はてなキーワード: あの世とは
2015年に一期が始まり、2017年に分割で放送された二期が完結した、まあ色々と賛否両論な作品で放送終了から3年経った今でも話題になる事が多いタイトルである
正直に言うと僕はこの作品の一期が好きではなかった。主人公の三日月・オーガスを始めとした主役組織鉄華団の面々が好きではなく、逆に悪役である治安維持組織ギャラルホルンの側に肩入れしていたのが原因だと思う。
三日月はそれまでのガンダムにも中々居ない割り切ったドライな性格で、敵兵士を無表情で射殺する、初対面の相手を絞殺しかける、戦う事への迷いや敵への容赦が殆ど無いガンダムには比較的珍しいタイプの主人公だった。
鉄血のオルフェンズの一期はその三日月くんの所属する民間軍事組織「鉄華団」が、地球の植民地である火星の貧困問題解決を求めるクーデリアお嬢様を貿易交渉のために地球に送り届けるための護衛を務める話だったのだが、
鉄華団は保有するMS三機と、彼らの後ろ盾である木星圏のマフィア「テイワズ」から派遣してもらったMS二機を合わせた計MS五機の戦力で、ギャラルホルンを統べる七大氏族の一人「イズナリオ・ファリド公」が動かせる私兵と、地球軌道上に接近した勢力から地球を防衛する艦隊「地球外縁軌道統制統合艦隊」から差し向けられたMSを撃退し、ついにクーデリアを火星を分割統治する地球の経済圏の一つ「アーブラウ」へ無事送り届ける事に成功する。
それは良い。00のように一度主役達が敗れてからまた再結成、という展開にでもならないと主役組織が物語半ばで体制に敗れて壊滅する展開なんて中々描けない。負けてたまるか、と鉄華団の少年達は大人達に勝利した。
気になるのは、鉄華団のような極小規模な武装組織が、あの世界における唯一の軍隊であるギャラルホルンに正面から戦いを仕掛け、勝利するにしてもそのために払った犠牲が戦いの規模に割にあまりにも少ない気がする事だった。
地球外縁軌道統制統合艦隊との戦いで鉄華団は組織の古株であり参謀を務めていたビスケット・グリフォンを失った。名もない多くの団員達も戦いの中で散った。だが、作中で鉄華団が勝利と引き換えに失った物はそれだけ。
最後まで戦い抜いた五機のMSのパイロットも、鉄華団に所属する名前のある団員も、ビスケット一人を除いて誰一人として失われなかった。最終回もグッドエンドのような流れだったし、一期は完全勝利だったと考えても良いと思う。
ギャラルホルンは鉄華団との戦いに投入された多くの兵士の命と、七大氏族の党首が一人、七大氏族の後継ぎが一人、そして300年間揺らぐ事が無かった治安維持組織としての面子を失った。
アイン・ダルトンという一人の兵士が居た。彼は恩人と慕っていた上司を三日月に殺害され、その怨恨から鉄華団との戦いに志願し、戦いの中で半身を失った。その後非人道的な処置を受け、MSと完全に融合した異形の姿で蘇る。
そして最後の敵として三日月の前に立ち塞がるのだが…彼の活躍は思ったよりしょっぱい。瞬く間に鉄華団のMSを三機倒し衝撃的な登場を果たした…かと思いきや、その撃墜したMSのパイロットは怪我を負っただけで無事だった。
アインは主人公三日月を上回る圧倒的な反応速度で主役機ガンダム・バルバトスを苦戦させるのだが、彼がバルバトスに与えた損傷は片方のアンテナを折った事くらいだった。バルバトスが追加装甲を付けていたとはいえ、辛い。
逆に彼は機体の性能でもパイロットの反応速度でも勝っていた筈の三日月が親友オルガ・イツカの激励により本領を発揮した途端に圧倒され、辞世の言葉を言い切る間もなくコクピットを潰されて今度こそ本当に死んでしまった。
鉄華団は主役だから勝つにしても、これではあまりに双方の戦果と被害に差がありすぎじゃないか?と僕は思った。勿論これを言うと、鉄華団の勝利を喜んでいたファンからは作品のアンチ扱いされた。水を差してるから仕方ないけど。
こういう事があって僕は正直鉄血のオルフェンズに良い印象を持っていなかったし、嫌いになってもいたけど、そういう気持ちを吐き出せる場所もなかった。僕のこの作品の評価が変わったのは半年後の二期が始まってからだった。
