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はてなキーワード: 中学校とは

2022-10-05

暇な空白(暇空茜)こと水原晃さん(40)についてまとめてみました (前)

(時数制限に引っ掛かった?ようなので分割で投稿

【参考】

twitter https://twitter.com/z4mibyc8fyl06mb

Note https://note.com/hima_kuuhaku

空白雑記https://kuuhaku2.hatenablog.com/

空白日記https://ameblo.jp/kuuhaku-bura3/

雑記日記は一通り読んだけど、twitternoteはまだちゃんと見れてない

あと見逃しも多いと思うのでなんかあったら教えて


本名について】

https://i.imgur.com/RFQXJAO.jpeg

名前ちょっと調べたら出てくるし書類とかでも特に隠されてないんだけど

清晃の読みはキヨテルなのかセイコウなのか…とか考えてたら、noteの「暇な空白/Kiyoteru Mizuhara」でセルフ開示されてた。

近所のお寺のお坊さんに付けてもらったらしい。(シン・ネトゲ戦記第二話 https://note.com/hima_kuuhaku/n/n596e76196ea7


【年齢について】

「たしか日航機の事故TVで見て、心底恐怖し、家族旅行飛行機に乗るぞといった空港日航機に乗ると告げられ、まだ死にたくないと死にものぐるいで椅子植木鉢にしがみついて叫び倒し、日航機じゃない飛行機に変更させたのは覚えている。3,4歳だったかな」(シン・ネトゲ戦記 第二話)

日空機事故1985年のため、1982生まれと考えられる

「思うところがあって、エヴァ(旧TV劇場版)を見直した。当時まさに直撃した14歳で見た時と、今当時の監督達と同じ30すぎになって見た時と、やはり感じるところは全然違う。」(暇空雑記2016年10月4日

エヴァ放送が1995-1996のため、1982年まれとすると1996年14歳のため一致する。2016年では34歳、今年40歳か。

生年くらい、誕生日含めてどっかで書いてそうだが見つからず。


学歴について】

東大寺学園高等学校附属中学校入学高校中退)、近畿大学卒とのこと

生徒手帳等の証拠確認できたわけでもなく、飽くまで自称だが

「俺なんて偏差値60以上に行くのが俺が創立以来初とかい底辺田舎公立小学校から東大寺いきましたけど」(https://twitter.com/Z4mibyc8FYL06mB/status/1523675898821885952

そもそも僕はオスなので、環境のせいとか言い訳せずに小学校がクソでも東大寺いきましたッピ」(https://twitter.com/Z4mibyc8FYL06mB/status/1523710506972094465

何故か(すっとぼけ)近大への言及は少ない

【後編】

https://anond.hatelabo.jp/20221005025320

2022-10-04

anond:20221004013105

知り合いに障害児の親いて話聞くけど

あんま変わってない気がするな

小学校までは公立学校なら普通の子と同じ学校まではあり(クラスがどうなるかは学校障害次第)

中学校からは完全別

高校行けるかは運らしいが、あまり行かないみたいな話はしてた 就労施設行き

2022-10-02

anond:20221002204837

私が山上容疑者なら普通に彼女作って家庭築いて幸せになるけどな。

統一教会母親? ぜんぶ忘れて、自分たち幸福だけを考えて生きる。

いわゆる「次行け次」だよ。

だってそうなんじゃないの。

復讐は何も生まないっていうじゃん。

私も小学校中学校イジメを受けてたけど復讐したい気持ちなんてとっくに消えてしまった。

イジメっこ連中は反省なんて何一つなく無垢笑顔フェイスブックに載せて幸せになってる。

知ったことか。

私の人生は一度しかないし時間は限られてる。

トラウマなんて過去別世界としてシャットアウトして

いまの自分幸福を追った方が、はっきり言ってコスパがいい。

人殺しの罪を負って社会から袋叩きにされるより、幸せな家庭の方がずっとマシ。

2022-09-30

俺の通ってた小学校は今振り返るととんでもなく酷い環境

まずクラスにいる数少ない中学受験組は最初から担任にめちゃくちゃ敵視されてて

担任から授業で当てられる

→正解を答える

→「授業でまだやってないのにどーして正解できるの?ねぇなんでー?」とその場でガン詰めされる

これが当たり前だったわ。

練習問題をみんなに解かせて教室が静まり返ってるさなか、担任が前ぶれなく


「塾でやってるから勉強できるんだと思って。フザケロォっ!!!ったく(笑)


