はてなキーワード: アウトレットとは
なんて偉そうなことを言う奴が多いくせに
じゃぁ自己投資をどうやってすればいいのかを誰も教えていないから
拡張自我とは、要するに自分の身の回りにあるモノを自分の一部だと認識する心理学のこと
それは自分自身を褒められたり傷つけられたりしているのと同じだから、という感覚だ
本当に自分自身に対して投資をすると基本的に不可逆なので取り返しがつかない
と思われるかも知れないが、Apple Watchで良い
ただし、一番高いApple Watch Ultraを付ける
Ultraはデカくて物理的にどうしても無理ならノーマルで良いがバンドはHERMESにする
などと考える必要はない
ただただその価格が付けられている(そして値下がりしない)のであれば、投資額として相応であるからだ
株式投資をする際も、投資先の企業に対する価値を自分基準で計ったりはしないように
ちなみにAppleユーザーでないならGarminでもなんでも構わないがとにかく考え得る一番高いものを身につけよう
「オーダーのスーツとか?着る場面がないけど」
という意見も良く聞くが、たまにしか着ない衣服の値段を高くしても自己投資にならない
デカデカとブランドロゴが入っているようなモノは高くても「下品」と思われるリスクをはらんでいるため
茶碗、皿、カップ、箸、スプーン、フォークなどの食器もできる限り高級な食器を使う
これも食器棚に眠らせて
というようなことはしない
ちなみに食べるモノはなんでも良い
ただし食器は必ず高級なモノを使う
例えばグラスのボールにカット野菜と安物ベーコンを放り込んでドレッシングで混ぜるだけでかなり高級サラダになる
住居はできる限り高額なところに住む
ただし自己投資としては最大額を突っ込むレベルで高額なところに住む
例えば風呂は良ければ良いに決まっているが、拡張自我としてどうか、というのを自問自答する
人によっては風呂が好きな人がいるのでそこに投資するのは間違いではない
他にもキッチンやリビングが拡張自我としてどうか、をよく考える
簡単な判別方法は、上司に叱られたときに「でも俺の家は檜風呂だしな」と思ってストレスがなくなるなら拡張自我である
などという触れ込みが多いが、大半は意識が無い状態なので拡張自我としては希薄である
例えば英語を学習することで昇給や昇進、転職が約束されているような状況であっても
これは
という動機があるのにも関わらず
という行動に移せない状態になっているためで
内的動機付けは自発的に内面から出てくる動機付けのことで、よく「やる気」「モチベーション」などと言われる
一方で外的動機付けは他人から怒られたり、英会話教室の案内が届いたりするようなことが当てはまる
これらの動機付けに関するものに積極的に投資することで、高いリターンを期待できる
上の節で説明した拡張自我に基づいた自信への投資は自己の価値向上に繋がっている
ただし、自分が自分に感じている価値とApple Watchの価格が見合っていないと感じると、そこがギャップになる
そして人はそのギャップを埋めようとして自己の価値を高めようという「内的動機付け」が完成する
新入社員に「高いペンを買え」などという指導が昔は良くあったが
基本的に成長や成功のチャンスは何度でもあるのだが、内的動機付けができていないとそのチャンスを逃す
自己投資によるリターンを得るためには内的動機付けをしておくことは必須である
自己研鑽としてこの手のものが多いが注意したいのは外的動機付けに繋がるかどうか、である
例えばジムに通うときに高い年会費を払うと、それがそのまま外的動機付けになる
他にも週に一回のヨガを予約すると、行かざるを得なくなる
これが「安い」「いつでも気軽に」となると外的動機付けにならない
安物買いの銭失いと同じである
そもそも得られるリターンが投資額に見合ったものであるのかはよく考えた方が良い
チャンスはいくらでもあるとは言ったが、増やせるなら増やした方が良い
例えば古い友人関係、大学関係の付き合い、旧職場の付き合いなどには積極的に投資する
これは何も金銭に関するものではなく、時間を消費するという投資も含まれる
こういうときに
「あいつは目ざとい」「付き合いが悪い」
などという話に付き合う必要はない
あらすじ
32歳の与野都は、2年前まで東京でアパレルの正社員として働いていたが、更年期障害を抱える母親の看病のため、茨城県の実家に戻ってきた。今は牛久大仏を望むアウトレットモールのショップで店員として契約で働いている。地元の友だちは次々結婚したり彼氏ができたりする中で、都もモール内の回転寿司店で働く貫一と出会いつき合い始めた。でも料理が上手で優しいけれど経済的に不安定な彼と結婚したいかどうか、都は自分の気持ちがわからない。実家では両親共に体調を崩し、気づいたら経済状態が悪化していた。さらに職場ではセクハラ、パワハラ
主人公が東京で初めに働いていた服屋はそこのブランドが好きだから安く買いたいという理由で、そのブランドが好きで意欲もあったから店長にまでなっていた。帰ってきて地元のアウトレットの安めのブランドで契約社員で働くようになってからはそのブランドの良さはわかるが好きではない、でも家から通えて家族の通院に合わせてシフトの融通が効くという条件になると働き口が限られるので文句言う気もない、というストーリーだった。
わーい!日清オンラインのアウトレットで最強どん兵衛1個あたり167円で買えた!!!!
