はてなキーワード: 懇願とは
二十数年、こんな気持ちになったことは無かった。
心の底から人を愛おしいと思った。
守ってあげたい、そばに居たい。
そんな気持ちだ。
結果としてフラれたけれど、良い友達でいようと向こうが言ってくれた。
その時、一瞬女神に見えたんだ。
異性の間に友情なんか存在しねぇと友人は言ってくるけれど、そんなことはないと思う。
今更気付いたって遅いよな、としか言いようがないけれど。
はじめての感情だけで、満足出来なかった。
情けないことだが、懇願して懇願して、身体の初めてまで捧げさせて貰った。
向こうは一切何考えてるか分からないが、ただ、どーしようもない自分のみっともない様を受け入れてくれるんだ。
歳上で、モテる人だからだろう。余裕があるからこんなガキみたいな自分の戯言に付き合ってくれてたんだろうな。
ずるずる関係が続いてしまっているうちに、気がついてしまった。
連絡が途絶えるのが怖かった。
自分以外の他人を褒めている時に湧き上がった醜悪な嫉妬心で、何度も何度も胸が裂けそうになった。
そして、自分の甘え。好きという感情だけで突っ走ってしまっていたが、元から人に好かれる外見をしていない。
醜い肉に包まれた化け物だ。
贔屓目に見ても豚だ。
そんな人間が人を好きになって良いわけがないのにな。駄目だよな。
今は無理矢理取り繕ってなんとか生きてるって事実を、忘れようとしていた。
人並みの幸せなんてもんは求めるなと周囲から言われていたんだ。
良い加減こんな身勝手な自分の気持ちに相手を付き合わせることを辞めなくちゃならない。
初恋を辞めたい。
どうやって諦めるか、教えてくれ。
といっても大して面白味のある話じゃない。
まずおれは生来おなかが弱い。これまでも、もう少しのところを危うくトイレに駆け込んで事なきを得る、ということが年に数回はあった。
とはいえ、これまではなんだかんだと漏らさずに済んできたわけで、今回は何が違ったのか。
はっきりとしたことはおれにもわからない。きっと、要素の積み重ねなんだろう。
前の晩に日高屋でホルモン炒めを食い、ココイチで牛尽くしカレーを食い、しまいに家でよっちゃんイカを容器の半分も空けてしまった。
まずこの時点で屁が止まらなくなった。まったく愚かしいことだ。どうか笑ってくれ。
だというのに翌朝はよっちゃんイカの残りを空けた。それからアイスクリーム。そろそろ死ぬんじゃないのか?
そしてこの日の昼はおそとで焼肉。安い輸入肉の低質な脂とアルコールが俺の腸にダメージを加えた。
相変わらず屁は止まらない。腹の感覚もなにやらよろしくない。とはいえ便器に座っても大した物は出てこなかった。
経験的に言って腹を下すだろう、という予測はこの時点で立っていた。
でもまあなんとかなるだろう、とタカをくくっていたのだ……。
食事を終え、すこし煙臭い身を引きずって大都会でウィンドウショッピングを楽しんでいると、一回目の波。
さっくりと目の前の店のトイレを借りて済ませる。
これ自体は大したやつではなかった。ふつうの便意と言っていい。腹痛もあまり無い。出てきたのは消化不良気味のやつだったが、これは予想の範疇。
ここで何ら問題なく対処できたことが、油断に拍車を掛けたのは事実である。
(みなさんもご存知のことと思うが、下痢には波がある。
一度トイレで済ませても、10分~20分くらいの周期を置いて二度、三度と便意の波が押し寄せるのだ。
それは腹が空っぽになるまで続く。
もちろんこの時のおれにもその認識はあった。だがナメてかかっていたのだ。
腹痛があまり無かったこと、そして余裕を持ってトイレに駆け込めたことで。
無意識に、さっきのやつでおしまいだろう、と希望的観測を採用してしまっていた。)
さて、店のトイレを出てウィンドウショッピングに戻る。20分くらい移動したところで、第二波が来た。
それは慣れない街の、雑踏の真ん中でのことだった。
波ははじめ弱く。そして徐々に強く。
手近なコンビニで済ませようかと思ったが――――見当たらない。
気軽にトイレを使えそうな店がどうにも見当たらない。
冷や汗が滲み出した。
恥も外聞もなく、ここで目の前の居酒屋に駆け込んでおけばよかったのだろう。
