はてなキーワード: 球技とは
例えば球技はまだ色々ごまかしようがあるけど、マラソンは純粋に身体能力の差が出るからどうしようも無い。
なのに周回遅れになると笑われたり、逆に頼んでも居ないのに励まされたりするのが結構心を抉ってくる。
俺なんて元々膝痛持ちで、走ってる途中にめちゃくちゃ痛くなったのにリタイアさせて貰えなかった。
足引きずってるのを体育教師に「痛いフリしてサボろうとしてる」って決めつけられて怒られて、それが原因でしばらくいじめにあったりもした。
そういう個人的な経験からも球技なくしたからって、体育の授業が面白くなるなんてことはないと思うんだ。
全ては体育教師の指導力が低すぎるのが問題の根本だと思うんだよ。
体育教師が体育の指導者じゃなくて単なる運動バカを採用する枠になってしまっている。
体育の授業のクオリティがクソ過ぎるから何やっても楽しくないし、生徒が怪我したり死亡したりする事故も起きるんだ。
サッカーなんて本来は身体能力が低くても技術がなくても役割を作れるし、役割さえあれば楽しめるスポーツなんだよ。
もちろんプロリーグとかアマチュアでも上位のレベルになれば全く違うけど、素人が体育の授業でやるなら楽しむ事を重視していいはずなんだ。
マラソンにしたって個人の体力に合わせて距離やペースを調整したり、走るのをアップダウンの多い少ないコースにするとか工夫の余地はある。
なのに指導する体育教師が運動は辛さに耐えるもの、スポーツは苦しみとの戦いって考え方だから体育の授業がクソつまらなくなる。
こんなブクマが賑わっている。
はてな民のために球技の意味について政治的かつ実効的に語りたい - メロンダウト
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2022/05/23/222507
いくつものコメントが指摘している通り、これは徹頭徹尾〈できる側〉の理屈であり〈できる側〉の見ている景色であり〈できる側〉の自己弁護であり〈できる側〉の正当化でしかない。
体育の授業でさせられる球技に屈辱と惨めさの思い出しかない人間だって実際には山ほどいるのだが、まるでそんなやつは存在しないはずだと言わんばかりの口ぶりである。もはや呑気なのか傲慢なのかわからん。
そもそも球技の必要性が理解できたところで、〈できない側〉の屈辱や惨めさは何も変わらない。
筆者さんはこれを書いて何がしたかったの? 〈できない側〉の僕たちに何をわからせたかったの? 何を変えたかったの?
球技くらいしか選択肢がないという部分には百歩譲ってうなずけても、「だって楽しいじゃんほら球技って!だろ?」と言わんばかりの中盤以降は死んだ目で読んだ。俺には球技が楽しかったためしはない。
ポンコツぶりを見せて冗談関係を築くって? そのポンコツ理論が冗談だろ? しらんけど
女子が放ったスパイクを顔面レシーブしたあの日、俺の人生が1mmでもいい方向に転がったと思うか? 最悪だった人生がさらに最悪になっただけだ。壊れた俺のメガネは地面に転がったがな。
こういうのをね、屈辱って言うの。惨めって言うの。辛酸って言うの。
この鬱屈した感情を知らねーなら黙っててほしい。この件については一生口をつぐんでいてほしい。
運動神経はほぼ天賦の才能だ。生まれながらにそれを持ってるやつに、生まれながらにそれを持っていない俺たちの苦しみ悲しみがわかるもんか。
そういう奴らに俺たちの苦しみ悲しみに口を突っ込む資格はこれっぽっちもないの。君には私に救いを与えることはできない。
いいかよく聞けよ、運動音痴ってのはな、「ノンバーバルコミュニケーションの語彙すら乏しい者たち」なんだよ! なにしろ運動ができないんだからな!
君たちは君たちの言葉で意思を通じ合ってればいいさ。だが俺たちはヘブライ語が話せないのにユダヤ人の討論会に放り込まれた日本人なんだよ!
