はてなキーワード: りょうとは
所在地: 〒899-5652 鹿児島県姶良市平松6067 TEL:0995-65-3138 FAX:0995-65-8044 E-mail.air-hos@pref.kagoshima.lg.jp
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/section/kango/kango03.html
院長:山畑良蔵
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/information/greeting.html
「鹿児島県立姶良病院 山畑 良蔵 院長(やまはた・りょうぞう)
1983年鹿児島大学医学部卒業。鹿児島大学医学部附属病院神経科精神科医員、県立鹿児島保養院医長などを経て、2013年から現職」
副院長:堀切靖
姶良病院は、鹿児島県における精神科医療の中核としての役割を果たしています。精神科に興味のある先生方にとっては、貴重な研修ができるものと思います」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/recruitment/message/aira.html
「県立姶良病院について語ろう https://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/
732 2019/07/02 01:34
友人にききました。ここに入院した友人に。
735 2019/07/03 23:09
今は公衆電話の使用は禁止されていて、電話を使用する際は、ナースステーションの窓口に設置されている電話をしようして、相手を看護師に告げて繋いで貰うんだ!
738 2019/07/04 00:08
電話したいときは看護師に相手を伝えて繋いでもらうしかないです
740 2019/07/04 07:07
事実だよ!だから、何の為に誰も使用が許されない公衆電話を設置しているのか解らん!
741
742 2019/07/04 07:12
山畑よ!公的な医療機関だからと言って調子に乗るんじゃない!人権侵害で利益を得たなんて、不法団体そのものだ。こちらの心情も推し量らずに、県の機関と言うことで、特権意識を持ったのか。
746 2019/07/04 15:49
公衆電話は使える人は使えてた。
電話したいときに看護師にテレカを貰って電話することは出来る。
でも、テレカで公衆電話の使用許可を貰えてたのは知ってる限りで研修医のT医師だけだったな…
749 2019/07/04 17:56
手紙さえも制限される場合もある。堀切なんて女性患者が手紙を送ろうとしたら、手紙を取り上げてシュレッダーにかけた事もある!それでシュレッダーポテトと影で言われるようになったんだから!
750 2019/07/04 18:10
公衆電話が使用出来なくなったのは山畑が院長になってからだ!前院長時代は、公衆電話が誰でも使用出来ていた!山畑が院長になってから、おやつも自由に食べられなくなり、患者はタバコの喫煙も全面的に禁止になった!副院長である堀切の女性患者に関しては、堀切が主治医である限りは恋愛も禁止される!しかし、県庁には恋愛禁止の事実を隠している!」
↓
こういった場合のトラブルを防止するために患者の通信を制限したくなるのは、もっともな気もしますが、それも一定のルールに則って行わなくてはならない決まりになっています。
まず、重要なのは手紙の制限はできない、ということです。これは患者から外部の人に対する発信も、外部の人から患者に対する受信も、ともに一切の制限ができないことになっています。例外的に、郵送されてきたものに異物(例えば刃物や薬物など有害・危険なもの)が入っている可能性がある荷物の場合は、職員立会いの下で開封し、場合によっては危険物を病院側が預かることはありえます。しかし、それ以外の制限はできないのです。もし、どうしても家族からの手紙などが患者の気持ちを動揺させ、反治療的になると考えられる場合は、その事情を家族によく説明し協力を依頼するしか手がありません。
次に、電話の制限ですが、これは手紙とは違い、一切できないということはありません。しかし禁止するのであれば、それは治療的な正当性のあるものでなくてはなりませんし、その理由をカルテに明記した上で患者にも保護者にも説明しなくてはなりません。いずれにしろ、電話の使用を制限するときでも、弁護士や「人権を擁護する行政機関の職員」への電話は制限することができません。つまり、もし患者から「処遇の問題について県の行政担当に電話する!」という要求があったら、電話の制限がされていても、隔離されていても、基本的には電話をかけさせてあげなくてはなりません。
