はてなキーワード: 無趣味とは
道具を揃えるのに比較的お金が必要で、物が残るもので、経験になるもの。
そうすると、サンドに突っ込む1000円の重みが突然変わるから。
今まで気軽に使えていた1万円が、趣味のためにものを買うときは比べ物にならないくらい重いものになる。
1万円払って思っていたものと違う道具を買ってしまった時の後悔は、パチスロのそれとは比べ物にならない。
そういう趣味に出会えると、今までなんであんなに気軽にサンドにお金を入れられたのか不思議でしょうがなくなるから。
そういう趣味は仕事に役立つし、新しい人間関係も作ってくれる。つまり人生に役立つ場合がほとんど。
今で言うと、カメラ、自転車、ゴルフ、バイク、本格的なランニング、サバゲー、ボルタリング、読書(活字がコスパよし)。これからはesportsなんてのも投資のしがいがあるんじゃないかな。
逆にダメなのはソシャゲー、風俗、ギャンブル全般、短期証部の株・FX、グルメ食べあるき、ブランド品買い集め、グッズ収集とか。
これらは比較的お金でアドレナリンを買っているだけなもので、投資というよりは浪費になりやすいから。
ブログで収益とか、本当に周囲に認められるほど突き抜けられるなら別だけど。
パチンコやパチスロに行ってしまう一番の理由は、使う目的のない時間とお金がそこにあること。
それがある以上お店に足を運んでしまうし、逆を返すとそこでお金と時間を使わせることで他の趣味に興味を持てない状況に貶めようという狙いがある。
ついでに言うと、ソシャゲーが間髪をいれずに色々なイベントを送り込んでくるのもそれ。
常に頭の上位に行動の選択肢として入り続けることで、別の趣味に逃がさないようにしている。
大体ギャンブルにのめり込む人間の大半は、劣等感が強くて無趣味で真面目だけど退屈な人生を送ってきた人。
そういう人が刺激を求めて足を突っ込んで、数時間で5千枚とか手にしてやめられなくなる。
未だかつて誰も満たしてくれなかった自己重要感(=1日で10万円相当を稼げる能力)が、こんなにも簡単に手に入ってしまうだもの。
だったら貯金箱にひたすらお金を入れ続けて10万溜まった時に開けたほうがよっぽど損はないはずなんだけど、それはあくまで自分のお金であって、ギャンブルの面白いところは相手から奪った感覚が気持ちいいっていうところにあるんだよね。
自分で頑張って10万円貯めた。より、パチンコ店(で負けた誰か)から10万円相当を勝ち取った。のほうが数倍もきもちいということ。
現実社会では大した結果を出せない人間が、人よりちょっとお金をつかうだけでトップランカーになれちゃう。人を見下す気持ちよさを覚えてしまう。
でも、これこそがのめり込みを止めるのが難しい原因。
だっていくら業界に圧力をかけたって、のめり込む原因はその人の積み重ねてきた人生の中に埋もれてて、さらにそれが人によってすべて異なるんだもの。
話は戻るけど、大抵パチスロをやめられない人に共通するのは趣味がない、趣味が持てない人。
他人と比較されることを劣等感が許さなくて趣味を始められない人も多いと思うので、まずは一人でコツコツとはじめられる趣味がいいと思います。
そうして人生がちょっとずつ充実(金銭的という意味ではなく)してくれば、自然とやめられるし、やめなくてもうまく付き合えるようになるんじゃないかな。
つまりは、パチンコもソシャゲーもある意味ではアドレナリンをブーストしてくれる麻薬と同じと言っていいよね。
そういうユーザーに頼る営業が健全であるわけがないのだから、人生が豊かになる生き方と寄り添えるような業界になっていかないと本当に滅びてしまうと思います。
以上、中の人でした。
実はラッキーが重なって3億円くらい持っている。そしてまだ30代で子供もいない。
同じ境遇になったら、会社を辞めて何か面白い事始めたり、完全に気を抜いてだらだら旅をしたり、そういう生活にチャレンジする人もたくさんいるんだろうし、客観的に見て恵まれた状況だとは思う。でも、そういう事をする気はない。なぜならそれが面白そうだと感じないから。
仕事が好きなわけじゃない。単なるサラリーマンだし。成り上がる!とか自己成長!とかそういう熱意を持ってるわけじゃない。社会人1年目とかは持ってたかもしれないけど忘れた。でもとりあえず仕事を辞める気はない。辞めたいかどうかで言ったら辞めてダラダラ家でニートしてたい。けど今まで通り働く。
なぜなら、それをやったら頭が停止して人間が腐って死んだも同然になってしまう気がするから。
貴重な30代の時間が少しずつ減っていくのはなんとなくイヤだし、仕事にばかり時間をかけてプライベートな楽しさを見出してないのは、年を取ってから後悔しそうな気はする。資金も、若さも、健康もあったのに、なぜあの時にこれをやっておかなかった?人生は一度きりだとわかってるのか?と。
とりあえず今の仕事は勤務時間が長い。休日も少ない。子供はまだいないけど、子育てするには向いていない会社だと思う。子供が出来たらもっと勤務時間が短いところに転職するかもしれない。そのころは早くても30後半だけど。
金はあるんだからもっと適当な働き方ができるところに今すぐ転職する手ももちろんあるけど、それをしない。
なぜなら面倒くさいからだ。今の会社で10年くらいで作ったポジションを放棄してまたゼロから作り直すのが面倒くさい。だったら今のまま、それなりにやる気を出して、わりと成果を上げて、会社業績を上げるゲームをしていたほうがなんぼか人生が面白い気がする。
仕事が好きなわけではない。やりたいことがないので、消去法で仕事してる感じ。もっとリア充的な趣味がたくさんあったら、仕事を辞めて旅行だスポーツだと充実した時間を過ごせたのかもしれない。旅行もスポーツも特段好きではない。通勤中にkindleで漫画読んで、帰宅したら犬と遊んで料理して晩酌して、休日はゲームに出かけたり、近所にうまいものでも食いに行ったり、たまに特に行きたくはないところに連れ出されて半強制的に見分を広めさせられたりするくらいで、まあ十分だ。仕事辞めたら毎日酒飲んでゲームして寝るだけの社会のゴミみたいな生活を数十年送る事になる。自分の性格ならそうなると確信する。でもそんな何もなしてない人生、年を取ってからの後悔はより深そうな気がする。
結局、それなりの充実感を得るために新しい事・不向きな事を開拓してまでってのが面倒だから現状維持を選んで仕事続けてるだけで、なんでお金あるのに働いてんの?の回答は無趣味で面倒くさがりだからですってことなんだよね。でもそれならせっかくだから、仕事もう少しちゃんと力入れて成果出したほうが充実感を得るって目的に適ってるのかな。さて、明日も仕事すっかな。
結果だけを10つ列挙する。
