はてなキーワード: 鬱状態とは
最近の回転寿司チェーンに若干の不満がある。味についてではない。
私が不満に思っているのは「もはや回転していない」回転寿司店のシステムである(いささかレトロニム的だ)。客席の間を回転する寿司。野良の寿司…または市井の寿司とでも言うのか、その部分を完全に廃し、タッチパネルで注文したものだけがオンデマンドにベルトコンベアで流れてくるシステム、あれはなんとかならないのだろうか。
私が回転寿司屋に求めているもの、それは食事における主体性の放棄に対する受容である。
私はこのところ非常に疲れていて、何かを選び取る作業というのが苦痛で仕方がない。給与や役職、年次に見合わない過大な責任を預かる業務が続いており、そしてそれは自分の選択を誤ると最悪の場合他人を殺める可能性のある業務でもある。そのためか、最近は私生活でも自分から何かを選ぶこと、それを人や物に指示することが非常に億劫なのだ。あるいは一種の鬱状態と言えるのかもしれない。
それに較べて、かつての回転寿司屋というのはなんとも魅力的であった。お品書きや食券機に書かれた無数のメニューを選ぶために、考える時間や精神の負担を一切与えない世界!目の前に流れてきた食品を、興味があれば取りそうでなければ取らない。ルールがこれしかないのである。頼んだものと違うものが来ることもなければ、待てど暮らせど自分の注文した料理だけ来ないといったこともない。また、明快な従量課金制でサービスやお得なプランなどの介在する余地もない。私は、「回転寿司屋に行こう」という選択さえしてしまえば後は寿司屋の思うまま。あとは全てが寿司屋の主体性が支配する王国に暮らす歯車Aであり、なんの責任も問われない…!私が回転寿司屋を愛する所以はそこにあったのである。
それがこの頃どうだろう。回転寿司屋の絶対王政には幾分翳りが増したように思える。歯車Aではなく、主体的に選択しなければならない事項のなんと増えたことだろうか。私は食べたい寿司なんか選びたくないんですよ、この前まではそっちが提案してくれたじゃないですか。なんですか毎回、お取り忘れの無いようにだとか、寿司を取ったらボタンを押せだとか!座ってるだけで食べ物がアピールしてゆく、デブの走馬燈方式の何がいけなかったのですか。こんな江戸っ子の考えたサイバーパンクみたいになっちゃって、昔のあなたはどこへ行ったんです。
感染症対策やフードロス対策の意味合いとしても回転寿司の正常進化であることは自明のようではあるが、思考停止飯に魂の救済を求める哀れな限界社会人のために、ベルトコンベア方式を何とか存続してはもらえないだろうか。
設定の考察とかはありません
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第3村あたりでは鬱状態のシンジとトウジや委員長、ケンスケとの対比から、いい加減子供のままじゃなく大人になれっていう喝入れのメッセージかと思ったね
もういい年だろ、そろそろエヴァから離れて自分の人生を歩めみたいな
カーク船長(役の)「自分の人生を持て。あれはただのテレビ番組だ」
のような
違った
これはそのままでも受入れてくれる
誰かが見てくれている
守ってくれていることを伝えたいのだ
世話焼きおばちゃん達がしきりにアヤナミを気にかけていて分かりやすいが、人と繫がり助け、助けられる、関わり合っている
決して押し付けがましくないよう、でも分かりやすく人と関わっていくことが人生だと発露したかったんじゃないか
みたいなメッセージを受け取ってしまった人がいたことは他人事ながら悲しいというか悔しいというか無念である
「あー、君は分からなかったんだ。」
というネガなマウントではなく、本当に惜しいというかこの人間っていいよね感を。
分かれとは言わない、でもいいと思ってる人も、実際にいい人も君の周りにいる、出てくるんだと伝わってほしい。
描かれたままを素直に受け止めてほしかった
シンジは切り捨てられたように見えて、皆から気をかけられ、陰日向なく意識を向けられている。
でも意識を向けられているのはスクリーンを見ている自分も同じで
1人ずつ大小、山谷、深浅あれど1人でやれてきた奴はいなくて必ず人と関わってきた
そんなやつ誰もいなかった!
