はてなキーワード: ありがちなとは
http://anond.hatelabo.jp/20170207184036
そりゃあなあ。
被告は,
(例によって箇条書きにフォーマット変更している)
「もう使わない」と言っておいて実際にはそれを言った直後に管理著作物を使ってるんだから。
この短期間でそれやったらタダの言い逃れだと思われてもしょうがないでしょ。
的な、ネットでよくありがちな言い訳理論をさんざ使って侵害判定されてるので、ネットで著作権談義したい人は裁判所から認定部分だけでも読んだほうがいいよ。
幼稚園、年中組のとき明日から幼稚園にはいかないと、固く決意してそれから約半年登園拒否をした。ある日お母さんに騙されて幼稚園に連れていかれ、行ってみると意外と楽しかったのか結局また通うようになった。
小学校、割と楽しかった。友達も多く今思うとスクールカースト上位だった。でもたまにトリッキーな行動とってたな。家庭科の料理実習クラスでシェフ気取りでやけに忙しそうな感じで偉そうに男の子に指示出したり。お姉ちゃんが入ってたという理由で卓球クラブに入って部活動もしてた。お姉ちゃんが部長だったので次に私が部長だ!と張り切ってたのに、私の後にクラブに入ってきた私とも仲良しの女の子が部長に指名されてしまった。すごく恥ずかしくて認めたくなくて、その子が毎回のクラブ活動終わりの挨拶とかするときは拗ねてそこにわざとらしく毎回遅れて行ったりした。
中学、仲良しで大好きな小学校からの友達と一緒だったから基本楽しかった。でもスクールカーストトップのヤンキー女子グループに目をつけられて嫌な思いをしたこともたびたび。通学バスで中学まで通ってたんだけど、一番後ろの席はそのヤンキー集団しか座っちゃいけないっていうルールあったなぁ。そこに座りたいし、そのヤンキー集団に気に入られたかった。彼氏も出来なかったなぁ。部活もやらなかった。見た目もひどかった。
高校、高校デビューしてスクールカーストトップに返り咲いた。だけど心の中はいつも嵐が吹き荒れてた。
基本根暗だから部活やらなかったし、彼氏も3人出来たけどそんな上手くいかなかった。理想に届かない自分が許せなくて心の中は思春期にありがちなぐちゃぐちゃで、リストカットもした。今でも消えない傷がある。後悔。
大学、元々社交スキルが低い自分には、高校みたいにクラスがないとどうやって友達作ればいいか分かんなかった。大学1年間は誰も信用できずひたすら1人だった。なんとかしたいともがいた。見た目を磨くという方向に突っ走ってしまい拒食症になりかけたりした。その後見事に過食症になったけど。辛かった。大学2年のとき、今の旦那と出会えた。なよなよしたオタク気質な旦那だけど、心根の優しい人。彼のおかげでまともな人間になれた。
社会人、自己啓発本を読んだり旦那のサポートを得たりでごく普通に社会生活をこなせるリア充になれた。学生時代のベタベタした友人関係はそんなに上手く楽しめなかった自分だったけど、社会人のサラッとした人間関係は上手くこなせることに気づいた。
昔から頭は良かったのも自分を助けてくれた。世帯所得1500万、部屋から東京タワーが見えるタワマンに住んでる。成功できたと思う。何より自殺しなくて良かった。辛いときも嫌なときもあるけど、でもとても幸せ。相変わらず全く理想には届けてないけど、自分で自分をコントロールするスキルを身につけた。私は不十分なところもあるけど自分で自分を幸せにすることができると、そう感じれることが幸せ。
学生時代との友達との付き合い方は未だに迷うことがあるし、勝手に傷ついたりもする。自分の子供がいずれ生まれて育ったらどんな学生生活を過ごすんだろう。無理してリア充にならなくたっていいんだよって伝えたい。人生は長い。学生生活なんて人生の僅かなところでしかないよ。
っていうかそういう憎悪自体が真の母性本能なのかもな。下の子にリソース割くために上の子を軽視するように脳が働いてるのかも。 - masudamaster のコメント / はてなブックマーク
他の増田が
とか書いてて、最近の彼は本当にどうしたんだろう、変わっちゃったんだろうか? といったん思ったりした。
しかしちょっと考えてみて、感情にまつわるもの・脳の機能に基づくものに、お説教でどうこうしようとするトラバやブコメが多くて、これははてなにありがちなモラハラ的状況なんだなと。
なんていうか、ちょうど自分も母性神話の信者感が強いトラバが多くてちょっとゲンナリしてしまったところだったので、「先生はいらない」とかやっちゃう彼としては、そういう分かりづらい形でしか表現できなかったんだろう。
