はてなキーワード: ペットボトルとは
数日前、tumblrにて、麻生首相の例のカップめんの質問のくだりには実はその前にペットボトルのお茶、お米の値段の質問があって
それには正確に答えていたのに!みたいな話が紹介されているのを見てしまったのですけど、
おそらく元ネタは3年前のこれで
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51384413.html
http://www.youtube.com/watch?v=Pld9x7Se96Y
ここのコメント欄や動画にある通り、3年前の時点でねつ造だと指摘されていて、それがまた拡散されてるみたいなんですが、
tumblrにはあの情報は間違いだったよみたいな自浄機能はあるんでしょうか?
私はtumblr使ったことないんで、こういうのが憤りとともにどんどん拡がっていても、訂正をいれるすべがわからなくて見てるだけってのは
なんかすげー一家が出て来た。電気代が毎月1,800円とか。
まあ8割がたヤラセだと思うけど、もし本当に実践してるとしたら奇人変人の部類。
まず家の電球、一部屋を除いて全部外してる。なので日が暮れたら完全に真っ暗。夜は太陽光充電式のランタンを使ってる。
テレビも常時押し入れに収納していて、必要な時だけ取り出すらしい。
エアコンは勿論なし。お風呂の水は、黒く塗ったペットボトルを外に置いて暖めたやつを使う。
スタッフが節約の理由を尋ねると、おばさんは「(家電製品を)必要だと感じないから」「何となく」「趣味で始めたら止められなくなった」と。
家自体も、築50年近くの年代物でタダ。家具含めて居抜きで、払ったのは土地代だけらしい。
そして何より驚いたのは、子供が二人居るという点。1歳と4歳。
それを見た嫁、「この人、子供の教育費とかもケチりそうだよね。『必要無いでしょ』って言って高校にも行かせてくれなさそう」「女の子がいたみたいだけど、結婚とか出産の時どうするんだろ」「成長した子供が外の世界を知った時の反動が怖い」。
「いやいや、そういう人なら最初から子供なんて産もうとは思わんでしょ。子供達の将来のために節約してるんだと思うよ。多分」と一応返しておいたが…。
先日久しぶりに、自社ビルの脇道に猫の餌(ドライフード)が置いてあった。
◇ ◇ ◇
総務のハイミスYさんは、通称「猫の引導師」と呼ばれているだけあり、猫がとにかく嫌いで、
これまでも猫の餌を見る度に処分し、猫が嫌がるようにペットボトルを置き、画鋲を巻くなど、
Yさんの考え得る「猫の嫌がること」は全て実行していた。
◇ ◇ ◇
しばらく猫にとって受難の日々であったが、Yさんにとっては平穏無事な日々であった。
そうして数ヶ月後、野良猫たちは新天地を求めたのか、徐々に姿を消しいき、
我々社員達も猫がにゃーにゃーと徘徊していた時代を忘れかけていた。
◇ ◇ ◇
そんな時に例のキャットフードである。
Yさんは忘れかけていた記憶が蘇り、猫への憎しみで一杯となった。
餌をまいている誰かさんが餌を用意すればするほど、猫たちは苦しみを味会うことになるのである。
Yさんも、仕事中であろうがランチタイムであろうが、猫への憎しみと復讐心で満たされていた。
「猫が・・・・・・猫が・・・・・・」とブツブツつぶやく姿を見た者はその晩、夢にうなされたそうである。
Yさんも「餌まき氏を見つけて注意する」とか「張り紙で注意を促す」といった理性的な感情を失い、
ただただ猫をいぢめる事のみ考えていた。
◇ ◇ ◇
そんなこんながあったとはつゆ知らず、エレベーターでYさんと同乗した際に、
にたにたと笑うYさんを見て寒気が走った。
その姿は皮肉にもチェシャ猫のようだとわたしは思った。
そしてエレベーターが1階につくと、
「ぐぬぬんうぬぬぬぬううんんおおおーーーんおんおんおん」
受付嬢に「何事?」って聞くと、「さぁ?」とかえってくるばかりなので、
◇ ◇ ◇
会社のビルの脇道は人が一人かろうじて通れるかどうかの細い通路で
そこをYさんは四つんばいになって、
「うぉおおおおんんんん、うぉんんうぉん」と低い声で咆吼をあげ走っていた。
そして奥まで走っていったYさんが折り返して、こっちに戻ってきた。
「だ、大丈夫ですか・・・・・・?」目があったので思わず聞いてしまった。
『今までいろいろ試してきたけど、これが一番猫には聞くの。猫も怖がってしばらくは寄りつかいないでしょ。』
Yさんはどこか誇らしげだった。
わたしは「そ、それはよかったですね」