鉄血のオルフェンズ二期の舞台は一期から2年後。鉄華団という小規模な武装勢力がMSという戦力を有効に扱い、ギャラルホルンという巨大な組織に土をつけた事で社会情勢に様々な変化が訪れた世界だった
鉄華団の活躍により少年兵とMSの有用性が広まり人身売買は益々横行し、MSを所有する犯罪組織も増えた。一応秩序の番人であった治安維持組織の権威が地に落ちた結果、各地で犯罪行為や暴動も増える事になった。
火星は経済的に一期より少し豊かになり、鉄華団はテイワズに正式な直系組織として認められ急速に組織の規模を拡大。アーブラウの代表と強い繋がりを持つ事で地球に支部も設立し、順風満帆に会社経営は進んでいた。
組織が大きくなった弊害として同じ組織の先輩に睨まれたり、政争を繰り広げる偉い人達に目を付けられて敵視されたり利用されたり、組織が請け負える以上の規模の仕事を受けてしまって会社の経営が傾いてしまうんだけど
僕は二期のこういう展開が「ああ、本当にありそう…」と思えて大好きである。一期が若者達の夢のある栄光の物語だとすると、二期は現実は辛い所を見せられる転落の物語なんだろうか?栄光と転落は大体セットだけど。
結局鉄華団はギャラルホルン内の権力闘争に巻き込まれて地球支部の経営に失敗し、テイワズのNo.2に睨まれた結果組織を追い出され後ろ盾を失い、失脚したイズナリオ公に変わりファリド家を継いだ「マクギリス・ファリド准将」に肩入れし、ギャラルホルンでも最大最強の戦力を誇る大規模艦隊「月外縁軌道統合艦隊アリアンロッド」と矛を交えた結果大敗し、組織のNo.1とNo.2であったオルガと三日月が死亡した事で壊滅してしまった。
この二期を通してじわじわ、じわじわと一期で鉄華団が積み重ねた成功が崩れていく様は本当に凄いと思う。成功物語ならよくあるけど、その成功からの破滅を描いたアニメはあんまり見ない…無い事も無いんだろうけど、多分少ない。
主人公が敗北し、死亡する所まで描いた長編ガンダムも閃光のハサウェイ以来じゃないだろうか。パラレルが有りならファーストとゼータも小説版では…だけど、映像作品のTVシリーズでは間違いなくこれが初めてだと思う。
僕はこの二期の顛末にとても興奮した。完全勝利すぎて好きじゃないな…と思っていた一期の結末が、二期のこの完全敗北な結末に至るまでの逆算から描かれた物だったのだ、と勝手に思った。成功した人間はいつか破滅する。
ところが、一期の結末を大絶賛していた人達はこの結末を「雑すぎる」などと批判する。二期の結末が好きな僕が一期の結末が気に入らなかったように、一期の結末が好きだった人達は二期の結末が気に入らないようだった。
「鉄血は一期は良かったが、二期は…」という人もよく見かけるけど、じゃあ何故貴方達は一期でシノやラフタやアジーさんが不自然に生き残った事には文句を言わなかったんですか?と言いたくなる。言ったら喧嘩になるけど。
僕は鉄血のオルフェンズの一期に色々と不満があり嫌いだったけど二期で好きになった。逆に二期に色々と不満があって嫌いになったけど今でも一期は好きな人もきっと居る。どちらもこの作品が好きだった事に変わりはないと思う。
完結してから3年経って好きな気持ちも嫌いな気持ちももう大分薄れていた気がしたけど、結構作品について書いてしまった。悪く言われている所を嫌な気持ちになるし、きっと僕は今でもこの作品の事を好きなんだろうな。
鉄血のオルフェンズの次回作であるビルドダイバーズとその続編リライズは今のところ特に内容で荒れる事は無く、平和に語られている。逆にこの作品は今でも最新作であるかのように叩かれているし、話題に挙がるとよく荒れる。
この作品の話題が荒れる事で人が集まって新作の話題で荒れる事が少なくなるのなら、それはそれで良い事なのかもしれないな、と思った。今でも叩かれてるのを見るとつらいけど、きっといつかは落ち着いて語れる日が来ると良いな。
【追記】
僕は鉄華団の面々が好きでなくギャラルホルンに肩入れしていたので一期は好きではなかった、と言ったけれど鉄華団に好きなキャラクターが居なかった訳では無い。パイロットなら天才肌のミカより努力家の明弘の方が好きだったかな?
