2010年02月28日の日記

2010-02-28

妻がメシ作りたくない病を発症した。

妻がメシ作りたくない病を発症した。

何故かすき家に三人して来てしまった。

まあ良いか、祭りだし。

なんて考えてると、4歳になる娘が

「ぱぱ、あの人食べるのすんごくはやいよ」って俺に言う。

見るとカウンターには二十代前半とおぼしきスーツ姿の男が牛丼をかき込んでる姿が。

あれは俺だ、昔の俺だ、何にも考えず、ただがむしゃらに仕事して、未来の事とか幸せが何なのかとかから敢えて目を背けて、孤独を貪って世の中拗ねて生きてた頃の…

そんな俺の妄想に気付いているのかいないのか、男は尚一層のスピードで丼を空にし、ぼそりとご馳走様と告げると伝票を片手にレジへ向かった。

俺が娘に

牛丼はああやって食べるのが作法なんだよ、特に一人の時はね」

って教えたら、妻が何馬鹿な事言ってるのって鼻で笑った。

もう家族牛丼屋に来るのは止めよう。

http://anond.hatelabo.jp/20100228234432

君がどういうゲームをやっているかによる。

抜きゲはとりあえず頭悪いし、逆に頭悪くないとつまらない。

ビジュアルノベルはそこそこ読める文章を書くのがあると思う。

でも雫みたいな抜きゲもどきノベルもあって、その魅力は頭の悪さを楽しむところにある。

在日韓国企業の苦労

韓国キムヨナが勝って金メダル日本の浅田が負けて銀メダルを獲得する。その瞬間にCMが入る。そのCMに出演するのは浅田であり、CMは「浅田真央選手メダルおめでとう!」と浅田をこれ以上なく祝福する。ピンポイントCMを作成する費用を考えれば、力の入ったCMであることは間違いない。しかしそのCMスポンサー企業在日韓国企業であった。

韓国が勝ち日本が負けるという、よきにつけあしきにつけナショナリズム韓国への敵愾心が盛り上がるこの瞬間に、韓国系とみなされがちな在日韓国企業があえて日本側の選手を褒め称える。そこに韓国への敵愾心がまかり間違って自社へ向かないようにするための配慮と苦労を感じ取ったのは私だけではないだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20100228234132

エロゲシナリオライターってなんであんなに日本語が不自由なの?

ビジュアルダメだけどコンセプトが受けた」っていうエロゲはいっぱいあるみたいだけど

文章自体が上手いとか綺麗とかっていうエロゲある?

http://anond.hatelabo.jp/20100228233818

あらゆるステップを飛ばして女に言うことを聞かせられるからな。

シナリオがものすごい楽なんだろう。

あれはあれで好き。

はてな匿名ダイアリーを始める君に

http://anond.hatelabo.jp/20100228223459

やあやあ

数ヶ月前にはてなに漂着したボクが色々教えてあげるよ

・長文意見を書いても2ちゃんねるのように敬遠されない

・書き込む際に、いちいちレスの主旨に沿ったスレを見つけなくてもいい

ローカルテキストエディタ日記をしたためるだけだと反応が全くなくて寂しい

全部合ってるね

で、お求めの反応をどこでチェックするかだけれども

ここ、はてな匿名ダイアリーでのメインレスポンスはてなブックマークっていう右下に着く赤いサイン

君の書いたエントリーが興味を引けば赤い数字がついて増えて行くよ お楽しみに

取り留めのない普通の内容(2ちゃんなら熊先生AA貼られるようなの)だと叩かれるのか

ないね

はてなは基本的に取り留めの無い内容が大好き

まあ本当につまらなければ流されるのみだけど

どこかにちょっとはてなー自意識を刺激するポインツがあると反応が大きくなるよ!

スイーツ的な顔文字など、没個性でない文体を使うと叩かれるのか

個性自意識のスモーキーマウンテンであるはてな

2chと違ってみんながみんな個性乞食だよ!

