はてなキーワード: 雨漏りとは
駅前にはチェーンのスーパーマーケットだったり、チェーンの牛丼屋だったりがポツポツと点在している。
中規模な車通りのある大通りに面していて、ちょっと道に入れば、住宅街。
気づけば、もう、20年ぐらい住んでることになる。
駅まで、徒歩15分。地上から地下に入って、改札前までが異常に長い。
地下鉄の駅っていうのは、日常的に使うには、なかなか向いていない。
そんな生活を続けて、もう嫌になった。
正直、通勤時間なんてどうでもいい。
車窓なんてない。常にコンクリートの壁が至近距離で高速に過ぎ去っていく。
過ぎ去っても過ぎ去っても、コンクリート。
朝、駅に向かう。
駅が近づくと、遠くから駅舎が見えて。
列車の姿も見える。
周辺には街路樹が、花壇が、並べられていて。
駅舎に入るとすぐに改札で。
そんな毎朝を過ごしたい。
ほんとGoogleでもなんでも、緊急時に業者の広告ばかりだと、滅入ります。
最初4万と吹っ掛けてきたので、じゃ悪いけどお帰り下さいって言ったらいきなり一万ずつ下げてきて。
それでも無理だったので(依頼してることより高度な工事が一万八百円という情報があったんで絶対それ以下なのはわかってたので)
いやいやそれでも無理です、電話した時、見積もりがあわなかったらお断りするけどいいかなって話してて、オペレータさんにOK貰ってるから
来てもらってるんで、とくぎをさしたら、最後にじゃいくらならいいの?って相手が言うのでした。
値引き交渉ありきで、吹っ掛ける業界ってあるのかもしれません。(蛇口の交換だけに4万て。)
確か、そういう業者をみるとき、地元の小さいお店を探すとか、(創業何年みたいな)
だったら、地元だしいい加減なこと出来ないので良いかなとも思います。
そのまえに、管理会社の緊急連絡先なら24時間対応してくれないかな。
電話しても、それは管理じゃないって言われたら「自費でいいので地元で信用できる安いとこ教えて」と訊く。
マンションで水漏れなんて珍しくないので、きっと業者は知ってると思うんだけど。
業者の探し方って、ほんと難しい。
たしかWeb展開してるなら、Facebook持ってるかBLOG持ってる業者なら、顧客とのやり取りがあったりするので、
それが信用出来そうなら頼むって意見もありました。
「うちにはお金がない」とフルタイム勤務で手取り11万円ちょっとの介護施設の嘱託職員の給与明細と、
裁判所からきた父親からの養育費減額(月3万→1万)の申し立ての書類と、預金口座の通帳3冊を並べたうえで、
車の維持費がこれだけ、電気代がこれだけ、と淡々と母親から説明されたのが小6の時。
幸い死んだ爺さんから雨漏りしまくるボロ家を相続してたのと、近隣の農家数軒がいつもご厚意で米や野菜を分けてくれたので、その後も極端に飢えたり路頭に迷ったりすることなくどうにかなった。
けれど、何かアクシデントがあれば簡単に詰んでたんじゃないかなとも思う。
牛肉は給食では食べたけど、家では定期テストで2教科以上100点を取ったときに母親が買ってきた合挽肉のハンバーグでしか食べなかった気がする。
給食はいつもおかわりをしていたが、ガリガリに痩せていたので痩せの大食いとして散々いじられた。
だが、お腹が空いていることをなんとなく親に悟られてはいけないと思ってひた隠しにしていたので、家ではむしろ小食を装っていた。
入浴中に風呂場の窓に張り付いていたヤモリを捕まえて口に運びそうになって、あわてて逃がしたこともある。自分のことながら平成感がない。
カマドウマを見るといつも感想が「肉付きがよくて食べごたえがありそう」だったから無自覚だったけど実は割と飢えていたのかもしれない。
中学の同級生の家に遊びに行くといろんなお菓子が常備されているのが信じられなかった。
ある土曜の昼に同級生のお父さんが気まぐれでバーベキューをして牛肉を焼き始めて、本当はものすごく食べたかったけど、
牛肉を分けてもらうのは大変なことだと思っていたので、散々遠慮して結局小さいのを3枚だけ食べさせてもらった。同級生の家の人に申し訳なくてちょっと泣いた。
オムライス一人前に卵を複数個使うとか、カップ麺が一人1個とか、そういったギャップを何度か目の当たりにして、