とだけ答え、先輩に頼まれたキャットフードを買いにコンビニへ向かった。
『容赦なき水の戦い、舞台は真夏のサンクトペテルブルグ - GIGAZINE』
http://gigazine.net/news/20110808_water_battle_in_st_petersburg/
はてブで上のページがホッテントリされて、タイトル前半の『容赦なき水の戦い』しか頭に入っていない状態で、
「世界には水源を巡って部族同士が争っていると言われているが、またその手の紛争か」と早とちりしてリンクをクリック。
するとそのページには、都会の真ん中でバケツやペットボトル、水鉄砲などを使い、水をぶっかけ合うお祭りの様子が書かれていた。
そしてページを改めて見て、
「世界にはこの水のために殺し合いまでする人たちがいる一方で、遊びで水をこのように扱う人たちがいる」
「世界の水問題が解決するまでこんな祭りはするべきではない」などという主張は馬鹿げてる。
東日本大震災の後に見られた過度の自粛は、経済を停滞させることも分かっている。
だが、どうしても、自分の中にモヤモヤするものが残ってしまう。
それもこれも、リンク先のタイトルをよく確認せずに勝手に妄想してクリックした自分が悪い。
自業自得だ。
井の頭線、なんであんな混んでいるんだか。私も仕方なく毎日乗っているけど最近楽に乗る方法を見つけたので紹介したい。それは荷物をハンドキャリーにすること。あまり大きいと自分の負担になるので国内線の持込みできるサイズとかがいいと思う。これを持ると自分の体の前にどんなに混んでいても空間ができる。だから本読んだり携帯いじったりが楽にできるし、何より自分の顔の前に人がいなくていい。私は最前列でこれをやって、渋谷で降りるときはハンドキャリー部分をいっぱい伸ばしてコロコロ転がす。これも実はメリットがあって、後ろから無理に追い抜こうとする人をけん制することができる。前から来る人にぶつかりそうになったらすかさず荷物を前にもってきて歩く速度を落とすか、立ち止まると、向こうがよけていってくれる。
もちろん、これは荷物入れなわけだから、カバン持たなくていいのも楽でいい。夏だとペットボトル持ち歩いたりするからカバン重くなるしね。お試しあれ。
まず最初に、今回の地震と津波に際して早くから支援体制を敷いていただいた
食品メーカーの方々
それを高速も動かない間にも届けてくれた運送関連の方々
販売をしていただいたスーパーの方々
現在も被災地への物資提供・医療支援・ボランティアを続けて頂いている
企業や個人の方には感謝してもしきれません。
未だ満足にインターネットや連絡手段が取れない被災地の方に代わりまして
御礼を申し上げます。
また、地震発生時から燃料不足など困難な状況でありながら
昼夜問わずインフラ復旧の為に当たっていただいた電力水道ガス道路関連の方、
市ガスに関しては現在も名古屋ナンバーや大阪ナンバーなど遠方からも
現在も支援を頂いている状態です。
余震による新たな再点検を求められるといった苦境が続いておりますが
自身の安全も含めて無理を成されないように。
市ガスに関しては仙台の天然ガス施設が被害を受け、新潟からのパイプラインで提供されています。
下水についても今回の津波で破壊されたり電子系統がやられた関係で2~3年は簡易処理しか出来ない状態です。
宮城県に限らず被災地を抱える県の方で処理場が機能してない地域の人は
自分たちは水が使えるからと今までのような使い方をしてしまいますと
疫病が発生する可能性も否定できませんので節水に努めましょう。
津波で下水処理場、ゴミ焼却施設に大きな被害、想像を超える宮城県内各施設の被災状況(2)
下水道復旧は数年かかる見通し 沿岸部に集中、被害深刻
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104020353.html
>下水管や処理場が復旧しないと、汚水が路上にあふれ疫病を引き起こす恐れすらある。このため新潟、札幌、大阪など自治体の下水道事業者からのべ2600人が応援に駆けつけ、被災状況の調査や簡易処理での復旧の手助けをしている。
過ちを繰り返さない為に。
私が住んでいた地域は幸いにも地震から2日後という
早期に電気の復旧が行われた為、
手元にあったIS01のワンセグテレビと充電池でギリギリ間に合わない程度で
情報難民にならずに済んだという綱渡り的状態だった。
その間もワンセグで見ていた、地震だ!津波だ!何人が死んだ!