面会の制限については、ほぼ電話についての考え方と同様であり、治療上必要だという正当性のある理由がある場合は、本人や家族に説明の上で制限することができます。しかし、本人が弁護士や「人権を擁護する行政職員」と面会することだけはとめることができません。
電話や手紙、面会などの制限についても具体的なガイドラインが「精神保健および精神障害者福祉に関する法律第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準」に明記してあります」
↓
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=80136000&dataType=0&pageNo=1
「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第三十七条第一項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準
入院患者の処遇は、患者の個人としての尊厳を尊重し、その人権に配慮しつつ、適切な精神医療の確保及び社会復帰の促進に資するものでなければならないものとする。また、処遇に当たつて、患者の自由の制限が必要とされる場合においても、その旨を患者にできる限り説明して制限を行うよう努めるとともに、その制限は患者の症状に応じて最も制限の少ない方法により行われなければならないものとする。
第二 通信・面会について
一 基本的な考え方
(一) 精神科病院入院患者の院外にある者との通信及び来院者との面会(以下「通信・面会」という。)は、患者と家族、地域社会等との接触を保ち、医療上も重要な意義を有するとともに、患者の人権の観点からも重要な意義を有するものであり、原則として自由に行われることが必要である。
(二) 通信・面会は基本的に自由であることを、文書又は口頭により、患者及びその家族等(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(昭和二十五年法律第百二十三号)第三十三条第二項に規定する家族等をいう。以下同じ。)その他の関係者に伝えることが必要である。
(三) 電話及び面会に関しては患者の医療又は保護に欠くことのできない限度での制限が行われる場合があるが、これは、病状の悪化を招き、あるいは治療効果を妨げる等、医療又は保護の上で合理的な理由がある場合であつて、かつ、合理的な方法及び範囲における制限に限られるものであり、個々の患者の医療又は保護の上での必要性を慎重に判断して決定すべきものである。
二 信書に関する事項
(一) 患者の病状から判断して、家族等その他の関係者からの信書が患者の治療効果を妨げることが考えられる場合には、あらかじめ家族等その他の関係者と十分連絡を保つて信書を差し控えさせ、あるいは主治医あてに発信させ患者の病状をみて当該主治医から患者に連絡させる等の方法に努めるものとする。
(二) 刃物、薬物等の異物が同封されていると判断される受信信書について、患者によりこれを開封させ、異物を取り出した上、患者に当該受信信書を渡した場合においては、当該措置を採つた旨を診療録に記載するものとする。
三 電話に関する事項
(一) 制限を行つた場合は、その理由を診療録に記載し、かつ、適切な時点において制限をした旨及びその理由を患者及びその家族等その他の関係者に知らせるものとする。
(二) 電話機は、患者が自由に利用できるような場所に設置される必要があり、閉鎖病棟内にも公衆電話等を設置するものとする。また、都道府県精神保健福祉主管部局、地方法務局人権擁護主管部局等の電話番号を、見やすいところに掲げる等の措置を講ずるものとする」
、、、「病棟に公衆電話はあるが、だが基本的には使えない(様になっている病棟がある)?」
、、、「電話する際は看護師に頼んでナースステーションの電話を使うしかない? その際は看護師に電話相手の名前を申告しなければならない?(その申告は記録される?)」
、、、「医者の許可があればテレフォンカードで公衆電話が使えるが、そのテレカも普段は看護師に預けておかねばならない(つまりやっぱり公衆電話は自由に使えない? そもそもがその『医者の許可』じたいが殆ど出ない?)」
男が嫌いすぎて生活に困っている。男の大きい体が、低い声が同じ空間に在るだけで怖い。満員電車でサラリーマンに密着すれば朝から疲弊してしまい、通学もままならない。恐らくこれはミサンドリーで、性差別は悪だから、私はどうしたらいいのか分からない。行き場のない諸々をここに吐き出すので、よかったら聞いてほしい。
【男嫌いになるまで】
増田は大学生女だ。こうも壊滅的な男嫌いになってしまった原因は、父親・レイプ未遂・痴漢・セクハラ・パパ活・パワハラの6つが主だと思う。以下、時系列順に書いていく。
①父親