「スーパーでもっと安く買える」って地域もあるかもしれないが、近所じゃ200円超えしか見たことない
定価より4割引のセール
さいとうなおきの絵柄で、絵グッズのプレゼントキャンペーン付きだがキャンペーン締め切りが3月末なのでお安くなったそう
日清オンラインは賞味期限が近いとかパッケージ刷新とかキャンペーン締め切りすぎたとかで頻繁にセールをやる
後で頼むかと思ってたら売り切れて涙を飲んだりする
スムージーはけっこう長いこと売ってるな、やっぱみんなカップ麺やカップ飯が本命なのね
普通のどん兵衛が3割引189円なのに、最強どん兵衛が167円ってこれはお得すぎる
近所じゃ普通のどん兵衛はだいたい160円ぐらいで、安い時は140円ぐらいかな
一回の食事でそれだけかかるのなら、最強どん兵衛が200円だとしても十分安いんだけど、安ければ安いほど嬉しいねえ
もう23時なのにさっき16個あった在庫が13個になってるの見ると人の気配を感じて面白い
アウトレットじゃない通常ラインナップを見ていたが、台湾メシってシリーズあったんだな
近所の店は保守的であまり新商品を取り入れてくれないので知らなかった
おいしそうだけど定価268円は高い ちょっと遠い店は新商品も入れるから探してみようかな
カレーメシは104gなのに台湾メシは56gかー、半分近く量が少ない、それで268円か
オシャーメシもカレーメシより量少なかったな
味は好きなのに量が少ないと物足りなかった
がっつりとではなく小腹だけ満たしたい人もいるのだろうけど、カップサイズはカレーメシと同じなだけになにもない空間の差に侘しさがあった
オシャーメシはもう廃盤になってるのね
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
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おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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Amazonアウトレットでパソコンのマザーボードを買ったんだけど
付属の説明書に書いてあるメモリ挿入スロットと実際に動作する挿入スロットが違っていた
メモリ一枚のときはここに挿してくださいと書いてあるスロットに挿すと動作しない
メモリ二枚のときはこことここのスロットに挿してくださいと書いてあるスロットに挿すと動作しない
故障なのかとも思ったが挿すスロットをいろいろ変えてみるとメモリ一枚でも二枚でも動作した
Amazonで買った人はメモリ一枚、ないしは二枚を説明書通りに挿したが動作しないと思い返品したのかもしれない
FF7リバースのディスクの件もあったけど、消費者の手元に届く実際の製品を使って動作させてみるという確認をメーカーはやらないものなのか
今年は例年よりもたくさんお金を使って色々買ったので今年買ったもので良かったもの紹介でもしようかと思う。
目の中にコンタクトレンズを埋め込む、レーシックみたいなやつ。
今までレーシックやろっかな~って思ってたけど、周りでレーシックしてる人が割と視力戻ってきがちなので躊躇してた時に知り合いがやってるのを見てつい手を出してしまった。
やってみるとめちゃくちゃいい。小学生からメガネかけ続けてたから、裸眼でモノが見えるっていう感動はもう手放せないな。
手術自体は5分ぐらいで終わる(けど点眼麻酔するから実際半日ずっと病院いるみたいな感じ)し、当日手術して当日帰宅できるのもいい。
これは無条件で近視の人におすすめできる。
これも毎年惰性で新商品は買ってるんだけど、今回は14ProMaxと比べて圧倒的に軽さの違いがわかって良い。
どうせケースつけるんでしょという話もあるけど、ケースつけたとしても軽いからな。
カメラとかは正直14ProMaxとそこまで大きな違いは感じられないので、14ProMax持ってる人以外は別に買わなくてもいいと思う。
でも俺は最新のiPhoneを持ってるっていう所有欲のために買ってる。14ProMax下取りに出したら15万ぐらいで売れるしね。
サングラスの中にモニターが埋まってて、スマホと接続することでその映像を投影するっていうARサングラス
昔、Meta Questを買った時は最初の1ヶ月ぐらいめちゃくちゃ使ってたけど重いしゲーム起動するまでめんどくさいしで使わなくなってきたんだよね。
でもXrealはケーブルで接続するだけで大画面で映像が見られるので最高。
すごい使い勝手いいし、画質もいいし新しいもの使ってる感じあってめちゃくちゃ楽しい。
難点は電車の中でサングラスかけた不審者がニヤニヤするところ。
仕事柄PC使ってると、真っ平らでキーボード打つのが嫌だから外付けキーボード使ってるんだけど、
外に毎回持ち歩くのめんどくさすぎるのでPC自体を斜めにするシートを買った。
