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はてなキーワード: 教義とは

2023-02-17

anond:20230217215518

死神がでかい鎌を使うのは、中世ヨーロッパの死者を取り扱う職業である「グリムリーパー (Grim Reaper)」のイメージに由来すると考えられています。このイメージは、死神が鎌を使って作物を刈る農民として描かれたこからまり、後に死神が死者を刈り取る存在として定着しました。

また、鎌は刈り取ることに適した形状であり、その形状が死神が魂を切り取ることを象徴するとされていますさらに、鎌は農民が使う軽量のものではなく、重量のあるものであるため、死神が重たい鎌を使うイメージが生まれたと考えられています

ですが、実際には死神が鎌を持つという描写自体聖書には登場しませんし、キリスト教教義においても死神存在しません。したがって、鎌を使うこと自体に深い意味はありませんが、文化的伝承として広く受け継がれてきました。

2023-02-13

anond:20230212230708

出家しろ

うちの宗派教義なのでセックスも女たたきも一切しません、これからも弱い人と手を携えて生きてまいります、といえ

anond:20230213114345

それはお前が「人の心を信じるべき、という宗教」を信じているから、でお前は教義開陳してるに過ぎない。

 

実際のところ、世界の99%の人間宗教を信じるのは、親からそう教わったから、だ。

身長などよりある意味でめちゃくちゃ遺伝性が高い。

新しい宗教を信じる場合は、そもそもから教わったことが否定されるか何かで消え去った空白に差しまれるようになる。

 

まあそれとは別に、どの宗教が最も人生幸福効果的か、の区別はあるけどね。

科学などは最効率宗教の有力候補だ。

でも効率的だからって宗教を変えたりは普通しないよ。wiki見てキャラビルドしてるわけでもあるまいし。

2023-02-09

[]シュレーディンガー意識

シュレーディンガー形而上学物理学の後に来るのではなく、物理学に先行するという信念を表明していた。彼の技術的な思考は、より大きな形而上学的(宗教的)な問題に触発されていたのである

「外界(心に依存しない)世界存在する」「別々の心が存在する」という仮定がある。シュレーディンガーによれば、どちらの主張も経験的な証拠を得ることはできない。第一に、二つのタイプ現実(心-物質)の関係をどのように考えるかという問題。なぜ純粋物理的な世界に住んでいるように見えるのか。第二は、異なる心の関係をどう考えるかという問題。なぜ、どのように互いに違うのか。彼は還元唯物論主観的観念論と呼ばれる伝統的な西洋の考え方を支持せず、非西洋特にインド哲学インスピレーションを見いだしていたらしい。

「第二のシュレーディンガー方程式」とは、インド哲学に古くから伝わる、自己アートマン)が宇宙の究極の実在ブラフマン)と同一であるという教えであり、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えの中心を成しているものであるシュレーディンガーは、この「自己」は個人自己混同してはならず、むしろ個人自己は単なる側面に過ぎない宇宙的、普遍的存在であることを付け加えた。

シュレーディンガーは、この考えを説明するために、光を屈折させてさまざまな色(個々の自己)を作り出す水晶宇宙本質に等しい宇宙自己のこと)に喩えることを好んで行った。「あなたや私は、現実本質形成している一つの心の側面に過ぎない。」彼はこれを同一性教義とも呼んだ。したがって、意識の非二元的形態は、その単一の側面と混同されてはならず、単一世界に住む別々の自己への(単に見かけ上の)区別反証根拠づけるものである

シュレーディンガーは、このことから驚くべき結果を導き出した。例えば、彼はどんな人間でも、その人以前に生きていた他のどの人間とも同じであると信じていた。初期のエッセイの中で、彼は目の前の山々を眺めることについて書いている。何千年も前に、他の男たちも同じようにこの景色を楽しんでいたのだ。しかしなぜ、自分はこのような前の人たちと区別されると思い込まなければならないのだろうか。自分経験と他の人の経験区別するような科学事実があるのだろうか。何があなたあなたたらしめて、他の誰かではないのだろうか?かつてジョン・ホイーラーが、宇宙には本当に一つの電子しか存在しないと仮定したように、シュレーディンガーも、本当に一つのしか存在しないと仮定した。シュレーディンガーは、「意識は決して複数形ではなく、単数形しか経験されないという経験事実」がこれを裏付けていると考えた。私たちの誰一人として複数意識経験したことがないばかりか、それが起こったという状況証拠世界のどこにも跡形もない。

