はてなキーワード: キックオフとは
得点からの再開はキックオフする側じゃない方の選手がセンターサークル内にいると再開出来ない為、
ゴールセレブレーションで全員ピッチ外に出ると相手がキックオフできてしまう
https://news.yahoo.co.jp/articles/82b2422e2be2bf3fa261945bf10b0e5707777264
勘違いらしいで
偉そうに解説して間違いとか恥ずかしっ
結果としてはメッシがサッカー史上最高の選手ってのが確定するようなアルゼンチンの勝利でしたね。メッシ選手は大会MVPかつ得点ランキング2位、W杯史上最多出場です。いまだにペレガーとかマラガーとか言ってる人は無視して構いません。メッシが史上No.1です。開催前はやれ招致に纏わる汚職だとか(あのプラティニが逮捕)やれ労働者の人権軽視だとか色々と取り沙汰されてましたが、蓋を開けたら色々なレベルで史上最高クラスの大会であったことは間違いありません。そして、ここでは競技レベルでどうして面白い大会になったのか語ります。
端的にいうと、選手のコンディションが高くなる要因が幾多もあったからです。
今までのW杯はシーズン終了後にクタクタとなってオフに入るってタイミングでの開催だった訳ですが、今回は異例の秋開催で欧州はシーズン真っ只中です。そのおかげで選手たちのコンディションレベルは概ね高くなりました。一部「シーズン中だったから怪我人が続出した」とか意味不明なこと書く人もいますが無視して構いません。Jリーグは知りません。
W杯は基本的に6月から7月の北半球での開催なのでクソ暑く、後半になってくると足が止まる選手ばかりでした。またワールドカップは放映権の問題で真昼にキックオフとかもザラです。1994年の決勝のブラジル対イタリアは悲惨でしたね。最後はバッジョは倒れそうな披露でPKもまともに蹴れなくなりました。しかしカタールは11月開幕かつエアコンをガンガン掛けるという大盤振る舞いでピッチコンディションはむしろ動いていないと寒いぐらい。今回の決勝、アルゼンチンもフランスも最後まで攻め続けられた理由の一つ。
今までは21~23人しか帯同できず、また交代枠も3人だけでしたが、コロナのゴタゴタで知らんうちに欧米の交代枠が3回5枠に引き上げられてW杯にも引き継がれました。選手も26人呼べます。延長になれば更に1人枠が増えるし、また脳震盪を申告すれば更に交代可能です。これを最大限に利用した監督が日本の森保監督(本番で覚醒)で、劣勢になった後半にシステムを大幅に変更し、格上相手に逆転を2回もやりました。
今までのワールドカップは会場が変わると長距離の移動、最悪飛行機に乗らないといけず、中3日の試合間隔だとしても、そのうち1日は移動で終わってしまうとかもありました。本当は激しい消耗をした翌日ですから、たっぶり寝たあと、クーリングやマッサージをして回復しないといけないのに。そしてバスや飛行機って乗ると疲れるんですよね。今回のカタールW杯は短時間の移動で済みました。
サッカーは昔から欧州と南米が中心ですが、アジアやアフリカの競技レベルも上がりつつあり、これまて本戦では笑いものだったサウジアラビアは大会唯一でアルゼンチンに黒星をつけて、オーストラリアや韓国もGS通過。今回クソだったチームはカタールとウェールズぐらいでしたね。
ワールドカップでは昔から「欧州開催の大会では欧州が強い」「南米開催の大会では南米が強い」という傾向がありました。今回は中東だったのですが、全体的に南米の国がアルゼンチンとブラジル以外は大人しくて、サウジアラビアやモロッコはホームみたいなもんでしたね。この2国の躍進の理由だと思います。日本や韓国、オーストラリアもカタールの気候は知っていた選手多かったと思います。それがグループステージで拮抗した戦いが増えた理由になったと思います。
さて、ここで2026年のカナダ・メキシコ・米国開催について考えてみると、競技レベルが大幅に下がる要素が目白押しですね。
欧州での厳しいリーグを終えて疲労が蓄積したあとの参加です。次回も過密日程のプレミア中心のイングランド代表には期待しないほうがいいでしょう。
地球温暖化の影響でそろそろ気温40度が観測される地域も増えてきました。たまに「欧米の夏は湿度が低いから体感温度が~」とか語る阿呆がいますが、あっちは緯度が高いところは日差しが強いというかもはや痛いですし、そもそも米国(マイアミ)とかメキシコ辺りは普通に蒸し蒸ししてますよ。とてもサッカーみたいに消耗が激しいスポーツをやる気候とは思えません。
米国って時点で死ぬほど広くて会場間の移動は飛行機必須ですが、ましてカナダやメキシコも加わるので異なる国をまたぐんですよ。2014ブラジルも割と大変だったらしいですが、それすら超えて史上最も移動距離が増える大会と言えます。なお2018年のロシアはほとんどのスタジアムが西側にありましたね。