互助会ブロガーにありがちな個人的ランキング、00年代までならテキストサイトの名残溢れる牧歌的な内容だったし、自分の趣味を伝えようと躍起なので門外漢でも興味を持って読める内容だった。それは書き手が少ないから、必然的に自分の趣味に熱量のある人しか書かなかったからだろう。
今は別に「検索に引っかかりやすそう」「多くの人が話題にしてくれそう」が狙いのランキングしかなく、また大して興味もないのだろうからありふれた内容にしかならない。そして全然興味がないから簡単コメントしかつけない。一昔前のニュースサイトか。多少入れた些細なジョークもラーメンにふりかけた胡椒くらいにしかなってない。
だからもう、羅列型でやるくらいだったら「1位」に選んだものだけの愛情やらなんやらを具体的に読みたいのよ。ストレートな好意でもいいし、なんかものすごく偏った欲望でもいいし。100人いたら100人はだいたい理解できるような感想とか考えはどうでも良い。テンプレうんこコメントランキング作るのだってテンプレでも20分はかかるでしょ。同じ20分かけるなら、もうちょっと自分の中身を掘り下げることをしてくれ。そうじゃないとこいつはとにかくこいつは安くて雑な油で揚げてなおかつカッチカチに冷えた半額の天ぷらを「半額だー」という人間の買った天ぷらが入ったプラ容器からこぼれ落ちた天かすを拾ってご飯にかけて食べているような貧困未満のかわいそうな人としか思えないし、テキストいう文化的なことに対して(アフィリエイトとは言え)生じた金が文化貢献とかではなくかわいそうな人達へ小銭投げてやるような行為にしか思えなくなって、人生に対してうるおいが一瞬で乾く。書き手として、先生に習ったとおりに一生懸命書いたテンプレ記事が、物乞いレベルの小銭拾いでいいのか。そんな貧しいものよりも、ヘッタクソでもいい。個人的で、歪んでて、貧しい自分の文化資本と対峙してて、それでもなおかつ引きずり出したボロボロの個人的なテキストのほうが物乞い小銭拾いよいも100倍価値はあるはず。面白いかどうかは知らないけど。でもテンプレうんこテキストも面白くないんだから、文章力アップしそうなほうがええやろ。
要するに、多少は書き手の意志が存在しているようには思えるものが読みたい。まあ、それでアクセスなんて稼げないだろうけど、アクセスアップは先生から習った炎上タイトル法でなんとかすればいいでしょ。
いやでももうランキングに限らずテンプレで書いちゃうのは書がないよな。別にテキストを書きたい欲求が強くて書いてるというよりは、小金を稼ぐために書き物の練習をしているのだろうから。拙い習作を褒めあってモチベーション維持することは大事だよね。どんだけ継続するか知らんけど。
マンガにしろ音楽にしろ小説にしろテレビにしろ、歴史的な背景を踏まえるほどの知識もなく、技術論もわからず、過度の愛情をいだいているわけでもないんだから、そうやって自身を含めた大衆のおもねったテンプレ記事を量産するくらいしか練習するすべはないよな。ほとんどテンプレなので、サロンとかブログ講座みたいなものがどういう講習をしているのかだいたいわかってしまう。ほぼ悪の商売だ。エロ詐欺・高額バイト詐欺と同質で、習ってるやつの防犯意識について考えると辛い気持ちになる。
クリアした
ドーピング稼ぎ少しやってみたけどそこそこ時間かかりそうだったからとりあえずクリアしよと思って先にクリアしたら案の定満足して起動すらしてない
クリア前にやりこみたくなったら先にクリアしたほうがいいな自分の場合
終盤のRPGにありがちな超展開は正直微妙ではあったけど、それでもそれなりにまとめて終わったからすごくよかった
前半のサバイバルはよかったけど後半がゼノギアスのディスク2みたいになってたら残念だったけどそんなことはなかった
エンディングまであとすこしってところで、本当に終わらせるのが名残惜しくて村のみんなと別れるのがリアルにさびしく感じた
それほどこの1ヶ月の冒険は濃密だった
年取っていろいろめんどくなった今ですらそう感じさせてくれたからほんとすごい
久しぶりにディスガイアみたいな作業じゃなくはまってプレイすることができた
正直3Dアクションのカメラワークが微妙なときもあったけど、この後に戦国無双2HDやったらあっちのカメラどころかアクション、移動速度のもっさり感ひどくてワロタ
また数年たったらやりたいな
しかしマルチエンディングなのはいいが真EDよりもバッドのほうが目指すの難しいってどゆことだよ