現代意識科学研究において、物質がどのように、そしてなぜ意識経験を生み出すのかという問題を、「意識は脳を備えたいくつかの物理システムが自らに語る幻想物語である」という、そもそも難しい問題があるように見える理由(実際には何もないのだが)で回避しようと試みている。シュレーディンガーは、意識実在についての幻想的な立場を受け入れるには程遠かったが、非常に似たような観点から、たった一つの心(「アートマンブラフマン」)があるのに、なぜ複数の心が存在するように見えるのかを問うている:多くの別々の心が存在するというのは、混乱した個人自分に語る幻想物語なのだ。そうでないと、私たちは常に他の存在(最終的には、現在、非生物物質と呼ばれるものとも)とつながっていることに気づかず、ある意味根本的に孤立しているという誤った信念を持つことになる。難しい問題場合とは異なり、私たち最初の信念が本物であることを示す経験証拠はない。

シュレーディンガー形而上学的、哲学的な教えへの取り組み方の重要な特徴は、合理的科学的な方法論を堅持する慎重さであった。同一性教義は、無批判採用することはできない。つまり、新しい形而上学採用しつつも、科学方法は維持しなければならない。科学理論には東洋思想からの輸血が必要だが、輸血は常に凝血を防ぐために大きな予防措置必要とする。科学思考が到達した、どの時代にもどこにもない論理的精度を失いたくはない。

シュレーディンガーが求めていたもの、彼が最も高く評価していたであろうものは、数学的な正確さをもって意識研究するための科学アプローチである。そのような意識理論にとって同一性教義から続く重要な制約は、その非常に基本的構造において、個々の意識のある存在が(切断された個人ではなく)より高次で統一的なエージェントの側面であり、(電子、岩、脳といった多くのものの中の一つに過ぎず)そのような存在の集合全体が現実の究極の性質構成すると認めていることであるだろう。

シュレーディンガーは、意識実在を認める根本的な一元論を望んだのである意識研究における現在理論的状況を考えると、「意識行為者の理論」はこれらの要件に最も適合しているように思われる。それは、意識が何をするのかについて正確で明確な定式化を目指しており、2つ以上の意識エージェントいかなる組み合わせも、それ自体が別のエージェントであることを提案している。また、エージェント集合体全体が現実本質構成しているという考えにも適合するように思われるが、そのためには、この集合体から物理世界がどのように発生しうるか(そして、それとは別に何も存在しないか)というモデル理論が考え出すことが必要である

シュレーディンガーは、哲学の分野で以前から提起されていたいくつかの議論(例えばカント)に依拠したが、彼の立場は次のように集約される:我々が物理世界と呼ぶものは、シュレーディンガーが「客観化」と呼んだプロセスの結果である。すなわち、一つの自己世界アートマンブラフマン)が、容易に概念化でき、客観的に研究できるもの、したがって主観的性質を完全に排除したもの、へと変化することである意識行為者の理論では、これは「インターフェース」の創造に相当する。このようなインターフェースは、効率的な行動を可能にするために、起こっていることを単純化する。優れたインターフェースは、複雑さを隠す。インターフェイスは、現実ありのままに見せるのではなく、自分にとって都合の良いように見せる。「物理世界」と呼んでいるものは、非二元意識を高度に単純化した表現に過ぎない。