いい年した女性一人称リリカルな響きのハンドルネームブログやら

いい年した男性が語尾に猫語つけて語るブログやら

かなりキモめなアイデンティティを実装せずにはてな界隈で人気取ってるidなんかいないとすら言える

君は書く方だっけ、読み手としてもはてなーは厚いよ

書いてある内容や字面ほったらかしてすぐ書いてる奴の心理分析始めるお医者さんだら

だから君のさびしんぼ自意識はすぐ補完されると思う…

ごく普通の書き込みでも文章に粗があると叩かれるのか

実はあんまりそういう文章鑑定眼は高くないのがはてなーの平均だとボクは思う

てにをは大丈夫なら問題なし あなたは問題ないよ、改行も出来てるしね

アンチの多い嗜好・思想・属性だと叩かれるのか

こんなことをいちいち気にするのは、私が打たれ弱いからだ。

勿論叩かれやすい嗜好・属性・思想、そういうのはあるけど

反応を得たければわざと非難が殺到するようなこと書く、ってのも大事だと思うよ

例示するなら社蓄プレイ、女を見下す傲慢な男プレイ、思い上がった小町プレイ、このあたりはヒート買える

まあ匿名ダイアリーで一番反応を稼げるのはゆるい賛同を広く集めるエントリーだけどね

自分の書いた文章を誰かに読んでほしい。賛同を貰えるだけでなく、あわよくば好意的に評価されたい

はてな全体としてはもう

ジェンダー差別、あたりが賛同乞食には鉄板の支配側トピックだね

乱暴に言えば「自意識パンパン左翼orフェミ」が多いから

そういう人達に媚びる内容を書くのは短絡的にはいい手

あなたがはてなブログでやるなら差別反対方向のエントリを連打しながら

ソレっぽいサヨっぽいブログブクマカに星連打しておけば

そのうちお友達グループの仲間に入れてもらえる

もしくはフェミニズムエントリ連打&フェミはてなーに星連打もいいけど

フェミお姉さんはサヨに比べ同陣営でもなあなあを嫌うから下手なこと言ってると問い詰められて泣くことになる

あと、あなたが女性かつフェミルートを選択した場合は

そのうちはてなキングである今年30歳のイケメンがあなたの承認を得に擦り寄ってくる

色々と不安だけど、“はてな匿名ダイアリー 殺伐”でググったらこんな記事を見つけた。

不安なのは私だけではないようで、なんだか安心した。

匿名ダイアリーはてな全体と若干、支配空気が違って

左翼ネタ差別ネタはあんまり拾ってもらえない、ブログブクマに比べればね

代わりに人気あるのがジェンダー童貞フェミニズム

あなたが女性だとすれば、彼氏との軋轢や彼氏いない歴セクハラ被害体験談あたりを書けば絶対反応ある

それか「ワタシ女だけど、童貞ってどう言うこと考えてますか?」的な性差質問エントリ

「私はこうだろうと推測するんだけど」っていうのも書いておくと、

その認識ツッコミ者の考える現実とのズレを突っ込みやすくてモアベター

今ではお気に入りまとめブログROMるのみになってしまっている。

あとはそういう人狙いの飛び道具として、「○○が読みたい100冊」とか「○○の英語学習法」はメガヒット多いね

コメントの無い、あとで読まないのに「あとで読むタグついたブックマークが四桁並んだりする


偉そうにアドバイスしてるボクは主に非モテネタで50~500ぐらいのブックマークを稼ぐ駆け出しだ

タイトルだけで良識ある人が眉ひそめるような酷いのをホッテントリにして楽しんだりしてる

書き上げたら反応予想をメモしておいて、実際の反応の流れとの違いをチェックする、修正、再トライ

という地道なことはやっぱりやっている

じゃあ長くなったけど、頑張って欲しい、近いうちにあなたの面白いエントリーが読めるのを期待してる

http://anond.hatelabo.jp/20100228230957

まじ?