参加国が1.5倍ですよ。1.5倍。まあ普通に言うと「ワールドカップに出れるレベル」に達していない国が出てくる事になります。レベルが高いと言われてる欧州ですら今回ギリギリで通過してきたウェールズがあんなクソだったし、開催国特権で参加したカタールがあんな情けない感じだったし、少なくともグループステージでは見る価値のない捨て試合が急増する事は否めません。
上と同じ事を言ってるようで違う事を言ってます。つまりワールドカップの予選が大幅にヌルゲーになってしまうのです。もうぶっちゃけ日本は海外組呼ばずに国内組だけでも余裕で通過できます。これが何故悪いかというと、ワールドカップの予選という熾烈な競争の舞台こそ代表が成長できる一番の場なのです。欧州はイタリアが2大会連続で落ちたり、オランダみたいな強国ですら通過できないほどの厳しい予選です。南米は10国しか参加してないのにレベルが死ぬほど高いので、2002年はブラジルすらやばかったし、アルゼンチンも何度か予選落ちの危機があった(記憶)。
キックオフをそのままゴールに蹴り込んだらゴールになる
小学生でよくある
スローインしたボールがそのままゴールに入っても得点にならない
ゴールキックで再開する
オフサイドのフリーキックは間接フリーキックなのでそのままゴールしても得点にならない
味方選手が「足で」キーパーに出したボールをキーパーが手で触ると反則でフリーキックになるが
なのでゴールまで1mの位置であってもそこから間接フリーキックになる
味方がちょっとだけ蹴ってその瞬間に蹴り込む
ただ、ゴールライン上に壁を作ることは認められているのでゴールライン上に選手がずらっと並ぶ壁が作られる
昨日の決勝でアルゼンチンがやっていたけど、膝とか腿でのGKへのパスはバックパスにならない
ちょっとややこしいけどゴール後にみんなで騒いでピッチに誰もいないと相手チームがキックオフできてしまう
自陣内だとキックオフできてしまうので、相手陣内かもしくはセンターサークル内に残す
例えばGKが前に出てしまっていた場合にDFが一人残っていたとするとオフサイドラインは二人目のDFになる
選手も結構勘違いしてしまうけれどGKともう一人、ではなくて単純に二人目がオフサイドラインを作る
だいたいチャンスの時に起きるのでオフサイドノーゴールになることが結構ある(開幕戦の1点目が確かこれ)
コーナーキックのときに邪魔になりそうなあの旗はゴールポストと同じ役割でボールが当たってタッチを割らなければインプレー
なのでフラッグに当たって跳ね返ってきたボールを、最初にキックした時点でオフサイドエリアにいた選手が触るとオフサイドになる
まぁカメルーンは91分だったし、分かっててやった可能性がある?いや、ないか(2位通過の可能性あったし)
ボールがハーフラインを越えるか、守備側ボールのスローインないしゴールキックになるか、守備側がボールを一定時間(5秒ぐらい?)保持したら攻撃側キックオフからやり直し。
※コート両面をそれぞれ使えば時短になって良さそう(ただし副審から昇格させるなりして主審を1人増やす必要がある)。
※守備側の評価をする指標があると同点で終わったときでも白黒つきやすくなって良さそう(だけど、それで攻撃側が萎縮しないような評価法を考えるのは難しいか)。
というのを考えた。
明らかになったこと。ドイツ代表のスター選手のうち、2人以外は「ワールドカップでフィールド上での抗議をしたくなかった」
ドイツがワールドカップ開幕戦の日本戦の前に行った、物議を醸した「手で口を覆う」抗議は、選手たちの全員一致の支持ではなかったとする報道があった。
グループEの開幕戦で、ドイツのキャプテン、マヌエル・ノイアーは腕章をつけなかったが、
キックオフ前の写真撮影では、各選手が手を口の前にかざし、FIFAの制裁の脅しに抗議をしたようだった。
しかし、ドイツ公共放送『ARD』が『Bild』を通じて伝えたところによると、即席の抗議行動を行うことを支持したのはキャプテンのノイアーとバイエルン・ミュンヘンのチームメイト、レオン・ゴレツカだけで、他のメンバーは反対していたらしい。
様々な案が検討され、ヨシュア・キミッヒの賛同を得て、チーム内で万人受けはしなかったものの、最終的に手で口を覆うジェスチャーが選ばれたと言われている。
一見正しそうだが正しくないラベリングをすると、結果として意図しない結果を引き起こすことがある。
"難しい人"、"有害な振る舞い"というのは、大変よろしくないラベリングになる。
こういったときに「言ってることはわからなくないけど、なんか違うな」と違和感を持ち、解決策を探るのがエンジニアである。
アクションに落とし込めないもの、計測できないもの、機械的に判断できないものは、いわゆる人間力に頼ることになる。
具体的に以下を例に挙げる。(元の記事の一番最初に例示されているもの)
この短い(1行80文字以下を短いと言う)文章の中に、人間力に頼る判断は何か所あるだろうか?
