はてなキーワード: 人の力とは
一生このまま在宅ワークしたい。通勤が再開されるぐらいならいっそのこと殺して。
いま昼ご飯を食べ終わったらとこなんだけど、今日みたいに天気のいい日にエアコンつけたま窓を開けて自然の風を感じてセミの声を聞きながらInterFMで流れてる中止になったフジロック特集をBGMにしてUber EATSで頼んだフレッシュネスバーガーを食べてシードルを飲む。これがおれのランチ。もう最高。なにこの生活。おれが求めてたのはこれだよ。
年収一千万とか大きな仕事とか社会貢献とか世の中をより良くする仕事とかIPOとか全く興味ないのよ、実際は。
「字書きには人権がない!」というツイートを多く目にしたので。
ここで言われている「人権がない人、及び作品」というのが「閲覧数が伸びない」「ふぁぼりつが伸びない」「誰からも気に入られない」って意味だとしたら、それは小説作品よりもイラスト作品の方が多いと思う。
そもそも発端のツイート群は大体字書き(もしくは創作していない人)が発言していることが多かった。
というより絵描きで「字書きに人権がない」って言ってる人は見つからなかった。鍵垢で言ってたら知らんけど。
そして「字書きに人権がない」って言ってる字書きは大体まともな文章が書けてた。
ここで私は思った。
自虐風自慢か?と。
字書きの人権のなさ、つまりは「イラストには勝てません」「イラストの方が見てもらえます」「字書きには人権がありません」って論争(?)は定期的に目にする。
でも大半は上記のようにまともに書けてる字書きが多い。
だから字書きの言う「人権ありません」は神絵師の言う「下手ですが」「落書きです」と同等の発言なんじゃないだろうかと思った。
あと冒頭の通り、本当に見て貰えない(ここでいう人権のない作品)ってイラストの方が多い気がする。
小説作品を最初から避けてますって人は別として、字書きって人気になりやすいよね?
絵描きはパッと見ただけでその人の力量が分かるからサムネバイバイされやすい。
一方字書きは何かネタが当たれば小説形式でなくても(台本形式とかちゃんねる系とか)人気は出る。
つまり「人権がない!」のは平均的に見ると絵描きなんじゃないの?
絵描きと字書きのトップ同士を比べると絵描きの方が「人権はある」けど、平均値で見ると字書きの方が「人権はある」。
ここまで書いといて何だけど、文章とイラストは比較できない媒体だし、比べるなら漫画と小説なのかなって思ってる。
そんな事は誰も言わないけど。
そんな風に思ってもらえたんだ!と言う事が分かる感想文は嬉しいです。
前者が面白いのは当たり前ではないでしょうか?
匿名の読者から「すごく胸に響くいい感想をもらえた」と思ったら、
自分の作品で表現の練習をしているのですからその分面白いです。
感想を貰った時、作品に感動したからその気持ちを伝えたくて文章にしてくれたのか、
はたまた、仲良くなりたい下心で書かれたものなのかくらいすぐに分かります。
下心があればバレますよ。
深い感動は自分の現在の境遇と作品がリンクする時に生まれる事も多いので
「こんな境遇なのであなたの作品が今の私にとても響きました。」
という感想は嬉しいなと思う事が多いです。
ウザい自分語りは「私もこんな作品を作っていて〜URLはこれです。」のような、
感想もらったし私も読んで感想送らないと悪いかなと感じさせる物です。
そんなもの読みたくないので。
「私もこんな作品を作りたいと思っていて〜」の様な
沢山の反応をもらう作家は、この様な感想の皮を被った自分語りメールを受け取った覚えがあるのではないでしょうか。
自分1人の力で感想が貰える作品へブラッシュアップしてください。
「感想を選り好みするなんて〜」という気持ちを持たれるかもしれませんが
あなたが作品を読む時に面白くないものや絵が下手なものは読まないのと同じです。
面白くない、下心で書かれた感想はこちらもたいして読みません。
そして、あなたが感想を送ろうとしている作家は他の読み専からも感想を送られているので、
面白い物を作る作家は、作る事に忙しく返信の優先順位は下がっています。
当たり前です。
作る事に忙しい作家が、感想に返信を期待してしまう弱者のお気持ちにまで寄り添わないとガッカリですか?