俺のリコッタの後日談が行方不明なのがちょっと気になったけど・・
携帯機なのに据え置き並のダンジョンマップ量でコピペもないし、高いところ登っていくところはリアルに手に汗握ったし
イースの名に恥じないすばらしい出来だった
ただロードがなあ・・・開始時はまだしも、マップ切り替えのロードが長すぎる
頻繁に行き来するのにロードうざいからもういいやってなるのがほんとイライラした
vita買ってほんとよかった
ならないと思うよ。企業の採用やってるけど、元増田レベルでは面接も出来ない。書類選考で落とされると思う。
もちろん、ブラック・奴隷雇用をしたい会社なら誰でも良いかもしれないけどね。
少なくともまともに社会貢献をしようと思う中小企業であれば、元増田レベルでは話にならない。フリーや派遣に頼むほうがマシ。
ま、元増田は経験問わないって書いてるから良心的だとは思うけどね。ほとんどの会社は経験者重視だから。
数日前「中国がネット検閲回避のVPNを全面禁止」というニュースが流れた。
日頃マスコミの報道する中国のニュースを見てる日本人としてはさもありなんと感じるような内容だ。
ところが、昨晩このような記事が流れた。他にも複数の人物が似たような事を書いてる。
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「中国がネット検閲回避のVPNを全面禁止」は誤報です | ニューズウィーク日本版
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/vpn.php
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こと中国に関するニュースに関しては、マスコミは偏見に満ちたニュースを平気で流すので当てにならない。
偏見や差別で済んでるうちは良いのだけど、わりと自己欺瞞の水準に達してきていて危ない。
これは別にありがちな日本はもうダメだとかそういう話じゃない、日本製品は相変わらず品質は高いし人材の基礎教育レベルも高い、都市環境もかなり快適だ、それは間違いない。
絶対的な基準で見れば日本は明らかに先進国なわけだけど、中国はノロノロと確実に実力をつけてきていて相対的にかなり追いついてきつつある。
それは経済とか軍事とかそういう話ではなく、国民含めての総合的な国力の話だ。
習近平体制になってから言論統制が強まったのはまったく疑いようがない。
ところが実はその裏で実際に法治の徹底と社会保障制度の整備、技術的イノベーション、ソフトパワーの充実、市民意識の向上が着々と進行していたりもするのだが、これは悪の共産党独裁国家にあってはならないことなのであまり報道されない。
中国共産党は酷いかも知れないが、無能の集団ではない。4000万人からの党員のなかより有能なテクノクラートを選出し、さらにその中から数十年かけて選び抜かれ権謀術数に長けた人間が頂点に立つのである。
無能なわけがない、むしろ遥かに有能な人間が多いと言っても過言ではない。
別に友好的である必要はまったくないけれど、時代錯誤な鬼畜米英的色眼鏡で見てると自己欺瞞に陥ってしまう。
敵視するにしても敵の本質と実力をしっかりとらえたほうが良い。
認めよう、中国はかなり力をつけている。娯楽として彼らのモラルの低さを笑うのは良いが、侮ってはいけない。
もう関係は清算したが、
相手がどう思うとかも考えず、心ない言葉で罵ったり、批難ばかりした。
それを諭されるたびに、反省するのだが、
今思えば心の何処かで相手を攻撃したい気持ちがあったのだと思う。
自分のことで心を痛めてる彼女を見て、優越感を感じたこともあった。「これだけ、感情を揺さぶってやったぞ」と。自分の言葉はそれだけの威力があるのだと。大切にしたいと思っていた人なのに。あほである。
彼女はとても仕事のできる人で、周囲からの信頼も厚く、自分もとても尊敬していた。
たぶん好きになるまではよかったのだ。
「お互い恋愛感情を持って関係を結ぶ」だったら、自分は、まだ幾分かはましな人間でいれたかもしれない。
ただ、彼女はなんの悪気もなく、「セフレだったらいいよ」と言った。僕の、好きという気持ちは受け取れはしないけど、体だけだったら利用してもいい。そういうことなんだろう。
その間、何回も衝突した。だいたい衝突の内容は同じようなことだった。
先述した通り、その度に彼女をひどいことを言った。
でも、信頼していないのは僕も同じだった。
