はてなキーワード: 雨漏りとは
私は現在23歳(今年で24歳)で、20歳からソープをしている。歴3年、長い方だと思う。
この3年でソープのプレイは覚えた。マットも講習したし(知らない人はググって)、サービスも悪くは…ないと思う。
ただ、女として絶頂である今の時期に指名がそんなにないのだ。これは顔などは関係ないと私は思っている。失礼だが顔があまり可愛くない子でも人気な子は人気だ。自分の母親と近い年齢のお姉さんがナンバーワンになっていることだってざらである。
人気がないというわけではない。たまにお店のランキングにも入るし、毎月来てくれるお馴染みのお客様は掴まえている。その数が少ないのだ。太客もいない。ランカーのお姉さんは太客を掴まえたり、2,3ヶ月に1回来るお客さんの指名を地道に返している。
やはり向いていないのだと思う。もし太客が何人もいて常にランカーだとしたら風俗嬢として生きる活路が見えるであろう。
私は吉原で働いている。ソープの建て替えや改装が法律で認められていないのは知っている方も多いであろう。
私の在籍店も豪雨のときは雨漏りする。壁は煙草のヤニで黄ばんでいるし、お風呂の天井にはカビが生えている。
朽ちていくだけなのである。今はまだしも、ある日突然地震が起きて倒壊しているかもしれない。大宮のソープのように火事で焼けているかもしれない。天災が来なかったとしても、私が40歳になったとき果たして吉原は存在しているのだろうか。
法律が改正されるかもしれないがそんな希望を持つほうが無駄である。
自己肯定感が低い風俗嬢は多いと思う。例に漏れず私もその中の一人で、お客さんに楽しかった、気持ちよかったって言われると嬉しくなってしまうのである。必要としていると言ってもらえるのはとても嬉しい。これはかなり根深い問題だと思う。
仕事ではなくプライベートでとある男性と出会い(詳しくは割愛)その人と一緒にいることによって自己肯定感が上がりお客さんに必要とされなくてもいいという思考になった。
ソープはなんだかんだ言って身一つあれば成り立つ職業である。ランキング1位に入ったからといってそのことが履歴書に書ける訳では無い。
自分にしかできない仕事をしたいと思うようになった。これは自己肯定感が上がらないとこういう思考にはならなかった。
⑤お店のお姉さんを見てこうなりたくないと思ったから
もちろん数十年の付き合いを続けているお客さんが多数いるお姉さんは別である。そういうお姉さんは別格だ。
私がここで指しているお店のお姉さんとは、稼げないのに居座っている30代後半以降のおばさんである。おまけにホスト狂いでホストを彼氏だと思っているおばさんがうちのお店にはいる。そこそこ年齢もいっているのでお店の女の子は何も言わない。何も指摘されない。こんな人生は歩みたくないと率直に思ったのである。
私はホスト行ったことあるけど何が良いのかわからんです。何にお金を使っているかというと、食費と趣味です。
金銭感覚はすぐには戻らないので暫くは正社員OL副業ソープになると思う。徐々に辞めていかないと反動がきてしまうという判断である。
お粗末さまでした。
実家の夢を見た。両親が病気で亡くなって、今、実家には誰も住んでいない。
梅雨時の雨で雨漏りがしはじめて、畳が腐って、どんどんあばら家になっていく嫌な夢だ。
GWには少しだけ実家の片づけをした。捨てられるのは、まだ自分のものだけだった。
両親の服や身のまわりの物を捨てる勇気はまだ無かった。
両親がもういないのだから、両親が所有していた大半のものを、最終的には処分しなくてはならない。
実家の建物自体が、築70年の木造住宅だから、自分が元気なうちに取り壊して更地にしておくべきなんだろう。
ただ、なかなかその決断は難しい。自分と姉にとってはそれなりの思い出のある場所だ。
言い方を変えるなら、自分と姉以外の人にとっては、何の思い入れも無い場所とも言える。
自分と姉が将来死んでしまったら、そこにある物はすべてゴミになるのだ。
それとも、何か残せるものがあるだろうか?