典型的な男尊女卑思考で、逆らえば殴られる。小さい頃、私の股間に頭を埋めて勃起しているのを見てしまった。今も不自然に体を触られる。
小6。仲の良い男子とトイレ掃除をしていたところ床に押し倒され、必死に抵抗したが力で全く敵わなかった。直に体を触りながら口内を舐め回された。この程度でレイプ未遂?と思われるかもしれないが、運が悪ければ挿入までされていただろうからレイプ未遂だと思っている。(脱線するが、山口達也のしたことをキス程度と軽んじた人は彼がキスだけで済ませるつもりだったのか考えてほしい)
③痴漢
中1〜高3。電車で女子校に通っていて、週に2、3回は痴漢に遭っていた。恐怖で体が動かない・犯人を特定できない等で泣き寝入りすることがほとんどだったが、犯人を捕まえて電車から下ろしたことも数度だけある。特に印象的なのは以下2件。
1.ホームで1人の男性が協力してくれ、無事逮捕に至った。犯人は痴漢の常習者で執行猶予中だったため実刑になった。懲役1年弱。
2.ホームで「もうしないから!」と叫ぶ犯人にしがみ付くも、力負けして逃げられた。改札を飛び越える犯人の姿が防犯カメラに映っており、後日逮捕してもらえるだろうと被害届を出した。警察は何の捜査もしてくれなかった。私の尻の価値は横転したトラック以下。(2018年の渋谷ハロウィン、犯人は山梨まで防犯カメラを辿って逮捕された)
④セクハラ
大1。クラス担任の男に性的な嫌がらせを受けまともに登校できなくなる。何とか単位は取ったが鬱で通院するように。両親の理解が得られず、今も欠席の多さを罵られながら自費で通院中。
⑤パパ活
大1〜2。バイト代のみで生活を賄っていたところ、トラブルで給料が絶たれる。おじさんと食事をしてお小遣いをもらう、いわゆるパパ活を始めた。次第に金に目がくらんでセックスもするようになった。レズビアンなので将来好きな人に処女を捧げたい、といった貞操観念はなかった。どのおじさんも相手を顧みないセックスをする人だった。(女を金で買う男が最低なのは道理だし、売る私も同じ穴のむじな)
⑥パワハラ
新しいバイト先でパワハラを受けた。上司の指示の矛盾を指摘すれば揚げ足をとるなと怒鳴られたし、人格を否定されたし、無賃での残業を強いられた。耐えかねて上層部に相談したところ異動してもらえ、今も勤めている。おかげさまで収入が安定し、売春からは足を洗えた。
【現在】
ギリギリ留年せずに大学に通いつつ資格の勉強をしている。抗うつ剤、抗不安薬、睡眠導入剤でおおむね安定しているものの、常に体が重く思うように動けない。理由もなく強い不安に襲われてどうしようもなくなることがある。
【増田を書いたわけ】
だらだらと半生を綴ったが、どんな事情があろうと差別は悪だ。被害者として同情してほしくはない。
私はこの世の男すべてを憎んでしまい、恐れてしまい、勝手に窮屈に生きている。本当は楽しく生きたいけれど、それが叶わないから死にたいと毎日思う。だから、男嫌いに折り合いをつけて(直すのは現実的でない)生きる知恵を貸してほしくてこれを書いた。痴漢とパパ活については話したいことがたくさんあるので、気が向いたらまた書く。
長い駄文を読んでくださりありがとうございます。助言いただけたらとても嬉しいです。
【返信 05/17 22:36】
・売春関連
成人男性でAVを観たことがない人はいないと思います。需要があるから供給する、それはどんな商売にも言えることで、私は自分の体を商品にしたことを恥じていません。何より趣旨は売春ではないのでお門違いです
・瞑想
性的指向とその人の考えは別物なので、好きな人としかセックスしたくないレズビアンは普通にいると思います。私も好きでない人とセックスをするのは不快ですが、お金と天秤にかければ諦められる程度でした。
【返信 05/18 17:18】
途中まで読んだことがありますが、未果子はすごくリアルなキャラだと私も思いました。セックスワーカー=①セックス好き ②生活困窮者のどちらかで語られがちですが、③男性嫌悪の裏返し、も多いです。私は②に③が軽く混ざっているのかと。
津島隆太さん『セックス依存症になりました。』第41話でも③が描かれていますね→https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2019/02/15/108159/
・今のままでいいじゃん
冒頭に書いている通り生活に支障が出ているので何とかしたいと思っています。ミソジニーの男が嫌い→同類(ミサンドリーの女)になりたくない→男嫌いの自分が嫌い、という葛藤もあります。
信そのまんますぎ
ずっと叫びすぎ
政美しすぎそしてまつげ長すぎ
王騎はその再現度の高さゆえに話の重厚さからちょっと浮いてる感
というか序盤の王騎で笑ってしまう
初期のゲテモノ敵をあそこまで気合い入れるて作り込んでるのやばすぎ。特にムタまんまやんけ!