だが尊大な羞恥心がそれを許さなかった。おれは腹に爆弾を抱えて、孤独に街を彷徨いはじめた。
人混みがうとましい。小走りにもなれない。
相変わらず店が無い。クソッタレが。
波は徐々に強くなる。焦燥感が加速していく。
どうにか交差点に辿り着く。
正面にはデパート。知らない店だが、経験的に言って2F以上か地下に男子トイレがあるはずだ。
たとえ受付に身を乗り出してトイレの場所を尋ねても、店員は親切に場所を教えてくれることだろう。
おれは右を向いた。高級ブランドのブティックがあった。とりあえず横断歩道を渡る。
直感的に彼は貸してくれなさそうな気がした。
たぶんそんなことは無いんだろう。でもそのときはそう思ってしまった。
駆け足で通り過ぎると、隣にもビルがあった。
7階だと。
尻を庇って下肢のみを動かす、早歩きと駆け足の中間のような不自然なスタイル。
腹が数十秒周期でぐうぐうと鳴っているのがわかる。
超自我によって抑制された排便圧力が行き場を失い、ガスが腹の中で蠢いているのだ。
ひとたびぐう、と鳴るたび少しだけラクになる。そしてまただんだんと強まってくる。
途中からエスカレーターが互い違い式になっている。フロアをぐるりと迂回しなければ上階行きに乗れないクソ仕様。
万引き防止か? 誰がやるんだよ。
正直、5Fくらいでダメかな、という感じはあった。
でも希望的観測でひた走る。
7F。トイレ。太腿をぴったりと締めながら個室のドアを乱暴に施錠。
運良くビニール袋を持っていたので、ドロドロの汚物で汚れたパンツはそれに入れてトイレのゴミ箱に捨てさせてもらった。
ビル関係者のみなさんごめんなさい。でも、自宅まで汚物を持ち歩く方が公衆衛生上問題だと思ったんです。
ズボンにまでちょこっと染み出していた分はトイレットペーパーで申し訳程度に拭き取り、カバンでなんとなく隠して帰宅。
電車の中で特段イヤな顔をされたりすることはなかったので、たぶん臭いはしなかったんだと思う。そう信じたい。
途中、どうしても喉が乾いてしょうがなかったのでコンビニでピルクルを買って飲んだら第三波が来ました。
乳酸菌が長期的におなかによくても冷たい液体が短期的に悪いに決まっておろうが。
正直アホの極みだと思うが、それくらい判断力がボロボロだったんです。
家に帰ってズボンを手洗いし、あとは何度かトイレで水下痢を出して一件落着でした。どこがだよ。
~おしり~
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。
痴漢冤罪関連で、「女はみんな適当に痴漢をでっち上げてる」みたいなコメントが目につくたび嫌な気持ちになる。
私は実際に痴漢に遭ったし、周りでも痴漢に遭った話は珍しくない。見えてる世界が違いすぎる。
ここに個人的な経験と、誤認でないと思う根拠を書く。できれば被害経験のある人は同じように書いてみてほしい。
・電車1
朝の満員電車。お尻の割れ目の下あたりに、持ち上げるような圧迫感を感じる。手ぐらいの大きさ。
当たっているだけかと思って身をよじったり、体をずらすと、不快な圧迫感がどこまでもついてくる。
ぎゅうぎゅうの満員なら当たった状態で身動きがとれないのかもとも思えたけど、人と人の間に隙間がある程度の乗車率で、お尻のそこ以外誰とも密着していなかったので、故意と判断。
どうしよう、どうしようと思って10分ほどそのまま不快感と戦う。俯いていたら首筋に鼻息がかかる。
降りる駅についたのでドアの方を振り向いたら、後ろのスーツの男性も顔をそらすように後ろを向いてしまったので、顔はよく見えなかった。そのまま降りた。
・電車2
夜。空いていて座席に座った。
隣に座っているスーツの男性が、鞄をひざの上からこちらにはみ出るように立てて置いたかと思うと、手を私の尻の下にすべり込ませてきた。
痴漢だ!と流石にすぐわかる。鞄で隠してるんだ…と驚いた。
手はお尻の下で股を目指して侵攻してくる。片尻に思いきり体重をかけて、骨で阻止したら、股はあきらめたのか、そのまま尻を揉んできた。
通報する気はなかった(めんどくさいし早く帰りたいし怖い)けど腹が立ったので、地元駅で降りる時に足をダン!!と鳴らして立った。