私は、「創造的」「議論」「阻害」「時間を奪う」の4つは、機械的な判断が難しいと思う。
これは客観的な基準で「他者の話に割り込んで、自分の意見を差し込」んでいる。
先ほどの例だが、こんな前提があったとする。
そうすると、「営業と管理職から見て、大変有意義で創造的な議論に、毎度口をはさむ難しい組み込みエンジニア」というレッテルは正しいだろうか?
各人の判断は、正しいだろうか?
人間力に頼る判断基準で多数決を用いるのは、エンジニアリングで無く、政治的な解決だと思う。
先ほどの会議の例でいえば、5人中3人が心理的な負担を感じており、不愉快な気分になっている。
チームの60%が「創造的な議論を阻害する有害な振る舞い」だと認定している。
その判断は、正しいだろうか?
この場合、組み込みエンジニアが、難しい人 or 有害な振る舞いをする人として、指導もしく排除されたとする。
それは、心理的安全性をあげ、チームの生産性をあげる行為だろうか?
例えば、今後デザイナーは、営業と管理職が「どのような雑談をどの長さでしていても」発言しなくなるかもしれない。
デザイナーからみて、その会話が創造的な議論か判断ができないからだ。
さて、Web系のバックエンドエンジニアや、クラウドインフラエンジニアだと、アラートを設定したり、対応したいことがある。
「何かまずいことが起こっていることを、何らかの方法で監視して、対応したい」という場合だ。
例えば、待機系サーバーの起動時に妙に時間がかかっている場合、自動対応ができないので、アラートメールを飛ばして手動対応したいと思ったとする。
絶対値(10分)か、相対値(過去5回の起動時間の平均値)かは場合によるし、それが適切かはまた別の話だ。
「他者の話に割り込まない」というルールは、誤検知を引き起こしやすいアラートだ。
そんなのは常識で考えたらわかるだろう?曖昧な基準は「俺のは有意義な議論の発言だ」の判断を誰かが決めることになる。
大多数がそう思っていれば、という複合的な基準もありうる。その場合、先ほどの例の組み込みエンジニアは、アラート対象になる。
「会議のアジェンダに記載されている内容を3分以内で喋っている場合に、割り込まない」というのは、一つの基準になる。
この場合、営業が「営業概況を冒頭のアジェンダに加えて欲しい」と交渉する余地がある。
また「報告時間が10分は欲しいが、3回以上は一度会話を止めるので、営業概況に対する質問はその時に」という合意もできる。
そして、顔合わせのキックオフミーティングで、営業概況をやるかは、会社やチームによる。
明示的なルールで縛るのが正しいかと言えば、そうした方が良い職場もあるだろうが、窮屈な職場も多いだろう。
という簡単な話に見えることですら、ルールを作って守らせることに違和感を感じる感性も正しいと思う。
チーム(もしくはマネージャー)に求められるのは、こうした「何かチームに嫌な感じがある」ときに軌道修正できることだ。
一例でしかないが、例えば以下の流れでルールを作らずに、解決できることもある。
コミュニケーションコストを、チームを維持するのに必要なコストとして、きちんと時間を割けるかが重要だと思う。
さらに言えば、「それは有害な振る舞いだと自分は思うが、あなたがそう思わない理由は何か」とコミュニケーションを取れないのであれば、そこに課題があるだろう。
チームやマネージャーがある人を「難しい人だなあ」と思ったとして、2つの解決策が出てこないのなら、その思考には課題があるのではないか。
「他者に配慮できる」という曖昧な基準で異物を弾くようなチーム作りは、蛸壷化して致命的な結果を引き起こすことがある。
パワハラ、セクハラ、試験結果改ざんが、「なんでそんなんなるまで誰も言わなかったんだよ」となるのは、
「その構成員が他者に配慮できる人たちで構成されていて、異物を弾き続けた結果」であることが多い。
少なくとも、「エンジニアの”有害な振る舞い”への対処法」には、機会、動機、正当化のいわゆる不正のトライアングルのうち、動機と正当化を満たしている。
いやいや極端だろと思うだろう?