脇役も似てる人集めすぎ
せいきょうハマり役すぎ
かりょうてんの初期設定そんなのあったなって感じ
ようたんわ足出し過ぎ
信が山の民ダンスに混ざるとこ好きすぎ
戦闘シーン怖すぎ痛そうすぎ
軍隊の動きはこんな風なのか!と感動。漫画では想像のしづらい部分だったからこれはかなりよかった
ストーリーは2時間全力で突っ走ってる感あって疲れた。つまり全編通して盛り上がりすぎ
若干削ってるとこ&細かな変更点はあったもののほぼ原作通りの進行
かなりシリアスに振っててギャグシーン少ないので原作読んでない人だと信のキャラがわかりづらいかも?
政、せいきょうを殴りすぎ
面白かった
孝明天皇が、令徳を徳川に令すという趣旨で令徳を元号としようとしたのなら、令和は天皇が和国に対し令すという読み方をすることになると思う。もちろん、和国とは日本のことなので、天皇が他の権力を除去して和国を統治するようにも読めます。他の権力とはなにかといえば、GHQなんじゃないかな。
令旨が皇太子の命令だから、天皇の改元大権に使うのは適切じゃないという意見もあるけど、令旨はりょうじという読み方をするので、れいと読む令和への批判にならない気がする。
左派からの批判には漢籍の古典に通ずるとなだめられるし、右派からの批判には、上記の指摘で減殺できる。
つくづくよくできた元号だと思った。
でもKKOのいう結婚Bは「頑張らない俺を俺は憎いけどお前は合意しなくても強制されて俺を愛せよ、それが下方婚だろ」だよね醜い。
誰も強制などとは言ってないよ?「自発的に」やってもらわないと差別解消とはいえない。
もともと増田には女性の表現の自由は守りたいからたまにきてたんだけど、男性の表現の自由を守りたいって言ってる自己嫌悪勢に足引っ張られただけだったわ。
これ性差別だろ。
普通の結婚Aは「俺(私)より頑張る君が好き」って両方思ってるからりょうせいがごういする、美しい。
でもKKOのいう結婚Bは「頑張らない俺を俺は憎いけどお前は合意しなくても強制されて俺を愛せよ、それが下方婚だろ」だよね醜い。
Aでは最初両方が結婚してくれてありがとう下方婚してくれたようなもんだぜっておもってるのが大半でしょ。年収が一円でも相手が少ないと自分が劣ってるみたいっていがみ合いになるから、同レベルならあえてお互いに額面を知らせないで生活費折半だけいう女性や男性も多いし(隠れ下方婚)。
そのあともお互いが自分のできること得意なことを頑張りあってたら逆転もあるよね。
おじさんって居場所、やりがいが家庭から企業になっていく不器用なひとがおおいから、ぜひ収入に困ってなくても外で働きたいって固執する人が特に昭和は多かったし。
結果として中年ごろは大抵上昇婚になってたっていうケースが大半だとおもうんだよね。
っていうかうちがまさにそれで、逆転してどっちか片方の収入でも全員余裕で食えるようになったし、家も一軒めのマンションは売って二件めの戸建てたてたからもう動かないだろうってなった。そこで若い人にOJTの場を譲るつもりで退職して自由業なう。
KKO増田はこれでもおまえがやったのは上昇婚だっていいはるのかね? 二人で頑張ってるだけなのに?