降りたら痴漢も降りた。ここで足を鳴らしたのを後悔。「このまま家までついてきたらどうしよう、痴漢するような奴だし何されるかわからない」と怖くて仕方なかった。
人ごみに流されて痴漢の少し後ろを歩く形になって、改札を出たら、痴漢はUターンしてまた改札内に入っていった。
たぶん、私が不快感を表したことで捕まるかもしれないと思って、一度降りて無関係を装ったのだろう、と後になって考えたが、その時は意図が分からずただ「怖かった、いなくなって良かった」と思っていた。
やはり通報はしなかった。関係ないがデートの帰りだったので楽しい気持ちが最悪になった。
毎日電車に乗るわけでもない私でこれだから、通勤通学に使ってる人はもっと遭っていると想像する。
電車以外では他にも
・白昼の路上で酔っ払いに卑猥な言葉と共に抱きつかれて路地に引っ張りこまれそうになって必死で振り払ってダッシュで逃げる
・エレベーターで抱きつかれてキスをされて胸と股を触られ、離してくださいと懇願したら離してくれたのでダッシュで逃げる
があって、エレベーターは流石にものすごく怖くて命の危険を感じたし当時子供だったので親に言ったら大騒ぎになって警察が来た(同時期に他クラスの同級生も同様の被害にあったと聞いた)。これらは電車とは関係ないけど痴漢ではある。
こういう話を詳しくすることはない。恥ずかしいし嫌な思い出だから忘れていたい。
けど「痴漢はある、それもめっちゃある、確実にある」し、このように普通に泣き寝入りしているので、勇気を出して捕まえた人は偉いし、本当はもっと捕まえて「痴漢したら捕まるやばい」と知らしめて抑止するべきだし、そのために「痴漢は犯罪です」ポスターがあるんだろう。
だから被害者に「そんなの嘘だろ」なんて言って告発しにくい世の中にしちゃいけない。
例えば逮捕されても証拠不十分ならすぐ帰れて職も失わないような世の中であれば、間違われた人はさんざんだろうけど人生一発終了にはならず、本物の痴漢だったとしても一度捕まることである程度抑止効果があるだろうし、もちろん女性による「悪意のでっち上げ」もし辛くなる。
だから車内カメラ等で証拠を検証できるようにすることと、警察と司法が冤罪を生まないよう取り調べの見直しをするべきなんであって、その努力をするのは「被害者ではない」。
物心ついた時から、私の記憶の中にいる父は、私のことを怒鳴りつけていた。
「俺の邪魔をするんじゃねえ」
そう言って怒鳴られていた。
今日もまたそうだ。
畳んだ洗濯物や、アイロンをかけたワイシャツを彼の部屋に運んでも、ゲームに興じている彼は
と怒鳴る。
こんなだから、私は、父親というのはいつでも子供に対して怒鳴り散らしている存在なのだと思っていた。
だけど、みんなの父親がそうではないのかもしれないと気づいたのは最近のことだ。
大学の友人との会話の中の出てくる父親は、もっと優しくて、気が利いて、少なくともすぐキレて怒鳴る人間ではなさそうだった。
そうか、そういうお父さんもいるのか。
信じられなかった。
片道2時間の通学がどうにも辛すぎて、どうか一人暮らしをさせてくれと懇願したが
「それぐらい通える」
「そんな無駄な金はない」
と言われて、家から出してもらうことは叶わなかった。
DVは暴力だけでなく、言葉の暴力も入るらしい。また、極度に束縛するのも、DVの傾向としてあるようだ。そしたらこれは、DVなのだろうか。
そんなこんなで、私は、父親のことが好きではない。いつ怒鳴られるのかとビクビクしながら、父親に用事がある時は話しかける。何かやましいことをしているような、嫌な緊張感の中で、胸が締め付けられる。ちなみに、普通の家庭では、気楽に父親に話しかけられるらしい。
老後の世話なんてごめんだし、早く縁を切って自由に生きたいと思う。
今は機嫌よく、居間でコーヒーを飲んでいる。声を聞くのも嫌だ。私は自分の部屋がないので、居間の隅で縮こまっている。もうすぐ60歳で、こんなにどうしようもない人間がいることが理解できないし、耐えられない。早く解放されたい。なぜ、母が離婚しないでいるのかが疑問だ。私は何があっても、専業主婦にはなりたくない。こんな男に捕まって一生を過ごすなんてまっぴらごめんだ。
化粧をする時に鏡を見ると、ふと昔の彼氏を思い出すことがあります。
