだろう

いつから休みになったのかなぁ

記憶曖昧

小学校とか中学校とか半日登校だったか

弁当を持って行った記憶もかすかにある。

高校?どうだったろう。半日だったか

午後に映画館に行って夕方までダラダラ見ていたかな。

図書館に行ったりしてたかな。

大学生ときは?土曜日って講義あったか研究室ゲームしてたか

会社入った時はどうだろう。

最初から休みだったっけ?半日出るみたいな出勤だったか

今日半ドンだなとか先輩のおじさんが言ってたような

どの辺から休みになったんだろう。

たぶん今は学校ちゃん休みなんでしょ?高校はある?部活

土日休みだと学生って暇じゃないのかな

それなりに塾にいったりいそがしいのかな。

2022-09-09

自分が通ってた小学校中学校に行ってきた

光が照り返すグラウンド

グラウンドに引かれた白線

運動会体育祭で使うテント

先生が指示する声

子ども達の列

軽く通りすぎたぐらいだけど、当時のことを思い出して懐かしくなった

日差しが照りつける時間

グラウンドに集まり土をいじったりしながら先生の話を聞く

ときおり風が吹き、土煙が舞って前が見づらくなったり咳き込んだり

ちょっとした空き時間に近くの人と話して

懐かしい雰囲気を思い出した

阪神関係ないやろ!

https://news.yahoo.co.jp/articles/1e6ce2315939e1351fba1677d7f9736130f2c8fa

静岡市教育委員会によると、8日午前3時半、静岡市ホームページの問い合わせフォームに「9日の下校時刻に市内の小中学生を数名拉致して殺害。午後3時34分に市内の小中学校全校に対し、高性能の爆弾にて爆破」と書き込みがあった。」

おそらくメール送信時間も午前3時34分。

阪神関係ないやろ!

それに静岡市は広いのに全校やるとかもう馬鹿かと。

というかこの手の予告は教師仕事を増やしてるだけにしか見えない。

犯人愉快犯なのか同日発売日の某ゲームをやりたい奴なのか。

2022-09-07

全校集会の思い出

オズワルドの畠中が、母校の思い出として、

平和すぎて事件がなかった。トイレウンコが流れていない...ことに激昂した校長が、全校集会を発令してその便器の様子を見せるくらいだった」

と話していて、自分も似た話を思い出した。

市の南方歴史のある荒れた地域で、学校も荒れていたらしい。

市の北方は新しめの住宅地大人しい地域だった。在学中に特に事件はなかった。

自分が通っていた最北の中学校は、変な若手の先生と、定年間近の先生が多かった。

前者は、初心者向けの環境経験を積んで辛い南に行く準備、

後者は、教員生活最後くらいは問題のない北の環境引退

...みたいな噂が流れていた。そのくらい平和環境だった。

ある日の昼休み明けに、急遽全校集会の号令がかかった。

集合の遅さに、3年の学年主任先生がめちゃくちゃ怒っていた。

タバコでも見つかったのかな?イジメ現場がバレた?など、怒り度合いから原因予想をしていた。

ナン!!!!ガッコウニ!!!!コンナモノガアルンダ!!!!!」

紙切れ?を掲げた先生

後方からは何も見えなかった。前の方から伝言ゲームで教えてもらった。ミルキーの袋らしい。

まりの怒声に女子が泣いていた。全員飴を持ってきていたのかな。

ミルキー片手に騒ぐおじさんの怒号と、たぶん雰囲気で泣いている女生徒の嗚咽。

集会は1時間くらい続いた。

嫌な部活時間が減ってラッキー、くらいに思っていた。

そういえば、確か定年間近だった当時の部活顧問は、北でも問題ありすぎたのか、2年で南に戻された。

彼は元気かな。二度と会いたくない

2022-09-03

陽キャにも陰キャにもなれない人

 もう長いことフリーターニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分空気のような存在でいたい。そういうわけで人間関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校卒業したらどこかの会社就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさである未来と言うのは本当に不確かなものだ。