とか突然冗談めかして一喝したり。


中学受験組は休み時間に集まって

「これから当てられた時どうしよう……」

と話し合いしてた。

結果、以後の彼らは例によって授業中に教師から当てられた時は脅えながら三文芝居丸出しの誤答を連発するようになっていた。



当時も違和感ハンパなかったけど今考えたら正真正銘キチガイだわ。


横浜市立の小学校だったけど他の教師キチガイ揃いだった。

情緒超絶不安定教師がとにかく多すぎた。

(掃除時間に突然後ろから男子生徒にガバって抱きついてズボンの上からチンコを手のひらで押さえながら

「悪いことするとオチンチンちょんぎっちゃうんだから!?わかってんのー!?(笑)」とかやってる教師いたし)。

教師がそんなんばっかだから生徒も大体情緒不安定になってガチイジメと密告合戦が横行してたし。

障害者ゴキブリ食わそうと追っかけ回すゲームクラス流行ってたよ。


でも港北区とか青葉区とか出身友達

自分担任先生は物凄く優しくて良い人で学校凄い楽しかった」

と揃って同じような振り返りをしているのを聞くに、こういうのは地域所得関係してんのかなとも思った。

横浜市旭区瀬谷区を境に南のほうは貧乏と不良ばっかりのエリアだったし。

なお、その後進学した公立中学校では、

上述の狂ってる文化に加えて

教師による暴力恫喝パワハラ

少年院上等。スポーツ以外の目標に向かって頑張ってる同級生自殺寸前まで追い込んで妨害する」という使命感に燃えた不良が跋扈する地上の地獄が待ち受けていた模様。


途中で転校してきた震災被害者新聞載るだろこれってレベルイジメにあって人生詰まされてたしな。


地域にまつわる体験があまりに苦々しすぎて故郷なのに横浜大っ嫌いだわ。

それに伴って

都心から30キロ以上離れた地域民度地獄

みたいな偏見もできた(でも地元が柏とか相模原とかの奴の公立中学体験ビックリするほど似てたかあながち間違いじゃないかも)。

毎日小説を書いている

私は30代前半の男。公務員の父と専業主婦の母の間に一人っ子として東海地方に生まれた。地方国立大学教育学部の附属小中学校卒業し、旧制中と師範学校を合わせて作った県立高校を経て早稲田に進学した。昔から酷かった下痢上京して悪化。授業中でもサークル新歓でも腹痛と便意に見舞われるようになり、大学に行かなくなった。一人暮らし心配する両親には電話架空大学生活の話をし、それ以外の時間は部屋のトイレにこもった。将来への不安と両親への申し訳なさで余計に下痢悪化し急速にハゲた。授業に出ていないことは一年の前期の終わりにバレ、帰省して3年近く実家で引きこもった。引きこもってるうちに下痢が治り、再び上京心機一転大学に通い始めることにした。

しか最初に出席した必修授業にて、

教授「君、授業中は帽子取ってくれるかな?」

私「あ、えっと、その、はい

ハゲバレ

教授「あっ!えー、はい、それじゃ続けます

周囲「クスクス

教授「えーそれでは、リアクションペーパーを周囲の人と交換して下さい。冒頭で説明したように、今日キーワードが織り込まれいるかボールペンでチェックし、サインを書いて返して下さい」

一年しかいないはずの授業にて学籍番号の「1A〇〇(入学年度)」にて留年バレ

このダブルコンボで私の豆腐メンタルは挫けた。急な便意に襲われ教室を逃げ出した僕はその足で大学を辞める手続きをした。実際にはすぐに受理されることはなく、正式な退学までには思ったより時間がかかった。最後事務所を訪れた帰り、大隈庭園蒸しパンを食べた。天気が良かったのでしばらくのんびりしたかったが、腹痛に襲われ慌てて家財道具のなくなった部屋に帰った。