大学のサークルの先輩(彼氏)と後輩(わたし)というよくあるものでした。
食事をつくりにいったりしているうちにつきあうようになったと
これもよくある話です。
彼氏は普段はいつも穏やかで誰とでも仲良くなれる、ニコニコした人づきあいのいい人ですが、
お酒がはいるとスイッチが入り、暴力的になるという欠陥を抱えてました。
「いつまでかかってんだよ!!!」とキレて、お店を出るというような低レベルの人間でした。
(そして別の店を探すというなさけないことも多々……)
でも、それ以外は本当に善良ないい先輩でした。
なので、宅飲みをしている時に、殴られることも時々ありました。
そういう時も、卒論でストレスが溜まっているんだろうなぁと思い、
それでも甲斐甲斐しく付き合っていたそんなある日のことでした。
彼氏をいつもより喜ばせてあげようと思って、
おもいきって女の子の格好をして、彼氏の部屋で待っていました。
「なんで女の格好をしているんだよ!!」と激高され、
わたしはただただ
「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続けました。
そんなわたしに興奮した彼氏がわたしに馬乗りになってさらにクビをしめてきました。
死ぬかと思うほど苦しみました。
このことが別れるきっかけになりました。
さすがに、このまま付き合っていたらいつか死ぬかと思ったからです。
「もう1回だけ、クビをしめたい」と懇願されたのですが、きっぱりと断りました。
今日、裁判所に親子の縁を切られた。愛する息子を殺されたような気持ちを、どこにぶつけたらよいのか。
イクメンって会社でも友人にも褒められた俺が、そんなことするはずないのに。結局DVは無いって裁判でも証明されたけど、子供は帰ってこなかった。
連れ去った親に親権がいくんだと。連れ去ったものが親として認められる。
弁護士いわく、「日本では、先に連れ去った方が親権者として認められてしまうんです」
それが今の日本。
6か月の息子が妻に連れ去られた。妻の実家や、友人やすべてあたったが、ダメだった。後で、実家に帰り、息子の住民票も勝手に移されたと弁護士から通知が来た。
俺は連れ去られた子供を取り返すべく、何度も何度も妻に懇願する手紙を書いた。
家庭第一という訳ではなかった。でも、毎日、毎日、家族のために汗水たらして働いてきた。上司に叱られて悔しい思いをしても、家族のためだと思って我慢して働いてきた。
それでも裁判所は母親を親として認めた。俺は親になれなかった。
継続性の原則。連れ去りをしても、そのあとちゃんと面倒見てたら親権取れるらしい。
先に連れ去った方が親になる。これが日本。
毎日、毎日、子供と一緒に過ごす夢を見て、生きる目的も無くなったけど生きている。
もう息子に会えないまま死んでいくのかな。
本を読んであげたい。
野球をしたい。
お風呂に入りたい。
一緒に旅行に行きたい。
勉強を見てあげたい。
悪いことをしたら叱りたい。
そんな親として当たり前の事も、どうやら、僕の人生の中ではどれも叶うことは無さそうだ。
息子を愛する父
今まで生きて来た数十年の間。
好きな人が出来ても、それが現実の人でも例えテレビの中の人でも、その気持ちがセックスに直結した事が無かった。
小説や漫画で仕入れた性の知識だけはきっと誰よりも豊富で、けれどそれに実績が伴わなかった、というのも理由の一つかもしれない。
好き、ただそれだけで、見ているだけで充分で、話せるだけで充分で。
手を繋ぐ?キス?無理無理、そんな事出来るはずがないって誰かを好きになる度にそんなくだらないやり取りを脳内でした。
初めての彼氏が出来た時も、手を繋いだり、キスをしたり、はたまたセックスをした時も、どこか不思議で、まるで人事みたいにセックスしてるんだなぁとぼんやり思っていたぐらいだった。
なのに一昨年に初めて会ったあの人はそんな私の気持ちを一瞬で奪っていたのだ。それはそれは驚くような早さで。
きっと一目惚れだったのだと思う。
初めて見たあの人のすらりとした姿、控え目な声、はにかんだ笑顔。
全てに心を奪われたのだ。
あの人の事を知りたいと、奥手ながら臆病ながら、少しずつ探りを入れた。
年齢は?