在京キー局主体報道が並ぶ。
そして思った。
それを今、報道してどうなるのだ、人一人も助けられないじゃないか。
家族や親戚が居ても津波の被災地に行く手段は無いのだ。
津波による第一報の大切さはわかる。
でも、それが終わったら次の事を考えなきゃいけない。
死ななかった人の命を如何に助けるかだ。
まずは
車での移動はしないでください、
不要不急な人には売らないでくださいとマスメディアは伝えるべきだった。
緊急車両だけに、と。
更に30分歩いて帰宅していった。
-
自宅の電気が13日夜に復旧した翌日の14日、
電気が復旧したテレビで見た情報が計画停電発表による東京での買い占め、
計画停電の影響で弁当やパンなどがいつも以上に売れる事は別におかしくないと
最初、連日の報道に何やってんだかという呆れがあったが
次の瞬間、恐ろしさに気づいた。
そのガソリンや軽油が届かない事で間接的に救える人を殺しているのではないかと。
共に千葉のコンビナートが被害を受けたことによる需給バランスが崩れた為だ、
それにすぐ届く訳じゃないと思いながら軽い怒りと
地震が起きる前に石油精製の設備が余ってるという情報を報道で知っていたから
どちらなんだろうという不安が感じた事を憶えている。
後に撮影した写真を確認しながらに
仙台でも地震発生後に冷静さを失い
自分が良ければ、家族は大丈夫だろうかという感覚で
間接的に人を殺したかもしれないという意味では
仙台も同じだなと人の事言えないじゃないか思い直した。
仙台港石油コンビナート鎮火 「在庫配分、被災地優先」宮城知事
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110316_39.htm
この15日緊急車両優先と宮城県知事が指示するまで
仙台で起きた事は地震発生翌日後ガソリンスタンドが自主的に行なった
一般車ガソリン5L10L規制+
整理券受け取りまで朝方から4時間待ちで受け取り午後3時といった
自主規制だった。
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次に重要なのが生活情報だ。
給水車は何処に出てますと行った情報もテレビのL字に載り始めたのが13日か14日
後に知ったがラジオの方が生活情報を流すまで早かったとの事。
そして情報を得る為に重要な電池。
準備はしていたつもりが充電池の自己放電で3セットの内1セット、
しかも半分程度しか残量が残っていなかった。
これが今回の最大の危機であり、認識の甘さが露呈した格好となった。
頑張れ日本、がんばろう日本と言い出したのは3月20日
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=20110320hochi169
http://mainichi.jp/select/biz/bizbuz/news/20110320dog00m020025000c.html
ACジャパンのサッカー編はYoutubeの日付を見ると22日
http://www.youtube.com/watch?v=Pre2YcOROnk
ACが新CM制作!SMAP、長友ら出演
http://www.sanspo.com/geino/news/110324/gnj1103240505012-n2.htm
http://weblog.hochi.co.jp/tajihouronn/2011/03/post-8942.html
>青葉区の北仙台のあるスタンドで前日の夜9時から並んだ男性は、
>翌朝7時半の開店と同時に10リットル制限の給油に成功。
>しかし、11時前には完売となりました。
>この日給油ができたのは約300台。
>後続の200台以上の人々は徒労に終わりました。
仙台の物資状況 3月21日
http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/post_d3bf.html
仙台の物資状況(震災から2週間
http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/15_d5e5.html
>昨日3/26のスーパー (市中心部からバスで20分ほどの周辺部)
POPからみるにミヤギ生協です。
ミヤギ生協はそれでも全国から商品をかき集めていて商品が充実してる方でした。
高速が一般開放された3月24日がターニングポイントで3月26日から商品が徐々に入ってきました。
それまでは大根一本300円、キャベツ600円、タマゴ400円といった状態です。
それでも商品が買えた仙台はまだ良い方です。
この頃、津波の被害を受けた被災地は悲惨です、
仮にお金があっても禄に買う所も水も電気もガスもありません。
それで計画停電したから東京目線でがんばろう日本、頑張れ日本なんて言ったら
被災地は見捨てられたと思うでしょう。
それ以前にがんばろう日本、頑張れ日本って誰に言ってるの?
食事も無く、ろくに暖房もなく、薬もガソリンが無く届かなくて
避難所だけで30人以上亡くなってるのに。
被災者に頑張れって言うの?命を繋ぐ事に精一杯なのに
頑張れる人はもう限界まで頑張ってのに。
意味が分からないよ。といった状態でした。
そんな状態で頑張れなんて言われたら鬱状態になり、
下のような言葉が被災者から出てくるのは仕方がないじゃないですか。
それなのに
>何でこんな態度でかいの?鬱病つーかただのクズ
とか、他にも叩くような事がはてブに書かれています。
はてブで書けるなって、
人として本当のクズをはてブでこれだけの数同時に見るとは思いませんでした、
ただただ怒りしか湧いてきません。
「『頑張って』と言わないで…」被災地からの悲痛な声。
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110320/Techinsight_20110320_50513.html
>3月19日の『ニュース 深読み』(NHK総合)では、被災者から次のようなコメントが寄せられた。
>「電気が復旧し、避難所から自宅を片付けるため家に戻った。あまりの惨状に呆然としていると
>テレビから、“頑張ってください。”との声がしてきた。何度も何度も。
>“これ以上、どうやって頑張るの?”と悲しくなった。」
>「“頑張ってください。”って言葉を聞くたびに、落ち込んでしまいます。」
頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402
>すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
>ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
>いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
>仕事もあるじゃんって。
>「正直、不幸になってくれたら嬉しい」
>と言われた。
CMについて思っていた気持ちを書いてくれたID:nakamurabashiさんの記事です、
これを読んで今回の事を書く気になりました。
[雑文]なんかいろいろおかしいなーと思った話
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110410/1302373143
>なんていうのか「だれが」「だれに向けて」「なんのために」言ってのかまったくわからなかった。
>あれ、サッカーの日本代表応援してても同じじゃねえかな、って。
>で、さっき不意に気づいた。まず、被災地の人たちはがんばれない。がんばれるわけない。
>だって、家とかなくなって、体育館とかで暮らしてて、がんばれるはずないじゃん。
>じゃあ「がんばれ」のメッセージはそれ以外の人たちに向けられている、と考えられるんだけど、
>じゃあ、あの大量のがんばれ日本とか強いぞ日本とか団結は日本の力って、いったいなんなんだろう。
>ふつうの人たちのがんばりの許容量を超えたがんばれメッセージだけが大量に出回ってる。
>善意搾り出さなきゃいけないってことか。そうやって搾り出された善意どこ行くん。千羽鶴作ればいいん?