結果、めちゃくちゃ良い。省エネだし閉じてたら邪魔にもならないし平らにしたかったら別にそうしててもいいし、
高さも2段階選べるのでノートPC高さ調節気にしてる全人類買ったほうがいい。めちゃくちゃ良い。
今まで絶対にニューバランスしか履いてなかったんだけど、夏に旅行先でサンダル履いて30km歩いたら
足がズッタズタになったので飛び込んだ靴屋さんで試し履きしたら最高だったので買ってしまった。
そのあとでアウトレットに行ったら13,000円で売ってるの見かけて発狂したけど靴が完璧にフィットしてたので助かった。
ふらっと覗いた骨董市で見かけたきれいな柄の着物を買ったら着物にハマってしまった。
歩きづらいしすぐズレるし食べ放題とか行くとしんどいけど逆にオシャレだろと思って色々買い足していってる。
好きな組み合わせはパーカー+着物+ブーツ、かっこよくて好き。
みんなの今年買って良かったものは何?
私は頭も悪く、身長もなく、顔も良くないいわゆる弱者男性であった。友人は何人かいたが、信頼できる友人はその中でも一握りしかおらず、孤独に耐えていつ自殺しようかと考えていた。家にはぶら下がり健康器とロープがあり、そのことを察知した先輩に一度ロープを捨てられたがすぐに再購入した。
転機は何気なく、友人にスロットに誘われたことだった。どうやら期待値とやらがプラスになる台があるらしいので、言われるがままに打った。初日は1万負けで、その友人は5万勝っていた。負け分を補填してもらい、ラーメンを奢ってもらった。悔しくなった私は勉強して、一人でリベンジに赴いた。5万勝って、5万勝って、10万勝った。意味がわからなかった。期待値とか関係ない当たりで、自分の運が怖くなった。友人に一万を返し、たまに二人で行くようになった。
お金に余裕ができた私は、前々から興味を持っていたメイクをすることにした。パチ屋に行く時は基本一人だし、そこで練習ができる。しかもパチ屋には台に失礼のないようおめかしして行くべきだというジンクスもあるらしい。上手くなったら東京で胸を張って歩けるようになるかもしれない。そう思って、勉強して練習した。お金に余裕がなかったらメイク道具なんて買わなかった。ついでに身長を盛れる靴も買った。自分一人でアウトレットに足を運び、自分のかっこいいと思える服を選んだ。全てパチスロマネーで賄った。自分の金だが自分の金でないとこんなに自由に使えるとは思わなかった。
このころ件のジンクスのおかげか、また5万勝った。前々から興味のあったマッチングアプリに課金した。旅先で友人に撮ってもらったほとんど詐欺みたいな写真で登録したらそこそこマッチした。それでも会うまでに至ったのは3人で、そのうちの一人の感触が良く、2回目にあった時に付き合うことになった。初回の食事の時からこの子は自分に興味があるんだなと伝わってくるようで、私がこれまでに関わってきた女性とは明らかに違う感情が見え隠れしていた。自分が好かれている時はこんなにわかりやすいのかと感動し、こんなことも知らなかった今までの人生を呪った。
私は彼女に大学も、名前も、本当の身長すらも何も教えていない。向こうの好意を感じたから失うもののない私は交際するという選択をしただけで、正直戸惑っている。私は、どうすればいいのだろうか。
これはわかりやすい、普通に買えば3.6万〜のものが6千円で出てる
けどセロハンも剥がしてない1枚目の写真の後ろには同じ箱が大量に映り込んでる
説明の言葉は少なく、商品名だけ 入手経路や入手時期などはない、もちろん並行輸入なので違うけど、みたいな言い訳じみた説明もない
明確な説明、香水オタクで廃盤の時にストック買いしたが生活や好みが変わって使わなくなった等でもない限りは避けた方が無難
本物の中古品と同じような価格で、同じように中古で、出品内容もごく普通の人、と 見分けがつかない
クラッチバッグはなんだかチープだ
コフレセットとあるけど、GGGB EXTREME のコフレとか聞いたことがない
たしかにモデルチェンジ以前は黒いボトルだったらしいけど、黒のクラッチに蛇1匹のデザインは初めて見た(これはかつてクラッチ単品で売っていたよう、キリアン本家サイト確認)
瓶の底面の写真をきちんとあげている、ラベルにもキリアンとあり一見正しそうにも思えるが…
出品者の過去の出品を見ると、グッドガールゴーンバッドを以前も出品しており、そちらは白デザイン、同様に国内正規品ではなく
貰い物、アウトレット品のようで文字盤がズレてる、との説明をしている
ここ数日、ラノベにSFはないだのSFとスペオペは違うだのSFファンは性格が悪いだのといった話題がX(旧twitter)を騒がせている。
そのきっかけは、カクヨムで公開された一本のエッセイなのだが、これ自体は読む価値ゼロなので、みなさんも実際に読んで価値の無さをしっかり噛み締めてほしい。
