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はてなキーワード: 得体とは

2013-12-25

日立製作所は本当に馬鹿

今年の初夏に日立仕事したんだ。30日ぐらい。

このクソ忙しい年末に、以下をやれだって

・自宅のパソコンに業務情報が残存してないかチェックしろ

P2Pを使ってないことを証明しろ

・ツールはこれを使え(と言ってCDを)

馬鹿じゃねーのか。

だいたい、作業所ネットに繋がってないし、記憶媒体持ち込み禁止だっただろうが。

それをどうやって自宅PCに業務情報を保存するんだよ。

逆に教えて欲しいわ。

あと、得体の知れないツールを、自宅マシンインストしろってのもすげえ腹立つ。

イマドキのPCCDドライブなんか付いてないっつうの。

うちにはWinが2台とMacが2台、iPodTouchとiPadMiniがあるから計6台についてチェックシート提出しろだって

マジでムカつく。金輪際、日立とは仕事しない。

2013-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20131217164654

なぜブログでそれを書かないのか。あと文章のネカマ度高すぎ。

私は数あるブログサービスの中から偶然はてなブログを選んで、偶然性別が女だっただけなのに、なぜ急に、勝手に「はてな女子」なんていう得体の知れないものカテゴライズされているんだろう。

これが言いたかったのか。だったら、女ってだけでカテゴライズするはてな時代遅れじゃないの?でやり直し。30点

気がついたら「はてな女子」にされていた

サービスが始まったばかりの頃にはてなブログブログを書き始めました。その日その日感じたこと、思ったこと、考えたことを細々と綴るようになりました。

それまでの私と「はてな」の関わりは、はてなブックマークホットエントリーを読むくらい。「はてな」は「エンジニアの人たちが色々と難しい議論をしているところ」。そんなイメージがあって、そこのはじっこでそっと屋根を借りるような気分でした。

つい最近、「あなたへのお知らせ」ではてなブックマークではコメントがつけられることを知りました。そのコメントで「自分に酔っている」と言われて戸惑いました。まさか日記に対してそんなコメントをつけられるとは思ってもみなかったからです。

そのコメントがついた記事ははてなブックマークの「はてな女子」というカテゴリに表示されていて、私はまた戸惑いました。私は数あるブログサービスの中から偶然はてなブログを選んで、偶然性別が女だっただけなのに、なぜ急に、勝手に「はてな女子」なんていう得体の知れないものカテゴライズされているんだろう。

最近はてな女子」について言及する記事を見るたびに、はてなブログ日記を書いてはいけなかったのかな、と困惑しています。別のブログサービス引っ越したほうがいいのかな、それともブログ自体やめたほうがいいのかな。

はてな女子」って何なんですか?

2013-12-10

ブログ論争 個人的まとめ2

はてなの町とサードブロガー

http://anond.hatelabo.jp/20131025170009

これも有用サードブロガー論考。こちらの方が私の文章より的を得ています


ではhttp://anond.hatelabo.jp/20131209142219に引き続き

私なりのサードブロガー問題を語っていきたいと思います

まず、前記事に付いたブックマークコメントの中に、これからの私の論の展開を予想した素晴らしいものが2つあります

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131209142219


『この仮定の下で考えると、サードブロガー論だけじゃなくて「釣り診断」みたいな流れにも巻き込まれちゃったよーな印象がある。

以前より見る側が釣りかどうかを意識するようになってきた気がするのは私だけでしょうか』

http://b.hatena.ne.jp/murishinai/20131209#bookmark-172583242

『なんで中心にいちゃだめなの?(確信犯/天然)ってのが争点なんじゃないかなあ。』

http://b.hatena.ne.jp/nemoba/20131209#bookmark-172583242






そうです。私は次にブログの真偽判定問題について書くつもりで前半を締めくくったのです。


さて、はてなではトピシュ氏http://topisyu.hatenablog.com/

hagexhttp://hagex.hatenadiary.jp/

ネット投稿された様々な文章の真偽(作り話か・釣りなのか)をブログで判定・解説してるらしい(詳しくは知らない)。

正直に言うと、あまり私が近づく界隈ではないです。釣りに対する私の攻撃方法は、彼らのやり方とは少し違います

何をもって釣りだとするのかの基準も私とは違うようです。私が悪質な釣り師だと感じているのは

引きこもり女子いろいろえっち氏であり http://luvlife.hatenablog.com/

彼女ネット上での女体をチラつかせた立ち居振る舞い(サードブロガーとは逆に、自意識を絶対に出さない)をもって、

私は彼女を「熟練ソープ嬢」「女版村上春樹」と罵りました。

しかしそれでも、彼女に「これが私の素だよ?」と返されたら私はその言葉を信じるしかありません。

彗星ショッカー氏もこんな記事を書きました。

釣り記事」じゃないのに「釣り記事」ってゆわれる(´・_・`)

http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/12/09/193914

こんな記事を書かれたら、それを信じるしかないのです。大彗星ショッカーPV数なんか狙ってないんだ。有名になりたいわけじゃない。

『ただ自分の思いを「ストレートに!!まっすぐに!!ぶちまけてみた!!」』だけ。で、たまたまPV数が爆発的に増えてると。そういう純粋ブログなのかもしれないのです。


しかしこんな考察もあります

コメントが欲しいだけなら、ブログの記事は不完全な方がよい」

http://akamemukan.hatenablog.com/entry/2013/12/08/085228

そうです。この方がおっしゃられたような、『わざとスキを作っ』ているのではないかと思ってしまうほどの稚拙文章や、

『誤解を招くようなタイトル』がサードブロガーには多過ぎるのです。

「なんでもっと考えて文章を書かないんだろう?」「なんでこんな極端なことを言うんだろう?」

という疑問も上の記事を読めばある程度は納得できます

ショッカー氏の『僕はウソをつけない』という発言も、果たして本当のことを言っているのか、それともキャラ作りなのか、どちらなのか分からなくなります

そういう邪推を起こさせられるサードブロガーに比べたら、やまもといちろうの記事タイトルのなんと大人しいこと、文章中の意図のなんと分かりやすいこと。

誠実さを感じます。でも資産(ry


しかし私はそれでも、彼らが「キャラを作ってる」とは思えないのです。

キャラを作ってる人間文章というのは分かります

キャラを作ってるというのはまさに「引きこもり女子いろいろえっち」のように、自意識を一切見せないのです。

「こいつ何考えてるかわからん」「得体が知れない」と感じる人間に、私は「キャラ作り」認定します。

しかサードブロガー自意識だだ漏れです。

まつたけ氏の立ち居振る舞いに至ってはあれは自意識とかキャラ作りとかの次元を超えて彼の「悲鳴」のような気もしています


サードブロガーキャラを作ってません。では、私は彼らをどう解釈しているか

私は、彼らは「自分の心や思考を文章に変換」することができない、またはそういう訓練を受けてないだけの人たちなのだ解釈しています

私はまつたけ氏やショッカー氏の書いたものブログ文章とは認められません。

ブログを書くことも、ブックマークコメントをすることも、2ちゃんねるに書き込むのも、発言小町に書き込むのも、義務教育を受けた日本人なら誰でもできます

そして、皆きちんと文章を書いています。お喋りするように書き込んでいるわけではないのです。2ちゃんねるですら、「文章」が飛び交っています。お喋りをしているわけではないのです。