以来、慣れ親しんだ東海地方の、慣れ親しんだ町の、慣れ親しんだ家の、慣れ親しんだ子供部屋で生産性のない日々を過ごしている。下痢治療に関しては内科面、診療面の両方を試みたが効果はなかった。

そんな私の趣味小説を書くこと。ある日図書館で読んだ「エリアエッセイ」、「幸福王子」、絵本の「みにくいかいぶつといしのうさぎ」に感銘を受けて書き始めた。毎日ストーリーを考え、プロットを組み立て、パソコン文字を打ち込み、プリントアウトして、鉛筆でチェックをつけ、再びパソコンで書き直すという日々を繰り返している。出来上がった原稿は誰にも読ませないしどこにも投稿しない。自分で読んで楽しんだり、笑ったり、泣いたりしている。

私は世間的に見れば生産性のない無価値な生き物だけれど、物語を作ることに出会えて世界で1番幸福存在になることができた。

2022-09-26

2001年まれはるかぜちゃんルーズソックスJK見て「流行が一廻りしてる」という感想を抱くのか…

流行ってたのは生まれる前なのに詳しいんだな

https://twitter.com/harukazechan/status/1574306934425268225

中学校にまつわる嘘松大炎上した結果、学校に通えなくなったと宣言

午前4時までレスバして昼間に起きてまたレスバする生活を送るようになり

自宅学習もしていなかったので成績不良で通信制高校しか進学できず

普通JK制服姿に憧れたのか制服私服を着て街をうろついてはママに撮ってもらっていたはるかぜちゃん

フェミ批判は「自立した女性」を見たことがないから起こる

学年の大多数が早慶以上当たり前の学校出身で、自立していない女子同級生を本当にほとんど見た事がない。同級生たちはフェミニズムに対する意識も非常に高い。

フェミニズムとは元々そういう選ばれた一握りの強い女性たちが言い始めた強者女性のための思想運動であって、それに一般的スペック女性思想にだけ賛同しようがないと思う。太い実家によって育まれた深い教養、良い学歴やりがいがあり素晴らしい仕事フェミニズムはそれらがない女性のためのものではない。

フェミニズム批判している人は、そういう「本当にフェミニズム必要としている人」を目の当たりにしたことがないんだろうなと思う。生まれてこの方すべてのテスト男子よりも良い点を取り続けてきた、仕事の成績もいい、重要ポストに就いて然るべきだと誰もが評価する女性だ。フェミニズムはそういう人たちが実際の能力を発揮するためにあるわけで、よく引き合いに出される弱者男性とはそもそも人生において公立の小中学校とかそこら辺以外での接点がない。

そう考えるとまあ弱者男性にはそういう強者女性想像することすら困難だろう。

出会える範囲弱者女性を引き合いに出して考えているのなら、弱者男性フェミニズムに反感を持つの不思議なことではない。

2022-09-25

弱者男性って今まで何してたんだ

自分が持って生まれものだけで楽勝できるタイプの生き物じゃないってことは小中学校で察しついてただろ

後々苦労するだろうになんで何も努力しなかったんだ

2022-09-24

神奈川県警山手警察署(横浜市中区)の交通取り締まり

点数稼ぎと思われるセコい取り締まりが増えてきた。

時間制の駐車禁止区間である本牧通りで、切り替わり時刻の15時頃(だけ)に駐車違反取り締まり

本牧せせらぎ公園を見下ろす丘の上(天徳境内)から一時停止違反監視

・市立本牧中学校近くの見通しの悪い路地で一時停止違反監視

など

2022-09-23

anond:20220922235750

今の世代はどうか知らないが、中学校英語の授業で教科書に書かれている「May I help you?(いらっしゃいませ)」みたいな記述を丸暗記させられたなと思い出した