【おまけ4】なぜラノベからSFジャンルがほぼ消えたか - 若者のライトノベル離れ 約7年で市場半減のショック(らんた) - カクヨム
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330659071865553/episodes/16817330663869554252
さて、そんな流れの中で、日本SF史の汚点ともいうべき一つの事件が蒸し返されることになった。
79年開始の第一作から現代まで連綿と続く、大人気ロボットアニメ「ガンダム」シリーズ。
その初代ガンダムが人気絶頂だった頃に、著名なSF関係者たちが「あれはSFではない。私がそう判断したからだ」とSF性を否定した……と伝わる事件である。
中でも、「ダーティペア」「クラッシャージョウ」「神拳 李酔竜」で知られるSF作家、高千穂遙氏が中心的な役割を果たしたと、一般的には認識されている。
高千穂氏はXにアカウントを持っている。そして今回、この問題について本人から語られた経緯がこちらだ。
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427
@takachihoharuka
いまだにこういう方があらわれるので、もう何度も書いてきましたが、もう1回、あのことのいきさつを書いておきますね。ある日、OUTの大徳編集長から依頼がありました。「最近、SFが注目を浴びているけど、SFが何かがよくわかないという声もある。そのことについて、書いてもらえませんか」と。→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122162037309833
@takachihoharuka
「書きますが、切り口が重要ですね。わかりやすいように、人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」「いいですね。それにしましょう」で、書いたのが、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という一文です。大徳さんは、→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122878810222800
@takachihoharuka
「いいですね。わかりやすい」と言われ、掲載となりました。でも、そのあと「ガンダムはSFじゃないのか」という投書がたくさん編集部にきたんですね。困った大徳さんがぬえにきて「こんなふうに読まれるとは思っていなかった。どうしましょう?」と嘆かれ、「前提が飛んじゃうのは予想外でしたねえ」→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714124598462271844
@takachihoharuka
という話になり、「とりあえず、富野さんと高千穂さんとの対談を載せましょう。それで誤解も解けるんじゃないんですか?」と大徳さんが提案され、富野さんと対談しました。いきさつは、以上です。地球重力下での巨大ロボットに対する視点は、ハインラインの「宇宙の戦士」に対して、異を唱え、→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714125784858943681
@takachihoharuka
「宇宙兵ブルース」を書いたハリー・ハリスンの見解を参考にしました。パワードスーツは巨大ロボットより小さく、重量も軽いので、ハリスンは沼地という設定で、その弱点を指摘しています。巨大ロボットは大好きですが、あれは巨大ロボットが成立する前提での作品というスタンスは変わっていません。→
ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714126373860913585
@takachihoharuka
ちなみに、当時のSF作家で、あの一文を読んだ方は、ほとんどおられません。ただひとり、平井和正さんが読まれ、「きみは、小説よりもああいった評論のほうが文章が上品だね」という、返答に窮した感想をいただきました。反応は、それだけです。
とのことである。
これに対しXでは、
なるほど!そういうことか!誤解が解けた!といった声が多数上がっている。
ttps://twitter.com/unyanyako/status/1714134026813116780
うにゃ子
@unyanyako
高千穂さんがそう言うた、という話は聞いていて、どういうことなんかなあ、とずっと思っていたので、御本人の口からわかりやすくそれは誤解、誤った解釈とのお話が聞けてたいへんよかった。
ttps://twitter.com/yuno_sarashina/status/1714163341017673796
@yuno_sarashina