どんな体育の授業も業火の煉獄でしかなかった自分だが、まあまあ楽しかったなという経験も少しはある。
まず柔道や剣道。ほぼ全員がド素人からのスタートだったし一歩間違えば大怪我をするので、本当に基本中の基本からゆっくりと駒を進めていく授業だった。
基本的には個人種目で気楽だったし、団体戦でも先鋒あたりで出してもらえば自分が負けても気が楽だった。
全員がド素人からのスタートという意味ではラグビーもそうだった。もちろん能力差はあるものの、教師の指導がどちらかというと基本技術や戦術・戦略に振ったものだったおかげで、運動神経だけで明暗がくっきり決まってしまうようなつまらない授業内容にはならずに済んでいたように思う。少なくとも、ウォーミングアップしたらすぐにガチ勢天国の試合が始まってしまうサッカーやバスケとは気分がぜんぜん違った。
そういうこともある
逆上がり出来ない、倒立できない、泳げない、50m9秒切れないなどなど身体能力は散々だったけど
団体球技は自分の出来ないことはしなくていいし、できることに徹すればチームに貢献できるし自分も楽しかった。
バスケではゴール斜め下に陣取ってシュート、サッカーは自陣側で待機して転がってきたボールを蹴り返すだけで授業レベルなら貢献できた。
それがきっかけで接点の無かった陽キャグループの子たちと少し仲良くなったりで思い出としては悪くない。
特に思い出に残ってるのが中三のハンドボールの授業で体育の成績順でチームを振り分けてのリーグ戦。
実技は並以下の成績だったが筆記は満点だった俺はあろうことかFグループのリーダーに選ばれる(A→Fの成績順、つまり一番雑魚チーム)
チームの振り分け方にも納得いかなかったが戦績が内申点にも響くので俺としては必死でやるしかなかった。
でいざ試合が始まると初戦第二戦と大惨敗。敵味方含めハンドボールが何たるかをほぼ全員が分かってなかったので運動神経の良いヤツが無双する純粋なフィジカル勝負に
持ち込まれていたのが敗因だった。当時内申点ジャンキーだった俺はなかば絶望しかけたが、当時宮崎大輔フィーバーもありテレビでハンドボール中継をやっていたので参考までに見てみることにした。
そこで俺は一つの気づきを得た。授業では誰も彼もよく分からないままマンツーマンでディフェンスしていたけどテレビで見た実業団の試合ではゾーンディフェンス(自陣ゴールを味方全員で囲んで守る)しかやってなかった。
で、試しに次の授業でFチームの皆を説明して守りはゴール前でシュートの妨害に全員で徹するようにしたところ、余裕で勝つことができた。
ゾーンディフェンスは完璧にはまった。ゴールを囲んで相手シュートを妨害するだけだから運動神経関係なく『全員』で効果的なディフェンスをすることができたのが大きな勝因だった。
痺れを切らしてキーパーまで攻撃に上がってきた相手チームのボールをゾーンディフェンスで奪いとって自陣から超ロングシュートで決勝点取ったときのFチームの一体感は10年以上たった今でも思い出せる。
結局ゾーンティフェンス戦法は他の全チームにも真似されてリーグ戦通しての戦績は6チーム中4位くらいで内申点的には残念だったが、俺は自分の工夫でチームが勝てたこととゾーンディフェンス戦法を他
の全チームに真似させたことが嬉しくてたまらなかった。教師の指導不足とハンドボール経験者いなかったからこそできた結果だが、就活でこの話そのまま話して内定取れた会社もあったし正に成功体験。
自由研究だってチームで取り組んだ方が良いし、今のプログラミングの授業がどうなってるのか知らないけどチームで学びながらプログラミングする方が良い
社会だって数字やランキングを覚えるよりチームでのディベート形式にした方が良いと思う
実際社会に出るとチームで働くことが前提になるのに、何故か球技くらいしかチームでやることがないんだよな
https://anond.hatelabo.jp/20220522134825
小学校で特にルールの説明もなにもなく、チーム組んで野球やりなさいという体育教師からの指示。
野球に興味のない当時の俺にとって「ボール投げて、バットでボール打って、打てたら塁に進んで、一周したら点とれる」くらいの知識しかないので(今でも大して変わらない)、
打ったボールが野手にキャッチされるとアウトになるなんて知らず(知ってる人からすれば「常識」なんだろうけど、野球自体に興味ない小学生なんだから知らねえよ!)