しかしどうもサードブロガーを見ていると、その文章LINEのやり取りとか、中高生ツイッターでの営みなどの、「お喋り文」なのです。

一言二言の羅列、文脈が見えない、第三者が読んでもよく理解できない。ありのまま感情をそのまま放出している。

もしそういう、サードブロガーLINE文章がこれから日本語文章の主流になってしまうのなら、私はそれに断固反抗します。

お喋りのコミュニケーション文章コミュニケーションは違うはずであり、それぞれにそれぞれの良さがあるはずです。それを統合してしまうのは

世界が1つ無くなってしまうのと同じことです。

私はなぜここまでサードブロガーを批判したくなるのかと自問してみると、やはり「彼らの文章文章に対する姿勢が気に食わない」ということに尽きるのだと思います

から、「彼らは悪意など持っておらず、ただ文章表現に対する姿勢が甘いだけなのだ」というのが私の意見です。


では次に、私以外の大多数に圧倒的に支持されている、「サードブロガーはただの釣りである」「PV稼ぎである」「キャラ作りである

という意見をまとめ、釣りPV稼ぎ・キャラ作りの何がいけないのかを語ってみたいと思います。また彼らの「打たれ弱さ」についても考えてみたいと思います


続き→http://anond.hatelabo.jp/20131211124543


(文・masudamaster)

2013-11-20

性同一性障害者とラブホに行ったら入室を断られた

性同一性障害者(FTM)とラブホに行ったら入室を断られた話。

FTM - Female to Maleの略。身体的には女性である性自認男性。(wikipedia

なんやかんやでラブホに行ったわけです。場所は駅周辺にラブホが5件くらいあるような都内のやや外れたところの駅。

行ったのはおっぱいのみ手術して無くなっているFTM男性FTMは外見的にも声を聞いても男にしか見えない、性器戸籍以外はほぼ男。

ラブホテルに行く経験はお互い少ないけれど、まあ都内だし現代から何も問題ないだろうと思って出かけた。この判断には以前一度新宿FTMの人とラブホに問題なく入れた経験があったことも理由として挙げられる。

そしてラブホに行って、フロントで断られた。対面式の受付だった、部屋をお願いしたところ受付のおばちゃんが「えっ…あれ、お連れ様は…え、おふたりですか?男同士の方は…」みたいな対応

ラブホホモが断られることがあるとは言うけど、問題はホモかどうかではなくその人そのカップルがちゃんとしているかであり、現代おいてそんなことはきっとないと何となく信じていた。なので断られてびっくりした。

しかし一緒にいたのはFTMであり女性と言えば女性であった(戸籍女性のままだった)。男っぽい女性だって世の中いくらでもいる、男性同士ではないのだから気にする必要はないと考えた。「いちおう女です」と揃って主張した。すると受付はいぶかしがった「…え…何か証明するものとかあります……」。

そこで公的身分証を提示した、戸籍女性であった。これで問題なく、ああ女性の方だったんですね失礼しましたとなると思った。しかし結果は「…え………いや、ちょっと…入室していただくわけには…」みたいな反応であった。びっくりした、ならなぜ身分証を求めたのか、好奇心で訊いたというのだろうか。ホモであるのがラブホで断られるのは汚れるからみたいな話を見た記憶もあって、女性であるなら何も問題はないと考えていた。そこまで求めて断るというなら、それは得体がしれないから断ったとでもいうのだろうか。

重ねて断られて粘ったり怒ったりはせず、結局は立ち去りました。しか現代の世の中でしか東京なんかもう差別意識は低く優しい人間社会だとなんとなく考えていた、それは過信だったなと思いました。

なおその後、別のラブホに行ったところ問題なく入れました。

2013-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20131118141629

以前から気になってたんだけど、その「青二才」って誰なの?

