はてなキーワード: 言論の自由とは
例えば以下のようなケースを考えたんだけど、法律よく分からないので詳しいひとに聞きたいな。
ケース(1)
記事の肩書きには「ソニー(任天堂でもMSでも可)○○部所属」とあった
(記事自体は相変わらずガチャゲー批判だが、さすがに普通の批判記事の範疇であった)
このアカウントについてユーザからのクレームがあったこともあり、名指し批判されたゲームの開発元は、所属と思われるソニー(もしくは任天堂もしくはMS)社に対し、発言者が社員であれば発言に注意するよう申し入れを行った
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ここで問題となるとは以下の点だと思う。
良く似た筆名で良くよく似た主張をしているだけであり、Twitterアカウントからの記事への言及があったとしても、なりすましという可能性はゼロではない。
単なる疑いでしかないのに、同一人物という予断で会社に問いあわせをしても良いのか
雑誌に問い合わせてもプライバシーを理由に回答は得られない可能性は高いが、
まずは本人に同一人物であるか問いただすべきではないだろうか。
それで回答がない、もしくは不誠実な回答だった場合はどうか。
ある程度の関係性は認められる以上は、会社宛に断定でない形で問合せをしても良い可能性はないのだろうか?
雑誌記事は社名をのせている以上は会社が無関係とは言えないが、Twitter上は会社名を名乗ってはいないし、匿名で活動している。
つまりプライベートの活動であると考えられるにも関わらず、会社に申し入れるのは不当ではないだろうか
ただ、Twitterアカウントと記事寄稿者が同一人物でれば、それらの言論活動は外観として地続きに見える点も考慮すべきで、完全なプライベートの活動と言い切れるものなのだろうか。
どれくらいの連続性があれば(なければ)、会社宛の申し入れを正当化(不当化)できるのだろうか。
このケースではTwitterの攻撃対象はスマホゲーユーザなど不特定多数、もしくはゲーム会社に限られている。
しかし侮辱罪が成立するような暴言はほぼスマホゲーユーザなど不特定多数に向けられていて、ゲーム会社はひたすらこきおろしているだけである。
「意見論評型の名誉毀損」は法人には適用されないだろうし、「侮辱罪」も不特定多数相手には成立しないだろう。
その状況で所属会社を通じて発言を封じるような行動に出るのは、不当な言論封殺にあたるのではないだろうか。
とはいえ所属会社の社会的信用の低下を防ぐため、社業に関わる方面での社員の発信を制限すること自体は珍しいことではない。
そのような理由で社員の発信を掣肘できる範囲とはどのようなものなのだろう。
何らかの侮辱罪に問えそうな発言があったとして、まずやるべきは発信者開示請求などを経て個人への訴訟であり、所属会社を巻きこむのはそもそも禁じ手ではないか。
所属会社は寄稿記事で社名を名乗らせ、間接的にTwitterアカウントの社会的評価に影響を与えたという点で全く無関係とはいえないかもしれないが、直接的な関係はない。
ただ、個人の紛争を無関係な会社に知らせるような行為は論外としても、(4)で挙げたように会社は全く無関係とも言い難く、会社の名誉を守るためには情報提供は有益とも言える。
Twitterアカウントと記事寄稿者が同一人物でれば、会社を巻きこんだのは本人の意思とも言えるのではないか。
所属会社の当事者性というのはどういう理路で判断されるのだろうか?