先に運よくヒットを打って塁にいた俺は次のバッターが打ったのを見て走り、野手にダイレクトキャッチされたので戻らないといけない(んだよね?今でもよくわからん)ところ、そのまま次の塁まで走り、なぜか野手が1塁にボール投げたあと2塁に投げてこないのでそのまま次の塁に走り続け(それができるのは知ってた)、ベースまで走り得意げにランニングホームランを果たしたのだった。
仲間からの称賛を期待して皆のいるところを見た俺に向けられてたのは、怒りと呆れの混じった表情と「○○、何やってんだ!」という罵声であった。
その後、相手も小学生なので「なんでアウトになったのに1塁に戻らず進んでるんだよ!~~~なんだよ!」とよくわからない説明を早口で言われ、何かいけないことをやってしまったのはわかったが何がだめなのかは理解できないままで、その後も「何か野球には俺の知らないルールがいろいろあるようだ」とビクビク戸惑って、塁に出ないようにあえて空振りして終わらせたのだった。
なんで体育の球技、座学の説明なしでいきなりやらせるんだろうね。
みな俺と同じレベルの幼稚園児なみの知識なら「打って、走って」だけで楽しめただろうけど、俺みたいな興味無し子供と、少年野球やってて知識はプロ同等にある子供が一緒にやって成り立つわけねーじゃん。
あれから高校に至るまで、根本的な球技センスのなさ(運痴)もありずーっと体育の授業の集団競技が嫌で嫌で苦しんできた。体を動かすの自体は嫌いでなかったのでマラソンや短距離走なら「今日の体育は当たりだ」と嬉しかったが、中高では体育全体が嫌いになってきた。
高校卒業して大学に入って一番うれしかったのが「もう体育の授業がない!」だったし、就職するとき一番心配だったのが「職場対抗○○大会がないか心配だなぁ」だったくらいだ。
学校の体育の授業がなければこれほど運動嫌いにならず、今もっと体を動かしてただろうなぁと思う。
体育嫌いのきっかけになった小学校の野球の一件は40歳になった今でも人生10本指に入る嫌な思い出として残ってて、ホームベースの俺に向けられた友達たちの怒りと呆れの混じった表情はいまでも焼き付いてる。
今の体育の授業は改善されてるんだろうか?