という声を、25年前の自分はあげていた
そこで死んでればそのとおりだったかもしれないが
死ぬでもなく生きてしまヘば誰かに支えられてきたことにバカでも気づく
庵野も大変な思いをして、のりこえてテレなく作品にすることができたんじゃないかと勝手に思う
ずっとエヴァを追ってきた人へも
大学時代、自分の思っていたことと現実のギャップで鬱状態だった自分に
「そんなの最初からわかってて進学するもんでしょ?わかってなかったお前が悪い」と吐き捨てられたのを思い出した。
発達障害があるこどもが生まれるかもしれないこと、当然わかっていたはずだと思っていたけど大分取り乱しているらしい。不思議だね。
以前からコロナ禍での子育てのストレスが大変だという愚痴も母から電話で聞いていた。
愚痴を聞いてやって欲しいと。
勘弁してほしい。愚痴なんてどんなものでも聞きたいものではない。
「おまえそんなんで人生楽しい?」とも吐き捨ててくれましたね。
これもいつか返っていくんだろうか。
今は自分も落ち着いて仕事もして、昔のことも封印して親戚付き合いしてたけど思い出してしまったので吐き出したかった。
昔みたいに自分で身動きできなくなったら同じように吐き捨てられるのだろうな、とはずっと思っていたし。
今思うとかなりやばかったと思う。
数年経てば消える程度だったけど自傷もしていたし、夜が来ると自然と涙が溢れて止まらなくなって気がついたら明け方になっていたことも少なくない。
当然学校は休みがちになり、それと共に成績も落ちた。家庭環境も良いとは言えなかった。
全部を終わらせたい毎日が続いていた。休めない時は這うように学校に行って1日を耐え忍び、夕日の差す駅のホームで時々何本か電車を見送っていた。
ちなみにこの時のちょっとした趣味は電車に飛び込む自分を想像することだった。
毎回ホームに入ってくる電車で飛び込みのベストタイミングを図るというとてもとても不謹慎な遊びだった。
想像力が豊かすぎると笑われるのがわかっているから誰にも言えないでいることがある。吐き出させてほしい。
その日もいつもと変わらないはずだった。
電車がきますのアナウンスで待合の椅子を立ち、黄色い線の内側に立った。しばらく後、電車がホームに入ってきて今だ!と思った瞬間だった。
それはすぐに電車本体にかき消されたけど、変な感覚だった。向こうに引きずられるような感覚はあったし、危ない!とも思った。(身体は膝を軽く曲げて後ろに上半身を引いていた)
すごく焦った。電車のドアが開いて自分がまだホームにいるとわかってホッとしたのを今も覚えている。それと同時に全部終わりにしたいとか消えたいとか思ってたくせにホッとしてる自分に呆れた。
ただその一件以来少しだけ心が軽くなって、状態が良くなっていった。一年も経つ頃には遅刻はすれど学校を休むこともなくなり、症状も軽くなっていた。
あの時自分の中の死にたい何かが電車に飛び込んで本当にどこかに消えてしまったんだと思っている。
自分でも妄想が過ぎると思ってるけど、妄想で片付けるにはあまりにもリアルだった(でも当初はだいぶおかしかったしとも思う)
頭が良くないので詳しいことはわからないけど、これは何か名前のついている現象なのかな。
コロナ前に鬱で退職した友達にどうやって鬱状態から脱却したかきかれて、思い当たったのがこれしかなかった。
話すにはファンタジーすぎて話せずにいる。
そうだよね。「ツレがうつになりまして」ってタイトル通り、夫がウツになっちゃった話であって、鬱状態の男と出会って結婚して支えた話じゃないからね。
初産の6ヵ月の妊婦です。
1ヵ月前に、お腹の子が「男の子」ということが判明いたしました。
経済的に1人っ子が限度ですので、
1年かけて産み分けを実践し馬鹿みたいな話ですが神仏にも祈ってたぐらい「女の子」を切望していました。
でも、産み分けをしても100%では無いことは分かっていましたし、男の子でも仕方ないか・・と思っておりましたが
実際に現実になるとショックで、家に帰って中絶・養子縁組のサイトを探したぐらいです。
しかし現実問題、(性別が理由による)中絶も養子に出すことも旦那も両親、友人も許さないでしょう。
その後は、どうにか受け入れられるようにベビー雑誌や近所の男の子達を見ました。
「あの人のお腹の子は女の子なのかな?羨ましい」とまで思ってしまいます。
今日は、お腹の子に「生まれてこないで」と言ってしまいました。
有名な『私があなたを選びました』も読みましたが、あまり心に響かず・・・それだけ病んでるのでしょう。
愛に溢れていて、それはそれは素晴らしい本となった
と、ここまではよかった。
謝礼をもらうはずだった人へは謝礼は支払われない。
連絡をしても反応がない。