増田、というかはてなってたまに得体の知れない人が唐突に話題に上ったりして凄く疎外感を覚えるんだよな。

2013-10-14

午前1:30

自室。真っ暗。間接照明をつけた。部屋が淡いオレンジ色に染まるが、照明は一個だけなので薄暗い。

いつものブログを巡回。どれも更新ナシ。Twitter特にこれといったつぶやきもなく。

今日の夕飯はファミチキカレーパンじゃがりこを肴に泡盛ロックで。

テレビはもう何ヶ月もつけていない。部屋にはクーラーの音と、時折通り過ぎる車の音だけ。

ちょっと前までは、自分人生を変えたくて必死に戦ってたっけな。

毎日が緊張の連続な分、酒を飲むと自分でも不思議なくらい涙が出てきたもんだった。

なんだかよくわからない、自分じゃ手に負えない得体の知れないモノと戦っていた。

勝てば輝かしい未来がまっているんだと。

大人になれば、立派になれば、周りから認められれば、こんな得体の知れない惨めな気分とははオサラバできるもんだと。

違った。

去年からバーに通いはじめた。

一人で酒を飲みにバーに行ってカウンターに座ると、同じカウンターには俺の親と大して年の違わない大人達が寂しさを抱えて酒を飲んでいた。

俺には偉そうに説教こそするが、その説教の裏には、うだつのあがらない自分自身へのやりきれなさが隠れているのがわかった。

あぁ、大人もこの、わけのわからないもんを背負ってるんだ。

快楽で忘れるか、若者説教を垂れるか、仕事に没頭するか、政治家社会のせいにするか、、、若い奴とは違って対処方法はいろいろ持ってるにしろ

大人も皆、難儀していた。

どんなに立派な肩書きを得ようが、周りから認められようが、このわけのわからない心の隙間は埋まらないんだ。



カレーパンファミチキを食っている間、幸せだった。

泡盛も、氷でいい感じに冷やされて美味しく飲めた。じゃがりこ泡盛にあわなかったけど。

生きるってこういうことなのかなと思う。

自分世界を作って、好きな人と繋がって、自分幸せを知り、その一瞬、一瞬の幸せを感じることが。

偉くなるだとか、立派になるだとか、そういうのは、もうどうでもいいと思った。

2013-08-26

ネットの恐怖

昔のインターネットって怖かった。とても危険でとても怖かった。

ピーピーガーガーとモデムがなったら、そこからリアル区別される世界だと教えられ、

その先には、黒背景と巨大サイズ白文字が出迎え、僕らに恐怖を教えこむ。

僕らは、リアルネット別世界だと、懇切丁寧に教えて貰っていたのだと今に思う。

少し昔のSNS時代でも、ネットは別の世界だった。

mixiのように、クローズドネットを作ることで、パプリック象徴であるネットを際立たせた。

得体の知れないパブリックネット世界という恐怖は残っていた。

うちらの世界」は、mixiはいくらでもあった。でも、そこは閉じた世界が守っていた。

それでも、燃え始める人が増えた。

クローズドネットパブリックネット棲み分けが議論された。

でも明確な答えはとくになにも無く、先に進んでしまった。

スマホ時代ネット世界は消えてしまった。

最近スマホアプリは、ネットに繋がってるのは分かるけど

そのデータどうなってるとか分からない時がある。

下手したら公開されてるの?みたいなのがある。

それがいつも使う便利道具として身近におかれている。

ネットは昔より怖くなってる。それはネットリアルになってしまたからだ。

リテラシーの高低で優越感浸ってる ばかだブックマーク があるけど

そういうブクマされる記事を見ると、自分ネットを始めたのがもっと遅かったら

正直危なかったと、ひんやりする方が多い。

ネットの恐怖の右腕だった2chが死にかけてふと思った。

2013-08-22

文春よ、『風立ちぬ』に芥川賞を与えよ

映画風立ちぬ』を観た。

これは映像で語られる新しい文学の形だと思った。今後映像作品の制作に携わる人すべてが観なくてはならない。それだけの業を見せてくれる映画だ。

何をしたい映画なのか

この作品を読み解く上でもっと重要キーワードは『風立ちぬである。私は前情報として、この作品はゼロ戦設計者・堀越次郎の半生と堀辰雄小説風立ちぬ』を組み合わせたものであること、および本筋は堀越の側から採られていることまでは把握していた。そこで抱くのは「ならばなぜタイトルが『風立ちぬ』なのか」という問いであった。

商業立場に基づいたパッケージング広報が随所で誤解を誘発させている映画であるが、それでもタイトルとオープニングは主題に正直だった。はじめにフランス語交じりのエピグラフを見せられれば戸惑いつつもやはり「この映画で私は文学をやりますよ」という表明と受け止めるほかない。ヒロインとの出会いのシーンではなんと——技師の卵・堀越次郎としては不自然まりない——仏文学生のようなやり取りをみせられる。……オーケーだ。心を決めよう。わざわざ飛行機大地震という刺激的なシーンの合間に配置したのはかえって本気が感じられる。こちらもそのつもりで観ることにした。

はいえ、映像作品と文芸作品——殊に私小説とでは観る/読む姿勢質的な隔たりがある。作者はこれをどう翻案してくるのか? ここでもキーワードは『文学』と『風立ちぬである

多くの人が指摘しているように、劇中には『風立ちぬ』以外にも旧約聖書や『魔の山』といった西洋文学の中心作品から引用がちりばめられている。しかしおそらくそ意味や出典を理解することは求められていない。これは作者からシグナルとして受け取るべきだろう。——あっ、今なんか文学っぽいこと言った。そして風が吹いた。そう感じた瞬間、我々は観客から読者へと推移する。実際、そのために尽くされた工夫こそが本作をこれまでにない映画として成り立たせている。

日本文学伝統たる私小説とは一般には作者の個人的な体験を語ったもの定義されるが、その実は読み手が(多くは情緒面に欠陥を抱えた)〝私〟の情動を追いかけながらその文脈に自己を編み込んでゆくことで成り立つ極めて対話的な芸術形態である。ゆえにこれを映画で実行するためには観客からどうにかして主体性を引き出さねばならない。一体どうするつもりなのか。

語るな、見せるな、考えさせろ

一番にあるのは人物の造形と描写である。だいたい主人公からしておかしい。はっきりいってこんな身勝手な男には作者自身を除いて誰も共感などできまい。そのくせ彼の心情を伺えるのは原点である飛行機作りへの衝動のみであり、主題の一つに思える恋愛さえ観客からすればずいぶんな距離感をもって描かれている。この映画をいわゆる娯楽作品として楽しむのは大変な難行であろう。しかしそうした人物の〝得体の知れなさ〟と突き放した映像表現こそが観客を読者に変える上で重要機能果たしている。——いざ事件が起きた。けれども主人公がどんなリアクションをするのか、我々には予想もつかない。そこでその人物の行動と周囲の出来事だけが語られ、心理も感情も置き去りにされればどうなるか。我々は残る最後の手——自力でそれを補うことを選ぶほかない。振り返れば人物もまた文学を行う道具にさえ見えてくる。

しかしたくらみどおりに人を動かす要はやはり映像にある。シグナルである文学っぽい〟セリフに続くのは決まって突風と変事だ。さあっと吹く風に引きずられてカメラが空へ向かい、これまで観客が寄り添っていた主人公が突如フレームアウトする。視点人物の喪失自然不安をもたらし、そこでさらに思いもよらぬ出来事や主人公の行動を目にした観客は解決を求めて必死で事態を追うよう仕向けられる。こうして観客は気づかぬうちに主人公の心理を己の内に抱え込む。かくして映像言語による小説的描写が果たされる。みごとである

そうして状況が収まり不安が解消された次に訪れるのは〝平常〟である。正常にせよ異常にせよしばらくは事態の変化はなく、そうである限りは主人公の行動も我々の予想の範囲に収まる。主人公はどんな状況に置かれても自分の夢につながる道を一途に辿り、時には常識によって非難される。「だいじょうぶです。あなたの頭の中にある人物像はそれほど間違っていません。そのまま続けてください」そういう作者からの配慮を感じるひとときでもある。

繰り返される風景

このように、物語の進行は事件とそれに続く平常との繰り返しによって綴られている(それがふさわしい時代でもある)。

そして繰り返しの合間は主人公の夢を再確認する時間だ。飛行機への憧れを描くこのシーンは物語区分けすると同時に、現実との対比を描く場でもある。印象的なのは、夢の中では誰もが等しく飛行機に乗り、笑顔でいるということ。理想が、道徳が語るもの主人公は明確に認めている。にも関わらず現実の彼はためらいを見せることがない。風は——? 空を飛んでいるかぎり、止むことはない。

先の見えない時代戦前文学匂い。そして変事の前触れたる風。それこそが物語を支えるビートである。そのためにこの作品は『風立ちぬ』を必要とし、ゆえにこの映画タイトルに『風立ちぬ』以外の選択肢はありえなかった。

(続く)

2013-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20130820022635

元増田を代弁すると

理屈に合わない不気味な得体の知れないパワー(巨人)に対抗するための力を同じものにしては駄目っていうことでは?