そんな事より次の面白い作品を作って欲しいとは思わないんですか?
人気のある作家の気持ちはオブラートに包まないならばこんな感じです。
これが残念ながら真実です。
では、なぜこの真実を言う人がいないのか?
それは、数が多いと嬉しいからです。
たくさんあつまって1000件とかになれば嬉しいです。
だから、1件でも減って欲しくないんです。
作家はいいねの数や感想の数を気にして一喜一憂しているものです。
返事がもらえなくても、たいして読まれていなくても
あなたの「1件」はちゃんと推し作家のエネルギーになっていますよ。
それ以上に作家に嬉しくなって欲しいなら、感想文よりもその作家が好きそうな作品を作る方がいいですよ。
見つけてもらえるかは運ですが。
定期的に炎上する現代アート作品といえば、問題提起型作品である
最近注目を集めたものを例に挙げるとバンクシーであったり、盗めるアート展であったり、
みんなで考えよう型アートであり、これについては喧々諤々主にSNS上で議論が百出する
なぜかと言えば、提起された問題設定が正しいとか間違ってるとか、
作家が思考を社会にアウトソーシングしているからだ。端的に言って作家の頭が悪いのである。
ちゃんと考えられないので、みんなで考えて作品論を練り上げてください。と言ってるのだ。2流の仕事である。
1流のアーティストは他人には頼らない。実作の手を動かすことはアウトソーシングするかもしれないが、
作品の核となる思想は自分一人の力で練り上げてしまうのである。
アンディウォーホルやヨゼフボイスを見ればわかる。
飲食店に行けば2日に一度食器を割り、レジを担当したら値段の読み上げが出来ず、コンビニではレンジの時間を間違って弁当をいくつも駄目にした。
記憶の飛び方も、増田に良く似ている。昨日まで覚えていたはずの仕事を突然仕事を忘れる。数分前に覚えていたことを忘れる。優先順位がごちゃごちゃになる。不器用でミスを繰り返す。
俺も同じだ。そのせいでクビになったことも数え切れない。
でも働いてはクビになっての繰り返しの20年で、ちょっとだけ学んだコツがある。
だから増田、長くなるけど俺の言うことに耳を傾けてみて欲しい。お願いだ。
多分増田は俺と同じく、脳みその記憶を置いておける部分が、とても狭いタイプなんだと思う。
覚えておけることが少ないから、入ってきた情報を並べて、比較して、優先順位をつけることも苦手だ。
だから、記憶は出来るだけ外部に置いておくことをおすすめする。
具体的な方法は、下に書いていく。
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.freecolors.routinetimer&hl=ja
これ超おすすめ。やらなきゃいけないことを登録しておくと、一つ一つ音声で読み上げてくれるソフト。iPhone版もある。
朝起きる→ご飯を食べる→顔を洗う→着替える→ゴミを出す→出勤する→ハンコを押す→メールをチェックする→やることを書き出す……
みたいに逐一やることを入力しておくと、音声に従って行動するだけでヌケモレなく用事が片付く。すごい!