 陽キャ陰キャ二元論物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれ学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分意思関係を構築していたわけではなかった。

 

 自分公立の小中学校に通っていたが、公立学校には実に様々な人間存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である自分たまたま同じクラスやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。

 彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間から自分はいたずら好きな人なのだ認識され、近寄ってくる人たちも自然自分と近しい人達ばかりであった。

 中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育お金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育お金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップ主人公自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャル主人公グループの反対を押し切って難関大学受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。

 高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。

 高校高校中学までの人とは別のタイプ明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分人生のものに関心がなかった。

 自分性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分ベクトルの向きが真逆人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分意思自分人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。

 周りに流されて生きてきて自分性質客観的に見る機会を持たない人間本来自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。

 結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティ形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である

 もっと早いうちから自分性質人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。

陽キャにも陰キャにもなれない人

 もう長いことフリーターニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分空気のような存在でいたい。そういうわけで人間関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校卒業したらどこかの会社就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさである未来と言うのは本当に不確かなものだ。

 陽キャ陰キャ二元論物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれ学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分意思関係を構築していたわけではなかった。

 

 自分公立の小中学校に通っていたが、公立学校には実に様々な人間存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である自分たまたま同じクラスやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。

 彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間から自分はいたずら好きな人なのだ認識され、近寄ってくる人たちも自然自分と近しい人達ばかりであった。

 中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育お金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育お金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップ主人公自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャル主人公グループの反対を押し切って難関大学受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。

 高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。

 高校高校中学までの人とは別のタイプ明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分人生のものに関心がなかった。

 自分性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分ベクトルの向きが真逆人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分意思自分人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。

 周りに流されて生きてきて自分性質客観的に見る機会を持たない人間本来自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。

 結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティ形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である

 もっと早いうちから自分性質人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。

2022-09-02

anond:20220902112636

小中学生自慰同級生妄想だろう・・・jk

中学校行かなかったの?

学ばなかったの?

友達いなかったの?

2022-08-31

https://toyokeizai.net/articles/-/579447?page=3

「一度、特別支援学級学校のレールに乗ると、通常学級のレールに戻るのは難しいのが現実です。特別支援学校高等部卒業は、就職時に(「高卒」の要件として認められず)中学校卒業の扱いになります特別支援学校では就職先を斡旋してくれますが、そこでうまくいかなければ、中卒資格で自活しなければいけません。」

2022-08-30

着物業界が衰退していくのは当たり前

着物屋着付け用の紐とか足袋を買いに行くと

必ず店員が寄ってきて高い着物を勧めようとする。

木綿の着物ならお安いですよといっても、仕立て代込みで三万円がせいぜい。

木綿の着物って、洋服で言うTシャツとGパンにあたるからマジで「その辺に着ていく服」っていう扱い。

そういう服に三万円、出せます

で、木綿の着物は自宅で洗濯できるからまだいいけど、

絹の着物だと何千円もかけてクリーニングに出すしかない。

ましてや絹の着物となると、もとのお値段も張る。

一番低価格小紋で一着五万くらいかな。

着物屋からすると、五万の着物なんて「めっちゃ安いもの」扱いになる。

多分ディスカウントショップで売ってる品物くらいの価値なんだと思う。

から

美術館とか友達お茶するとき、 気 軽 に 着られますよ~」

なんて言うんだ。

でもさ、五万の服着て、気軽に外出できます

私はそんなに裕福な方ではないのでアレかもしれないけど、絶対無理

美術館とか友達食事に行くとかなら、全身一万五千円以内(バッグ・靴除く)がせいぜいだよ。

特に絹の着物は自宅メンテができないから汚すの怖いし。

もちろん何かの式典に出る場合は別だよ。

そういうときレンタルちゃうわ。

……って断ってるのに、着物屋の人はだいたいしつこい。

もっと高い、八十万円くらいする訪問着とか出してして

「これがあれば、お出かけから冠婚葬祭全部いけます」って言うんだわ。

でも冠婚葬祭ならレンタルするし、私の場合子供の卒入学式の時期はもうとっくに過ぎてるんだよね。

そうやって断ったら、着物屋の人は『伝家の宝刀』を出してくる。

冠婚葬祭以外なら、 ち ょ っ と し た パ ー テ ィ ー で着られますよ」

ちょっとしたパーティーってなんだ?