そういう場の文脈に沿って意訳される語句もあるという事情無視して、「月が綺麗ですね(I love you.)」とだけ理解するようなのは一定数いてもおかしくはないな

2022-09-20

anond:20220920182150

中学校くらいで習うだろ。ニューディール政策とか。金融財政政策によって恐慌を抑止したと言われている。

馬鹿勉強させてもかわいそう

良いお給料仕事に就くには良い大学に入る必要があって、

そのためにも小学校中学校から受験させたいけどお金がない、ってそれを

子育て世代収入があっても苦しい」って言われてもな

分相応な子育てをしないのって高級外車や身の丈に合わないマンション買って

ローンが苦しいんですって言うのとなんか違うのかね

医者になりたいって言うんですけど私立医学部は3000万円かかるんです

そんなお金生活切り詰めたって払えません...って言って共感されるかね

結局それで多感な10代にやりたくもない勉強をやらされて

お前にいくらかかってると思ってるんだって言われる子供が出てくるの

マジでこの世の地獄感があるな

2022-09-17

anond:20220917203716

俺、いまは一応エリサ(笑)やってるけど、地元での小中学校時代民度カスだったので万引きやってる奴とか普通にいる環境だったわ。当時の同級生の中にはカタギじゃなくなったやつもいる。

anond:20220917201936

13歳 地元中学校へ。部活痩せる

14歳 部活全国大会に出場。成績も良く女子にもモテ人生の最盛期。

16歳 とある県立高校へ進学。祖父母と母大歓喜しか友達ができず段々根暗に。

身体も小さく(小学校6年間ずっと学年で一番低身長だった)スポーツも全くできずコミュ障陰キャをやってた俺からすると、人生の序盤で上手くやってたのにそこまで転落してしまうというのが想像しがたい…。

親が離婚したのは気の毒だったなと思う。書いてないけど色んな意味で大変なこともあっただろう。

俺も人生振り返ってみる

誕生 父は県の職員、母は管理栄養士

4歳 年中と年長の2年間を幼稚園で過ごす。

6歳 地元小学校へ。学童のおばちゃんいじめられる。

8歳 両親が離婚し母の実家へ。祖父母に甘やかされブクブク太る。進研ゼミを始める。

13歳 地元中学校へ。部活痩せる

14歳 部活全国大会に出場。成績も良く女子にもモテ人生の最盛期。

16歳 とある県立高校へ進学。祖父母と母大歓喜しか友達ができず段々根暗に。

18歳 遊びも勉強部活もせず卒業浪人するため予備校

20歳 2年目の浪人宅浪。家庭の雲行きが怪しくなる。祖父も亡くなる。

21歳 地元駅弁文系に進学。学歴コンプに。変なプライドからボッチになる。

23歳 祖母が亡くなる。

24歳 大学卒業国家試験を目指し勉強開始。

31歳 国家試験の気力を失う。風俗童貞卒業風俗にハマり風俗代を稼ぐためにバイトを始める。

35歳 母が脳卒中で死亡。公営住宅に住み続けられなくなる。

38歳 バイト更新拒否され路頭に迷う。

41歳(現在) 5畳1Kアパート一人暮らし仕事は警備やチラシ配り、梱包検品派遣

2022-09-16

親のおかげを「自分の力」と勘違いする子供は救えない

さなから我が家では、「ご飯を食べた後家族みんなでリビング勉強する」という習慣があった。地方銀行員の父は内部管理責任者銀行業務検定などの勉強薬剤師の母は薬事法管理者新薬勉強をしていた。俺は公文プリント進研ゼミ英検数検。俺がわからない所があると両親はリビングホワイトボードを使って教えてくれた。駅弁附属の小学校中学校に進み千葉県立千葉高等学校に進んだ俺は学年が上がってから勉強に躓くことはなく、中学高校でも成績をキープしながら部活習い事に集中することができた。