「ガンダムはSFじゃない」という誤解の産物のフレーズがひとり歩きして、実態とはまるでかけ離れたイメージだけが浸透していくいつものパターン
ttps://twitter.com/guchihaki_2021/status/1714157477510664446
@guchihaki_2021
こういうことがあるから、安易に仮定を絡めた話をするのは憚れる
ttps://twitter.com/masa5046/status/1714193810727866858
masa-5046
@masa5046
なるほど、
は、
ttps://twitter.com/v_mx/status/1714236647032951242
VMX
@v_mx
80年代オタ界隈を席巻した「ガンダムはSFか」論争、ライトオタ小学生の私には「なんだかややこしそう(面倒そう)な話だなぁ」という印象でした。ぶっちゃけ「面白ければそれでいいんちゃうの」とか💧
@takachihoharuka
ttps://twitter.com/ZEfcTDI5bXPck5Q/status/1714236234435043550
@ZEfcTDI5bXPck5Q
はてブでも早々に、「未だに「思い上がったサブカル連中のアニメ差別」みたいなデマ記事が書かれるのはアンフェアよね」とのコメントが付いている。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427
たしかに、まことしやかに語られてきたアニメとSFの対立が実は虚構のものだった、という話は、多くの人にとって安心できる結末ではある。
高千穂遥氏が「OUT」誌に掲載したガンダムとSFに関する文章は、「ガンダム雑記」及びその続編というべき「SFを考える 巨大ロボットアニメを軸として」の二つがあるらしい。
検索をかけてみたところ、こちらのツイートでいずれも実物が引用されているのが見つかった。
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142346048176128
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142668690817024
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140147594913431552
ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140148195281887232
今回の高千穂氏の発言の「SFが何かがよくわかないという声もある」「人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」という部分を見ると、そこで語られている文章は「SFを考える」の方を指しているようにも見える。
ただ、実際に「SFを考える」を見てみると、執筆・掲載の経緯は高千穂氏自身がOUT編集部に申し入れてということになっており、今回のツイートとは食い違う。また、その執筆の動機も、そもそも「ガンダム雑記」でガンダムはSFではないとしたのはなぜかを読者に説明するためのようだ。
高千穂氏による、ガンダムSF性否定の本丸は、やはり最初の「ガンダム雑記」の方にあると見るべきだろう。そのため、ここでは「ガンダム雑記」の内容を主に検証することにする。
「ガンダム雑記」から、今回の件に関連しそうな部分を書き起こしてみる(恣意的な切り取りを疑う人は自分で元ツイを確認してほしい)
ぼくは「0テスター」以来、創英社―サンライズスタジオ、日本サンライズの企画スタッフに加わっていたが、その際、必ず強制するひとつの原則があった。「勇者ライディーン」「コンバトラーV」「ボルテスV」などのロボット物をけっして、ぼくの前ではSFと呼ばせなかったのだ。ロボットプロレス物という呼称も好きではなかった。あの程度の格闘ではプロレスに対する侮辱であったからだ。
ぼくの意見は、SFと銘うちながら、まったくSFではないものが最近多すぎるというこの一点に絞りこまれていた。「宇宙戦艦ヤマト」は、むろんSFではない。アニメではなかったが「ウルトラマン」もSFではなかった。五三年秋の時点でSFと断言出来た作品は唯一「未来少年コナン」だけだったのだ。
ぼくはSFに厳密な科学的正確さを要求するものではない。ある一線からは、科学を超えていても、それを認めることができる。「スターウォーズ」は明らかに科学を逸脱しているが、にもかかわらず立派なSFなのだ。なぜなら逸脱の範囲を知り、それに応じてストーリーが組み立てられているからである。
SFがSFたるもっとも重要なエレメンツは、SFとしての発想、SFとしての思想、SFとしての理念にある。いいかえれば、これらが欠けた作品は、SFではないということだ(作品の優劣の問題ではない。単にSFであるか否かについてのみ語っているのだ。お忘れなく)