彼女は?
はたまた結婚?なんて。
その度にあの人は白い肌を赤らめて答えてくれた。
年齢は私より二桁近く上で、既婚者だった。子煩悩で、家族を大切にしていた。
そもそもが始まってすらいなかったのだ。
だけれど、奪われた心はそう簡単に元には戻らないと、私は数多の片想いを経て知っていた。
好きが加速した。好きでいるだけなら迷惑はかからないと言い聞かせ、立場を利用してあの人の隣に居続けた。
不思議だった。隣に居ただけなのだ。本当に、隣に。比喩ではなく実際に隣に居た。仕事上の理由で。
すると、動きの関係からあの人と肩が触れそうな位置で仕事をする事が一日に幾度かあり、その度に私の下半身には熱が集まっていった。
確かめた事はなかったけれど、この感覚は間違いなく、直接的な表現をすると濡れていたのだ。
この人はどんなキスをするのだろうと、好きを自覚する前から妄想していた。
好きを自覚して、濡れている事も自覚してからは、この人はどんなセックスをするのだろうと飽きもせずに毎日考えた。
一度でいいのだ。たった一度でいいからセックスをしてほしいと、眠る前一人で懇願した。それを直接言う度胸と可愛さと色気を私は持ち合わせていなかったから。
初めての感情に頭と心は混乱した。
どうしてこれまで、この人とセックスをしたいと強く思うのか理由は今でも分からないままなのだ。
けれど今でも、あの人とセックスをしたいと強く願う心は変わらない。
あの人が退職して会えなくなってから、連絡が取れなくなってから、もう随分日が経つというのに。
きっとこの先にも、これほど強くセックスがしたいと願う相手が出て来るのかもしれない。
でも、こんなに強く願う事はもう二度とないのではないかという気持ちにもなる。
あの人は、一体どんな理由で、どんなつもりで私の前に現れて消えたのだろうか。
こんな感情もあるのだという事を知らしめる為なのか、恋を忘れていた私に恋を思い出させる為だったのか、ただ搔き乱しただけだったのか。
確かめる術なんてものは、奇跡が起きない限り無理なのだけれど、本当は少しだけ、本当はちょっとだけ。
あの人も私とどうにかなりたいんじゃないか、なんて事も思っていたんだ。
他人には無口なあなたがあんまりにも楽しく話し掛けてくれるから。
今になって気付いた、口下手らしいあなたの遠回しな誘い文句があったから。
でもやっぱり確かめる術はないから、結局は全部私の痛い妄想だと結論付ける他ないのだ。
たった一度だけでいいからさ。大事になんて扱ってくれなくていいからさ。
身代わりでも捌け口でもなんでもいいから。
なんて、あなたにこれを伝える術はあるけれど、あなたを誘う度胸と可愛さと色気は持ち合わせていないんだ。
だから私はこんな所でいつまでも、うじうじとこんな日記を書いている。
セックス、してくれたらいいのに。
学部卒業から修士課程中退のおおよそ2年間、その大部分を私は怠惰に過ごした。
まともな研究もせずに卒業論文に突入し、指導教員にひたすらダメ出しをされてほとんどお情けみたいな形で卒業はした。進学後、これからはちゃんとしなくてはと思ったのとは真逆に、授業や研究に出ることは減っていった。
家の中(一人暮らし)ではただただ焦燥感が募っていった。授業に出なくては。研究しなくては。なにかしなくては。しかし数日間着替えてないし風呂にも入ってない。しなければいけないことばかり積み重なって後回しにして、ずるずると時間だけが過ぎていった。自己嫌悪と自己肯定が頭の中をぐるぐる回っていた。同級生が生存確認してくるようになったので、コンビニや図書館で時間を潰すこともした。家族や親しい人には、事態が決定的になるまで話さなかった。
中退後は今の会社に拾ってもらって、故郷も大学からも離れた街で社会人ヅラして生きている。多分、根本的な問題は直ってないし、死ぬまで解決しない。ただ、絶望して死んだり生活できなくならないために、反省しないようになった。悩みすぎて苦しむこともなければ劇的に改善されることもない。安全装置の如く、ある程度まで感情が進んだらそれ以上深くならないイメージ。