テイワズから鉄華団に監査役として派遣された「メリビット・ステープルトン」という医術の心得のあるキャラクターが僕は好きだった。少しオルガと良い雰囲気になっていた?ような気もするけど、二期を見る分にはどうも勘繰りだったみたい。
彼女は団員が負傷した際に応急医療が出来る医療要員が鉄華団に居ない事について団長であるオルガを諫める事が出来たし、ビスケットが戦死した際血気に逸りギャラルホルンを皆殺しにしてやると猛る団員達を前に「こんな事は間違っている、ビスケット君はこんな事を望んでいない」と涙ながらに訴えた事もあった。大人の目線から危なっかしい子供達を見守る、ビスケット亡き後の鉄華団のブレーキ役を務める存在だったような気がしている。
結局一期はメリビットさんが諫めるまでもなく鉄華団は勝利したので彼女の心配は杞憂に終わったのだけど、二期の末路を見ると…戦いから抜け出せない鉄華団は戦いの果てに滅びる事が決まっていたのかもしれないな、と思った。
逃げたあと「きっちり頭を休める」「休んで落ち着いたときに、何から逃げるのはやっぱり正しいが、何を変えて挑むべきかを判断する」ことをしてないからだと思うよ。
何から逃げて何に挑むべきかを判断すること、行動を変えることは頭の疲労が落ちてないとできない。だから、過負荷気味ならまず第一に逃げるのが第一ではあるんだけど。
あと頭が休みきれてない状態で、ああだったと囚われすぎるのは無駄に頭を疲れさせる行為だからな。ある意味「周りにこう思われたいのにできなかった」という承認欲求の一側面。
終わったことは基本どうしようもない。次行動を変えたり、挑むべきことに集中して挑むまで。
マインドフルネスや瞑想で頭を休め。今の知見はどうしても仏教由来になってしまうが、承認欲求(=仏教の慢)について取り扱ってる本とかもおすすめ。
ただし、どうしてもああいうのは弱まってるやつが関心を持つから、他人をはめ込もうという霊感商法も狙いに来てる。霊魂、先祖、あの世について強く取り扱ってる本はまがい物だから手を出してはならない。
「オタクは現実を見ろ。ゲームもいいけど現実で女でも作れ。大人になれ」のパターンだよな、これ
最後にリアルで金と女を手に入れた明るく若くてゲームも上手い今時のギークたるパーシヴァル(とその他4人)こそが勝者。それ以外は何もつかめなかった負け組。
ラストの「ゲームが遊べない曜日を作って現実を楽しもう!」ってさ、その現実が辛すぎてオアシスというゲームに全世界がのめり込んでるって世界観じゃん。そりゃパーシヴァルは成功して現実が楽しくなった側だからそう言えるのだろうけど、その他大勢はそうじゃない。強者の権力でみんなの娯楽の時間を奪っただけじゃないの?ノーメディアデーとかゲームは1日1時間とかいってる自治体と同レベルじゃん。
そもそもパーシヴァルはオアシス世界を救ったけど、現実社会はIOIが消滅しただけで格差は依然そのままだろうし荒廃した世界には問題が山積み。「現実に向き合え」と言われても、それが出来ない無力感からゲームにのめり込むんでるその他大勢に強者の理屈を押し付けるなよ。
ゲーム画面を広告でベタベタにしてやろうぜってIOIとそもそもゲームを遊ぶ権利を奪ったパーシヴァル。どっちが勝者でもあの世界で受け入れられたとは思えないんだが。
敵側にアイロックというキャラがいる。途中までゲーム内強者として振る舞う強敵ポジションだったのに、爆弾のせいで10年分のやり込みデータが消える恐ろしさからビビって逃げ出すシーンで感情移入してしまった。「ゲーム以外」が無い人間にとって、自分の積み上げてきたデータが1回死ぬだけでロストするって怖いよな……
自分はパーシヴァルのようなトップにはなれない。めちゃめちゃ頑張ってアイロックか、あるいは最終決戦に参加していた「ゲームが好きな無名のモブ」が限界。
データが消えればただの人。トップ5にまで上り詰めれば現実の名声と金を得られるんだろうがそれも出来ない。
自分では上手いと思ってもe-sportの大会やゲーム内ランキングには必ず自分より圧倒的に上の存在が居る。上位3%には入れても1%より上の世界は届かない中途半端な存在。
現実もダメ。ゲームもダメ。じゃあ自分に何がに残るんだろうと考えてしまった。