「アンソロジーはちゃんとだしたじゃん!!そんなすぐすぐ対応できない!!(発刊から2週間経っていた)」
「みんなが私をいじめる!!無理!!鬱になりました!!!」などととほざいた。
あげく、Twitterみると吐き気がする、気持ちが落ち込むなどと言っていくらDMやリプをしても反応がない。
一部の直接連絡を取れていた面々が個人的に連絡をとり早く対応しないとだめだよ。待たせちゃだめだよと伝えても
「発送しようとしたら階段から落ちて怪我したから発送にいけない」
「会社から給料が支払われなくて謝礼を払うだけのお金がないから少し待ってほしい」
「躁鬱の鬱期でベッドから動けない」
と言い訳が続いた。
上記は自分からTwitter等で参加者へ説明することはなく、個人的に連絡した人にのみ伝えられた。
なのでその数名以外の参加者は訳もわからず数年に放置されているのだ。
最初は、病気なら…と仕方なしに彼女の肩を持っていた面々も愛想を尽かしていった。
Twitterに至っては別ジャンルにハマったようで新垢を作り転生していた。
Twitterをみると吐き気がするのではなかったのだろうか。見た限り元気良さそうに毎日フォロワーと会話をして、今ハマっている作品の二次創作を投稿していた。
現在収入がないはずだが、コラボ店舗にも行き散財しておりだんだん彼女が信じられなくなった
連絡が取れていた期間に何度も今現在の状況を参加者に説明するようにといっても
「鬱だから無理」
「(転生先アカウントの投稿をみたことを伝えると)いま元気そうにみえるかもしれないけど、それは躁鬱の躁の時期だから」
「収入がないのは本当。コラボ店舗に行った時の金は親から借りていった。(※30代)」
などといって直接説明をすることはなかった
そこから彼女のページに移動すると現在の推しCPの作品が投稿されていた。まさかと思いそのCP名と彼女の名前でTwitterで検索をかけるとアカウントがヒットした
とある時はベッドからも起き上がれなくて食事や入浴も家族の介護がいるはずの彼女がその作品のコラボ店舗に1ヶ月で4-5回訪れ、コラボグッズを数万円購入しており、グッズ交換も頻繁に行っていた。
ここ数年就労不可で現在では回復の見込みがないほど酷い躁鬱状態のはずだがグッズを数万円分購入するだけの金銭的余裕はあるようだ。
挙げ句の果てに新しい推しCPの本を出して自家通販を行っていた。
バレなければいいと思ったのだろうか。
本当に躁鬱で苦しんでいる人は大勢いるはずだ。
ただ、彼女を見ているとどうも信じられなくなった
何か注意されると「躁鬱だから」「鬱が悪化する」「ODがダメなのはわかってるけど辛い。眠れない。ODする」などと言い出す。
また少しでも自分の非を指摘されると逆ギレしてくるような人だったので、なんとなく「謝りたくない、対応したとしても問題を先送りしたことを怒られるのが嫌だ」だと思っているのだろうなと思った。
そして本当に治す気があるのであればきちんと薬を飲んでほしい。
(ODした翌日、彼女は「つらい…体調良くない…鬱が悪化してるのかな…」とほざいていた。ODしたからだろ)
そして躁の時期にそれだけのことができるのであれば、今ある問題を片付けてから先に進んでほしい。
※特定は避けたいので彼女がいまどのジャンルで活動しているかは明記はしない。
追記 1/25
古い、決済方法が云々って暴れてる方へ
コロナでフルリモートになったけど、半年くらい前から職場の上司の自分以外のメンバーへの当たりのキツさが気になり出して、他のメンバーが睡眠薬を飲み始めたと聞いたり、20人ほどのチームなのに異動や退職する人が立て続けに四人も出て職場に不安感がある。
契約社員上がりの補助員扱いだから大した期待もされてないので標的になることは今後もないだろうけど、このままこのチームにいる限りは補助人員以上の仕事はさせて貰えないだろうし、例えば明日会社が倒産したり明日から急に自分が上司からのパワハラにあったとして、このご時世にすぐに転職できるほど優秀な人間でもないし、失業保険が出るまでの間の生活費も怪しいし、そもそも失業保険で暮らせるほど給料貰ってない。
万が一耐えられなくて転職するときにせめて容姿理由に書類選考落ちする率を下げたくて二ヶ月ほど前から食事制限とリングフィットでダイエットをし始めた。元の体重の5%ほど減量できて、服のサイズも明らかにダウンしたし、そこそこ達成感を得られたけど、年末年始を怠惰に過ごしてからリングフィットやる気力が萎えて年明けからは数回しかやってない。
食欲も、食べないでいれば体重が落ちることがわかっているから、お腹は空いたけどこのまま食べない方が良いんじゃないかという気になることが増えた。一方で、何かを食べよう・食べたいと思った時のタガの外れ方が激しくなって、ケンタッキーで5〜6ピース一度に食べたり、ミスドでドーナツ10個くらい一度に食べたりみたいなことをして一日に4,000kcal超食べたりする日もある。