快不快が、正しい正しくないに繋がっていることは社会生活を送っていると極めて多い。
「マネージャーならば」法律や外部の意見も含めてかなり慎重に判断する必要がある。
「エンジニアならば」相手に快適に聞こえるようにコミュニケーションするスキルは磨いておいて損はない。
(あと、機械的に判断可能なルールを守ることが自分を守ることに繋がる。ルール順守か業績なら、常にルールを守れ。記録を軽視するな)
SNS、掲示板等々が大荒れでどこで言っても炎上しそうだから増田に書き捨てる。
根本的にクラブが悪いんで、相手側のサポーターから文句言われるのは仕方ない。
注目案件だろうから直接的に関係ないとこからもあーだこーだ言われるのも仕方ない。
仕方ないって理解はしているんだけど、思った以上に感情的に辛いわね。
あと、的を射た批判ならともかく、「誠意を見せろ」系の難癖には対応できかねるわけで。
とまで言われている対応。
そこでクラブが確認不足だったのが悪いと言えばそれまでだが、めっちゃ切羽詰まった対応を強いられる中でそこまで確認できんやろ。
故意ではないし調査した結果でも試合開催は不可能だったというのがリーグ公式の見解。
各Jクラブは公式試合の日程遵守義務を負っているところ、虚偽報告により安易に日程遵守義務を回避したとの疑念を他のJクラブ、サポーター等に抱かれかねない事態を招いたことは、Jリーグの信用を大きく毀損するものである。
結果に至ったプロセスがまずかったよね。
保健所の対応だって色んな状況に応じて変わるから一概には言えないけど、役所としての公式回答は結局なんやねん!? という部分の確認は絶対いるとわかったし、できてなかったことについて経営者は責任取って改善してほしいよね。
未だにそんなこと疑ってる人もいるみたいだけど、夏の連休、多数の来場者が期待できる王者川崎相手、ドアラ来場とかイベントにも力入れてる、そんな中で故意に試合中止するメリットが全然無いんだよなあ。
出場停止やけが人状況的なメリットを言う人もいるが、極論すれば負けるより試合中止しちゃった金銭的なデメリットの方が遥かに大きかったはず。
ホームクラブの勝つ可能性を少しでも高める行為の何が問題なのよ。
元々の日程だったら声出しできなかったとして、代替日程ならできるなら、そりゃするでしょ、声出し応援。
そこでクラブ主導で応援自粛とかするのって、下手したら八百長案件だよ。
平日の豊田スタジアムだと最近は19時30分キックオフで統一されてる。
そうじゃないとキックオフまでに辿り着けない社会人がたくさんいるんで。
そのせいで川崎からの現地参戦が難しく、川崎ゴール裏の圧が弱まるって文句言ってる人もいるけど、そんなこと言い出したらアウェーに行き辛いなんてどこも一緒でしょ。
それは諦めてくれ。
前の現場 | 7月からの現場 | |
勤務 | ずっとテレワーク。 そろそろ出社させろって話は出てたらしいけど | 週に3回テレワーク可能 |
定例の進捗MT | 週1。 二日ぐらいチャットでの連絡さえもこないことも多い | 日に平均3回。 |
稼働管理 | 月1の報告 | 日単位ではなく、時間単位で書き込み |
稼働効率の意識 | なし。というか、気にするほど忙しくなかった | 上記の稼働管理の通り意識高い。 稼働時間が高すぎるなら別の人に作業を振ろうという側面もあるらしい。 |
要求確認 | 口頭連絡。俺が怖くなって資料化してRV | 多少の文言変更もクライアントが何して依頼してきているかドキュメントにして上層部にRV |
私のプロジェクトの理解 | 隅から隅まで。キックオフから参加してた | 途中参加のためか、全体像がなかなかつかめないねえ |
ソース | 自分で作る | その後にダブルチェック |
チーム | 5人 | 最小コアは3人。RVを受ける人、その上の人とかたくさん。私から見えているだけで10人。もっといるだろうな |