ケース②「特定人物(開発者)への侮辱が含まれる場合」も書こうと思ったけど、力尽きたので一旦止める。
全般的に不勉強なので判断基準がよく分からないのもあるし、見落としている視点がきっとあるんだろうな、と思う。
元ネタの方は、事業会社と違い大学には「大学人の言論の自由を保障する」使命が在る点、問題が主に個人への侮辱であるところが大きく違うので同じ結論には当然ならないはず。
ただ、そこまで簡単に白黒つくような話とも思えないんだけどなあ……。
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。
https://twitter.com/kayuumaatsui/status/1480342841734070274
表自連中って、「犯罪に繋がるという数値やデータを出してくれ、出してくれれば規制に従う」という、全然、「表現の自由」でも何でもない事をよく言うようになったけれど、それってPSYCHO-PASSのシビュラシステムみたいなのが出来たら無批判に従うって事を意味するんだけどいいのか。いいんだろうね。
「データや数値さえ出してくれれば唯唯諾諾と従う、その数字の確実性や真実性は問わない」っていうのは、「表現の自由」を求める人の発言ではない、「思考停止」を欲する人の発言だよ。
右翼連中が、原発の汚染水の海洋放出に無批判なのとまるで同じ。
大元のデータに誤魔化しや隠蔽があるのではないか、まで思考が届かない。
民主党政権だったら批判できても、与党自民党だと鎖のついた犬のように従う。
それは、【思考停止】の【口実】が欲しいだけで、科学的態度ではないね。
コロナ禍での東京五輪強行の際に、与党自民党がスパコン富嶽に「開催に都合が良いデータ」を出させたように、数値やデータってのは誠実でない人が扱えば簡単に歪められるってわからないかな。わからないんだろうね。こうした諸々を無視して、数値やデータに盲目的に従うのは、要はマチズモの一種だよ。
何度も指摘している事ですけれど、彼らは表現の自由の1丁目一番地が権力批判である事を理解したがらない。
理解すると、彼らの大好きな与党自民党と戦う必要性が出て来てしまうからです。
なんで英語版Wikiでは【言論の自由】の項目に【表現の自由】が含まれるのか、など、考えた事もないのでしょう。
改憲されたら、【公共の福祉】が【公益及び公の秩序】になるわけで、比較にならないほど危険ですね…【公共の福祉】ですら散々悪用されてきて、【一元的内在制約説】に現在は落ち着いているのに。ちなみに日本版Wikiは与党自民党の改憲が正しいかのようにミスリードしています。前はもっと露骨でした。
どうして、こうも表現の自由や言論の自由といった権利をないがしろに出来るのか
もう何回こういう話をするんだよって本当にうんざりする。
そうだね、全然オッケーだと思うよ
ただそれなら「子供に悪影響」とか「性犯罪を誘発」とかいう嘘をつくなよ。
それならよっぽど話が建設的になっただろ。
表現規制派はそこで延々と嘘をついてきたんだよ。
子供を盾にして、犯罪とかどうとかでまかせを並べて、エビデンスを求められると顔真っ赤にして被害者ヅラになって逃げ回る。
まず嘘つくのやめろやってどんだけ言われてきた?
俺も宇崎ちゃんの絵とか見てて良い気分は1ミリもしねーわ。安っぽいし下手糞だし。
ああただの感想ではなく規制や他者の抑圧をお求めなら、それはそれなりの理由が必要ですね、どういう理由ですか?って言われて
性犯罪誘発~みたいなでまかせを並べて、エビデンス求められたら鼻水垂らして逃げ惑う。
これをずーっと繰り返してきてるわけじゃん。
「不快だ」「クソだ」などの批判を言う権利なら全然あるよ。どんどん言えよ。
でもお前等が求めてるのはそこじゃなくて、抹殺したいわけじゃん。
何回も何回もここを行き来して話を混ぜようとするよな。
俺は宇崎ちゃんのポスターが自室に貼ってあったら嫌だから剥がすわ。
けど道に貼ってあるのはしょうがねえわ。
道に貼ってあるのすら許さないつもりならなんかそれなりの理由が必要だろ。
「私が不快だから」で他人の空間や公共空間まで自分の思い通りにしようってのはビョーキだよ。
お前の家の色が嫌だとかお前の家の匂いが嫌だとか町からノータイムで出ていけとか言われたらどうするんだ?
それは俺も不快だし萌えオタの人達の多くも不快がってると思うよ。
それにしたってどういう理屈で戦うのかはよく考えるべきだと思うけどね。
エロ広告はエロだと思うけど、萌え絵=エロっていうのはどっからきたの?
突然飛躍した気がする。
俺は多分それは証明できない徒労だと思うけど
社会的に萌え絵を抹殺したいならそれぐらいの労力はかけてちゃんと調査するしかないでしょ。
はっきり言って
「あんたの脳がエロいだけ」みたいな調査結果出ちゃいそうだなーと思うけどな。
でも本気でそれを主張するならきちんと調査してみろよ。
なんでそこをさぼろうとすんの?
そういうとこに本気を感じないし、「萌え絵に耐えがたい苦痛を感じてる」って言うのも嘘くせ―な―って思っちゃうんだよ。
俺は宇崎ちゃんは不快だけど、他の不快なものと同じく我慢はできる。お前等もその程度なんじゃないの?
被害者気分でギャンギャン喚き立てて誰かを攻撃するのが気持ちいいってだけだろ?