ここ一ヶ月くらいは二、三時間の睡眠しか取れない日が何日か続いて、そのうち体が限界なのか寝落ちして10時間くらい眠る日があって、またその晩から眠れなくなる。寝付けないし、明け方四時五時に目が覚めてそっからはもう二度寝もできないで布団の中で眠れないことにイライラしてる。
ここ2ヶ月の変調のきっかけには心当たりが少しあって、来年以降の異動希望の人事面談が来月あるのが分かった時期と重なる。
正直いえば異動したいけど、異動を受け入れてくれる先があるか分からないし、たとえ受け入れ先があっても今期こんなに人員が動いているチームだから来期の人員配置的に無理なんじゃないかとか、そもそも異動を希望したことで冷遇されるんじゃないかとか、でも来期以降引き続きこのチームで働くのには不安があるし、仕事絡みでは心配になる要素しかない。
映画やアニメを楽しいと思う瞬間もあるけど、元々のめり込めるような趣味も持ってなかったから余計に何もかもがやることのない日の時間潰しに思えて、布団から出るのも着替えるのも風呂に入るのも億劫に思う。二、三日風呂に入らないとかザラにあるから、今フルリモートで本当によかった。
うつ病診断チャートみたいなやつは要受診になるけど、過去に激務とパワハラで心身症で鬱状態と言われて2年半ほど受診してどんどん薬は増えるのに特に良くならなかった経験があるから正直不信感が強くて行かなくていいかなと思ってしまう。
当時のメンヘラブロガーが「よく効くのに副作用とかで最近はなかなか出してもらえない」と書いてた古めの薬を大した説明もなく普通に出して、長期で飲む場合は血圧や血液検査をするらしいと書いてあるのに一度もそんなことは言わなかった医者にちょっとひいてたのもあって、結局仕事辞めるのと合わせて行かなくなった。
薬もその時飲まなくなったけど、パキシルの離脱でしゃりしゃりするって書いてあったのこういうことかと初日に思って以降は特に何もなかったし、どの薬か忘れたけど副作用で乳首を絞ると母乳がでてたのも出なくなった。薬の副作用で出てる母乳だからなのか、そもそも母乳の味がそういうものなのか分からないけど、めちゃくちゃ苦くてマズかった記憶はある。
何が言いたいのかわからなくなった
僕は友達がいない。
学部は理系で女子率が5%だったので、「理系の割にはイケてる見た目をしている」というブランディングを確立した。
新歓期はいろいろなサークルのタダ飯を周り、いろいろな人にチヤホヤされた。
高校の同期と二人で新歓に行って、後日の飲み会に自分だけ誘われたりした。
いろいろな人に話しかけて、大学のミスコンに出るような人と知り合いになったりした。
高校はそこそこ知名度がある進学校で、同じ大学に行く人も多かった。田舎から上京してきてギリギリで受かったような他の新入生に対しては、言葉には出さないものの心の奥に小さな優越感を抱いていた。
なんとなくテニスやフットサルのサークルは斜めに見ていて、入る気はしなかった。
サークルは高校の時から続けていたマイナースポーツのサークルに入った。サークルは6割チー牛男、3割変人、1割女子という構成だった。
そのスポーツは個人スポーツだった。練習は自分とだけ対話すればよく、また自分一人で勝手に練習に行けるので、そこが魅力だった。1, 2年の頃は、暇さえあればずっと練習をしていた。
同じクラスの人たちが授業終わりに食堂でダラダラしているのに一回参加してみたものの、中身のない会話とただ過ぎる時間に飽きて、その場には行かなくなった。
サークルでの実力はメキメキ上達して、部内大会では3年連続で入賞した。
練習もまともにせず飲み会だけ参上する先輩を心底軽蔑していた。その先輩は飲み会に行くノリしかない一方、「自分は実力もあって飲み会に行くノリもある」と内心ずっと思っていた。時に飲み会で、その先輩の秘密を公にして喧嘩したりもした。内心、「お前なんかすぐにサークルやめるだろ」と思っていた。
練習しても上手くならずスランプに陥っていた同期は、物に当たる癖から他の人から嫌われていた。僕は彼に対する直接のバッシングには加わらなかったが、彼が嫌われていることは内心気味がよかった。
大学2年になると、サークル内で年下の彼女ができた。見た目はそんなに可愛いとは思えなかったが、自分のことを好きになってくれたので付き合った。
その彼女はサークルの中では男女問わずいろいろな先輩と仲が良かった。僕は彼女が男の先輩たちとの距離が近いことを口酸っぱく咎めた。僕は自分よりも格下の相手と仲良くしていることが心底気に入らなかった。