同級生と自分の家ではどうやら「貧乏だ貧乏だ」と言っていても致命的に世界が違うという事に気付いたのはもうちょっと経ってからだった。
高校に合格した日のお祝いで何が食べたいかと言われて、ごく自然に豆腐とこんにゃくのダブルステーキを頼んだら母親が泣いた。
「うちにはお金がない」と言われて以来、わがままを言うとかモノを欲しがるとかは当然として、失敗が許されない的な緊張感が経済的に独り立ちするまでずっと付き纏っていたように思う。
怠けるとかそういう事と無縁になって結果的によかった部分もあるし、思春期をのびのびと過ごすという部分ではだいぶ呪いのようでもあったと思う。
なんだかんだで社会に出た時点で奨学金の借金が600万ほどできてたけど、まあどうにかなってる。まだまだ完済までかかりそうだし、ずっとギリギリではあるけど。
http://twitter.com/DoubleCrossK
↑
http://anond.hatelabo.jp/20160404011536
↑
によると艦これを描いているサークル総数は年々減り続けているということで、しかもC90でもC89と比べて艦これの申し込み数が減っていた。
(C89=2425サークル→C90=2360サークル、しかし当選率が上がったので当選サークル数は同じ)
こういう艦これの危機に我先とジャンルを乗り換えて逃げ出すサークルは艦これへの恩を忘れた自分勝手な同人ゴロであり厳しく追及する必要があると思う。
特に東方が消えていれば今ごろ艦これ一色となっていたのは明らかで、東方のオワコン化に失敗した今逆に東方に流出するサークルは最も艦これに害なす存在であり、そのような背信行為は界隈全体で激しく弾劾し続けなければならない。
こういう厳格な風潮が界隈にもっと広がって艦これを無闇に捨てるサークルが減り、いつまでも艦これ同人が長続きすることを願って。
いつか回り回って、その交渉力で身を滅ぼすんじゃないかなあ
買い叩くだけでなく、ちゃんと信頼関係が築けるんならいいけどさ。
コストを交渉力だけで支配し続けてると、いつか大変なことになるかも。
それも仕事の場ではなく、思いがけない、例えば自宅で。
ドアが開かなくなったり、壁にヒビが入ったり、床鳴りがしたり
不具合が出る頃には、現場を触った職人さんはすでにいなくなってたり、
買い叩かれた職人も、悪気があって不具合を発生させるんじゃない
安い単価なりに一生懸命やってもなるんだよ。
30代で新築買って、40代ベンツ乗ってる仕事ができる人でも、
家の見えないところは不良だらけだったりする。
まあ建築の場合、ボッタクリも多いから値切るな、とは言わないけどさ。
ほどほどにね。せめて技術だけでなく、人として接してあげて。
匿名を隠れ蓑に言いたい事やったモン勝ち青春なら早々に撤退を決め込んでいる。
たとえば、おれに青春は無かった、というのがひとつの理由であるのだが、そもそも
人一倍の自尊心と被虐趣味がそれを邪魔しているのが本質のように思う。
表層こそまるでメタルのような頑健さと軟性を持っているが、その実、端から
あきらめているようにも見える。
それが悪いとは言わないが、やはり夢を持つことが重要で、人に言えない秘密とか、
黙秘権を行使する浪費癖のある人妻にも必ず両腕に子供を背負っている。
不思議なことに、工業高校を出た人間はそれを苦にしない。おそらく思考停止する豚が
プラークを溜め込み溜め込み、ポチャリという水滴の落下音にさえ驚きをもって対応するのだから
始末に負えない。
コウナゴがわらわらと生えている。ひげのようだ。さすればぼたりぼたりと落ちるが磯臭くてかなわない。
やはり先ほどと同じように、即日対応だといわれている。名前を持たないのだから当然だ。
ほかに道は無いのかとよく聞かれるが、標識を見ていないのだろうか?
昨日の豪雨にもかかわらず、標識がよく見えていた、というのは彼女の言であるが、一昨日も
同じようなことを言っていた。不思議である。今日はビンの日だ。落ちるノートが誰も
耳に傾けざるを得ない。否が応でも雨漏りはとめられないからだ。ソッと支えてくれるような、
根性の塊がすでに右往左往する砂塵と、骨法をマスターしたといって憚らないエデンの住人とで
存在感を増しつつある覆面の男たち……
忘れていた!へそくりのようだ、触る、はにかむ、表層を、変幻自在だ、口実を作って一人が?