本気で辛くてそれを取り去りたいっていう人間の真剣な感じを表現規制派から感じたことがないんだわ。
お前等要するにキモオタが調子こいてるのが気に入らねえ、イジメて楽しみてえ、ってだけなんじゃねーの?
繰り返しをまとめるけど
・「これは嫌いだ!不快だ!」はお前のお気持ちだけで叫んでOK。
・「社会から抹殺すべき!」にはもっとしっかりした理由がいる。
規制派だってそれはわかってるので「子供に悪影響」「性犯罪誘発」というでまかせぶっこいてきたわけ。
何回この話しなきゃアカンの?
お前等キチガイに対抗して宇崎ちゃん守ってる人間=宇崎ちゃん好きだと思うのもやめてくれ。
(追記)
「不快」という批判への批判は当然あってしかるべきだけど、そこで行うべきは、「自分にとって萌え絵がどれほど魅力的なものか」「萌え絵が好きな自分を否定されて傷ついた」という「お気持ち」を正直に示していくことであって、「表現の自由の侵害」とかじゃないと思うんだよね。
お前が「宇崎ちゃんは不快」「宇崎ちゃんはクソ」で留めてるなら、
反論も「何を言う宇崎ちゃんは素晴らしい」「宇崎ちゃんは最高だ」でいいだろうよ。
そういう言い争いなら俺はお前に乗る。宇崎ちゃんはクソだ。俺はお前と同じお気持ちだ。
でもお前が求めてるのはそういう話じゃないだろ?
お前が求めてるのは「宇崎ちゃんは不快だから社会から道から抹殺せよ」じゃん。
それに対する反論は「あーハイハイ表現の自由の侵害でーす」になるに決まってるだろ。
表現規制派ってなんでこの程度の話もわかんなくて
何度も何度も何度も何度も同じとこループするの?
いい加減にしてくれ。
萌え絵の公共広告を問題にする時、判で押したように「単に不快なだけだろ」という反論がくるけど、「不快」も広告の撤回を求める立派な理由じゃないの?
「どんなに不快であっても我慢すべきで、批判の理由にはならない」と考えているとしたら、それは言論の自由の否定だよね?「家の玄関の前にどんな不快に感じるポスターがあっても気にしない」とか言っているやつは「嘘つけよ」としかいいようがない。
というか、萌え絵によるエロ広告はtogetterなどでしょっちゅう見せられて、不快かつうざいことこの上ないんだけど、「萌え絵にエロの文脈を読み込むお前がエロ」とか、露骨な嘘がひどすぎる。
(追記)
「不快」という批判への批判は当然あってしかるべきだけど、そこで行うべきは、「自分にとって萌え絵がどれほど魅力的なものか」「萌え絵が好きな自分を否定されて傷ついた」という「お気持ち」を正直に示していくことであって、「表現の自由の侵害」とかじゃないと思うんだよね。
(追記2)
なんか凄いことになってますね……。前も似たようなこと書いて全く不発だったのに。
断っておくと、一部フェミニストの「萌え絵は女性差別や性暴力の温床だから規制すべき」という意見には基本的に賛成していません。自分が望むのは、お互いの「不快感」を尊重した上で、平和に議論が行われていることであって、規制すべきかどうかはその先の話。その上で言うと、萌え絵は現実の女性が一般的に露出することを嫌がる身体的な部位をあえて強調する傾向があると感じるので(これが個人的に萌え絵が「不快」である理由)、男性が女性に対して精神的な優位に立ちたいという欲望が何かしら表現されているのは否定できないし、それを「女性差別的」と表現する人がいるのも理解可能なもの、というのが自分の意見。
あと、「不快の表明」を「不快だから撤去しろ」と雑に解釈する人が一部にいるけど、数人の「表明」だけでは「撤去」されないし、されるべきでもない。撤去されることがあるとしても、それは表現の自由とかじゃなくて、行政の事なかれ主義の問題。
「不快」の投げ合いで収拾がつかなくなるという意見も多いけど、現状では「表現の自由」「女性差別」を論点にしても、明らかに汚物の投げ合いにしかなっていないよね?むしろ自らの快感や不快感に向き合って、それを言語化することを少し頑張ったほうがいい、というのがこのエントリーの趣旨。
一般論として、「〇〇党が信用出来ない」ならばこそ、その内部で孤軍奮闘してくれる味方は他の誰よりも大事にしなきゃいけないんだよね。
俺は自民党を信用してないけど、だからこそ山田太郎さんのような方をこそ応援すべきだとずっと言ってる。
共産党にも例えば畑野君枝さんのような方がいて、そういう人々のおかげで今もギリギリのところで踏みとどまっているというのが現実だろう。
こういう人々がいなければ、状況はもっと悪い。
どれだけ政治的に勝利を収めたとしても、「政敵をガス室に送り込んで抹殺」なんて時代じゃないんだから、結局のところ「奴ら」の影響を0にすることはできない。
「言論の自由」を相手にどのように戦うべきなのかというのは、もっと真面目に考えないといけないよな。
「反社の戯言として無視できるようにする」というのは一つの回答としてありうるだろう。だとしても、政治家や大学教授のような権威を前に威勢よく振る舞えてしまうのは、少年漫画によくある「強者のオーラを感知できない雑魚」のようにしか見えない。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言うが、中国に勝ちたいなら中国のことを誰よりもよく知る必要があるし、フェミニズムに勝ちたいならフェミニズムのことを誰よりもよく勉強する必要がある。
表現の側が表現に責任を持っていないし。言葉狩りだ!表現の自由だ!法で規制されているわけでもない表現に個人のお気持ちで文句をつけるな!それが嫌なら法規制しろ!って主張してたわけでしょ?