この物理世界もまた、そこに向けられた多数の対象を抱いているように見える。自律した物理世界という誤った印象をもたらした客観化のプロセスは、まさに、異なる肉体に住む異なる形態意識を想定する誤りにつながる。非心理的世界に心的特性を加えるという手っ取り早い方法では、先に述べたような問題を本当に解決することはできないだろう。なぜ他の誰かではなく、あなたなのか?ある主題のセットをより上位のものにまとめるにはどうすればいいのか?しかしそれらの問題は、そもそも分離した多数の自己に対抗する一つの物理世界存在という形而上学的前提に屈しないことで回避することができる。意識行為者の理論によれば、根本的に分離した自己という考え方は、インターフェース上に見えるものと非二元的意識という真の現実混同している場合にのみ生じる便利なフィクションである

意識行為者の理論は、シュレーディンガーの問いに対する興味深い答えを提示している。なぜ、私たち特質のない物理的な世界に生きているように見えるのか?なぜ、そしてどのように私たちは互いに異なっているのだろうか?それは、意識的なエージェントダイナミクスが、現実の本当の姿を隠すようなインターフェイスを生み出すからだ。私たちは同じでありながら、異なるように見えることがある。ある視点から見ると、すべてのエージェントは一つの世界に等しい一つのものに結合する。別の視点から見ると、この単一エージェントは、それぞれの世界に住む異なるエージェントネットワークと等しくなる。どちらの視点を選ぶかは、何を説明したいかによる。

2023-02-07

anond:20230207181051

なんとなく言いたいことはわかるけど、宗教に金が絡まないのは不可能からなあ

教義を伝えるのですら金がかかるのだから

金がかからない草の根活動したらって?

もうあるんじゃないの?

金がかけられないから広まらなくて、増田やワイが知らないだけで

嫌儲ベースの新しい宗教ができたらいいな

嫌儲というか清貧というか。

それぞれが今信じてる神とか信仰自体は維持して、それに付随する金儲けとか富の集中的な部分を認めないという教義

仏教の人は仏教のままだけどお布施とか寺への寄付とか高い葬式(無償のものは除く)はしない。墓も仏壇原則不要(どうしても作りたい人は作ってもいい)

無償葬式などあり得んと思うだろうけどオンライン会議システムなどを活用してせいぜい実費のみでやるフォーマットマニュアル化して整えれば全然できると思う。

生臭坊主がいろいろ言ってきても無視して本来仏教教義AIとかで論理的に解析してとにかく根本的な教義矛盾せず金のかからないソリューション策定する。

宗教的知識の獲得、日々の宗教的相談など込み入ったサポートボランティアベース兼業坊主が担うものとする。

キリスト教イスラム教も同じようにとにかく金がかからないことと基本的教義矛盾しないことを論理的に整理してまとめる。

2023-02-06

anond:20230206151348

明智光秀実在性は疑いないであろうが、本能寺の変の3年後に生存して馬に乗っていた(「麒麟がくる」)とは認めがたい。

当人が埋葬から3日目に復活してしばらくして昇天しただとか伝道最中でさまざまな奇跡を起こしただとかは史実として認めがたいにせよ、2000年ほど前にガリラヤ周辺でイエスを名乗り、標準的ユダヤ教教義から異端とみなされるであろう布教活動を行い、当時のローマ帝国ユダヤ属州総督ポンティオ・ピラトにより刑死させられた人物実在性は確かである

推古朝の政治にどれだけ主体的に関与した(十七条憲法冠位十二階を制定した「聖徳太子」なる政治家がいた)かには疑問を挟む余地があるにせよ、用明天皇嫡男であり斑鳩の地に一定勢力を有し、それゆえに嫡男山背大兄王蘇我入鹿に滅ぼされることになった有力皇厩戸王実在性についても疑問を持つ者はほぼいない。

欽明天皇の3代前である継体天皇以降の天皇人物としての実在性はほぼ確実といってよく、例えば天武天皇持統天皇が叔姪婚をしていることはほぼ疑う余地はない。

ローマ教皇庁ヴァチカン)は15日、カトリック教会同性婚を祝福することはできないとの公式見解を示した。

カトリック教会では、司祭などが教会の名の下に人々に祝福を与える。

教義および道徳の保持と促進を担う教理省は今回、神が「罪を祝福」することは「不可能」だと説明

2023-02-05

anond:20230205150720

あなた人生のために結婚した方が良いと薦めるのは説教にあたるよ

https://kotobank.jp/word/%E8%AA%AC%E6%95%99-87206

デジタル大辞泉説教」の解説

せっ‐きょう〔‐ケウ〕【説教

[名](スル)