ただこれだけだと、ルーチンタイマー起動するのを絶対に忘れるので、間違いなく起きていそうな時間にアラームをセットして、ルーチンタイマーを起動するというタスクを入れておくと良。
廃棄する裏紙とかで、メモ帳を作るんだ。
洒落たメモ帳は使っちゃいけない。惜しみなく使い捨てることが出来ないから。
仕事に優先順位をつける必要があるときは、メモに内容を全部書き出して、番号を振っていけ。
調べ物の内容も、全部紙に書き出せ。
そうすると自分の頭だけで考えるより整理しやすくなって、かなりマシになる。
そして、メモを見せて「この解釈で合ってますか?」って聞くんだ。
そうすると、見当違いの修正をすることはなくなるはずだ、多分。
もし可能であれば、「指示は絶対メモを取らせて欲しい」「メモを取ったら、合ってるか確認してほしい」と上司に協力を仰ぐといい。
自力だけだとしばしばメモを取るのを忘れる。記憶力の良い人の力も借りよう。
あと大事なこと。
自分の経験上、一枚に複数のことを書いたり、メモを長く残しておくと取り違えの元になる。やめとけ。
自分用仕事マニュアルを作るんだ。大事な仕事から、些末な仕事まで。
出来れば、初めてノートを見た人でも仕事の概要が分かるぐらい分かりやすく書いておくのがおすすめだ。
そうすると、ある日突然仕事を忘れても、ノートを書いた過去の自分が助けてくれる。
マニュアルを改めて読む必要もないし、同僚に改めて聞かなくてもいい。
前所属の係のことで質問されたときにも、このノートを見て!と渡すことが出来る。
ちょっと手間はかかるけれど……でもきっと無駄にはならない。やってみて欲しい。
目覚ましのアラーム音が全く聞こえないのは寝不足の可能性はないだろうか?
もし寝不足なら、ちゃんと寝た方がいい。寝ると、ミスも少し減る。
ちゃんと寝てるなら、もしかすると睡眠の質が悪いかも知れない……睡眠外来に行ってみてほしい。
上の方法はあくまでも俺に特化した方法で、増田には合わない方法もあると思う。
なので、自分の環境に合うように改良することが必要になるだろう。
その時、増田が発達障害かはさておき、発達障害者向けの仕事ノウハウの本は読んで無駄にならないと思う。
似たような苦労をしてきた先人の工夫を取り込んで、どうか自分に合った方法を見つけて欲しい。頼む。
なんだか偉そうに長々と書いてしまった。ごめん。
もしかしたら共感を求めていただけかもしれないのに、うるさいことを言ってごめん。
でもどうしても他人事と思えなかった。
俺は仕事が出来ないことを、クビになり続けたことを責め続けて、うつ病になってしまった。
俺、増田のことすごいと思うよ。
3年頑張って続けてきたんだろ? すごいじゃないか。
文章だって幼稚じゃない。てらいが無くて読みやすい文章だと思う。自信を持ってくれ。
人と違うことで苦労してきたことは、いつかどこかで役に立つはずだ。
足掻いたことも、工夫も、絶対に力になるはずだ。そう信じたい。
増田、頑張れ。俺も頑張る。
お前どこまで夢見てんだ。
そんな教科書みたいな夢物語なんざ捨てろ。人と人の力と欲望とのつぶし合いだ。
「弱い」「金がない」それだけで下らん承認欲求やら欲望やらで奴隷にしよう、自分の思い通りにしようなんてゴミがうじゃうじゃわいてくるわ。
一生懸命やってて周りを見る余裕がない。それだけで隙を狙って自分の思い通りにしようってゴミがわいてくるわ。
一生懸命やろうが技術内容なんざ興味がない。売れるか売れないか。それのみが成果だ。そして時間がかかるものであればその間針の筵で暮らし続ける。
実際できてもいない物で金を集めるものなのだから自分も詐欺師の一員かもしれないし、詐欺師のように取り扱われる。
だいたいよそ様から金を預かり、人を雇い始めるとその時点で雑用が鬼のように増える。自分自身が手なんか動かせない。ましてや自分自身がこの技術が必要だと思っての勉強なんざできはしない。仮に新しい分野の勉強ができないがゆえにドツボにはまったとしてもない。
まあやるもんじゃない。ウシジマくんだとか見たいなのよりはましかもしれないが、それでも闇しか感じないコンテンツに似た体験を現世にいながら味わえる。
そしてそんなものに未来を期待するな。普通に自社で設備研究投資をして売れるものを作り続けとけ。
ー追記ー
ちょっとかっとなった。
けどさどこまで行っても「投資」である以上、期間、費用、想定収益が整ってないと「投資」には合わんよ。
夢みたいなことをいってもそこに詐欺師が漬け込むわけだ。正直今の日本は馬鹿な起業家と、馬鹿な小金持ちをおだてて増やせばうまくいくと、大量に絶望に叩き込み、さらなる生贄を求めて叫んでるだけ。
まあその前に「科学」にきちんと金と時間を出し、「科学」としての成果を出しつつ、科学成果についての顧客との照らし合わせと修正をするしかない。かつ、大学、研究機関は金を使って報告する機関という特性もある。
ベンチャーにそんなこと求められないし、求めたところで無駄に苦しむだけ。だいたい絶望的に弱い存在なのだから食い物にしようという人間なんかざら。
日本は「科学」としてももうだめになりつつある。なので「科学」としての金を受け取りつつ、すぐに事業としての成果を求めないでも、科学としての成果として世に示し、顧客との照らし合わせと修正をするようにするしかない。
けどさもうやめようよ。テックベンチャー幻想なんて不幸になる人間増やすだけだって。どうせ叫んでるのは全員他人事だから、どれだけ不幸になる人間が増えようが自己責任だし俺は嫌な思いをしてないからってメンタルなんだろうが。
携わる業務によっても違うのだろうけれども、二十年近く役人をやっていたが、「ものすごい人脈社会」「一人の力では業務をフォローできない」と感じたことは一度もない。
大事なのは、法律、政令、省令、告示、通達どおりにやることで、それ以外のことにこだわるのは、ただのアホなので無視してやってきたが、まったく問題なかった。