表彰は社会にどんな影響も与えないし、犯罪が認容されるように誤解させるミスリードをしたり、専門知識を誤解させて広めたり、義務教育で習わない大人が聞かれてすぐに答えられないような事柄について、倫理観を欠如させるような描写をしたり、イジメや軽犯罪を肯定的に描いたり
法規制はされていないのだから、それを止める権利はない。表現の自由に対する侵害だ!
主張ってのはこうでしょ?
でも実際にはゆるキャンが売れればモチーフのキャンプ人気が高まる
真実味を帯びたような描き方の表彰や報道は様々なミスリードや誤解を招く、女性に対して軽いノリでセクハラが流行ったのもスカート捲りが流行ったのもタバコが広まったのもドラマやアニメや漫画の影響だった
現に、海外から見たら今の日本は幼い女性キャラクターが男性にあたかも恋愛感情を持っているかのような表情や言動、大人の女性らしい特徴を備えた描写をしている
客観的に正常な感覚で見れば明らかにポルノなんだけど現に表現物に慣れ表現に強く影響されたことにより麻痺していて、ごく普通の少女がこんな見た目で男に媚びた設定で、実在の少女を描くこと、女性を描くこと、ではなくてエッチで自分を性的に受け入れてくれるポルノキャラクターを描いてるから、言論の自由や表現の自由に無関心かつ熱心な反対派が騒いでいる
おじさんの欲望のサンドバッグなのに、しかもそこに自覚的になっていないから、温泉むすめのようなキャラクターを温泉地に置いてしまう
大人になったら消えるキャラクターなんて、ほとんど性奴隷じゃないか。性を客体化し性の自己決定を否定した作風が全肯定されていいものか
こんな現状で規制派は二次元と三次元の区別がついていないとか立証されてないと言うのは詭弁だね
立証というのも、表現が社会的に無害であることは立証されていないし有害性についてはいくつもの過去事例が存在している。立証するなら現代社会から隔離されたグループを用意しなければいけなくなるんだから
法規制がないからと表現の側が責任を放棄して無制限に表現をしていいと主張するなら、必要な政策だと思う
表現が規制されて失われることを嘆くなら、表現の自由を社会的な責任を伴って正しく使いこなせなかった社会の未熟さを憂うしかない
アンチスレに突撃してる信者なんなのみたいな書き込みが理解できない
それをいうなら本スレに突撃してるアンチなんなのであってアンチスレは存在自体絶対悪みたいなもんなんだから突撃されたことに文句言ってること自体が相当盗人猛々しいというか。
そんでもって住み分けガーとかいって正当化図るとかどんだけ図々しいの。
言論の自由って何かに対して嫌いだと公言する自由も含まれてるの?それって最近規制対象になったヘイトスピーチと本質的にどう違うの?