宗教教義教典を、信者などに、口頭で説き明かすこと。また、その話。「牧師礼拝説教する」

2 教え導くために言い聞かせること。また、堅苦しい教訓をいう語。「親に説教される」

2023-02-04

アメリカでも一夫多妻文化実践しようとしている少数派はいるし、そういう暮らしぶりをしつついろんな州を転々としている有色人種の例がある。

それで、アメリカ白人はそういうのをめちゃくちゃ気持ち悪く感じるらしい。

やっぱり厳格なプロテスタント教義が根差すアメリカ白人社会では、そんなものを許すわけにはいかないんだろうね。

2023-01-29

鈴木邦男と朝まで生TVネット団塊叩き、三島切腹関係

鈴木邦男が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りする。

鈴木陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである

また風桶式に鈴木が居ねばネット団塊叩きも無かったんであるちょっと説明しようと思う。

 

新興宗教2世六本木道場

鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動学生運動に身を投じ、全共闘左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題宗教二世だったのだな。

この道場乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6

今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。

日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後右翼運動胎盤みたいな場所なんである安倍政権日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会安倍政権日本会議関係問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。

この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家教祖谷口雅春の著書を出版して思想教義を広める為に設立された出版社だ。しかフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。

 

余談だが防衛庁(当時)の庁舎2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである六本木赤坂物価より安い上に生長の家道場防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。

ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者売店使用することは出来なくなった。

六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格パンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。

 

盾の会と森田必勝

1970年三島由紀夫市谷駐屯地東部方面総監部占拠割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。

この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞退職してしまう。(デモでの狼藉解雇されたとの話)

鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。

 

余談だが、小泉政権時代男性女性判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女学生時代右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動プリンス立場だった森田との交際の噂もあったとの事である

1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。

 

黒塗り街宣車軍歌最初に止める

鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれ新左翼に対抗する為に生まれ政治権力癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手新左翼自体が、日本共産党暴力路線放棄する事に反発して生まれもので、要するに暴力vs.暴力

最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車旭日旗日章旗軍歌を流すというスタイルが定着した。

鈴木代表を務める一水会も黒塗り街宣車軍歌を流して通行人威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。

という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バス国防色止めたのも同じ動機だ)

すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。

 

ただ、話を聞いて貰えないスタイル流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くとき相手が折れてやり易い訳だ。

更に活動費というのは支持者の寄付機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。

するとシノギ手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼スタイル模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンバスの方がいい。こういうのを警察用語右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。

 

激突全共闘新右翼から朝生

鈴木はこういう威圧じゃなくて議論対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。

そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である

 

この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想ポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。

 

そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。

そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。

それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗テレ朝に持ち込んだ企画朝生だったんである

当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNN放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。

 

こういう経緯だから最初の頃の朝生体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原最近朝生は最早保守左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘新右翼討論会成功で行けると踏んだのが朝生なのだから

そしてこの討論会鈴木の左右を超えた交流議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから鈴木存在朝生を産んだと言って差し支えないんである

 

元気になった全共闘上がりへの反発

こういう風に鈴木活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立て必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書である

この動きに対し、同世代松原隆一郎文藝春秋社の雑誌諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者全共闘叩きをする記事を寄せた。

まりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代増田もそう)の日本支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイル確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人プライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代わがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。

 

些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。

 

鈴木赤報隊

最後現在統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件赤報隊に関して。

1990年代新右翼を名乗る男の脅迫柳美里サイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木SPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。

すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである赤報隊情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊情報は二度と官憲提供しないと書いてそれきりになってしまった。

