はてなキーワード: 球技とは
超手短に言うぜ。
義務教育の程度が低すぎて基礎教育を終えるのに12年もかかってることに対して最も手際よく出来ないのかをちゃんと考えろってこと。
端的にいやあ、小卒の段階で社会人として十分な能力、中卒の段階で頭脳労働者として十分な能力、高卒の段階で専門労働者として十分な能力を与え、大学に行くのは研究者だけという状態にしろ。
ていうか本来はそういう風に回すはずだったものを、無能が汚職と自己満足の繰り返しに胡座をかいた結果、高校卒業しても微分積分が分かってないやつが半分ぐらいの地獄になってる。
とりあえず、書道・図工・音楽・工作はなくして、総合的学習や英語といった高等教育ごっこも削除、体育の授業も身体の動かし方のトレーニングをメインとし球技などは完全になくす。
各科目の中にある形だけのごっこ遊びも減らし、作者の気持ちよみや単なるパズルの因数分解もなくす。
理科は無駄な部分を減らし、たとえば炎色反応の実験をするのに原子の構造も光の波長と色の関係を理解してないといった状態は完全に無駄なのでそういったものは削る。
社会科では思想的な教育は減らしていき、たとえばWW1・WW2に対して過剰にフォーカスを当てた敗戦史観的な教育は時間の無駄なのでやらない。
俺と7つ離れてる俺の姉、のんびりや。
俺が小さい時はよくわかんなかったけど、大きくなるにつれ、姉がボケボケなことをわかってきた。変なとこだけ書き出すと、グレーゾーンだと思うかもしれないが至って普通な人間だ。
理数系は得意なのに文系はダメダメ、三者面談で担任に日本語が苦手ですね、と言われた始末。(別に悪口ではない)
体育はもはやできない、特に球技が下手すぎてチームプレー系の時はボールが来ない。ボールが来そうになると他の人がすっ飛んで来る。一回バレーボールでたまたまレシーブになってしまった時に腕を上に振り回しながらジャンプして腹から床に落ちる、というイルカもビックリな動きをしたらしい。ちなみにボールは取れてない、怪我しなくて良かったな、姉。(姉の友人談)
姉、めっちゃ食う。
学生の時でも3合近く食ってた、社会人になって食べる量減っちゃった…とか言いながら2合食う。太ってはないけど痩せてもない姉、このクッキーうま!とか言いながらせんべいと交互に食う。さっきおでん山ほど食ってただろ。そんな姉に祖父がしょっちゅう仕事終わりにお菓子を買ってくる。
姉、聞き間違いが多い。
母が、明日のご飯なにが良い?と聞いた時に、草津、と返した。草津?こいつ、明日温泉行くけど良い?とかに聞き間違えやがったな。ていうか、草津に気軽に行ける距離じゃねえだろ。
また別の日、スーパーで姉の好きなアニメのお菓子が売ってたから◯◯◯あるよ、と言うと、さわやかマンション?と聞き返された。何をどう聞いたんだよ、さわやかマンションってなんだよ。
姉、急にハマる。
某GOが流行った時、仕事終わりの姉と公園まで散歩した時があった、GOそっちのけでブランコ漕ぎまくってなにもつかまえずに帰宅。結局その日は家で出たいもむしつかまえて終わった。
一時期折り紙にどハマり、永遠に鶴とかなんか難しいの折り続けてた。玄関や廊下に姉の折った動物が立ち並んでいたのを見た時は、ここは姉の王国か?と思った。
その折り紙達は最後一匹ずつさよならの挨拶をしてお焚き上げしてもらった。祖母がそれを見ながらみんな帰るのね、と泣いてた、どこに帰るんだよ…。(祖母もど天然)
姉、父に似てる。
姉のど天然は父譲りだと思っている。そしてそれは祖母譲り。
父も聞き間違いが多い、この前父の好きな球団の話を振ったら牛丼屋の話だと思われていた。牛丼屋は勝ち越し数の貯金しないだろ。
この前ふたりでリングフィットアドベンチャーをしてた、それふたりでやるやつじゃないんだけど。リング両手で挟むやつなんか父がヘルプ出してふたりで押し合ってズルしてた。
スーパーや出かけた先でまだ小さい俺と一緒に手を繋いでくれた姉。
お菓子の大きい方をくれない姉。
俺のためにいつもお土産を買ってきてくれる姉。
姉が初めて私の恋人ですよ、と連れて来た時はびっくりしたけど、しっかり姉をサポートしてくれそうな人で安心した。もう俺がいなくてもいいんだって思うと寂しかったけど、母や父と話す彼氏の横で永遠にクッキーとせんべい食ってる姉見てたら冷静になったよ。それ彼氏のために用意してあるんだよ。
そんな姉、結婚おめでとう。
歳の離れた俺が就職するまで結婚しないって決めててくれてありがとう、付き合ってると聞いてからずっと結婚しないから、今時はそういう選択もありだよなって思ってた。でもこの前、母親からその話と、小さい頃寂しい早く帰って来て遊んでと姉について回る俺のために姉がいつも学校や友達と遊びに行った時も早めに帰宅してくれてたことを聞かされた。姉が卒業旅行に行く日、拗ねて泣く俺を抱きしめてくれたことを思い出した。姉が実家から通える大学を選んだのはお金のこともあるだろうけど、俺がいたからなんだってわかったよ。
姉、結婚おめでとう、本当におめでとう。
幸せになれよ、旦那さんに迷惑かけるなよ、もう自分のために時間を使えよ。俺のことは気にするな、俺はもう二十歳も超えて寂しいなんか言わないから。
姉、今までありがとう。
姉、食べ過ぎるなよ。
姉、結婚おめでとう。
どっちにも言わせてもらう。
お前らが何を言っているのかというと、俺はサッカーが好きだけど、野球のルールが気に食わないっていうのと一緒だ。
野球とサッカーが同じ球技だというなら、マラソンと柔道を比べたっていい。
サッカーが得意なら野球が得意なわけがなく、マラソンが得意なら柔道が得意なわけではない。
サッカー選手が野球のバットやグローブを批判し始めたらどう思う?