家から出られなくなることがなくなった分、しわ寄せは周りに行く。責任感だけはあると思っていた自分が、責任を他人に押しつけていることに気付く。家族からはビョーキ呼ばわりだの親不孝者扱いされ、彼女からは本気で死んで欲しいと懇願される。それでもケロッとしているのは、やはりどこかおかしくなったのか。思い悩んでも寝て起きたら出勤して適度に仕事する。そんな日々。
自分が「戦争はいやだなあ……」と漠然と思う気持ちの根底が、この二人の体験を聞いたことによって、
戦争が人の人生を強烈に歪めるということを肌で感じたことによるものっぽいので、ちゃんと覚えているうちに一度書き出しておきたいと思う。
(1)
一人目は離れて暮らす祖母で、確か終戦時10歳かもう少し上か、その辺りだったと思う。
祖母は満州から引き揚げてきたそうだが、祖母の父が警察?か何かの職に就いていたらしく現地で一時投獄されていたそうだ。
警戒されにくい子供の祖母が差し入れとして羊羹を持っていくのだが、その羊羹の中に毎回カミソリの刃を忍ばせていたという。
そのカミソリが何用なのかは教えてもらえなかった。
祖母が住んでいた町は、ある日やってきたロシア兵に制圧されたそうなのだが、
「女だけの家があると知れると、夜になるとロシア人が数人で来て、朝になると帰るのよ」
「お菓子で子供を釣ろうとしていたけれど、近所のお姉ちゃんやおばさんに何をしているか知っていたから、私は一度も受け取らなかったわ」
「日本に帰るために街から逃げる直前に、遂にロシア人が私たちの家にも来たのよ。でも、お母さんは病気だったでしょう?妹はまだ5歳でしょう?」
俺がまだ子供だったからか、それ以上の事は語られなかったが、祖母は今もロシアが大嫌いだ。
しかしそれ以上に天皇を「コイツが余計なことを始めたせいであんな目に」と毛嫌いしているようで、今でも酒が入るとすぐに「天皇家は早く滅びろ!」と喚きたてる。
同時に、幼少時に現地の子たちと一緒に遊んでいた影響らしいが、中国・韓国への親近感が非常に強いようで、
成長後バリバリの左翼になって共産党に入党し、国交が本格的に再開する前から限定的な市民交流として招かれて中国に渡ったりもしていたらしい。
最終的には自分が人生で最も重視するもの=活動のために動きやすくなろうと、子(俺の母ら)を残して祖父と離婚したというから筋金入りだ。
ちなみに、祖母が漬けたキムチはめっっっちゃ美味い、そして市販品がサラダに感じるくらい辛い。ポイントはアミ(エビ)を入れることらしい。
(2)
祖母から話を聞く以前、誰かから初めてきちんと戦争体験を聞いたのは、
ノストラダムスで世間が盛り上がっていた小学生の頃、「戦争体験者を探して話を聞きに行ってインタビュー記事をまとめる」という宿題が出た時だった。
大抵の子が自分の家のばーちゃんあたりから「この学校の校庭で芋作ってた」的な話を聞いてきた中、
先述の祖母が遠方住まいだったので身近に戦争を体験した人がいなかった俺は、近くに住んでいた清さんという90歳越えの元兵士の爺様に話を聞きに行った。
清さんから聞いた話の中で一番印象に残っているのは、
「戦争の時、大陸にも行ったけど、捕まえた女の人の股に一升瓶がどこまで入るかって遊びをやって、途中で女の人が死んでしまっても笑っているような連中をたくさん見た。」
という随分エグい話だ。
まだ女性の体の仕組みもよくわかってなかった時分だけれど、淡々とした話を聞くだけでとにかくゾワゾワと怖くて、その時感じた嫌悪感は今も強烈に覚えている。
「あーいうことをやるのは陸軍ばっかりだ、陸軍はロクでもないのが混じってる。」
その後清さんは、太平洋戦争中に南方(東南アジア?)の島で滑走路の脇にいたところ、
戦闘機に機銃で近くを撃たれたか、すぐ近くに爆弾か砲弾が着弾したかで左手の指を数本持っていかれて、氷川丸という病院船で日本に帰ってきたそうだ。
当時の俺は、一番印象深かった話は少々ショックが強すぎたのか一旦記憶にフタをしていたようで、
清さんが途中途中で妙に楽しそうに話してくれた、上官に木の棒でぶん殴られる話とか、南の島で現地の人と仲良くなって食べ物を分けてもらった話とか、