結局赤報隊鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである

 

ヤクザ人権デモ

ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介鈴木ヤクザ人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトロー人権とは笑止」などと言われてしまった。

2023-01-26

本当は国が宗教禁止するべきだよね

宗教ってなんのエビデンスもない教義を信じることだから、本当は禁止するべきなんだよね。

でも世界中の人の多くが宗教を信じてるし、文化宗教が絡み合ってるから禁止できないんだよね。

けれど、いつかは宗教禁止するべきなんだよ。

冷静に考えれば、根拠がないものを信じるなんて人間としてあるべき姿じゃないんだよ。

例えば日本だと、天皇宗教行事やるし、存在根拠が神と深く結びついてるので、天皇制度は禁止しないといけない。

神社仏閣も取り壊し。

創価学会解散

宗教関連の学校宗教色0に変える。

民衆信仰もなくす。お地蔵さん禁止

結婚式葬式無宗教行事として行う

・・・まあ、禁止するのは無理だよね。

それに外国人にも宗教禁止要請しなきゃだから国際社会非難されること間違いない。

でも、それでもいつかは、宗教をやめないといけない。

覚醒剤とか、暴力とかと一緒で、国が取り締まらないと。

統一教会問題も、宗教がなければ起こらなかった。

でもそんなことは先の先だから、いつまで経ってもこの世は平和にならない。

神になんか祈らず、自分達の力を信じればいいのに。

2023-01-24

anond:20230124102125

神父レイプが多いのは事実らしいんだが、

 

それは底辺を受け入れるからなのか、

教義宗教のありかたに問題があるのか、

キリスト教国家治安が全体として悪いのか

権力クズが群がるからなのか

教会って場所には女子供が集まりやすいからクソロ天国って話がメインなのか

 

はっきりよくわかんないんだよね。

異世界転生教をぶちあげたい。

運用は、AI任せ。

ヒトに任せるよりマシだろう。

教義シンプルで「安楽死して異世界転生しようぜ」である

お布施として、財産の9割で。

あ、使い道は、材料費設備代と残りは国庫にぶちこみます

AI任せなので、なんとかお大尽の懐に入ったり、教団関係者の懐にも入りません。

なお、スイッチオフするように素敵な安楽死を迎えて、異世界転生のはじまりだ!

わりといいのではなかろうか。

つーか、こういう福祉系って、ヒト要素はゼロにした方がいいよね。

2023-01-22

anond:20230122142646

民意に沿った法案だったものが変更された男女共同参画社会改正法案の内容が統一教会教義と一致しているか

統一教会との繋がりの深い議員発言や参加

が彼らの根拠なので、このままだと君の方がこういう馬鹿げた思い込みを流しているバイト統一教会員ということになるが、君らは時給なの?日給?月給?

2023-01-15

anond:20230115083330

新興宗教の人とかはかわいそうだよね

その絶対的法則新興宗教教義で分からなくさせられて地獄に突き進まされる

山上容疑者母親とかまさに被害者

その結果、社会に害を与えるモンスターが生まれたということは、そういうことだと思う

絶対的法則に一ミリ例外はない

おそろしいおそろしい

2023-01-14

泡沫政権ばっかりで不安になる

自民党以外みんな揃って泡沫政権ばっかりで不安になる。

自民党政治統一教会教義に沿っているようにしか見えないし政権変わってほしい気持ちしかないんだけど、対抗馬が揃いも揃って弱すぎる。

周りの友達も口を揃えて「民主は最悪だった、消去法で自民党。」っていう始末だし、民主党の何が悪かったのか・自民のどこが比較的良いのか聞いても曖昧な答えしか返ってこない。