堅実に生きている。もしかすると二人かも知れず、用心するに越したことはありません。
盲日の日々にお別れをしようとも、たとい人様にも自慢できる庭を持っていようとも、
それが国境付近にあるのなら、北東に果実を置くべきだ。氷菓という。
もしくは、偏日していることに気づいているなら、さっさと絞り込むことだ。
ひび割れた手の甲から吸収されようとしている蚊や蛾が我を持ち我を忘れ我々への反乱をたくらんでいる。
筆を取ろう、ランドセルに筆記体で書かれている、工場、戦争、台頭、断頭台、イギリス、温州、
学習する。二度にわたって失敗している。これ以上の失敗は許されない。
たとい感情がそれを上回ったとしても、上限値は彼女が決めた数値である。決定権は無い。健常者は
薄手のブラを片手にスピーカーのスポンジをはずしそこにソッとクロッチをあてがう、舐める、想像する。
そこから目を背けている。20年前の話だ。今ではもう思い出せないが、そこには確かにあった。
連続した断片が連続した切れ目になっている。それは途切れ途切れに連結された車両であって、帰郷する。
車庫に入る、電気が灯る、影ができる、そこに動いている、駅員が居る、首をつっている、電車はヘッドライトを持っているが
駅員に向かってスポットを当てることはできなかった、無脊椎動物だからだ。
健康であればこその行動だ。完全に出先を奪われた。
「富士山が見える」のと、「最後の1戸で、大幅値引きしてくれた」から、購入した。
(不動産会社としては、最後の一戸のために社員を現場に貼り付けるのは人件費の無駄だから、
多少割り引いても在庫一掃したがるようだ)
でまあ、眺望的には快適に過ごしていたのだが、先日から雨漏りが始まっている。
何回か管理会社に言っているのだが、「原因ルートの特定がなかなかできない」と言いやがる。
最近では炭酸ガスを室内から送り込んで、それでルートを探知する技術もあるらしいので、
その技術を使ったら?とアドバイスしたら、「それは呼ぶだけで30万円かかる」と言いやがる。
このまま雨漏りが解消しないと「売るに売れない」「貸すに貸せない」ということで、にっちもさっちもいかくなる。
自分は「賃貸より分譲派」だったが、こんなリスクがあるんだったら、賃貸を続けた方が、良かった。
「鉄筋コンクリのマンションの雨漏りって、(世間が想像するより)多発している」ものらしい。
人々は「木造戸建だと雨漏りするが、頑丈で近代的なマンションは絶対雨漏りしないイメージ」を
持っているが、全然そんなことはないとのこと。
最上階は、直射日光の影響でコンクリの熱膨張伸縮が激しいので、細かいクラックが入りやすく雨漏りはしやすいとのこと。
そんなこと知ってたら、最上階なんか買わなかった。別に最上階にこだわってたわけじゃないので。
またネットで「雨漏り」を検索すると「治せない雨漏りはありません」という業者ばかりヒットする。
これも「実際は、なかなか原因究明できない雨漏りが多い」のが現実で、「治せない雨漏りはない」という業者は、一種の誇大広告らしい。
昼休み時間中の職場は寝ている人が結構多いので、俺もきついときは寝てるんだけれども、13時前に目が覚めると汗だくになってる事がしょっちゅうある。
原因を探ろうと色々試しているのだが、いまひとつ判然としない。ちなみに職場のエアコンはよく効いており、仕事中であれば汗をかく事は全くない。
俺は机に突っ伏すスタイルではなく、椅子に座った状態で腰を前に突き出すようし、そのまま頭部はうなだれるような体勢で寝る。
この体勢が原因かと思い覚醒状態のまま30分ほどじっとしていた事も何度かあったのだが、そのときは全く汗をかかなかった。
汗をかくだけなら毎日持ち歩いているハンドタオルでぬぐえばいいだけなのだが、原因が分からないというのが何とも気持ちが悪い。
一体何が原因なんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20130804013824
うん。
ただ、結果的に首回りがずぶ濡れにはなるけれども、おそらく大半の汗は頭(髪の毛)から流れ落ちてくるんだよね。
隣席の同僚から「お前の所だけ雨漏りしてるみたいだな(笑)」と言われる位にポタポタ落ちてるらしいし、実際寝てる間にも後頭部やこめかみ、額あたりを伝う汗のしずくの感触は俺自身感じてる。
前日は空が白むのを見てから寝たにも関わらず、暑さゆえに8時過ぎ起床。
テントサイトにて、フジロック初回から参加し続ける猛者たちと杯を交わす。
潰れる一歩寸前まで日本酒を飲み、大声で歌いながらライブ会場へ。
・青葉市子
前野健太とソープランダーズを見逃し、フジロック2日目は森の中の青葉市子からスタート。
会場は、青葉市子に似つかわしく、森の中にぽつんとある一番小さなステージ。狭いながらも超満員。
心地良い演奏にうとうととしてしまい、椅子から転げ落ちそうになったため次のライブに移動。
青葉市子の弾き語りは2週間前に下北沢音楽祭で見たし、前日の深夜にもピラミッドガーデンにて見ていたので特に感想はなし。
なんか日本のバンドっぽくない印象。逆輸入アーティストだからまぁそりゃそうなんだけど。
日本のバンドは演奏が上手く、サウンドメイキングにより強烈な個性を出すのは苦手、
そして海外のバンドはサウンドメイキングにより表面的な個性を打ち出すのが上手く演奏は下手くそ
というイメージを勝手にもっているのだが、トクマルシューゴは後者に該当した。
演奏は下手くそというとさすがに言い過ぎだが、難しいギターのフレーズはCD音源のほうが綺麗に弾けてるし、バンドのアンサンブルもなんとなくだけどそこまで息がピッタリという雰囲気でもなかった。
前日にギターの達人たちを見たからハードルが上がってたのかな?