転機になったのは、大学3年の秋だ。サークルの仲間と行った海外旅行代を稼ぐために単発バイトに行き、そこで知り合った女の子と連絡先を交換した。
その女の子の顔はとてもタイプだった。ちょうどサークルの彼女に飽き飽きしていた頃だったので、その女の子をデートに誘った。
その後の話はトントン拍子に進んだ。
3回目のデートの前に、僕はサークルの彼女に別れを切り出した。
彼女は最初は動揺していたが、不誠実極まりない僕の行動を厳しく責め立てた。僕は自分が責められることが気に入らず、先輩との距離が近いことを粘着的に言い続けた。
これが仇となった。彼女は一連の経緯をサークルの有力な先輩や同期に言いふらした。
サークルの人たちは噂好きだったので、一連の経緯はOBから一女まで幅広く広まった。
また、サークルは陰の者の集まりだったので、他人の不貞には人一倍厳しかった。
OBの集まる飲み会に行くと、元カノと仲の良いOBの女の先輩から出会って1秒で罵倒された。同期女子からは無視され、サークルの練習に行った時の話し相手が消えた。
僕は自暴自棄になっていた。
物に当たる癖があった同期が、僕の悪口をtwitterに公然と書き込んでいた。僕は自分より格下の相手が僕の悪口を行っていることが許せなかった。
「今日も上手いね。そういえば膝の怪我は治った?どっちの膝を怪我してたんだっけ。」
彼は「左」と答えた。このスポーツでは膝を痛めることは致命的になりうる。
そいつは倒れこんだ。
再度掴みかかろうとした時、周りの人が全員がかりで止めにかかった。
他のコミュニティの友達を誘う気力もなく、昔仲の良かった人たちは次々に疎遠になった。
当然、サークルにも行けなくなった。
僕は自分が他人に暴力を振るったというショックから、いわゆる鬱状態になった。心療内科にも通い、投薬治療を受けた。
就活に乗り遅れた僕は、3社だけ受けて未内定に終わり、そのまま大学院に進学することになった。
唯一の救いは、新たに付き合った彼女だった。僕は一連の騒動のことを彼女には黙っていて、彼女はそのこともつゆも知らず僕を愛してくれていた。
友達のいなくなった僕にとって、休日に気軽に遊びに出かけられる唯一の存在が彼女だった。
この春、その彼女ともついに別れた。コロナ禍でしばらく会っていなかった中、zoomで別れを切り出された。それ以来、その人とは会っていない。
今僕は、週6で研究をしている。
研究以外にすることもないし、かと言って飲みに行くような友達もいない。一人で旅行に出かけられる金もない。
日曜日は16時間寝て、起きている時間をぼけーっとtwitterを眺めながら過ごしている。
ペアーズにも登録してみた。写真が微妙なので全然マッチしないし、会話も当たり障りのないことしか言えずメッセージを切られることの繰り返し。
twitterを見ると、あの時見下していた先輩は同期と仲良くしながら、なんだかんだでサークルに残っている。いざこざのあった同期はその後スランプを克服し、全国大会で優勝したりしているらしい。そして自分が振った元カノは、ゆるっとサークルに顔を出しながら、当時から仲の良かった人たちとゲームをしたり飲み会に行ったりして楽しそうにしている。
みんな楽しそうだ。
コロナ自粛で時間ができたときに、今しか出来ない事をやろうと思って、「世界公認の引きこもり」と「失踪」をやってみた。
バイトもコロナで閉店したし、オンラインで全てが済んだので、特に外に出ることはなかった。
おそらく、今後一生引きこもりにはならないだろう。
もう一つ、やってみたことが、「インターネット上での失踪」である。
普段毎日10ツイートしている人が2週間全くツイートしなかったらどうなるかというある種の実験だ。TL上で「あいつ最近見かけなくね?」とツイートされたら成功だ。
実験の結果だれにも気がつかれなかった。SNSでの緩いつながりだと、まさか相手が失踪したつもりになっているとは思わないからだろう。
おそらく孤独死とかもこんな感じなんだろう。
オンラインだと相手の生存確認がオフラインの時と比べて曖昧になる。ただ、レアケースで基本的にはオフラインの時と同じなのではないかなと感じた。
コロナ自粛で時間ができたときに、今しか出来ない事をやろうと思って、「世界公認の引きこもり」と「失踪」をやってみた。
引きこもりは、2ヶ月近く家から外に出ないと決めて頑張った。バイトもコロナで閉店したし、オンラインで全てが済んだので、特に外に出ることはなかった。案の定鬱状態になった。
おそらく、今後一生引きこもりにはならないだろう。
もう一つ、やってみたことが、「インターネット上での失踪」である。
普段毎日10ツイートしている人が2週間全くツイートしなかったらどうなるかというある種の実験だ。TL上で「あいつ最近見かけなくね?」とツイートされたら成功だ。