このように勉強に苦手意識を抱かなかったのは両親のおかげなのだが、10代の俺は「俺ってすごい才能のあるやつなんだな」と勘違いを起こして努力を怠った。そして「将来の日本は俺が背負うぜ」と官僚を目指した。しか大学受験ともなると流石に努力しなければどうにもならない。塾の授業を受けるだけでまともに自習することがなかった俺は、夏休み以降に急激に力を付ける同級生たちに追いつかれ始め、結局センター試験早稲田大学一般入試慶應義塾大学合格したもの東京大学文科一類には不合格

一年間も追加で勉強するのは面倒臭く、浪人せずに現役で早稲田に進学。大学在学中はギリギリ単位取得のCを取り続けて卒業し、「日本を背負う官僚」となることはなく民間企業歯車として働いている。

今、定食屋に昼飯食べに来たら子供勉強について話してるおばさん集団がいて、自分の幼少期のことを思い出して書いた。

ポリコレ」より「ポリコレ嫌い」が苦手

私は「ポリコレ嫌い」が苦手だ。

私と似た観測範囲を持つ人はこの一文で過不足なく伝わるであろうが、もう少しだけこの背景を共有したい。

ポリティカル・コレクトネスという考え方は、社会構成するあらゆる属性の人々が、その属性によって不愉快に感じたり不利益を被らないようにしようという理念である

なるべく多様な人を包摂するような視野表現しようということだ。

どういうわけかこの「ポリコレはいわゆる「オタク」と呼ばれる人たちにおよそ蛇蝎のごとく嫌われている。

何のオタクか?と問われると明瞭な回答を与えることができないのが歯がゆいが、おそらくアニメゲーム映画等に関心を持っていて、積極的ソーシャルメディアで語り合う人たちと言ってもいいかもしれない。

そして、私はこの「オタク」による「ポリコレ」の嫌いかたが苦手なのだ

その嫌いようといったらまるで「ポリコレは倒すべき外敵、屈してはいけない」というような具合なのである

西洋的な風貌アートスタイルは「ポリコレに屈している」。

マイノリティ属性を持つキャラクターが登場すると「出たよポリコレ」。

ポリティカル・コレクトネス無謬理念であるとは言わないし、理念実装にあたってプラクティカル問題が起こり得ないとも言わない。

極端な話ではあるが、例えば「日本田舎中学校」を描く作品アフリカ日本人と中国系日本人とヨーロッパ日本人とアイヌ民族琉球民族大和民族の全てを出演させなければポリティカルインコレクトであるとするような言説は、私の感覚では受け入れがたい(し、皆さんもそう感じるのではないかと思う)。