1. 親との関係悪化した。どうやらネガティブなのは親子関係を安定させる何かだったらしい。母は世話焼きタイプ。
2. 交友関係が劇的に変わった。周囲にポジ脳というか、ちょい意識高い系ばっかりになった。やや疲れるが別に嫌じゃない。
3. 会社でスピード出世した。「無理です」と言わなくなったので、自動的に困難なルートばかり歩むようになったので。
4. 人脈が広がった。飲みの誘いやイベントへの出席を断らないので、結果的にコネが増えた。
5. 無趣味になった。前はTVゲームが趣味だったが、仕事が忙しく休日も人付き合いで潰れるので趣味に時間がなくなる。
6. 鬱病が寛解した。高校時代から鬱っぽかったが、ネガティブ自己暗示をやめて行動力が増えた結果か。
7. 彼女と別れた。相手もメンヘラで(所謂)共依存関係だったが、俺のポジ転向で関係悪化→お別れに。
8. モテなくなった。今までは病み系の女子とばかり仲良くしてたせいか、ポジ界隈に多いキラキラ系女子からは距離を置かれる感じ。
9. 悩まなくなった。忙しくて悩むヒマがない&人付き合いに耽溺しているので寂しさを感じにくい。
10. 不安が消えた。コネが増えて仕事も順調、メンタルも改善したので、将来が前向きに考えられるようになった。
結論として言えば、現状には満足しているが、良い事ばかりではない。
人生前半の経験の蓄積が通用しなくなった分、生まれつきポジ脳の連中と比べると中途半端な感じなんだろう。直感的に見抜かれるみたいだ。
結局のところ、変化の結果は割りとどうでも良くて、結構人生って意識がけ次第で色々と変わるんだな、という方が良い経験になった。
友達ほしい。
2週間くらいまともに会話してない。
声が表に出て行かないというかボリューム調整機能もおかしくなってる。
「袋いりますか?」
「はい」
これ。
外出ろよと思うかもしれないけど、出てもすることがないんだよ。
外出しても結局一人じゃねえか。無駄に金使っちまうし。
それなら家にいたほうがよい、となってしまう。
会社仲間は?って思うかもしれないけど、俺は社内で唯一のエンジニアで案件も上から降ってくるから基本的には交渉事とか会話もない。
10時出社で19時退社。納期も別に無理はないし給料もまずまず。
でも贅沢なのかもしれんが、一緒の話題で会話できる人間がもっと居たらなと思う。
人間は会話しないと生きていけない生き物だよ。
会話して返答があるごとに自分の存在を確認しながら生きてるんだな、たぶん。
コンビニ弁当にはもう飽きたよ。
まあ、ここに書いてもどうにもならないんだけどさ。
昔の趣味がフィギュア収集で、結構愛着があるので未だに捨てていなくて普通に飾ってるんだけど、さっき見たらクモの巣が張ってた。
ttp://www.amazon.co.jp/dp/B00C2N0S9Q/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_1?pf_rd_p=187205609&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B00IM89UVC&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=1P6HX1ET5ER3AY88WG5T
これのツインテールの部分。新しいフィギュアが出るたびに学生ながらも頑張ってお金を貯めて買って、ニヤニヤしながら眺めていた過去を思い出した。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160423184004
本めっちゃ読んでて素直に凄いと思った。自分もこの方程では全然ないが読書が趣味だ。だから履歴書に趣味読書と書き辛くてもやもやする気持ちは凄い分かる。「趣味読書=無趣味な人がとりあえず空欄を埋めるために書くもの」ってイメージがついちゃってるのがなぁ。
履歴書の趣味欄って「その趣味から何を得たか」とか知るためのものなんだろう。だから沢山読んでる人なら読んだ冊数言って、本の内容から「何を学んだか、そしてそれが社会においてどう役に立つか」とか言えれば立派な自己アッピルになるのかもしれない?
ゼミの教授が「文学研究で得た分析力とか物事を様々な角度から考察する力は社会に出ても役に立つ」って言ってた。つまり読書は、ちゃんと本を読んで何かを得ている人なら立派な趣味として成立するのだ。だからそんなマイナスイメージで見ないでくれなんだぜ
「読書」は無趣味な人が履歴書の趣味欄に書くものの代表その1のように扱われる。読書が趣味はそんなにダメか。
就活をする上で、趣味欄に読書と書くなと何度も就職課の人間に言われた。
改めて自分の生活を振り返ってみるが、完全に読書が生活の主軸になっているように思う。
本屋でアルバイトをしているし、そのバイト代のほとんどを本屋に還元している。大学の図書館の蔵書もかなりの数を読んだ。
古い本より最近の本のほうが肌にあうので古本屋にはほとんど行かないが、絶版本が読みたくて足を運んだことも少なからずある。
蒐集癖はないので読んだそばから売っている。もういちど読みたくなったら、新しく買いなおすか図書館で借りるかする。
どのくらい読んだかを競うゲームではないので自分がどのくらいの本を読んだのか正確にはわからないが、同年代ではトップクラスじゃないかと思う。
金銭の多寡だけが偉さを決める数値ではないと思うが、趣味にこれだけのお金をつぎ込む人もそう多くはないだろう。
ところが面接に行くとまず鼻で笑われる。本を読むしかすることがないのかとバカにされる。たくさん読むことがエラいわけじゃないんだよと諭される。
ここで冷静に、「いえ、そうではないんです、私は本当に本を読むことが好きで、、、」と、上述のようなことを説明したとしても、
「趣味は読書」にマイナスのバイアスがかかっているせいか、きちんと聞いてくれる人事の人間はあまり多くない。
(ちゃんと聞いてくれたわずかばかりの面接官の方、ありがとうございます)
俺の略歴。
小中高といじめられっ子として華々しく成長
(買った直後の震災のおかげでいい感じに儲かり始める)
→不動産運用で固定収入が入り始める→精神的につらくて株やめる
て気づいて株やめた(資産としては持ってるけど)。
何度も金の無心してくるので「これ結婚詐欺じゃないか?」と気づいて
同郷出身でルックス的にはいい女だったけど、むだに金がかかった。はぁ。
数日に1度くらい「どこどこ物件買いませんか?」
セミリタイアってカッコつけたけど、要は年金生活者みたいなもん。
時間はたくさんあるけど、そんなに贅沢できない。
服はユニクロ。車もダイハツ。あ、車ないと生活しにくい地域に住んでるよ。