普通に会社員してて、パーティーなんてそうそうあります

仮にパーティーに出ることになったとしても、やっぱ八十万もする着物は怖くて着ていけないよ。

それに、リサイクルショップに行けば、価値が同等の着物が三千円くらいで買えるんだよ。

庶民はそれで十分。

着物業界の人は、斜陽だと嘆く前に、価値観を変えたほうがいいと思う。

若い人はお金がないから、今やお出かけ着にも一万円は出せません。

ファストファッションの店で数千円で買った服を、下手したら十年着る時代だよ。

しかメンテナンスに費用もかけられない。

から家でガンガン洗えないと着用する気にならないの。

「三万円の着物」はめっっっっっっっちゃ高級品だから、気軽なものとして勧められると違和感ありありです。

ブランド物を売るくらいの気持ちでいてください。

私のように小物目当てで来店してて、着物買いそうもない人には声を掛けない方が賢明

一着1980円で売れとは言わないけどさ

・せめて五千円以内

・家でガンガン洗える

・過剰な接客はいらない

ちょっとしたパーティーという用語禁止(笑)

にしないと、ますます斜陽だよ。

着物屋で働く人は、ちょっとその辺に行くのに、TシャツGパン感覚

三万円する服を着ていってるんですか?

八十万円の着物を、平服で来る人も多い公立中学校の卒入学式に着ていきますか?

その日は雪かもしれないし、大雨かもしれません。

校庭は砂埃だらけです。

凄く汚れて洗い張りなんてことになったら、クリーニングに数万円かかります

そのことも考えてお勧めしてますか?

ちょっとしたパーティーって、具体的に何ですか?

ありもしないものを想定しないでください。

庶民にとっては高級すぎる品物を「気軽に使える」と嘘をつかないように。

「お高いけど一生モノですよ」

これは正直な言い方だけど、ハッキリ言って庶民は誰も手が出ません。

上にも書いたけど、数千円の服を何年も着ているのが現状なんです。

八十万円の着物貴族が買うもの

一生ものだと言われても、服に出せるのはせいぜい十万円まででしょう。

もちろん私以上のお金持ちはいる。

でも、ショッピングモールかに入っている着物屋さんなら、客層をもっと把握してください。

庶民にぜいたく品は売れませんよ。

anond:20220830125120

>小中学校対話の基礎を学び直してきてほしい

なんでこんなに上から目線で物申せるのかわからない

anond:20220830124239

ほんそれ

普通に考えればイラストレーター界隈の反発も理解できるし、なんでこんなに上から目線で物申せるのかわからない。他人感情理解する気力も無さそうな人間が多く、何様のつもりなんだろう。

技術を普及させたいならもう少し言い方や説明の仕方があるだろうと思うし、(俺も技術屋だけど)日本技術が普及しないのって結局技術屋やその周辺が他人をいい感じに説得できず正しさで殴ることしかできないコミュ障からに尽きると思ってる。なんか話の通じない同僚とかも多いしな 小中学校対話の基礎を学び直してきてほしい

2022-08-29

ぼったくりバー店員だったことがある 其の一

かに話したくなってきた。

まだ二十歳ほどの頃、地元広島特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。

福山駅付近にある繁華街だった。福山といったら知名度ほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパート暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。

地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。

すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。

ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?