しかしおもちゃ箱を開けたようなサウンドはライブでも健在であり、楽しいライブであることは間違いなかった。
そういえばドラムの人が目測で身長190以上あって存在感半端無かった。
・SUZANNE VEGA
本当はオレンジコートでVERY BE CAREFULというクンビアバンドを見たかったが、豪雨により断念。
フィールド・オブ・ヘブンのTシャツ屋でなんと2時間近く雨宿りをして意地でSUZANNE VEGAを見る。
何度テントに帰りたいと思ったことか。まぁこの時テントは雨漏りしまくっていたわけだが。
しかし演奏は素晴らしかった。フジロック三日間を通してのベストソングは間違いなくSUZANNE VEGAのLUKAだろう。
LUKAのリリースからは既に26年が経過しており、声の変化が心配だったが、そんなのは杞憂に過ぎなかった。
バンド編成はなんとアコギを抱えたSUZANNE VEGAとエレキギターのおじさんのみ。
エレキギターのおじさんはルーパーを巧みに操り1人でドラムとベースとリズム&リードギターをこなしていた。
最初は「おいおい手抜きかよ」と思ったが、今思えば逆にそれが功を奏していたといえる。
このシンプルな構成により、LUKAに限らずSUZANNE VEGAの声が前景化して、より感動的に仕上がっていた。
リバーブが思いっきりかかったおじさんのギターソロも際立っていた。
豪雨によりずぶ濡れになった服を着替え、少し遅れてレッドマーキーへ。
ボーカルはスーツに黒い革手袋!真紅の帳に舞い降りた漆黒の歌い手!
いやー、モニターに足をかけて客席を指差すとかもう完全にV系です、ありがとうございました。
This song is called〜〜って演奏前にいう感じもなんか外国語ながら中二感を感じざるを得ないw
遅れて行ったからか、Wonderful Lifeが聞けなかった。
・KENDRICK LAMAR
ビョークはあんまりわからないし、死ぬほど混んでいたのでさらにわからないKENDRICK LAMARへ。
なんと10列目でラーメンが食べられるほど空いておりましたが、ライブ自体はとてもよかった。
まずDJセットではなくバンドセットで、B-BOYたちがバンドをやっている姿はなんともシュールだったw
そして、今風なアンビエント的R&Bみたいなのを生で初めて聞いたのだが、あの手のものは音圧が半端無いんだということを知った。
Frank OceanとかJames Blakeとかも生で聞いたら恐らく音の風が吹いてくるみたいな感じなんだろう。
KENDRICK LAMARはとにかくアンダーグラウンドのワルみたいな雰囲気で、なぜか雨もやんでいてステージには屋根があるにも関わらず300円のビニールレインコートを着ていたw
スヌープドッグがシャンプーハットをファッションとして着ていたりするが、これもそういうことなのだろうか…
フジロックベストアクト、エンターテイメント部門はJURASSIC 5に決まりでしょう。
途中でタイコクラブで知り合った人に遭遇したり、後ろの人に声をかけられたりとテンション上がりすぎて、いつの間にか持っていたジン300mlをライブ中に飲み干していた…
ライブはショウとして完成されており、DJの二人によるショルダーCDJ(!?)とショルダーサンプラーでのライブが挟まれるなど、90分間片時も飽きさせないライブだった。
そして脱退したと思っていたカット・ケミストが生で見られたのもなかなかに感動的。
前日のDJシャドウは深夜につき断念したが、カット・ケミストのターンテーブルさばきはしっかりと目に焼き付けた…と言いたいところだが、酩酊状態につきそこまで覚えていないw
DJももちろんすごかったが、前に立つ4MCもKICK THE CAN CREWのように、それぞれキャラ分けがしっかりとなされており、コミカルなボディランゲージと共に最高のフロウを聞かせてくれた。