この時期に必要な言葉は被災者に向けてなら
いつになったらこの状況を抜け出せるのかという希望です。
頑張ろうという言葉も最低でも食、衣食住が足りて
そして被災者、被災地域の方からの声として出るべき言葉であって
その地域以外からの頑張ろうの強制ではないはずです。
被災地域以外であれば酷い被害状況ですが、
今も命の危険に晒されてながらも助けられる命があるのです、
その命を助ける為にも〇〇日まで我慢してください。というべきだったはずです。
また、どんなに平凡な表現であっても伝えるべき言葉は
頑張れ日本やがんばろう日本、日本の力を信じてるではなかったはずです。
フジテレビがひとつになろうと言ったって情報共有が成されなければ
その言葉だけでは思いをひとつになんかなれないのです。
日本の力を信じてるという意味のない言葉より
まだテレ朝がテレビで、日テレがホームページで言ってるつながろう日本の方がまだ伝わります。
「被災に遭っても頑張ってる姿、助け合う姿、必死に生きようとする姿に感動しました」
「過酷な状況なのに物資の奪い合いも強盗盗難の類も少ない」
何を言ってるんですか、非常に厳しい状態でこれ以上誰も死んで欲しくないと
命があるだけでいいのです。
私も今回の震災で叔父を亡くしました。
今、命がある被災者を全力で支えることができるのは生きて無事な人間だけじゃないですか
被災者を頑張れる環境まで持っていく事が今できる我々の責任じゃないんですか。
死んでしまったらどうしようもないんです、取り返しは効かないんです。
また日本では同じように大震災といわれる事が起きるでしょう。
その状況の時に今回と同じ事を繰り返してはいけないのです。
-
備蓄について
今回の地震で分かった事は在庫を抱え込まないかんばん方式やコンビニの単品管理に代表される
今回は地震が起きた時が午後3時に近い頃でまずはみんなが自宅に帰宅して
家族の安否確認をすることに必死で何かを買って帰ろうという余裕も無く、
停電したことから店側の準備も整ってなかったことから
長蛇の列が出来ることになる。
イオンやヨークベニマル(イトーヨーカドー系列)などは2時間待ちにもなり、
開店している店の商品は一日で底を突く。
更に翌日は開くかどうかもわからない店に皆が並び店員が大慌てで
仕方ないとばかりに繰り上げ開店を行い、商品は消えていった。
まるで食欲旺盛な大蛇があるだけのエサを丸呑みして行くようだった。
この時に大切なのが
平時に普段、自分の家で消費する一ヶ月分の物を備蓄しておくこと。
そして出来るだけ買い占めなきゃ不安だという気持ちを周りに起こさせない事である。
ちなみに私は自慢じゃないが貧乏だ、貧乏人には貧乏人らしい
備蓄のやり方がある。
その家によって違うと思うが
米なら楽天辺りで30kg買って米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kgになったら
一袋10kg買い足して20kgを割らないようにするだけでも主食は確保できる。
基本的に精米した米は賞味期限が短い、
3ヶ月も持たないというか食べられなくはないが風味は落ちる、
虫が付くかもしてないと米屋さんなら言うだろう。
また、備蓄向きと思われているインスタントラーメンも賞味期限は一年持たない。
特にフライ麺の賞味期限切れは食あたりの可能性があるので賞味期限は守った方がいいです。
2chのスレなどを見ると麺を茹でてお湯を捨てれば
メーカーが余裕を見て設定してるであろうマージン分3ヶ月ぐらい過ぎても食える的な話もあるが、
災害時で最も重要な水を捨てるという蛮行を働けば下手すりゃ死にかけます。
止めておきましょう。
日清食品 よくお寄せいただくご質問
http://www.nissinfoods.co.jp/utility/customer/faq.html
弊社で販売している製品の賞味期限は通常製造日からカップめんで5ヶ月、袋めんで6ヶ月となっています。
スパゲッティと乾燥大豆は涼しく風通しのいい所に置くと3年間持つので
スパゲッティを500g入り20袋=10kg用意しておくと飽きが起きにくい。
また乾燥大豆はどうしても起きやすい野菜不足やタンパク質不足を解消できる
備蓄のマストアイテムと言ってもいい。
いっそのこと避難所に備蓄して欲しいくらいだ。
イタリア軍の逸話を知ってる人はスパゲッティは水を大量に必要になるじゃないか!