正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。

幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。

官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。

それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。

なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。

当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。

親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈り洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼて見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。

ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。



というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。

当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式特攻服を着る者や……。学校トイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。

先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あん中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。

それで、ついにある時、新築に近い状態体育館タバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。

グーグルマップ。クチコミを参照

中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。

休みチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師しか部活顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。

荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。

しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。

昼休憩の中頃、体育館ステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初カーテン燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。

担任先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。

なんか、ここまで書いただけで精神力ほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。

火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいたか

その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。

俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。

当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子モテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって

俺の父親会社経営者だった。祖父地元市役所の偉い人で、曾祖父町長だった。親戚だって職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。

彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。

法律も慣習も、常識非常識も、論理的思考人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。

あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。

そろそろ筆を休める。いい文が書ける気がしない。また明日投稿してリンクを貼っておく。

https://anond.hatelabo.jp/20220830220250

南小倉中学校では、28日時点で、教員の22人のうち、

半数の11人が新型コロナウイルスへの感染確認されたため、29日から3日間、学校閉鎖となります

教員集団感染のおそれがあるとして、学校が閉鎖されるのは、北九州市で初めてです。

これって、たったの3日間の閉鎖ですぐに復帰できると、本気で思ってるんだろうか。。。

2022-08-28

これおかしいね

発達障害』は父親高齢になる程産まれやすい筈なのに、比較的若くして産んでいる沖縄で何故か有意に多いという。

沖縄の特徴といえば十代での出産の多さや貧困離婚率の高さだが、

やっぱり実際には後天的な要素の方が大きくて

発達障害』なる、「生まれついての脳の障害」など存在しないのでは?


https://toyokeizai.net/articles/-/604154

特別支援学級が予想以上に増えた」

文部科学省や各教育委員会教員不足の大きな要因として挙げるのが、障害のある子どもが通う特別支援学級(以下、支援学級)の増加だ。直近10年間で小中学校全体の児童・生徒数は減少しているにもかかわらず、支援学級の在籍者数は2011年度の約15万人から2021年度には約32万人に倍増している。

学級全体に占める支援学級の比率全国的に高い沖縄県の教育委員会担当者も、教員不足の一因について「支援学級が増えすぎた」と話す。同県で顕著に増えているのが、自閉症など発達障害児童が通う「自閉症情緒障害支援学級の在籍者数だ。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/619672

沖縄の小中学校 情緒学級生、10年で12倍 発達障がいへの理解進む 一時的行動で判断懸念

県内公立中学校の「自閉症情緒障がい特別支援学級(以下、情緒学級)」に通う児童生徒が2019年度に3389人となり、10年度の272人から10年間で12・5倍に急増した。全国平均も2・4倍と伸びているが、沖縄が突出している。発達障がいの認知が進んだことが一因だが、虐待いじめによっても発達障がいと同じような行動特性が現れることがあり、識者からは「支援学級が適切かどうか疑わしいケースがある」と懸念も出ている。(編集委員鈴木実)

女は生理オープンにしたいのか隠したいのかはっきりして

男子生徒の前で男性教諭女子生徒に性的発言地裁違法認定

https://news.yahoo.co.jp/articles/95991349c5a3da92cd86912c46b1fa77a8655dfc

判決によると、女性中学校に在籍していた2018年3~5月頃、朝の健康観察で体調不良を訴えた際、男性教諭から生理ですか」などと聞かれた。その後、教諭に対する吐き気などのストレス症状が出るようになった。

 市側は「体調確認必要で、例示にとどまる」などと主張したが、判決は、男子生徒らがいる場で生理確認を求められることは、「望まない性的言動不快なことは明らか」と指摘。人格権侵害する違法発言と認めた。

 一方で、小野寺裁判長は、発言による発症予見可能性はなかったと判断し、賠償責任は退けた。

男子生徒の前で聞いたらダメって言うけど

呼び出して男性教諭と2人きりの場所で聞くのもキモいでしょ

男はどうしたらいいんだよ

不登校でもひきこもりでも友達だけは作っておいたほうがいい

俺はひきこもり始めて五年目で今年二十歳になった。

中二から不登校で、それがきっかけで今までひきこもってる。

高校大学も行ってないから最終学歴は中卒。

ひきこもりにも程度があると思う。コンビニとか余裕で行ける人もいれば、自室にこもって風呂にも入らず数年姿を見せないとか。

俺の場合、やむを得ない事情でもない限り玄関のドアから一歩も踏み出せない。ただ、家に自分の部屋がないおかげか、親とは毎日顔を合わせるし風呂にも入る。でも、会話(というか返事)は月に数回だけ。