例えば、SFとしての発想は、「スターウォーズ」でいうならば、"A LONG TIME AGO"にある。遠い昔、はるかかなたの宇宙で繰り広げられた大冒険――この発想ひとつで、科学のもつ巨大なしがらみから「スターウォーズ」は抜け出たのだ。
この原則を忘れ、幼稚な善悪問答をもちこんだ「ザンボット3」は最終回でSFになりそこねた。総監督富野喜幸氏のSF的限界を知ったのは、このときである。
最後のSFの理念だが、これは表現者みずからの立脚点を明確化できるかということを意味している。エスパーを描くなら、エスパーの立場と人類の立場を区分しなければならない。(略)理念は両者に対立を生み、対立は続者(ママ)に対するメッセージとなる。テーマではない。メッセージなのだ。SFは読者の魂に、強烈なくさびを打ち込まねばならないのである
いかがだろうか。
少なくとも、もしもこのようにSFを定義したなら~というような仮定の話には、全然見えない。
明らかに、当時の高千穂氏自身の主張として、SFとはこういうものである、こうでなければいけない、という要件が書き連ねられている文章である。
(ロボット物をSFと呼ばせなかったというくだりの、あまりにステレオタイプなめんどくさいSF者の姿には、現代人として大いにたじろいでしまう)
さて、肝心のガンダムを「SF」としてどう見たのか、という話だが。
ぼくが怒りにまかせて喚き散らしたためでもないだろうが、設定の制作は慎重であり、よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた。
第一話の試写のあと、ぼくは「機動戦士ガンダム」をSFの傑作となりうる要素を秘めた作品と評した。三話までは、その印象は変わらなかった。
と、序盤はかなりの好感触だったのが、
しかし、五話を過ぎたあたりから「ガンダム」は見るのが苦痛な作品になってきた。今ひとつ、SFになりきれないのである。セリフはいたずらに饒舌で、退屈をきわめた。ぼくは「ガンダム」を見るのをやめた。
「ザンボット3」で感じた富野さんへの評価はまだ変化していない。ニュータイプをだすならだすで、小松左京の「継ぐのは誰か?」に匹敵するアプローチがほしいのだ。あの展開では、焦点がただただぼかされていくのみである。残念ながら、やはり「ガンダム」も偉大な失敗作だったようだ。たしかに一歩、進むことがきたにせよ……。
というところに落ち着いたようだ。
作品自体の評価と入り混じって分かりにくいが、ザンボット同様としている以上、やはりガンダムも最終的には「SF」ではない、と断じているものと見ていいだろう。
といえる。
意欲作として評価していたことは伝わったが、この内容をもって高千穂氏によるガンダムSF性の否定を「デマ」「誤解」のひとことで片づけるのは無理があるだろう。
念のために言っておくと、「SFを考える」の方にも、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」というような、限定付きのSF性否定のような部分は特に見当たらなかった。それどころか、
という主張が展開され、「ガンダム雑記」以上に、SFと非SFの線引きを当然のものとする論調に見える。
(疑う人は引用している元ツイで実際に読んでみてほしい)
世間ではこういうことになっているが実は~という隠された真実の発覚。これには誰しもが一定の快感を覚えてしまうものだと思われる。
しかし、そうした新たな情報を、自分自身で検証することなく無批判に受け入れてしまえば、それこそ新たな「デマ」「誤解」の拡散に加担してしまうことにもなりかねない。
このリスクには、十分に注意を払う必要があるだろう。それがたとえ当事者の言葉であっても。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/a842
少なくともSFじゃないとは言い切っていないのは間違いなさそう。SF度が自分の期待値より下だったと言っているように思えます。0/1じゃなくてスペクトラム。
「ガンダム」は、三話まではSFでした。四話から違和感を感じはじめました。五話になるとスタッフのSFマインドのなさがありありと見えてきました。全四十三話のトータルでひとつの作品として成立しているのが「ガンダム」です。三話までがSFだったからといって、「ガンダム」がSFだったとはいえません。限りなくSFに近いSFというのはないのです。線引きをするのなら、SFか、そうでないかのどちらかです。「宇宙から――」ははるかにSFではなく、「ガンダム」は惜しいところでSFではないのですが、言葉にしてしまえば、どちらもSFではないわけです。
と高千穂氏みずから、まさにゼロイチの基準を提示しているのであった。
また、