むしろ、規定をないがしろにして横車を押そうとするやつは、公然とそれを無視できるのかと問い、従うべき文言を示せばそれでほぼ解決した。
そういう意味では、明文化された決まりごと以上に偉い存在がいないので、すこぶるやりやすい社会としか感じなかった。
書かれた文章を読むに、儲かるかどうかというのが「常識」としていつまでも捨てられないと言っているようで、その時点ですでにあまり能力が高いとは思われない。
「俺は稼げるようにやってきた、それはすごいことだ」という、現状のポジションにおいてはもはやまったく意味のない矜持が邪魔をしているのではないか。
考え方を変える必要がありそうだ。
郷に入っては郷に従え、と言うではないか。
皆さまは1年ほど前にあった公務員の障害者水増し事件というのを覚えているだろうか。
その時に自分も公務員になれるならばと思い、受験して合格した。倍率は、10倍程度。
その前の職は、某業種の会社員だったが、障害をもっているなら公務員のほうが働きやすいと思って転職した。
自信もあった。社会人として障害を抱えながらも10年程度働いていた。
小さな会社だが、それなりの役職でもあった。自分ならば、公務員に転職してもやっていけるだろうと思っていた。確かに、一年目はそこそこ上手く行ってはいた。ほとんど雑用だけだったから、「こいつはまともに働けるのか」を見られていたからだろう。
しかし、2年目にポジションをもらって問題がいくつか出てきた。
公務員というのは事務処理能力が問われる。圧倒的に問われる。8割は事務処理能力の世界である。
ほんのわずかな言い回しが、致命的なトラブルになるからだ。官僚の言葉が異常に面倒くさい言葉遣いをしているのは、そのためだ。
これははっきり、根底から民間とは仕事のやり方が異なるということだ。
民間の仕事のやり方は、「金」という大目的があり、すべてそれに付随するが、公務員は「筋」である。
全く関係のない企業に、「こういう素材を探してるんだが、オタク、とりあつかってない? こういう会社なんだけれど。取引の際には先に言い値で振り込むからまずはサンプルで送ってよ」
というのが常識の世界で働いていた。金さえ払えば、とりあえず商品はゲットできるし、取引が続けば信頼も獲得できるという世界だった。だから、最も重要なポイントは金をどう儲けるかという能力だ。多少、書類を作るのが下手であっても金を儲けられるのならば、そこは問題がない。
しかし、公務員は、相手を説得によって動かす技術がなくてはならない。そこに金という大きな力が働かないのだ。
「金の払いで不義理をしないのが良いのが良い客であり成功するコツ」であるのが民間だとすると、公務員は「相手を動かして働くための筋を示した書類を作れるのが能力」であることになる。
「品質、金額、納期、どう儲けるか」を抑えておけばよかったのだが、公務員になると、抑えるべきポイントが、「誰が、どういう筋で、何をやるか」が最重要ポイントになっている。
これは正直、アラビア語が堪能な人間が、英語圏に行ったようなものである。
ドラクエに例えると、全員がホイミを使えるのにホイミが使えない戦士から転職したLv1僧侶の悲哀、というのを感じている。
自分が今まで問題にもしていなかった能力が、実は最重要な才能として通用している世界だった。
「民間ではそんなこと30秒で決まるぞ」と思う段階は過ぎた。
自分が、その世界になじむように努力しないといけないのだが、なかなか大変だ。
書類なんて相手に伝わればいいだろうと思っていたが、そうではない。
作り方ががっちり決まっていて、使っていい漢字も送り仮名も決まっており、それを間違えると直される。
そして公というのは、組織が巨大であり、「縦割り」というが、アレはそうでないと統率が取れなくなるからだということも理解した。
下手に経験があると、逆に面倒くさい。
そして、ものすごい人脈社会だ。民間以上に人格が重要な社会だ。飲み会だろうが勉強会だろうがとりあえず名刺交換して自分を売り込む必要がある。
理由は単純で、あまりにも専門領域が膨大過ぎて、とても一人の力では業務をフォローできない。誰かに助けてもらう必要が必ずある。
シン・ゴジラに一匹狼の官僚が出てきたが、ああいうタイプはしんどいだろうと思う。むしろ三枚目のお調子者のほうが仕事はやりやすい。
これが大変なところだ。
うーん。資料を作らないとなあ。
この仕事、どの部署が担当するのか? マネタイズできる場所がやる、という常識が通用しない。
どうしたものか。
そしてそれぞれに「(個人における)問題の把握」と「(他人に自分の立場を示す)実際の行動」の次元があると思う。
個人における問題の把握とは、自分なりに調べて納得したりしなかったりすることを指す。実際の行動とは発言や署名、投票、デモ活動などを指す。そもそも人間はよく把握しなくとも実際の行動はわりと可能である。
「よく理解せずに発言するのは控えるべき」とは、この「把握---行動」の連携が重視されるべきだと訴える発言である。
また、意識的な参加では以下を意識的に行うことになると思う(順不同)。
一方無意識的な参加とは、単にその問題を知らずにい続けること、または意識的に問題を把握したかどうかに関わらず、発言を含め行動に移さずにいることである。(あえて行動しないなど、意識して無意識的に振る舞うことも一旦ここに含めておく。)ポイントは、そうした在り方もまた、当人の意志や意図にかかわらず、結果的に政治に影響を与えていくということである。「政治的なことに関わらないでいよう」というのは、実際には国や自治体の中にいる限り、湖の一滴の水が波と無関係でいようとするくらい難しい。
以下は仮の話になるが、行政がもし次の政策で「最大多数の最大幸福」をやめて自分の周辺などの一部だけを幸福にしようとしたとする。すると政権にとって都合がいいのは、皆が無意識的な参加に徹してくれることである。その次に都合がいいのは、実際に行動した人が誰も問題を把握していないことである。