実験の結果だれにも気がつかれなかった。SNSでの緩いつながりだと、まさか相手が失踪したつもりになっているとは思わないからだろう。
おそらく孤独死とかもこんな感じなんだろう。
オンラインだと相手の生存確認がオフラインの時と比べて曖昧になる。ただ、レアケースで基本的にはオフラインの時と同じなのではないかなと感じた。
バトルシップとロサンゼルス決戦で眠気を吹き飛ばしモンエナで仕事に向かう
残業は一切なし。
すぐさま帰る
そして子育てターン
妻は昼間、甲高い声でなく子供のおかげでより鬱状態になり、その愚痴も聞く。僕は愚痴を言わないどっちが辛いかという不毛な話になるからだ
本当は、夫婦で同じ目標をもってパートナーシップを持って育児をすべきだろうが、この耐え難いストレスで二人は攻撃的になった。
お互い敵がほしい。
僕も表立って何も言わないが、本当に辛いということを言いたかった。
妻には辛い日々を忘れさせるために結構ほしいものを買ってあげた
僕は金がないので集めていたゲームなどを売った。月々の小遣いは辞退した。
でもそれを良くやった偉いという人はいない。
ランボーの気分だ。
一人ぼっちの戦いだ
いや本当は戦友はいるんだ。妻が戦友なんだ。でも極限状態ではそんなことを思う余裕はなかった。
何年も前の話
思い出話でも妻にとっては僕は苦労をしていなかったことになっているので、なんだか寂しい話だ
優生保護法がまだ存在していたら確実に生きていなかった増田である。
障害を持った人や精神科通院歴のある人に勝手な不妊手術をしたことなど人権無視も甚だしい到底許せないものだ
しかし、増田は、優生保護法さえあれば生まれてこなくて済んだのにとも思う
はじめて優生思想という考え方を知った時は感動すらした。これさえあったら死ななくて済んだのに、と思った。
増田家の諸々は省略するが、先祖代々父方母方どちらも精神疾患を患っている人間がいる。
父も母も鬱病で発達障害である。御多分に漏れず増田も鬱病で発達障害だ。
幸か不幸か、父も母も、また、祖父母もそれぞれ別の分野ではあるが、あることに特化していたので、社会的にはある程度認められて生きている。むしろ社会的強者であると言っても過言ではないかもしれない。
増田自身もある分野にとても強いので、お金にはおそらくこの先も困らないだろうと思う
しかしながら、生活や人間関係、精神面のことを考えるととても楽とは言えない。
0か100かでしかものを考えられない特性のおかげで苦労したことは(また苦労をかけたことが)数えきれないほどあるし、それ以外にも片付けが出来ないだとか、特にこの季節になるとひどい鬱状態になるとか、細かいことが積み重なって死んだほうがよっぽどマシだと何度も考えた。自殺未遂を繰り返してまともでなかった時もある。
優生保護法を考えた人、そして今も優生保護法を支持する人の多くは、優秀な遺伝子だけ残して使えない人間は切り捨てようぜという感じだと思う
でも、もしかしたら、たった1人かもしれないけど、こうして増田のように苦労する人間を見て、そして辛くて亡くなっていった人間を見て、こうしたかわいそうな(という表現は違うかもしれないけど)人が少しだけ減ったらいいと思った人がいるのかもしれない。
同情かもしれないし、優生保護法下において淘汰されていった人たちにとってそんなのは知ったことではないと思うけれど、あの法律には誰かの優しさが一握りでも入っているのかもしれないと思う。思いたい。
生きていたくないのだ。優生保護法があればこんな気持ちを知らないで済んだのだ。誰かに迷惑をかけてまで生きていたくない気持ちが、障害者の人権擁護を叫ぶ心優しい人たちにわかるだろうか。そういう人たちは全員を救えるだけの力を持って優生思想に反対をしているのだろうか。
ここでは精神疾患だけに限局して書いているので、身体障害を持つ人は全く別だということは強調しておくが、ただ頭ごなしに優生思想を否定することだって、人権侵害だと増田は思う。
増田だって本当は普通に生まれたかったのだ。そうでなれば生まれたくなかったのだ。生きているのが辛いのだ。アライさんみたいになってしまったのだ。
優生思想と優生保護法が混じってしまって大変な駄文になってしまったが、とにかく増田は優生保護法はだれかを救っていたかもしれないということを知って欲しかった。おわり。
判断スピードが早まり、物忘れが少なくなり、イライラが減り、頭のモヤが晴れ、世界が変わる。
光のある部屋で寝ている奴はものすごく甚大な損を毎日し続けている。
アイマスクが嫌なら部屋の電子機器の電源タップの光等も全て隠して、雨戸を締め切って真っ暗にして寝ろ。
それができないなら素直にアイマスクして寝ろ。出先でも寝るときも捗るし。