と言うかもしれない。
それはあくまで茹で汁を捨てるという事を前提にしている。
スパゲッティを茹でる時は塩を入れないで茹で汁を味付けし直せば
乾燥大豆は30kg単位で買うのが一番安い。
国産大豆でも1万円、アメリカ産大豆でも6000円程度であることから
お米と変わらないぐらいの安さだ。
30kgを買ってみたが二人分と考えると一合カップで量ると150g程度で二日分になる。=400日
一袋で一年程度、多すぎると感じたら知り合いと分ければいい。
大豆ダイエットで有名な大豆イソフラボンの影響か、大豆を食べて自転車で移動するようになったら
一年で100kg→70kgになった。ダイエットにもおすすめである。
地震があった時点での備蓄は
米が米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kg
スパゲッティ500g入り25袋 12.5kg
乾燥大豆 10kg程度
賞味期限が切れた いりゴマ1kg5袋=5kg
賞味期限が切れた インスタント味噌汁250個(一袋100個入り)
この賞味期限が切れたものは賞味期限間近の商品を格安で売ってくれる所を
見つけたので買い貯めしていた物だ。
乾物や熟成が見込めるもの、アルミパウチな上調味料なラーメンスープなどであることから
どれも賞味期限が半年は過ぎているので気になる人にはオススメしかねる。
今回の震災を乗り越えられたのもこの備蓄でバリエーションが増やせたから
という気がしないでもない。
災害時は水分も大切だ。
普段は飲まないがお客さんように特売日に100円で買ったジュースも
備蓄してあった。
ただし、炭酸入りだと賞味期限近くなると微炭酸になってしまう、
その点は注意。
バヤリース1.5L×2本
伊藤園天然水ソーダ1.5L×2本
本当ならば給水所ができる3日間に必要なペットボトルの水を準備しておいたほうがいい。
一人当たり一日2Lペットボトル1本が目安だ。
備蓄ではないが他にあった水分は
ヨーグルトを作る為に買って置いた低脂肪牛乳1L×4本
電気ポット(1Lタイプ)+魔法瓶エアーポット(2.2Lタイプ)
うちでは小型の電気ポットで沸かしてエアーポットに入れるようにする事で
保温時の電気を使わないようにしている。
と同時にお湯を移して空になった電気ポットに常に1Lの水を入れておく事で
断水時に最低1Lの水を確保できるようにしている。
LPガスという状況下での苦肉のエコ+災害対策という訳だ。
エアーポットのお湯が温くなれば電気ポットに戻して沸かし直したり、
もう1L沸かしたお湯を入れればいい。
エアーポットは空気が多ければ多いほど冷えやすい、
朝2L入れて徐々に使ってぬるくなったら料理に使ってもいいのだ。
燃料や電池の備蓄について
今回、問題が出たのが電池だった。
準備していた物が単三12本。
しかし、自然放電と昇圧機能のないUSBコネクタ付きバッテリーケース
BP‐1だった為、充電が直前まで使っていた1セット分しか使えなかった。
USB出力付電池ボックス2種を試す 【起】
http://mast.cocolog-nifty.com/main/2010/03/usb-e306.html
電池の備蓄を考えた場合、
エネループか普段使いの100円ショップ充電池+アルカリ乾電池の二択だろう。
電池は時間が経つほど残量が減って行く。
使用推奨年月日が製造から5年の物が多い物を考えると
一年目に5セット買って一年毎に1セットづつ買い換えるという事がよいのではないかと思う。
余震の事を考えるとロウソクよりLEDライトの方が安全だからだ、
http://www.kansai-event.com/kinomayoi/battery/alkaline.html
>上位のほうが消費期限が長い = 製造から日が経っていない。
>という考察もできるのではないでしょうか。
>グラフに載せている「オーム電機(参考) 消費期限04-2005」や
>「富士通7300(参考) 消費期限 08-2003」の電池はかなり性能が落ちています。
燃料の備蓄について
今回、電気が二日後に回復したという奇跡的な状況が起きた事や
地下埋設型のLPガス事で安全ピンが作動する事もなく当日から使えた事が
他の方と比べて非常に楽な展開になったは間違いない。
ガスが使えない状態であったとしたら
+余裕があれば電気があれば使えるIH卓上コンロを準備する必要がある。
必要としてカセットコンロに載る鍋やフライパンのサイズは28cm、
ミニサイズのカセットコンロは18cmが標準的なので注意しよう。
カセットガスは高いので電気が復旧したらIH卓上コンロに切り替えたい所だ。
両方使えるIH対応の物を普段から使っておきたい。