当たり前だがそもそもヤバい政策は、問題の把握の次元からアプローチされると「ヤバさ」が露呈する。ただヤバい政策を止めるには実際の行動が不可欠で、場合によっては多くの人の力が必要となる。また、たとえ問題の把握の次元にアプローチした人が少なかったとしても、多くの人が何らかの形で感化されて実際に行動することでも、政治が動いていくことは十分ありうる。
「よく理解せずに発言するのは控えるべき」という発言は、個人個人が把握の次元で見据えた理想から、実際のムーブメントが乖離しつつあるときに有益となるかもしれない。あるいはこの発言は、問題の把握にコストはかけたくない人(当初無意識的な参加だった人)の、よく分からないままながら著名人に感化されて行動に踏み出す気軽さ/軽率さを阻害するものにもなりうる。そうなるとその人は「やはり政治に関わるのはやめよう」として無意識的な参加(という名の政治参加)に戻っていく。すなわちこの絶対数が多いと結果的にはヤバい政策に有利になる可能性もでてくる。
今ある個別の問題がどんな問題なのかは、未来人か未来が見える宇宙人でない限り、個人的な把握の次元にアプローチするしか手がかりがない。しかしそこでは、どこまでが明らかなことなのかを明らかにすることはできる。その把握をを不確定な未来に捧げていくのはある意味勇気のいることかもしれないが、どの態度も結局のところ政治的である。
コストかけた分だけ報われたいという思いも判断の邪魔をしがちで、無意識的参加を続けるのが楽なところだが、せめて自分がピンときたテーマには意識的参加の行動に切り替えなければ、行政が無意識を自在に操り出し手遅れ化する可能性はあると思う。
それと、そもそも問題の把握の次元にアクセスできない人は一定数いるし、誰でも状況に応じて容易にその状態になる。そうした人も共に幸福になろうというのが行き届いた政治なのだろうなと思う
でも最近こういう事が起こるといつもなんだかなぁって思うのは、こうやって無責任に抗議をして、そのあとどうなっちゃうんだろうって事。
今回の件だって、Twitterアカウントの方の言い分しか全然表に出てないと思うんだけどなぁ。
小湊鉄道さんの会社としての対応は悪手だったなぁと思う部分もあるけど、だからといって「悪」ではないと思うし。
本当は何が起こってるかって分からない筈なのに、大勢の人が抗議して、攻撃して…そうやって作られいく世界はどうなっていくんだろう?
Twitterでこうやって評決をとる様な真似をするなら、裁判までいかなくても、なんか投票所みたいなサイトがあれば少しいいのにね。
ちゃんと双方の主張が載ってて、両方目を通した上じゃないと投票したり、意見の投稿が出来ないようになってたりしてさ。
話は変わるけど、ウチの会社に仕事はすごく出来るけど凄くセクハラもする人がいた。
でも決定的に悪人でもないし、とにかく魅力的な仕事をする人だったので辞めてほしい!とか一緒に仕事したくない!とは思ってなかった。
でもやっぱり問題起こしちゃって、会社を去ってしまったんだけど、今でも「あの人だったらどういう仕事したかなぁ」って思う時がある。
セクハラされたりすんのは嫌だけど、好きでやってる仕事だからいい仕事したいし、多少セクハラされててもあの人の力があればなぁって私は正直思う…
去年、セクハラを受けて仕事を追われる事になった方がTwitterで告発してテレビでも報道される様な大きな事件になった時がありましたね。
セクハラを受けた方がつらい思いをしたというのは本当なんだろうけど、その時に「改善されない限りもう観に行きません」みたいな事を言ってた人達のうち、どれくらいの人たちがその後、観に行ったんだろう。
人生にターニングポイントと呼べる瞬間があるとしたら、私にとってそれはセンター試験だ。
10年以上前の1月、朝から雪が降っていた。東京だから滅多にないのに。そういえば去年も雪の日だったな、何かの運命かな、とぼんやり思った記憶がある。
***
勉強を全くしていなかったから当然の結果。でも、それまで順風満帆に走っていた「人生のレール」から脱線したというか、レールそのものが消失したような途方もない虚無感に襲われたのを覚えている。初めての経験だった。
国公立後期の不合格を見届けた後、親に懇願して浪人生となった。それからは、怠惰だった高校3年間を取り戻すかの如く、予備校で朝から晩まで勉強漬けの日々を送った。
心を入れ替えた、というと語弊がある。気を抜くとまた現れる虚無感が怖くて仕方なかった。眠る前に漠然とした不安に襲われる夜も幾度となくあったし、浪人生という以外に肩書きがない不安は常につきまとった。それらを紛らわすには勉強しかない、それだけだった。
見失ったレールの続きは、この大学受験の先できっと見つかる、そう愚直に信じて過ごした1年間だった。
***
迎えた2度目のセンター試験本番。
前日、私は例に漏れず緊張していた。布団に入っても「また散々な結果だったら?」と失敗する未来ばかり想像した。でも気がつくと熟睡していて、朝になって我ながらその図太さに驚くとともに、「もうなるようになれ」と吹っ切れた。
試験会場は大学の大講堂で、私の席は最前列だった。目の前の教壇には複数の試験官がいて、無駄に緊張したのを覚えている。でも、今思えば視界に他の受験生が入らないぶん、試験に集中できて良かったのかもしれない。
そう、後でわかることだけど、試験結果は控え目に言って上出来だった。各科目で凸凹はあったものの、総合では過去のどの模試よりも良い点数だった。
ただ、2日間の日程を終えた直後はそんなこと知る由もなく、とにかく安堵した。やりきったという達成感と微かな手応えもあった。そして何より、今日この日に実力を出し切れた「環境」に感謝していた。
そうだ、これは環境のおかげだと、なぜかそのとき唐突に悟った。あれだけ勉強してきたのに、自分の頑張りだとか、努力の賜物だとは一切考えず、今この場所にいることが全てだと感じた。