文句言われたら謝るぐらいしおらしくアンチしてるならまだ理解できるけどなんでアンチに限って図々しいのかねえ。
どんなアンチスレも見つけ次第埋め立てでもなんでもして荒らされて潰されるべきだよ。
なんだだこのスレは…
正直、そう思わないだろうか。
デマかも分からない情報を拡散することになるかも。もしくはデマだと分かっていて拡散する。そんな奴がとりわけ多い。
これは一般人でも問題だが、有名人となると話はかなり違う。特に小説家のSNSは酷い。
他の作品に対して嫌味な物言いをしてマウントを取る。自分が人格者であり、常に正しいと信じてデマを拡散。政治家を断罪して急進左派的な立場でマウントを取る。特定の人物に対して見た目などを揶揄して自らを上に立たせようとする奴。
こんな奴が山ほどいる。
いつから小説家はこんなネジくれた奴しかいないのか。昔から「文豪にはクズが多い」とは言ったものの、今の小説家は極端な政治的発言や差別的言動は見ていて不快どころではない。もちろん、そう言った発言についてある程度許容するのは当然だが、それにしてはあまりに過激だ。奴らは言論の自由という伝家の宝刀を常に振り回し、異端だと思えば惨殺することも厭わない。
そして、このような悪逆非道な行いをしていても、週刊誌はこれらを取り上げようとしない。よく考えたら当然なのだが。
間違いを認めるだけでも大きく変わる。それが出来ないのは致命的だ。自分が正しいと思っているから問題だろうが、一度見直してみてほしいと願っている。
第9回BL小説大賞に出品したせいで先月は自分の創作(出品作の直し作業)が忙し過ぎて、本を読むとかいう気分ではなく、読みかけて積んでしまったものが多かった……。
馳星周先生の作品って、少年漫画や青年漫画の二次創作でBLを覚えた人間にはヒャッホー! な、ヒリヒリとした男同士の関係性を描いたものがちらほらある。私は『生誕祭』が好きだなぁー。けどここしばらく馳作品を読んでなかったなと思い、バディものだというし面白そうだなと思って本書を手に取ったのだが……。
冒頭がすごくダルい。今まで読んだ馳作品の中でここまでダルいと思ったものはなかった。うぅ……なんだこれ。でも作者あとがきには楽しんで書いたって書いてあるんだなぁ。作者が楽しんで書いた作品駄作の法則発動か、それとも中盤から急に面白くなるのか。わからないけど、十分の一くらい読んで脱落した。
BL字書き仲間から、「柴田よしき作品はBLだよ!」と教えられて、どの作品がBLなのかわからないまま、とりあえず目に留まった本作を読み始めた。しかし、最近の私にはBL貧乏神でも憑いているのか、これもいきなりダルくてくじけそう。某BLレビューサイトのマンスリーくじも外したし、散々な気分だ。
中華BLにかぶれて中国に興味を持った私、感染症がどうかというよりかは、中国の市井の人々の暮らしぶりを知りたくて、本書を読み出した。これは興味深い。封鎖下の武漢の人々の暮らしぶりもよくわかるが、中国の一般市民の暮らしや考え方も見えてくる。ステイホームするしかないので、著者のだしてくる話題がネットの話多めなんだけれど、中国流ブラックジョークとか、漢詩のパロディーとかが興味深い。
中国といえば言論の自由のない国というイメージだけれども、それでも人々は完全に右へ倣え(いや左へ倣えかな。)している訳でもなく、動画で血気盛んに行政批判(地方自治体disくらいなら意外と大丈夫だったりするの?)や罵倒をしていたり、ユーモアを交えて上手く規制を交わしつつ本音を吐露しているようだ。
ちょっと意外だなと思ったのは、中国の人達、プライバシーを大事にしている。自由と感染症対策を天秤にかけてどっちを取るかっていう議論が出てきたりとか。また、感染症対策も大事だけれども経済を回すのも大事でしょう、とかいう意見も出たりして、完全に共産主義なのではなく、資本主義的な考えも取りれているようだった。いや、資本主義というよりは現実主義なのかな。
著者の方方先生は基本的に当局を支持し信頼していると繰り返し述べつつ、極端な思想(極左)は人々の暮らしに悪影響をおよぼすとも主張している。そしてよくネトサヨから攻撃されたりブログサイトからアカウントをブロックされている。