もともと増田には女性の表現の自由は守りたいからたまにきてたんだけど、男性の表現の自由を守りたいって言ってる自己嫌悪勢に足引っ張られただけだった。
おうち探しの結論が「大好きなフレンズと一緒のここがおうち」であるなら、「人間がフレンズにひどいことした」は、避けて通れないかと。
イルカ・アシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える
元々の話は、人間が動物をねじ曲げてしまったことの悲劇、罪悪感、グロテスクサが表現されてるか、でしたよね。それらは一つの責任の取り方かもしれませんが、そうしたニュアンスは、存在しないかと。リョコウバトの場合、「君の家族は全員死んだけど他にも仲間はいるよ。殺したの俺の仲間だけど」というのが「責任」かと言われると、ちょっと。もちろん、絶滅動物に対して人間が償うべきなのか、どう償うのかは、大きなテーマであり、けもフレ2内の1エピソードとして処理するのは限りなく無理です。しかし、だったら最初からリョコウバトを出さなければ良いかと思うわけです。そのあたりが深く考えてないという話です。
余談ですが「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットにします。そうしたほうが「自分の意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。
イエイヌは不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います。
キュルルが、イエイヌの孤独、寂しさを理解しつつも、「飼い主の責任」のために去って行く、と、取れる描写があればよかったですね。また飼い主の責任の話を強調するなら、イエイヌが「ヒトなら誰でもよい」と言ってしまってるのがダメでしょう。イヌは「ヒトなら誰でもよい」生き物ではないわけで、そっちのほうが誤解が大きいし、「イヌは人なら誰でもいいんだから、他の人に、あげればいいじゃん」という無責任に繋がりかねません。
私なら、最初、イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。
何歳くらいを対象に考えてるのかわかりませんが、「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからないと思います。
サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者は最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。
あの時、サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、「同じ系統のパワー」に見えるんですよね。一期の野生解放と同じものか、ちょっと混乱する。
念のために確認しますが、私の意見は「内面世界の外への進出」自体は、多くの作品に共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界内現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。
けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。
通常、作品における伏線・回収は、プロット上重要なメインの部分についてやるものだと思います。一つの作品で、画面に映ったこと全部に完璧な説明をつけようとすると、かえって面白くなくなるので。それを理解した上で「すべてに筋を通すべく没頭」するのは一つの楽しみ方ですが、作品単体にそれを要求する必要はない。わからないことがあることを含めて楽しめば良いかと。もちろん、楽しめないほど大きな矛盾があれば別ですが、私はそれは感じませんでした。
他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合を意識しなくてはならなくて、キャラクターもかぶらないようにしなければならない。ヘラジカとプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています。舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテルの位置。時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。
続編作品のほうが様々な制約があり、オリジナル新作ほど融通が利かないのはその通りだと思います。現場の方々は整合性を取ろうとしたのだと思います。けもフレ2で、派手でない部分で、筋、整合性を通してる部分があるのも、もちろんだと思います。
その上で、重要な部分で、フウチョウが出てきたりするあたりはファンタジーであるなと。「記憶のケムリクサが不自然に発動したこと」にご都合性がないとは言いませんが、「幻想だか現実だかもよくわからないフウチョウコンビが、どこにでも現れて説教する」は、後者のほうがファンタジー度が高いでしょう。
キュルルちゃんの出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。
肩すかしなのは、キュルルちゃんの出自と、最終話に至るドラマ、キャラの動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります。ベタなのは、それによってセルリアンを倒す助けになるとかですね。そうでなくても構いませんが、そういうのが必要です。けもフレ1で、かばんちゃんがミライのフレンズ化だったというのは、「セルリアンに食べられたかばんちゃんが復活した理由」というドラマと結びついてるから意味があるわけです。
ワカバの場合、ワカバとリンの関係性、ケムリクサの赤い霧の世界がなぜ生まれたか、姉妹達とはなんだったのか、という、キャラの動機と起源、世界の成り立ちが解かれて、それが最終決戦の盛り上がりに繋がるところに意味があるわけです。ワカバが、宇宙人なのか、天使なのかの細部は、想像に任せるで良いのです。
牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空からの俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。
合理性があろうがあるまいが、1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。
それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃんを誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者の視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラの基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界」概念のスピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思います。けもフレ1でも博士はサーバルの図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウの能力の表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズを酷使して、かばんちゃんを、りょうり要員として使役しています。視聴者を全面的にエンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない。