やむを得ない事情というのは具体的にいうと、気胸になって一週間入院したとか、中耳炎になって耳鼻科に行ったとか。

本題だけど、人(社会)との関わりを維持したほうがいい理由は、死にたくなるから文字でもいいから人と会話しないと頭がおかしくなる。

ひきこもりというと、一日中MMOやっててフレンドたくさんいるとか、ネット上にはたくさん友達がいるって思ってる人もいるかもしれないけど、俺の場合、気軽に会話できる人ってこの世に一人もいない。

ひきこもって1、2年のころは、かろうじて小中学校友達数人とTwitterDMでやりとりしてたんだけど、一人は普段ツイートインセル丸出しでそれがキツくてブロックしてしまった。もう一人は積極的に話しかけてくれてたんだけど、それにどう返事したらいいのか全くわからなくて放置してたら、連絡も途絶えるようになってしまった。

なにも考えなくていいから5ch見るのが好きで、嫌儲板とか専門板でレスバして会話してる気になったりしてたんだけど、最近の5chは書き込み規制が厳しくて固定回線では書き込めなくなった。ニートから浪人(5chの課金)も買えないし、固定回線より規制が緩い携帯回線も持ってないし。

そうやって、5chでのレスバも出来ない友達もいない意味のない人生を送ってたら、今月の頭くらいに孤独感がひどくなって本当に死にたくなって、とりあえず気分転換アニメでも見ようと思ったら全然頭に入ってこなくてやばいと思った。

から、とりあえず自分の好きなゲームVCとかコミュニティに参加してみようと思って初めてDiscordインストールした。けど、書き込むのが怖すぎて未だに「よろしくお願いします」の一言しか書き込めてない。

引き出し屋特集とかしてた頃と違って、最近メディアは優しくて「逃げてもいい」とか「不登校でもやり直せる」系の記事が多い印象だけど、あらゆることから逃げてきたダメ人間としては、我慢できそうなら我慢したほうがいいと思ってる(後悔してる)。もちろん、死ぬくらいなら逃げたほうがいいに決まってるけど。

というのも、レールから外れると元に戻ることなんて出来ないから。どうにかしがみついているのと完全に脱線してるのとでは、軌道修正コストが違いすぎる。

あなた不登校児の親なら、とにかく子供社会との関わりを保ち続けることにリソースを割いたほうがいいと俺は思う。それは通信制学校に通うとか、自助グループに参加するとかいろいろある。あと、ひきこもりがちなら外に連れ出せるうちにメンタルクリニックに通院したほうがいい。通院でも散歩でもいいけど習慣化は重要

あなた当事者なら、とにかくプライドと恐怖心を抑え込んで、何でもやってみる(努力する)のが重要だと思う。人前に出たらバカにされるかもとか考えるとたしかに怖いけど、ひきこもりなんてバカにされて見下されて当然だし、そうは言っても暴言吐かれたり殴られたりするわけでもないんだから

それと、令和に入ってから厚労省地方自治体ひきこもり支援を推進しているし、とくに未成年氷河期世代対象支援は多い印象だから積極的活用したほうがいい。

で、俺は、支援窓口に電話する勇気もないし外に出るのは相変わらず怖い。メンタルクリニックにも行ったことなくて、ひきこもり五年目に突入して行けるとも思えない。そもそも親になんて言えばいいのかもわからない。住んでる地域ひきこもり専門のメンタルクリニックっていうのがあったんだけど、どうやら未成年限定らしいし、もうどうでもいいや。