アホだろ。
俺はサッカーが好きだ。野球は時代遅れだって言い始めたらどう思う?
アホだろ?
サッカーはボールがあればできるけど、野球はグローブとバットを用意しなくてはならなにからオワコンだって言われたらどう思う?
アホだろーがよ。
それぞれのスポーツを好きな人間が、それぞれのスポーツを楽しんでいるんだよ。
それだけのことなんだよ。
ゲームも一緒。
お前はお前の好きなゲームをやれよ。
じゃあお前は野球のボールがバットに当たらないからドッジボールで野球をするべきだって思うのか?
スポーツならそれがどれだけアホなことか理解できるのに、なんでゲームだと許されると思うんだよ。
だけど、お前が心配しなくてもスト5はシーズン5まで展開されるくらい盛り上がっているし、企業もアホじゃないから市場のスケールに合わせて利益だってしっかりと出している。
お前がたまたま勝てなくてつまらないって思っただけで、初心者代表みたいな顔をして格ゲー全体を批判するな。
初心者問題については企業だってとっくの昔に取り組んできているし、その難しさを痛感しているから既存ファンの離脱を止める方向に力を注いでいるだけだ。
ゲーム全体、いうなればレジャー全体が、どんどんと細分化していっていて、昔みたいに誰もが同じゲームを遊ぶなんて時代が終わっただけの話だ。
それを一つのジャンルだけ抜き出して、参加人口が減っている部分だけ指摘してもなんの意味もない。
「世の中にはいろいろなゲームがあるんだね。試してみたけど格ゲーは自分には合わなかったよ。」
それ以上でも以下でのない話を、わざわざジャンルの衰退とか大げさな話を持ち出してまで自分を正当化する必要があったのか?
だって、ゴルフはあんな小さいボールを穴に入れるだけで難しすぎるから穴をもっと大きくすべきだ!みたいなことをめちゃくちゃ真顔をで言っちゃってるんだよ。
これが恥ずかしくなくて何が恥ずかしいんだよ。
いいから落ち着いて、お前の大好きなゲームジャンルがこれ以上衰退しないように、お前の大好きなゲームジャンルにだけお金を落とす努力をしろ。
そういう、誰よりも楽しそうにゲームをプレイするファンの姿だけが、新しいファンをそのゲームに取り込むことのできる唯一の手段だ。
間違っても自分には合わなかっただけのゲームを、劣っているとか遅れているとか理由をでっち上げて批判するべきではない。
それはお前に合わなかっただけで、それが大好きでたまらない人間が、その市場を支えるくらいにはいるんだと事実を忘れてはならない。
メーカーはその人達を一人も減らさない努力を続けているし、その人達がいなくなることが、ジャンルの滅亡だということも重々に理解している。
ヒプマイを見ようと思ったけど無理過ぎたので1話切りして「体操ザムライ」というのを見る。
これは見れそう。
リアルのスポーツ(競技)に全く興味は無いが、アニメで見ると面白い。
なんでリアルは見る気にならんのだろう。スポーツのニュースを見るのすら鬱陶しい。
運動なんて一人でその辺とぼとぼ走ったり家で自重筋トレしたりチャリ漕いだり踏み台昇降上り下りしたりで十分だ。
競う必要性を全く感じないし、人に教わったりするのも嫌
(大抵教えるの下手だから巧く出来なくて、その運動に対してマイナスイメージが付いてしまう。というか「出来ない」ことが人生に於ける瑕疵となる)
体育なんてもんは「生涯体を柔軟に動かし続ける習慣を付けさせる(それも自分が出来る範囲で。強制的に1.5km走らせるとか無し!)」でいいと思うんだわ。
球技?遊びとしてならやってもいいわ。水泳?溺れない程度に好きな泳法で適当にやってくれ。100mとか泳がすな。ましてやタイムとか測るなクソが。
鉄棒?床運動?跳び箱?平均台?馬鹿じゃねーか。怪我したらどうしてくれるんだ。そんな運動が必要な場面がねえよ。バランス感覚ってんなら体幹でも鍛えた方がマシ。
兎に角そんなもんを無理強いするんじゃあねえよ。
やりたい奴だけやればいい。そしてこちらはその競い合いを見ることはない。
やはり、ハイパーレクシアという概念は存在して、そう認識する親もいるのだな、と思った。
うちの子もハイパーレクシアなのだと思う。文字に吸い込まれてしまう(文字通り、笑)。
学校の勉強が無意味である、という方向付けは避けたいが、同時に「テストで高い点を取れ、or 高い方が良い」とは言いたくない。
普段の暮らしに必要な実行力を養い、可能な限りでの対人能力を(自信と共に)トレーニングできる機会を用意できれば、学習面は自分ができるところまでできるし、できるところまでが本人の適度なレベルなのだろうと。