「視聴者の視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。
そして「”キャラの基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしま」うこと自体は簡単かもしれませんが、その結果、出来上がった作品が面白くなるか、評価されるかというと、それはまた別問題ですよね。「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます。
一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます。問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品が問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記・とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。
不備について、いくつかは、これまでにも書いたと思います。この記事だと、イエイヌ周りとか、キュルルちゃんの「おうち」「正体」周りですね。
細かな不備はさておき、大きく重要なのは、おっしゃっていた「視聴者の視点では行動が横暴に見える。」という点が、印象に残る点だと思います。作り手の意図として「視聴者に対して、キュルルを横暴に見せたい」と思っていたわけではないでしょう。だとするのなら、意図に対して演出・脚本が失敗しているわけです。
「初見ではわからないかもしれないが、よく考えるとわかる」部分があるのは作品に深みを増しますが、それは細部にやる話で、ドラマとして盛り上がる重要なポイントで誤解を与えてはいけない、というのが普通の作劇かと。
広い意味で調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまいます。
けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカやアシカにショーをさせ、イエイヌを人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります。
けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。そうだとするとヒトの業はアンチテーゼとしては機能しないです。ただ、テーマについて、議論を受けて改めて考えなおしてみたのですが、それぞれ責任の取り方を示唆する決着にはなってたと思います。イルカ・アシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える。イエイヌは不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います。木村監督は仕事受けたあとインタビューで「娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ」とお話したそうです。この言葉は謙遜、およびプロとしての矜持だった、道具に徹するという意志の現れだったのでしょうが、騒動で傷ついていたファンには「たつき監督への侮辱か」と受け取られてしまったようで、残念なことです。作劇のプロとしての基準がどのようなものか存じませんが、一般的なエンタメの方法論の尺度では、(見得を切った割には)十分な水準に達していなかったということでしょうか。俺としてはとっちらかっているとまでは思えなかったです。
野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。性格の自己申告の目的がわかりやすくするため、と申しました。サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者は最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。むしろ俺は貴方のレベルでそれを見落としたことに驚いています。すくなくとも演出の目論見は失敗したと言っていいでしょうね。
ミドリがケムリクサ自体を回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。
いただいた他の論はあまり説得力を感じませんでしたが、この解釈は的を射ていると思います。考察によって筋を通すことができる、それに耐えられる作品になっている。そういう信頼がたつき監督にはあり、木村監督には無かったのでしょう。見返しておられるとのことで詳しくは控えますが、あらゆるポイントに伏線と回収があります。りんが記憶の草を触られて居心地悪くしているシーンは流し見るとなんかエッチな雰囲気に見えてしまいますが、きちんと意味のある描写です。内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。俺はけもフレ2もSFアドベンチャーとして設定を考察しています。しかし先に触れてらっしゃいますが、全体的な伏線-回収のスタイルには2つの作品は確かに大きく異なっています。
「さぁとっとと野生解放するのです」… かの名言を忘れているとは。おっしゃる通りで返す言葉もないです。やれやれ、咀嚼が足りてないですね。噛めば噛むほど味が出る、これがたつき監督のけもフレ1以後の作品の凄さでした。個人的には、けもフレ2もそのスピリットを色濃く受け継いでいるように思えます。
ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾や意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなります。けもフレ2は、そういう作品ではないので、
これには異を唱えておきます。けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合を意識しなくてはならなくて、キャラクターもかぶらないようにしなければならない。ヘラジカとプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています。舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテルの位置。時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。ボスウォッチでキュルルちゃんを探すことができてしまうと、けもフレ1で海に落ちたボスをラッキービーストは探せなかったのと矛盾が出る。伏線だけでなく視聴者の印象にも配慮しなくてはならない。最終話で唐突にボートが出てくると、あれ? けもフレ1のかばんちゃん出立でバスを使ったのはなぜだよ、というショックを与える可能性があるので、うみのフレンズ回で予め出しておく。”うみのごきげん”はそのタイミングで合わせて出す。パーク内でのボスウォッチの在り方は、けもフレ1では”脳みそソコについてんのか!?”というビックリ要素でしか無かったですが、バスのハンドルディスプレイにウォッチをかざせというようなGUIがあるところからみて、ウォッチはボスの形態の一つだったと考えられます。そして引き出しに大量の異型筐体のボスウォッチ。「コレを持っていって」っと手渡す。様々な疑問に筋を通す解釈を俺は見つけることができました。見逃してしまうような設定開示を考察で結ぶことができる、これはたつき監督のお家芸だったはずですが、継いだ最初の仕事で再現できる手腕には舌を巻きます。