2022-08-27

ルポ 誰が国語力を殺すのか 石井光太

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163915753

ネットだとごんぎつねと一つの花についての子供達の感想ばかりがセンセーショナルに取り沙汰されていたけれど、実際の本の内容は意外と普通に良かった

単なる文章読解力の話ではなく、その背後にある想像力やそれを養わない教育問題、それが引き起こすいじめ少年犯罪といった様々な問題について書いた本のようだ

しかしそういった問題提起の部分はいいんだが、納得いかないのは解決法として名門私立小学校中学校での教育の事例が取り上げられている事だなー

そういうふうに選ばれた上級国民エリートの子供達しか入れない学校で率先して子供達の豊かな感受性を育む教育を行うって

ますます格差を広げているだけじゃない?それって何もしないよりもよっぽど酷くない?って思った

例に上がってる教育自体は良いと思ったし、その学校先生理念にも共感するけどさー

2022-08-26

これは自分の心境の整理のために書くものであって、誰かに読ませるためのものではないことをあらかじめ記載しておく。

物心ついた頃からわたし」という一人称違和感があった。

末尾に「子」がついた名前も、スカートも嫌いだった。

男の子の遊びが好きで、運動が嫌いだから外遊びこそしなかったけれど休み時間女子よりは男子とつるんでいた。

家族から女の子なんだから」「いつか将来彼氏ができたとき」「その服かわいいね」と言われるたび違和感があった。

それで、「性同一性障害」と――少なくとも当時はそう教えられた――呼ばれる概念を知ったのが小学校5年生の秋頃。性同一性障害という単語を知って数日後に、突然自分がそれに当てはまることに気が付いた。

気付いたときは混乱した。今まで自分は女として分類されていたし、身体が女なんだからそれを疑いようがなかった。だから赤いランドセル大事にしていたし、シナモロールの筆箱を黙って使っていたし、将来の夢は幼稚園先生だった。体育の着替えも使用するトイレも、女子たちと一緒でも何も思わなかった。

今なら自分の持ち物は親が買ってきたものなんだから選択の自由なんてはなから無かったと言えるし、小学生の言う将来の夢なんて知っている職業から無理やり捻りだしているに過ぎないとわかるし、身体が女なら周囲の人間自分自身の安全のために女子更衣室や女子トイレを利用するほかないことぐらいは当然理解できるのだが、小学生自分は「男か、女か」という固定概念に囚われ、自分の在り方が大いに矛盾したもののように感じられた。

その日学校から自宅に帰ってきて、初めてうちの母に「俺」という一人称を使ってみたいと言った。母は怒り狂った。そんなはしたない言動をしていいわけがないだろう、痛々しい。女の子なんだから俺なんて言葉を使っちゃいけません。テンプレみたいな行動だった。

母はパソコンで「俺っていう一人称使う女イタいよね」みたいなスレのまとめまで引っ張り出してきて、「ね?みんな気持ち悪がってるからやめなさい」と言い出した。「中二病乙って感じ」「マジで気持ち悪い」「(暗黒微笑)とか使ってそう」みたいなレスならまだよかったが、中には「僕っ娘かわいい彼女にしたい」とか「ぶち犯して女であることを理解させたい」のような性的な物まで混ざっていた。多分母も頭に血が昇っていて内容まで細かく精査する余裕はなかったのだろうが、だとしても小学生に読ませる内容ではない。まして自分性別違和感気づき勇気を出して親に打ち明けた小学生に読ませる内容では絶対にない。……と今なら反論できるだろう。繰り返すようだが当時小学生である心理的に非常にショックを受けたが、それを言語化できない。

母も修羅場だったんだろうなと思う。私が早めの中二病発症して、このまま矯正しなければどんどん品性の無い振る舞いを覚えるようになるのではと危惧したのだろう。こちらの心理勝手に決めつけて行動さえしなければ正しい教育方針だったんじゃないだろうか。結果的大惨事が起きてるけど。この出来事は親への信頼を損なった思い出として大いに心に残り、このことを父親に言えたのは今年の7月に入ってからだ。