全てがノンストップにミックスされたライブだったので曲単位でこれがよかった!とかはあまり感じなかったが、BreakのサビやI am sombodyのコールアンドレスポンスは酩酊状態だったにも関わらず鮮明に記憶している。
全体的にショウとしての完成度で言えば直前のKENDRICK LAMARを大きく上回っていたな、まぁ比較してもしょうがないが。
この後はJURASSIC 5で声をかけてきた人とそのお友達(みなさん私よりも10歳以上年上…)に二時間以上も絡み続けて、千鳥足でテントに向かいましたとさ。
15時過ぎに苗場着。
これ前夜祭行けるのか?と思いつつ、3670円のテントの天井から滴る雨漏りと戯れてるうちに雨が上がる。
フジロック前夜祭といえばこの人!らしい。最初と最後、そして全てのバンドの合間に登場。
フジロック13に出演するバンドの曲や、フジロッカーがいかにも好きそうな曲たち(90年代UKロックとか清志郎版デイ・ドリーム・ビリーバーとかね)を選曲していくため盛り上がり方は半端ない。
・TURTLE ISLAND
今回初めて知ったバンド。お囃子パンクとでもいったところだろうか。
「和太鼓、篠笛、あたり鉦、シタール、タブラ、馬頭琴、ジェンベ、ドゥンドゥン等各国の様々な土着楽器とギター、ベース、SAXなど西洋楽器を使」っているらしい。
沢山いるメンバーがみんな法被着用でお祭り騒ぎ感MAXのバンド。
しかし、レッドマーキーというステージの特性上か音が悪く、折角凝った楽器編成なのに一つ一つの楽器が全然聞こえなかった。
ソロをとってる篠笛だけ辛うじて聞き取れ、あとは全体的にガーーーっていっててボーカルが何か叫んでるなぁってレベル。
・SKINNY LISTER
去年でいうONDA VAGA、そのちょっと前でいうRäfvenにあたるポジションのバンド。
どういうことかというと、Uncleowenというアイリッシュパンクのレーベルがあって、そこが毎年フジロックで大プッシュするアーティストを送り込んでいるのだ。
この枠のバンドは毎年フジロック期間中に何度もライブを行い、タワレコでもプッシュされる。
そして今年プッシュされたSKINNY LISTERは、ギターボーカル(実はフットスイッチでドラムのキックを担当してる)、エレキギター、マンドリン、ウッドベース、ダンサー/ボーカルの5人編成フォーク・ロック(パンク)・バンド。
個人的に思うのは、この手のバンドは物珍しさから音楽家というよりも大道芸人みたいな雰囲気が抜け切らない。
なんで芸人風がダメかというと、物珍しさだけのバンドは一瞬で消費されてしまい長続きしないから。
・rega
もともと知ってたが、ここまでかっこいいとは思わなかった。
4つ打ちのドラムにドラムやギターの素早いフレーズを乗っけていく感じで、ソロあり、掛け合いありのインストバンド。
マスロックという言葉はなんというか少し受け入れがたいものを感じるので使わない。
金髪のギターが難しいフレーズを弾く際に、手元ではなく観客を向いてニッコリするのがドヤ感MAXで非常にウザ悔しかった(ぐうの音も出ないほど上手いから)。
これほどつまらない作品も久々に観た。
ネタバレ。
狼男が、自分の正体を曝け出すシーンは、あくまでも神秘的に演出されており、汚らわしくないものとして描かれている。
当然、花は彼を受け入れる。
しかし、逐一「成長した二人の娘」の声でナレーションが挿入されるので、
これはあくまでプロローグであり、本編まで暫くかかるな、と視聴者にもわかる。
さっさと始まらねぇかな。
ちょっとの辛抱だ。
一人目の子供が産まれる。雪。
ん? ってなる。
「そういえば、出産の時、狼の姿で産まれてたら、どうしたろうね」
っていう、クソどうでもいい突っ込みを、敢えて先回りして予防されたような、
なんとも腑に落ちない感じがした。
このシーン、要るのか?