石油ストーブは暖房と料理両方に使える凄い奴。
しかし、備蓄の事を考えるとエアコンがある家は持っていないケースが多いかもしれない。
また、地震での転倒による火災発生などに気をつける必要がある。
灯油に限らずガソリン軽油といった石油類は使わずに一年間置いておくと
劣化してしまい煤が不完全燃焼が発生する可能性がある。
どうやら燃料劣化防止剤スタビルというものがあるらしい。
よく分からないが調べてみてはどうだろうか。
http://minkara.carview.co.jp/userid/355641/car/259411/1470407/parts.aspx
http://item.rakuten.co.jp/yusayusa/10000460/
トイレットペーパーはシングルで12コ入りのものを3セット準備しておくとよい。
これも最低2セットは維持しておくこと。
鼻紙から食器の汚れを拭き取るのにも使える。
水が重要な時に力を発揮する。(特に汁物を食べた時)
備蓄としてはそんなに必要ではないかもしれない。
ダイソーやイオンで売ってる40M巻を2本買って一本維持する形でいい。
水汲み道具の準備
折りたたみの水を入れるウォーターバックみたいなものもありますが
常日頃から水を貯めるということを意識して
ゴミ捨て場に捨ててある4Lの焼酎ペットか20L焼酎が入っていたキュービテナーを保存しましょう。
衛生状態がいいので使いやすいです。
水専用のポリ管を用意してもいいです。
最高気温が20度以上(スプレーで黒く塗っておくと15度以上)
の気温になって晴れの日に4Lペットを日の当たる外に置いておくと
体を洗うのに丁度いい温度になります、一人が全身を洗うには16Lは必要です。
日頃から近くのゴミ捨て場でカンビンペットボトルの日にもらっていきましょう。
4本置いて温まったら翌日が雨でなければ新しく水を入れたペットボトルと交換して置いておきます。
一人当たり8本あるとスムーズに使えます。
これもLPガスが高いから考えついた方法ですが
夏場などで備蓄の水が多く必要になる季節にマッチしています。
テレビで学者さんが言うには一日10%ぐらい下がる的な事を言ってたので
それ対策と地震後に白濁が発生しやすいので
それを避ける為に貯め水用としても4Lペットは便利です。
ですが、大きすぎて蛇口から水を入れられない場合があります。
その場合は醤油などに使われている取っ手付き1.8Lペットに入れてから移すか
瞬間湯沸かし器の目盛を水にして入れましょう。
津波や計画避難など家を離れなければいけなくなった時に持って行けるもの
リュックサック一つ分と考えたほうがいい。
数日分の着替え、500mlペット2本、クッキーや飴玉などの最低限の食料
貴重品、モバイル機器 歯ブラシ等衛生用品 トイレットペーパー1個 ゴミ袋
赤ちゃんのおしりふき(体を拭く為) 使い捨てマスク トランプや双六、ポータブル将棋
皮手袋 軍手
他にもあるかもしれないので教えて欲しい。
軽登山に必要なものを参考にするといいかもしれない。
スーパーはコンビニの一週間以上早く商品が入荷し始めたのに比べて
更にチェーン毎の復旧度合が明らかに違ったのだ。
具体的に書くと
スーパーの開店情報については河北新報で17日から掲載されるようになってきているが
26日時点で
ローソン 食品なし
ファミリーマート 山崎の菓子パン(コッペパン、ソーセージパン)、東洋水産の緑のたぬき・赤いきつねのみ
セブンイレブン おにぎり、賞味期限が長い弁当(4日間ぐらい)業務用の牛乳、タマゴ、食パン
また最小ロットを1個からという必要な分を必要な分だけ
送る為には合同配送センターが必要となり
スーパーのように箱買いで直に送ってもらう事ができない構造が
立ち遅れを招いたと見ている。
スーパーには惣菜加工のキッチンが付いてることから
原材料が手に入れば加工出来てる違い
あーきめえ。
本当にこの、ここ最近の、カッペによる手を変え品を変えの東京コンプレックス・東京憎悪がきめえ。
都民が、根本的に被災地のことなんか考えていないというのは、震災直後のガソリンやトイレットペーパーの買占めで証明されているわけで、やっぱり被災地から動けなくて苦しんでいる人がたくさんいることよりも、自分の車にガソリンが入っていないことのほうがずっと耐えられないというのが、それが都民なのだ。
俺の住んでる県でも起こってたけどねえ?
お前の住んでる県と県民は東京と都民が出したより多く義捐金出してるんだろうな?
石原が都内の赤ん坊いる家庭にペットボトル1本配ったのがそんなに許せないのか?
それを非難するならお前のとこの県知事は県民の赤ん坊の一本の水も取り上げて福島に送ってるんだろうな?