アイロックはあの後どうなったのかなぁ。
好きな女の子とキスも出来ずに死んだ負け組ナードの象徴として描かれているオアシス開発者のハリデーですら、物凄い才能で理想のゲームを作り上げ世界を巻き込み神とまで崇められるほどの偉業を成し遂げている。
1消費者でしかない自分から見たら、ハリデーこそオタク側の成功者じゃねーかと思ってしまった。なんであんなに卑屈になるんだよもっと胸を張れよ。
そんなハリデーに「現実がうまくいかなかったからゲームに逃げた。でも現実でしか食えないうまい飯があるからお前は俺のようにならずに頑張れ」って言われても全く響かない。
ところで「現実でしか食えないうまい飯」ってリアルに接触する女体のこと?ラストシーンを見て不意にそう思ってしまった。
色々思う所はあったが娯楽映画としては面白かった。デロリアンと金田のバイクがレースをしたり、「好きなゲームはゴールデンアイでオッドショップのチョップ縛り」に笑ったり、ライトセーバーに影響を受けたビームサーベルを使うガンダムがハリウッド映画でメカゴジラ相手に奮闘する下りは胸が熱くなるし感慨深いものがあった。
しかし散々オタクが好きな要素を散りばめ引き寄せておいて最後に「リア充こそ正義」というオチを見せられ、布団の中でもやもやしながら最後には「コンプレックスを刺激されて辛い映画だったなぁ」という感想になってしまった。
よしんばパーシヴァルになりえる前途有望な若者なら純粋に楽しめるのかもしれないが、穿った見方しかできない老人には眩しすぎる。
パーシヴァルにもなれいしハリデーにもなれない。中途半端にオタク側にいるせいでノーランのようにビジネスと割り切って社会的地位も築けない。
やっぱつれぇわ……
入道雲が大きくなり立体感が強くなる様は、空の奥行きを強くし世界を広げているように見える
昼に食べるそうめんは、あまり食欲がなかったとしてもするすると胃の中に落ちていき食べやすい
それもかなりの音量で、常に夏を盛り上げてくれている
暑い時に食べるアイスは、火照った体を冷やしつつ甘みを口の中に伝えてくれる、夏の回復アイテムだ
ただし、回復アイテムを服用しすぎると回復するどころか自分にダメージを残す場合がある
ヒグラシの鳴く声も良い
あの声を聞くと、それを合図にどこか別世界にいくような、そんな感傷的な気分になる
また鳴くのも夕方頃のため、周りは夕日が差し込みオレンジ色の世界で綺麗だが、どこか儚げな世界に迷い込ませてくれるようにも思う
日が落ち涼しくなると、火照った体が徐々に冷え気怠さや眠気が出てきて、どこか心地よくも感じる
夜風は、昼間の風と違い清涼感を持ったものとなっていて気持ちがよい
そして明日も同じように夏が来ると思うと楽しくなる
だから、夏が好きだ
今はコロナのせいにすれば、緊急小口資金と、総合生活資金借りやすいよ。無利息で返済期間も長い。転職も今ならコロナでクビになったとでも言っとけばいいしな。
まあ過負荷だったんだろう。働くことと、休むことの境界を見極めな。
親御さんが余裕があるのならまずゆっくり休め。マインドフルネスや瞑想あたりで、頭の休め方を練習すればよい。
ただし、どうしてもマインドフルネスや瞑想は弱ってる人が関心を持つから霊感商法が狙ってる。あれは徹頭徹尾ただの頭の休息だ。
霊魂、先祖、あの世絡みの事が多く書かれているような本。特に宗教団体教祖が書いたような本はのはまがい物だからそれはやめたほうがいい。
『エガオノダイカ』には色々言いたいことがあるんだけど、とりあえず一点だけ。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
そこの論理を説明してないのにステラが説得されたの謎すぎない?
あの世界では、
という前提があって、最終話の時点でユウキと視聴者は全部知ってたけど、ステラは5しか知らないんだよね。
で、ユウキはステラに「戦いを止めるために(民用も含めた)全クラルスを停止したい!」って言うのね。
それに対してステラは「そんなことしたら暮らしがメチャクチャになる」って反論するんだけど、最終的にはユウキに説得されて全クラルス停止に協力するんだよね。
1から4までを知らないのになんで全クラルスの停止に賛同できるの??????