ずっと人に貸してて何年か前に自分が住まわせてもらえることになって越してきたんだが、引っ越し前のリフォームのための下見に同行したその時点で天井の壁紙がふやけて穴あいてた箇所。
またふやけて穴あいてきたので管理会社に連絡したら、最初は「賃貸の部屋じゃないし共用部トラブルでもないので対応しない」とか言ってたのが、壁紙はともかく雨漏りの発生自体は室内トラブルというよりは共用部トラブルだと指摘すると、「年の瀬も近いし仕事投げる先の下請け専門会社が見つからなくて対応できない」と言い出す。
じゃあ年明けになんとかなるのかと様子見ていたら明けて一週間経っても何も連絡こない。
しびれを切らして再度連絡したら「屋上登って外からは見たんだけど原因が見つからない。建物の天井裏の配管関係のトラブルの可能性があり専門の社員でないとわからない。関係部署をせっついてみるから待って欲しい」ということで再度待機で、さらに一週間経とうとしている。
この間雨漏りは続いていて水滴がポタポタ降ってきたと思ったらそれが凍ってたりと大変お盛んで、問題の箇所が天井と壁の接点みたいなところなので壁の側も壁紙が傷み始めている。
正直天井だけでも負担が重い上に状況的には明らかに家に人を上げて見てもらわなアカンのがダルすぎてさっさと片付けたいこと山の如しなのに、たらい回し的に待たされてキレそう。
こちとら一人暮らしの社畜やぞ。見に来るなら休み取るなり留守番役の手配するなりせなアカンのやから早よ日程だけでも決めてもらわな困るのに、スケジュールのスの字も出ないって何なん。
親の名義だから舐めてんのか?「つまりクソ客」思われてんのか??
あと地味に「そういえば台所の電気もなんかバチバチいってつきが悪いんだよなー」とかそういう、経年劣化と思いきや実は漏水がみたいなのだったらどうしよう現象があるんだけどそういう可能性ってあるもん?
まだ停電地区もあるが、実家は電気はついていて屋根のブルーシートでの仮補修も済んでいた。それでも昨日の雨で雨漏りが酷かったよう。
支援物資はお陰様で豊富にあるようで、ブルーシートは役場で制限なく貰えた。無料炊き出しのホットドッグ屋さんがいたので、両親と自分の分をもらおうかなとお願いしたんだけど、それが最後の分だと言われて、後ろにも人がいたので譲った。増田自身は被災者じゃないし、実家には親戚や知り合い、増田が食料を届けているので食べ物に困っていたわけじゃないし。
地元のスーパーおどやに行ったけど、普通に営業していた。品不足も特にない。
食料支援を役場でする必要性は高くないように感じた。まだ停電している山間部や被害の大きい岩井袋とかで食料支援があれば喜ばれるかもしれない。
車が使えるなら、とりあえず生きていくのに大きな支障はなさそうだ。
ただ、雨漏りしないで安心して安らげる家がなきゃ日常なんて取り戻せない。
世間がこの話題に飽きてボランティアの人手が足りなくなるのと、復旧復興とどちらが早いか。
あとさ、家の補修とか壊れた家財の購入とかって10月になったら増税なんだよね…
雨で水浸しで建物としてはもうダメでも建ってさえいれば全壊にも半壊にさえもならないんでしょ?保険で補修費全部なんて賄えないだろう。補修は何百万の話だから2%は大きいですよ。10万円くらいは変わっちゃう。
あとさ、なるべく頻繁に実家に行ってやりたいけどさ、ガソリン代高速料金が結構かかる。社会福祉協議会を通したボランティアは高速代無料になるらしいけど、被災地の実家に帰るのはダメなんですかね…
報道だと雰囲気わからんと思うけど、まだまだ地震とかの被災地の感じですよ。実家の本格的な補修が完了するのはいつになるんだろう。
他のブラック企業と呼ばれるところに比べたらマシな部類と言われるのだろうけど、私にとって今の職場環境は苦痛でたまらない
全ての高齢者がというわけではないがうちの職場はモラルもマナーもないジジイどもの巣窟だ
会社の敷地内でなんでもゴミを燃やす、人がいるのに控えもせずに堂々とタンをそこらへんに吐く営業部長と会長
人が電話で話しているのに話けて返答を求める、女性数名も勤務しているのに男女兼用のトイレ一つと男性専用トイレ一つ
社員のボーナスや自分の傘下の会社で働いているのに専務(社長の息子)と経理の雑用(社長娘)には高級ベンツを買い与える
社長一族にはゴマ擦りまくっている幹部たちに自分の田んぼ管理やテレビの契約や自宅の雨漏り等プライベートなことを社員にさせる社長
等など…あげたらきりがない
なにより私はアスペルガー症候群の感覚過敏のせいで余計につらい
クーラーの風向きで匂いが漂うので人の体臭や口のにおい、タンを吐くときの音、ごみを焼くにおい、録に手を洗ってない汗埃まみれのおっさんから手渡された資料のザラザラ感…
とてもつらい
職場にはアスペルガーと伝えてあるが理解があるとは思えない対応をされるし感覚過敏に関しては最近自覚した程度なので会社の人たちは知りもしない