文言変更とかの 簡単な変更の工数 | 1日 | 作業見積もり、設計書変更、製造、テスト、リリース判定会議などなどで全部で5日 |
上層部の性格 | やさしい。休めと言ってくる | やさしい。休めと言ってくる。けど、作業量や締め切りとの天秤は考えてないっぽい。 |
運営しているサイトの特徴 | 見ている人からお金をもらうためのサイト | 情報サイト。マネタライズはサイトの外で行われているらしい |
テレワークでの仕事場 | 特定なし。 喫茶店とかに持ってって仕事しちゃダメだろうなと思ってた。 | 説明の中で「例えば喫茶店で仕事をしてて」、、、、といってた。 喫茶店で仕事をするのはアリらしい |
貸与されているPC | 何入れてもOK | 何を入れたか見てるよ。だから関係ないアプリを入れるなよ (管理部の脅しだったらしく、何入れても連絡が来ることがないらしい) |
自宅で印刷 | OK | アプリを入れるなっていったろ。 プリンタドライバ入れても分かるからな (入れても大丈夫なんじゃないかって気がしてきた) |
前の現場がびっくりするくらい楽だったけど、7月からの現場もまともな現場だよね。
7月からの現場の一番いいところは、サイトがお金を取り扱っていないところ。バグで請求額が間違ってた時のドタバタと立場のなさといいったらもう。テストの細かさといったらもう。
さあ、どっちがいい!?
、、、今のところ、前の現場に戻れるなら戻りたい。勤務チェックが楽だし、古い人間としては紙出しして赤ペンでチェックしながら仕事をした方が速くて正確なのよ。
お前らさ、いい加減にしなさい
30周年の2013年度以降、2018年度までの東京ディズニーリゾートは
毎年年間3000万人超えの異常事態
TDSオープン翌年の2002年度から2011年度まではずっと入場者数が年間2500万人程で安定推移したわけです(25周年の2008年度は2800万人)
アニバーサリーイヤーでもないのに年間2750万人を叩き出し、以降30周年から3000万人台に一気に水準が跳ね上がりました
色々なメディアに「東京ディズニーリゾートの満足度が急低下!」とか
書きたてられてバッシングされていた2010年代半ばの頃を思い出す
OLCも「満足度の向上」的な文言を新施設や施設リニューアルのリリースを出す度
「何が満足度の向上だよ!バーカ!」とオタク達から総ツッコミされていたことを
一気に快適なパークに変貌しました
いや、コロナが存在せず、あのままずるずると変わらぬ運営を行っていたら、
年間3500万人以上にまで入場者数の水準が上がり、混雑低下効果は出ず、焼け石に水だったんじゃないかと思います
それとオタク達!よーく聞け!
お前らの存在こそ2000年代後半以降のエンタメ予算削減の大戦犯だよ!
と言うけど
「地蔵糞オタクのせいで一般客が見られなくなった」から経費削減したんだよ〜!!!
震災を期に廃止された「カウントダウンパーティ」なんて、駐車場での「難民キャンプ」とあまりに危険すぎた、ワールドバザールの開園ダッシュがあったから
辞めるタイミングをずっと伺っていたんじゃない?っていう
何はともあれ、年パス廃止で地蔵糞オタクが絶滅してくれるのは最高ですね
一般客が「前に陣取ってる人が多すぎてまともにショーが見られなかった」という苦情は日常茶飯事
アメリカのディズニー本社から視察してきた人が、城前にレジャーシート敷いて場所取りしている光景見て唖然としたり…
2002年4月、TDLにおいて「場所取り1時間前ルール」を策定
「D-POPマジック」開催当時、プラザテラス周辺には1時間になるのを今か今かと待ち構えてるオタ達が集合して殺気立っていたそうですわ
そしてそのD-POPマジック開催期間中に行われた事と言えば「キャッスル・フォア・コート」の開発
これによってキャッスルショーの中央鑑賞エリアが大拡大、そしてプラザにおいて、キャッスルショーの鑑賞性が大きく向上