まあこれ、どう見ても核だよね。戦争に使うにはすごい兵器となるけど、実は環境を汚染してしまうっていう。
要するにユウキ様は、核兵器だけじゃなくて原発も止めたいんだよね。
俺たちは、スリーマイルやチェルノブイリや福島がどうなったのか知ってるから、「そりゃ核兵器だけじゃなくて原発も止めるべきやろ」って思えるよ。
でもさ、ステラは放射性物質が撒き散らされるとそこには住めなくなるってこと自体を知らないわけじゃん。ステラが無知なんじゃなくて、国のトップであるユウキにも作中の後半でようやく明かされる最高機密じゃん。
この状態で「戦争止めるために原発止めろ」って言われて納得できる??? 生活のすべてを原発由来の電力で賄っているのに??? 意味不明すぎない???
ユウキはなんでステラが1~4を知ってる前提で喋ってんの??? まずは1~4を説明しないとユウキの主張がそもそも理解不能すぎるでしょ???
ほんとここでステラが説得されたのが理解できないんだよね。だって1~4を知らなければただのたわごとだもん。戦争を止めるために軍用だけならともかくなんで民生用のクラルスまで止めないといけないか理解できる? 俺はわかるよ、ユウキ側の描写を見てクラルスの特性を知ってるから。でもステラとユウキは初対面で、ステラはどう見ても最高機密を知り得ない下っ端だろ? どうすればこれで納得できるの?
ユウキの論理は、反戦的なものと反核的なものがごっちゃになっている。ごっちゃになりすぎていて、傍から見ると意味不明だ。
ユウキが全クラルスの停止を目指すのは、反核的な論理に基づいている。つまり、例えるなら軍用民用を問わず核エネルギーの利用が土壌を汚染するということだ。だったら彼女は、ステラに向かって、こんなエネルギー使ってたら土地が汚染されて住めなくなる、と主張すべきだった。
ところが彼女は実際には、戦争を止めたい、という反戦的な論理を口にした。そしてその反戦的な論理にステラは説得され、クラルス停止に協力する。
でも、反戦を訴えるなら、軍用クラルスの停止だけで十分だろう(いや、軍用だけ狙って止められるかどうかは知らんが)。民用のクラルスまで停止しないといけない理由は、反核的な論理じゃないと理解できない。
反戦も反核も実にけっこうな話でそれがテーマのアニメを作るのはお好きにどうぞという感じなのだが、2つの論理が脚本家の脳内でごっちゃになった結果、ユウキの議論が支離滅裂になっている。
最終話のクライマックスでこんなドッチラケやられたんですよ。どう思うこれ?
『エガオノダイカ』が腹立たしいのは、出来が壊滅的に悪いわけじゃないところなんだよね。見られちゃうんだよ、それなりに。だから『ソラとウミのアイダ』みたいな1話Aパートが終わった段階で切ったようなアニメと違って最後まで見たんだけど、こんな感じで理不尽な展開が続くから腹立たしく、でもひょっとしたらクソアニメじゃないのかも……最終話で世界の真実が明かされたり感動的な結末を迎えたりするのかも……って思いながら見続けて、最終話でこんな崩壊した論理を見せつけられた気持ちわかる? 1話切りしたアニメは翌日にはもうすっかり忘れてるから腹も立たないけど、3ヶ月これに付き合ったらめちゃくちゃ腹が立ちますよ。しかもこれ完全新作オリジナルアニメだから予習とかできないからね。3ヶ月分の小さなイライラが最終回で大爆発ですよ。お前ふざけんじゃねえよこのクソアニメって言いたくなるわけですよ。この気持ちわかる?