けれども、私の目に映る「ポリコレ嫌い」の批判はそういうことではないようなのだ

私には「マイノリティ描写されること自体からポリコレ連想して、それに敵愾心を燃やしている」ように見えてならない。

先ほど挙げた「マイノリティを描かなければならない」という理念とは対象的に、「マイノリティを描いてはならない」という理念にすら映る。

おそらく私は、「ポリコレ」という「倒すべき外敵」に抱かれる敵愾心と、それに対する無自覚が苦手なのだと思う。

無邪気に使われる「ポリコレに屈した」という表現にも「負けてはいけない外敵に負け折れてしまった」という含意があり、屈折した被害者意識を感じてしまう。

ポリティカル・コレクトネスと向き合うことを避け、漠然とした怒りの感情を「ポリコレ」に仮託していると感じてしまう。

とにかく、鬱屈としているのだ。

改めて明言したいが、ポリティカル・コレクトネスというのは上でも述べた通り無謬理念ではないと思う。

しかし、誰もがその属性によって必要以上に傷付けられない表現を目指すという素朴な理念自体は間違ったものではないだろう。

実装にあたって様々な問題が起こってしま理念自体陶冶していくためにも、我々はポリティカル・コレクトネスから顔を背けず向き合うべきなのではないだろうか。

安易冷笑するな。社会構成員として一緒に考えていこう。

2022-09-15

はるかぜちゃんの空白の3年間

はるかぜちゃんから分離して単身で活動するようになったはるかぜちゃんママしょっちゅうやらかすこの頃。

ママが宿っていた頃の昔のはるかぜちゃんツイートを漁っていたら、中学生だった3年間のツイートがごっそり削除されていることに気づいた。

魚拓サイトやらで辿れはするが、消えている。

中学入学前のツイートは見つかったので、古すぎると検索に引っかからないというわけでもない。

多分、検索システムの問題で引っかからないのではなく中学3年間のだけ消したんだ。

https://togetter.com/li/484435

例としてはこのまとめはセルフまとめで、内容も読んだ数分後にはすぐ忘れるようなあたりさわりのないものだ。そんなものまでツイート元を見ようとしたら削除されてる。

中学生人間が一番黒歴史をつくる時期。オタ方面にせよDQN方面にせよ。

はるかぜちゃん中学時代といえば、「生理中の女子プールを休むとスクワットさせられるので、しんどくても嫌々泳ぐしかない」という「生理スクワット騒動」が浮かぶ

これはブラック校則を語ればバズるという目論見で編まれた嘘であり、在校生保護者から嘘だと顰蹙を買い中学校側がそのような処置は取っておらずちゃんと生徒の体調に気を使っているとコメント

はるかぜちゃんは「アンチ学校特定されたのでもう行けません」と堂々と不登校になり、真っ昼間や深夜2時3時にもツイートをするようになった。

昼間に起きて明け方眠るというスタイルだったことがうかがえる。

数年後には「中学時代不登校だったというのはアンチデマ」と言うようになったが、大して仕事もないのに普通高校ではなく通信制に進学したのは深刻な学力不足があったのだろう。

生理スクワット騒動からはるかぜちゃん所属していた放送部の生徒が「たまにしか学校に来ないのに親が抗議してコンクール枠取ろうとした」などと愚痴っていたりもした。

その中学校の放送部は全国的な強豪校だが、中学校の裏サイトでは何故か部員が大量に辞めた事件について触れられ、その数年は受賞歴もない。

中学時代はるかぜちゃんはひたすらTwitter依存していたわけではなく、一時的「卒業」していた時期もあった。

当時所属していた大手事務所Twitter禁止令を出されたのである

だがツイートをしなくなっただけで、「いいね」は活発につけていた。

Twitterをしてこそのはるかぜちゃんだよ」「事務所はひどい」「禁止されてもいいねで主張する裏技賢いw」というファンツイートをひたすらいいね。平日の昼間や深夜に。

ツイート禁止令が耐えられなかったのか結局その事務所もやめた。

事務所所属タレントが通う用の、芸能人向け高校を備えていた。

通信制への進学は、勉強しなくても事務所高校に通えばいいやという算段があったものの、Twitterの方を優先した結果ではないだろうか。

だがそんなに大事だった中学3年間のツイートは今はもうごっそり消えている。

Twitterなどという汚濁の沼に捧げた3年間から蓮の花が咲くことはなかった。

僕の毒親

僕には、何をしても褒めてこない上、全否定してくる、それはそれは素晴らしい親がいます

〜〜小学校の頃

今思い返すと、小学校の頃は一回も褒められたことなかった。

僕には少し歳が離れた兄貴がいる。

兄貴は国公立大附属中学受験し、合格していた。なので流れ的に僕も受験するよう言われた。

結果、国立大附属中学への入試に失敗し、公立中学校へ進学した。

〜〜中学生の頃

絵を描くのが好きだった。真面目に描くと、必ず賞を貰えたからだ。県内評論会かなんかでも何度か賞を貰ったことがあった。美術の才能があるんじゃないかなって思った。

けど、親は「そんなものはない」と一蹴。

続けて、「お前には〇〇高校っていう1番頭のいい高校に行った兄貴がいるんだから勉強で頑張っていけ」と言われた。

それで一応勉強を頑張った。

偏差値がたまに70行くくらいには勉強出来たのだけど、親は「偏差値は100が最大値だろ、たかだか70なんて、勉強してないだろ」と言われたのを今でも覚えてる。あいバカだったんだな。