思えば1年前、両親が浪人を許してくれたことに始まり、予備校に通えたこと、長い間勉強に専念できたこと。応援してくれる人がいたこと。健康でいれたこと。今日、雪の中交通機関が動いてくれたこと。そして、無事にこの会場で受験できたこと。
どれも当たり前じゃないし、これを「運が良かった」の一言で片づけるのは勿体ない。私一人の力ではどうにもできない、有り難いことばかりではないか。
そんな当たり前のことに気付いて、私はいてもたってもいられなくなった。この感謝の気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。そう思って、全科目が終わり皆が一斉に会場を後にする中、私は出口とは真逆の、試験官のいる教壇に向かった。
「2日間、お世話になりました。ありがとうございました」
「ああ、こちらこそ。帰り道、気をつけて」
(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)
(ネタバレ注意。)
そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。
スター・ウォーズの世界は、その全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている。
ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。
だから、正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき、大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じにしかならなそうなのに、どうすんだと。
何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。
そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。
全てがルーク・スカイウォーカーを活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。
スターウォーズの世界設定では、ジェダイは世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛や結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界の歴史においてはep4~ep6の出来事が例外的なのである。
また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルークの家系が代々続くジェダイの家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖を比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。
ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代のライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいるから、おまえいらない」と言われる心配が無い。
ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別なジェダイなのである。
ジェダイだのフォースだのも、ルークの活躍を支援するために存在する。
ジェダイの思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルークは師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)
ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)
反乱軍の兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。
ライトセイバーやビームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。
このように、ルークの活躍をストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。
そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。
ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。
そんな退屈な平和。映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和。
ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。
観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。
カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆でジェダイになるなんて話が見たいか?
みんな大好き「血統の物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。
ベン・ソロがダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。
無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。
ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。
マスクの扱いが象徴的である。ダースベイダーにとって、マスクは生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスクは特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。
ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。
ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。
みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統の物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズは血統の物語じゃなくてもいいんだよ。
ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。
ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。
ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロがダークサイドに転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイの出自とか、レイロ(レイ/カイロ・レンのカップリング)とかは良かった。
特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。
なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去の正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。
みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るからに威圧的で尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。
ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。
カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから、自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。
レイはシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通のライトセイバー戦で終わってしまった。
で、キスしちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味なキスシーンよりはマシだったし。)
レイは自分のことを「レイ・スカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。
ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。
かといって、レイ・パルパティーンとか名乗られても、銀河に悪名高いシスの名前だからちょっと不穏すぎる。
このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロのファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイ・ソロって名乗るも、やっぱり違う。
書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。
まあ、ぶっちゃけスターウォーズに人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだから。スターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙を疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞。
ep7で、レイがスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーのマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージを言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。
ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。
ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススターの設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。
ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。
帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。
面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティブデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。
あと、バトルドロイドの可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎドロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。
だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。