彼女が「セフレだったら〜」と言ったその瞬間に、彼女への信頼感をなくしたんだと思う。
こいつは自分を尊敬してくれてる後輩を利用する人間なんだ。僕はいつ捨ててもいいと思われている。僕じゃなくても、セックスできればこの女は誰でもいいんだ。
「信頼してる先輩にひどいことを言ってしまう」と悩んだけど、もう信頼なんかしてなかったんだ。信頼してると思い込みたかっただけ。信頼してないと信頼されないから。
だから、一緒に仕事をすることはもうない。きっと、連絡をとることさえないと思う。
たとえ、彼女が仕事を続けて、一緒に仕事をする機会があったとしても、もう昔のような彼女への信頼感は取り戻せないと思う。
もし信頼してる先輩・上司と不倫でもいいから結ばれたいって思っている人がいれば、やめておけと伝えたい。
好きになるのは止めないが、肉体関係は結ばないほうがいい。
肉体関係のない男女の結びつきは、とても尊いものなのだ。仲が良いならなおさら。
もうとっくに始まってる人、決まっちゃった人、最近始めたばかりの人、もっと後からだと思ってた人、色々いると思います。
私はいわゆるクリエイター系の会社で働いている者ですが、自分の経験やこれまで出会ってきた学生さんのことを思い出しながら、
こんな学生、いらないです
クリエイター職を目指してるのに、何も成果物がないというのはだいたいその時点でおしまいです。
学生時代は社会人になってからに比べ、自分の時間が非常に多いのです。
そんな膨大な時間があるのに何の成果物も作れなかった人が、プロで何か作れるなんて思えないわけです。
「すごいもの」とは何でしょうか。もっと具体的に言えないと何も伝わらないのです。
自分のなりたい道、作りたいもの、それらを具体的にはっきり言える人しか、企業としても雇う余裕はないのです。
「ディズニーで働きたい」という人がウォルト・ディズニーを知らないとか、ミッキーマウスを知らないとか、
「任天堂で働きたい」という人がマリオを知らないとか、宮本茂さんを知らないとか、横井軍平さんを知らないとか、
極論で言うとそういう類の話になります。
本当に好きなものって、ほっといてもいろいろ調べて、触れて、気がつけば膨大なインプットが溜まっているものなのです。
そして、アウトプットするものは大概、インプットした範囲の中から生まれます。
インプット量が足りない、質が足りない、そういう人に良いアウトプットを期待できないのです。
「クラスで一番でした!」「校内の○○で○○賞を取りました!」
どうでもいいです。
あなたのクラスのレベルも、あなたの学校のレベルも、そしてその成績や審査の基準も、外からではほとんどわかりません。
公的な場でのコンテスト等であれば、全国を相手に勝ち取ったものですから「なるほどすごい」となるのですが、
自分の所属している組織の中での受賞だの何だのと言われても、それにどれだけの価値があるのかわからないのです。
言い方が厳しいかもしれませんが、学校の外で実績を上げていないのに学校内の自慢話ばかりされると、「サル山の大将かな?」としか思えないのです。
学校で友人が多い、それは良いことだと思われがちですが、
「友人ではなく取り巻きじゃないの?それ」とか、「友達付き合いという言葉で抜け駆けを阻止してる」とか、
特にこれは、あなたやあなたの友人がサル山の大将であると、陥る可能性が高いです。
これは一つの例ですが、サル山の大将だった学生さんに友人を紹介してもらっても、一定のレベルを超えられていない方ばかりだった事がありました。
そしてなんとその友人グループは、学校内では上位グループだったというのです。
つまり井の中の蛙が集まって、出来るやつを気取っていたという恐ろしい現象が起きていたのでした。
自分の作ったものを、コンテストに出せるタイミングだったのに出してない、とか
作っている作品は多いのに、外に向かって公開するのは恥ずかしいと言って公開していない、とか
社会人になったら、自分の作ったものを外に出すことでお金をいただくようになるのですから、
学生のうちとはいえ過度に躊躇ってしまっているのを見ると、採用して良いものか迷ってしまいます。
多少作るもののクオリティが低くても、突っ込める戦場があると見るや突撃していく人のほうが好感度が高いです。
ちなみに、自分の作ったものを世に出すことを躊躇う人にありがちな言い訳として
「まだ外に出せるレベルじゃないので……」
という言葉はよく聴きますが、大丈夫!そんなことを言う人はだいたい卒業するまで何も外に出さないままです!さようなら!