とりあえず孕ませ輪姦痴漢露出あたりを入れたシナリオゲーム作ってくれ。

女の書いた文章ってなんでこうも目が滑るのか

これだけははっきりさせたい

必ず全員には賛同されない(~~内は飛ばせ)

~~~~~

「生きてれば必ず良いことあるよ」と何も考えてない風に言ってのける

「他に解決する方法がある」と適当に言う

「若い頃は誰でもそう言うことを考えるものだ」と矮小化する

倫理的でない、親や周りの人に申し訳ないの?」と問題をすり替え

だけど、だけど、だけど

「死ぬ事は原因療法」に変わりはないんだよー・・・といつも思う

「そんな事をあなたは言うけど、死ねないじゃん、矛盾しすぎプゲラw チキン乙www」

うっさいよ、そんなの分かってるよ理想論だよ

死にたい言うくせに構って貰いたがったり、物欲性欲あったりして欲まみれってなんか変じゃね?上手く言えんが」

欲があるのが嫌だから死にたいんだよボケ

「本当は嫌じゃない」とかが半分あるのも気持ち悪いんだよボケ

「で、結局逃げなんでしょ?たらたら理屈垂らして、論理的に見せかけて現実から逃げてるだけじゃん卑怯者 何が理性的だ」

その通りだよ 論理的であろうとする事にも疲れたんだよ

意思の疎通が、自分の思考が、膨大な要因で正確性を落としていくことに我慢できない

あらゆる問題は山済みで、他者と共有する事も出来ず、解決の為の手段は見つからず、手段を探す手段もなく、蓄積されて負荷となる

こういう事を含めたあらゆるメタな部分でさえ制御できない要因が歪みを与えてると感じ

「ああ、もう何もかもは歪んで、何もかもは何にもならない」と思って

それならばと、感じたそのままを伝えようとするも、さらに歪んで

そして「多くの人の目に止まる場所に書けば誰かが・・・」と思っても

「この文読み返してみたけど、自分だったら全部読まないで他の読むなぁ」と感じ

「ああ、もうどうしようもないんだ」と感じた時

~~~~

「死ぬ事で、あらゆる問題は解決する」

なぜなら、考えたり観測する主体が存在しなければ、考えられたり観測されるものは存在しないと同じだからだ

「死んでも意識記憶が残ってたらどうするの、天国とかあの世とか」って問題があるが

「ああ、願わくば魂的な物など存在しませんように」と毎日願いながら

「ああ、今日死ねませんでした、残念」と生活するしかないよ

http://anond.hatelabo.jp/20100228230353

こないだの朝生

「よく失業者に対して

仕事を選ぶんじゃねぇ!仕事自分やりがいとか可能性なんて被せんじゃねぇ!とにかく働け!