思い切った都市封鎖で徹底的に感染症対策をしたにも関わらず、なかなか感染者数が減らなかった武漢。本書は日記なので、リアルタイムにその状況を体験して書いている方方先生や、一般の武漢市民にはどうしてこんなに長く閉じ込められなければならないのか、分からなかったようだけれども、この翌年に俯瞰で見れる読者の私には、さもありなんと思える記述が所々にある。一般市民の多くはステイホームをしていたものの、当時の武漢にはホームレスもいれば貧民街も一部にあったらしく、それらの困窮生活者は生きる為にいつも通りの暮らしをしていたようだ。また、物資の配給に従事していた人々……多くは市の職員とボランティアだ……の感染症対策も情報不足や物資不足から万全とはいかなかったようで、それが感染拡大に影響していたのではないかと私には思える。
日本でも他山の石とすべき所は、役所というのは日常の仕事様式から、どうしてもフレキシブル対応が苦手となってしまう、という点かなと思った。こればかりは国の主義とか関係ない感じがする。全体主義・強権主義的なところのある国は感染症のような問題には強いと、外の我々には見えたけれども、現実にはそれでもかなりの苦労があったことが本書にはありありと書かれている。
……とまあ長々と書いたけれども、まだ半分ちょっとしか読んでないので、頑張って続きを読む。
BL関係ないけど。読んでみれば、一般社会から顧みられることのない、普通から脱落した女性たちの暮らしやものの考え方、世界の捉え方が書かれていて、興味深い。のばらあいこ先生の『秋山くん』『寄越す犬、めくる夜』の登場人物(こっちは主に男性だけれども、所属階層はほぼ同じだろうな)の日常とかを思い浮かべつつ読んだりとか。
性的逸脱行為を繰り返す少女が、自らの価値を「需要」のある無しで語るくだりとか、衝撃を受けた。しかし、そこまで荒れた生活を敷いられているわけでなくても、自他を使える使えないで見ている人というのは世の中にはとても多いというか、ただそこに存在することさえ許されない、役に立つのは義務であるかのような圧が社会全体にのしかかっている気はするよなあ。そういう圧が、社会の中の一番弱い人々を押し潰してしまうんだろうね。
非行や犯罪で少年院に入れられた少女達が、更生教育を受ける中でやっと自分の存在を肯定することを覚えるということ。世間的には少年院に入るなんて罰だとしか思われていないけれど、そこが人生の根幹の部分を学ぶ唯一の場所であるという人も世の中にはいて、必要な場所なんだなあ。しかし、女子少年院を出てから数年後に悲惨な姿でまた戻ってきた女性の話しは重く辛かった。せっかく自分を大切にすることを覚えても、彼女をゴミのようにしか扱わない人しかいない世界に戻っていくんだね。ネンショー出だということで……。
唐突に、紙の同人誌なんか家に一人で居られる昼間しか読む暇ないじゃん! と思って宝箱から発掘してきた。幽遊白書の同人誌、なんだけど、表紙からして誰おま。これが野火ノビタクオリティ。だが読めばなるほど蔵飛……そしてエモい。
実を言うと蔵✕飛は特に好きではないが嫌いでもなく、しかし野火ノビタ先生の作品に限っては超好きなので本を買ったという。私自身は幽白の最推しカプは男女カプなので、表向きには蔵飛読むなんて言えない。腐に媚びてんじゃねぇと陰口を言われるので。BLのカプでは仙水✕樹が好きだな。推しても誰とも喧嘩にならないし。
小室圭さんの件は思う所があったが、俺が許せないのはグーグル、ドコモ、マイクロソフトだ
グーグルのディスカバリー通知でも、NTTドコモのニュース通知でも、NTTドコモのメールでも機能でも
ヤフーニュースのコメント炎上ばかり有名だが、グーグル、ドコモは糾弾されたか?誰も叩いていないじゃないか
スマホ端末に通知でこいつを叩いてくださいと扇情的な見出しを多くの国民にわざわざ届けてるんだろ?
あとWindowsのニュース機能、OS標準機能で場末の芸能ニュースごり押しで呆れたわ
なんでこんな手口が許されてるんだよ、せめて議論の俎上に乗せろ
大した価値のある文章でもないし畢氏の考えとも何の関係もないです
この件は自分で真偽や詳細を確認していないので、あまり正しい応答は出来ていないかもしれない…
支援する方がむしろ過激派の勢いを削ぐだろうという主張は上に書いた通りだ。
それから、(祭り前の畢氏を含め)大量の狂ってしまった人がフェミニズムの看板を掲げていることは間違いないが、本来のフェミニズムは別に狂った思想ではない。
あなたがそう思うのも表明するのも自由なのでしてもらって構わない。
ただ一応書いておくが作者やファンに直接言うのは品のある行いではない。