つまんねぇし、長いんだよ。
イヤ~な予感は募るばかり。
(いや、保険くらい入っとけよ。とか、そもそも在学中に産むなよ、などと思ったりしたが、何でそんな野暮なツッコミ入れたくなるかと言うと、無駄に説明ばかりの作品の癖に、肝心な部分でリアリティが掻き消されているからにほかならない)
夜泣する子供に切れる隣人。
遂に大宅から立ち退きを促される花は、田舎に引っ越すことを決める。
冗長をどうにかしてくれ。サクッといってくれ。
ボロ屋に引っ越す。廃屋同然の木造住宅にテンションうなぎ登りの雪。
何を見ても大声で笑い、走り回り、また笑い転げる……。
どっかでみたぞ。
トトロじゃん。
なんて言うと、したり顔で見下されるんだろうが、何度でも言うよ。
トトロじゃねーか。
ところで、この幼少期の雪、まじで声を当ててる子役が、上手い。
笑い方、ぐずり方、ヒスの起こし方、走ってる時のブレス、どれをとっても、リアルな子供だ。
よって、宮崎あおい演じる花の棒っぷりが完全に浮いてくる。
中途半端にリアルを求めて、「声優の演技を身に着けてしまった人は使いたくない」とか嘯いて、
こーいうところで露骨なギャップを作られると、ちぐはぐで、いらつくんだよ。
耳悪いんじゃねえの?
床を掃除して、洗い場を掃除して、雨漏りも修繕して、住めるようになる。
綺麗にしてみると、実はガラスの模様が可愛かったりして。
素敵な一戸建てに生まれ変わる廃屋。(また無粋いうけど、そうはいかねーだろ)
ようやくか!
結果、作物は育つ。
案の定、活躍している。いいぞ。
遠巻きに見ていた村人たちも、徐々に花と交流していく。
何の、代償もなく。頑張ってたから、助けたのだな。
野菜が採れて、村人とお裾分けしあって、
協力して、この田舎でも、生きていける。
ということが、説明された途端、もう出てこないんだよ。
説明の材料に使われただけ。
何の障害もなくなったわけ。花たちも、脚本も。
冬が来る。降り積もった雪山を転がって、走り抜ける。
はっきり言って、「生の躍動感」の押し付けなんて、見飽きてる。
一緒に見に行った友達は、ここが一番良かったって言ってたが。
ようやくナレーションの年齢まで育って、
狼として生きるか、人間として生きるか、選びなさい。
狼として山を愛する雨。
姉弟の喧嘩のシーンなんかは、
腕白だった雪が風呂場で泣いちゃったり、
よくできてた。
それにしても雨は十歳で声変わり半端ねぇな。
で、嵐が来る。
無駄が多すぎるもん。
もうね、頭の中では、ストーリーの結末が、
俺がこうあって欲しいという道筋が、全部出来てて、
スカッとする展開を望んでたんだけど。
花は、嵐の中山へ入っていった雨を追って、
転落して意識を失う(あれは全身骨折だと思うが、つうか死ぬと思うが。御都合主義が過ぎる。その辺の説明も是非ききたい)。
三途の川ライクな場所で夫に慰められて(本当にありがちという言葉を使うのも恥ずかしいくらいクソ演出)、
行かないで~と泣く花。
母の強さ? そんなテーマ?
なんつうの。女の……何なのお前? っていう矛盾。
で、結局、雨は独り立ちしてしまう。
ところでお前は嵐の中、山で何やってたの? 見せ場ねぇー。
というか……
盛り上がる場所、ねぇー。
延々と説明。説明。説明の使い捨て。
エンターテインメントが、そんなに嫌いなら、大衆映画やめろって思うんだけど。
「しっかり生きなさい」とか言われても、失笑。もののけ姫のキャッチコピー?