魚雷を回避するための航法とか、合図のラッパの話とか、氷川丸(生き残って今も展示されているらしい)の話とかを中心に無難にまとめて提出した気がする。
「私は運よく五体満足で帰ってこられた」(指ぐらいは清さん的にはノーカンらしい)「ただ運がよかっただけだ」と繰り返し言っていた清さん。
隣を歩いていた仲間が一瞬後にミンチになって自分は"たまたま"生き残ったり、
手足がもげて臓物をまき散らしながら殺してくれと懇願する仲間を拳銃で介錯したりしながら、
明日は自分もどうなるかわからないという地獄を繰り返し繰り返し味わいながらも、自分たちの行い・戦いが正しいものだと信じてそれを頼りに耐えていたのに、
帰ってきて戦争が終わったら「あれは全部間違いでした」と言われても、頭ではわかっても、
どうしても自分のしてきたことや仲間の死の存在が大きすぎて、90歳を超えてもまだ心で受け入れられない、と仰っていた。
戦争はよくない、あんな思いをこれからの若者たちにさせてはいけない、ということを強い口調で語る一方で、
「天皇陛下万歳」と唱えると、先ほどまでパーキンソン病で若干フルフルしつつ話してくれていた温和そうなおじいちゃんが、別人のように背筋がピンと伸びて腕を振り上げよく通る声を出す様子や、
軍歌やラッパの音の入ったテープを何本も持っていて、今でも毎日聞いてしまうのだと言っていた清さんの様子を今になって思い返すと、
身ぐるみ剥がされて手錠をかけられ女の子の自室に監禁されたい。
「こら、やめたまえ!おじさんを誰だと思ってるんだ!」
と口だけは達者ないたいけなこの中年の全裸姿を見てゾクゾクとそそられたい。
恥ずかしい格好の写真を撮られたい。
シャチホコのような格好をさせられて妻子にその写真を送ると脅されたい。
「すいませんそれだけは許してくださいお願いします」と土下座して懇願したい。
息を切らし湯気を出しながら懇願したい。
ダイエットだと言われ部屋にあるルームランナーで延々と走らされたい。
汗を落とすと黒光りしたムチでアザができるくらい強くひっぱたかれたい。
全裸で疾走し体中の贅肉がダルンダルンと揺れるこの姿を見てリビドーを感じてもらいたい。
途中で転倒してゼエゼエ言いながら「もう無理です勘弁してください」と慈悲を請いたい。
小さい頃に漫画で、各界の重鎮たちがお気に入りの風俗嬢を前にすると赤ちゃんのようになるというのを見たことが有る。
良い歳して「バブー」だの「でちゅー」だの言うのだ。
小さい頃の俺はそれ見てただただ気持ち悪かった。
だが今ならそのあの重鎮たちの気持は痛いほど分かる。
そう思って生きてきた。
だが、今や俺は風俗狂い。
アルコールやパチンコと比べて、メリットは時間がとられにくいこと?
悪いところは、金の飛んでいき方が早いこと。
俺は、現在、月に10万くらい風俗に突っ込んでいる(2マン×5回)が。
3年前は月に2万とかだった。
2年前は、月に4~6万。
明らかに、使う額がアップしている。
怖い。
怖すぎる。
風俗使う理由が、「性欲」とかじゃなくて、「女に認められたい」なのがまたヤバイ。
普通の彼女なんてできたことが無いから、女に対する普通の接し方とかわからないし。
エロ漫画やAVの見過ぎで、女に対する接し方は「ママ~」とか、「俺の子を孕め!」、「イケメンにバッカリ媚びやがって!」、「オラぁ!ブサメン精子で障害児妊娠しろやああああああ!!!」、「絶対リアルでは人格すら感じないコンビニ店員よりかかわりないキモ男のケツ舐めておいしいかぁ~?」みたいな。
風俗嬢は、「別に低身長だからとか私そんなので彼氏選んだことないし、彼氏も3年とかいないし、男と縁なんてないよ」とか、「でも増田君、お医者さんだし、すごいじゃない」とか、褒めてくれる。
そんで、俺はメンヘラ全開にして、「〇〇ちゃん、僕のママになって!授乳手コキして!カワイイっていって!僕のこと愛して!」と泣きながら(マジで泣きながら)感情爆発させて懇願。
で、毎回、違う女の子を頼む。
人付き合いするのが本当に嫌っていうか、他人恐怖症ってか。