ちょっとズレた例えで正確ではないけど、進撃っておおまかな構図としては怪獣に対抗する科学特捜隊ウルトラマンっていう感じに近いかも。

立体起動とかは理屈に合わない装置だけど、決して巨人を倒すのに決定打にならない。

一応それの他にも細々とした科学を駆使して、巨大な化け物に対抗してるところに燃えるっていう作品だったのではないだろうか(巨人化が出る前は)。

あ、僕はエレン巨人化はどっちでもいい派です。

2013-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20130814020053

最初から期待しすぎてるんじゃないか

「魅力的な超大作MMORPG」より「得体の知れないフリーソフト」のほうがはまったりする感じ。

2013-08-12

自己責任」って児童用の用語だよねそもそも

こないだテレビ東京見てて、千歳烏山のプレーパークが出てきた時にさまーずが

自己責任って言ってたけど本来相応しい使いどころってそこだよね

児童公園にこそ相応しい

 

で、「得体の知れない自己責任という言葉蔓延して」と言ってた社会学者の人とか

ふと思い出してたんだけど、それもそれでなんか違う気がした

曖昧概念社会を語るのに相応しい言葉が、小学校で打ち止めなんじゃないかって

それだと自分の知ってる身の丈に合った使い方してるってことじゃないかなぁ?

ただ、もともと児童にこそ相応しい概念だとそりゃ、逆に範囲広くなりすぎるわな

 

そもそも親に守られてて、ある程度管理された環境の「有限責任」だからこそ

曖昧に言い放っても特に問題がない用法での「自己責任

親掛かりならではの社会現実も知らない奇麗ごとにもなるわな

 

ここの問題点は多分小学校まりの発想の持ち主が表に出てることだけな気がする

あと、社会学先生がいくら嘆いても多分そいつ意味わかんないよね?

趣味人間観察な人は好きになれない

自分は観察する側なんだっていう、若干の上から目線な感じが気に食わない。

あと具体的に何をやる趣味なのかよく分かんない得体のしれない感じとか。

カフェの外の席にに一人座って通りすがる人のことをじっと見てるわけ?それならそれで凄く気持ち悪いし、そうじゃないなら何をやっているのだろうか。

あと、趣味人間観察だからって趣味人間観察じゃない人よりも鋭く人の長所短所とか特徴、性格とかを見抜けてんのかよとも思う。

2013-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20130725000731

続き。

開始して数分でいきなり何通もメールが来る。おまえら登録後1日もたってない人間に何を期待してるんだ。というか半分くらいスパムくさい。

スパムじゃなさそうなのもやたら外部サイトに誘導したがる。アレか。業者か。しか得体のしれない短縮アドレスを張っている。フィッシングしか見えない。

万が一業者や詐欺師じゃなかったとしても、おっさんネチズンの俺にとってはメールの直接やり取りは相当仲良くなってからというのが常識なのでマジレスしていいのかどうか困る。

これがアフィの餌になる程度なら別に困らんのでいいが、無邪気なのか悪意なのか判断できないので、悪意であることを前提にしか行動できない。

俺はネプテューヌコレクションをちょっと試してみたかっただけなんだ(そしてあまりレスポンスの悪さにこれはクソだと判断せざるを得なかった。DMM.R18のエロゲの方が反応いいとか終わってる)。

ネチズン歴は長いが、こんなに有名なのに登録して後悔したサイトなんて初めてだ。

どうしてこうなった

2013-07-17

道半ばまで歩いてみて

http://anond.hatelabo.jp/20130716162838

長文注意。

私自身が大阪出身ということもあり、共感を覚えたので書いてみる。

彼より人生が十数年先行していることを除けば、概ね状況は似ているように感じたのだ。

まり、いわゆる元増田記述に昔の自分を見たので、私自身の回顧録的に勝手に文字を綴ってみるわけである

 

私は大阪府北部出身だが公立中学は荒れていて、ガラス割れる、校庭にバイクが乗り入れる、などイベントに事欠かなかった。

中学生当時の私はZやZZを全話みたり、イデオンについて語りたくてうずうずしてるような人間だったので、当然カースト下位だったし、またそれに応えてくれる人間クラスどころか学年にもひとりもいなかったので、流れ弾に当たらないよう目立たなくして学校に行っていたのを覚えている。

かろうじてゲーム(例えばDQFF)の話でクラス人間言葉を交わす程度だったように思う。

 

もちろん、いじめのようなことも多々あった。

思い出したくもないが、様々なモノがなくなったし、色々な心無い言葉が私に向けて飛んできた。

そのときの私は「どうせ中学までの付き合いだし無視すればいい」と考えて無反応を貫いた。

高校大学地元から遠いところに入学し、実際その通りになった。

 

ところが20歳の頃に中学同窓会が企画され、何故か私にも声がかかる。

幹事いわく、「四大に行った人は忙しいと思うけど参加してくれないかなぁ?」

詳しく聞いてみると、その公立中学クラス40名ほどのうち4年制大学に進学したのは私を含めたったの5名だった。

私を除いた全員が私立大学文系で、国公立理系だった私は一緒にされたくないなと思ったものだ。

 

意を決して同窓会に参加してみると、そこにいたのは高卒就職組がマジョリティの30人ばかりの集団で、その多くが当時流行っていたフリーターであり、無職も多かったように思う。

数少ない正社員になった者は同級生結婚して子持ちだったりして、「彼らはこの先どうやって生きていくつもりなんだろう」と若かりし私でも考えた。

また、女子は3割強が結婚しており、すでにバツイチがついているのもいたことに、まだ学生だった私は別世界を見た気がしたのが印象に残っている。

 

しかし、確かに別世界だとは思ったが、その世界もそんなに悪い気はしなかった。

彼らには彼らなりの幸せがあり毎日が充実していて、私に子ども写真とかを嬉しそうに見せてくる。

当時の私は研究室の選択とその先が見えずに悩んでいる状態であり、彼らと話して何とも言えないもやもやした思いを持った出来事だった。

 