なんだ、この、げっそりする感覚は。
「浅いよ」と言われようが、
「わかってねー奴」と罵られようが、
盛大にゲロをぶち撒けたような作品だった。俺にはそう思えた。
著作権法に関する裁判や行政の判断は、珍説・珍解釈が出てきやすい鬼門であるが、最高裁がやらかした。
曰く、"契約は業者との関係を問わず結ばれており、利用者は不特定の『公衆』に当たる"らしい。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110118164443.pdf
個人情報を明らかにし、課金が行われる契約をしていて、ペアになっている機械同士の間にしか有意の通信が行われない機械のペア相手を保有している相手であっても、特定可能な個人ではなく、著作権法上の不特定の公衆にされてしまうという事である。著作権法における"公開"の定義を捻じ曲げた影響が、こんな所にまで及んでいるのである。
現行著作権法は、公衆への公開をもって公表とするという定義における"公開"を、物理媒体や規制媒体や劇場のような、観衆数に限界のある媒体しかなかった時代背景に適合させる為に、特定少数向けの期間が限定された興行等であっても公開されたと見なすと捻じ曲げている。この為に、特定少数にしか見せていなくても公開したと言い張る事が可能になっていた。
著作権の権利を成立させる為に、物理的な限界があるメディアしかなかったので、やむを得ないとされていた擬制であるが、今回、この擬制の再拡張版として、特定少数であってもそれを見た人々を公衆とするという、公衆の再定義が出てきたのであった。
公開の定義を捻じ曲げた時点で、公衆の定義に感染する可能性はあったが、本当に公衆の定義を捻じ曲げるとは思っていなかった。それも、よりによって最高裁がである。
特定少数にしか見せていないのに公表したとする擬制は、立法の段階で是正すべき問題である。公表によって権利侵害に対抗できる要件が発生するのであれば、公表した範囲でなければ権利主張の要件は成立しない。無制限無条件の公表であって、はじめて、無制限無条件に権利を主張できるようになるのである。出荷制限や品切れや電波未到達といった理由で未公表の地域や対象があるのであれば、そこに対して権利を主張するのは、義務を果たしていないのに権利を主張する増上慢であり、国家権力を私する法匪である。無制限無条件の公表から製作コストを回収できるように知恵を働かせず、増上慢を正当化する為に圧力団体と化しているのでは、努力の方向性が間違っている。
これは、著作権法の改正の根本なのだが、物理媒体や規制媒体の業界から自称識者を集めて審議会を作っている限り、この根本問題には触れられないであろう。公衆への公開を以って公表とするというのは、典型的な霞ヶ関文学であり、単に公表によってとだけ書けばよいのに、わざわざ公衆や公開といった厳密そうに見えながら解釈可能な文言を連ねる事で、そこに解釈の幅を持たせているのであるが、理想と現実の間を埋める為の方便としてではなく、このように法匪の道具とされるのであれば、解釈不能な文言へと修正せざるをえないであろう。
雨漏りをしている場所は下から見ればすぐにわかるが、屋根の上からいくら見てもわからないのである。雨漏り個所を探すのに屋根の上から見ているだけという無能な大工は解雇するしかない。自民党を政権から解雇したように、近々、民主党も政権から解雇しなければならないであろう。
マスコミに民主党政権を好意的に報道させる為に、法務大臣が最高裁に圧力を加えたという噂もある。
最近の著作権法の改正によると、公衆に提示された場合において公表されたものとみなすとあり、公衆には、特定かつ多数の者を含むものとするとある。不特定多数だけでなく特定可能であっても多数であれば公衆と見なすという定義であり、この定義に従えば、多数であれば公衆とみなせる。問題は、多数の定義であるが、1よりも大きければ多数であるという解釈も不可能ではないが、たった二人の意見でも多数意見ですと、法廷で裁判員の主張を取り上げるわけが無い以上、この解釈はしないであろう。
つまり、原判決では、契約者が国民の大部分や大半ではない以上、それは、多数の定義を満たしていない、つまり、公衆ではないとなる。
公衆の要求を満たすことができる相当程度の部数という表現もあるが、海賊版が出てくるのは、公衆の要求を満たせていないからである以上、公表の条件を満たしていない事業者の権利を国家や社会が擁護しなければならない理由は、どこにも無いとなるのであった。
(前略)
「という訳で奥さん、このままだと瓦が割れちゃうんですよ」
「そんなの雨漏りしてから考えるわ」
「いや、雨漏りしてからじゃ遅いですよ」
「みんなそうやって言うわ。不安にさせようとしてるんでしょ。でも騙されませんよ。ごめんなさいね」(バタン)