微細動作、連係の動作が苦手なので、球技は困難。でもそんなに嫌いでもないのだと思う。まだまだ他者の目線が育ってないので、上手にできなくて恥ということがないのかもしれない。でも、そういう連係動作の運動も自分なりに頑張って、目標を達成したりしているので、本当にたいした奴だなと思ってみている。ルービックキューブを1分で解けたときより、二重跳びが1回できたときの方が「よく頑張った!」って思った。
>先生におこられたらオレが先生説得するからちゃんと学校でなにがあったかだけはおぼえておいて親にいえ。
これは素晴らしい。
親を信頼してもらえることが大事なんだな。
子どもの先延ばしへの対処に「取引」を持ち出してしまうことはある。もうすでに、「その取引にはのらないから、これもやらない」という選択肢が見えてしまっているので、この方法はよくないのだなと薄々思っていた。難しい。
答え:感覚でやってみたらそれなりに出来た人間が体育指導をやっているから
つまり、自分のやっていることを正確に言語化出来てないから、言葉として伝えなければならない指導ができない。
例えばだけど「どうやったらクリボーを正確に踏めるんですか?」とゲーム慣れしている人が聞かれたとして、自分がどうやってクリボーを踏んでいるのか言語化できる人は少ないはず。
それと同じように、どうやったら野球ボールを捕球できるんですかと聞かれても、言語化することがうまく出来ない。
そうなったとき、人が頼るのは「昔から何となく言われている通説」みたいな指導になってしまう。
「ボールを良く見て捕る」「クリボーの位置をよく見てジャンプする」
実際はボールを良く見たり、クリボーをよく見たところで、できない人間ができるようになることはない。あれはタイミングの逆算と人体の連動なので、ただ見るだけではまったくもって意味はない。
それどころか見ることにリソースが集中するので、動きがよりぎこちなくなり下手になってしまう。体育の授業で「ボールを良く見ろ!」と怒声に近い声を浴びせられて、よりひどい動きになってしまうあれ。
さらに言えばボールを良く見て捕るのは悪手で、野球にしろサッカーにしろバスケットにしろ球技全般は他プレイヤーの動きを把握する必要があるので、良く見ないで捕ることが最終目的地点なのに、良く見るという悪癖がついてさらにプレー全般が下手になっていく。マリオも同じ話でクリボーをよく見て踏んづけたところで、周りの状況が見えてなかったら他の敵に被弾して終わり。
運動ができるやつ、ゲームができるやつ。そういう人たちは感覚的にこれらのことが出来ている場合が多く、感覚的に出来たことは誰かに教える場面になるとか、真剣に自分の実力を磨かないと上に行けないと思ったときでなければ、言語化しようという機会がない。
だから、いざ教える側に立ったとき、とりあえず先人たちが行っていたクソ指導をすることになる。
このクソ指導採用の強いところは、責任をあまり負う必要がないということ。
自分の経験や最先端の指導方法をベースにしたことで誰かを指導したとき、失敗したならその責任はすべて自分に降り掛かってくることになるけれど、通説を採用したのであれば責任は自分だけでなくその通説自体にも分散する。
だから教育という責任のある立場についた人間は、不安や保身から通説を採用する。それに効果が本当にあるのかわからなくても、とりあえず野球選手に走り込みをさせて、本当に必要な筋肉量を減らすという暴挙に出る。
Youtubeを通じてメジャーリーガーが教育動画を作成したり、プロゲーマーが勝つための方法を言語化してくれたり、情報の高速道路は日々進化しているけれど、今指導者の立場にいる体育分野の人間は、まだまだ機械に弱いし新しいことに対しての抵抗感も持っている。
これからも自動的に小学校に行って、中学校に行って、高校に行って…。大学で古臭い教科書から学んだ体育理論をベースに指導する体育教師に、これまた古臭い体育の授業を受けさせられて、運動嫌いの生活習慣病患者予備軍が生産されると思うととても物悲しいものがある。
リングフィットアドベンチャーが示したけど、運動は楽しく提供されれば楽しいし、クソみたいなやり方をさせられたら反吐が出るほどつまらない。その上指導者や運動への憎悪すら抱くことになる。
とりあえず声を張り上げて5文字ぐらいのワードを叫んで指導した気になってるやつらが明日から川崎宗則みたいに合理的かつ楽しい指導方法を採用できるような脳みそになってくれないかなと思う。