2020-12-30

自分の鈍感さに気付いたから、支部作品非公開にした。

自分作品がなんだか気持ち悪く感じで、pixivにあげてた作品全部非公開にした。

先日炎上した「ガス会社のおじさんが、夫を「主人」と呼んだので会社クレームを入れた(超要約)」というツイート(該当のツイートは、ツイ主が消したかアカウントに鍵をかけたか現在は見られない)から自分他人差別する鈍感女だと気付いたからだ

自覚がないからこそ~

私は、あまり言われた言葉以上の意味を考えたりしない人間だ。というか気付かない人間だ。額面通りしか受け取れない。

からさまな場合は除くが、社交辞令とかも真に受けちゃう。褒められたら「ありがとう!」とか喜んじゃうくらいに阿呆

皮肉皮肉だと気付くのに時間がかかったりする。単純馬鹿の鈍感女。

そんな単細胞なので、上記ツイートが全く理解できなかった。

この「ご主人」というワードからは「旦那」「夫」「ダーリン」といった意味しか拾えなかったので、「どこをどう取ったら主従関係と拾えるんだ?」と困惑した。

ガス会社のおじさんも、まさか主従関係だの、ツイ主を下げる意味合いで「ご主人」と言ったわけでは無かろうに。

可哀想に」と思わず、ガス会社のおじさんに同情した。

該当のツイートには、ツイ主を「おかしい」と叩くリプがぶら下がっていた。過激なリプを送る輩にはドン引きしてブロックしたが、それでも大体は私と同意見のリプばかりだった。

理解できない。考え過ぎなのでは。では代わりに何と呼べばいいんですか?

そう言ったリプを眺めながら「だよねー」と私も頷いていた。

しかし少なからず、ツイ主を称賛・賛同するリプもあった。

一件二件だけじゃない、複数の人がツイ主に理解を示していた。

私はそれも意味が解らなくて、けれどツイ主やそれに賛同する人にリプを送る勇気もなく、ひとりで首を捻った。

理解できね~」ともやもやして、そして、私はふと気付いたのである

そもそも、なんで私こんなにもやもやしてるんだろ」

ツイ主を理解できない。それが理由の一つではあるが、多分全てじゃない。

頭の中で捏ね繰り回して、漸く一つの解が出た。

私は、このツイ主から差別用語使うな!」と言われてるような気がしてたんだなあ、と。

私たち普通に使っている言葉が、実は差別的な意味を持っていると、そう指摘されて驚いているんだと。

~「普通」ってなんだ~

私は昔、左利きを「ぎっちょ」と言った母に「それ差別用語からやめた方が良いよ」と指摘したことがある。

私の地元はそこそこ田舎で、今でいう「差別用語」を普通に使う年寄りが多い。本当に、差別意識なく使っている。

何故なら、その言葉が「差別用語」だと知らないからだ。というか、地元では普通言葉からだ。

ぎっちょ」は左利き人間差別する用語だが、地元では普通に方言として使われている。

差別するために使っていない。マジで左利き」という意味でのみ使っている。

なので、母も私からの指摘を受けて、驚いた後に憤慨した。「差別してるつもりなんてないわよ!」と。

そりゃそうだ。

今まで「普通言葉」として使っていたものが、実は「差別を表す言葉」だなんて指摘されたら驚くし「そんな馬鹿な!」と怒るだろう。

自分の「普通」を「普通じゃない」と否定されたら、そりゃそうなる。

ツイ主はあの頃の私で、今の私はあの頃の母だ。

そう納得してからすぐ、また最悪の事にも気づいてしまった。

「私、もしかして自分が気付いてない間に色んな人を差別していたのでは?」と。

~誰かを差別してたかも~

私は鈍感な人間だ。投げられた言葉にそれ以上の意味は見いだせない。

そして同じように、私は人に言葉をかける時、深く考えていない。「これは相手否定する言葉では?」などと、自分思考検閲しない。

自分は褒めてるつもりで、普通のことを言っているつもりで、実は偏見シマシな事を、今までだれかに言ってきたのでは。

そんな考えに至って、そしてすぐpixivにとんだ。今まで投稿した作品を全部非公開にした。

持論だが、創作物と言うのは書き手偏見倫理観如実に表れると思う。作品を通して、作家がなにを差別しているか感じ取る読者も少なくない。

からこそ、私は私なりに気を遣ってきたつもりだ。

差別的な表現にならないように」「自分作品で傷つく人が居ないように」出来るだけ考えて作品を作ってきた「つもり」だった。

けれど、自分がどれだけ鈍感だったか思い知った今では、作品をそのまま掲げて置ける勇気はない。

私は鈍感な創作者で、差別主義者だ。「私も誰かを差別して生きてるかも……」と思ったことはあったが、思っていただけだった。

そう気づいたら、自分作品すべてが気持ち悪いものに思えた。恥ずかしいと思うようになった。

考え過ぎだと言われるかもしれない。気にしすぎだと言われるかもしれない。

「そんなことを言っていたら何もできない」と言う人もいるかもしれない。

でも、一度そう思ってしまったら、私はどうにも身動きが取れなくなってしまった。

書きたい話もあったけれど、今はもう書く気が起きない。

「出来上がるのは、きっと誰かを差別する話」

そんな気がして仕方がないからだ。

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