奥さん、こういう話を聞いて不安になる気持ちはよーくわかります。だけど、皆さん確かに同じことを言うでしょう?なぜなら、本当だからですよ。本当のことだから皆言うことが一緒なんです。ちょっと考えてみてください。瓦の下はすぐに天井じゃないんです。瓦の下には野地板がありますし、その奥には天井裏があって、最近は断熱材もあって、それからやっと天井ですよ。そこまでいかないと雨漏りなんかしない。雨漏りがするのは本当によっぽどのことなんです。そして、雨漏りがするまでの時間をかけて、屋根はどんどん悪くなっていきます。雨漏りがする頃には屋根の柱がダメになってたって全然おかしくないんです。
不安なお気持ちはわかりますが、不安だからこそ向きあわなければならないものってやっぱりあるんです。それをわかっていただきたい。
ってことを上手く伝えられるようになれればいいなぁ。
この仕事を始めてから日は浅いけれども、全く手入れのされてない家を見るとやるせなくなります。高名なデザイナーに頼んだと思われる個性的な住まいも、一気に開発された似たり寄ったりの分譲住宅も、手入れをしないと同じように痛むんです。全く手入れをしない家の寿命は、よくても50年です。50年目にはもう立派なあばら屋です。もうどうしようもない。それが素人目に見てもはっきりわかる。そこまでいかなくても30年でもう家がかわいそうになります。これを超えちゃったら柱ごと何とかしないといけなくなります。そうなったらもう建て替えた方が早いですよ。
でも、ちゃんと10年ごとくらいに手を入れていったら、しっかり家は持ちます。終のすみか、3代の住む家、そういう家に住んでいきたいのだったら、建てたところに頼むなり何なりしてちゃんとお手入れしてあげてください。
人類が消えてから…
2日後
水の汲み上げがストップすることにより、ニューヨークの地下鉄は完全に水浸しになる。
7日後
1年後
電波塔の警告ランプの点滅や、高圧線の電流が止まる。
これにより今まで世界で何十億羽と死んでいた鳥たちが死ななくなる。
3年後
暖房熱が失われた寒冷地では、とうとう水道管が破裂しはじめる。
収縮・膨張を繰りかえした建築物はきしみが出るようになり、屋根と壁の間に隙間ができる。
暖房の無くなった寒冷地では、冬を1〜2度越すとゴキブリが全滅してしまう。
20年後
10年前に雨漏りが始まっていた屋根は、もうすでに消えている。
100年後 線路や道路を支える鉄柱が腐食し、湾曲する。
野菜は味の悪い野生の品種に戻っていく。
象牙の貿易が無くなって100年。50万頭まで減っていた象が20倍に増加。
飼われていた猫たちは野性化し、猫の獲物となった狸、イタチ、狐などが激減していく。
300年後
ニューヨークの橋が落ちる。世界中のダムが枯渇したり溢れたり崩れたりする。
500年後
気候が穏やかな都市は森となり、丘が減り、開拓者たちが開拓する前のような土地に戻っていく。
森にはアルミやステンレス、プラスチックの食器やら調理器具やらが埋もれている。
人間が作った建造物で残っているものは、地下深くに掘られたドーバー海峡の英仏海峡トンネルだけである。
3500年後
煙突が立ち並ぶ工業時代に廃棄された鉛が、ようやく土で浄化される。
ただしカドミニウムは75000年後まで待たねばならない。
二酸化炭素の量が原始時代の頃と同じくらいになる。
25万年後
地球の自然の放射能により、プルトニウム爆弾の濃度が腐食した金属とともに消えて行く。
数十万年後 あるいはもう少しかかるかもしれないが、進化した微生物がプラスティックを分解できるようになる。
720万年後
アメリカ黎明期の大統領の顔が刻まれたラシュモア山は、隕石や地震で破壊され、痕跡がわずかに残る程度に。
1020万年後
ブロンズの彫刻や象はまだその形をとどめている。
30億年後
45億年後
55億年後
太陽は死期に近づき、地球は膨張した太陽に飲み込まれて焼失する。
そして… 我々が流したテレビやラジオの放送電波は、まだ宇宙を漂っている。
そう、永遠に……
http://anond.hatelabo.jp/20091117080652
築60年で雨漏りしてても、とりあえず、ガス電気水道が動いていれば生活には支障ないよ。私が子供の頃住んでた家はそういう家だった。建て替えたのは、築70年になってから。なるほど、子供のころ自分が住んでたところが「住むところの基準」になるんだねえ。
マンションは「他人と相談しないと何もできない」ってイメージが強くってさ。戸建てなら最悪の場合でも「土地」が評価されるけど、マンションは建物価値が無くなったら二束三文じゃん。うちの近所の一戸建ては都内2DKマンションと同じ値段だけどねえ。どこかは言わない。駅からは遠いけど、バスが通ってる。買い物は便利。