2023-01-12

anond:20230112074740

40年前ってのは結構重要論点で、

スカートめくりがマチ子で増えたのか元からあっただけなのか、何ら立証されてないんだよね。実例というのが本当に影響だったかどうかすら定かじゃない。

実体ベースで語ってる人がいるけど、その一つ上の世代スカートがめくり被害が少なかったかデータ証言はあるわけ?無いでしょ。

もちろん、上の世代で語られてないは被害が無かったことを示すわけじゃないのは分かるよね。

性犯罪問題暗数ほど重要ものはないんだから

性犯罪ベースでいえば1980年代より昔のが更に多かったんだぜ?昔のほうが現代ではセクハラとなる事案が多かった方が自然な話。

反論としてはセクハラって言葉すら無かった時代スカートめくりが性被害だって認知されだしただけじゃないか

とかあるわけで被害者の証言がある、は明らかに影響があるかを直ちに決めるものではないんだ。

それを定量的分析して示すのが社会学本来仕事だと思うけどね。

例えば、令和になってから宗教虐待って言葉が生まれたけど、これまでの宗教虐待件数はほぼゼロ

なぜなら今までは宗教2世は当たり前のこととして親から教義強制されて当然だったから。

被害ってのはこれが被害なんだってからなければ認識できないものも多い。

2023-01-10

一連の左派の反応は戦略として考えてるんだろうか

実際の思慮云々とか厳密な論議は置いといて、本来人品的にはリベラル/ヒューマニスト(でありたい)の層の困惑ブッチしてまで頑なに教義に傾倒しなきゃいけないのはなんなんだろう?

「暇空の論理にほんの一歩でも理解を示した悪のアイツら」を規定するほどに、やっぱり我々どこにでもいる一般人は無邪気かつ無自覚に悪いことをしてきたんだろうか?

2023-01-04

anond:20230101214136

他の国のようになれたらいいけど無理かもね

日本底辺は何でもかんでもすぐ、教義名前がついてないから気づかないだけで実際には日本神道教義修身教義に結びつけてる

「真面目に働いてたらいいことある」とかね

宗教だし、洗脳が解けない限りはまともな国家として生きるのは無理かもな。次の新しい教義を作るだけかも

それでも進めるべき。そういう国民性の腐り方は、国民性の腐り方として別の形で問題視すべきことで、根本的なフェミニズムとは関係いから。

2023-01-03

anond:20230103182731

「○○の書いてる本が正しいから読んでこい」

あるある陰謀論の人もそれ

ワクチンと5Gの関係を示す動画ユーチューブニコ動にあるので自分で調べてください」

自分で読めとか調べろとか言うけど、求めてるのは教義への絶対的帰依なんだよな

フェミニストが喋ってたがだめだった

テレビをつけてたらフェミニストっぽい話題が流れていた。

100分deフェミニズム特番だったらしい。

自分フェミニストリアルで喋る場面をそこまで言って委員会田嶋陽子以外知らなかったし、彼女もがっつりフェミニズムのみを喋るわけでもなかった。

それが今回、フェミニスト達がフェミニストだけで延々と喋る場面に出くわしたのだ。

BGM代わりにつけていたのでしっかり視聴していたわけではないが、それでもん?と引っかかる言葉がたびたび飛び出していた。

しかし個々の話はまともに聞いていないのでここではオスの増田の印象だけを記録しておく。

フェミニストけが喋るとヤバい

ネット上の文章というのは非同期だ。ブログはもとよりツイッターですら「その場」になりきれない。

言葉は言いっぱなしで始まり誰かとのリレーも間隔があきがちで雰囲気の醸成は難しい。第三者たちのはてぶ含め賛否様々な意見が入り混じることも拍車をかけると思う。

からネット上で見るフェミニズム(を使い活動する人たち)は今はまだいろいろな面で論争が起きがちで、過渡期で、多様な意見散見されるある意味観測気球のような存在だった。

それがTVではどうだろうか。フェミニストフェミニズム視点の考えを吐き出し周りのフェミニスト同意する。

意見視点はこねくりまわされることなく受け入れられる。

そこにカウンターとしての論客も、無知状態から視点解説を受けて噛み砕くタレントも居ない。

フェミニストの発がフェミニストに了されるだけの空間。自論の強化にしかならない空虚時間

オスを配した空間でオスの制度を敵視した話をするメスたちのなんと恐ろしいことか…。

うそう、フェミニストが出る番組とだけ書いていたが、出演者フェミニストは全員女性だった。これはちゃんと書いておかなければわからない情報だ。だよね?言われなくても女性だと思ってた?悲しいかフェミニストの現状だよね…。