なんていうと死んでるっぽいがまだ存命だ。でもそろそろ死にそうなので、よく言ってたことを書き出しておく。
最近よく言われてるやつだ。「キリンは高いところの葉を食べるために首が長い身体に進化した」みたいな表現にはかなり怒りを覚えているようで、たびたびそうじゃないんだと愚痴っていた。
ポケモンの「進化」なんかもあくまであの世界における独自の用語だということは認めた上でもっといい語はなかったのか、これだけ誤解が広まっている原因の一端はポケモンにあるんじゃないかと言っていた。あれどっちかというと変態っぽいよね。
俺が全然女の子の話をしなかったからか俺のことをゲイだと思っていたような気配があり、10人に1人くらいは同性愛者だ・同性愛は基本的に生まれつきのもので古来からあるし全然悪いものではない・同性愛差別をする奴はバカ・イスラム教はその点ダメ、みたいなことをよく言っていた。高2くらいの時とかマジで隙あらば同性愛の話をしてくる感じでブキミだった。いや、いいんだけどさ…俺は照れるから恋愛の話をしてなかっただけだ。
生物は原核生物みたいなところからチマチマ進化してきて今みたいな感じになってる、って話を講義でしたらコメントシートに「私たちの祖先が微生物みたいなものだったなんて驚いた」というようなことが書いてあったらしく、お前じゃあこれまで生物の歴史はどんなもんだと思ってたんじゃボケ!と言っていた。高度な話をはじめから知ってろとは言わないけど、アウトライン的な科学常識すらないのはどういうことか、と度々ボヤいていた。
俺はさすがに「イキナリ人間が生まれた!世界は最初から今みたいな生物多様性!」って世界観の大学生がいるとは思わないし、コメントシートに書くことが思いつかなくてテキトーに書いたんだと思うが…。
神はいるか?みたいな話をしたとき、進化論に乗っかるにしたって「進化する性質をもつ生物をなんらかの高位存在が生み出した」って言われたら反論できなくね?と言ってみたところ、オカルト系はそういう証明不可能なところまで逃げられるからズルいと言っていた。
俺はキリスト教的人格神がいるとは全然思わんけど、物事の原理を遡っていったらどこかでそれ以上遡れなくなる、理屈での説明ができなくなるポイントがありそうだなと思っていて(宇宙はなぜあるのか、物理法則とは何でどうしてあるのか、みたいな)、いわば世界の骨格となっている説明のしようがないものが強いて言えば神なのか?と思う!と言ったら微妙な顔をされた。ウーム…
世の中よく分かってないことのほうが多いのは事実だし科学は少なくとも現時点では万能なんかでは全然ない、知れば知るほどわからなくなる…だから良いんだけどね!みたいなこともよく言っていた。ようやるわ、と思うけど楽しそうでもある。
阪神を応援していて、金本をメチャ嫌っていた。アイツが監督になったら私は野球を卒業する!みたいなことを言っていたが、監督になった後も普通に観ていたのでダメだと思った。
私は女であるが手紙を書く人口は女性の方が圧倒的におおいので、グリーティング切手や特殊切手が女性をときめかせるデザインになっていて、思わず欲しくなってしまう。これは買うしかないとおもわせる魅力がある。郵便局の切手デザイナーは女性に買わせるため張りきってデザインしてるんだろうな。
今年は8通は手紙を書いてだした
しかし、欲しい切手を全部買っていたら手紙を書くペースを上回り、切手をもてあますことになる。
困る
切手収集家の死後、孫や子供の手に昔の切手コレクションが渡っていることがある
あの世に切手は持っていけないので、自分の死後は余った切手が誰かの手に渡ることになるのだろうが、その死者が使った切手代がお金の無駄になっていると私は考える。
私はコレクション目的ではなく使用目的で買ってるから、手紙だけでなくゆうパックや現金書留等にも切手を使う
買った切手はぜんぶ使いたいのに使いおわる前から切手を買って増やしてしまう
2020のオリンピック記念切手買ったけど来年またオリンピック切手出たら買うし
文通でもやればいいんだけど、
普通の文通はいやだから文通ボランティアでもしようかと思うんだけど、文通ボランティアはなんだか自分が思うような手紙のやり取りにならないのではないかとビビってしまい手が出せずにいる。
・15-17歳という若さ、かつ短期間でとんでもない戦闘力を手に入れてしまったのが不幸。競技の才能だけが際立ったスポーツ選手みたいな状態。
・精神的なケアというか、指導者的な役割を果たす人が少ない。いても短期間、戦闘力のみを高めることに専念するコーチ。
・父親!色々知っているだろう父親からの説明やサポートが少ない。サポートしてくれたと思ったらやっぱり戦闘力を高めるコーチ。
・あの世のいざこざに巻き込まれ、数十歳〜数百歳も歳の離れた化け物と敵対したり協力したりする羽目に。そりゃ話が合わない。
・実はあの世の問題は死生観の違いや生死の在り方の違いをめぐる対立から生じているっぽいが、誰も説明してくれない。
・誰も説明してくれないから戦う理由は「守るため」しか見つけられない。ダチや街を守るために健気に戦う。付き合いが良い。
・けっこう死にそうになる。
もう二度と出てこれないので実質あの世
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増田が世界線理解できてるのかが分からない。多世界解釈的なものが世界線でBTTFのは過去の行動が自分の未来をかえるんだから世界線じゃないと思うんだが?
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「(シュタゲ型の)世界線概念が適用された物語」と「従来型のタイムトラベルによる事象分岐物語」は、観測者と改変者が同一ならば、基本的には同じモノ扱いでよいのでは?