それから中学校高校と、友人の前では男として行動し、先生家族の前では女として行動する生活が続いた。当然友達はいなかったが、そもそも友達と一緒に遊ぶよりは一人で過ごす方が好きだったので大した問題は無かった。精々中学校で変わった奴認定されてひそひそ陰口を叩かれたぐらいだ。それなりの偏差値高校に行けば止まった。

今通っている大学では、自分の身に降りかかるありとあらゆる出来事にある程度妥協ができるようになったつもりなので女として過ごしている。就職したら準備が整い次第すぐ母親から離れて、私生活では男として過ごすつもりだ(就職活動を女としてやってしまったので就職先ではどうなるかわからないが……)。

まあ妥協できたつもりになっているのはあくまで「つもり」でしかないので、未だに自分性別がどちらかわからなくなるし、女として振る舞いたくなる時も稀にある。だけど基本的に私の性別は男で、身体性別重要になる場面以外では男として扱われたい。いちいち説明するのもめんどくさいので、身なりを変えられるようになるまでは女として過ごしているだけだ。

結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。誰かに読ませるための文章でないことは冒頭に記述した通りだが、こんな怪文書最後まで読んでくれた根気のある人に強いて何か伝えるとするなら、何も言わず普通に接すること以上の配慮はないということだ。個人的意見だが、性的マイノリティに対して特別配慮必要なわけではないのだ。ただ、こっちがどんな一人称を使っても、どんな服を着ていても、突っ込まず昨日までと同じように普通に話してほしいだけ。内心でどう思っていようが、面と向かって馬鹿にされない限りはこちらも気にしない。「その服おかしくね?」とか「何その喋り方」なんていう問いは、自分自分自身に向けて散々発しているのだ。今更他人に問われたくない。

2022-08-24

あなた旦那さんは、中学校時代にぼくを障害者みたいといって笑っていましたよ」

2022-08-22

スペック容姿に全振りした地元女の子

小学校中学校同級生にめちゃくちゃ可愛くてめちゃくちゃ貧乏でめちゃくちゃ頭悪い女の子がいた。

白い肌に大きい目に黒い髪のtheヒロインみたいな子だった。サンシャイン池崎空前絶後ハウスみたいなところにヨボヨボのお婆ちゃん美人で幸薄そうなお母さんと3人で暮らしていた。小学生の時に俺と同じ班で何回か遊びに行ったことがあるんだけど、土間みたいなところに剥き出しの風呂桶とお風呂のガスの機械ドンと置いてあって、流しの水を流すと途切れた水道から外の溝に直接流れる感じ。隙間だらけなのでスズメバチとか野良猫入ってくるし、トイレは外に工事現場トイレみたいなのが置いてあった。中身は提起的に町のし尿処理施設に捨てに行くらしい。洗濯物は手洗い。女の子同士で遊んでる時や放課後はいつも学校制服ジャージ体操服を着ていた。

九九の6の段以降は言えず、中学では選択肢ありのテストの「黒船に乗って徳川家康出島に来航した。」という解答を社会教師に笑われながらクラスで発表され泣きそうになってるくらい頭が悪かった。一応自主参加の土曜日補修みたいなのに毎回参加してたんだけど。吹奏楽部に入りたいけど、楽器が買えないから入らないと言っていた。あれ学校が貸し出すんじゃないんだね。

性格は良かったのでいじめもなかったしなんなら友達も多かったと思うけど、あらゆる面で悲壮感が強すぎて男子からモテはいなかった。たまに上級生や下級生の男子からナンパもどきみたいな揶揄われ方をされてるくらい。

教師友達サポートによる猛勉強の末ほぼボーダーフリー底辺県立商業高校に進んだ彼女卒業後に地元携帯ショップ店員となり今も空前絶後ハウス暮らしている。地元に今もいる友達によると最近地元の後輩(昔はいつも鼻水を垂らしながら荒れた肌をボリボリ掻いておりいじめられていた。地元ホームセンターで働いている)と付き合い始めたらしい。

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