さて、その後。

 

バブルが本格的にはじけ就職戦線が急速に学生不利になると、私には思うような就職先はなかった。

それでも一部上場企業に何とか滑り込み、色々な開発に約10年携わった。

今でもその時の製品がこの世の片隅で役立っていることがうれしいし、地元に残った人たちとは一味違った仕事ができたと思っている。

しかし、地元の彼らが20歳で得たような幸せをついに得ることはできなかった。

また、誰かの役に立っているという実感を得ることもできず、逆に仕事に疑問を覚えるようになってしまっていた。

そして、職を辞し、医療職へと転身することを決意する。

 

ちょうどその頃、30過ぎになって再び中学同窓会があった。

2回目の学生をしている私に対して、子ども小学生に育って悩みを話している人たちはもっと遠い存在に思えた。

もはや、そういう形の幸せ想像してみても実感がわかないものになっているように思えたのだ。

それよりも気になったのは参加人数が半分以下になっていることだ。今回の幹事によると消息がしれない人が多数いるらしい。

同窓会の席で聞いてみても、地元に残った人の間でもよくわからないのだそうだ。

消息不明の人たちに関しては、実家ごと引越したとか、関東方面に働きに出たとか、いろんな話が飛び交っていたが得体のしれないものばかりだった。

 

結局、私が15歳の時に同じ教室にいて、20歳ときに全く違う地平を見ていた人たちは、30歳を越えてもっとラバラになってしまった。

これには様々なことが絡んでいると思う。

例えば、私が育った街が戦後にできた郊外だったからかもしれない。

地元と言っても、地縁があったり血縁者が近くに住んでいたりするわけではなく、ただ「近くに住んでいた」に過ぎないからだ。

そしてそれは、そこに留まる強力な理由にはならかったのだと思う。

その他にも挙げていけば本当にきりがないし、きっと元増田とも環境全然違うだろう。

今回こんな文章を綴ったのは、環境が違うにも関わらず同じようなもやもや感があることが、とても気になったからだ。

 

私はこのもやもや感を今でも持っているし、もしかしたらさらに十数年経ってもこれを持て余しているのかもしれない。

でも、どこかの時点ではすっきりしたいとも思っている。そんな日がくるのかどうか全くわからないけれど。

2013-07-14

現実から逃避したい脳が今考えていること

この間、うたプリ購買部行列騒動があったじゃん。

うたプリのことは、乙女ゲーらしいこと、アニメ化してること、なんかすごい人気らしいこと、ぐらいは知ってる。

行列騒動は、ツイッター情報をまとめてるやつを読んだ。あとさっき公式サイト購買部の商品も見てきた。

人気あることは知ってるって言ったけど、どういう行動特性をもった、どういう社会的属性が、何人規模で居るのかまでは知らない。

から待機列整理のためのスタッフを用意しておくべきことは批難されてるほど余裕で想定可能だったのか、

そもそも日替わりアイテム先着販売とかでもないのに、何故そんな開店から列に並びに来るのか、わからなくて気になっている。

ネットで時々写真を見かける、痛部屋って言うのか、壁や天井が見えなくなるほど部屋中にアニメキャラポスターやグッズ飾ってる部屋、

列に来る人が全員そういった部屋なら、ああそういうプライオリティなんだな、ってわかった気になれるんだけど。たぶんきっとそうじゃないと予想していて。

グッズそのものよりも、グッズを買うためにする行動の方が目的の人が大半じゃないかなーと。

徹夜とか、オールとか、始発とか、ファン=熱狂者の行動をやってみたいと思ってのロールプレイで、

グッズを入手するのに一番合理的な手段を選択した結果じゃないんだろうなーと。

でもさー、結局だいたいの合理性って負けるんだよねー。非合理的ないろいろに。きっと合理的って、究極的には代替可能ってことで、ある意味一番敵視される思考なのかなーとか、最近すげー感じる。そんで、そんなことどうでもいいか現実から逃避したい。逃避したくてこれ書いてる。でもどんどん時間が流れてどんどん窮地に立っている。いや違うな。自分としては逃避してもらっちゃ困るから、脳にはぜひ向き合ってもらいたいんだけど、脳がどうにも逃避するんだよ。どうなってんだ。何かをロールプレイしようとしての行動なのか? 現実から逃避する存在ってなんだよ。頼むからそんな本人すら得体が知れない存在を目指さないでくれ……

急募任意に設定した目標に対して、脳に合理的な手段を選択させる方法

2013-06-26

通販サイトは案外セキュリティうんこかもしれない

2年前、とあるちいさなちいさな制作会社で働いてた。

表向きは制作会社だけど、当時はエロサイトとか作ってた。

今はどうしてるかしらない。

そこで運営してた自社サービスの一つに食べ物系の通販サイトがあったんだけど、そこの管理がすっごいずさんだった。

なにせ、当時の管理者のログインIDパスワードがADMINとPASSWORD(一応フェイク)なの。

EC-CUBEからURLのあとにadmin/ってうったら管理画面にとべちゃうのに。

これはまずいでしょって訴えたけど改善されなかった。

たぶん今はさすがにIDパスワード変わってると思うけど、

あれ以来得体のしれない会社の運営してる弱小通販サイトは怖くて使えない。

2013-06-21

詩人オウム世界

そろそろ時代的に地下鉄サリン事件を知らない世代が表に出てきてもおかしくない頃合だと思う。というか、かく言う自分がその辺りの人間である

事件のあったときに生まれてなかったという訳ではないけれどあまりテレビとか見てなかったしそもそも住んでいた場所が事件のあった霞ヶ関辺りとは遠く遠く程遠い場所だったのであまり実感も何もなかったってのもあるしあまり詳しくは知らない。でもじゃあ今になって事件を詳しく調べてみようなんて気分には正直全くならない。寧ろ出来るだけ触れるべきではない話題なんだろうなあと何となく怖がっている節がある。世間的な大事件といえば酒鬼薔薇の件や宮崎の件、バスジャック云々ってのもあったしあと最近なんかだと加藤の件とかも、とにかくセンセーショナルな物といえば他にも色々とあったはずなんだけど、それでも口に出すのも憚られるってレベルじゃあない。一体どこら辺が差を生んでいるんだろうなあと思った結果「被害者が進行形で後遺症に悩まされている」とか「関係者がつい最近まで逃亡生活をしていたり何らなの形で事件がまだ続いている」みたいな印象があったりするせいなのかなー、とか。何かと聞くのも調べるのも気が乗らないし不謹慎みたいな感覚があるんだよなあ。ポア鳥とかネタ的な感じで使われてる奴とか見ても結構笑いづらくて勝手に困っちゃったりしてる。とはいえこちらが調べるつもりじゃなくてもある程度耳に入ってきちゃったりする話なんかを聞いていると事件当時ないし事件が起きるまでの間にどういう風な感じでオウムが扱われてきたのかとか色々と聞こえてくるしやっぱり興味がないわけではない。怖いけど。