結局、県内で最も頭の良い高校受験し、見事に失敗。

結果、滑り止めで受けた私立高校へ進学した。

〜〜高校生の頃

やっぱり絵を描くと、賞がもらえた。人と違う絵を描けた時が、1番達成感があった。画材にも手を出して、絵を描くことがすっかり好きになった。

高校2年の時に、親に「美術大学に進学したい」と伝えた。

親はめちゃくちゃキレた。

あろう事か2chの「美大に進もうと思ってるけど」的なスレを見せてきて、如何に美大に進学することが愚かなことかを示してきた。

そして「お前は勉強から逃げようとしている。」とまで言われる始末だった。

また説得すれば良いかなって楽観していた。

しかしその次の日、親は部屋に上がり込んできて、僕の手で画材を捨てさせた。

これから勉強一本に集中しろと言われた。

決め手には「お前の兄貴は、東京大学に受かったんだ。お前に勉強が出来ないはずがない」と言われた。「東京大学に行ってから絵を描けば良い」とまで言われた。

唯一、周りから褒められていたものを手放して、受からなきゃ褒められないもの強要されたのは正直しんどかった。

僕は文系科目(特に現代文)が苦手だったので、東大ではなく東工大受験一浪したけど結構からず。

結果、他の国公立に後期で進学した。

受かったって報告した時は、流石に「おめでとう」と連絡が来た。

ちなみに、現代文ができない理由を「お前は人の意見とか気持ちを汲み取れないアホだからだなw」と言われたこともある。

入学書類を書いて、チェックをしている時に書き忘れた書類があったことがわかった。

それを見つけた親はめちゃくちゃキレた。

「そんな杜撰から東大にも東工大にも受からねえんだ、クソバカが」

って言われた。

報われないなぁって思いながら、未記入の書類を準備していた。

〜〜就職活動

曲がりなりにも国公立理系なので、就職活動自体は苦じゃなかった。親さえいなければね。

親は日本会社制度が如何にクソであるかを力説した上で、外資系企業やGAFAMに就職するよう勧めてきた。自分保険会社下請け営業なのにな。失せろよ。

某超大手電機メーカーから逆求人が来た時には「そこは潰れるからやめろ。お前やっぱバカから、そういうクソみたいな会社からしかオファー来ないんだな」と言われた。

結局、親元から離れたかったので、僕は関西電気メーカー就職した。

少し田舎の方だけれども、悠々自適暮らしている。趣味咎める人がいなければ、やめるよう強要する人もいない生活は快い。

2022-09-11

anond:20220911192459

何だかんだ言って半分以上の人間が出来てることが出来ないんだから平均以下の人間性

まあ物心ついた頃(幼稚園児くらいの頃)から社会と上手く折り合えなかった思い出しかないし、小中学校ではバリクソにいじめられて、身長偏差値で言って30台前半だし、運動全然できない(そもそも早生まれ発達が遅かった上に両親も小柄でスポーツとか全くできないし子供のために教えるというのも全くなかった)上に空気も読めず何がなんだか分からないまま10代を過ごしたような人間なので、半分の人間普通にできてることを普通にやれとか言われても流石に無理っすわって感じしかしないんだよなあ。まあ既婚ではあるんだけど。

特に親しくなかったけど記憶に残ってる小学校同級生

AとBという二人。

まずA。鼻をかむ時は絶対廊下に出る。休み時間なんかは別に気にならないけど、授業中で皆静かにしてる時に(特に先生に断りを入れるでもなく)勝手に席を立って廊下に出ていってしまう。そして思い切り鼻をかむ。鼻をかみ終わったら普通に席に戻ってきて普通に授業を受けていた。なぜそんなことをしていたのかは知らない。突然席を立つので気が散るな、とは思っていた。