普段の人付き合いは、作りキチガイの逆で、作り健常者でやってるから。
本当の人格は上に書いたように、人付き合いとかできるようなもんじゃない。
毎回、毎回、泣いて気持ちよく射精して惨めになるのが楽しくて風俗使う。
だが、ヤバイ。
パチンカスやアル中と同じように見下している、ホスト狂いや、バンギャメンヘラと同じじゃねーか俺。
キャバクラに貢いで破産するオッサンもメジャーな屑破滅タイプだけど。
早いうちにカウンセリングうけようかな。
ある画商が絵が売れずに貧困にあえぐ青年画家から絵を買うように懇願されるのだが、
画商は「君のような凡才は生きている間に大成できないだろう」とを酷評して買おうとしない。
そうは言うものの、画商は青年の相談相手として、二人の間に緩い友情のような繋がりができる。
それでも画家は絵を買おうとしない。
まったく絵が売れない青年画家は、貧困のあまり絶望し、餓死するよりはマシだと自殺してしまう。
偶然その場に居合わせた画商は、青年の死を確認すると、すぐさま彼の絵をほとんど全て持ち去り、
それらの作品を「現代フランス新進気鋭の画家」のものとして高値で売りさばき、
知らないやつに挨拶なんかしたくない。
できれば知ってる人にも挨拶したくない。
こう考えるに至った経緯は他人の挨拶を品評してあれが悪いこれが気に入らないとケチつける奴らが多いせいだ。
大体、他人が挨拶を返さないのが気に入らない奴は挨拶を返しても何か気に入らない。
声が小さいとか笑顔がなってないとか目を合わさなかったとかそういう事でネチネチネチネチ他人に文句をつける。
しかも「挨拶は人間としての基本」とかいう大義名分があるものだから、大きく振りかざして「お前は人間としてなってない」とか平気で詰ってくる。
風邪ひいて声がでないとか、考え事してて本当に気が付かなかったとか、めちゃくちゃ急いでるとか
そんな時になんでアンタを満足させてやらねばならんのか?お前は何様だ?サービスでも受けてるつもりなのか?
挨拶禁止してほしいと懇願した人はさぞ小姑みたいにチェックされて苦しんでるんだろう。
ふと思い出したので書いておく。
10年以上前の話になるが、安っぽい恋愛ストーリーの登場人物になっていた時期が自分にもあるのだ。
それは中学の頃の話で、中学の何年だったかまでは覚えていない。
地元で一番大きな夏祭りに、そこまで親しくない友人に誘われた。
彼はそこそこモテる男であり、自分は数合わせの添え物なのだと感じた。
親しくないとは言え、同じ部活動に所属し、家に遊びに行ったこともあるぐらいの仲で、しつこい懇願を断ることもできなかった。
待ち合わせの場所で合流する。
女子の一方は案の定、彼のことを好きだと噂される子であり、予想を裏切らなかった。
もう一方はどうか。自分と幼馴染で気の強い女子であり、なるほどこの2人で彼を取り合うわけかと1人納得していた。
彼は女子の1人から「お小遣い」をもらっていたようだが、当時の自分は気にしなかった。
いいなー俺も欲しい!ぐらいの気持ちであろうか。
しばらく4人で屋台を回った。
ダブルデートと呼ぶには歪で、2+2ではなく3+1の構図・・・のはずだった。
幼馴染が諦めたのか、彼ともう1人の女子を2人きりにしてあげるというようなことを言い出し、必然的に自分と幼馴染2人で歩くことになった。
無言のまま歩いた。
失恋しているのだろう彼女に、なんと声をかけたら良いのか分からなかった。
ここで1つ問題がある。当時、自分には好きな幼馴染の子が別におり、彼女もそれをよく知っていたのである。
この子と付き合いたいのなら私の許可を取ること、といった会話をしたことを覚えている。
そして自分の住む町は田舎、学年にカップルは数組いるが、それは連絡網のごときスピードで伝達されていったことを思い出す。
すぐ茶化される目に遭うのは目に見えているし、もっと現実的な問題として、付き合った男女が何をするのか分からなかった。
色々な思考が頭を巡り、答えることができず、言葉を濁すだけであった。
あそこにかっこいいお兄さんがいる、みたいな、そんな話をしていたと思う。
彼女が立ち直ってくれて良かったと思った。