と怒りまくってるオヤジがいるけどさ、

だったらエントリーシートなんて書かせるなよな」

という発言があって笑った。

http://anond.hatelabo.jp/20100225163000

増田の記事みて思い出した。

俺も元増田みたいなことを小学校の時やったことがある。確か参観日だった。

掛け算か何かの授業だったんだけど、当時の自分はまったくわからなくて、ちょうど元増田のように、今まで習った方法で何とか答えをひねり出した。

そしたら先生は発表してくれた。確か。

そのときは、皆と同じ解き方ができない焦りの後、一人だけ違うように発表されて少し嬉しかったような気がする。

良い先生にめぐりあったのかもしれないなぁ。

勉強には良い先生参考書、やる気がもちろん必要だけど、それと共に独自で発見したり(既成の公式だったとしても)、それに感動することが一番勉強を促進するのかもね。

職業に関する話

去年の今頃は工場で熔けた金属かき回していた僕ですが、

今はエロゲシナリオ書いています。

http://anond.hatelabo.jp/20100228225815

ほんと、離婚してもっと満足できる人と再婚すればいいのに。

まあ誰と結婚しても、また別な文句言って死にたがってそうだけど。

あ、結婚しなければいいのか。そしたら夫や夫の家族への不満は金輪際なくなるわな。良かったね。

http://anond.hatelabo.jp/20100228221936

履歴書の空白はなぜですか」

「我が社が他のひとでなくあなたを採用することで、我が社にはどのようなメリットがありますか」

「空白があってもあなたを採用すべきだと言える理由を教えてください」

…については、説明が必要だろうな。

自分の考えの甘さだったと思っています」

「生活サイクルは普通です。体は丈夫なので、雇ってもらえたらしっかり働きます」

「基本的には真面目にこつこつ努力するタイプで、勉強は嫌いではありません」

「御社の仕事分野について今興味を持っているのが志望理由です」

くらいのことが言えれば、なんとかなるかもな。

ガンバレ

ただの惚気ー。

付き合って二ヶ月の彼氏と初めて手を繋いだ。

所謂恋人つなぎっていうやつ。

26年間生きてきて初めてのことで、焦るやら照れるやら、嬉しくて泣きそうになってしまった。

生きててよかったーと大げさだけど思った。

離婚すればいいじゃん

http://anond.hatelabo.jp/20100228225116

それにしてもネタとしか思えない書き込みだ。

科学技術進歩するとそれぞれの独立傾向が高くなると嘯いてみるテスト

現代においては、仕事をするには外に出て集まってコミュして・・・と色々と動くことがある

けどそう言うのがなくなって、自宅だけで人生が完結出来るようになったら・・・と考える

必要のない事、楽な方に流れるのはいつもの事だ

勿論、そういう技術の発展には、それを望んでる人が相当数居る事が必要だけど

どうして「臭いものにフタ」では差別がなくならないかという簡単な理

一例

http://d.hatena.ne.jp/karaimonokirai/20100225/1267111952

客観的に見て、筆者に「あらかじめ偏見や悪意があったわけではない」とは思う。だが、筆者はこれらの光景を「自分の目で見て、素直に判断して、とある一国の文化(あるいは「国民性」とか言い換えても可)が『嫌いになった』」と発言している。

あるいは、多くの人が「何が問題なの?これはこれで正当じゃん」と思うかもしれない。だが、そう言う人は、たとえば捕鯨問題についてどのような感想を持つのだろうか?

たとえばとあるアメリカ人が、自分の「印象」に基づいてこんな記事を書いたとする。

自分日本は好きでも嫌いでも無いし、別に環境保護について強い関心があるわけでもない。だが日本旅行中、食堂などで捕鯨問題を取り上げたニュースがあると、それを見る人は大抵「シーシェパードは頭がおかしい」とか「所詮金のために環境保護を利用しているだけだ」とかいったコメントばかり言い、「鯨を殺すのはおかしい」という意見については自分経験した範囲では一度も耳にしなかったことに驚いた。街中でも鯨肉など提供しているところは見ないしほとんどの人は日常的に鯨を食べないのに、鯨を殺すことに対してどうしてこれほど寛容なのか。残念ながら、自分日本人というのは非常に残酷民族なのだという感慨をもって日本を後にすることになった。

これは公正(fair)な議論だろうか。

私は、残念ながらこれは差別だと思う。彼は、鯨を「食物」と見ない文化から訪れており、かつまた自分たちの文化過去にどれほど鯨を殺したかも知らない。彼の問題点は、物事に対する歴史的視点や、自分の背負う文化に対する批判的観点というものが欠如していて、自分の「素朴な感想世界を見ることに全く無批判」である点だ。

「彼」は一応架空の存在である(よかった)。しかし、彼が今後日本に関する問題について、常にこの「見方」を「事実」として自分の判断根拠に採用することはほぼ疑いない(残念なことに)。彼は、パールハーバーも、太平洋戦争時のアメリカにおける日系人差別収容所のことも、あるいは貿易摩擦から生まれたジャパンバッシングも知らないかもしれない。だが、何も教えなくても彼は、とある民族をひとくくりにして、unfairな意見に基づいた判断を下すようになった。これは立派に「偏見」であり「差別」ではないか。差別偏見は、このように日々誕生するのであって、過去差別について「教えなければ消える」というものではない。

捕鯨に関してだけではなく、とあるものごとについて、それをめぐる政治的状況、文化的文脈(コンテクスト)といったもの、状況性や歴史性や文化性を全く無視して(更に言えば自分自身の背負っている状況性や歴史性や文化性について全く批判的でなく)発言するとき、常にこのような危険は発生する。「率直で素直な感想」と称されるものは、非常に危険なのだ。

自分がそう思ったことは事実であり何がわるいのか」といったヒラキナオリ、つまり「率直で素直な感想」と本人が認識しているだけに、こういった感想に基づく「意見」が修正されることは少ない。実際、「率直な感想は絶対であり、それを修正することなど出来ない」と多くの人は思っている。だがそれは大きな間違いだ。歴史性や文化コンテクストを学ぶことで、ものの見え方や風景など簡単に一変するからだ。ある人の背景(たとえば「強がりをせざるを得ない状況や過去」)を知ることで、「ツン」な行動が可愛く(「デレ」に)見えてくる、という現象はとみに知られているが、それも同じである。「学習」は「印象」を大きく変化させる。

そもそも我々は、様々な状況性や文化を背負うからこそ、物事を認識できるのであって、「率直で素直な感想」といったものなど、本当は存在しない。どんなに直感的感情的判断であっても、何かを判断するとき私たちは必ず何らかの「知識」を土台にして判断している。学ばなければ、私たちはほとんど何も感じず、表明することもない。生まれたばかりの赤ん坊は、自分を取り上げる産科医や両親の「美醜」を「判断」したりはしない(子どもがそういうことで悩むのは、おおむね思春期の頃である)。