目元を覆って寝るのが苦痛?肩が凝る?そんなデメリットを上回るくらい、ものすごく眼の疲労がとれるから、結果的に頭はスッキリするし判断力は早くなるし、なんなら視力も場合によっては回復する。そもそも、日中にずっとメガネを顔に乗っけて生活してても多くの人間にとっては大した支障がないんだ、まじでアイマスクして寝ろ。立体のやつがいいぞ。
ウチは真っ暗にして寝てるしなぁ、とか思ってる奴、電気消して10分ぐらいして目が慣れてきたら枕元の様子がなんとなく見えるみたいな状態じゃないだろうな?それじゃあまだまだ足りない。光が足りすぎている。もっと光を断て。自分が目を瞑ってるのか開いてるのか判断できないぐらいに真っ暗の状態をつくれ。いや、真っ暗じゃ足りない、真っっっっっ暗だ。真に暗くして寝ろ。
ここまで強く言ってるが、別に全員に当てはまるとは思ってはいない。ただ、新幹線で昼寝するときとかに普通に寝るよりもアイマスクして寝る方が好きだなぁと思ったことがあるような奴は、まじでこの方法を試してみてくれ。アイマスクして寝ろ。光を断て。
はじめの1ヶ月2ヶ月は慣れない寝方に苦労するかもしれないが、これからの人生とお前の眼が変わるんだぞ。ものすごくよく頭が働くようになるんだぞ。まじで頼む、試してみてくれ。
ちなみに私は昔にとあるFPSゲームをガチっているときにこの寝方をやり始めた。その時期は眼精疲労をやわらげるためにマジでいろんな方法を試してコレに行き着いた。この方法で眼精疲労を克服してからは敵がものすごく見えるようになり判断スピードが上がり長時間集中してプレイしても疲れにくくなり、結果、飛躍的に実力が上がりレートも上がった。眼の動かし方やリラックスしてモノを注視する方法を自分なりに身につけたら視力も少し回復したが、トンデモっぽく聞こえる人もいるだろうからあまり深くは書かない。
あと「寝ること」自体、まじで眼にも心にも大切だぞ。多少の犠牲を払ってでも、睡眠時間は確保すべきだぞ。とにかく寝ろ。長く寝ろ。
とにかくここまで読んでくれた人はありがとう、ぜひ光を断って寝てくれ。アイマスクしろ。
※前提として、私はツボとかにはそこまで詳しくないので一応トラバはつけたものの元増田の見解を否定も肯定もするつもりはなく、あくまでも個人の経験を通して得た一つの知見を共有したかったからバズってる増田に乗っかって書いたに過ぎない。
※眼のケアが鬱病や鬱状態の改善に効くかどうかは私には判断しかねるし、専門家の見解に委ねる。
※もしも光を完全に断って寝ることが医学的になんらかの問題があるようならぜひ指摘してくれ。
※増田にこんなに長文を書いたことがほとんどないから少しドキドキしている。
※以上。
授業受けてるだけでポロポロ涙が出るくらい鬱状態になったのでここに書く
田舎から上京してきて一人暮らし、コロナウイルスがじわじわと感染拡大していた2~4月の間ずっとアルバイトしていたため実家に帰ってオンラインで授業を受けるというスタイルはできなかった。それに、そもそも事情があって実家に帰れない。
そんな中オンライン授業が始まった。
Twitterでもさんざん指摘されているが、まあ課題が多くなった。そうなると一人暮らしをしている私は課題をするために、一日中、あるいは数日間家から出ない状態が続いた。
一人暮らしでなくとも、家から出ない状態がどれほどメンタルヘルスに影響を及ぼすかは自粛生活を体験した多数の人にわかってもらえるだろう。私の場合孤独だ。家から出るとしてもバイトや生活必需品・食品の購入のみの生活で、無駄な会話がほとんどない。コミュニケーションが不足した。人と直接関わり合えない。友達と通話やZoomもよくやったが、オンライン上のコミュニケーションではどうしても埋められないものがあると気付いた。そんな風にして誰ともほんとうに関わり合えない生活が続くと、どうしても自分のネガティブな考え方に閉じこもってしまう。
ずっと徹夜をしているうちに眠れなくなった。寝たとしても起きると気分が悪くなる。それに寝てない方が集中力が保てる。食欲はないが何かを口に入れたい。でも何か食べると気持ち悪くなる。
うっかり課題の提出期限を忘れて提出できなかった。これがGPAを落とし、卒業まで残る値になるのかと思うと死にたくなった。ほんの小さな減点にしかならないようなものだが、それだけでもうずっと上がらないんだ、もう自分はだめなんだとさえ思えた。あー嫌だな。死にたいな。
自分の自己管理能力が低くて、極端な考えに走りやすいことはわかっている。だからこれは個人的な愚痴だ。
後期は通常の授業に戻ってほしい。きっと無理だろうけど。