そして翌2003年、20周年のキックオフイベント「シンデレラブレーション」(以降シンブレと表記)から
抽選にしてもなお結構な割合を占めるし、中央鑑賞エリア"外"のいい場所は年パスオタクが埋め尽くすので
やっぱり一般客の不満は変わらなかったり
(マジックキングダムみたいに開始10分前にふらっと城前行ってショーを見られるぐらいにならないかねぇ)
そんなこんなで2006年から徐々にコストカット開始したわけです
この時の衝撃と言ったらもう…(※点灯式はキャッスルショーではない)
TDLのクリスマスキャッスルショーって当時は「伝統芸」みたいな存在になっていて
内容もその性質上、マンネリ気味だったけれど偉大なるマンネリになっていましたね
「お、今年は久々にこの曲使ったか」「この曲を今年はこういうアレンジにしてきたか」そんな具合
とにかくクリスマスキャッスルショーは大好きでしたね、特に3回目公演が(4回目よりも)
シンブレは2003〜2008年の6年連続公演で「ま た 今 年 も シ ン ブ レ か」と、当時多くのDヲタが思っていました、私もです
(言うまでもなくシンブレはTDRで歴代最高レベルのショー、この当時の感覚は今振り返ると贅沢極まっていた、#シンブレ復活して)
「フリフリオハナバッシュ」も2年連続公演で(今から思えばとやってくれるだけでありがたい)
でもこの頃は「25周年を豪華にするために今は節約しているんだ…きっとそうだ…」って思っていました
そして2008年、25周年到来
もう「終わった」その一言に尽きる
クリスマスキャッスルショーの良さの欠片もない「ミッキーのジョリースノータイム」
「スターライトマジック」序盤、サン=サーンス作曲の"動物の謝肉祭"に合わせて
シンデレラ城が徐々にライトアップしていくパートのリメイクバージョンなのですが、
そこでドナルド達による鍵の奪い合い、"鍵コント"と言うような小芝居を追加し、台無しになってしまったという…
この時期のTDRショーにありがちな悪い癖と言うべきというか…
「東京のエンタメ部門の質はこれ程までに落ちぶれたのか…」と唖然したのと同時に「わざと質を落としているのでは?」という疑念も生じました
そしてそれは後年、「D23EXPO JAPAN」におけるTDRの演目において実感することができました
「本当はできるんじゃん…」「やりたくでもパークではできないんじゃん…」
という嬉しさと同時に悔しくて歯痒い想いをしました
この25周年に対するDヲタからの評価を35周年の時によく見かけたのですが
「最低最悪の周年、財布よ、開けw」という散々な評価と
「25周年は最高すぎた…😭あの頃は豪華だったな…」という評価に二極化していた、と感じます
その後と言うとイースターワンダーランドという、あの時期としては奇跡的な良ショーも出したりして
なんやかんやで迎えた30周年、期待値ゼロだったので特に何も感じず
そして2014年、キャッスルプロジェクション「ワンス・アポン・ア・タイム」(以下ワンスと表記)の開始
これこれ!と思いました
プラザの全域で見られるこの満足感、これがTDLにおけるエンタメ改善の兆しと当時感じました
2017年のクリスマス期間に開催した「ギフト・オブ・クリスマス」なんて特に琴線に触れましたね
その当時、夏に城前でやっていたショー、雅涼群舞だっけ?
オタク向けのショーはもはや開き直ってショボく、
全ての層に向けた(オタクも含む!)ショーは予算をかけて豪華に!
35周年、これはとても良かったです
TDLのアニバーサリーとしては20周年以来に良いと思えました
数だけ揃えても全てがお粗末最低だった25周年が20点
もはやなにもしない30周年が10点
今の出来る範囲で最大限パワーを発揮した35周年は75点と言った所でしょうか
夜の「オー!サマ!ーバンザイ!」では城へのマッピングも融合!