総監督の富野さんが「ニ〇〇〇一年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「ニ〇〇〇一年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います。
と、やはり「SFにすらならなかった」と断言している。
「ガンダムはSFじゃない」問題の中では非常に重要な部分だし、ここは最初から引用しておくべきだったね。すまない。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/kamm
善悪の概念を持ち込んだとはいえ「自身のSF定義に照らし」ているんだから「限定付きのSF性否定」と同義じゃないの?増田の文章の方に矛盾を感じた
引用したツイート群を見てもらえば分かると思うけど、今回の高千穂氏の「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という言葉を、氏自身のものではないが仮にこういう定義を用いたとすると、という仮定や思考実験の問題だったと捉えてる人がたくさんいるのね。
(ひどいものになると、だからSFの定義はなるべく広く曖昧にしておこうという話だったんだな、と好意的すぎる拡大解釈をしている人もいる)
でも実際の文章では全然そうでなくて、あくまでも高千穂氏自身が、氏自身の定義によって、ガンダムはSFじゃないと判断するものになっていた。という話なんだが、分かってもらえただろうか。
私はサレた妻の方。
以下経緯
後輩が結婚式あげるので久々にネイルサロン行こうと思い、インスタでいい感じのデザインを物色。
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とある女性のアカウントにアップされたデザインがすごくかわいくて個性的。そのアカウントは無言でネイルとかインテリアの写真をあげてるだけなので詳細わからず。
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普段ネイルとかしないので、そのデザインの呼び方?がわからない。なので、とくに深い意味はなくそのネイルの画像と類似の画像を探すための画像検索する
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全く同じ写真をあげてる女性(以下a子) のTwitterアカウントがみつかる。開くとプロフィールに『婚外』とだけ書いてある
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そこではじめて不倫を婚外恋愛と呼び楽しんでいる?界隈があると知り、ここからはネイルのことを忘れて興味本位でそのアカウントを読んでみる。
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恋心を語ったポエムのようなツイートと義理実家や夫への愚痴を書き連ねたリアリティ溢れるツイートの落差が面白くてつい読みふける。
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どうやらダブル不倫で、相手の男(以下b男) は出張やゴルフと偽りこの女性と温泉旅行や日帰りのドライブデートなどを楽しんでいるようだ。そして花火大会の写真などからおそらく同じ県に住んでいることがわかる。
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新幹線内?でa子とb男が手を繋いでいる写真がアップされている。私の夫と同じ腕時計(日本ではあまり流通していないモデル) だ。よくみたらシャツの袖もみたことあるような柄だなぁ。
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えっ?まさか?と思い、メディア欄を開いてb男が写ってる写真を探す。手や胸のあたり(食事で向かい側に座っているb男の写真) しか写っていないが、間違いなく夫だと確信する。なんなら私と二人で一緒にアウトレットで買ったTシャツ着てる。
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夫がゴルフや出張、友人と海釣り旅行に行くと言っていた日付とa子とb男が会っていたと思われる日がかぶっていることを確認。
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放心する。信じられない気持ち。ただただ傷ついた。
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夫と話し合った。夫はすぐにすべて認めた。また、夫の気持ちは変わらないらしかった。子供もいないし、私ももう一緒にいる意味がわからなくなったので、離婚した。