躁鬱かも?って思って精神科に行こうと思ってるんだけど、大体予約の電話いれるときは「鬱」で初診の予約がつく10日後くらいはすでに「躁」のタームがきてるから何も話せなくなってしまうみたいな経験を3回くらい繰り返してる。今度は「躁」のときでもちゃんと話せるように「鬱」の間に思ったこととか感じたことのメモをとってる。躁鬱じゃない人間は"デスノートの所有権"に当てはめて考えてほしい。所有権を持ってる状態が「鬱」で手放した状態が「躁」。躁状態で鬱状態のことを説明するのは絶対不可能。でも、「鬱」のタームが来たら全てを思い出して後悔する。まぁそもそも俺自身、相談に成功した試しがないから自分が躁鬱なのかすら判明してないんだけど。
あ、これ鬱状態じゃん。はい、これは鬱状態ですね。私は今、鬱状態であります。全身が重たい。起き上がるのは勿論のこと、寝ていることもしんどい。Twitterを見ることで気を紛らわそうとするが、タイムラインを消化した瞬間にどんよりとしたムードが再来。しかしこれをマンガアプリを開くことで回避。と思いきや、マンガのストックが切れた時点で試合終了です。鬱でーす。いや、厳密には鬱初期です。初期状態なのでこんなもんで済んでいるが、次フェーズに突入してしまうと服薬が必要になるでしょう。コロナは寝てれば治るだろうが、鬱は寝てても治らないからクソ。本当にクソ。クソクソクソ。もう3年前になるか、あの時と同じ感覚だ。これは。人生に失敗は付き物です。ただ、同じ轍を踏むな。失敗から学び、少しずつ良くなったり悪くなったりを繰り返すしか、ないわけです。それしかないわけです。何事においてもそうです。それは、確かなんです。だから俺は出社する。そろそろ、大阪駅に到着します。会社について、無事に労働ができるかは、まだわからない。多分、できないんじゃないかな。それでも、30分でいい。いや、10分、5分、1分でもいいから働こう。1度の休憩に、5本までだったらタバコを吸ってもいいよ。でも、もし喫煙所にマネージャーが来てしまった時は、そのタバコを吸ったら上の階に戻ろうね。それだけ、それだけが、お姉さんとの約束だよ?
Aはタクシーの運転手をしながら独り暮らしをしていたのだが、2006年10月に肝障害や糖尿病などで働けなくなってしまった。
2006年12月に生活保護を受け始め、仕事を探して自立するように指導も受けていた。
2007年1月の段階で、福祉事務所のケースワーカーが仕事をして自立するよう2度にわたって指導。
2月の段階でも、ケースワーカーが主治医から普通に働けると事情を聴きとり、
さらに福祉事務所の嘱託医も同様のことを言ったため、ケースワーカーはAに働きなさいと指導。保護打ち切りもちらつかされた。
だが、主治医は後日の検証で、Aは確かに内臓方面は治りつつあったが、酷い鬱状態になっており、
せいぜいデスクワークがちょっと可能な程度で、普通に働けるなどとは言っていないと反論している。
実際、死後に見つかったAの日記には生活保護を受けている間から
「亡くなった父や弟の所に行きたい」「なかなか人間って死ねないものだ」
と、素人が見てもわかるレベルの自殺願望が表れており、当時の彼が精神的に危険な鬱状態であったことは間違いないとされている。
ところが、働けると認定されたためか、Aに対する「就職しろ」という圧力は非常に厳しくなっていった。
3月も終わりになると、福祉事務所はAを6か月以内に仕事を見つけさせて生活保護を打ち切るために重点的に指導することにした。
4月2日、生活保護費を受け取ろうと思って福祉事務所に赴いたAに対し、ケースワーカーはまたしても働けとせっついた。
だが、当のケースワーカーもたった数日前にAの精神状態がおかしいのではないかと疑い、精神科への受診を勧めている状態であった。
鬱状態の人間に「もっと頑張れ」とせっつくなどは論外の禁句である。
そしてこの日、Aは生活保護の辞退届を出した。
しかし、辞退するにあたって、福祉事務所は就職先がどこか、収入の見込みはどれくらいなのかなどを全く確認していなかった。
おりしも、生活保護を切るにあたっては就労先や収入見込みについて確認すべしという判決が、前年に出たばかりであったが、全く無視されていた。
日記では、担当者に生活保護を打ち切られたかのような記述もあり、
辞退届を無理矢理書かされたか、働けという指導に精神的に耐えかねて辞退届を書いたのではないか、とも言われている。*1
少なくとも、Aが働こうにも働ける状態ではなかったことは間違いないだろう。
しかも、その時点でもガスと水道は止まってしまっていた上、住居地はボロボロであった。
そして、福祉事務所は保護を打ち切った後、Aの安否については何の連絡も取ることはなかった。
Aが死んでいるのが見つかったのは、たまたま彼の友人が家に訪ねてきて異変に気付いた7月10日のことであった。
残されていた日記には