このようにけもフレ2では設定が矛盾しないように、しかもそれを前面に押し出さず(制作が苦労している感が出ないように)背後で処理している。考察を進めると考える上でヒントになる(あるいは制限になる)情報があちこちにあるわけです。視聴時の情報の引っかからなさが、けもフレ2の優れたポイントです。キュルルちゃんの出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズなら、コレは擬似的に不老不死を実現していることになる。そうすると、けもフレ1の山頂の戦闘機にも理屈がつけられるような気がしませんか。よくある批判に、キュルルちゃんの正体が最終的には謎じゃないか、というものがありますがそれを言うと、わかばの正体も最終的には謎でした。俺から見ると、どちらも読み解くのが… とても楽しい。貴方ほどのレベルの視聴者にこの作品がメルヘン扱いされているのは、勿体無いことこのうえないです。”義憤”や”同調圧力”などがそうさせてるとしたら… ううむ、最初の諍いのときに制作はプライドを曲げてでも頭を下げて、互いに許し合うべきだった。残念です。
あのシーン(引用者注・けもフレ1の全員集合シーン)を、フレンズ化セルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。
牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空からの俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。
「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラの基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレ1ファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います。
それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃんを誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者の視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラの基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界」概念のスピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思います。けもフレ1でも博士はサーバルの図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウの能力の表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズを酷使して、かばんちゃんを、りょうり要員として使役しています。視聴者を全面的にエンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない。
一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます。問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品が問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記・とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。
ツイッター広告で出てきて3巻まで無料だったから読んだ。絵がきれいで面白そうだったから。
したらめちゃくちゃ続きが気になって危うく課金しそうになったけど思い留まってツタヤで借りてきた。
ネタバレになっちゃうから内容については詳しく書けないけど、読後「日本の漫画文化ってなんて深くて広いんだ」と思わされた。超感動。お金をかけずに一人でこんな物語を生み出せる漫画ってすげーわ。小説もそうだけども。アシスタントとかいるんだろうけども。
最終巻のAmazonのレビュー見てみたらやっぱり高評価だし、高評価じゃないにしてもそんな風に思う人がいるのも分かるなーという内容で面白い。
高評価の人のレビューも内容がしっかりしているものが多くて読み応えがある。
3人のメインキャラのうちの1人が女装男子なんだけど、彼に感情移入した女装男子のレビューはもはや感動的である。
先に「この漫画を真に理解できるのは女性だけではないかと思う」という女性のレビューがあり、それに答える形で「この漫画を真に理解できるのは女装男子だと思う」と綴ってある。(更に続きがあるんだけど)
39、妻子持ち。
35の頃ある事がきっかけで、
話す事が仕事であったのも重なり
催眠術を覚えた。
素人と言う事もあるがなかなかそう掛ける機会がない
邪な気持ちもあり
退行催眠も興味が出て、相手の興味も重なるとかけてあげたりもした。
それなりに素人なりには催眠を理解して、かなり上手な方だとも思う。
ところが先日
A子だ。
A子は過去にも同じようにサイトで探して、自称催眠術師にやって貰ってかからなかった所をまた試したいとの事だった
その後、なんとなくまだ切りたくなくて会話を続けているとA子に霊感があり、たまに予知夢を見る事がある事も知った
そして彼女からの願いもあり自分が生を授かった理由を知りたいと言い出した
そんな理由をぼくが答えれるはずもないので退行催眠をかけてみることに。
前世まで。
病で床についている状態だった
更に遡って色々見せた。
そして個人的には今のA子である母の胎内に行く前が理由がわかると思い、またその時間まで。
一通り視た後
いまへ連れ戻した。
普通は退行催眠かけると忘れている事がおおいが彼女は戻ったときに全てを覚えていた
予知夢見るって言ってたけど
そしてそれが実は現実になって
この人だ!と思って結婚したの・・
退行催眠の話も忘れて聞き入ってると
・・・その人とは3人の子供を授かったけど、暴言が酷くてそその人とは別れたの
そして続く
でもさっきわかった
探してたたのはあなた
ある人を探していると言ってた
その時からなんとなくの勘があって
期待?してた
「よう」
だった
けど覚めてハッキリ聞いた。
お互い信じられなくて
確証を持ちたくて
その後も2,3度退行催眠をかけた
でもA子の確信は高まっていくばかり
出ないことを願いつつ心は喜んでいた
これからどうしたらいいのか。
読んでくれた方