大きな買い物は地元に住む親に家買ってやった(中古だけど)くらい。
お水の女は怖くてもう近づきたくないし、風俗嬢と割りきった遊びしかない。
(ああ、某店のNちゃんいい子だけど深入りはしたくない)
まともな友人の作り方、まともな恋人の作り方、知らずに生きてきてしまった。
金の「真」の価値ってさ、人との結びつきを強めるところにあると思うんだわ。
自分には妹がいる。もう20年くらい没交渉だ。子供の頃からである。
妹は、自分から見ると、趣味らしきものが、ない人間だった。別段、それは全く悪くない。
彼女は自分より社交的な人間で(とはいっても、高校くらいまでしか知らないのだが)、友人がたくさんいたし、家に連れてきたり、泊まりに行ったりも自分よりもずっと多かった。
テレビが大好きだったし流行の音楽も抑えてたし友達とはカラオケに行ったり遠出したりとしていたようだ。とにかく、彼女は、彼女なりに楽しくやっていたようだ。おしゃれもしてたし、彼氏もかなりの数いたように記憶している。だから一般的にはリア充に分類されるし、「無趣味』とは言われない人間なのだ。
というのも彼女は、こちらの視点からすると、大事な何かが、ほとんど一切なかったからだ。
彼女は彼女の持っているものすべてを消費していたので、例えば手持ちの漫画でも、CDでも、服でも、アクセサリーでも、なくなっても困らなかった。正確に言うと、なくなればなくなったで困るのだが、それは金銭的な意味であって「買い直せば」全く困らなかった。彼女は「買い直せ無いもの」をほぼ全く持っていなかったし、そんなものに興味はなかった。
実を言えば母も似たタイプの人間だった。なので、彼女たちが何かのミスで、相手の持ち物を残ってしまった時、謝罪して、いくばくかの金銭を渡せば解決すると思ってたし、事実そうしていた。
むしろ、その解決手法は、新しい漫画や新しい服が手に入ることを喜んでいる節があった。
一方で自分はインドアな人間で、小さい頃から絵を書いたり、細工物を作ったりするのが趣味だった。自分にとっては、趣味のものというのは換金できないものであって、道具と製作途中と制作作品に囲まれているのが当然だった。
まだ中学生の頃、自分と妹は喧嘩をした。理由は覚えていないので、おそらく些細な事だと思う。
しかしその喧嘩は長引き、エスカレートした結果、彼女は、こちらの持っていた絵の具などの画材や過去の絵のすべてを捨ててしまった。燃やしたのだという。部屋が汚れるので嫌だったと言っていた。
自分の側も子供だったので憤りを制御できず、報復として、彼女の持っていた漫画を全て捨ててしまった。相手の持ち物を破壊する、という報復合戦は3回ほど続いた。
この大喧嘩は両親のしるところとなり、喧嘩両成敗的な言葉を言い渡された。それは、納得できる幕引きだった。
しかし彼女はどうも、この喧嘩について、何ら痛痒を受けていないようだった。大事なものが彼女にはないので、何を捨てても、痛くも痒くもないらしい。むしろ、絵の具や絵を捨てられて、なんで激怒されたのかわからないようだった。自分も彼女もお小遣いをもらい、買い直しにでかけた先で、それが判明した。
その瞬間自分は大きなショックを受けたが、そのショックは時間を経るごとにどんどんと大きくなっていった。
自分はこの時初めて「自分とは全く違う人間がいる」ということを知ったらしい。いや、年をとってみればそんなことは当たり前なのだけれど、子供の自分にとっては、それは、天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
もうダメだ、と思った。自分は彼女(と彼女に似た一派の人間)に、未来永劫かなわないと思った。なぜかというと、彼女にダメージを与える手段を自分は持っていないと悟ったからだ。
逆に、彼女から見ると、自分のような人間は「弱点」がありすぎて、弱虫で脆弱な人間なのだろうと思った。大人になった今だと、それはそれで一面的な見方だとはおもうが、当時は、布団の中で明け方まで悩むほどの断絶だった。
以降の自分は、とても用心深くなったように思う(いや、それ以前が脳天気だったのかも)。
とにかく、世間は、理解の断絶した妖怪がうろつく場所になってしまった。
を読んで、そんなことを思い出した。
単純に言えば、それは「価値観が合わない人間もいるよね」の15文字で終わる話なのだが、当時の自分にとっては大事件だった。人間同士は、それほどまでに違っていると思ってなかったのだ(やはり脳天気だ)。
だらだらと書くけどご容赦ください。
将来に見通しが立たず不安になったそうだ。電話口で泣いていた。
父とは会話がない。無趣味で出不精な父はもうすぐ定年退職だ。恐らくずっと家から出ることはない。夫婦での旅行もしない。
自分を含め、兄妹は誰も結婚していない。恐らくこのまままでは誰も結婚しない。
小学校の同窓会では、周りは孫の話をしたりして会話が合わない。
父方の祖母の介護(老人ホームにいる)。父はあまり協力的ではない。
毎日パート勤め。帰ってきたら夕食を用意して犬の散歩。ちなみに犬も今年で15歳。足腰が立たない、目が見えない。
自分は東京で1人暮らしで仕事をしている、が、精神を病んで休んでいる。
こんなはずではなかったのだろう。
母としては「あたりまえ」と考えていた、結婚を子供達は誰ひとりできていない、孫の顔が見れない。
他の子供二人ではなく、精神を病んでる俺にしか泣き言をいえないとか…。
色々詰んでるなぁ。
その時流行りのアニメを家でタダで見てるだけ、放映終わればすぐ内容忘れる、という程度の。
それ以上の「オタク」的なこと、例えばマイナーなものまで網羅してるとか、
(なんか下の方の増田にいたが)細かいスタッフまで把握してるとか、一つの作品に長年のめり込んでるとか、
そういう事まで行ってない人が圧倒的に多いんじゃないかな。
だからと言って他の分野でより詳しい所があるかというと、他の事も知らない。
他も薄っぺらい知識しかないけど、アニメも薄っぺらい知識しかない。
こういうのは恐らく本当のアニヲタからしてもつまらない人間なんだろうと思うけど、
アニヲタと言うとなんかそういう人が多いような。
私には何もない。
心許せて互いを高め合えるような相手はいない。
招く相手がいなければ家の中を日々掃除して
勧め合える相手がいないから、次第に興味がうすれていった。
私はどんどん無趣味で無気力でただ苛々とした感情を蓄えるだけの
本当に自分は空っぽでつまらない人間だったのだなと愕然とする。
寂しいのならばこれを打破する手段は幾らかあるが、
何かに縋りたいが、愛せるものはない。
かと言って死のうとも思わない。
吐き出せば楽になれるかもと期待する気持ちもあった。
空っぽすぎて笑う気にもなれない。