BTTF・1でいえば、マーティは過去に行き「父がビフを屈服させその子供が短気を起こさない世界線へ乗り換えた(変動させた)」という説明(表現)になる(のでは。
BTTF・2は観測者と改変者が一致しない(部分がある)ので少し異なる。BTTF・2が世界線概念物語だった場合、老ビフ(改変者)が過去に行った瞬間に、マーティ(観測者)がいる未来が変動することになる(観測者にとっては景色が変わる)。※世界線概念物語においてカレントワールドは一つだけ
(認識間違ってたら指摘頼む)
まあ、元増田が
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あの世界線を行ったり来たりする
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君の名はの線は一本では
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三葉たちが亡くなった線と亡くならなかった線がある。
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BTTFは「過去の行動を変えると未来が変わる」からのPART3なんだけど、それはそれとして世界線じゃないよ…一本じゃん。世界線はDBとかだよ。トランクスのいた未来は変わらないってやつ
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まあそもそも従来型タイムトラベルによる歴史改変は事象分岐(平行世界生成)であり、
世界線概念での(結果としての)歴史改変は平行世界間移動である。
なのでシステムの異なる物語世界で別概念のキーワードを使うことに問題があるわな……
「タイム・リープ あしたはきのう」
TV放送のおかげでBack to the Futureが少し流行っているらしい。
ファンとしては嬉しい限りだ。
吹き替えがどうなってるのか知らないが、英語だと同じ言い回しが時代で違ってたりするのも面白い。
閑話休題。
タイムトラベルが発生するような物語では、過去の言動が現在を変えてしまうことがあるので、異なる世界線が発生する。
某ゲートが有名になるまでは、タイムパラドックスとか平行世界という言い方が一般的だったと思う。
世の中にはこの世界線が理解できない人が一定いるということに割と最近になって気がついた。
元々は自分の兄弟がBack to the Future PART IIがよくわからなかったと言っており、確かにPART IIIへのつなぎ的なところはあるので
すっきりしないところはあるのだが、よくよく話してみると、あの世界線を行ったり来たりするのが理解できてないらしい。
そして時間が経って2016年。タイムリープものはそれまでも秀作がたくさんあったと思うが、国民的大ヒットになった「君の名は。」
あれが傑作かどうかは評価が分かれていた。何がおもしろいのかわからなかったという声も聞いた。
というか、職場の同僚の感想がそうだった。よくよく聞いてみる機会があったのだが、その人曰く行ったり来たりするのが
よくわからなかったようなのだ。この世界には世界線がわからない人たちがいるということに気がついたときだった。
(サンプル数2)
理解できる人は、これから再放送されるPART IIIを楽しんでほしい。
あと、秀作のタイムリープものがあったら教えてほしい(それがネタバレにならない範囲で。1話ですぐわかるRe:ゼロはいいけど、某魔法少女、テメーはダメだ)
どこの界隈もこういった話で盛り上がっている昨今、果たしてハリー・ポッターはこのまま逃げ切れるのだろうか?
あの世界には「魔法使いとマグル」が存在し、マグルは魔法使いから蔑まれている。
ヒロインの1人であるハーマイオニーがマグルの両親を持つことを理由に、様々な差別的発言・扱いを受けているのは一作目しか見ていない人でもよく知っているだろう。
ハリー・ポッターシリーズ全体の文脈に置いてマグルが否定されることこそなかったが、マグルを追い出すべきであるというある種の純血主義を奨励するキャラクターはいくらでも登場している。
「人種差別描写≒発禁」というムーブメントがこのまま大きくなればハリー・ポッターシリーズが世論によって魔女裁判にかけられるのは避けがたいだろう。
その時、最も注目が集まるのはよりにもよってつい最近炎上したばかりのJKローリングその人だ。
もしも貴方がハリー・ポッターシリーズが好きならば、まずすることは一つだ。
擁護の準備ではない。
保存の準備だ。
ハリー・ポッターシリーズに関するあらゆるものが存在そのものを歴史から消されうる危機に瀕している。
その前提で動いていく必要があるだろう。
ツイステに対するお気持ち文「大好きなディズニーの世界が~」という増田を読んでから、ずっとその事について考えていて頭から離れないので自分も書いてみる事にした。
前提として、自分自身はディズニーオタクな訳でもなく、ツイステもストーリーを追ってはいるけどハマったり二次創作する立場でもない。
その上で、何であんなにあの文章が引っかかるんだろうなあ~と思ったので整理がてら。真面目に読むもんじゃないので適当に読んでくれ。
まず「お気持ち表明」というと揶揄される傾向にあるけど、別にお気持ち表明自体は否定されるもんでも無いと思う。
嫌なもんは嫌だし、吐き出したい、と思うのは悪くない。「私はこういう意見です」と表明する事自体はいいんじゃないかな。
だからあの増田を消せとか、「ディズニーも同じような事やってんだから文句言うな」なんて事は別に思わない。
自分が好きだったジャンルに今までいなかった層のファンがズカズカ入ってくるのは嫌だよね。
昔っから好きだったのに、突然入ってきて、大きい顔されたらモヤモヤするのはわかる。
「新規のファン層獲得の為だから」とか言われても納得行かんよね。行かんからお気持ち書いてんだもんね。
だからまあその感覚はわかるし別にいいと思う。というかその感覚がわからなくても、それを書くのは構わんと思う。
ただ単純に、文章中に色々気になる事があるんだよな。
「ツイステのせいで」「ディズニーの世界が曇る」って言うけど、曇らせたのは「ツイステを公式にしたディズニー本体」じゃね???っていう
ディズニーの精神が~ってめちゃめちゃ言いまくってるけど、ディズニーの精神が大事だったらそもそもディズニーが公式認可しちゃ駄目じゃん。
公式認可してるってことはツイステは「ディズニーの精神に反してない」って事にならないか?