今年に入ってから自身の障害のせいでとても深いな目に遭い辞めてやろうと思ったことが数度あったがボーナスの言葉に惹かれたのと長期のお盆休みでリフレッシュできたせいかぐだぐだと未だに辞めていない
今年中には辞められたらいいなぁ
年号が変わる意味なんて分からないけれど、何事にも節目ってのはある。
身長は伸び、それに比例して体重も増えて、ついでに色んな所にも毛が生えた。
やりたいことも、やれることも、やらなきゃいけないことも両手に収まらない。
でも年号と同じく、時間は俺たちの気持ちとは関係なく流れ、距離はどんどん離されていく。
だからこそ思いを馳せたがるのかもしれない。
俺が今よりもガキだった頃、ちょうど今の弟くらいだった時にまで記憶は遡る。
あの頃の俺と弟は、とても不自由な思いをしていた。
平日のスケジュールはこうだ。
まず午前7時に起床。
朝食を摂ったり、身支度を整えるのに1時間弱。
父親が迎えに来る午後6時過ぎまで、そこで過ごす。
買い物を済ませ、家に着いた頃には午後7時前後。
そこから晩飯や入浴、睡眠もあることも踏まえれば、自由に過ごせる時間は皆無に等しい。
当然、夜遅いので友達の家に行って遊ぶだとかの選択肢は存在しない。
俺たちは実質、1日の半分以上を自宅以外で過ごし、子供時代の豊かで自由な時間を拘束されていたわけだ。
まあ、子供の自由な時間なんて、総体的に見れば無駄だとは思う。
その不自由感の象徴ともいえるのが、当時通っていた『ハテナ学童保育所』だ。
小学生向け保育園みたいな場所で、親が仕事を終えるまで子供たちが時間を潰す場所だった。
「マスダは何で学童に?」
「母さんが母さんでなくなっちゃったらしくて」
「え……」
この時、俺たちの町では『親免許制度』なるものが実地されていた。
体の9割が機械化していた母はこれに引っかかったんだ。
仕事で家にいないことが多い父は、止むを得ず俺たちをここに預けたってわけ。
「マスダ、ほんとゴメン。ちょっと無神経だったよ」
「別に謝るようなことでもないと思うが……」
あの時、理由を聞いてきた学童仲間がすごく気まずそうにしていたが、何だか誤解されていた気がする。
ないよりマシ程度のボロ屋で、壁や柱には歴代の学童たちの落書きと傷で溢れている。
「……弟よ。口を開けたまま、天井をずっと見ているが、バカみたいだぞ」
「なんか、天井から水が落ちてくるから、どんな味かなあ~って」
新聞記事にはないので、自分も信じられていませんが、関係者と思われる方によると、本の廃棄だけでなく、図書館や大学運営にも問題があると言います。
https://twitter.com/BB45_Colorado/status/1030382157254934529
県立大の蔵書問題は、統合前から焼かれそうだと情報が流れていて、県立大の教員ががんばって阻止した筈だが、まぁこうやって焼くんだよ。
https://twitter.com/BB45_Colorado/status/1030547402590117888
吹き抜けで動線がぶった切られて使えない、床の耐荷重が低くて装置を置けない、パイプスペースが細くて装置の配管が入らない、廊下にでこぼこの石を埋め込んでいて、物を運ぶと壊れる、装置搬入口が一階にしかない、死角だらけで危ない、建設3ヶ月後には滝のような雨漏り。
https://twitter.com/BB45_Colorado/status/1030427403972014081
私学時代の基金を溶かして無くしちゃったときも徹底的に隠蔽して、県立大学法人化のときに駆け込みで開示して、県立法人化したあとは、今は別法人だから関係ないと逃げおおせた連中なんです。
https://twitter.com/BB45_Colorado/status/1030384796952801280
じじいとばばあ 借地に持ち家で ン十年。
じじい
ばばあ
自己破産の頃に借地代を滞納している。夫婦で年金もらえるようになってからは 滞納分も合わせて払い始めたが まだ滞納分が残ってる。
県に相談に行くと 人数増えるのはダメ。& 持ち家ある人には貸せない。
仕方ないので アパートを借りることに。
持ち家をそのままにしていると 借地代+滞納分+アパート代 に なり暮らせない。
家を撤去するには400万かかる。
残った滞納分も同じくらい。
親族・金融機関も金貸す者なし。娘も保証人で飛びかけている(完済)
最初は 借地権と撤去代で相殺にしてもらえば?と思ったが滞納分があるので契約完了にできない気がするし、
下手に動けば 滞納を理由に 滞納分一括返済と撤去を求められることも考えられる。
ちょー田舎なので市内には弁護士は4人しかいない。(おじいちゃん先生ばかり。込み入った事案には対応力低し。)
貧困NPOとかあれば なんか手助けしてくれるような気もするが県内にはない。
どういうスキームにすれば じじいとばばあは生きられる?