ここが一番許せねえな。
お前のしょーもねえくだらねえ下品で浅ましい逆恨みの東京コンプレックスのご開帳のために
被災者をダシに使うんじゃねえよ。
そもそも福島の皆さん以前に、お前のその劣等感に満ちたくだらねえ主張は
得てねえだろう。
地方に住んでようが都会に住んでようが、まともに暮らしてる人間はそこに満足して誇りをもってるよ。
よその都市に偏執的な関心を寄せて、憎んだり誹謗したりはしない。
お前のような、地方在住者の中でも特別特異に心の貧しい都市嫉視者を「カッペ」という。
何が宣戦布告だ。
お前は東京が気になってたのに勇気や学力が足りなかったせいで上京出来ず
その後それを劣等感に育て上げて後悔し続けてるだけだろうが。
いやほんとに。
それを、都民は裏切ることになる。石原さんを選ぶということは、積極的に投票する人も消極的に白票を投じる人も含めて、
みんなで被災地に「NO」を突きつけるということだ。見切る、ということだ。少なくとも、彼らはそう受け取るはずだ。
最近かなり頭に血が昇ってる反石原クラスタの皆さんもさすがにお前の卑しい論法には賛同しないと信じたい。
だからさ、お前が気に入らない、お前がコンプレックス持ってることについては、
正々堂々「僕が東京を憎んでるんです、憎くて憎くてしょうがない!」って言えや。
それなら少しはお前みたいなショボい奴でも人間扱いしてやらなくもない。
自分の卑小なネガティブ感情を満足させる為に大義名分や他人の威を駆る奴はウジムシ以下だ。
それは、殺意と受けとられるかもしれない。いま政治家や東電に対して向けられている憎悪が、東京都民全体に向けられることになるんだ。
お前のような惨め過ぎる救い難いカッペが同じ列島にいることが怖い。
「ニッポンを一つに」というむず痒いスローガンに付き合うとしても
このまま原発がgdgd状態が続いて、雨が何回か降ったら、
都内でも余裕で300越えあるだろうね~
福島第一原子力発電所の事故で、県内各地の浄水場や一般家庭から放射性物質が相次いで検出された。
24日午後6時現在、乳児が飲む暫定規制値(1キロ・グラム当たり100ベクレル)を超す放射性ヨウ素が検出されたのは、日立、北茨城、常陸太田、東海の4市村。日立市は暫定規制値(同300ベクレル)に極めて近い298ベクレルが検出された。県内の乳児は約2万5000人おり、各自治体は乳幼児を対象にペットボトル飲料水を配布するなど対応に追われ、保護者には不安が広がった。
日立市では、23日に採取した十王浄水場から298ベクレル、森山浄水場から150ベクレルを検出した。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20110325-OYT8T00250.htm
冷却材の作り方とか、ツイッターであったのに、あっというまに、ヤシマ作戦に塗りつぶされていたからなぁ・・・
ジップロックなんかのフリージング可能な奴か、何かに、余裕持たせて水を詰めて、凍らせておいたほうがいいとは思うよ。
そもそも、空けなきゃ3時間程度なら持つと思うけど。
なんか、庫内のものを出せ・・・って報道があるけど・・・本当なのかねぇ・・・普通、庫内の物も同じ温度になっているはずなので、無理に出さなくても、3時間程度で変わらんと思うのだが・・・。
無理に出した場合、かわりに空気を冷やさなければならなくなって、余計な負荷がかかるし、直前に出されると、悪影響なんだが・・・
冷える速度の問題ならともかく、すでに、ある物が、あたたまるかどうか・・・で、わざわざ、野菜出す必要があるんだろうか?特に無いのに、野菜出せって報道したとすると、害悪だなぁ。どうなんだろう、出したほうがいいのか?
節電しなきゃいけないから、停電なのに、温度調整を強とか、ひどいこと書いてあるところもあるし・・・なんか、泣きそう。
まわりまわって、停電が続くだけだろうと。
被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間や場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい。
この文章は、被災二日目にiPadにて作成した。電気と回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。
インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。
固定電話は回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話が最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhone用FMトランスミッターが役に立った。
いざという時の移動手段やカーラジオやカーナビのTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合はガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。
災害時に一番役に立つメディアはラジオ、次にインターネットとなり、最後にTV、新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネットで情報を得る場合はデマや不確定な情報に注意する事。TwitterやFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋や2chなどは極力使わない。
当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。
水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。
注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。
余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンクは地元の地銀か農協、郵便局、信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応がスムーズになる。
地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初の被害者になる。絶対に危険な場所に近づいてはいけない。
当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。
また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから。
不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。
電話は極力しない、出来れば連絡はメールやtwitter、Facebookや災害伝言板、ラジオの伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話の場合も、極力通話は短くすること。
デマを流すのは論外だが、意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。
ロウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越した事はないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。
よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分の小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミにしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。
