設定の考察とかはありません
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第3村あたりでは鬱状態のシンジとトウジや委員長、ケンスケとの対比から、いい加減子供のままじゃなく大人になれっていう喝入れのメッセージかと思ったね
もういい年だろ、そろそろエヴァから離れて自分の人生を歩めみたいな
カーク船長(役の)「自分の人生を持て。あれはただのテレビ番組だ」
のような
違った
これはそのままでも受入れてくれる
誰かが見てくれている
守ってくれていることを伝えたいのだ
世話焼きおばちゃん達がしきりにアヤナミを気にかけていて分かりやすいが、人と繫がり助け、助けられる、関わり合っている
決して押し付けがましくないよう、でも分かりやすく人と関わっていくことが人生だと発露したかったんじゃないか
みたいなメッセージを受け取ってしまった人がいたことは他人事ながら悲しいというか悔しいというか無念である
「あー、君は分からなかったんだ。」
というネガなマウントではなく、本当に惜しいというかこの人間っていいよね感を。
分かれとは言わない、でもいいと思ってる人も、実際にいい人も君の周りにいる、出てくるんだと伝わってほしい。
描かれたままを素直に受け止めてほしかった
シンジは切り捨てられたように見えて、皆から気をかけられ、陰日向なく意識を向けられている。
でも意識を向けられているのはスクリーンを見ている自分も同じで
1人ずつ大小、山谷、深浅あれど1人でやれてきた奴はいなくて必ず人と関わってきた
そんなやつ誰もいなかった!
という声を、25年前の自分はあげていた
そこで死んでればそのとおりだったかもしれないが
死ぬでもなく生きてしまヘば誰かに支えられてきたことにバカでも気づく
庵野も大変な思いをして、のりこえてテレなく作品にすることができたんじゃないかと勝手に思う
ずっとエヴァを追ってきた人へも