次にB。癇癪持ちといえばいいのだろうか。何か気に入らないことがあるのか、授業中でも唐突に「やだやだやだ……」と何かを拒否しだす。普通に授業をしてただけなので傍から見てても何が嫌なのかよく分からない。エスカレートすると「い゛や゛ーーー!!」と耳をつんざくレベルの絶叫と化す。更にエスカレートすると床に仰向けになって泣き叫びながら手足をバタバタさせる。あまりにも収拾がつかないと教頭先生や校務員のおじさんが宥めにくることもあった。これは低学年の子が愚図ってるというものではなく小6になっても同じ調子だった。こうした行動が起きると授業も止まってしまうので内心ではとても面倒くさかった。同級生でBと同じ通学グループの子がいうには、Bの母親は彼の癇癪を"個性"と言っていたそうだが自分が聞いたわけじゃないので真偽は不明

小学校はいわゆる普通学級しかなかったけど、卒業して地元中学校に進学したらAは特別支援学級(〇〇学級とか呼ばれるところ)にいたので、まあそういうことかとちょっと腑に落ちたような気持ちになった。Bは地元学校にいなかったので卒業後のことは何も分からない。

教育用のゲームって情報がほぼ残ってないな

中学校の時、パソコン部に入っていたけども、当時は90年代後半だってのにWindowsがなく、PC-98をカタカタ使っていた。当然インターネットなんで繋がっていない。

やることといったら部室にあった教育用のゲームか、キューブお絵描き、あとはBASICの本に載っているゲームプログラミングを丸写しして作ったゲームで遊ぶくらい。

それでこの時遊んだ教育用のゲームを思い出してググってみたけど、マジで情報がないな。

辛うじてタイトルを覚えている2本について書いておくよ。

カルメンサンディエゴを追え!

PCエンジンに「カルメンサンディエゴを追え! 世界編」というソフトがあるおかげで名前だけはヒットする。ただし、俺が遊んでいたのは日本国内しか回らない内容だった。PCエンジン版では「世界編」と付いているのは、おそらく「日本編」としてパソコンゲーム存在があるせいだと思う。

でもカルメンサンディエゴ国内版のPCゲームの話は見つからない。ウィキペディアにはカルメンサンディエゴシリーズのものの話はあるが、基本的にはアメリカゲームだし、PCエンジン版以外はアメリカ版の話しかない。俺が遊んだ日本編は幻だったのか……?

内容としては、カルメンサンディエゴという怪盗を追う話で、ヒントのための情報聞き取りをして回り、カルメンサンディエゴの逃亡先を各々地方に関する内容を地名を伏せて知らされるので、それがどこの地方であるか推測して日本中を回る話。まあ地理勉強について役に立つ?という内容。まあファミコン時代ありがちなアドベンチャーゲームスタイルだったかと思う。

未来選択

割と普遍的っぽい名前の上に同名の韓流ドラマがあるおかげで、ググっても探しにくいのなんの。

ちなみに「未来選択」と書いて、「みくのせんたく」と読みます。作中に出てくるキーパーソンが「未来(みく)」という名前なので、まあダブルミーニングってやつ。

内容としては、災害だったかタイムスリップだったか忘れたけども、主人公たちが荒れ果てた島にやってきて、その島を再建するというシミュレーションゲーム

ロボット事実上通貨であり、工場を建ててロボットを作り、そのロボットを使って島の各エリア開拓していく。ただし教育用のゲームなので環境には気を使わないと行けない。

クリアまで30ターンで、ターンの終了時に工場ロボットを作り、それを用いて次ターンで開発を進めていく。ターン終了時には環境悪化具合、住民(一体どこにいたのか、どこからきたのか)の健康被害みたいなものが伝えられて、まあうまいことやりくりしないとならなかったな。最終的には火力発電所水力発電所を全部撤去して原子力発電所にする、工場から環境汚染は二酸化炭素中和する機械みたいなものを大量に買い込んで浄化するというのが勝ちパターンだったような。

ちなみにこのゲームググると、とある中学校教師レポート名前が出てくるから、幻じゃない。

2022-09-10

黙祷!」が内心の自由侵害

中学校で何回かやったんだけどなぁ

憲法違反で母校訴えればいいとでも言うのかしら

まあ、なら逆にどこまでやれば内心の自由侵害と認めるのか、って聞かれたら

わからんなのだけども…

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