事件が起きるまでは「ちょっと変な宗教とその教祖」程度の扱いで結構普通にメディア露出していたとか、反面映像作品に教祖写真サブリミナルでぶち込んで視聴者に刷り込もうとしたとか、選挙活動していたとか(歌、有名らしいけど)、今思うと結構引く様な風景だけど当時としては割と日常風景だったんだなあ……何か怖い。いや寧ろそれ位まで浸透してきた辺りで事件が起きてしまたからこそのセンセーショナルなんだろうか。どうなんですかね。

日本人宗教嫌いはオウムのせい、なんて話も聞くけどそれはちょっと言いすぎだと思う。多分もっとから結構ひねくれてる人種からオウムだけのせいとはいえないと思うけど、まあ宗教自体に対する偏見とかあからさまな忌避みたいなのはオウムが決定的にしちゃった部分はあるのかもしれない。まあやっぱ当時の事知らんからなんとも言えんけども。実際海外に行って無宗教なんて言うと酷く胡散臭がられるらしいなんて聞いたけど、その場でちゃんと「日本では新興宗教化学兵器テロを起こした事があってそのせいで宗教に対する偏見が強くなったんだよぅ」とか理由付けをしっかり述べてあげれば先方も納得するとは思うけどね、っつーか寧ろショックで口半開きになるよきっと。何せそんな事件なんて世界広しっつってもこの国だけでしょうし。自爆テロなら今でもチョイチョイ見かけるには見かけますが、「新興宗教が」「化学兵器自作して」「地下鉄にばら撒いて人を殺す」んですよ。色々な意味ツッコミ所が多すぎる内容ですよ。

 

 

 

……オウム。結局は得体が知れないから怖いって事なのかなあ。新興宗教ぶち上げて人殺して、結局何がしたかったんだろうか全く分からない。分かるわけはないですし実際に首謀者たるヒゲ教祖(昔から生理的に苦手な風貌ではあった)も今では鉄格子の向こうで気が触れてらっしゃると聞くし、真相は闇の中って奴なんだろうなあ。何かやだなあ。怖い。

2013-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20130612172735

まずさあ

全然反応がなくて元記事消しちゃったから、

こういう意味不明なことやめような。


で、ざっと見て言うけど

どんなサービスなのか、現状どんな感じなのか、を登録前に眺めさせろや。

なんでいきなり新規登録なんだよ。焦りすぎだよ。

得体も知れない、どう楽しいのかまだわからないサービスに飛んで、

「まず新規登録しましょう」って言われて「はい」ってなるか?

お前も逆の立場だったら興味なくして帰るだろ。


で、全然絵の投稿が無いから見せられるような現状がないのはわかった。

ならもうちょっとお前のメッセージとか見せるしかないじゃん。

というわけで、開発者ブログhttp://pictshelf.hatenablog.com/entry/2013/06/11/215230この記事とかのリンク

大きめに出して「こういうサービスなんですよー」ってのをまずは前面に見せろや。

なんとなく見に来た奴はそこまで自主的に掘ってくれないよ。

お前が誘導すんだよ。


お前は全体的にあれや、

「お前がお前に対して興味あるほど他人様はお前に興味が無い」

っていうことをきちんと理解すべき。

これは誰にとっても真理。

からやすくわかりやすく、神経使うんだ。


まあ腐らずがんばれ。

あと、コンテンツが無いなら自分の絵をどんどん投稿すんだよ。

人が居ないうちは管理人コンテンツになるしかないじゃん。

2013-06-09

身長170cm未満の低身長男性女性から敬遠される理由がわかった

容姿の良し悪しじゃないんだよ。

ネットだけでもざっと見ても、虚言癖が多すぎる。

嘘を連呼して自分価値があるように見せかけて女に自分を売り込もうとする男なんて

から見たら大久保清みたいな犯罪者しか連想しない。

女がパートナーに男に求める物(どっしりとした男らしさや頼り甲斐、信頼性)が欠片もない。

2ちゃんねるまとめブログなど、低身長男性ネットでの言動の特徴

とにかく、嘘のソーススレを立てたり主張してばかり。

自分チビ扱いされることに異常に過敏で

「160cm台は日本人男性に一番多い平均身長!」

「だから160cm台の男も選択肢に入れないと女性の皆さんは売れ残りますよ!」

と嘘を並べ立てて女にがっつく薄っぺらい見栄と性欲の強さが、高身長男性以上に目立つ。

しかし他人はいくら傷ついてもかまわない。

自分より小さい160~165未満の男性など、とにかく「自分より下」の存在を作って

執拗に攻撃していたぶり憂さを晴らしたがる歪んだ人格も露わになっている。

芸能人で逆サバは、吉田栄作

実際184らしいが、本人がテレビ番組で182のほうが響きが良いか

182で登録していると打ち明けていた。

ただ、本人曰く174と172なら174 らしい。

最新の日本人の成人の平均身長を、文部科学省_体力・運動能力調査_年齢別体格測定_2024歳_身長平成13〜18年度(6年間)の平均から求めると、男性172.1cm・女性158.8cmになります

(生まれ年)(二十歳男性の平均身長
'92171.9
'91172.0
'90171.9
'89172.0
'88172.1
'86~'87172.0
'84~'85171.9
'83172.1
'82172.0
'79~'81172.1
'78172.1
'77172.0
'76172.1
'75~'74171.9
'74171.9

http://www.geocities.jp/resultri/crankcho/height_j.html

平成18年日本学校保健統計調査 成人男性身長 より

150 *0.07  160 *3.36  170 48.46  180 95.00

151 *0.09  161 *5.06  171 55.55  181 96.53

152 *0.13  162 *7.30  172 62.11  182 97.65

153 *0.20  163 10.17  173 68.57  183 98.44

154 *0.33  164 13.73  174 74.13  184 98.96

155 *0.43  165 18.24  175 79.29  185 99.43

156 *0.61  166 23.30  176 83.91  186 99.67

157 *0.99  167 28.87  177 87.74  187 99.76

158 *1.45  168 34.58  178 90.58  188 99.84

159 *2.21  169 40.79  179 93.05  189 99.91

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011648

170以上の人間が成人男性の6割もいるわけだから

150~160台の男はどうしても周囲にいるその6割の170cm以上の人間と常に比較される。

170代前半の人間も「あと一歩で恐怖の160台」という身長コンプを持ってるから

厚めの靴を履いたりするので、結果的に160台は埋もれる。

2013-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20130518010714

文章上では得体が知れなくて気味が悪いですよ。魅力的っていうけれど、肝心のその魅力が1mmも伝わってこない。

容姿が優れているわけでもなく振る舞いに常識を欠いてすらいるようだし。傾世元禳でも持ってんのか?