我々は、互いに離れた土地に住み、そして相手のことをよく知らない。知らないことは恐れを生み、行き違いや偏見を生む。そして差別が始まる。かつては川一つ、山一つ隔てるだけでも、そうであった(「○○村の奴らとはクチをきいちゃなんねえ」的な)。教えるから差別が持続するのではない、教えないから差別は発生するのである。ただし、それは「かつてはこんな差別がありました。差別はいけませんね。以上」といったことを教えるということではない。

従って、たとえば人権について学ぶプログラムは、以下のように進められなくてはならない。

小学校

 低学年……「作法」として、「陰口を言わない」で「みんな仲良くする」ことを学ぶ

 中学年……「作法」として、「素直で柔軟な発想を大切にする」「賞める」ことを学ぶ

 高学年……「作法」として、「文化を大切にすること」「おせっかいと勇気は違うこと」を学ぶ

中学校 ……「知識」として、「色々な価値観文化が存在すること」を学ぶ。

高校  ……「論理」として、「差別偏見はいかに発生するか」「人間の弱さ」という問題についてを考える

大学  ……「実践」から学ぶ。ボランティア活動や異文化体験など。

現状、人権教育にこういう見通しがないことはとても残念である。小学生に(イイトコだけ見せるような)異文化体験を推進したりしている人は、将来その子が「欺された!小学校の教師なんて嘘つきだった!」という感想をもつ可能性について全く想像していないのだろうか。私は、上のような準備が子どもにできないうちから安易に異文化体験を進めることは、百害あって一利無しだと考えている。

最初の文章の筆者に対して、どのようなメッセージがあるわけではないが、もし可能ならば、今回の件を踏まえた上で、単純に隣国を「嫌う」のではなく、「なぜ『今の日本』に住む私は、『今の韓国』の文化にこのような感想を抱くのか?」ということについて、調べたり考えたりしてくれるといいな、とは思う。これを読んだ後、たとえば図書館戦前日本大衆雑誌とか読んでみるだけでも、私が言わんとすることは理解して貰えるだろう。

たすけて

まともな人に会いたい

すがってしまうから、誰にも会いたくない

世界のどこかにいるサンタクロースをぎゅってしたい

いまやさしい人の名前がそれしか浮かばない



もうだれにも迷惑かけたくない



世界にはこんなにたくさんひとがいる

だから大丈夫

自分しか見てないと自分しかみえなくなる

空気みたく人を求める

あのこはそんなにやさしい顔をしていたか

すごく久しぶりに君をみた気がする



きっと楽しいことも大変なことも飲み込んで

あのこなら半泣きでも笑ってくれる

この土地の続きのどこかに、かみさまみたいなこがいる



ぼくのかみさまにいやなことがおこりませんように

需要が無くなる事について

それぞれの独立性が高くなったからな気がするんだよなぁ・・・

音楽でAというグループがあったら、Aの商品はAの他の商品にしか繋がらないようになった

ほぼ無限である商品の中から、いきなり「コレが良い!」と決めるのは難しい

選ぶって言うのは、一つ一つを実際に触る必要があるから出切る事であって

選ぶ物が沢山あると、人は逆に選ばなくなる

別に最初から興味がないわけでも、過去の体験でもって嫌いな訳でもない

ただただ、膨大な選択肢から自分の条件に合うものを探すのが大変過ぎるだけだ

選択肢を大幅に削ってくれる物として、テレビ雑誌があった

けど、余りに多い選択肢と、それを選ぶ人々の条件の多さに潰れた

大衆化しすぎて、選択肢を削れなくなった、八方美人化だ

だから、ネット広告やらマスメディアの新しい可能性だと感じる

究極に八方美人な事も、究極に条件に適したことも出来る

恐ろしく手軽に、恐ろしくアクセスされやすく、恐ろしくあらゆる人に

自分の最も条件の合う所を一回でも見つければ、そこに居るだけで良くなった

それでも選択肢は狭まらない、諦めは無くならない

「この世界にはまだ自分の条件に合うものはある

けどそれについてどうやって知って良いか分からない

なら諦めて何も知らないほうが良い」

悪魔の証明は誰にも出来ない

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