まあね、家父長制がなんだ女性生殖の圧がなんだって自体ネットにいれば今更なんで目新しさはないんですよ。増田真剣に聞いていたわけじゃないしね。

ただただあの空気感がすごかったというね。フェミニスト教の教義の復唱と確認。みたいな排他的空気感

あの雰囲気でさ、既存女性軽視が潜む価値観で育ったオスがフェミニズムに感化されるシーンがどうにも思いつけなかったのさ。

あの場はフェミニズム啓蒙ではなく男尊女卑の弾劾の場だった。それはネット上でも普通ムーブだけど、ネット上はそこがスタートラインで話が広がるのに対して、クローズドな対面の対話空間ではそこがゴールになってしまう。

ひたすら女性への圧力男性が築いた支配構造を聞かされるのは良くてセラピー、言っちゃえば被害者の会しかなかった。

濃度がヤバい

歴史を紐解き、社会構造が、制度が、価値観が、規範が、オスが女性支配資源として見て抑圧してきたか解説される。

増田は女卑は確かにあった(ある)と思うものの、それは一部分であり主目的ではないと思っている。

だけどフェミニストから見たらあれもこれも女性支配"のため"にオスが拵えたものである。そんな風に聞こえるような言い回しをしてくる。

これがひとつふたつならまだしもあれもこれもがこのトーンで言われると引っかかりが強くなってしまう。

この違和感陰謀論と同じ感覚だと後から気付く。

陰謀論者や集団ストーカーとかを主張する精神疾患者がたまに言う「その膨大な権力と労力ですることがそれかよ」的なこと。

フェミニストの話を聞いているとオスがめちゃくちゃ苦心して執拗女性支配を頑張っているイメージが"ものすごく"してしまう。

でも、長い歴史で生きるには、制度を作るには、社会を作る・守るには、男女含め統率・支配するには、そんな女性の"ことばっかり"考えるわけにはいかんと思うのです。たぶん最優先事項ではないでしょう。

ところがフェミニストの話だけを聞いているとオスとはなんと恐ろしい生き物か、となってくる。

これがフェミニストが考えるオス(あるいはフェミニスト啓蒙する真実のオス)の姿だとすれば、フェミニストがこんなにも攻撃であるということも納得がいく。だって打倒するべきオスはこんなにも強大で意図的進行形支配なのだから

今までこれらの背景を元に出力されるフェミニストの個々の話だけを聞いていてはこの理解が得られなかった。個々の物事をどれもこんなにも強くフェミニズム的に紐付けているとは思いもしなかったのだ。フェミニスト無礼てた。ヤバい。彼らが見ている男と、男が鏡や周囲を見て知れる男とは雲泥の差があるのだ。

なんでもかんでも虐げられた女性観の補強につなげるこのロジック彼女らの論を正と見ればこの世は、オスはひどい存在女性は本当に可哀想存在だと思う。一方、彼女らの論を引いて傍聴している増田からすれば、彼女らが持つ「オス像」に ほかに することはないのですか。と問いかけたくなる。頭の中女一色なのか。


男性悪事圧制の総和を背負った男という虚像。それにペタペタとフェミニズム解釈をつけて補強していく。そんな作業工程を目の当たりにしているような濃度。

そうやって作られたあれもこれもを持ち合わせた虚像ベースに語られると、フェミニストの語る言葉に対する白けぐあいにも得心する。それ俺じゃねーもん。

ややアンチフェミっぽい増田から言えば、フェミニストフェミニズムを(もし)一般男性にもリーチさせたかったら、もっと冷静になるべきだと思った。言い換えると、もっと今の男性直視したほうがいいんじゃね?と。

男性を味方につけるという前提すらこっちの妄想かもしれないけど。

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