命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安な福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇である。TVラジオは災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話も不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。
余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京のスタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。
お菓子、ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分はタバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。
モバイル関係やカメラは記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物は津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。
人工透析や酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院、自治体の窓口などに相談すること。
スーパーやガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンドの行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。
水の節約やトイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。
ある程度インフラが復旧してきても、交通や物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄遣いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄遣いしないこと。
「何かしたい」と思って、古着や千羽鶴や自作の小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが、募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意が被災者に届かない可能性がある。
特に注意しなければならないのは、国連やユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連やユニセフはあなたの個人の電話やメールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
443 :名無しさん必死だな:2011/01/25(火) 08:04:59 ID:dREWuQZ70
444 :名無しさん必死だな:2011/01/25(火) 08:10:32 ID:kb4RoWNv0
≫443
つっこんでやるなよ
つうか、クルマの窓凍らせない停め方知らないのかね
448 :名無しさん必死だな:2011/01/25(火) 18:36:45 ID:9bUlTduK0
≫444
熱湯なんかかけたらガラス壊れるぞ。
451 :名無しさん必死だな:2011/01/25(火) 21:11:00 ID:yjfyC378O
とんでもない世間知らずの大馬鹿揃いだなw
爆笑w
452 :名無しさん必死だな:2011/01/25(火) 21:12:10 ID:yjfyC378O
こいつら自分達が知恵遅れの世間知らずと気づいてないw
367 :名無しさん必死だな:2011/01/26(水) 06:12:18 ID:G/WXGe3d0
車のフロントガラスにお湯を書けたら割れるとか、昨日から無知なキチガイさんたちが凄いことを言っていて抱腹絶倒w
そんなコップ並みのガラスの車が走ってると思っているんだw
怖くて乗れるかよw
結局そういう人たちの集まりw
369 :名無しさん必死だな:2011/01/26(水) 07:40:46 ID:9SbNIWbjO
彼らにしてみたら粗を探しているのだそうだw
そして知恵遅れ丸出しの言いがかりをつけてきて私を爆笑させるw
彼らの言うには私は無職の引きこもりで全部妄想の作り話ということだから
だから私はあった事を書くだけで彼らは目を皿のようにして作り話の証拠をさがす。
その繰り返しが楽しいw
もともとあった事を書いてるから彼ら墓穴を掘るだけだ。
この前の歩行者天国再開時、例の事件があった交差点で、花や折り鶴、ペットボトルの山を撮ったもの。
これに、その前で張り込むマスコミを嫌悪するコメントをつけている人も。
でも、そういう諸々の感情抜きで見れば「何このゴミの山」という感想しか出てこない。
翌日、秋葉原へ行く機会があったので寄って見た。そのままだった。汚らしいポイ捨ての山だった。
そもそも拝み終わったら持って帰るようにすれば、あんなことにはならない。マスコミより先に非難されるべき人間がいる。自己陶酔の極みで後々のことが考えられなくなっちゃってる者たちだ。
なぜ放置して立ち去るのだろうか。あのまま勝手に朽ちていくとでも思っているのか。自分以外の誰かに後片付けを押し付けてそれで満足なのかと。
地元の人が後片付けをする場合、供物が放置されていることに気づいても、その日すぐってわけにはいかない。心情的にやりづらいのだ。結局最短でも翌日まで放置され、その間ゴミがそのままになってしまう。
秋葉原の歩行者天国を試行実施から本実施へ移行するには、秩序を高い状態で維持することが重要なはずだ。なのにこんな無秩序のゴミの山作っちゃったら街の雰囲気が台無しだ。
死者を悼む気持ちは分かる。しかしここは墓地ではない。気持ちだけで十分だ。供物は要らない。どうしても供えたいのなら、帰るときにちゃんと持ち帰ってくれ。
誰も私にプレゼントをくれない。誰も私をダンスに誘ってくれない。シャンパンは、どこで買えるの?ケーキはどうやったら食べきれるの?チキン。もうチキンに至っては、ほんともう内心そんなに食べたくないけど、チキンなんでしょ?今日って。 買ってきた照り焼きチキンにかぶり付いて、チキン片手にドレスを着て、寝てたシーツを引っぺがしてベールのようにして、シャンパンが売り切れた店で買ったワインの、完全にペットボトルみたいな蓋をあけて、その下についた輪っかを左の薬指にはめて、チキンをブーケにして、 私、結婚します。 この孤独と。孤独という名のクールなおまえと。おまえはすげぇ。おまえといると、毎日が自由で、毎日が宿題で、毎日に結論がない。おまえを突き付けられると、あわあわと焦るというのに、おまえの気配を感じると、いつもどこかホッともしてた。ホッともっとローソン。 これじゃないものを、愛せないかもしれない。これじゃないものと、暮らせないかもしれない。 だから結婚してくれよ、孤独よ(あと、ローソン)。私を離さないで、孤独よ(あと、セブンも)。 孤独さま、あなたを射止めるために、今日は空けておいたの。あなたとダンスしたいの。クリスマスだもの。今夜、来てくれるんでしょ?真っ先に私のところに。山下達郎やマライヤキャリーのドヤ顔に鼻フックして、その二本指をピースに変えて、私のところに一歩、さあ一歩。 たくさんの漫画もDVDも、あなたなくしては、ない。大泣きした夜も、悪酔いした朝も、あなたなくしては、ない。30歳の私には、あなたなくしては、ないわ。 お気に入りのエロDVDをガンガンにかけて、隣人に宣戦布告をしてさ、黒船じゃああああ!!って叫んだ私を背後から抱きしめて、どげんかせんといかん…って囁いて。ああ、夜が更けていくように、私もふけていくように、暮れていくから途方に暮れて、12月の24日は死ねばいいんじゃないかな。駅の階段でこければいいんじゃないかな。この先、一生、改札に逐一全部挟まれればいいんじゃないかな。 それを孤独と腕を組んで歩いてきた私に鼻で笑われればいいんじゃないかな。