城プロジェクションの良いと思う点として、昔のキャッスルショーと違って「遠くからでも楽しめる」これがとても重要
「こんな感じで古き良き時代のクリスマスキャッスルショーがまた見て〜!」とか
「東京のショーもようやく新時代に突入か」と思ったところにコロナがやってきました
「入場者数のコントロール」「客単価の向上」
バケパにも限界が出てきたことからいよいよショーの「鑑賞席」有料化の可能性が出てきたという吉兆が出てきました
90年代後半〜00年代前半のような豪華で質の高いエンタメが見たかったら
年パスの廃止は喜んで受け入れるのが本当のオタクである、と思います
2ヶ月に一度ワンデーで入って豪華なショー見るのと
満足度が高いのはどちらかと聞かれたら、私は前者だと大声で言えます
TDSについて
ポルトやミシカの様な世界中のディズニーオタクが絶賛するようなハーバーショーを…
ハーバー埋め立て後の季節ハーバーショーってキャラヲタが喜ぶだけ
WFPのステージョー これは永久に無理だと思います、どうやっても無理な広さです、あきらめましょう
稼働期間8年位ですか 4隅にスピーカータワーを備えた立派なイベント用広場ですが
今となっては持て余していますよね、そのうち開発されそうと感じる
あるメーカーで技術職をしてるオッサンなんだけどけど聞いてくれ。
先日会社のマーケティング主導の製品企画のキックオフミーティングに呼ばれたんだけど、非エンジニアの文化にはじめて接していろいろ面食らっている。
なんていうか、普段馴染みのあるエンジニアだけで動いている会議って論点が割と明確なのよ。工業デザイナーの製品イメージがあって、筐体サイズや電力の制約があって、納期やコスト、開発リソースから実現可能性を考えてという具合に、製品の要素を実装可能な状態に落とし込むために要件を絞り込んでいく的な感じ。
一方、この前初めて参加したマーケ主体のミーティングはソフトバンクの決算で孫正義がやってるような感じのポエミーなプレゼン資料がポンポン飛んできて頭がくらくらした。「プロジェクトに対する私の思い」だとか、「製品のコードネームを決めよう!(提案者は製品コンセプトが抽象画なのでピカソ推し)」とかエンジニア目線で見るとマジでどうでもいい話ばかりで会議に出てる時間が無駄に思えてとてもストレスフルだった。
で、そんな経験がすごく苦痛だったという愚痴を昔営業の仕事をしていた嫁に話したところ、自分にとってはへーと思う答えが返ってきた。
「マーケティングや営業といったコミュ力を要求される仕事って興味の対象が人間なのよ。だから製品の良し悪しより、思いやイメージといった感情に働きかける要素を重視しているわけ。私だって、商品はクソなのに取引先のおっさんに人間性を好かれて商談まとめた経験あるし、そんな環境に何年もいる人たちが集まった会議があなた達エンジニアの世界と文化が違うのは普通じゃない?」
そうなのかとハッとした。なんていうかエンジニアはいかに良いモノを作るか、いかに技術的に面白いことができるかに神経注ぐ。だけど非エンジニアはいかに人を動かすかに注力してるのかと。
そんな目線で会議に参加したらいろいろ発見があった。非エンジニアの人はオンライン会議でも顔出ししたがるけど、理由が表情が分からないと感情の変化が読めなくて、彼らの仕事スタイルからするとやりづらいということなんだなと思ったし、面識ない人の発言でも声の感情のこもり具合だけでエンジニアか非エンジニアか判断できるようになった。
だけどだ、違和感の理由がわかったところでこの手の会議が不快なのは変わらないわけで、マーケや営業のコミュ力重視コミュニティとエンジニアの見てる世界の差は簡単には埋まらないよなと思ってしまった。なにせ会議が退屈すぎるのでサボって増田に愚痴を書いているくらいだし。溝は深い。
が、子供ができることで夫婦の関係性や、夫婦それぞれのアイデンティティが失われる気がしている。
無邪気で、自分より確実に弱い子供を、無条件で肯定し育て上げるのは
根気がいる一方で、人生においてかけがえのない楽しみもあると思う。
ただ、子供に自分の人生を捧げる友人を見ていると、楽しそうとは思えない自分がいる。
夫婦の過ごし方は?自分の時間は?今後20年のライフスタイルが変わるぜ?
子供がいる友人は、
幸せそうだが、そこに友人のアイデンティティの面影はもう感じない。
友人だちがアイデンティティにこだわっていないだけ?
であれば、夫婦仲が悪くなったり、子供が自分のすべてになるぐらいなら、DINKSで良いと思ってしまう。
考えすぎなのか。そこまで考えることじゃないのか。
DINKSで検索しようとすると、「DINKS ずるい」が予測変換に出てくる。
「ずるい」と出てくる時点で、親個人を脅かすような負荷がかかりすぎているのでは?
一見正しそうだが正しくないラベリングをすると、結果として意図しない結果を引き起こすことがある。
"難しい人"、"有害な振る舞い"というのは、大変よろしくないラベリングになる。
こういったときに「言ってることはわからなくないけど、なんか違うな」と違和感を持ち、解決策を探るのがエンジニアである。
アクションに落とし込めないもの、計測できないもの、機械的に判断できないものは、いわゆる人間力に頼ることになる。
具体的に以下を例に挙げる。(元の記事の一番最初に例示されているもの)
この短い(1行80文字以下を短いと言う)文章の中に、人間力に頼る判断は何か所あるだろうか?