ちなみに私の親じゃねーし、娘のオトコでもねーよ。
って言うと金持ちと勘違いされて高給取りのくせに~って紛糾する人がいるので先に言っておくけど私は手取り10万のクソしょぼ非正規です
本題
校舎がボロい
雨漏りはするしトイレのドアノブも壊れかけているしゴキブリも出る
とにかく予算がない
一応図書室や職員室などごくごく一部ではクーラーが設置してあるが、つけっぱなしにしていると教育委員会から電話がかかっていて電気代ガー!とお叱りを受ける、らしい
うちの学校は放課後に他校の先生や講師の人やボランティアの人が来て図書室で会議や打ち合わせをすることがあるのだが
そういった外部から来た人たちが図書室のクーラーを26度や25度に設定する
日中はクーラーをつけなかったりつけても28度が限度だそうだが
そろそろ、放課後ガンガンに使われたクーラーのせいでまだ7月半ばなのに電気代を使いすぎじゃありませんかなどと言われるのかもしれない
そうしたらどこで節約するかって言ったら外部のお客様優先で日中は職員室も図書室もどこもクーラー禁止になるのだろう
あと今年からお盆の間は強制的に役所も学校も閉めて働くのやめろ期間が設けられるらしいがそれも有休を使わなければならないらしい
塩飴はこっそり持って行ってこっそり舐めているが学校内では本当はよくないこととされているのだろう
冬場は冬場で灯油の節約をしなければならず、でも放課後に来る人は高い温度に設定して学校の灯油を使い尽くす
「嫌なら辞めろ」
家はそれほど裕福ではなかったが喧嘩はまったくない平和な家族だった。
当時、賃貸に暮らし商売がうまくいかなくなっていた親父とおふくろを呼んで同居することに
一緒に住みはじめて1年で親父は救急車で運ばれた
原因は栄養失調
しかし栄養失調の原因は酒で食べ物を受け付けない状態になったことだ。
病院に通うことになる。
当時の親父はまだ理性的だったし
僕も仕事が忙しく子どもが生まれたばかりでアルコール依存について勉強することもなく
お袋にまかせていた。
今考えれば
親父は1年間、断酒した。
今なら分かるがこれはとても凄いことである。
僕らも説得できず親父の意志にまかせることにした。
そこからは
を繰り返した。
次第に疑うようになった
躁鬱病で
徐々に上手く行かない全ての原因を自分ではなく
それを止めようとする僕に殴りかかってきた。
反省ができない
徐々に親父が壊れていく
子どもが大きくなってきて
おかしな状況を感じはじめる。
しかし、話合いは待ってくれと
色んな理由をつけて時期を伸ばされた。
ある日、トイレにワンカップが隠してあるのを見つけた
僕は腹が立ってその酒を捨てた。
次の日
親父がいなくなった。
おふくろに聞いたら
外で暮らす。といって出ていったそうだ。
1日に2~3回お袋に会いに来た。
このままどうなるんだろう?