2013-05-07

Gunosy批判についてそろそろkensuu御大から一言欲しい

もうね、見てられないよ、あの得体の知れない意味不明な揚げ足とりの批判。

いくらなんでも可哀想。

陰湿さでは定評のある日本スタートアップやる以上はああいう批判に対応するのも仕事なのかもしれないけど、今はまだサービスの中身に専念させてあげて欲しい。

kensuuさん擁護してやってよ。

頼むよ。

2013-04-24

土産の話

自分不安である物心ついた頃から不安である。理由は特にない、多分。器質的ものである

で、昔からお金を使うのが怖い。お金が足りなくなるのが怖いのだ。今ここで使ったらいつかの時に足りなくなるかもしれない、とお金概念を理解したくらいから思ってる。それでちょくちょく使えないことがある。

なお今は加齢のせいか、あるいは貯金がそれなりの額に達して調子こいてるせいか、時々ポンと使う。普段はケチだと思う。他人に対しては常識的な額より少し多めくらいに使うが、自分に対してはドケチである。人に迷惑をかけないドケチと呼んでいただきたい。いや呼ばなくていいです。

前置きが長くなったが、まだ前置きである

姉と妹は金遣いが荒い。といっても、姉はしたたかなところがありきっちり自分の欲しいものは手に入れた上で、絶妙に足りなくなる(子供の頃は1020円、おとなになったら100~2000円くらい)ので、大人からうまいこと援助を引き出す、という術に長けている。あれも器質的ものである。たぶん。

逆に妹はバカで、欲しいものから順にてにいれていき、どうしても欲しい物を見つけた時には全く金がない。で、大人に泣きつくがあしらわれる。そういうバカである。甘い大人がいると泣きつくたびにほしいものを買ってもらえるタイプである

自分はひたすらなにも手に入れない。ケチだと怒られる始末である

で、本題の土産の話である

上記のような性質により、姉はこれまた絶妙に人に喜ばれて自分が損だと感じない土産をチョイスする。出して良いと判定しているらしい金額で、見栄えと量が最大化する組み合わせを選ぶのがうまいである

妹はバカであるため、出して良いと判定する金額が設定されていない。あとは見栄と自分が食いたいものorほしいもである。そしてその時に持っている金額しだいで土産が決まる。したがってしばしば買いすぎるか、少なすぎる(たぶん有り金がつきたと思われる)。最近は年食ったせいか身内に対しては見栄をはろうという気概が無くなったのか、質<量でやたら安いものをたくさん買ってくる。そしてまずい。

さて、そして自分だが、昔は土産を買うのが非常に苦手だった。頭のなかに最悪のケースが浮かぶのである。たとえば修学旅行観光バスが何らかの事情で使えなくなるか置き去りにされ、自力で家に帰らねばならなくなるかもしれないというどう考えてもありえないケースを最悪ケースとして考えてしまう。そうすると自力で帰るために手元にまとまった金を残しておかねばならないので、土産にも自分に対してもほとんどなにも使えない。食事も即決一番安いものである。水もできるかぎり飲まない。どれだけケチかというと、筋金入りのケチである。というか不安神経症である。それも病的な。

で、まぁどうしても土産は買っていかねばならないという意識はあり、あまりにもしょぼいと母親が切れて家を叩き出される可能性がある(家を叩きだされたあとにどうやって生活するかと考えると息が苦しくなるタイプである)ため、保険をかけて少なくとも母親が怒らない最低ラインの土産を買ってかえる。要するにしょぼい。まぁでも母親しょうがないわねぇという人だとたぶん未だに土産を買うという習慣がなかったので、母やありがたしであるが、しかししょぼいことにはかわりないのだった。で、帰ってくるとたいてい説教をされる。

はいえ、この得体のしれない不安感は加齢とともに軽減している(図々しくなったともいう)ため、大学に入る頃にはだいたい普通くらいの土産をチョイスできるようになった。

で、ある時バイトでためた金で友達ディズニーランドへ行った。大学にいったら小遣いはなくなる方針の家のため、決して軍資金は多くなかったが、出来る範囲で飲み食いをし、大いに楽しんだ。

高校生の時もやはりバイトでためた金で友達ディズニーランドに行って、金がないなりに大いに楽しんだことはある。この時はマジで金がなかったので土産はしょぼかった。カネがないことは両親も承知していたので、母はぶつくさとやはり文句はいったが、小中学生の頃ほどは怒らなかった。まぁ自分で稼いだ金であそびに行ったわけだし、文句言われるのは筋違いだと思うが。

で、大学生になってバイトで稼げる金が格段に増えた(とはい社会人ほどではない)し、友だちときゃっきゃしながら土産を買って、あぁ土産買うのって楽しいんだなぁ!と思いながら家路についた。これははじめての経験だった。友人たちに比べればやはり金遣いは控えめであるが、帰れなくなるかもしれない、路頭に迷うかもなどと考えながら半泣きで買う土産とは次元を異にしていた。普通の人はこうやって買ってるんだと本当に目からうろこだった。そりゃ、土産屋が繁盛するわけであるディズニーのゲートの外にも販売店があるわけだ。

で、実家の最寄りの駅につく。母は迎えに来てくれていた。どうだった? 楽しかった? と当たり障りのないことを聞かれて、テンションの上がっていた自分は楽しかったよ! おみやげもいっぱい買った! などと答えた。車中は和やかな雰囲気だった。母が眉間にしわを寄せずに私を迎え入れたのはあの時がはじめてだったかもしれないと思うくらい和やかだった。

が。

やはり母は母である。というかうちの家族はやっぱ世間一般からは少しずれていると思う。母は言った。妹が、もししょぼい土産しかかってこなかったら家の中入れないとか息巻いていた、と。良かったねぇ、家に入れてもらえて、と。