個人的には
「【いわゆる体育】自体要らない」
です
体を動かすことを身に付ける為と言うのなら、もっと持続可能な運動を「選ばせて欲しい」
「自分のペースで走る・歩く・泳ぐ」
「球技等を楽しむ」
「ペタンク」
「カバディ」
「サップ」
「パルクール」
逆さになるのが恐ろしいのに床運動とか無理にさせないで欲しい。出来ない子は一生逆さにならないので、意味の無い授業です
やりたい奴がやりたいことをやって続けていくことにこそ「運動」の意味があると思います
運動と言うのは、学生時代だけやっとけばいいってものでは無いと思います
生涯に渡って続けられる、楽しめるものでないといけません
なのに、学校に上がると「出来ない」「下手」「つらい」そんなものばかり押し付けられます
でも、出来ない子にとっては単なる「汚点」になります
出来る様に努力すれば成功体験になる…なんて寝ぼけたことを言わないで欲しい
出来ないものは出来ないのです
だからこそ、「本人に合ったサステナブルな運動」をさせるような授業にしていくべきだと思うのです
けれど、「お前これ出来ないから減点な」「はい、駄目」なんて授業はする必要が無いのです
そういった考え方で授業を組み立てて欲しいものです
以上です
大人になってそういう場になって、経験ゼロだと遊びで参加することもできないから、その下地というか
まあ運動音痴の自分は球技の授業は周囲の足を引っ張り楽しむどころではなく、学生時代の部活も球技系運動部は入らなかったし、社会人になってからも一切縁が無いが
極論したら若者を兵隊に取る準備が体育の授業なわけだから、体力をつけて集団行動を身につける入り口に球技が穏当だろうってだけでしょ。
専門的にやりたいって人は自衛官になったりするわけで、音楽や古典ほどみんなの人生を豊かなものにせずともお国のためにはなってるんじゃないの。
ボールを投げるや蹴るなどボールを扱う動きを体に一時的に覚えさせることでそういう効果を狙ってるのかもね
自転車は乗り方を忘れないみたいに言うしね それに近いことを狙ってるんやない
いや実際子供の頃、運動やってなかった奴がなんかのきっかけで大人になって
隠れた障碍のある児童を早期にあぶり出して福祉につなげることができる。
運動協調障碍を持つ児童は、複雑な身体運動と他者との連携が必要とされる球技が特に不得手であり、障碍が発覚しやすいとされる。
それを確認して殺処分でもしてくれるなら球技がカリキュラムに入ることに意味があると言えるが、楽しめるやつは楽しめるというだけだと意味がないことへの反論にはなってないな
体育の授業に球技が不要という人たちが便利に暮らせている裏では体育の授業の球技が……役に立ってねえな。
本当にゴミじゃん。
サッカーや野球で世界的に活躍する連中は体育の授業でやってるからじゃなくて幼少期から勝手にクラブに行ってやってるもんな……。
ああいう場で触れるからこそ凄い選手のムーブに対して感動する所はあるなんて言っても結局元野球部補欠のオッサンが当時の自分よりは遥かに凄い人に対してケチつけてるわけだから体育の授業程度じゃ無価値じゃん。
待ってくれ学校のギチギチカリキュラムに本当のゴミが入っているはずがないもっとよく考えろ。
たとえば音楽の授業や古典の授業は入り口としての役目を果たしていて彼処から入らないと敷居が高くて一生触れない文化がありそうだがサッカーなんてテレビでやってるから簡単に入れるよな。
おい待て考えるほどに状況が悪化するぞ。
そもそも知らない人が入るといっても大抵の球技はいきなりボール渡されてチーム分けして勝手にやれでストライクゾーンやオフサイドの管理は詳しい奴が独断と偏見で決めてくるから割りとバラバラで教師もよく分からんから経験者任せの無法地帯。
待て待て教育効果が一切期待できないゴミみたいな感じになってきたぞ本当に。
誰か教えてくれ。
なぜなら、背の高い人はゴールに祭り上げられるか、ディフェンス専用のガードマンを強制されるからだ。
そして私は身長が高かったためにゴールマンを強制的にやらされた。
元々、運動神経は鈍くもなく、なんの競技をやってもゴールを守るポジションだった。
だがそれは自らが望んでやっていたことだったのだが、ことポートボールに対してだけはオフェンスに居たかったのにいつも私の意見は受け入れられなかった。
背の高さの割にバランスが出来ているせいか、無茶なシュートもキャッチしてしまうので、もはやこちらの意見などは聞いてもらえない。
授業中に拒否したら、どちらのチームも私を受け入れてくれなかった。
数の暴力がそこにあった。
このポートボールという球技、今は授業に使われることも少なったので知っている人が減ってきているそうだ。
むしろこのような球技は一方的な判断でゴールマンやガードマンを押し付けられるだけで無くなっても良いと思っている。
私は…こんな球技は嫌いなんだ…。