私は、「創造的」「議論」「阻害」「時間を奪う」の4つは、機械的な判断が難しいと思う。
これは客観的な基準で「他者の話に割り込んで、自分の意見を差し込」んでいる。
先ほどの例だが、こんな前提があったとする。
そうすると、「営業と管理職から見て、大変有意義で創造的な議論に、毎度口をはさむ難しい組み込みエンジニア」というレッテルは正しいだろうか?
各人の判断は、正しいだろうか?
人間力に頼る判断基準で多数決を用いるのは、エンジニアリングで無く、政治的な解決だと思う。
先ほどの会議の例でいえば、5人中3人が心理的な負担を感じており、不愉快な気分になっている。
チームの60%が「創造的な議論を阻害する有害な振る舞い」だと認定している。
その判断は、正しいだろうか?
この場合、組み込みエンジニアが、難しい人 or 有害な振る舞いをする人として、指導もしく排除されたとする。
それは、心理的安全性をあげ、チームの生産性をあげる行為だろうか?
例えば、今後デザイナーは、営業と管理職が「どのような雑談をどの長さでしていても」発言しなくなるかもしれない。
デザイナーからみて、その会話が創造的な議論か判断ができないからだ。
さて、Web系のバックエンドエンジニアや、クラウドインフラエンジニアだと、アラートを設定したり、対応したいことがある。
「何かまずいことが起こっていることを、何らかの方法で監視して、対応したい」という場合だ。
例えば、待機系サーバーの起動時に妙に時間がかかっている場合、自動対応ができないので、アラートメールを飛ばして手動対応したいと思ったとする。
絶対値(10分)か、相対値(過去5回の起動時間の平均値)かは場合によるし、それが適切かはまた別の話だ。
「他者の話に割り込まない」というルールは、誤検知を引き起こしやすいアラートだ。
そんなのは常識で考えたらわかるだろう?曖昧な基準は「俺のは有意義な議論の発言だ」の判断を誰かが決めることになる。
大多数がそう思っていれば、という複合的な基準もありうる。その場合、先ほどの例の組み込みエンジニアは、アラート対象になる。
「会議のアジェンダに記載されている内容を3分以内で喋っている場合に、割り込まない」というのは、一つの基準になる。
この場合、営業が「営業概況を冒頭のアジェンダに加えて欲しい」と交渉する余地がある。
また「報告時間が10分は欲しいが、3回以上は一度会話を止めるので、営業概況に対する質問はその時に」という合意もできる。
そして、顔合わせのキックオフミーティングで、営業概況をやるかは、会社やチームによる。
明示的なルールで縛るのが正しいかと言えば、そうした方が良い職場もあるだろうが、窮屈な職場も多いだろう。
という簡単な話に見えることですら、ルールを作って守らせることに違和感を感じる感性も正しいと思う。
チーム(もしくはマネージャー)に求められるのは、こうした「何かチームに嫌な感じがある」ときに軌道修正できることだ。
一例でしかないが、例えば以下の流れでルールを作らずに、解決できることもある。
コミュニケーションコストを、チームを維持するのに必要なコストとして、きちんと時間を割けるかが重要だと思う。
さらに言えば、「それは有害な振る舞いだと自分は思うが、あなたがそう思わない理由は何か」とコミュニケーションを取れないのであれば、そこに課題があるだろう。
チームやマネージャーがある人を「難しい人だなあ」と思ったとして、2つの解決策が出てこないのなら、その思考には課題があるのではないか。
「他者に配慮できる」という曖昧な基準で異物を弾くようなチーム作りは、蛸壷化して致命的な結果を引き起こすことがある。
パワハラ、セクハラ、試験結果改ざんが、「なんでそんなんなるまで誰も言わなかったんだよ」となるのは、
「その構成員が他者に配慮できる人たちで構成されていて、異物を弾き続けた結果」であることが多い。
少なくとも、「エンジニアの”有害な振る舞い”への対処法」には、機会、動機、正当化のいわゆる不正のトライアングルのうち、動機と正当化を満たしている。
いやいや極端だろと思うだろう?
快不快が、正しい正しくないに繋がっていることは社会生活を送っていると極めて多い。
「マネージャーならば」法律や外部の意見も含めてかなり慎重に判断する必要がある。
「エンジニアならば」相手に快適に聞こえるようにコミュニケーションするスキルは磨いておいて損はない。
(あと、機械的に判断可能なルールを守ることが自分を守ることに繋がる。ルール順守か業績なら、常にルールを守れ。記録を軽視するな)