それから十年たった今、思い出してブチギレている。当時はむっとしただけで、あぁ、そう、で流したが、時が経つにつれ腹が立つ。

十年間色々とあったが、妹とはほぼ絶縁状態である。母はたしかに変わり者であり、私とも相性が悪かった(自分は非常に扱いにくい子どもであったので仕方ないが)のでよくきつく私にあたったが、妹はその母の尻馬に乗って私をよくバカにしていた。土産の話もその一つだ。そして母は妹を咎めなかった。

確かに自分はドケチである。だが、そういう性格なのはしかたがないのだ。不安症には長く苦しめられているし、鍵を閉め忘れたと言っては何度も家に戻りそれだけで疲れて出かけられなかったり、ストーブを消し忘れた気がするといって家に戻り約束時間に遅れたり、新しい服がすぐにダメになってしまうのを恐れてなかなか買えなかったり、首になることを恐れてバイトシフトに入りまくったり、単位落として留年すること恐れて(授業料が恐ろしい)試験前になると眠れなかったり、私だって苦しんでいる。なにも他人の土産をもらうことは期待するくせに、自分は出し惜しみするというようなケチではない。どちらかといえばもらった土産さえも非常時のための食料として取っておきかねない、そういう人間なのである

その恐怖を超えて、ようやく楽しいと思えるようになった気持ちを踏みにじられたような気がした。バカが。なにも考えずに頭から使うだけのバカが。不安も感じたことがない上に家主でもないくせに、家の中に入れないだなんて偉そうに、バカが。

たぶん今、もし今の気持ちをもったまま十年前に帰ったら、きっとそう罵ってるだろう。

あの時買ったプーさんお菓子の空き箱は、今もペン立てになっている。今はもう古い絵柄をなぞりながら、私はまた腹を立てている。だけどこの腹立ちを無神経な誰かに向けずにいられたらいいと思う。同じように不安で仕方ないだれかに、そうだよね、こわいね、でも本当は怖くないし、自分の足で立てるという確信が持てればきっと楽しくなるよ、大丈夫といって寄り添いたい。

http://anond.hatelabo.jp/20130424191627

まだ4月

6月になるまでに進路が決まっていればいいだろ。

ゴールデンウィーク明けから内々定もらうひともたくさんいるはず。

一般職というからには女性?まあ、総合職採用活動もまだまだある。

これはまあ、どれくらいの学校に通っているのかによるところもあるけど。

焦らず地道にやるしかない…

  

話すことを考えていって、笑顔面接に臨んでもほとんどが一次落ち

話すことを考えすぎて、想定問答みたいなのを作ってない?

面接における質問に対して、暗記したもの棒読みするような応答はよろしくない。

よくされる質問については箇条書き程度でまとめるのは良いだろうし、

演技力に自信があれば、入念なシミュレーションもありかもしれないし。

どうして熱意が伝わらなかったんだろう。

それから熱意。

熱意より、己が会社にどういう価値提供できるのか伝えることのほうが大切。

といっても、学部生だとそんなもの「ない」のだけども。

学部生なのかどうか知らないけどさ。

相手に、どういう風に働くことができるのかを想像させる材料を提示したい。

会社理解の上で、自分の強みがどういう仕事において発揮できそうか、考えておく。

「もし入社したら、具体的にどういうことをやりたい?」と問われたときに、たくさん話せるように。

よほど見当はずれじゃなければ、多少間違っていても平気。たぶん。

あとこの質問入社直後というか数年の間隔ではないほうが良さそう。

個人的には、考えやすいと思う。

20~30年先のことを想像するほうが、やりたいことが見つかるような気がする。

  

ここまで書いておいてなんだけど、

就職課に相談行ったほうがいい。

彼らはプロ大学の実績づくりが仕事から

得体のしれない増田アドバイスなんてなあ…

2013-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20130421000458

就職活動を含めた社会に出ることそのものへのスタンスに幅を持たせられないかと。

新卒正社員での入社以外の在り方をキャリア教育提供できないのだろうか。

正社員でなくとも、この先やっていけるという、人生設計できるようになるべき。

その考え方、価値観を身につける場があってしかるべき。

新卒正社員入社以外のキャリアビジョンが無きことになっている。これは大きな問題ですよね。

そこに組織に縛られない生き方としてノマドが食い込んできていて、これも全無思考だと思うわけですが。

契約社員採用をもらい正社員登用を狙うのもひとつ方法だし、紹介予定派遣という手もある。

そういうキャリアアップの仕方を提示できれば、新卒正社員入社一択から逃れられるかもしれませんね。

雇用市場がざわついている時期は供給過多なわけで、当然ライバルも多い。だからこそ第二新卒orキャリア採用転職する方法もある。

ところが、その方法は無きことになってる。他の方法論を知らない(知らされてない)のも不幸だと思います

企業、或いは経産省は「社会人基礎力」なる得体のしれないものを求めてくるわけで。

こんな曖昧能力、表示されても困惑するだけというのがわからないのだろうなあ。

一方的に、これが基礎力ってやつです持っていない奴は採用しません、なんてのは無責任

これを絶対値だって鵜呑みにしちゃったら辛いですね。「面接とき自分の何がわかる!」と思ってほしいです。

ただ、これには反対だ。 

自分より優れた人がいたら、どうしようもない。そう考えないのがちょっと不思議で。

反対するのは、絶対値的な考え方が前提にあるからではないですか?

自分より優れた人がいる=自分価値がない」ではないですよ。

自分は「(この会社を受けた人の中には)自分より良い人がいたんだ」って素直に受け入れてました。

もちろん、悔しい気持ちもありましたが。強力なライバルがいたら叶わない。

採用不採用には絶対値がないし、ある一定ハードルクリアした人の中から相対的に選んでいる。

個人が「自分が駄目なんだ」と思うほど、企業側は個々人の絶対値を判断していない。

ってことを教えてあげればいい。

不採用の理由なんて「君より良い人がいたから」であって、実際問題として出せないんですよ。

採用枠の数に対して多数の応募者がいて、最終的には比較検討採用不採用が決まる。

選ばれた人材内定を辞退すれば、時には次点からの敗者復活もありえる。絶対的に価値がないわけではない。

どうしようもないと考えるから死を選ぶのかも。

自分より優れた人」というのが、実はたいしたことないなと捉えられる価値観を手にする必要がある。

「たいしたことない奴に負けた」と思うのは、もっと辛くないですか?

どうしようもないくらいで自殺ちゃう

結局はその一か八かの思考を正してあげなければ、この先も辛いのではと考えてしまます

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