自分の作ったものをフリーで配布したことしか無いタイプの人によくあります。
学生のうちに自分の作品でお金を稼いでみる、というのはクリエイターとして大きな経験値になります。
しかし、「これはお金を取るために作ってたわけでもないので……」と、お金を取ることに消極的になる人は少なくありません。
もちろん、全部が全部お金を取れと言っているわけではありません。
問題は「創作物の対価としてお金をいただく」という行為にネガティブな気持ちを抱いてしまっていないか、ということです。
そういう人には職業としてのクリエイターは向いていないので、気持ちをちゃんと変えるか、いち趣味にしていくことを決断したほうが良いと思います。
正直な話、ここに書いたことをやらかしてしまっている学生さんでも、夢見ていた業界へ就職できる人は居ます。
たくさん居ます。
しかし、これらの項目に当てはまり、かつ直さなければいけない部分があると自覚できないまま就職・出社すると、
そうしてクリエイターとしても再起不能の状態で業界を去っていく新人さんを、何人も見てきました。
かわいそうだと思いますが、大体は自業自得ですし、社会人になると親身に助けてくれる人も殆ど居ません。
そういう事にはならないでほしいなー、と強く思います。
まさかのバズ具合に驚いていると同時に、主語を大きくしてしまったことで想定していた層の方以外から多大な反感を買うことになってしまった事を反省しております。申し訳ございません。
但し、「社名出せ」「お前は何者なんだ」というブコメについては「このブログサービスの名前を700回ぐらい音読して来てくれ、頼む」と言わせて頂けると助かります。
さて、確かにここに書かれていることについては、一般的な総合職などを目指す方にとっては高望みしすぎに見えると思います。
しかしこの記事の本来想定していた層というのは、デザイン、映像、CG、ゲーム、アプリ、音楽等の制作に携わるクリエイティブ職(企画、プログラマー、デザイナー、コンポーザーなど)を志望する学生さんでした。そしてまた、この記事は「こうすべき!」という意味ではなく「これはやめとけ!」という地雷カタログのようなつもりで書いておりました。
別にコンテストで入賞してなきゃいけないなんて書いてないんです。「アピールしても意味がないものを堂々とアピールしたらマイナス評価になりかねないですよ」と言ってるんです。
「会社で育てろ」というブコメも多いですが、クリエイターとしての姿勢、考え方が学生のうちに出来ていない人は育てても伸びないし、伸びてもたかが知れているのです。ごく稀に例外もありますが、年末ジャンボの一等に当たったようなものです。
これらの職種がする事は、自らのアイデンティティから創り上げたものを世に問い、それを世に受け入れられてお金を頂く、というものだと思っております。
それを消費者側から見れば、学生・社会人という垣根はほとんど無い状況であり、自分の作ったモノを世に出している人々は、自分が何者であれ、相手が何者であれ、互いが競争相手だったり戦友だったりするものなのです。
学生のうちに、そのような空気に触れて生きて来た人から業界行きが決まって行くのは、当然の事なのです。
……そして、ブコメを拝見して一番言いたかったことがあります。
学生のうちから自分の作るものを世に問うている学生さんは、けして少なくありません。
商業のコンテンツに参加している学生さんも、案外多いものです。
皆さんが見ているイラストや映像、聴いている音楽、使っているサービス、遊んでいるゲーム、それらに現役学生が関わっているケースなんて、山のようにあります。
そして毎年、そんな学生さん達も就活戦線に飛び込んで行くのです。
何もしていないクリエイター志望の学生さんからしたら、その時点で絶望的な戦力差に見えるかもしれません。
それでも前述の通り、なんとか企業の採用枠に引っかかる人もいます。それでいざ社会人となっても、ゴールではなくスタートに過ぎません。
隣にいる同期が「歴戦の新人」であったとして、仕事の出来具合を比べられ続けても(表向きには比べられているように見えなくても、出世や年収で確実に違いは出てくるのです)耐えられますか?