あと「性欲視点」とか「性的搾取」とかめっちゃ書いてるけど、ツイステの性的要素、どこ…………………。
いや、確かにツイステをプレイする側は性欲視点だったり性的消費したりするでしょうね。
例えば「登場する男女数が平等で、キャラクター同士の関係性や葛藤を楽しむゲーム」だったら満足するのか?
でも、男女比が同じゲーム出したとして結局オタクがそのゲームの腐なり夢なり男女カプなりの二次創作を
めちゃめちゃやり始めたらあの増田書いた人は結局発狂するんじゃないのか?
ディズニーの精神がとか性的搾取が云々じゃなくて単純に萌え豚キモいってだけの話だと思うんだけどどうなんですかね。
というかそもそも性的搾取って誰が搾取されてんのこれ???何かもう性的搾取の定義がわからなくなってきたな。
あとそもそも「男性だけが登場するゲームを作る事が悪なのか」ってところもすごい疑問で。
「男女比は同じに!美形・普通・不細工もまんべんなく!男女の恋愛だけ描くとマイノリティに配慮してないから同性のカップルも描こう!」
なんてこと考えて作品作ってたらクッソつまらない世界にならない?
多様性っていうのは、例えば「美形ばかりの男性が集まったゲームを好む人がいる世界」も許容するのが多様性なんだと思う。
逆に「美人なお姉さんばかりが集まったゲームを好む人がいる世界」とかもそうだし、
「ラブロマンスが好きな人がいる世界」「殺伐とした世界が好きな人がいる世界」とか。
ディズニーが多様性を大事にする世界観なのだとしたら「そういう世界を好きな人の為のゲーム」を作るのは、ある意味ディズニーの精神に則っているのでは?
ツイステが「ディズニーの世界の全て」な訳じゃないんだからさ。
あとこれはあの増田に書いてある訳じゃないけど、
あの世界観でアズールが「太っている事を気にしてダイエットした」事をよく槍玉に挙げられる事に関して、自分はあれも別にいいんじゃないかと思う。
いや、だって、美観ってそれぞれじゃん。アズールは「細くてシュッとした自分になりたい」と思ってそうしてる訳でしょ。
周りからいじめられてたから見返したくてそうしたのかも知れないけど、別に「本人がそうしたくてした」ならいいじゃない。駄目なのか?
それが美形賛歌だとか言われても知らんよ。「そのキャラクターはそう思ってそうした」ってだけで、君の考えまで捻じ曲げようとしてる訳じゃないよ。
現実の世界で太ってるのは嫌だ!痩せたい!って言ってる人に「君はそのままで美しいよ!」って言ってその人をそのままでいさせる権利なんて誰にもないでしょ。
というかこの一個の創作物だけでそんなに自分の考えを書き換えられるような人間はちょっと自分を見つめ直した方がいいよ。
「このキャラはそういう考えなのね」で終わりだよそんなもん。
何かもっと書きたい事あった気がしたけど忘れたわ。
とりあえずあのお気持ち文は「腐萌え豚消えてくれや~~~」って内容を正当化しようと性的搾取が~ディズニーの精神が~っていうので包んでる印象だったな~って感じ。