家族は疲れ切っており
いっそのこと失踪してくれたらいいのに
など僕は考えていた。
ある夜、事件が起きた
深夜1時ごろ
玄関のドアが開いて
浮浪者のようになった親父が入ってきた
そしてお袋の部屋に入っていった
その後、暴れだし暴言を吐き
椅子をひっくり返した
家の回りを発狂しながら
荒らし始めた
家族はみな気が動転して
命の危険を感じた。
僕はカギを締めて警察を呼ぼうとした。
それよりも先に近所の人が呼んだ。
いきなり家に来て
「警察を呼んだのはだれだ!ぶっころしてやる!」
と言ったと思ったら
孫に向かって
「かわい〜ね〜」
と言ったり。
僕は家のカギを締め切って入ってこれないようにした。
夜中にいきなりドアを開けようとする音や親父の怒鳴り声が聴こえる。
みんな寝れないし常に緊張状態にあった。
その時僕はもう
おじさんが
「俺が話す、病院に連れていく準備しとけ」
と言って親父を探しに行った。
ただただ虚しかった。
家に連れて行くのは危険なので
車の中で親父を説得することになった。
おじちゃんがどんなに説得しても
親父は病院に行く事に納得しなかった。
話し合いの途中で何度も暴れて
逃げ出そうとした
と言われた。
説得してる駐車場に向かった。
しかし、車に乗った親父は動けなくなっていた。
兄貴は180cm80kg以上でずっと格闘技をしてたゴリラのような男だ。
親父は完全に固定されていた。
おじちゃんが
と言ったので
病院までの30分は
親父は僕達を罵倒し続けた。
家を買って
みんなで住んで
本人だけじゃないくて
お袋は親父をかばって嘘をつくようになった
僕は気付けば親父とお袋を常に疑い、監視するようになった。
仲が良かった家族がどんどん崩れていった。
入院期間の三ヶ月
どうなっていくか分からない。
親父と戦うのではなく
親父と共にアルコール依存と戦うための準備をしなければいけない。
【追記】
今回はじめて投稿してのですが、こんなに沢山ブックマークが付くとは思ってませんでした。
沢山のご意見をありがとうございます。
入院させてしまったあと、言いようのない気持ちを一気に吐き出してしまったため
いろいろな部分を端折ってしまったり説明不足な部分があったり、
今後同じような状況になってしまった人が少しでも参考になるようなことを追記したいと思います。
・嫁さんついて
嫁さんは僕には勿体無いくらい良い人です。元々両親とも仲が良く、同居の際もきちんと話し合って決定しました。
僕にとって彼女は全てを話せる妻であり、気の合う友人であり、優秀な仕事仲間であり、頼りになる母でもあります。
同居はじめてアルコール依存の問題以外にも色々な問題が起きましたが全て隠さずしっかり話し合って解決してきました。
逆に嫁さんに何かトラブルが起きたときは僕は全力で問題解決をします。
・こどもについて
相当近くにいかないと酒を呑んでいることが分からない状態でした。
ただ、躁鬱があり、落ち込むときはひどかったのですが
孫達と遊ぶことで元気になりました。
孫のおかげで躁鬱はかなり良くなったと思います。
親父がおかしくなってきたのはこの1年くらいでしたが
もし良くなって帰ってきた時のために
僕らも子どもたちと親父の距離感や説明については細心の注意を払ってました。
両親は貯金も年金もない状態で、雨漏りするようなボロボロの事務所だったので家業の売上もどんどん下がって
お金が貯まらないので広告もテコ入れもできない、毎月仕送りをしないと家計が回らない状態でした。
そこで、解決策として
親父は躁鬱を治すために何がいいかなと考え
僕のPCをあげました。
SNSで昔の友人と繋がったり
僕の友人と仲良くなったりで
とても充実した毎日になりつつありました。
家に帰っても不機嫌で中学生になるまでほとんど会話らしい会話をしてない状況でした。
状況は常に聞いていました。
説得されていました。
お袋の話を信じて、通院せずに自分の力で治すことに納得してました。
この1年間、沢山の本を読み、話を聞き、病院で先生の話を聞きました。
最初は変化が見えにくく
進行が進むと嘘をつくようになり
約束をやぶり
信じたいけど、本当かどうかわからない。
「否認」
です。
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親父はこの否認がかなり強く出る傾向にありました。
頭が良い人なので、飲酒理由と環境を作るための理論武装が上手でした。
それは信頼関係が構築されていればいるほど見抜けません。
仮に見抜いて指摘をしても
家族に対して不信感を抱く段階にくると
そうなると強制入院か底付きで死にかける(もしくは死ぬ)結末が待ってます。
そういうときは警察に連絡して一緒に病院まで連れてきてもらってもいいと病院で言われました。