クリエイターとして再起不能になった人というのは、入社した後にクリエイター同士の競争社会で敗北し、モノを作る事が嫌いになってしまった人たちなのです。
就職するところまではアドバイスしてくれる人もサービスも沢山ありますが、そこから先は自力で行くしかない世界、どうか好きだったものを嫌いになって業界を去って行くような事にならない人が増えてくれるといいなぁと思い記事を書きましたが、おそらくそれすら傲慢に見える人もいるかと思います。
かなり興奮して書いているため、読みにくい追記になってしまっているかも知れませんが、これで追記部分は終わります。良い就活と良い就職を経て、プロのクリエイターとしての一歩を踏み出せる学生さんが一人でも増えますように。
【1/25 さらに追記】
この記事をダシにしていつものようにエア業界人っぷりを垂れ流してる砂鉄カエルはくたばってください。
彼の発言は見れば見るほどエアクリエイター・エア業界人なのが丸分かりなんです。
彼の発言を有り難がってる人たちは、ゲーム業界における「はちまや刃を有り難がってる業界志望者」のようなもので、実質「業界死亡者」ですので早々に関わりを絶ちましょう。
私の父は数年前、アルツハイマー型認知症を経て肺炎で亡くなった。
父は、昔の人によくありがちな典型的な癇癪持ちのタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。
好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌のビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代の記憶に焼きついている。
仕事は、一人親方の看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社の作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。
私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り、音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズやニューミュージックなどのレコードも豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。
ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。
そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。
だけど、私を含め子供が中高生、大学生と成長するにつれ自分たちのプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。
父は母なしでは生活できない人だった。
夜遅くに帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい!死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。
どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである。
それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態は回復の方向に向かったけども、当時は精神科を受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。
その後、子供が社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧が悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。
そして、父は念願だった美術の勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。
だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から「発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。
徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。
一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。
ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつの頃からか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。
そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。
それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。
「こらっ!そこどけ!」
多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。
母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。
それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。
昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー型認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。
「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」
『ガンガンJoker』とはスクエニが出している中高生向け漫画雑誌だが、最近この雑誌を見ると性的に興奮するようになった。
ガンガンJokerそのものに対してだ。去年最期の日、ガンガンJokerそのものをおかずに抜き納めをしたぐらいだ。
まず表紙のデザインを一瞥した時点でムラムラするようになった。
なぜ性的に興奮するのか。考えてみたところ2つの理由を思いついた。
ガンガンJokerの表紙は、漫画雑誌とは思えないほど小洒落ている。普通の漫画雑誌にありがちな表紙の猥雑さがまるでない。
むしろ一般向けの普通の雑誌に近いとすら思える。ガンガンJokerの読者層である中高生は背伸びしたがる年頃で、一般向けのおしゃれな雑誌を読みたいという欲求を持っている年頃だろう。
ガンガンJokerの表紙は、中高生の持つ背伸びしたいという欲求に見事にこたえている。
とはいえ、ガンガンJokerも中高生向けの漫画雑誌である。『島耕作』や『美味しんぼ』、『ゴルゴ13』、『ゆゆ式』、『サラリーマン金太郎』みたいな高年齢向けの、ハイブロウな漫画が載っているわけでもない。
中高生が好きそうな内容の、どこか幼さを感じさせる(=大人が「安直だ」と切り捨てるような内容を指す)漫画が多いという印象である。
背伸びした表紙に中身の幼さ。そのアンバランスさに、性的興奮を覚えるのだ。
中高生にもなると、漫画雑誌を買ったり読んだりすることは恥ずかしいことであると認識するように思える。
しかしガンガンJokerは中高生向けの漫画雑誌であり、必然的に中高生向けの漫画であふれている。なおかつ、中高生が好みそうな小洒落た表紙である。
このことより、背徳感を感じながらガンガンJokerを買って読んでいる中高生が一定数いることが推測される。
「『繰繰れ!コックリさん』も楽しい。『一週間フレンズ。』も『アカメが斬る』も面白い。でも…でも…漫画雑誌を読んでるあたしって情けないっ…!」と快楽と慙愧の板挟みになっている中高生の姿。
映画や作品をdisる気は毛頭なかったしありがちな話題なのでスルーだろうなと思って投稿したらやたら盛り上がったので続きを。
http://anond.hatelabo.jp/20170118083140
ただ、ブクマコメント欄やトラバなどを読んでるとやはりある種、衰退してる感は否めない。そう感じる人も多いのではなかろうか。
作品性以外の要素、音響設備やコミュニケーションツールとしての映画館を楽しみとしている層の増加である。
結構なことで否定すべきものは何もないが、おそらくここ2〜3年でキネマ旬報は廃刊になるのだろう。
映画会社の努力によりエンターテイメントとしての映画は盛り上がっているのは間違いないが、芸術性として評価すべき映画はやはり廃れる運命にあるのだ。
何かが失われている流れに気がつかない人もいるのだろう。