猜疑心の強い性格と、気の置けない友人を作るにはとりすぎた年で
きっと今後はもう打算で結婚する以外に身近な人間を作る事は出来ないだろう。
心に空いた穴を塞ぐ術はもうない。
過ぎたるは及ばざるが如し。
何故あの時私は退かなかったのだろう。
心に合わせて、今の容姿も遠くない内に醜く衰えていくだろう。
遅かれ早かれ友人など一人もいなくなることは予想してはいたが、
あの人に付いていかなければ縁の寿命は延びていただろう。
そして今安易に死を選ぼうとしないのもあの人がいるからだろう。
死にたいと思うより、このまま消えたいと思う。
メッキは全て剥がれた。
そこには矮小で卑屈でプライドだけは高い空っぽな自分が残っただけだ。
もう嫌だ。
一気書き怪文書こゎぃ
というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は
ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。
24歳、学生です(大嘘)
そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。
具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。
感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。
そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。
思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミのチャレンジ、特に赤ペン先生だったように思う。
一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。
部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…
よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。
なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。
一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。
まずは、中学生らしくG行為のネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から。
クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、
どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。
検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。
寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる
今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった
それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイドと姉妹のふたなりものとか(今でこそそれが東方Projectの二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)
社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、
情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。
そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものがうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。
そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。
そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。
それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Projectの二次創作の同人マンガを見つけて感動し、
東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、
もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。
2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。
受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。
そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。
学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。
そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、
ドナルド、エア本、フタエノキワミ、チャー研、レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。
東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである「東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。
それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。
みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定のアニメや漫画や音楽や小説があって)、
それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。
俺も東方ProjectやFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、
むしろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ・漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。
イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は
確実になかっただろう。
特に、深夜アニメ放送という概念が存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。
俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。
そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学に合格したわけだが。
まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。
その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。
「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分の責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。
それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?
悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!
ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…
もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。
機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである。
俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。
と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから。
一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化・サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…
大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。
一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデル、ゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。
二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。
なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。
もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化・サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…
そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。
突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。
上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味」マンガ、なのかもしれない。
その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックスを作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネット・サブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。
そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…
思えば、学業も、ニコニコ・アニメ・マンガ・小説・絵その他ネット・サブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も
中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。
4年間だ。4年という歳月をだ。
願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。
いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。
いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…
思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、
結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。
なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。
学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からのストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ。
そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。
そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。
帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。
別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。
この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。
思うが、それは、きちんと仕事と趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。
そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。
今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。
先日、俺が大好きなブログで、戦後70年をテーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。
「戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」
前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。
俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットとサブカルの世界に没頭し続けた。
そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。
ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…
そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。
(崩れちゃうかな?)
,, _
/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l キルミーベイベーは死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
. l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
> 、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。
もうあの時の、Flashやニコニコや東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。
逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。
それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。
岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身がオタクであるということを保っていくことこそが「オタク」である条件だった時代があったらしい。
正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。
俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。
もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットとサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。
でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。
俺には仕事と炊事洗濯等の基本的な私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットとサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。
現実は、そういうことだった。
俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。
一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。
とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。
TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。
思えば、高校からずっとの付き合いだった。
俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。
ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。
音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。
ニコニコのネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。
ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。
俺はニコニコ動画を、退会した。
もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットとサブカルと決別する気なんか毛頭ない。
いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってから、それから戻ってくる。それだけの話だ。
文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。
もしかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。
それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。
先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。
それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットとサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。
とりあえずそのために卒業式を自作自演し、なんとか卒業していった。
24歳、学生でした。
そういえば、ニコニコ動画のアカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、
Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。
「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。
こんな一覧を作ります。曖昧にするとブレるので確実に全て決めて、何かにメモし、その人格をプレイするときは確認します。
とりあえずこんぐらい。昼休憩終わったのであとで続き書きます。